開本浩矢著『研究開発の組織行動

Japanese Journal of Administrative Science
Volume19, No.3, 2006, 287-289.
書 評
経営行動科学第19巻第 3 号, 2006, 287−289.
開本浩矢著『研究開発の組織行動
―研究開発技術者の業績をいかに向上させるか―』中央経済社 2006. 4
愛知学院大学 松
現在の厳しいグローバルな経営環境の中で企業が生き
残り発展するためには,企業が優れた製品・サービスを
原 敏 浩
を基礎・応用研究を行う者,後者を応用研究以降の開発
活動を行うものとしている。
提供できるか否かにかかっている。不確実性の時代の中
序章では,著者は研究開発技術者の成果を創造性の発
で,企業が生き残るために頼りにするもの,それは企業
揮と捉え,創造性を「『新奇性,社会的有用性,有形性』
のコストダウン戦略,差別化戦略,ブランド戦略の効果
の3つの条件を満たす『成果』
」としている。
第2章から第4章までは,従来の研究レビューである。
的な実践であり,そのための従業員の創造的な活動であ
る。とりわけ,その中心をなすのは従業員の創造的な研
第2章では,モチベーションを従来の伝統にしたがって
究開発活動であろう。これこそ,日本企業に求められる
内容理論と過程理論に分けて紹介した後,研究開発技術
最優先の課題の一つと考えられる。
者にとってのモチベーションとは何かに言及している。
開本浩矢氏の上掲の書は,まさにこの問題,すなわち
すなわち,内容理論に対応するものとして「外発的モチ
企業の研究開発活動を経営行動科学という枠組みから捉
ベータ」と「内発的モチベータ」,過程理論に対応する
え,その因果関係の解明と実践的経営指針を提言したも
ものとして期待理論に依拠した「期待形成」,そしてこ
のである。今まで類書のない創造的で実践的な書である。
れらに影響する媒介変数として「個人・組織・環境」特
以下著書の紹介と若干のコメントをしたい。
性を挙げて,それらを統合したモチベーション・プロセ
本書は11章より構成され,最初の章は序章,最後の章
スモデルを構築,提案している。単なるモチベーション
一般ではなく常に研究開発技術者の視点からのモチベー
は結章と命名されている。
まず序章では,「研究の背景」,「本書の目的と守備範
囲」,「分析アプローチ」,「本書の構成」にふれている。
ションのレビューとモデルの構築は,著者の苦心の産物
である。
この本の特色は,テーマを企業における研究者,技術者
第3章はエンパワーメントのレビューである。本書で
の研究開発行動に絞って,「彼らの創造性を引き出すた
は研究開発技術者にとって「エンパワーメント」が能力
めには,マネジメントはどうあるべきか」を問うている
の中心概念の一つとして捉えられている。著者は従来の
点である。その研究のテーマおよび守備範囲はきわめて
エンパワーメントの幾つかの定義を挙げた後に,筆者の
明快でわかりやすい。
立場を明確にしている。すなわち,エンパワーメントは
第1章の「研究開発技術者のとらえ方」では,「研究開
従来,主として「権限委譲」としてとらえられ,こうし
発技術者とは何か」を問題にしている。著者の意図は,
た流れで研究が蓄積されてきた。しかしながら,最近エ
研究をはじめるのに先立って従来ともすれば曖昧に定義
ンパワーメントは新しい概念定義に基づいて研究が行わ
され,使用されてきた「研究開発技術者」という概念を
れるようになってきている。その定義とはエンパワーメ
明確にしようとするところにある。従来の定義として著
ントを「メンバーの心的状態として捉え,有能感などの
者が取り上げたものは,総務庁統計局,日本生産性本部,
用語によって定義する立場」である。著者もこの定義に
日本能率協会,雇用職業総合研究所など6つである。そ
共感し,エンパワーメントを「心理的に活性化した状態
してそれらのレビューの後,研究開発技術者を「民間企
であり,有能感などによって測定される認知的変数であ
業において,理工系学部,または大学院などの高等教育
る」と定義する。そしてその構成次元として「意味」,
機関を修了したレベルの専門知識を活用して,研究およ
「有能感」
,
「自己決定」
,
「インパクト」の4次元を考慮す
び開発という職務に従事している従業員」と定義してい
る。「意味」とは,個人目標と組織目標との一致・統合
る。これが著者の出発点である。読者の中には公的機関
の程度であり,
「有能感」は自分の能力への認識,「自己
に勤務する研究者も含めるべきだとする意見もあろう。
決定」は自らの行動に対しての自律性,そして「インパ
著者は公的機関と民間企業の研究者の相違点を指摘した
クト」は自分の遂行している仕事が組織や社会にもたら
後で,あえて「民間企業」という制約を入れた。著者は
す貢献度を表している。こうした新しい定義はまだ研究
また「研究開発者」と「開発技術者」とを区別し,前者
の緒についたばかりであるが,今後の新しい研究の方向
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書 評
経営行動科学第19巻第 3 号
エンパワーメント」とし,さらにこの種のエンパワーメ
を指し示すものとして興味深い。
第4章はリーダーシップおよび社会的勢力のレビュー
ントを育む環境を「状況的エンパワーメント」と考えて,
であるが,ここでは特に研究開発部門の管理者のリーダ
これら二つの測定尺度を開発した。対象はB研究所の研
ーシップ,すなわちテクニカル・リーダーシップをレビ
究開発技術者である。因子分析の結果は当初開発した
ューしているのが特徴である。ここで述べられている
「有能感」,「自律性」,「(心理的)無力感」の3次元では
Farrisのリーダーシップ論は研究開発技術者を対象とし
なく,
「有能感」と「心理的無力感」の2因子が得られた。
たリーダーシップ論だけでなく一般のリーダーシップ論
また,エンパワーメントを育む「状況的エンパワーメン
を考える上でも興味深い。
ト」として,「成長機会」と「状況的無力感」が得られ
第5章から第9章までは実証的研究である。第5章では,
た。そして心理的エンパワーメントと状況的エンパワー
研究開発技術者のモチベーションプロセスに関する実証
メントとの間には有意な相関が得られた。また本人の認
分析が紹介されている。ここではモチベーションを「会
知したエンパワーメントと本人の成果(本人評定目標達
社,仕事内容,能力発揮」などの満足度として捉え,そ
成度)との間には有意な相関が得られた。このように得
れに対してモチベータがどのような影響力をもっている
かを分析している。モチベータは2種類に分けられてい
られた結果は,本邦においては初めてのことであり,
「心理的エンパワーメント」と「状況的エンパワーメン
る。内発的モチベータ(社会に対する貢献など)と外発
ト」との関係も含め,今後の発展が期待される。また,
的モチベータ(年収など)である。対象は神戸大学工学
そのためには類似した既存の概念,すなわちBanduraら
部卒業生で研究技術者299名,開発技術者640名,事務系
の「自己効力感」などとの関連性の整理が必要になろ
職員576名である。データは統計的に分析,解析されて
う。
第8章では,
「研究開発部門におけるリーダーシップ行
いる。その結果,内発的モチベータ,外発的モチベータ
ともにモチベーションに有意に影響することが示され,
動に関する実証分析Ⅰ」で職務満足との関係を検討して
また3つの職種間でも差異のあることも指摘された。
いる。リーダーシップ行動と職務満足との関係について
第6章では大手製薬会社に勤務する研究開発技術者150
は膨大な研究蓄積があるが,研究開発技術者を対象とし
名を対象にして「研究開発技術者のモチベーションと業
た特殊なリーダーシップ尺度(テクニカル・リーダーシ
績に関する実証分析」をしている。ここでの業績は論文
ップスケール)を用いた研究は少ない。著者らの研究目
数である。その他の操作,すなわちモチベーション,モ
的は,テクニカル・リーダーシップスケールの次元の確
チベータなどは第5章と同様の操作で,期待理論を中心
認とこの種の尺度と部下(研究開発者)の仕事に関する
とした著者のモチベーション・モデルに基づき仮説を設
満足度との関連性である。対象はB研究所の管理研究開
定し,検討している。また分析は対象者を高業績者と低
発技術者58名である。因子分析の結果は14因子が抽出さ
業績者に2分して,それぞれを回帰分析,相関分析をし
れた。そしてこれらの因子のあるものと職務満足の因子
ている。その結果,業績の高い研究開発技術者の方が,
の間に有意な相関が確認された。この研究は,著者の研
内発的モチベータ(社会的地位,科学技術的貢献)をよ
究開発に対する独自な視点が伝わってきて興味深いが,
り重視していることが指摘された。また,外発的モチベ
項目数に比べて若干サンプル数などが少ないなど問題も
ータ(昇進,給与)などでは高・低業績者間で大きな差
見受けられる。
第9章は「リーダーシップ行動に関する実証分析Ⅱ」
は見られなかった。
しかしながら研究開発者は一般に「論文の発表が報酬
でプロジェクトリーダーのリーダーシップと社会的勢力
という形で報われるという可能性が小さいと認識してい
の関連を中心に検討している。対象は大手素材メーカー
る傾向」があり,これは人事管理上一つの問題であると
の研究開発技術者168名である。結果はリーダーシップ
指摘している。
と社会的勢力の間,リーダーシップ行動とプロジェクト
第7章は「研究開発技術者のエンパワーメントに関す
成果の間に有意な相関が得られた。
る実証分析」である。前述したようにエンパワーメント
結章は本書のインプリケーションおよび残された課題
は著者によれば「自分の能力に関する自信や効力感」で
について触れている。そこでは幾つかの人事管理上の提
ある。こうした新しい概念規定に基づいた調査研究はま
案もされている。とりわけ研究技術者と開発技術者が異
だ,その緒についたばかりである。そこで第7章ではエ
なったモチベーションを持つことから,それにあった人
ンパワーメントの構成次元がどのようなものかを因子分
的資源管理施策の必要性などを提案しているのが印象的
析によって明らかにすることが主たる目的である。著者
である。
は,前述のように定義したエンパワーメントを「心理的
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本書を読んで特長として感じる点は,次のようなもの
開本浩矢著『研究開発の組織行動―研究開発技術者の業績をいかに向上させるか―』
である。
まず第一は,著者の研究開発管理への情熱である。著
者は日本企業が生き残る道は魅力的な製品・サービスの
提供にあると考え,長年にわたって一貫して研究開発技
術者の組織行動を研究してきた。本書はその集大成であ
る。筆者も強い共感を感ずる。
第二は研究開発技術者の業績を「創造性」として捉え,
心理学的なアプローチに立って,「成果(創造性)」は
「モチベーション」,「能力」,「環境要因」の関数である
と捉えている。そしてこれらの3要因を上げるための組
織行動について実証的,定量的に検討している。モチベ
ーションはモチベータ,能力はエンパワーメント,そし
て環境要因はリーダーシップである。そしてこれら全体
を考慮した研究開発管理,人的資源管理が求められると
いうものである。成果の単位は個人レベルのほかに集団
レベルも存在しようが,集団レベル考慮した定量的な分
析は今後の課題であろう。
第三の点は,本書の構成は文献研究から始まり,実証
研究,研究の持つインプリケーションで終わっている。
その構成はきわめて明快でわかりやすい。また,実証研
究の各章も研究目的に即して適切に構成されている。大
学院生および若手研究者が研究論文を作成する上で参考
になる記述である。
そして最後に指摘したい点は,本書で取り扱われた
「エンパワーメント」や「テクニカル・リーダーシップ」
などの概念への意欲的取り組みである。とりわけ「エン
パワーメント」は今後の組織行動を考える上で有効な概
念と思われる。著者は「心理的エンパワーメント」とそ
れを育む「状況的エンパワーメント」を指摘しているが,
この種の研究の今後の発展をぜひ期待したいものであ
る。
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