第63回リンダウ・ノーベル賞受賞者会議 (化学)に参加して

第63回リンダウ・ノーベル賞受賞者会議
(化学)に参加して
筑波大学 グローバルリーダー研究員 馬場将人
出発準備
2013 年 3 月 4 日(月)、関西での新生活に慣れ始めた私に電撃が走った。はじめは我が目を疑ったもの
の、メールを何度読み返してもリンダウ会議の選考に通ったと書いてある。実は 6 月 30 日(日)にリンダウ
会議本会場で参加受付けを済ませるまでは半信半疑のままであった。
日本におけるリンダウ会議の知名度はそう高くないだろう。かくいう私も博士後期課程の時に初めてその
存在を知った次第である。リンダウ・ノーベル賞受賞者会議は年に一度ドイツ・リンダウで開催される、550
人の若手研究者(うち 200 人はドイツ人だったらしい)とノーベル賞受賞者、その他関係者のみが参加でき
る閉鎖的な学術交流会である(http://www.lindau-nobel.org/)。日本からは例年 10 名前後が選ばれ、日本
学術振興会の援助を受けて参加している(http://www.jsps.go.jp/j-lindau/)。私は二度目の応募にして採
用されたのだった。白岩善博先生と Randeep Rakwal 先生、二人の異なる指導教員に推薦状をご執筆頂い
たのが功を奏したに違いない(複数通の推薦状の提出が奨励されている)。
半信半疑でも、とにかく参加を準備しなければならなかった。まず応募時とは異なり、私は筑波大学グロ
ーバルリーダーキャリア開発ネットワーク(http://glc-net.tsukuba.ac.jp/)の支援を受けて民間企業に出向
中の身。参加には大学と企業双方のご理解が必要だった。果たしてこの心配は杞憂に終わった。関係者各
位のご理解の下、すんなり参加が許可されたのである。いつもありがとうございます!
続いて旅行の手配である。宿泊施設(リンダウ会議委員会が手配する)を除き、日本学術振興会は旅行
の手配を参加者に一任しており、後日実費をほぼ全額支給してくださるとのこと。ともあれ初の欧州旅行、
正直手配できるか不安だったので、最寄りの旅行代理店に駆け込んだ。解決!かくしてリンダウ会議に参
加する準備は整ったのだった。簡単でしょう?
リンダウに向け出発
時間が過ぎるのは早く、あっというまに出発日となった。6 月 29 日(土)、前日まで勤務した私はかろうじて
起床した。午前 10 時発の航空機に乗り、関西国際空港からフランクフルト空港まで移動。12 時間に及ぶフ
ライトである。到着時、体内時計は午後 10 時で、現地時刻は午後 3 時となる。時差ボケは特に感じなかっ
た――体感上、昼寝をしてからちょっと夜更かしをした状態なので。フランクフルト空港で乗り継ぎを 6 時間
待ち、国内線でさらに 1 時間の移動。午後 10 時頃にはフリードリヒスハーフェン空港に到着した。あとは電
車でリンダウ駅に移動するだけのはずだった。
しかし電車が一向に来ない。駅で出会ったリンダウ在住のマエネル氏他数名に事情を伺ったところ、どう
やら事故遅延らしい。ドイツ・バーン鉄道の遅れは珍しくなく、旅行者は大いに注意されたい。結局 2 時間待
っても来なかったので、マエネル氏に従い別の駅に移動、終点リンダウ行の電車に乗ったのだった。さらに
リンダウ泊とばかり思っていたが、マエネル氏によれば私の宿泊施設はリンダウより手前のエンズィスウェ
イラー駅付近にあるという。ドイツ語の車内アナウンスが全く聞き取れず、駅名の看板は夜陰で読めないの
で、降車までマエネル氏にお世話頂いた。ようやく目的地に到着し、丁重にお礼を述べて電車を降りた。旅
行のスリルと、現地の方々の温もりを感じた一件であった。
エンズィスウェイラー駅の周辺は田舎の高級住宅地といった趣であった。既に深夜 12 時を回っていたが、
運よく駅員さんを捕まえ、道を聞くことができた。駅から 1km ほどの距離を、1 時間ほど迷走してようやく到
着した。宿泊所 Parkhotel Lindau(http://www.parkhotel-lindau.de/)は民家風で素敵だったが、深夜 1 時の
ホテルのロビーは無灯火・無人であり、玄関には鍵がかかっていた。もう日本に帰りたかった。何度かイン
ターホンを押すと管理人のお返事があり、ご案内に従ってロビー・ルームキーを入手し、入館、入室、就寝
した。以上は少し冗長かもしれないが、はじめてリンダウを訪れる旅行者に起こりうる事態として敢えて報
告する次第である。
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会場付近の様子
明けて 6 月 30 日(日)、時差ボケもなく目覚めた。ホテルの食堂で
日本人参加者の江島さん(メルボルン大学)に初対面。パン、ハム、
チーズの典型的な洋朝食を取りつつ自己紹介しあった。この日は
午前中に参加受付け、昼に文部科学省主催の昼食会かつ日本人
参加者の初顔合わせがあり、午後にリンダウ会議の開会式があっ
た。江島さんは前日のうちに会場を下見したとのこと。私は会場確
認のため、早めにリンダウに向かうことにした。
前夜の失敗を踏まえホテルでマップを調達した(図 1)。リンダウ
(Lindau)はボーデン湖(Bodensee)に浮かぶ 0.5×1 km ほどの小
島(Insel)で、本土とは二基の橋で接続されている。本土に位置す
図 1 リンダウマップ
る宿泊所との往復には、前夜に利用した鉄道の他、30 分間隔で運
行するバスを利用でき(参加者は無料)、徒歩でも約 30 分の近所である。結局、私は徒歩を選択した。道行
く人々と「グーテン・モルゲン!」と挨拶。閑静な住宅地と牧草地、薄暗い洋館が混在する街並みは面白か
った。目標の橋に気付かず進むうち、リンダウ会議のポスターを発見(筆者写真)。期待を煽る演出である。
橋を渡ると、先ほどの住宅地とは異なる観光地然とした風景が広がった(図 2)。実際、リンダウは保養地と
しても有名だとか。さらに行き、参加受付け会場であり会議の基点であるホール Inselhalle に到着した。開
場を待って参加受付け。資料に自分の名前が印字されているのを見つけ、ようやく一息ついたのだった。
日曜定休の商店街をウロウロしているうちに昼食の時刻となった。昼食会で
は招聘された日本人参加者や、文部科学副大臣 福井様や、JSPS長 小平様、
JSPS理事 戸渡様をはじめとする支援者の方々とお会いすることができた。参
加者は抱負や簡単な研究紹介を披露した。一方で、弾む日本人参加者の会話
に微妙な違和感。どうやら知己の方々がおり、身内を話題にしているらしい。研
究者ネットワーク(特に東京大学軸)にあなどり難いものを感じたが、そもそも私
のような生化学分野の参加者がいないことも要因のようだった。かくいう私も、
恩師のご子息とドイツで初対面するなど、世の中の狭さを痛感していた。国内で
のネットワーキングの大切さを、遠いドイツの地で思い知った。
午後には開会式。ノーベル賞受賞者が列をなして入場する様は圧巻。さらに
運営委員長他の煽り文句に血が騒いだことを除けば、ごく普通の開会式であっ
た。歓迎会でのベルリンフィル弦楽器三人衆の生演奏には癒された。この晩だ
けは普通の夕食会が催された。その後帰宅、就寝。
図 2 リンダウ街並み
リンダウ会議!
メインとなる 7 月 1 日(月)~7 月 4 日(木)のプログラムは三種類に大別される。①午前中、ノーベル賞受
賞者によるレクチャー(質疑なし)。②午後、ノーベル賞受賞者によるパネルディスカッション(質疑あり)。③
午後、若手研究者(YR)議論会(質疑メイン)。他にマスタークラスと呼ばれる、YR の発表をノーベル賞受賞
者が評するという恐るべき授業もあったが、席が取れず、また参加した方に出会うこともなかった。
本来ならリンダウ会議の要であるレクチャーをご紹介すべきところであるが、35 名ものノーベル賞受賞者
の ご 講 演 内 容 を こ こ に 要 約 し よ う と す る の は 無 謀 で あ る 。 リ ン ダ ウ 会 議 公 式 サ イ ト 内 の 、 Lindau
Mediatheque(http://www.mediatheque.lindau-nobel.org/#/Home)では、リンダウ会議の日程表や式典、ノ
ーベル賞受賞者の講演要旨、講演全編を収めた動画や関連動画、ノーベル賞受賞者のヴァーチャル研究
室などが一般公開されている。誰でも気軽にリンダウ会議を体験できる素晴らしいシステムなので、ぜひ一
度はアクセスして欲しい。一方ここでは私にとって印象的であったことや会場の雰囲気など、Lindau
Mediatheque ではフォローし切れない部分をお伝えしたいと思う。
まず、ノーベル賞受賞者は本当に研究者の鑑のような方々だった。彼らの原動力は、研究(対象)が好き
で理解したくてたまらないという、知的好奇心に他ならなかった。彼らは自分に正直で、ノーベル賞の受賞
すらオマケと思っているようだった。彼らの講演内容は予想と大きく異なっていた。即ち聴衆が極めて多様
にも関わらず、演者の自己紹介やイントロダクションパートは少なかった。確かに発表スライドは研究対象
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の特徴をアピールする工夫に満ち、効果的なジェスチャーとジョー
クを織り交ぜた発表に会場は沸いたが、多くの発表者が非常に早
口で(多国籍な集会だというのに!)、さらには発表時間を超過し、
議長の注意を尻目に発表を続けた。概してノーベル賞受賞者は特
別ではなく、身近な学会で見かける生き生きとした研究者そのもの
だった。彼らこそアカデミアの象徴だと、私は変に納得してしまっ
た。
参加者同士で、この事実は以下のような話題となった――こと日
本の大学ではアカデミアに残らない(=社会に出る)研究者を「負
け組」と見なす風潮が厳然と残っている。しかし優れた研究者が皆
図 3 サインをねだる筆者
アカデミックに流れたら、誰が社会の知的活動を執り行えるのか?
ノーベル賞研究が社会を救ったとはいっても、その大部分は結果的なものであることは自他ともに認めると
ころであるのに。他方、日本の大学で(民間企業における)即戦力人材の育成が叫ばれるようになって久し
い。しかし、業務研究からノーベル賞研究に見られるような熱意と執着に塗れた革命的な成果が誕生する
だろうか?これからの大学の役割とは、アカデミアの研究者と社会に生きる研究者という両輪をバランス良
く教育することではないか――社会進出のキャリア・パスを希望している我が身には、大変興味深い議論
だった。
第 63 回は“化学”の開催で(年毎にテーマ分野がある)触媒や医療、生物学の発表が多かったが、高温
超電導、量子力学、レーザーなどの発表もあり多彩であった。自身の専門とは別の研究分野に惹きつけら
れることも多く、視野が広がるようだった。30 分おきに異なる学会に参加するような特殊な体験だった。
ノーベル賞受賞者との距離の近さは、本会議の醍醐味である。個人の興味になってしまうが、私が科学
者を志すきっかけとなった温室効果ガスの研究をされている Dr. Mario J. Molina と握手し、その啓蒙に御礼
を述べることができたことは一生の思い出になると思う(図 3)。サインも貰った。
会場の雰囲気を演出した世界の若手研究者も、ノーベル賞受賞者に負けず劣らず強烈だった。全く彼ら
の自己主張の強さは驚嘆に値する。具体的には、(a)自分(の理論)に自信がある、 (b)他人への配慮の意
識が日本人と異なる、 (c)英会話が早くて冗長、などである。逆に国際的に見て日本人は消極的にすぎる
ようだ。国際対応テクニックとして、(c)はとりわけ練習が必要だろう。日本語は元来ゆっくりとした発声で、
英話とは趣が大きく異なる。周囲の喧騒に惑わされることなく、落ち着いて思考を整理し、的確に要点を突
く話術が必要と感じた。
パネルディスカッションのテーマ設定を誰がしたのか知らないが、“Why communicate?”や“Challenges to
Peace and Justice in the 21th Century”、“Green Chemistry”など漠然としていた上、パネリスト全員が話し
たがりのために収集がつかなくなっていた。私はそれなりに楽しんだが、総じて無意味として参加者の受け
は悪かったようだ。YR 議論会も似たようなものであったが、参画のしきいは低く、私もいくつか質問できた。
パネルディスカッションと YR 議論会は効果的とは言い難く、ノーベル賞受賞者とのやりとりはプログラム外
の空き時間に求めた方が良いと思われた。全ての参加者はネームカード
のストラップで色分けされていて、目当てのノーベル賞受賞者に接近する
ことは容易だった。後は大勢のファンの隙をつくタイミングと運次第だ。
異文化交流と観光
異文化交流もリンダウ会議の重要なテーマだ。昼間は学術的なプログラ
ムに占められているので、交流の機会は夕食時となる。各日のテーマは、
韓国紹介(7/1)、現地人との交流(7/2)、特になし(7/3、私は日本人懇親
会に参加した)、Bavaria ネットワーク紹介および文化交流(7/4)であった。
それぞれ楽しい会であったが、私は攻め手に回れる 7/4 の“Bavarian
Evening”に着目していた。この日はドイツの Bavaria ネットワークという学術
交流団体の紹介の他、世界各国の民族衣装の持参が奨励される交流会
であった。知人を増やす絶好の機会だ。
会場はインド、東ティモール、ヨーロッパ系の民族衣装に身を包んだ参
3
図 4 和装を楽しむ筆者
加者で溢れていた。ドイツの伝統芸能として、ブラスバンドの生
演奏と男性が脚部を叩き跳ね回る舞踏が披露された。私は浴
衣を着用して会場に乗り込んだが、和装は他にいないため好評
であった。知り合った方には、折り紙で作った記名済み鶴、手裏
剣などの記念品をプレゼントし、名刺を交換した。リンダウ会議
では各自に名刺と、顔写真入りの名簿が配布されており、後に
なって連絡を取る際に便利だ。日本人参加者に対してもキャラク
ターも確立できたし、参加者同士の距離が一気に縮まる良いイ
図 5 ボート
ベントであった(会場の様子は公式サイト参照)。
7/5(金)の最終日には観光要素があった。リンダウ島から“Mainau Island”まで、約二時間のボートトリッ
プ(図 5)があり、パネルディスカッションと閉会式の合間には島内散策ができた。Mainau Island は湖上のバ
ラ園で、建築物も豪奢であった(図 6)。お城の前で行われた閉会式は、リンダウ会議の最後を飾るにしては
ずいぶんと簡素だった。参加者の誰もが、重要なことは既に語り尽くしていたためかもしれない。帰りのボ
ートではバンドの生演奏をバックに飲み踊る最後の宴が行われた。この日は終日晴天で、大変気持ちの良
い小旅行となった。忘れてはいけない参加者アンケートの回収もあった。かくしてリンダウ会議の全日程は
終了した(図 7)。
会期中はイベントが目白押しなので、共同研究先の訪問や欧
州見学が目的であれば、予め付加用務を申請して滞在延長す
るとよい。この点私は準備不足であり、直ぐ帰国したことを少し
だけ後悔している。
7 月 6 日(土)の帰路では、降車駅を間違えたり鉄道が遅延し
たりとトラブルは起こったが、無事帰国できた。往路とは逆の時
差にも、機内で寝るように努めたためか辛さは感じなかった(到
着時、体内時計は午前 1 時で、現地時刻は午前 8 時)。帰国日 図 6 観光で訪れたい Mainau Island
の 7 月 7 日(日)は一日静養し、翌日には元気に出社した。
若手研究者へ
もし私が、“なぜリンダウ会議である必要があるのか?”と問わ
れたら、“リンダウ会議でしか体験できないことがあるから”と答
える。それは、普段の研究では接しない分野の発表であったり、
気鋭の若手研究者との対話であったり、装飾されていない生身
のノーベル賞受賞者との交流であったりする。さらに“リンダウ
会議に参加して何か変わったか?”と問われたら、“変わった。ノ
ーベル賞が「夢」でなくなった”と答えるつもりだ。
我々は冗談交じりで「○○が証明できたらノーベル賞級だ」な
図 7 閉会後の Inselhalle を前に
どと言う。それは実は正しい。なぜなら全てのノーベル賞受賞者
もまた、ノーベル賞を獲ろうという目論見で研究を進めたのではなく、証明したことが結果的にノーベル賞級
だったのだから。我々若手研究者も、研究を前にすればノーベル賞受賞者と同じ、同志なのだと実感でき
た。
あなたは研究(対象)を愛する才能に長けているだろうか。もし自信をお持ちなら、ノーベル賞級の発見を
する準備体操として、リンダウ会議に参加することを強くお勧めする。
謝辞
馬場将人は独立行政法人日本学術振興会から派遣されて第63回リンダウ・ノーベル賞受賞者会議に
参加いたしました。白岩善博先生、Randeep Rakwal 先生の素晴らしい推薦状がなければ、参加はままなら
なかったと思います。リンダウ会議委員会の極めて上質な運営に敬意を表します。日本や世界の参加者の
皆様には、たいへんよくしていただきました。グローバルリーダーキャリア開発ネットワーク各位および出向
先各位のご理解なく円満に出発することはできませんでした。この場を借りて、深く御礼申し上げます。
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