講義テキスト 5章 三態、気体 - 名城大学 農学部 有機物性化学研究室

5章
物質の三態(気体・液体・固体)と気体の法則
出典 入門
化学熱力学、松永義夫、朝倉書房(2005)
Wikipedia
復習・目的
固体:原子・分子やイオンなどの粒子が集合し、決まった位置に存在する状態。
その位置が規則正しく周期的な固体を結晶という。粒子はその位置で熱振動し
ている。粒子間の相互作用が熱運動よりも強いと固体状態が保たれる。
液体:熱運動が激しくなり、粒子が移動して位置が一定でなく流動性をもつ状
態を液体という。
気体:熱運動が激しくなり、粒子間相互作用を完全に凌駕すると、粒子はバラ
バラになり高速で運動する。粒子は容器の隅々まで広がる。これが気体状態で
温度
気体
ある。
固液共存
昇華
凝縮
蒸発
固体
気体
沸点
昇華
融点
融解
気液共存
液体
液体 沸騰
融解
固体
凝固
加熱時間
融解:融点、融解熱、凝固:凝固点、凝固熱、過冷却
蒸発:何℃でも起こる現象、蒸発熱、沸騰:液体内部から蒸発する現象、沸点
凝縮:何℃でも起こる現象、凝縮熱
昇華:同一の単語で正逆の状態変化を示す、昇華熱
この章では、三態、気体の法則、熱化学反応、平衡、熱力学第一、第二法則、
ギブス自由エネルギーなど熱の出入りや反応、状態に関する基本を学ぶ。
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5-1)三態と熱力学第一法則、エンタルピー
5-1-1)三態
物質の普通の状態は、気体、液体、固体である(物質の三態)。物質の内部の
すべての部分が、同一の物理的性質および化学的性質を持つ場合、その物質は
ひとつの相(phase)にあると言う。気相(gas phase)、液相(liquid phase)、固相
(solid phase)があり、蒸発(凝縮)は気相液相、融解(凝固)は固相―液相、
昇華(凝縮)は気相―固相間での変化である。
固体中で、原子、分子、イオンは定まった位置を中心に振動、または回転し
ている。温度上昇に伴い、これらの構成粒子の熱運動は激しくなり、粒子間の
引力相互作用(ファンデルワールス相互作用、クーロン相互作用)が熱運動に
勝っている状況では液体、熱運動が勝ると気体に変化する。
図 5.1
固体
液体
気体
5-1-2)孤立系、閉じた系、開いた系
化学反応では、反応が行われる空間を系(system)、系の外側の空間を外界
(surrounding)と区別する。この方法は、何も化学反応に限らない。例えば、宇
宙の中の地球を系としそれ以外の空間を外界として何らかのテーマを議論する
ことも可能である。外界は、とてつもなく大きく包容力に富み、系が出す熱も、
系の膨張も何ら外界の温度、圧に影響を与えないものとする。
もし、物質もエネルギーも系と外界の間でやりとりがないなら、その系は孤
2
立系(isolated system)という。
外界
孤立系での化学反応で発熱、吸熱があると、温度、圧力は
一定に保たれない。外界の間で物質のやりとりはないが、エ
孤立系
エネルギー
外界
ネルギーのやりとるが系を閉じた系(closed system)という。こ
閉じた系 エネル
ギー
の系での化学反応での発熱、吸熱などは系の温度、圧力を変
化させない。エネルギーのやりとりのみならず物質のやりと
りも外界と行う系を開いた系(open system)という。外界も系
の中に含め、(閉じた系+外界)や(開いた系+外界)を新たな
系と考えると、これらは孤立系である。
エネルギー
外界
開いた系 エネル
ギー
図 5.2 孤立系、
閉じた系、開いた
系、 は物質
5-1-3)熱化学反応、平衡状態、状態量
粒子間の引力の形で蓄えられているエネルギーが、化学反応(化学結合の切
heat of reaction)として放出(発熱反応
断、生成が起こる)により熱(反応熱
exothermic reaction)又は吸収(吸熱反応 endothermic reaction)される。25℃、1
atm(現在は 100 kPa)での反応熱が熱化学方程式に用いられ、化合物 1mol が同
一の温度、圧での成分から生じるとき、反応熱を生成熱(heat of formation)という。
H2(g) + 1/2 O2(g) = H2O(l) + 285.8 kJ
H2(g) + 1/2 O2(g) = H2O(g) + 241.8 kJ
熱化学方程式は、数学における方程式と同様に左辺、右辺への項の移動、等式
の足し算、引き算が可能である。従って、水の蒸発は吸熱反応で、蒸発熱(heat of
vaporization)は 44.0 kJ である。
H2O(l) = H2O(g) – 44.0 kJ
系が常に時間的に不変な状態(平衡状態, equilibrium state)の時、一義的に定
まった値を持つ物理量を状態量(quantity of state)と言い、系全体の中で一様、一
定である。状態量として、物質量に比例する示量性の状態量(体積 V、質量m、
3
熱qなど)と、物質量に無関係な示強性の状態量(圧力 P,温度 T,密度)があ
る。化学反応での状態量 X の変化は
X = niXi(生成物)  niXi(反応物)
(5.1)
ここで、(デルタ)は変化量の記号、(シグマ)は総和の記号である。
5-1-4)熱力学第一法則、内部エネルギー、エンタルピー
系が外界から吸収する熱を q, 系の体積変化によって外界から系にされる仕事
を w とすると、(q + w)が系の内部エネルギー(internal energy)U の増加である。
U = q + w
(5.2)
熱力学の第一法則は「内部エネルギーの増加U は、変化前と変化後の平衡状態
に依存し、途中の経路は関係しない」である。すると、一つの平衡状態から様々
な変化を経て元の状態に戻った過程(サイクル)ではU = 0 であり、q = w と
なり、系が外界になした仕事 w は、系が外界から吸収した熱 q に等しい。
化学反応が一定温度、一定圧力(1982 年以前の基準は 1 atm、現在は 100 KPa)
で起こると、仕事は外界の圧 P による系の縮小で w= PV であり、定圧での吸
収熱を qp とすればU = qpPV となる。エンタルピー(enthalpy)を
H = U + PV
(5.3)
と定義すると、定圧(P=0)でのエンタルピー変化H は
H = U + PV = qp
(5.4)
一定温度における反応熱は、一定体積(例:密閉反応容器内での化学反応、V=0
であり w = 0)で測定するとU、一定圧力(熱化学方程式の反応熱は 25℃、1 atm
である)で測定すればH である。ただし、熱化学方程式とは異なり熱力学では
等号の代わりに→を用い、エンタルピーの符号が反対である。
4
2H2O2(l) = 2H2O(l) + O2(g) + 196.0 kJ
(発熱反応)
2H2O2(l) → 2H2O(l) + O2(g);H0 = 196.0 kJ
一般に、固体、液体ではV=0 でありH ≈U、また反応で気体の量がn モル増
加するとH ≈ U+nRT
(5.5)
である。
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ヘスの法則(Hess's law)は、スイス生まれの化学者ジェルマン・アンリ・ヘスが 1840 年
に発表した熱力学の法則。総熱量不変の法則(the law of constant heat summation)と
もいう。ヘスの法則は熱力学第一法則の化学的言い換えであるが、熱力学第一法則の提唱
以前に発見されたことは特筆すべき点である。
解説 [編集]:ヘスは硫酸と水を様々な割合で混合し、各々の組み合わせに対して反応熱を
測定した。これより、化学反応の反応熱は反応前後の状態のみで決まり反応経路によらず
一定であることを実験的に確認した。現代の化学では、化学反応の生成熱(より厳密には
エンタルピー変化H)は反応経路にかかわらず一定と言い表すことができる。もともとエ
ンタルピー(H)は状態量であるから、熱力学第一法則からヘスの法則は容易に誘導されると
もいえる。エンタルピーは後世の概念である。ヘスの法則の示すところは、化合物 A が B
に変化する反応熱は、化合物 A の生成熱と化合物 B の生成熱から決定できることを意味し
ており、同様にして少数の既知の反応エンタルピー変化を用いて、未知の反応のエンタル
ピー変化を導くことも可能である。
例 [編集]:以下では炭素からメタンが生成する反応熱を既知の生成熱および燃焼熱から決
定する。
この反応の別経路の反応として、以下の反応を考える。
上記エンタルピーの関係は下記の等式で表される。
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5-1-4)標準エンタルピー
1 モルの物質が持つエンタルピーとして、標準状態(100 kPa = 0.987 atm)に
ある単体から、同じく標準状態にある1モルの化合物が生成するときのエンタ
ルピー変化を標準生成エンタルピー(standard enthalpy of formation)という。標準
温度 25℃における値をfH0 と記す。標準状態の反応熱H0 を求めるには、生成
系および反応系に現れる物質 i の標準生成エンタルピーfHi0 を化学熱力学の表
から得、ついで、化学方程式中の化学量論係数 ni を用いて次式で計算する。
H0 = nifHi0(生成物) nifHi0(反応物)
標準状態にある単体(Ag(s), Br2(l), C(s), Ca(s), Cl2(g), Cu(s), F2(g), H2(g), Hg(l),
I2(s), N2(g), Na(s), Ni(s), O2(g), S(s)など)のfH0 をゼロとする。C(s)は黒鉛であり、
ダイヤモンド、フラーレンのfH0 は 1.895
kJ/mol, 38.78 kJ/mol である。
5-2)気体の法則
●定比例の法則(プルースト、law of definite proportions)とは、物質が化学
反応する時、反応に関与する物質の質量の割合は、常に一定であるという法則。
化合物を構成する成分元素の質量の比は常に一定であることも意味する。例え
ば水を構成する水素と酸素の質量の比は常に 1:8 である(1H と 16O のみを考え
た場合)。
歴史 [編集]1799 年にジョゼフ・ルイ・プルースト(Joseph Louis Proust、1章末も参照)
によって発表された。これに対しクロード・ルイ・ベルトレー(Claude Louis Berthollet、
1章末も参照)は、鉱物の組成などを例にあげ、化合物を構成する成分元素の比は産地や
製法によって変化するとして反対した。当時はまだ混合物と化合物の違いが明確に区別さ
れていなかったため、ベルトレーの考え方が主流であった。プルーストはこれに対し、炭
酸銅が鉱物のクジャク石から得られたものも実験室で合成したものも同じ組成を持つこと
や、酸化銅や酸化スズに 2 種類のものがあることを示し、組成が変化するように見えるの
はこれらの混合物であるためであることを示し反論した。定比例の法則はドルトンが原子
論を提唱する際にその根拠の 1 つとして発表され受け入れられていった。しかし、金属間
6
化合物や一部の金属酸化物ではベルトレーの主張したような成分元素の比がある範囲で変
化するものも知られており、不定比化合物あるいはベルトレーの名をとってベルトライド
化合物と呼ばれている。それに対し定比例の法則に従い、特定の組成しかとらない化合物
は、定比化合物あるいはドルトンの名をとってドルトナイド化合物と呼ばれている。
●倍数比例の法則(ドルトン、law of multiple proportion)とは、同じ成分
元素からなる化合物の間に成り立つ法則である。同じ成分元素 A,B からなる 2
つの化合物 X,Y を考える。 この時同じ質量の A を含む X,Y について、X,Y それ
ぞれに含まれる B の質量は簡単な整数比をなす。これが倍数比例の法則である。
例として、炭素と酸素からなる 2 つの化合物として一酸化炭素と二酸化炭素をとりあげ
る。 一酸化炭素 28g と二酸化炭素 44g はそれぞれ同量の炭素 12g を含んでいる。 一酸化
炭素 28g には酸素 16g が含まれ、二酸化炭素 44g には酸素 32g が含まれる。 すなわち、一
定量の炭素を含む一酸化炭素と二酸化炭素それぞれに含まれる酸素の質量の比は 1:2 とい
う比で表される。この法則は 1802 年にジョン・ドルトンによって発見され、彼が発表した
原子論の有力な証拠として発表された。 炭素原子 1 個に対して酸素原子が 1 個結合した化
合物が一酸化炭素であり、炭素原子 1 個に対して酸素原子が 2 個結合した化合物が二酸化
炭素である。 原子はそれ以上分割できない粒子であるから炭素原子 1 個に対し酸素原子が
非整数個結合したような化合物が存在せず、倍数比例の法則が成立するということになる。
●気体反応の法則(ゲーリュサック)は、2 種以上の気体物質が関与する化学反
応について成り立つ法則である。ある反応に 2 種以上の気体が関与する場合、
反応で消費あるいは生成した各気体の体積には同じ圧力、同じ温度のもとで簡
単な整数比が成り立つという法則である。
例えば、水素と酸素が反応して水蒸気ができる場合、反応で消費される水素:反応で消費
される酸素:反応で生成する水蒸気=2:1:2 という比が成立する。 同様に、水素と窒素が反
応してアンモニアができる場合、反応で消費される水素:反応で消費される窒素:反応で生
成するアンモニア=3:1:2 という比が成立する。この法則は 1808 年にジョセフ・ルイ・ゲイ
=リュサックによって発表された。
この法則はジョン・ドルトンの原子論を支持するものと考えられたが、当のドルトンは
この法則を認めなかったという。 これはドルトンが化合物に含まれる原子の数は基本的に
1 つずつであると考えていたが、その考えと矛盾が生じたためであるという。イェンス・ベ
ルセリウスは、この法則の体積比が各化合物の原子の数の比と対応していると考えて、多
くの化合物の組成式を決定し、そこから原子量を決定した。 ベルセリウスの考えに従うと
同じ圧力、同じ温度、同じ体積の気体には同じ数の粒子が含まれるということになる。 し
かし当時は水素や酸素は原子 1 個からなると考えられていたため、これをあらゆる気体に
7
適用するならば、水素原子 2 個、酸素原子 1 個から水分子 2 個が生成しなければならず、
原子の数に矛盾が発生してしまう。この矛盾を解消したのは、1811 年にアメデオ・アヴォ
ガドロが提案した水素や酸素が 2 つの原子が結合した分子からなるという分子説であるが、
これが受け入れられるのは発表から 50 年も経ってからであった。
●アヴォガドロの法則(Avogadro's law)とは、同一圧力、同一温度、同一体
積のすべての種類の気体には同じ数の分子が含まれるという法則である。
1811 年にアメデオ・アボガドロがゲイ=リュサックの気体反応の法則とジョン・ドルト
ンの原子説の矛盾を説明するために仮説として提案した。 少し遅れて 1813 年にアンドレ
=マリ・アンペールも独立に同様の仮説を提案したことから、アボガドロ-アンペールの法
則ともいう。 また特に分子という概念を提案した点に着目して分子説(ぶんしせつ)とも
呼ぶ。 元素、原子、分子の 3 つの概念を区別し、またそれらに対応する化学当量、原子量、
分子量の違いを区別する上で鍵となる仮説である。アボガドロの仮説は提案後半世紀近く
の間、一部の化学者以外にはほとんど忘れ去られていた。そのため、化学当量と原子量、
分子量の区別があいまいになり、化学者によって用いる原子量の値が異なるという事態に
陥っていた。 1860 年のカールスルーエ国際会議においてスタニズラオ・カニッツァーロに
よりアボガドロの仮説についての解説が行なわれ、これを聞いた多くの化学者が仮説を受
け入れ原子量についての混乱は徐々に解消されていった。その後、問題になったのはアボ
ガドロの提案した分子という存在が実在するかどうかであった。 分子の実在を主張する側
からは気体分子運動論が提案され、気体の状態方程式などが説明されるに至った。しかし
一方で実証主義の立場から未だ観測できていない分子はあくまで理論の説明に都合の良い
仮説と主張する物理学者、化学者も多かった。この問題は最終的には 1905 年のアルバート・
アインシュタインによるブラウン運動の理論の提案とジャン・ペランによるその理論の実
証により間接的に分子の実在が証明されることによって解決した。現在では分子の実在が
確認されたことから、アボガドロの仮説はアボガドロの法則と呼ばれており、分子量と同
じグラム数の気体が含む分子の数を表す物理定数を彼の名を冠してアボガドロ定数と呼ん
でいる。
●ボイルの法則:一定温度において、一定量の気体の体積 V は圧力 P に逆比例
する:PV = 一定、P1V1 = P2V2 (5.6 式), P vs. V, V vs. P は双曲線(等温線)。
●シャルルの法則:一定圧力において、一定量の気体の体積は絶対温度 T に比
例する:V/T = 一定、 絶対温度 T1 K の体積 V1、T2 K での体積 V2 とすると
V1/T1 = V2/T2
(5.7 式)。
●ボイル-シャルルの法則:一定量の気体の体積は圧力に反比例し、絶対温度に
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比例する:PV = nRT, P1V1/T1 = P2V2/T2 (n: mol)
R:気体定数
(5.8)
8.314 kPa dm3 K-1 mol-1 = 8.314 J K-1 mol-1 = 0.08206 atm dm3 K-1 mol-1
●ダルトンの分圧の法則:混合気体の全圧は成分気体の分圧(成分気体が混合
気体と同じ体積を占めた時の圧力)の和に等しい
P = pi
(5.9)
5-3)熱力学第二法則とエントロピー
熱力学の第二法則は自発的に進む変化(自発変化)の方向を規定するもので
ある。自発変化の例として、以下がある。
1.高い位置にある液体が低い位置に流れ落ちる。
2.気体を容器に入れると容器全体に膨張する。
3.2 種の気体を混合すると、均一な混合物となる。
4.水に可溶な固体を水に入れ溶解すると均一な溶液となる。
5.高温の物体から低温の物体に熱が移動する。
これらの自発変化を逆方向に進めるには仕事を必要とする。従って、これら
の変化は不可逆的過程(irreversible process)である。一方、以下の反応は、右か
ら左の方向(正反応)と同時に左から右(逆反応)にも進むことが可能であり可
逆(reversible)反応と言い⇌
2HI(g) → H2(g) +I2(g),
2HI(g) ⇌
で表す。
N2O4(g) → 2NO2(g),
H2(g) +I2(g), N2O4(g) ⇌
H2SO4 + H2O → H3O+ + HSO4-
2NO2(g),
H2SO4 + H2O ⇌
H3O+ + HSO4-
正反応と逆反応の速さが等しい時、系の中には常に HI, H2, I2 分子(左の反応
系)、 N2O4, NO2 分子(中央の反応系)、H2SO4, H2O, H3O+, HSO4-(右の反応系)が
混在し、それらの濃度(分子数)に一定の平衡状態が保たれる。これを化学平
9
衡(chemical equilibrium)という。 上記1-5の例における反応の進む方向は、
クラウジウスが定義したエントロピーS を用いて表現される。
dS = dqrev/T
(5.10)
qrev は温度 T において系に可逆的に供給された熱であり、第二法則は「エネルギ
ー、物質ともに出入りのない孤立系では
dS 0
(5.11)
となる。不等号は不可逆を意味する。つまり、「孤立系ではエントロピーが増大
する」が熱力学第二法則である。ただし、閉じた系を取り扱うとき、5.11 式は
不充分であり、5.5 節のギブス自由エネルギーで反応の方向が決定される。
融解、蒸発、凝固、昇華など一定温度Tで起こる相転移(phase transition)で
H とS に次の重要な関係がある。
 = TS
(5.12)
********************
カルノーサイクル(Carnot cycle)は、温度 TH, TL の間で動作する可逆熱サイクルの一
種である。一般に、あらゆる可逆熱サイクルは同じ効率を持つ。可逆熱サイクルは最も効
率のよいサイクルである。可逆サイクルよりも効率のよい熱サイクルは存在しない。カル
ノーサイクルは実際には実現不可能だが、限りなく近いものを作ることは可能であり、ス
ターリングエンジンはこれに近い。ニコラ・レオナール・サディ・カルノーが熱機関の研
究のために思考実験として 1820 年代に導入したものである。これによって本格的な熱力学
が始まり、熱力学第二法則、エントロピー等の重要な概念が導き出されることになった。
カルノーサイクルの P-V 線図
カルノーサイクルの T-S 線図
10
サイクル 次の各過程が準静的(可逆的)に行われるものとする。

1-2 断熱圧縮

2-3 温度 TH で QH の熱を等温吸熱、膨張

3-4 断熱膨張

4-1 温度 TL で QL の熱を等温放熱、圧縮
理論熱効率 有効仕事 W は
理想気体による等温膨張において、高温・低温部それぞれの体積変化による仕事量を計算
し、その比を取ると、
が導かれ、理論熱効率 ηth は、
となる。エントロピー変化は、
、
であり、さきの熱効率の関係式から全サイクルでは差し引き 0 となる。ただし、T は絶対温
度、S は気体のエントロピー、Q は熱量、P は気体の圧力、V は気体の体積である。低温熱
源が絶対零度ならば、第二種永久機関を作れるように思えるが、実際は様々な理由に依り
不可能であることが証明されている(断熱膨張を無限大まで行わねばならないこと、絶対
零度に現実に到達することは不可能であること)。
**************
1 カルノー(Carnot)はフランスの有名な一族で政治家と科学者を輩出している。
2 ラザール・ニコラ・マルグリット・カルノー(1753 - 1823) 数学者、政治家。
3 ニコラ・レオナール・サディ・カルノー (1796 - 1832) 1 の息子、数学者、物理学者、
カルノーサイクルの考案者。
4 ラザール・イポリット・カルノー(1801 - 1888) 1 の息子、政治家
5 マリー・フランソワ・サディ・カルノー (1837 - 1894) 3 の息子、政治家、大統領。
6 マリー・アドルフ・カルノー (1839 - 1920) 3 の息子、鉱山技術者、化学者。カルノー
石発見者
ニコラ・レオナール・サディ・カルノー(Nicolas Leonard Sadi Carnot、1796 年 6 月 1 日
パリ - 1832 年 8 月 24 日 パリ)はフランスの軍人、数学者、物理学者で、仮想熱機関「カ
ルノーサイクル」の研究により熱力学第二法則の原型を導いたことで知られる。ラザール・
11
ニコラ・マルグリット・カルノー(軍人、政治家、数学者)の長男と
して生まれた。少年時代から、水車のメカニズムなど、科学的な現象
に興味を持っていたという。また内向的な性格のため、人と議論など
をするのは好まなかった。1812 年、エコール・ポリテクニークに入
学。1814 年に卒業後工兵科へと進み、技師として活動した。1819 年
参謀部の中尉に任命されたが、まもなく休職し、パリやその近郊で芸
術鑑賞や楽器の演奏などのかたわら、科学の研究を行った。1824 年、
『火の動力、および、この動力を発生させるに適した機関についての
考察』(以下、『火の動力』)を出版。 これは熱力学における画期的な論文であり、出版
直後に技術者のジラールによりフランス学士院で紹介された。その場にはラプラス、アン
ペール、ゲイ=リュサック、ポアソンなど、当時のフランスの科学者が多数出席していた
とされる。しかしその場ではまったく反響を得ることがなかった。1826 年、工兵隊に戻り
大尉となるが、軍隊の生活を嫌い、1828 年に軍服を脱いだ。そして、科学者のクレマンと
親交を持ち、応用化学の分野で貢献した。1830 年、フランス 7 月革命が起こるとカルノー
はこれを歓迎、研究も一時中断した。しかし政治に直接的に関わろうとはしなかった。カ
ルノーと弟のイッポリート・カルノーのどちらかを貴族院に迎え入れる提案があったとき
も、世襲を嫌う亡き父の立場を尊重し、弟と共にこの提案を断っている。7 月革命後は再び
科学に没頭し、
気体の性質などに関する研究を行った。しかしその研究途中の 1832 年 6 月、
病に倒れ、同年 8 月 24 日、コレラにより 36 歳の生涯を終えた。死後、遺品はコレラの感
染防止のためほとんどが焼却処分された。そのため、カルノーの経歴や人となりを伝える
ものは、わずかに残された彼自身のノート(『数学、物理学その他についての覚書』、以
下『覚書』)、そして弟のイッポリート・カルノーが著した伝記がほぼすべてである。
カルノーはまず、熱から動力を生み出すのには温度差が必要だと論じた。そして、熱が高
温の物体から低温の物体へ移動することで物体が膨張・収縮し、その結果として仕事が生
み出されると考えた。カルノーはこれを、水車で水が高いところから低いところへ落ちる
ことで動力が発生することになぞらえている。ただし、温度が変化する時に必ず体積の変
化が伴うとしたのは誤りであり(ゼーベック効果などの例外がある)、また、熱が移動す
ることで動力が生み出されるというのも現代から見ると正しくない。しかし、熱から仕事
を生み出すのには高温の他に低温も必要だとした発想はカルノー独自のもので、大きな功
績であった。そして、熱の最大効率はこの温度差だけで決まり、熱を伝える物質には依存
しないことを導いた。これは現在カルノーの定理と呼ばれている。
カルノーサイクル
カルノーは、熱機関の最大効率を生み出すには、可逆的な過程が必要だと考えた。そして、
以下のような仮想的な仕組みを考案した。これはカルノーサイクルと呼ばれている。
図1 :
等温膨張
図2 :
断熱膨張
図3 :
等温圧縮
図4 :
断熱圧縮
12
図5 :
等温膨張。
図 1 に戻る
図6 :
これが、カルノ
ーサイクルであ
る
◎空気を入れたシリンダーと、高温源 A、低温源 B を用意する。
◎シリンダーを A と接触させる。この状態で A からシリンダーに熱が供給されると、シリ
ンダー内の空気が膨張し、ピストンを押し上げる。この時、シリンダーは A と接触してい
るので、シリンダー内の空気の温度は A のまま変化しない(等温膨張、図 1)
。
◎次にシリンダーと A を離し、ピストンを断熱状態にする。ピストンは上がり続けるが、
熱源が無いためシリンダー内の温度は下がる(断熱膨張、図 2)
。
◎シリンダー内の空気の温度が B と同じ温度まで下がったところで、シリンダーと B を接
触させる。そしてピストンを下降させると、空気は圧縮される。そして圧縮によって発生
した熱が、シリンダーから B へと移動する。シリンダーの温度は B のまま変化しない(等
温圧縮、図 3)
。
◎シリンダーと B を離し、ピストンを断熱状態にする。ピストンはさらに下がり空気は圧
縮される。この時熱が発生し、シリンダー内の空気の温度は上がる(断熱圧縮、図 4)
。
◎シリンダー内の空気の温度が A と同じ温度まで上がったところで再びシリンダーを A と
接触させる。A からシリンダーへ熱が伝わり、シリンダー内の空気は膨張する(等温膨張、
図 5)
。こうして、図 1 と同じ状態となる。
この過程で、シリンダー内の空気は A から熱をもらい、B に熱を与えている。つまり A から
B に熱が移動したことになる。そしてその過程で、ピストンを上下させるという仕事を行っ
ている。仕事に使われる以外の余分な熱の移動は無いため、これが熱機関の最大効率とな
る。また、上の説明では空気を膨張・圧縮させたが、カルノーの定理によれば、最大効率
は熱を伝える物質には依存しないのであるから、これは空気以外の気体、あるいは液体や
固体でも理論的には構わない。なお、例えば図 1 のとき、A からシリンダーへと移動した熱
が無駄なく仕事に使われるためには、接触した時点で A とシリンダーの温度差は小さいの
が望ましい。というのも、温度差があると、A からシリンダーへと移動した熱は、シリンダ
ー内の空気を温めるのに使われてしまい、その分ピストンを押し上げるのに使われる熱が
少なくなってしまうからである。よって、最大効率を得るためには A とシリンダーは同じ
温度でなければならない。しかし、先述の通り実際には温度差がないと熱は移動しないた
め、同じ温度では仕事は行われない。そこでカルノーは、両者の温度差は無限に小さいと
定めた。こうすることで、等温変化のどの状態であっても、空気と A は同じ温度を保つ。
そして熱は無限にゆっくりと伝わり、ピストンは無限にゆっくりと上昇する。これは現在
では準静的過程と呼ばれる手法である。さらに、カルノーはこのサイクルを逆方向に行う
ことで、仕事から温度差を生み出せることにも触れている。これは現在逆カルノーサイク
ルと呼ばれている。
カルノーが正当に評価されるのには年月を要したので、研究・発表当時は新しい発見で
あったが、それが科学の発展には結果的に寄与しなかったものも多い(例えば、熱の仕事
当量の算出など)。一方で、カルノーサイクルや、準静的過程の考えなど、現在でも熱力
学を学ぶ上で必須の事柄となっているものもある。また、カルノーの定理に代表される、
熱と仕事の関係性の研究は、後の熱力学の発展に大きく寄与している。トムソンによりカ
ルノーの論文が注目され始めた 1840 年代後半、熱研究の分野では、旧来のカロリック説か
ら脱却し、熱は運動の一形態だとする理論が組み立てられつつあった。その中心人物の一
人であるジュールによる、熱の仕事当量の測定は、熱と仕事は同質のものであるという結
論を導き出した。しかし、これはカルノーの「熱は高温と低温がなければ仕事としてはは
たらかない」という理論とは矛盾があった。カルノー自身も『覚書』で、熱が運動だとい
う考えでは、「熱によって動力を発生させるときに冷たい物体が必要なのはなぜか、また、
熱くなった物体の熱を消費しながら運動を生じさせることができないのはなぜか、を説明
することは困難であろう。」と述べている。 この問題を解決するために、ウィリアム・ト
13
ムソンやルドルフ・クラウジウスによって生み出されたのが熱力学第二法則である。
つまり歴史的に見ると、カルノーは第一法則(エネルギー保存則)も確立されていない
時代に、熱と仕事の関係性にいち早く注目し、その研究内容は熱力学第二法則まで踏み込
んだものとなっていたことになる。そのため、カルノーは熱力学の祖とされることがある。
物理学者であるエルンスト・マッハは、当時の数少ない実験データから的を射た原理を導
き出したカルノーの研究に対し、「そこには、ひとりの天才のこの上もなく快い演技を見
る感がある。――かれは、格別の精励もなく、こと細かいそして重苦しい学問的手練をさ
して費やしもせず、ただ、ごく単純な経験的事実に心を向けることによって、いわばほと
んど労することなしに最も重要なことを見通しているのである」と評している。
熱力学第一、第二法則、クラウジウス(第4章も参照)
クラウジウスの業績の中で最も有名なものが熱力学への貢献である。
1824 年、カルノーは、熱量は保存され、熱が高温から低温へと移動するときに仕事が発生
するという理論を組み立てた。この理論は 1840 年代後半、ウィリアム・トムソンによって
世に広まった。一方、同じ頃に、熱そのものが仕事に変化し、また仕事も熱に変化すると
いうジュールの測定結果が、おなじくトムソンなどによって世に認められるようになった。
しかし、この 2 つの理論は互いに矛盾するように思われた。そのため、トムソンは初め、
ジュールの測定結果のうち、「仕事が熱に変化する」という箇所については否定的な見解
を示していた。これに対しクラウジウスはジュールの理論を受け入れ、熱と仕事は互いに
変換可能だと考えた。しかし、カルノーの理論を完全に捨て去ることもしなかった。ここ
から、熱に関する 2 つの原理が生み出される。
熱力学第一法則(エネルギー保存則)
1 つ目の法則は、ジュールやマイヤー、ヘルムホルツらによって発見されていたエネルギー
保存則である。クラウジウスは次のように表現した。
「熱の作用によって仕事が生み出されるすべての場合に、その仕事に比例した量の熱が消
費され、逆に、同量の仕事の消費においては同量の熱が生成される。」
クラウジウスは 1850 年の論文で、カルノーサイクルでの熱の出入りを計算し、熱量 Q に対
して、
が成り立つことを示した。ここで、t は温度、v は体積、
A は熱の仕事当量の逆数、R は気体定数である。熱量が常に保存されるのであれば、熱量は
その物質の温度と体積のみで決まることになる。そのため、上の式の左辺はゼロにならな
ければならない(なぜなら、この式の左辺は、熱量を温度と体積で全微分した値であるか
ら)。しかし実際にはゼロにはなっていない。そのため、熱は、その物質が持っているエ
ネルギーのほかに、外部になされる仕事の分も加えなけれ
ばならないことになる。こうして、クラウジウスは次の式
を作り上げた。ここで、U は内部エネルギー(当時は内部
エネルギーという単語は無かったが、a は定数である。こ
14
の式からクラウジウスは、熱(左辺)は、内部的になされる仕事(右辺第一項)と、外部
になされる仕事(右辺第二項)に分けられると結論した。これはエネルギー保存則の初の
定式化であった。1865 年の論文では、
と、現在良く見られるような形の式を導出した。
熱力学第二法則
上が高温源で下が低温源。右の円がカルノーサイクルで、高
温から低温へと熱が移動するときに仕事 W が発生する。左の
矢印のように、外から仕事を与えずに低温から高温へと熱が
移動することはありえない。
熱力学第一法則を採用したことで、カルノーの理論は修正を
迫られることになる。しかし、カルノーの理論を無視するこ
とはできない。「というのも、カルノーの理論はかなりの部
分経験的にみごとに立証されているからである。注意深く吟
味するならば、新しい方法はカルノーの原理の本質的部分とは対立することはなく、ただ
熱の消失はないという補足的な主張に対してのみ相容れないのであるということが分かる。
そのため、クラウジウスは熱力学第一法則に加えて、以下のことを熱力学の基本原理とし
た。
「熱は常に温度差をなくする傾向を示し、したがって常に高温物体から低温物体へと移動
する。」
クラウジウスはこれを「熱力学第二法則」(熱の特殊性の原理)と呼んだ。1854 年の論文
では、
仕事から熱量 Q が発生した場合について、
という値を考えた。そしてこれは、高温
から低温
へと熱量 Q が移動した場合の
と等価値(Aequivalerzwerth)であると考えた。カルノーサイクルのような過程においては、
この値を全て足し合わせるとゼロになる。すなわち、
となる。こうして、熱力学第二法則は定式化された。
1865 年の論文では、不可逆過程も考慮に入れ、
15
という式を作り上げた。これはクラウジウスの不等式と呼ばれている。
エントロピー
クラウジウスは 1865 年の論文で、S を
と定義した。
クラウジウスは、カルノーサイクルの研究をする中で、この dQ/T と言う量を積分すると、
カルノーサイクルを 1 周した際、この積分の総和がゼロに成る事に気が付いた。そこで、
クラウジウスは、この dQ/T と言う量に注目したのであった。クラウジウスは、上式の様に、
この dQ/T を dS と言う新しい量として表し、この dS を積分した量である S をエントロピー
と呼んだ。そして、この新しい量 S の変化 dS が、熱現象の方向を決定する事に気が付いた
のであった。重要な事は、クラウジウスが、原子論に関心を持ちつつも、原子の実在を仮
定しない段階でエントロピーと言う関数の存在に注目した事である。即ち、クラウジウス
がこのエントロピーと言う関数に注目、発見した段階において、エントロピーは、原子の
実在性を全く前提としておらず、啓蒙書などで良く使われる「デタラメさの尺度」と言っ
た意味は全く無かった事を忘れてはならない。クラウジウスがカルノーサイクルの検討か
ら発見した関数エントロピーは、この時点では、あくまでも、熱機関の可逆性の指標だっ
たのである。彼が発表したエントロピーに関する考えは、当時、多くの科学者より反論さ
れた。しかし、ジェームズ・クラーク・マクスウェルによって強く支持され、更に、ボル
ツマンによって、原子の空間中での分布の仕方を表す量、即ち、「デタラメさの尺度」で
ある事が証明されたのであった
クラウジウスは、熱力学第一・第二法則を以下の表現で表した。
1. 宇宙のエネルギーは一定である
2. 宇宙のエントロピーは最大値に向かう
クラウジウス-クラペイロンの式
クラウジウス-クラペイロンの式(Clausius-Clapeyron Equation)は、物質が気液平衡の
状態にあるとき温度、圧力、及び気体、液体それぞれの体積の関係を表した式である。物
質が気液平衡の状態にあるときの温度を T、圧力を P、及び気体、液体のモル体積をそれぞ
れ vg、vl とすると、これらの間には次の関係が成り立つ。
ここで、L はその物質のモル蒸発熱である。なお、この式は液体と固体が共存している場合
にも適用できる。そのとき L はモル融解熱を表す。また、vg は vl に、vl は固体のモル体積
vs に置き換えればよい。
16
式の導出 この関係は次のようにして導き出せる。気体のモルギブス自由エネルギーを Gg、
液体のモルギブス自由エネルギーを Gl とすると、気液平衡の状態では次の関係が成り立つ。
Gg = Gl
ここでギブス自由エネルギーは次の式で与えられる。
G = H − TS = (U + Pv) − TS
ここで H はエンタルピー、U は内部エネルギー、S はエントロピーである。従って
Ug + Pvg − TSg = Ul + Pvl − TSl
dUg + Pdvg + vgdP − TdSg − SgdT = dUl + Pdvl + vldP − TdSl − SldT
(TdSg − Pdvg) + Pdvg + vgdP − TdSg − SgdT = (TdSl − Pdvl) + Pdvl + vldP − TdSl − SldT
vgdP − SgdT = vldP − SldT
(vg − vl)dP = (Sg − Sl)dT
ここで、モル蒸発熱は気体と液体のエントロピーを用いて
と表されるので
飽和蒸気圧 この関係を用いると飽和蒸気圧を表す近似式を求めることができる。 一般に
vg≫vl の関係が成り立つので
と近似することができる。これを理想気体の状態方程式を用いて変形すると以下の式が得
られる。
これをさらに変形すると
17
蒸発熱が温度によらず一定とみなすと、これを積分して以下の式が得られる。
…(1)
…(2)
ただし Pc は定数である。(2)は別の定数 P0,T0 を用いて次のようにも表せる。
この P は飽和蒸気圧を示している。すなわちこの式が飽和蒸気圧を表す式である。
また、(1)からは次のような式を導くこともできる。
ブノワ・ポール・エミール・クラペイロン(Benoît Paul Émile Clapeyron、
1799 年 2 月 26 日 - 1864 年 1 月 28 日)はフランスの物理学者、工学者。
パリ出身。蒸気機関の設計に従事し、カロリック説の信奉者であった
が、熱力学でクラウジウス-クラペイロンの式を発見するなどの業績を
残した。パリのエコール・ポリテクニークで、カルノー(1796-1832)
と同時期に学生であった。1834 年カルノーの考え方を発展させた論文
を書いた。(カルノーは 1832 年に病死している。)可逆過程の概念を
導入するなど、カルノーの考え方を数学的に定式化して発展させた。
1844 年からパリで国立土木学校で機械工学と力学の教授を務めた。
********************
5-4)熱力学第三法則
純粋で完全な結晶性固体のエントロピーを0Kでゼロと仮定する。実際の結
晶には必ず欠陥があり、原子が抜けていたり、格子点からずれていたりし、S は
ゼロではない。欠陥のない完全結晶の作成は夢であり、宇宙空間における単結晶
育成などが行われたが、すべて欠陥を含む結晶であった。
18
*******
熱力学第三法則(third law of thermodynamics)とは、完全結晶のエントロピーは絶対零
度ではすべて等しくなる、という定理。これはつまり、エントロピーの基準値を決めるこ
とができることを意味する。統計力学的に考えても、絶対零度では完全結晶の取りうる配
置は 1 通りなので、エントロピーは 0 と考えて一致する。熱力学第三法則はネルンストの
定理(熱定理)と同等といわれている。
ネルンストの定理 [編集]有限回の操作では決して、絶対零度には到達することができない、
という定理。物体を冷却するにはその温度以下の別の物体と接触させる方法が一般的であ
るが、この場合は絶対零度以下の物体と接触させなければならない。しかし絶対零度より
低い温度を持つ物体はないのでこれは不可能である。断熱膨張によって内部エネルギーを
放出させて温度を下げる方法もあるが、限りなく絶対零度に近づけることはできても無限
に膨張させることができなければ厳密な意味での絶対零度には到達できない。なお、熱力
学第三法則は熱力学第一法則と熱力学第二法則から導くことができるので物理学の基本法
則ではない、とする考えもある。 しかし、第一法則と第二法則から導かれることは、反応
の進行方向を規定するものは自由エネルギーである、という定性的な予測でしかなく、こ
れを定量的に厳密に決定することは、ネルンストの熱定理によって初めて可能になる。 そ
の点で、熱力学は第一法則と第二法則だけでは成立せず、第三法則を加えることによって
初めて完成することになる。
*********
*********
熱力学第零法則(zeroth law of thermodynamics)とは、
「物体 A と B、B と C がそれぞれ
熱平衡ならば、A と C も熱平衡にある。
」という原則を示している。熱平衡つまり熱的つり
あいにある物体同士は同じ温度を持つため、
A と B が熱平衡であれば A と B の温度は等しく、
B と C が熱平衡であれば B と C の温度は等しいので A と C の温度も等しくなる。熱力学にお
ける重要な法則のひとつである。
「第零法則」と呼ばれる理由は、熱力学の体系が出来上が
った後、 ジェームズ・クラーク・マクスウェルが基本法則の一つとして数えたためである。
第零法則により、温度計つまりは温度というものが定義可能となる。氷点あるいは沸点の
水と温度計(例えば水銀柱)とが熱平衡にある点を基準として、セルシウス度、華氏など
の温度が定義された。
*********
*********
R/NA = kB ボルツマン定数
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ルートヴィッヒ・エードゥアルト・
ボルツマン(Ludwig Eduard Boltzmann,
1844 年2 月 20 日 - 1906 年9 月 5 日)はオ
ーストリア・ウィーン出身の物理学者、哲
学者でウィーン大学教授。統計力学の端緒を ウィーンにあるボルツマンの墓には
開いた功績のほか、電磁気学、熱力学、数学 エントロピーの公式が刻まれている
の研究で知られる。
生涯 [編集] 1844 年、ウィーンに生まれた。父は税務官であった。少年時代にはアントン・
ブルックナーからピアノの手ほどきを受け、生涯にわたりピアノ演奏を好んだ。1866 年に
19
ウィーン大学で学位を取得、翌年ヨーゼフ・シュテファンの助手となり、1869 年にグラー
ツ大学の数理物理学助教授に就任した。ジェームズ・クラーク・マクスウェルらに続いて
気体分子運動論を研究し、さらに分子の力学的解析から熱力学的な性質を説明する統計力
学を創始した。その過程で、1872 年にH 定理により熱現象の不可逆性(エントロピーの増
大)を証明した (L. Boltzmann: Wien Ber. 66, 275 (1872))。1877 年に発表した論文「熱
平衡法則に関する力学的熱理論の第 2 主法則と確率計算の関係について」(L. Boltzmann:
Wien Ber. 76, 373 (1877)) においてボルツマンの関係式、
を導き、エントロピーと系のとりうる状態との関係を明らかにした。上式における比例定
数 k はボルツマン定数と呼ばれている。エントロピーは「でたらめさの尺度」として解説
されることが多いが、本来エントロピーとは、ルドルフ・クラウジウスによって、カルノ
ーサイクルの性質を語る中で、dS = dQ / T という式の形で、dS として発見された関数であ
った(dQ: 熱の微量変化、dS: エントロピーの微小変化、T: 温度)。そのエントロピーが、
詰まるところ原子・分子などの「でたらめさ」の尺度であることを論証したのが、ボルツ
マンが導いたこの式 (
) であった。1873 年にウィーン大学数学教授、1876
年にはグラーツ大学実験物理学教授に就任。1884 年、ヨーゼフ・シュテファンが実験的に
明らかにした黒体放射が温度の 4 乗に比例するという法則に、理論的な証明を与えた (L.
Boltzmann: Ann Phys. 22, 31,291 (1884))。この法則はシュテファン=ボルツマンの法則
として知られている。同年、妻ヘンリエッテと結婚。1887 年、グラーツ大学学長となる。
その後も1890 年にミュンヘン大学理論物理学教授、1900 年にライプツィヒ大学教授の職に
就く。原子論の立場をとるボルツマンは、実証主義の立場から原子の存在を否定するエル
ンスト・マッハやヴィルヘルム・オストヴァルトらと対立し、激しい論争を繰り広げた。
そのためもあって晩年はうつ病に苦しみ、アドリア海に面した保養地ドゥイノ(現在はイ
タリア・フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州)で静養中、家族が目を離したすきに自殺
した。ウィーン中央墓地の 14C 区に葬られている。
評価 [編集] ボルツマンは、クラウジウスが、1850 年の論文において、純粋にマクロ的な
概念として、カルノーサイクル上の関数として発見したエントロピーを、そのおよそ 50 年
後に、統計力学の立場から見直し、エントロピーを原子の分布の仕方の尺度として再定義
した事になる。今日、エントロピーの解説として、啓蒙書などで広く語られる「デタラメ
さの尺度」と言うエントロピーの通俗的概念は、エントロピーの本来の定義ではなく、ボ
ルツマンが上記の式によって証明した「定理」である事を認識する必要が有る。イギリス
の科学史家ブロノフスキは、BBC が 1970 年代に制作した科学史番組『人間の時代』におい
て、こうしたボルツマンの科学史上の役割を取り上げ、ボルツマンこそは、原子を実在の
対象と考えた最初の科学者であったと述べ、ボルツマンが科学史において果たした役割を
称賛して居る。
*****************************
エントロピーは「乱雑さ」、「でたらめさ」の目安である。固体→液体→気体
の変化(融解、蒸発、昇華など)は S を不連続的に増加させる。一つの相内で
は高温になるほど熱運動は激しく、分子の回転、振動、位置は大きく変化し、S
20
を連続的に増加させる。化学反応により固体から液体や気体、固体や液体から
気体が生じると S は増加する。
5.5)ギブス自由エネルギー
化学変化が自発的に起こる方向を示すのがギブス自由エネルギーである。温
度 T の閉じた系において、外界(温度 T)からエン
外界
タルピーH を吸収し、系のエントロピーがS 増加
閉じた系
した場合を考える。外界の温度、圧力は変化しない
H
が、エントロピーはH/T だけ増加する。
従って、新たな孤立系では(T >0で右式となる)、
S  H/T
 0
→
H  TS

孤立系 SH/T
外界
0(5.13)
この孤立系で可逆的になされる仕事(dwrev)と可逆
的に供給された熱(dqrev=TdS)を考えると、孤立系
図 5.3 閉じた系を
孤立系に。 は物質
の内部エネルギーdU は、
dU = dqrev + dwrev → dwrev = dU  TdS
旧閉じた系にH が加わり体積変化 PdV が生じる場合も考慮すると, この孤立系
で可逆的になされる仕事は
dwrev = dU
+ PdV  TdS
= dH  TdS
この式は、「旧外界から与えられたH のうち乱雑さの増大に伴うエネルギー
TS は、仕事に変換されない」を示す。与えられたエネルギー全てが仕事に変
換できるのではない。整然さを乱すのに消費されるエネルギーTS は差し引か
ねばならない。
ここで、温度、圧力一定として、体積変化を含む孤立系で仕事に変えられるエ
21
ネルギーをギブス自由エネルギー G(Gibbs free energy)とする。
G = H  TS
G
=
H
(5.14)
 TS
(5.15)
従って、第二法則は、温度、圧力一定の場合
G

0
(5.14)
である。
化学反応はG が減少する方向に進む。融点、沸点などの相転移温度において
2 つの相は平衡状態にあり、両相は等しく、G = 0 である。閉じた系における
熱平衡条件は自由エネルギーが極小値をとることである。G の絶対値は知ること
ができないので、標準生成ギブスエネルギーfG0 を定義する(単体のfG0 はゼロ)。
***************************
ギブズ自由エネルギー変化と平衡定数K との間には以下のような関係がある。ここで R
は気体定数である。
標準状態(25℃, 298.15K, 105Pa)においては以下のようになる。
また標準酸化還元電位との関係は以下の通りである。ここで n は価数、 F はファラデー
定数である。
電池ではギブズエネルギー変化が負の値を取っている。
22
ジョサイア・ウィラード・ギブズ(Josiah Willard Gibbs, 1839
年 2 月 11 日 - 1903 年 4 月 28 日)はアメリカコネチカット
州ニューヘイブン出身の数学者・物理学者・物理化学者で、
イェール大学教授。熱力学で相律を発見するなど、大きな功
績を残した。他にもギブズ自由エネルギーやギブズ-ヘルム
ホルツの式等にその名を残した。ベクトル解析の創始者の一
人として数学にも寄与している。ギブズの科学者としての経
歴は、4 つの時期に分けられる。1879 年迄、ギブズは、熱力
学理論を研究した。1880 年から 1884 年迄は、ベクトル解析
分野の研究を行った。1882 年から 1889 年迄は、光学と光理
論の研究をした。1889 年以降は、統計力学の教科書作成に関
わった。なお、彼の功績を称えて、小惑星(2937)ギブズが彼
の名を取り命名されている。
ギブズは、イェール大学で研究を続け、1863 年には博士号を取得した。それは、アメリカ
合衆国における最初の工学博士号だった。その後、ギブズは、イェール・カレッジ講師と
なり、2 年間はラテン語を、そして 1 年間は、彼が当時自然哲学と呼んでいたものを教えた。
1866 年、ギブズは、研究のためヨーロッパに渡り、パリ、ベルリン、ハイデルベルクで、
各 1 年ずつ過ごした。彼がニューヘイブン地域から離れたのは、生涯でほぼこの 3 年間だ
けだった。1869 年、ギブズはイェール大学に復帰し、1871 年に数理物理学教授に任命され
た。これは、アメリカ合衆国における、最初の数理物理学教授職だったが、彼が全く論文
を発表しないためもあって無給だった。その後、ギブズは、熱力学理論の発展及び発表に
取り組みはじめた。1873 年、ギブズは、熱力学的物理量を幾何学的に表現する方法に就い
ての論文を発表した。この論文に感銘を受けたジェームズ・クラーク・マクスウェルは、
自らの手でギブズの概念を説明する石膏模型を作成したのだった(この模型は、ギブズに
贈られ、現在もイェール大学が大いなる誇りをもって所蔵している)。
訳 注 : こ の 石 膏 模 型 に 就 い て は R.D. Kriz. "Visual Thinking" (Va. Tech College of
Engineering Revised 02/11/95) も参照のこと。曰わく、"now gathers dust in a display case next
to a trash bin. " 「今では、ゴミ箱の隣の展示ケースの中で埃を被っている。
」
ついで、ギブズは、「不均一な物質系の平衡に就いて "On the Equilibrium of Heterogeneous
Substances"」という論文を、1876 年と 1878 年の 2 回に分けて、発表した。不均一系平衡に
関する、このギブズ論文が扱っているのは:
化学ポテンシャル概念、ギブス自由エネルギー概念、ギブズ集団のアイデア(統計
力学分野の基礎)、相律
その後
1880 年、ギブズは、メリーランド州ボルチモアに当時新設されたジョンズ・ホプキンス大
学から 3000 ドルの給与で招聘されたが、イェール大学側から 2000 ドルではどうかと提案
されると、それで満足したらしく、ニューヘイブンに留まった。
1880 年から 1884 年迄、ギブズは、アイルランドの数学者ウィリアム・ローワン・ハミルト
ン が考案した四元数 の考え方と、ドイツの数学者ヘルマン・ギュンター・グラスマンの
「広延論(Ausdehnungslehre)」の考え方を組み合わせて、ベクトル解析という数学分野を産
み出した(ギブズとは独立して、オリヴァー・ヘヴィサイドも、この分野の開拓した)。ギ
ブズは、このベクトル解析を数理物理学の目的に沿うようにしている。1882 年から 1889 年
迄、ギブズは、光学の研究を行ない、光の電気理論を新たに作り上げた。ギブズは、この
時期に彼のベクトル解析理論を完成している。彼は、物質の構成を理論に持ち込むことを
23
意図的に避けており、物質組成の種類によらない一般的な理論を組み立てた。1889 年以降、
ギブズは、統計力学の教科書の作成に取り組んだが、これは、イェール大学出版局により
1902 年に出版された。
ギブズは、生涯結婚せず、彼の姉及び義兄と暮らした。この義兄は、イェール大学の司
書であり、Transactions of the Connecticut Academy of Sciences(「コネチカット州科
学アカデミー紀要」)の出版人でもあったが、この雑誌に、ギブズの殆どの論文が発表さ
れたのだった。
ギブズの死と、その後
ギブズは、1903 年に亡くなるまで、イェール大学に留まった。1897 年には王立協会のフェ
ローに選出された。ギブズが死亡したのは、ノーベル賞が創設後間もなくのことであり、
彼がノーベル賞を得るというようなことはなかった。しかし、ギブズは、英国王立協会の
コプレイ・メダル(Copley Medal)を授与されており、これは、科学に関する国際的認知と
して当時では最も名誉なことであったとみなされている。
科学上の評価
ギブズの死後、彼への敬意の一つとして、イェール大学は、「J.ウィラード・ギブズ記念
理論化学教授職」を創設した。ノーベル賞受賞者ラルス・オンサーガー (Lars Onsager) は、
そのイェール大学での経歴の殆どの期間この職にあったが、彼が、ギブズと同様、新しい
数学上のアイデアを、物理化学(特に統計力学)に応用することに何よりも関わったこと
を思えば、これはオンサーガーにとり極めてふさわしい職名であった。
19 世紀中葉、米国の大学は、科学に殆ど関心を示さず、古典に偏重していたから、ギブ
ズの講義は、学生の興味を殆ど引かなかった。彼の業績に興味を持ったのは、他の科学者、
特に、スコットランドの物理学者ジェームズ・クラーク・マクスウェルだった。ギブズが
論文を発表したのが、ヨーロッパでは余り読まれていない無名雑誌であったため、評価さ
れるようになるのは遅く、ギブズの考えがヨーロッパで広く受け入れられたのは、論文が
ヴィルヘルム・オストヴァルトにより書籍の形でドイツ語訳され(1888 年)、アンリ・ル
シャトリエによりフランス語訳されて(1899 年)からだった。
ギブズの言葉
 A mathematician may say anything he pleases, but a physicist must be at least partially sane.
「数学者は自分の好き勝手を言えるが、物理学者は、少なくとも部分的には分別が
なければならない。
」
Mathematics is a language. (at a Yale faculty meeting)
「数学とは語学である。
」
(イェール大学学部集会にて)
***********************
24