02 情報ネットワーク施工 - 澁谷ものづくり人材育成研究所

技能五輪国際大会メダリスト発表会報告(2012・平成 23 年 12 月 26 日、大阪市・御堂筋 MID ビル大ホール)
2011 年 10 月 4 日から 10 月 9 日までイギリスのロンドンで開催された第 41 回 技能五輪国際大会で見事メダリストとなった 7 人に、ロンドン大会のぬ
くもりの冷めやらぬうちに大阪に集結して頂き、話をしてもらいました。違う分野で活躍している 20 歳から 23 歳までのものづくりに励む若者たちの話は
非常に刺激的でした。年末にも関わらず 110 名の方々が参加して下さいました。
第1部
基調講演 「日立製作所の技能五輪選手の育て方」 中村洋日立グループ技能五輪担当
中村さんの講演は以下のような内容でした。
「日本の技能五輪第1回全国大会は、第 12 回国際大会(開催地アイルランド)へ派遣する日本代表選手を選抜するために 1963(昭和 38)年 5 月に東
京で開催されましたが、日立はこの第 1 回からずっと継続して選手を派遣しています。2011(平成 23)年静岡で開かれた第 49 大会までに、累計 1066 名
を派遣して合計 235 個のメダルを獲得しています。また、国際大会への選手派遣を始めたのも 1963(昭和 38)年の第 12 回アイルランド大会からで、こ
れまで合計 37 個のメダルを獲得しています。
これらは日本のものづくり技能の優秀性を示す事柄ですが、その伝統を守ってきたのが 1910(明治 43)年の創業と同時に若手技能者の育成をめざして
設立された徒弟養成所の系譜を引く株式会社日立製作所総合教育センター傘下日立工業専修学校です。ここはこれまでに技能五輪出場者を延べ 2500 名輩
出し、この内今も 1300 名が日立グループの職場で働いています。
現在、3 年計画で選手が育成され、3 年目には日本一、世界一になれる技能・技術を習得することはもちろんのこと、自主的に判断できる人のなること
を目指しています。
今後の課題として、①技能の必要性は普遍であると考えて、②新技能の開発と継承 ③技能者を育てる環境設定が重要です」
そして、1999(平成 11)年のカナダ・モントリオールの第 35 回技能五輪国際大会構造物鉄工部門で金メダルを獲得した佐々木大輔さんの記録画像が紹
介されました。
「寸法精度が生命だ」
「誤配線は死んでもやるな」という教えを大事にしているという佐々木さん(兄弟が金メダリスト)の言葉が感動的で
した。
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第 2 部 7 人のメダリストたちによるパネルディスカッション
コーディネートを三辻茂樹(株式会社 コステック代表取締役)
さんにお願いし、各 15 分程度の自己紹介から始めました。
○森野陽気(もりの はるき)さん。情報ネットワーク施工種目の金メダリスト。
森野さんは通信インフラ設備施行の協和エクシオという会社に勤務しています。同社はこの部門が設けられて以来、4 大会連続で金
メダリストを排出しています。
“情報ネットワーク施工”職種は、構内・ビル内および宅内を想定した情報配信システムを構築するも
ので、宅内配線、光ファイバ接続、構内配線、トラブルシューティングといった課題に対応する種目です。
森野さんは「国際大会では、その場で考えて施工を組み立てるという判断力が問われるので、自分で考えながら組み立てる思考力を
養うよう努めました。和光にある中央技術研修センタでは、大会直前などは毎日朝8時から夜遅くまで練習する日もありました。訓
練は厳しかったけど、1 日がすごく早く、一瞬で過ぎるような感じでした」と話しています。
○ 地頭薗朋史(じどうその ともふみ)さん。製造チームチャレンジ種目の金メダリスト。
このチームは地頭薗と早川将悟(はやかわ しょうご)さんと大竹基貴(おおたけ もとき)さんの 3 人から構成され、当日は 3
人とも出席してくれました。当日は日本各地に雪が降り、彼らが住まう愛知県にも降雪したので遅れることを心配して、開会より
2 時間も早くやってきてくれました。
彼らはトヨタ自動車グループの自動車部品サプライヤーであるデンソーに所属しています。デンソーには技術・技能研修を担当す
る株式会社デンソー技研センターがあり、そこで彼らは技能を磨いています。デンソーではその前身となる技能養成所を 1954(昭
和 29)年に開設して以来、技能者育成と技能の伝承に力を入れており、1971(昭和 46)年の第 20 回大会に初めて出場して以来、
国際大会での通算成績は金メダル 26 個、銀メダル 13 個、銅メダル 12 個という素晴らしい成績を収めています。また、この予選
とも言える前年の第 46 回技能五輪全国大会(千葉県開催)では、金メダル 4 個、銀メダル 4 個、銅メダル 4 個を獲得し、出場者
の層の厚さを示しています。
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○ 伊東真規子(いとう まきこ)さん。印刷種目の金メダリスト。
紅一点の女性金メダリストです。出身も勤務地も長野市で、勤務先は亜細亜印刷株式会社。亜細亜印刷は印刷全般を行なう従
業員 75 名の中堅企業。伊東さんは、入社 3 年目で印刷部に所属している。オフセット印刷という強豪多数の職種での長野県
勢初の快挙であり、地元の応援も凄かったといいます。印刷職種には、フランス・スイス・スウェーデン・アメリカ・ドイツ・
香港・ベルギー・フィンランド・日本・デンマーク・カナダの 11 カ国が出場。4 日間に渡り、印刷・調色・オンデマンド印刷
機操作・断裁・メンテナンス・ローラーセッティング・濃度測定・印刷シミュレータ"SHOTS"の計 11 課題について 600 点満
点で技を競いました。金メダルが日本(542 点)
、銀メダルがフィンランド(531 点)
、銅メダルがベルギー(527 点)でした。
4 日間の長丁場で総合力を試され、メンタル面の強さも必要とされます。
印刷職種は全国大会に種目はないので、別途予選会が開かれてロンドンへの選手として選ばれたのですが、その後の訓練について次のように述べ
ました。
「国内選考会は 3 日間で何とか準備できましたが、国際大会の準備は 3 カ月前から始まりました。機械メーカーを含めた協力頂いた方々による選
手強化委員会が構成されるようになりました。そうした方々への感謝の気持ちを表すためにロンドン大会に臨みました。
最初は練習が日常の仕事から離れたところにあったのですが、それが仕事と一致した時に一段上がれた感じがしました」
○森翔太(もり しょうた)さん。建築大工種目の銀メダリスト。
森さんは兵庫県立東播工業高等学校建築科卒業後に住友林業ホームエンジニアリングに入社して、企業内訓練校の住友林業建築
技術専門校で 11 月大工の基本を学んだ後に兵庫事業部に配属されました。 住友林業では、1994(平成 6)年に初めて技能五輪
に出場して以来、これまで4人が全国大会で金賞を受賞。国際大会へは3人目の挑戦となりました。森さんは 2011(平成 23)
年4月から、ロンドン大会に向けて行なわれる「規矩術特別コース」の研修を受ける予定でしたが、東日本大震災の被災者向け
応急住宅建設に自ら手を挙げ参加することになり、研修は5月からの開始となったそうです。
森社員の参加する建築大工職部門の競技は、5 日から 8 日の 4 日間で開催されました。制限時間 22 時間以内に課題の木造建築
模型を作り上げる競技で、今大会では、15 ヶ国 15 名の代表選手が参加してその技を競いました。
この発表会には森さんの出身高校の後輩たちも、先輩の話を聞きに参加してくれました。
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○ 椎谷隆司(しいや たかし)さん。貴金属装身具種目の銅メダリスト。
椎谷さんは二つの指定されたペンダントをつくり上げるといった課題で見事銅メダルを獲得しました。
椎谷さんは東京都立工芸高等学校定時制課程から、工芸専門学校である水野学園「ヒコ・みづのジェリーカレッジ」
(東京校)に進
んでいます。この日参集してくれたメダリストの中で唯一の「学生さん」でした。2010 年(平成 22)年に開催された技能五輪全
国大会で敢闘賞を獲得してロンドンに派遣されることになりました。
「ヒコ・みづのジェリーカレッジ」はジュエリー分野にしぼっ
た日本初の学校法人として認可された専門学校であり、以来、ウォッチ、シューズ、バッグコースを開設していますが、椎谷さん
はメタルクラフトコース 2 年生です。そして、あと 1 年間学校に通って修了した後に就職するそうです。
他の就職している6名のメダリストたち以上に率直に話をしてくれました。
7 名のメダリストたちは少しも臆することなく、しかも謙虚な誇りを持って話をしてくれました。彼らはみんな優れた技能を持っていたからこそロンド
ンに派遣されることになったのですが、そのロンドン大会を経て人間性を一層磨いたように思われました。
「育てて頂いた方々、ロンドンでメダルを取るま
で協力をして頂いた方々みなさんに心から感謝します」という共通した発言にも彼らの人間性は表れていました。
ヨーロッパ経済が破綻した後、欧米経済はものづくりに帰らなければ再建はないと言われており、そのためにはものづくり人材の育成は欠かせないこと
です。日本国内を見ても厳しい状況下で何とか持ちこたえているものづくり企業は、継続して人を育てることを行なってきた企業です。それを怠った企業
はアメリカが失敗したように金融・投資だけで生きていくことしか選択肢はなくなってしまいます。
この日参加してくれたメダリストたちのような若者を一人でも多く育てることが、我々の務めであり将来を保障する唯一の道なのだということを痛感す
る一日でした。
尚、メダリストたちが共通して英語を使えるようになることが必要だと言っていたことをお伝えしておきます。
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