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マ ク ロ ビオ テ ィ ック の 雑 誌
No.537
正食を求 めて
'
菅本 フジ 子物語
臓 器 の研 究
手 相 の研 究
大森 英桜
‐
聰
ア メ リカ旅 日言
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小り
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6年 8月 1 日現在
■昭和 5
脚棚鼎榔鼎脚
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〇〓 円 一
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三千 円未満 一
二百円
六千円未満 四百円
一万円未満 五百円
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入 円 向 き ︶桜 沢 如 ^綺
*魔法 の メガネ 無双原理の物の考え方
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健 康 戦 線 の第 一線 に立 ち て 一
一
〓 円 一
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自 然科 学 の最 後 一
一
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〓 円 一
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畠
三吾 円 一
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一
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中 央 ア フリ カ横 断 記 一
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水性
還の小4十︵
上︶ 少年よ、大志をいだけノ
食養 人生読本 食養で開く自由の人生
四吾 円 一
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一つの報 告 一
〓
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8 円 一
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*生命 現象と環境 ゃさしいエコロ一
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*新食養療法 正食身ヽ
む改壮
理
法
東 京 都渋 谷 区 大 山 町 ^ .︱五
︵
● 1 ︶ 四 六九 ・七 六 三 一代
日本CI協会
●本部 への注文 は、一
L現金書留 、または 2振替東京? 冗
里三日本 CI協会 へ、代金と送料と注文品を明示 して送
金 してくださ い。・
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間みてくださ い。
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一
〇
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円
一
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P U 歌 集 二8 円 一
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コンパ 文 庫 6 一
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新 しき 世 界 へ﹂ 三o上一
勇 号 一
︿、8 o円 一
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﹃
世界恒久平和案 。﹁
意志﹂
教育 五十年 の実験報告﹂
、
コンパ 文 庫 4 一
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三〓 円 一
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己
、
コンパ 文庫 5 一
七8 円 一
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二8 円 一
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三
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一
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二、08 円 一
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己
一
資料 ︶米 上院栄養委
東洋 医学 の哲学 軽装並
日
及版
米 国の食事改善 目標
桜 沢 里真著
マク ロビ オ テ ィ ック料 理 家庭料理全書 三、
こ 〇円 一
I一
〓
︱版 一
、
*食 養 料 理 法 ・
︱
五8 円 一
〓一
こ
︱
︵
研究 向 き ︶
桜 沢 如 一苦
、一
*無 双原 理 ・易 宇宙法則、
実用ム
オ証法 一
〓円 一
T一
占
、
宇 宙 の秩 序 最重大PU書 一
〇〓 円 一
T一
〓
病 気 を 治 す 術 ・病 人 を 治 す 法 人生論 五き 円 一
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〓
桜 沢如 一ア ルバ ム 五〓 円 一
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〓
、
レL 一
一
08 円 一
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ク ラ ラ ・シ ュー マン 人生論 七三〇円 一
I 占o
人 間︱ こ の未 知 な るも の
,
、
自 然 医学 一
三8 円 一
一
一
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畠
電 〒
話 1]
好 評
カ セ ット テ ープ
﹃
G O 、 母 を 語 る﹄
0分 1本
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二、六〇〇円 ︵
〒 一七〇︶
・ひ と 言 も 不 平 を 言 わ ぬ 母 だ った
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お待 た せ しま した ′
桜 沢 如 一
健康 の七大条件
︱︱ 正 義 に つ いて︱ ︱
5 べ ︲ジ
B6 判 1
2
美一麗再刷出来
6 5 0円 一
I 一
〇〇円
日本 CI協会
日本正食品研究所 を経営 、かつて桜沢先生の指導で原子転換研究に従
佐々丼譲
事していた。
太田竜
『いのちの革命』『革命理論の革命』『日本原住民史序説』『イ
可から始める
べ きか』な ど多数の著書がある。
横田稲吉
植物の研究家。著書 に 『飯能の自然』 『天然記念物緊急調査』 『埼玉
県植物誌』 (共 著 )な どがある。
坂本二三久
自然農法30年 。世界救世教自然農法指導員。
川崎伊津 鍼 灸 811。 戦前から無双原理を学ぶ。
藤田紀代美 演劇集団 「日本」所属 、俳優 3年 生。
橋本政憲
日本 CI協 会編 集 長 。
日時/1981年 8月 20日 ∼ 8月 23日
会場/刑
自然農法研究所
日本 CI協 会 情 報 資料 部
現 地 へ の 交通
(3'r14[l)
栃 木 県 大田原市鹿畑 914
`須
802872-3-4531
参加費/全 期 参力││=22,000円
高祖英 二
部 分参力‖=1泊 2日
東北線西那須野駅下車 (急 行停車)、 バ ス (黒
羽行 か雲厳寺行)に 乗 りかえて、八幡神社下
車、
農場 まで車 で送迎 。上野駅 か ら約 3時 間半 。
8,000Fl
お子 さまの参加 について/小 学 生以 下 の方は、原貝リ
と してお断 わ りします。
取 消 しは手数料 2000円 を、 14日 以降 の取 消 しは会 の
持参品/食 器 (ご はん茶 わん、汁 わん、中皿 、 は し、
運営 上 、半額 を差 引 いての返還 とな りますの で、 あ
あヽきん など〕
ふ きん、お膳 代用マ ノト 〔
筆記具 、
)、
らか じめ ご了承 ね がいます。
洗面具、ぞ うきん、地下たびな ど農作業用は きもの、
申込締切 /8月 13日 (木 )た だ し、定 員 に な り次 第
笠 またはぼ うし
締切 りますので お早 め に ど うぞ。
申込方法/中 込書 に記入の上、参加費 を現金書留 で
郵送するか直接持参 してくだ さい。 8月 13日
までの
申込 先 /日 本 CI協 会
11-- 5
1'03--469--7631
〒151東 京都渋 谷区大 山町
981夏
のPU大 学セミナー0多りの申込書
□大人 (中 学生以 上 )22,000円 ×
ふりがな
□ 部分参加
(
1泊 2日 8,000円
8月 20日 ∼ 8月 21日
(
氏
8月 21日 ∼ 8月 22日
名
8月 22日 ∼ 8月 23日
( )名
( )名
歳 (男 。女)
一
T
住所
都道
府県
)名
郡
市
歳 (男・女)
歳 (男・女)
合計___円 を添 えて申し込みます。
日本CI協 会御中 19制 年 月 日
そうじ・体操 。うた
そうじ 。体操 。うた
そうじ・体操 。うた
講義② 佐々井 譲
く
料理のメカニズム》
講義⑤ 太田
竜
《
何 を 目指 すか》
講義⑨ 横 田 稲吉
《
本 草 解 説》(1)
一一穀物・野菜・海車――
7
6
一8
9
10
川崎伊津 〈
指圧》実習
朝
11
食
――私の理想 とする社―
川崎伊 津 《
灸》実習
朝
食
一 ― 野 草 、薬 草 な どの特 徴・用 途 ――
閉 会
12
1
藤田紀代美 く
民鶴おどり)(1) 藤田紀代美 《
民謡おどり》(21
3
2
一4
受
付
5
開 会 式
一6
タ
食
講義① 佐々井 譲
人間 の コ トパ〉
《
9
講義O横 田 稲 吉
く
本 車 解 説》(2)
講義③ 坂本二三久
く自 然 農 法〉(1)
一―野外説明・実習―
タ
食
講義④ 太田
竜
く
安藤昌益の思想》
講鞠⑥ 坂本二三久
《自 然 農 法〉12)
一―野外説明・実習――
タ
食
講義⑦ 高 祖 英 二
古代インド医学の食〉
く
講義③ 橋 本 政 憲
《日本人 とは何か)
式
朝
食
解
散
■ 8月 20日 ∼23日 の 「夏 の PU大 学 セ ミナ ー」(那 須 )
′
は、間 も な く締 め切 りです / 申 し込み は お早 く 。
■ リマ・ ク ッキ ングア カデ ミー秋 期 は 9月 22、 23日 開
講 です。 (初 級 は毎 水 曜 日)
■次号 (10月 号 )は 10月 1日 発 行 です。
● C O N T E N TS
●
噺 九蔵弛 界 ヘ
これ か ら / 桜 沢 如 ⋮ ⋮ 4
医 学 は 病 気 の 起 こ る こと を 前 提 と し て いる
︱
夏 の涛 茶 料 理 / 桜 沢 ︱
︱真 ⋮ ⋮ 5
さ つま芋唐揚げ、ひしおき ゅうり、そら豆、生湯葉 ふくめ煮、な
す じぎ揚げ煮、人参と白たきの自和え、自然薯磯揚げ など
正 食 を 求 め て/ 骨 本 フジ r物 語 ⋮ ⋮ =
生涯 を変 え た 一冊 の本 、桜 沢如 一の生 いた ち 、正食 の逆輸 入 、母
の死 を見 て看 護婦 を志 す 、嫁 の 口も 振 り 切 って、原爆被爆 者 の看
食
護 、玄 米 クリ ームが重病 の甥 を救 う 、講 習 会 に 待望 の人物 、
会 員 の皆 さ ん へのお願 い
年 間 一万 三千 円 の会 員 ︵
正会 員 ︶にな って下さ い
日本 C I協 会 は、桜 沢 如 一先 生 が創 立 され た 、
無 双 原 理 と正 食 の国 際 運動 団 体 です 。 今 日 、桜 沢
里 真 先 生 を会 長 と し て、各 種 行 事 、講 演会 、料 理
教室 、講 習 会 、書籍 、雑 誌 の発 行 な ど 、皆 様 のご
支 によ り 、 す べて順 調 に発 展 し て いま す 。
持
新 し き世 界 へ﹄ も 、 す で に五 百三 十
機 関誌 の ﹃
号 以上 を 重 ね 、十 年 前 に比 べて会 員 数 は 4倍 以上 、
四年 前 に比 べて 2倍 以上 とな ってお り ます 。
一九 七 六年 二 月 に、 現在 の東 北 沢 の会 館 を 開 い
て以来 、 多額 の家賃 支払 い、 そ の他 の事 情 で、苦
し い時 期 も あ り ま した が 、幸 い、会 員 の皆 様 の熱
心な ご 支 持 で、 切り抜 け て参 り ま し た 。
日本 と世 界 の、
一人 一人 、社会 の状 況 が 、 ま す
ま す 困難 な状 況 にな り つ つあ る今 日 、 マク ロビ オ
テ ィ ックが 、 いよ いよ 必要 と さ れ てお り ます 。
残 念 な が ら、 石油 価 格 の高 騰 、 そ の他 諸物 価 の
値 上 が り によ って、雑 誌 の発 行 、 そ の他 、会 の財
政 に、 次 第 に重荷 が か か ってき て いま す 。 用紙 、
製版 フィ ルム、製本 、 電 力 、 そ の他 諸 経 費 な ど の
製 造 コスト が 、 ど ん ど ん上 が ってき て います 。 各
種 の雑 誌 は 、 ページを 少 な く し 、紙 質 を お とし 、
年 間購 読 者 ︵
誌 友 ︶は2 月 から 五千 円 にな りま し
定 価 を 上げ て、 これ に対抗 し て いま す 。
、
″
初 め ての人 のた め の窓 口︶
日本 C I協 会
たが ︵
は私 が盛 り立 てよう ″と 考 え る 、熱 心 な 方 は毎 月
千 円 、 つま り年 間 一万 三千 円 の ″
正会 員 ″ にな っ
て下 さ る ことを 切望 し ます 。
-3-
事 指導 で乳幼 児を救 う 、 MI道 場 で厳 し い修業 、無 双原 理と 正食
の研修 、新 居浜 で正食 の普 及 、河内 医師 に支 え られ て、再 上京 し
¨
五色 の毒 を訴 え る、 イ ンド ヘ、 同志 発病 、 ベルギ ー ヘ、 ドイ
¨
ツで子供 の世 話 、¨
姉 、危篤 々の急報 、帰 国後悲 しみ の連続 、悲 し
みを越 え 世 界大会 、故郷 で の普 及活 動を決 意 、塩を守 る運 動 、食
物 に感 謝 す る心
4
臓 器 の研 究 / 大 森 英 桜 ⋮ ⋮ 3
五味 と 五臓 の関係 、気 の流 れ 、 五臓 の陰 陽 順 は つ 人体発 生 の 三
要素 、味 のバ ラ ン ス、上 下左右 の陰陽 、苦 み は体を 温 める
8
手 相 の研 究 / 大 森 英 桜 ⋮ ⋮ 4
東 洋 と 西洋 の手 相 、陰性 ・陽性 に分 け て見 る、なぜ 天地 人 に分 け
る か、中 指 は循環系 、生命 線 は寿 命 、生 理と 心理 は 一つ、結婚線
の秘 密 、手 の丘 、右 で見 る か左 で見 る か
3
ア メリ カ旅 = 記 / 小 川 みち ⋮ ⋮ 6
GO MFの相 原夫妻 ととも に全 米 を 自動車 旅行 、小 川先 生 の見 た 、
素 顔 の ア メリ カ
送料 共︶
■本誌 を ご紹 介 く だ さ い/ ︿7号 一部 八 五〇円 ︵
■本誌 および日本 Cl協 会のすべ ての刊行物、桜沢 如一、桜沢里真の著作物の内容の全部 または一部の、あらゆる形式 による
複製 は、当協会の文書 による承認 を必要 とします。 (た だし、論文中 での正常な範囲の引用 は、出典、発行所 を明記 されれ
ば、 かまいません。転載のお申 し込みは歓迎 いた します
)
2ネっ
4 対硼
直ζ呼ふ毛携万ブ
。
の
も
これ か ら
医 者 は病を 治す 事 を ネ ライ と し て いる 。
治す コト は起 る コトを 前 提 と し て いる 。
つま り医 は病 の起 る コトを 前 提 と し て い
る 。ポ リ スが 犯 罪を 絶 対 不 可避 、不 可抗
力 と 見 て いる のに等 し い。
こ の精 神 は 不 可能 の原 理 であ る 。 つま
り 、病 と 犯 罪 を 不 可 抗 力 、神 聖 と 認 め る
精 神 であ る 。 こん な モ ノがあ る限 り 、自
由 や平 和 、健 康 や幸 福 はゼ ッタイ ニな い。
-4-
生
げ
め治す マ 順与 の蜘
と社プ″
卜
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し
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蕉
毛
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︺
勁
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弓
先
疵
ナク一
︵
わり 偽■ 一鍵
こはヽ
でリタ イ 〓ふ 事 柑 矛 甘 珊 ム
州あ‘ 餞 り、
ヽ力 ヾ F
つ
F ■ ■7 う ∂ヽま り、
友案ゝ
→ カ
多ザと
罹
事
L冷
卿
牝
攣
封
町
響
ヽ
繊
,
斉 膨 蓉李
潔
﹁
射 鰈質 勁 λ 桜
だ
言寺第湾
ネ万
が
乳
ク
ヒ/々ぃうゝ
ン クロビオティラ
夏 の食 養 普 茶 料
桜
献 ニユ
前菜 さ つま芋 唐 揚 げ 、 ひ し お き ゆう
り 、 そ ら 豆 、生 湯 葉 ふく め煮
向 附 な す しぎ 揚 げ 煮
吸物 ︵
春 菊 、自 玉 、 生 湯 葉 ︶
八寸 人参 と 白 た き の自 和 え 、枝 豆 の
塩 煮 、き ゅう り のり巻 き
盛 合 せ た け の こ 、南 瓜 、 ごぼ う 、人
参 、生 狙 、 いんげ ん
揚 げ 物 自 然 薯 磯 揚 げ 、南 瓜 と さ つま
和芋
芋 のか さ揚 げ 、 そ ら 豆 、 し そ の葉 、大
進肴 滝 川 豆腐
玄 米粥
炒 り つぶ そば 、糸 人参 、 針生
箸洗 い ︵
姜︶
香 の物 き ゆう り 、 かぶ 、 たく わ ん
前一菜
●さ つま芋 唐 揚 げ
細 め のさ つま芋 を 2 ミリく ら い の厚
●作 り方
さ に小 口切 り す る 。ざ る に ひ ろげ て、
0
。
2分 く ら い干 す 油 でカ ラリと揚 げ て
-5-
塩 少 々を ふ る 。
●ひしおき ゅうり
、
●材 料 ︵
4人 前 ︶ = き ゆう り ︵
1本 ︶
、ゴ マバ
大 さ じ山 盛 り 1︶
ひし お みそ ︵
少 々︶
ター ︵
を ふ く め 煮 に し 、 2 つ に切 って器 に盛
る。
向■附
、
形 のよ いも の、4個 ︶
●材 料︱なす ︵
、ゴ マバター ︵
大
大さ じ3︶
ひしお みそ ︵
●なすしぎ 揚 げ 煮
① き ゆう り は 塩 を ふ って板ず りす る。
5セ ンチ く ら い の長
た て半 分 に切 り 、 2
.
さ に切 る。片 側 を き り離 さ な いよう に
ぎ じ1︶
●作 り方
残 し て、 2 ∼ 3 ミリ の間 隔 で切 れ 目 を
① なすはた て2 つに切 り、表面 に亀 甲
●作 り方
。
0 0
∼
入 れ る。塩 を ふ って2
3分 おく し
扇
ん な り した ら 、切 れ 目 を指 でお し て一
形 にあさく包 丁目を入れ る。油 で少 々
かために揚げ 、出 し汁 でやわ らかくな
るま で煮 る。
② ひしお みそをよく すり、ゴ マバター
形 にす る。
② ひ し お み そ を よく す り 、ゴ マバ タ ー
を加 え てす りまぜ 、① に流 し入れ てよ
少 々を まぜ 、水 大 さ じ 2 でゆ る め 、①
にか け る。
、
0グ ラム︶
玉
︵
自
粉
力
●材 料=春雨 ︵
2
、人参 ︵
、生 湯葉 ︵
花
ツ。
5切れ︶
フ +︶
ー
、み つ葉 ︵
0切 れ︶
少 々︶
型 にしたも の、1
●作 り方
吸●物
く煮込む。
※そ ら 豆 を ゆ で て付 け合 せ にす る。
●生ゆばふくめ煮
、大 原木
7∼8セ ンチ︶
●材料=生嶽 ︵
、かんび よう ︵
少 々︶
湯葉 ︵
4個 ︶
① 春雨は熱湯を通 し、3セ ンチくら い
●作 り方
①生拡 はた て6個 に切 る。干 し湯葉 は
水 に つけ てしんなりさ せる。
所をかんび よう で結ぶ 。
②生 独 を干 し湯葉 でかたく巻 き、 2箇
フーと醤油大さ じ1 で②
③ 出 し汁カ ツ。
-6-
に切 る。自玉粉 を水少 々でこね 、 2セ
ンチ大 にまるめ てゆ でる。生湯葉 は 5
ミリくら いに切 り、さらに2 つに切 り
分ける。 み つ葉 は葉 をと り、茎 の部分
人参 はゆ でる。
を1セ ンチ長さ に切 る。
フ4 に塩小 さ じ2を入れ
② 出し汁カ ツ。
、
て煮立 て、仕 上 り際 に醤油小さ じ1
酒大さ じ1を入れ る。
③椀 に春雨 、自玉 3個 、生 湯葉 、 み つ
葉 を入れ、② をそそぎ 入れ、花形人参
を飾 る 。
=
誉寸
● 人 参 と 白 た き の白 和 え
、人参 ︵
、
÷ 丁︶
小、
︲本 ︶
●材料 =豆腐 ︵
、切 リゴ マ ︵
,
少 々︶
÷束 ︶
自 たき ︵
●作り方
① 人参 は細切 り にし、塩少 々をふ って
盛 り にす る。
ーと醤油小 さじ2 でうす味 に煮 る。
② 豆腐 はさ っとゆ でて つぶ し、塩小 さ
取 り た て の若 い
味 を し み こま せ る 。 ︵
さ っと ゆ で て、塩 を ふ って火 にか け 塩
●作 り方
●枝 豆 の塩煮
じ÷をまぜ る。
︶
も のな ら 、さ やご と よ く噛 ん で頂 く 。
空炒 りにす る。自 たきは塩ゆ でし て、
。
2セ ンチく ら いに切 り、出し汁カ ツフ
③ 豆腐 の中 に、自 たきと人参 を入れ て
枝 豆 の両端 を少 し切 り 、塩 でも む 。
かた めの場合は、出 し汁 を
和え る。 ︵
︶器 に盛 り、切 リゴ マを天
少し加 え る。
●き ゅう り のり 巻
︵
少 々︶
メ と い っし よによく 煮 ふ く める 。 ︵
た
カ ツ。
フー、う す 口醤 油 大 さ じ 1 でワカ
ゆ でた け の こは適 宜 に切 り 、出 し 汁
●作 り方
き ゅう り は板 ず り し て、 た て4 つに
●作 り方
切 る。 のりを 半 分 に切 り 、き ゆう り を
け の こ だけ を盛 り つけ るこ
●南 瓜 の ふ く め 煮
●作 り方
小 さ め の南 瓜 を 8 つ切 り にす る 。 両
端 を切 り お と し 、皮 に切 れ 目 を入 れ る
出 し汁 、う す 口醤 油 、 酒 でふ く め煮 に
す る。
。
巻 い て、 2セ ンチ く ら い に切 る 。
※以上 3品 を美 し く盛 合 わ せ る。
盛 合せ
●たけの こふくめ煮
、ワカメ
●材料=ゆ でたけ のこ ︵
1本 ︶
●ご ぼう のふく め 煮
●作 り方
ごぼ う は鍋 に横 に入 る長 さ に切 る。
ごぼ う 1本 に対 し て油 大 さ じ 1 の割 合
で油 を入 れ 、 ごぼ う を こ ろが し な が ら
よく 炒 め る 。出 し 汁 を た つぶ り入 れ て
丁 をポ ンポ ンと た た き つけ るよ う にし
て2セ ンチ く ら い の長 さ に切 り 、油 で
せ て巻 き 、端 に水 を つけ てと め る 。包
れ てよ く まぜ る 。
②寒 天 は洗 ってしば り 、水 カ ツ。
フ4を
入 れ て煮 立 て、少 々煮 つめ る。① を 入
よく す る。
出 し汁 と醤 油 を 同 量ず つまぜ て つけ 汁
を作 り 、お ろし生 姜 少 々を添 え て供 す 。
④ ③ を 天 つき で つき 出 し て器 に盛 り 、
も み じ形 に抜 いた き ゆう り をち ら す 。
③ 流 し箱 を水 でし め し 、② を 流 し 入 れ
てか た め る 。
揚 げ る。
● 南 瓜 と さ つま 芋 か き 揚 げ
●作 り方
く切 る。地粉を溶 いて塩少 々を入れ、
南瓜 、さ つま芋 、長 ネギ など を細長
切 り にす る。
気 長 に煮 る。 や わ ら か く な った ら 、醤
油 大 さ じ 2 を入 れ て味 を つけ 、斜 め大
◇ 人参 は少 し 厚 め に輪 切 り にし 、花 形
に抜 き 、う す い塩味 を つけ る 。
●作 り方
0
倍
の
水
で4時間くら いゆ っ
玄 米 を1
くりと煮 る。 ︵
圧力 鍋を用いる場合 は、
玄米粥
の上 に人参 おろし少 々を のせ、 つけ醤
箸洗い
ぜ て器 に盛 る。
︶
7倍 の水 で炊 き、ねば らな いよう にま
進 =肴
油 と共 に供 す。
※以上 のも のを器 に盛 る。大根お ろし
げ る。
◇ そら豆 のゆ でたも のに衣 を つけ て揚
材料 を入れ てまぜ る。 フライ返 し の上
にひと並 べにし て、熱 した油 の中 に そ
つと 入れ て、カ ラリと揚げ る。
◇ いんげ ん は色 よ く ゆ で、
適 宜 に切 る。
※以 上 の品 を 見栄 え よく盛 合 わ せ る。
揚げ 物
●自 然薯 磯 揚 げ
●作 り方
①自然薯 ︵
な い時 は大和芋 ︶をお ろし
入 れ 、熱 い汁 を そ そぎ 入 れ る 。
香 の物
き ゆう り と かぶ を切 って塩 お し し た
も のと た く わ ん少 々を 添 え る 。
ふ だ ん は基 本食 を中 心 に 、き っち り
と し た食 事 を し て、時 には こ のよ う な
ご ち そう を作 って、来 客 のお も てな し
を す る のも 楽 し いも の です 。
食 養 料 理 の基 本 を ふ ま え て味 よく 作
れば 、食 養 を知 ら な い人 でも喜 ん で頂
く でし よう 。 そ し て、 いか な る料 理 に
も ま さ る後 味 のよ さ に 、 ま た頂 き たく
な る こと でし よう 。
こ こ では 品数 多 く 豪 華 に作 り ま し た
の で、多 すぎ ると思 う 方 は 量 を少 な め
にし て盛 り つけ た り 、 いく つか のも の
を 取 り上 げ て作 つた り す れば よ ろし い
玄 米 御飯 では少 し重 すぎ ます の で、
と 思 いま す 。
が出 ま す 。 い ろ い ろ 工夫 し てお試 しく
さ っぱ りと し て い っそ う 夏 ら し い感 じ
お粥 にし てみま した 。 し いた け など を
糸 のよう に細 く 切 って、空 炒 りす る 。
●滝 川 豆腐
出 し汁 にう す味 を つけ てひと煮 立 ち さ
金 でお ろし、塩少 々をまぜ る。 ︵
南瓜
、寒 天 ︵
、き
●材 料=豆腐 ︵
2本 ︶
1丁︶
、つけ醤油
ゆう り ︵
少 々︶
だ さ い。
玄 米 のかわりにそう めん を 用 いれば 、
入 れ ると さ ら にお いし く 頂 け ます 。
の裏 ごししたも のがあれば 、自然薯 の
三分 の 一くら いの量 をまぜ るとお いし
いJ
●作 り方
せ る 。器 に つぶ そば 、人参 、針生 姜 を
つぶ そば を こん が りと 炒 る。人 参 は
② のりをた て2 つに切 り、① を1セ ン
① 豆腐 は水 を切 り、 つぶ し てす り鉢 で
●作 り方
チくら いの幅 で横 に長く こんもりと の
-9-
円 円
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5 3
7
価 料
定 送
復刻再刷 .′
原本 4巻 1200ベ ージを 1冊 に縮刷
﹃
講 義録 ﹄ 目次
養 学
原 論
H
食 養 学 原 論 Ⅲ
︵
四 ︶食物 の身体 におよぼす特殊 な影
響/病気/生命 にかかわるも の、食 い
合 せ/薬用食物 と郷 L的な調理
五 ︶国民 食政 の復古
︵
I ﹁行 ﹂ 力 食 養 通 ︱
食 養 料 理 法
︵一︶た のしき健康 とめ でたき長寿/
衣食住 の問題 /健康
︵
二︶幸福 への 一道/限りなき人生 の
喜び
料理 の必要/お料 理 の目的 /お料理 の
方法 /器物、準備、材料 の配合 、お弁
当、食 べ方 /食 養法 の心得 /献立 の 一
例 /食養禁断/良き食 養品/食 膳 の い
まし め/病気 になる食物
料理法/御飯/玄米ごはん/十 つき米
ご飯 /山家ご飯/栗 、麦、魯 ご飯 /色
ご飯 いろ いろ/おす し いろ いろ/残飯
の利用
豆料理/野菜料理︵
野 の幸 ︶
/野菜 の貯
え方 /軟 かくす る法/ いも料 理/瓜料
山の
体を冷 やすも の︶
/山菓料理 ︵
電︵
幸 ︶/豆腐料理/ こんに ゃく /海草 料
理/めん類/ つく だ煮類 /漬物 /魚 の
料理/餅、だんご、まんじ ゅう /調 味
料/飲料 /献立例 /な べ/井 /ぬた、
和 え物、したし/お つゆ/楊物/煮物
/赤ち ゃん の料理/正月料理/普茶料
7,500円
民 間療 法
実験 集
B 5大 判 3 1 3 ベ ー ジ
最後 の重 要な る注意書 き
食贅療法
※索 引 の 一例 シ︰痔︵
じ︶
/耳下腺 炎
/子富 ガ ン/子富筋腫 /子宮実質炎 /
子宮病 /歯ぎ ん炎 /舌 ・唇 の乾き /舌
のただれ /し つ︵
流癬 ︶
/涅疹 /耳鼻 咽
喉 の病気 / ジフテリ ア/脂肪 心 /しも
しょ
やけ/し ゃ っくり /充血/消 渇 ︵
/
清 /小便 /食あ
う かち ︶
/小児 の驚瘤 。
たり/食滞 /食道狭窄 /しらくも /白
舌/白 そ こひ/神経衰弱/神経痛 /腎
臓炎 /心臓病 /心臓弁 膜症/ シ ン マシ
ン ※﹁
新食 養療法 ﹂の食 べ物で病気を
治す法 の索引 ︵
し ︶の項 と比較し てみて
く ださ い。 内容 の豊富 さ に驚 かれるで
しょヽ
つ。
︱
︵一︶西洋医学とその療法
︵
二︶東洋医学とその療法
︵
三︶食養療法と食養道
食 養 療 法
理/支椰料理/西洋料理/ ソー ス/食
合 せ禁 /寒口 野菜 の貯え方 /じる こ研
究
付録 ・不七長寿薬 の研究、天下無 双の
美食 ︵
桜沢如 一︶/結婚披露宴 に つい
て、胡麻油 摂取 の実験 ︵
石川智堂 ︶
明 治 二 十 九 年 発 行 の 食 養 の原 典 /
古 書 店 で も 絶 対 入 手 不 可 能 の本 を 美 麗
復 刻 再 刷 / 限 定 千 部 発 行
I 生 命 及 び 生 活 現 象 の支 配 者 に つ い て
食 養 学 原 論 I
食
︵一︶万物 の組み立 て/天地自然 の生
れ/ナトリウ ムおよび カリウ ムの形態
/色彩 上 の相違 /形相 /所在 /作 用 /
万物 の組み立て
二 ︶生命 および生活現象 の支配者/
︵
食物 におけるナトリ ウ ムおよび カリウ
ムの多 少 /=用食 品百匁中 における、
﹁
ナ﹂ ﹁力﹂ の数量および差引表 /生
命現像 における ﹁
ナ﹂ ﹁力﹂ の影審 /
生命 にお いて/体格、体質 、疾病 に つ
いて/性質、思想 に つ いて
三 ︶生活現象 における ﹁ナ﹂ ﹁力﹂
︵
の影響 /付録 。こころと食 べ物
︵一︶伝統的純正日本 食 とそ の崩壊/
H率 の伝統 /日本食 の伝統 /日本食 物
史 の 一瞥
︵
二︶食物 の取り方 と栄 養/糧食 、美
食 、菜食 、肉食、少食 、大食、調 理、
栄 養、消化、不消化 / ビタ ミ ンとそ の
他 の栄養お
︵
三 ︶食物 の性質、栄 姜 および分量/
動 物 性 のも の/植物性 のも の/主食物
と劇食物
10-
石塚左玄
化學 的食養 長壽 論
4年 初 版 、社 団 法 人 食養会 の 総 力 を結集 した 、
●昭和
桜激Il― 編 食養講義録
古書価 格 3∼ 5万 円の 幻の 著作 、食養研究 者 必備 。
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■ 『長 寿 論 』
『講 義録』 両方 は 、 15,000円 送 料 400円 。
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効 なlメ l書 券 を送 ります。
日赤看護婦 の制服姿 の フジ子
昭 和 ‖年 H月 、数 えで23歳
6 ・︲ ・6
● ﹃
愛 媛 新 聞 昭 5 。2 ・9 ∼5
﹄
2
5
︲
︲
6
も
ま で2
回
連
載
さ
れ
た
の
に訂 正加 筆 しま
編集 部 ︶
し た 。文 中 、敬 称 略 。 ︵
﹁
正 し い食 事 は 宇 宙 の秩 序 、人 間 のあ る べ き 姿
に 通 じ る ﹂と 、菅 本 フジ 子 冥 こ=松 山 市 湯 渡 町
在 住 = は信 じ て、 そ の信念 を 実 践 す る こと に半
国内 は もと よ リ イ ンド や ヨー ロ ツパ に も足 跡 を
生 を さ さ げ て来 た 。 二十歳 代 半 ば から 現 在 ま で、
印 した歳 月 は 、波 乱 万丈 と いう の にふ さ わ し い。
彼 女 は 何 を 考 え 、ど う 行 動 し てき た か を 、 一方
で飢 餓 の世 界 が あ り なが ら 、 過食 と 美 食 、農薬
食﹂
汚染 と 添 加 物 の多 用 など 、混 迷 しき った ﹁
の支 配 す る今 、振 り 返 ってみ る こと は 、意 義 な
厳 し い灯火管 制 の続 く看 護 婦宿 舎
と ら え て放 さ な か った。敗 色 濃 く 、
た。 当 時 の海 軍病 院 で は、 食事 の
準備 から 清掃 、 日常 の連 絡 な ど、
しと しま い。 ︵玉井 記 者 ︶
あ る若 い水 兵 が返 し て来 た書 を 、
生 涯 を 変 え た 、一冊 の 本
貸出 簿 でチ ェ ックし よ う とし て、
ほ と ん ど の作 業 が、 入 院 患者 自身
の手 で行 われ た。 廊下 一面 に砂 を
昭 和 十 九年 十 一月 半 ば の長 崎 ・
謎 撃 の海 軍病 院 。 図書 係 の若 い看
ん だ。﹁精神 は神 のごと く 、 肉 体 は
ま き 、水 を かけ て、何 重 にも 巻 い
で、同 じ と ころを何 度 も 何 度 も 読
蛮 人 が山 野を かけ めぐ る ご とき 状
た荒 ナ ワで こす り 、 み がく海 軍式
の床 そ う し で さ え、 よ ほど の高 熱
ふと心 ひ かれ た。 あ ま り大 き く は
態 が、 食 べ物 を 選 ぶ こと で得 ら れ
砂 糖 は体 に良 く な
る﹂ とあ った。﹁
で な いと免 除 さ れ な い。 食事 は 日
も 快 方 に向 かわな い痔 の患 者 、 六
そ の 一方 で、 十 三回 も 手 術 し て
も 、患者 はち ゃん と 回復 し て行 く。
に日 に粗 末 にな って いた。 そ れ で
い﹁果物 の摂 り過ぎ は いけな い﹂
と、 フジ子 が受け てき た現代医学
護 婦 、菅 本 フ ジ子 は、人 院 患者 で
な いけ れ ど 、 分 厚 く、 ズ シリ と重
新 し い栄 養学 し、著者
い。 表題 は ﹁
は桜 沢 如 一。 聞 いた こと のな い名
前 で あ った。﹁ど んな こと が書 いて
あ る のだ ろ う ﹂ と、 パラ パラ と繰
って み て、 そ のま ま 借 り出 し て
そ れ ほ ど期 待 し た わけ で はな い
思 い当 た る こ と ば か り であ っ
の常 識を突 きくずす記 述 が つづ い
。
″
た
一
読 ん で みる こと にし た。
そ の本 は、 し かし 、菅 本 フ ジ子 を
講 義す る晩年の桜沢如一
し ても 、 良 い結 果 が得 ら れ な い例
を 盗 ん で運 動す る よ う な患 者 の方
せり の治 療 で、 医 師 の指 示を よ く
守 る患 者 が次 々と衰 弱 し 、 死 ん で
行 った。 同 じ結 核 でも 、 病 院 の目
医 学書 に目 を 通 す ことも多 か つた。
があ った ことも あ つて、 民間 通 俗
考 え て いた。 自 分 自身 、 健 康 に難
は決 心を か た め て いた。﹁
生 き て帰
れ た ら 、 こ の桜 沢先 生 のも と で 一
生 勉 強 しよ う ﹂ と。
一冊 の本を 読 み通し て、 フ ジ子
間を 、 次 々 に解 き 明 かし 、 目 を 開
か せ てく れ た。
と いう 主 張 に 根 ざ し た 体 系 で あ
る。 陸 軍薬 剤 監 とな った 石 塚左 玄
︵天吾 ︱ 死兄 ︶ が、 ナ ト リ ウ ムと
身 土不 二﹂ の原則 の提 唱
とす る ﹁
者 、 西 端 学 が陸 軍騎 兵 大 佐 であ つ
た こと にも 、 そ のあ たり の事 情 は
偶然 めぐ り合 った ﹃
新 し い栄 養 学 ﹄
は、 さま ざ ま の積も り 重 な った疑
養 育 さ れ た。 世 津子 は同 志社 の創
カリ ウ ム の措抗 原 理を 発 見 、 さ ら
う か がわ れ る。
お
は な いだ ろう か ﹂と、フ ジ子 は常 々
を 目 にし た。
が、 治 療 効 果 は高 か った。
﹁現代 医 学 に は問 題 があ る ので
回 手 術 し て治 療 効 果 のな い蓄 膿症
の患 者 な ど、 現代 医 学 の粋を 駆使
海 軍病 院 に移 る前 に勤 務 し て い
た小 倉 市 立 病 院 で は、 至 れ り つく
桜 沢 如 一の 生 い た ち
﹁食養﹂
を 体系 づけ、﹁
無 双 原理﹂
立者 、新 島 襄 に感 化 さ れ た オ女 で
看 護学 、 助産 婦 学 を 学 ん で、朝 は
に歯 の構成 の比 較 から 、﹁人 類 は穀
が結 成 さ れ 、大 正七 年 には社 団法
人化 さ れ た。 桜 沢 は こう し て運 動
引 き取 ら れ たけ れ ど 、 寺 に小 僧 に
出 さ れ たり 、京 都 府 立第 一商業 に
明 治 四十 年 には﹁化 学 的 食 養 会 ﹂
こそ 、 そ の土地 の人 に ふさ わ し い
を唱道し た桜沢如 一 ︵
さくらざわ
・ゆきかず ︶は、 明治二十 六年 十
月十 八 日、京都府 で生まれ た。家
パ ンと ミ ルク、 昼 は オ ム レ ツと い
った西 洋 ふう の食 生活 を 実 践 した。
の高 揚 のな か で、 食 養 に ふれ た の
庭 に事情 があ って、幼年時代 は、
弟ととも に母 の世津子 一人 の手 で
物 を 主 と し て食す べき 動物 な り﹂
と断定 し 、体系 づけ た。
石 塚自身 は、外 科的 脱 脂法 や 死
であ る。
そ の母 は如 一が十 四 歳 のとき 、 三
十 二歳 で死 去し て、 父 の孫 太郎 に
体 の化 学 的 防 腐法 な ど 、医 学 的 に
入 学 し ても 、教 科書 を買 っても ら
桜 沢 は、大 正 三年 に京 都 府 立 一
商 を卒 業 し て、神 戸 の貿 易 商 に就
職 し た。最 初 の就 職 先 は わず か 一
年 間 は いく つか の貿 易 商 を 転 々と
く 、 文 学 、哲 学 、医 学 、 易学 な ど
の書 物 にま で目 を 通 し て いる。﹁
無
数 ヵ国 語 を マスタ ー し た だけ でな
年 で店 を 閉 じ 、 失業 し たあ と 、 数
し た。 旧日 本 軍 のな か に は、 明 治
十 五年 の仁 川事 件 で、﹁
金 剛﹂ な ど
三艦 を 急 派 し た際 、 脚 気 が大 量 に
し な がら修業 し た。 広 い範 囲 の実
学 の常 識 を く つが えす よう な 言 動
も 多 く 、﹁反対 医 者 ﹂ と呼 ば れ たり
も 重要 な功 績 を残 し た が、 近代 医
え な か ったり 、 苦 労 が続 いた。
桜 沢 の人 生 の転 機 は、 母 と 弟妹
の死 であ った。 人 はな ぜ若 く し て
死 ぬ のかを 追 究 し て いるう ち 、日
発 生 し た こと への反省 か ら、 伝 統
いわ ゆ る西 洋 ふう な 食
るよう に、
事 への反省 の脈 流 がな く はな か っ
に ふれ た のが石 塚式 食 養 の本 であ
った。 玄 米 、菜 食 を 根底 に置 く 食
養 を実 践 し て、如 一は のち の目 ざ
ま し い活 躍 の基 礎 を 得 る こと にな
っ
一
に′
た。 のち の食 養 の考 え方 の 一つの
務 を短 期間 に学 び と る た め の、 桜
沢 一流 の合 理 精神 であ った らし い。
石 塚式 食 養 は、 日本 の伝 統 的 食
柱 にな る、 そ の土地 で採 れ た食物
的 な麦 食を 採 用 し た例 にも 見 ら れ
生 活 が 日本 人 には いち ば ん 正し い
-12-
の時 期 に つちかわれたのである。
双原理﹂ =桜沢哲学 の基礎 は、 こ
正五 年 には社 団法 人 ﹁食養 会 ﹂
食養 に つ いても 研 究 を 怠 らず 、
さ れ た万 国 学 生夏 季講 習 キ ャ ンプ
道 が開 け た のは 、 パリ郊外 で開 催
陰
よ く 適合 す る と いう のであ る。﹁
化学 、
政 治 とあ ら ゆ る分 野 に
医学、
入 会 し た。
いとす る風 潮 のな か で、 な かな か
正 食 の逆 輸 入 を 考 え た桜 沢
浸 透 し な か った。﹁それなら いっそ、
大 正十 二年 の関 東 大 震 災 が、 桜
沢 如 一の運 命 を 変 え た。 当 時 桜 沢
陽 を 生ず るも のは実有 であ る ﹁陰
陽 は実有 よ り不 断 に派 生 し 、 分極
海外 に正食 を 広 め て、 逆 輸入 す る
し 、相 関 往来 し、 栄 盛 し、 不 断 に
は、 東 京 に本社 のあ る貿 易 商 、 熊
で炊事 係 を買 って出 た時 から であ
った。 関 節 炎 の女 子学 生を シ ョウ
実有 に帰 入 し 、 消 滅す る。 実有 は
こと は でき な いだろう か﹂ と、 貿
ガ 湿布 で 治 療 し た のが き っかけ で
沢 商 店 の神 戸 支店 長 とな り、業 界
易 商 の経 験 を 持 つ桜 沢 が 考 え ても
無 限 、大 極 な ど と よ ば れ る宇 宙 万
昭和 四年 春、 桜 沢 は 日本 を出 発
桜 沢 が易 の原 理 を 現 代 版 と し た
﹃
東 洋 の哲 学 およ び 科学 の無 双 原
無 双 原 理 、 フラ ンス語 で ル ・プ ラ
ンシ ップ 上 ニック ︵ro 聟 ︼
月一
窮・
c●¨
f o H P ・U ︶と名 づ け た。
講師 に選 ば れ た のであ る。 上 流 の
無 理 はな か った。
い っせ いに神
京 本 社 の首 脳陣 が、
し た。 目的 地 は フラ ンス。 当 時 の
易 ﹂と
理 L のち に邦訳 、﹁
無 双原理 ・
家 庭 へ出 入 り で き るよう にな り 、
でも 腕 き き と さ れ る存 在 にな って
いた。 震 災 で 壊 滅 状 態 にな った東
戸 に移 って来 た のを 機会 に、熊 沢
洋 行 は 現 在 の感 覚 と は比 較 にな ら
な い難事 業 であ った。 半 つき 米 の
し て出 版 ︶を 、 ヴ ラ ン社 から出 版
物 の本質 であ る﹂ な ど 、 十 二 の定
理を た て、説 明し た。 彼 は これ を
商店 を 退社 、 仲間 と とも に独 立 し
た。 そ の会 社 は 一年 で破 綻、 そ れ
にぎ り 飯 や玄 米 ウ ルチ の乾 し 飯 三
フラ ン スで確 固 とし た足場 を 築
食 養 を 広 め る 機会 を つか ん だ。
ま で貿易 が主 、 食養 運 動 は従 だ っ
し た のは、 この フラ ン ス滞 在中 で
いた桜 沢 は、 十年 に帰 国 、 食 養会
の監 事 から会 長 へと 、実 質 的 な最
ラ
・六 =、 食 養 鉄 火 ミ ソ三 百 七 十 ″
高 権 限者 とな り 、運 動 を 推 進 し た。
た桜 沢 の生 活 は 一変 し た。 食養 が
石 塚左 玄 の唱道 し た ﹁ナ ト リ ウ
久 邁宮 家 な ど の健 康 指導 を 通 じて、
あ る。
ム ・カリ ウ ム措 抗 原 理﹂ を 追 究 し
ね て の シ ベリ ア横断 であ った と い
て行 く と、 根 底 には、東 洋 に古来
な どを 用意 し て、 食 養 の実 験 を 兼
パリ で の生活 は最 初 、貧 し く 厳
理解 でき な か った妻 と は離 別 、東
し いも のであ った。 頼 る べき ッテ
伝 わ る陰 陽 原 理 ︵つま り 、易 ︶であ
る と いう結 論 に到 達 し た。さ ら に、
食 養会 ア ユ
事 とし て、
京 へ移 った。﹁
﹁食 養雑 誌 ﹄の編集 に当 たるよ う に
も な く、 郊外 で採集 し た雑 草 や 、
な った。
し かし 、当 時 は西 洋 医 学 全 盛 。
市 場 で拾 ったダ イ コ ンや ニンジ ン
上 流社 会 に食 養 を 普 及 させる 一方、
米菜 食 を中 心 と し て 旧態 依然 とも
桜 沢 が どう 打 ち 込 ん で み ても 、玄
広 い国 際 的 視 野 か ら 反戦 =平 和 運
動 へと 傾 斜 し て 行 った。
物 理、
こ の原 理 は食 養 だけ で な く 、
大 正八年 二月 二十 日、
本 フジ子 は、
現在 ・川内 町 ︶ の
温泉郡川上村 ︵
の葉 を 食 べて暮 らす 日が続 いた。
一生の 師 と
栄 養 学 ﹄ に圧倒 さ れ 、
あ おぐ ことを決 意 し た看 護 婦 、 菅
見 え る食 養 は、 古 いも のは良 く な
事 情を知らな いまま、 九州 ・諌早
新し い
の海 軍病院 で、そ の著書 ﹃
母 の死 を 見 て看 護 婦 を 志 す
食 養 の普 及 を 進 め る 一方 、 反戦
を訴 え て いた桜 沢如 一。 そう し た
-13-
に 大
北 方 段 の上 の農家 に生 ま れ た。
行 方を 聞 いた とき 、 正座 し て、﹁知
厳 し い養成 所 であ った。 三十 人
寄 宿 生 活 は 軍 隊 式 で 、 厳格 この
う え な か った。上 級 生 に ﹁あ のね
ェ﹂ な ど と呼 び かけ たら大 変 だ。
年 ∼昭和 五 十 五年 ︶ に嫁 いだ け れ
ヲ は のち に近藤 豊 吉 ︵明 治 三十 四
二 人暮 ら し の生 活 で あ った。
マサ
治 二 十 四年 ∼昭 和 四 十 一年 ︶ と の
いて いる 信 念 は、 そう し た母 の性
の強 さ、 二十 代 から 今 ま で道 を 貫
当 時 、 フ ジ子 は、師範 学 校 に進
む つも り で、補 習 科 に通 って いた。
八 人 が品 行や成 績 の面 で振 る い落
勉 強 の厳 し さ はも ち ろ ん だ が、
と さ れ て いた。
病 院 で働 いたあ と、受 験 し た のが
下 関 の知 人 の縁 で、 半 年間 ほど
め、 お化 粧 な ど と ん でも な い。 月
用 も な いの に病 室 へ入 って は いけ
そ の母 は、フジ子 が十 四歳 の秋 、
に 一回 は 反省 会 が開 かれ 、上 級 生
た ち の ″つる し上 げ ″とも 思 わ れ
る お説 教 が待 って いた。﹁ど こで見
て いる のかと思 う ほ ど、 よ く見 て
そ こ へ母 の死 であ る。 どう し たも
のか と迷 って いる と ころ へ、﹁
看護
のう ち卒 業 でき た のは 二十 二 人。
し て からも 、 男同 士 の刃物 ざ た の
婦 にな ら な いか﹂ と、 川上 小学 校
な い。 映 画 は 正月 二 が 日 だけ。 廊
ろす る だ け で﹂ と、 フ ジ子 は残 念
父 ・熊 吉 は フ ジ子 が 三歳 のと き
死 亡 、 ほ と んど記 憶 が残 って いな
い。 も の心 が つ いた とき は、 母 ・
いさ か いに割 って入 り 、﹁子 供 の こ
の恩 師 が勧 め てく れ た。 脳 温 血 ヘ
下 で は端 の方を 歩 く 。髪 は引 き つ
が る。
ヨシ ︵
明 治 十 年 ∼昭和 八年 ︶ と、
とを 考 え ん のかな﹂ と叱 咤 し 、 そ
の場 を 収 め た事 件 は、今 も 語 り草
の知 識 がな く、 みす みす 母 を 死 な
せ た悔 し さも 手 伝 って、 そ う し て
格 から 、 引 き継 が れ たも のであ ろ
り ま せん﹂ と涙 ひと つみ せず 答 え
た話 は、永 く語 り つが れ た。 結 婚
二十 歳 近 く年上 の姉 、
マサ ヲ ︵
明
とな って いる。菅 本 フ ジ子 の性 格
みよ う と 考 え た。
ど、 す ぐ 隣 り に住 み、同 じ家 族 の
母 は教 育者 の多 い家 系から嫁 い
急 死 し た。 姉 夫婦 の子 供 を ふろ に
入 れ て いて、急 に倒 れ た。 そ のま
小 倉 市 立病 院 の看 護 婦 養 成 所 。 全
寮 制 で制 服 支給 、 入 学 当 初 は月 給
よう な 生活 が続 いた。
で来 た人 で、 働 き も ので、 自 分 の
二円 二十 五 銭 が支給 さ れ る。 三百
いて ⋮﹂ と、菅 本 は今 も苦 笑 す る。
た め に尽く し た い性 格 であ った。
こと は ほう って お いても 、他 人 の
人 が受 験 し て二十 人 が合 格 し たな
ん と かし てあ げ ら れ る だ ろ う と思
か に、 自 分 の名 前 を見 つけ た とき
は、 おど り あ が って喜 ん だ。
ま 三 日間 意 識 不 明 の
息 を ひき
ま
ま
と った。 脳 温 血 だ った。﹁
今 なら な
そ れ に気 性 が激 し く 、 シ ンが強 か
った。 ま だ 七歳 のとき 、脇 差 しを
う のに、 そ の ころ は ただ、 おろ お
桜 沢如 一は この年 、 反戦 的 言 動
を 理由 に、 警 視 庁 や 検察 庁 で、 再
思 い つめ た のであ る。
で あ る。 のち の師 弟 は全 く 逆 の方
同 時 に反戦 運 動 を 進 め、 十 六年 春
広 め る こと に全 力 を あ げ て いた。
″嫁 の 日 も 振 り 切 っ て 従 軍 志 願
〃
持 った男 が乱 入 し て来 て、家 人 の
看護婦養成所卒業 の日 のフジ子
戦 争 勃 発 の日を 、菅 本 フ ジ子 は、
従 軍 志願 の 日赤看 護 婦 と し て の訓
三 の取 り調 べを 受 け て いた。 そ れ
向 へ歩 み始 め て いた。
昭 和 十 六年 十 二月 八 日 の大 東 亜
練 のな か で 迎え た。 物 心 つ いて以
に先 立 って、 食養会 を 追 わ れ た彼
は、大 津市 に無 双 原理講 究所 を 開
年 で看 護 婦 養 成所 を卒 業 、 そ のま
そ れ にし ても 、菅 本 フ ジ子 の従
軍看 護 婦 志願 は無 謀 であ った。 二
設 、さら に東 京 ・神 田駿 河 台 に﹁む
す び社 ﹂ を 開 いて、自 ら の哲 学 を
には偕 行社 で 反戦 演 説 を ぶ った の
来 の戦 争 つづ き で、 慣 れ っ こにな
、
っ
ど
て
い
れ
た
け
局
時
の
迫
と
と
切
も に、ま じ め いちず の フ ジ子 は ﹁
戦
地 で兵 隊 さ ん の看 護 をし よ う ﹂ と
-14-
た とき は、 周囲 のだ れ も が 信じ ら
の試験 を 受 け た のであ る。 合 格 し
た。 大 き な 担 架 を下 げ て走 り つづ
十 分 で かき こま ね ば な ら な い多 忙
も とも と胃 腸 は強 く な か ったう え
に、 三度 の食事 を い つも 五 分間 か
暮 ら し た ら どう か﹂ と、 勧 め てく
れ た のであ る。﹁そ れ な の に﹂ と フ
戦 地 に行 く な ど と考 えず 、平和 に
を 目前 に、 寄宿 合 の合 監 が ﹁
自分
の息 子 の嫁 にな って く れ な いか。
ち ょ っとし た思 い出 があ る。 出 発
大 阪 の日赤 へ出 発 す る と き には
六 百 。 フ ジ子 の所 属す る福 岡 班 、
諌 早 の海 軍病 院 の患者 ベ ッド 数
海 軍 病院 への配 属 へと、 日 ま ぐ る
し い日 々が つづ いた。
状 を 受 け て、 十 七年 五 月 の諌 早 の
でき な い。 大 阪 の陸 軍病 院 から 九
州 の日赤診 療所 へ、 さ ら に召集 令
数 、 九十 二 は、今 も 忘 れ る こと が
にた たき こん だ 、 寄宿 合 の階 段 の
状 はも ら った と思 って います よ ﹂
と 、 フ ジ子 は笑 う ので あ る。
他 人 よ り 少 し でも多 く 土を 入 れ 、
少 しも 休 まず に働 いた◇﹁上方 の免
棒 の両 端 に つけ て運 ぶ作 業 で は、
を 掘 った 土を モ ッ コに入 れ 、短 驚
こと が好 き だ った か ら 、苦 にな ら
な か った。 戦 争 に勝 つた め に︱ ︱
と、燃 えあ が り 、
先 頭 に立 つ気 分 で
あ った◇ 図書 係 や被 服 係 の仕事 だ
め は 米 だ ったけ れ ど 、 のち に は 三
ジ子 は、 ち ょ っぴ り懐 かし さを た
ま 小 倉 市 立 病院 に つと め た五年 間
に、 す っかり 体を こわ し て いた。
け る担 架 訓 練 は、 昼夜 を 問 わ な か
った。 真 っ暗 ヤ ミ の訓練 に備 え頭
度 に三度 が ジ ャガ イ モにな った。
い つから か下 痢 が止 ま ら な く な っ
口も や せ た ほ ど であ る。
た。 六 キ .
た え た 口調 で述懐 し た。﹁血 気 には
れ な いと驚 いた。
泣 き 言 ひと つ言 わず 、 そ の間 に助
長 崎 、熊 本 、 愛 媛 の四 班 の看 護 婦
ら帰 った と いう シラ ミだ ら け の者
者 は、時 の経 過 と とも に、南 方 か
上 空 に、 ポー ルのよ う な も のが浮
金戻る途中 に フ ジ子 たち は長 崎 の
報 が解 除 され て、防 空 壕 から病 棟
過ぎ に いったん発 令 さ れ た空 襲警
長 崎 への原爆 投下 の日、 二十 年
八月 九 日、諫 早 は晴 れ だ った。 昼
容 能 力 は六百 人。 戦 況 悪 化 と とも
話 が入 って から であ る。 病 院 の収
患者 千 人を 送 る。 準備 せよ ﹂ と電
夕 方 六時 ごろ 、 長崎 から ﹁
今 から
事 態 が は っき り し始 め た のは、
爆 発 音 が と ど ろ いた。 あ わ て て べ
ッド の下 へ逃げ 込 ん だ。
い﹂。そ こ へ、 ド カー ンと物 す ご い
ルはげ て いる。髪 は抜 け落 ち 、 男
身 、 真 っ黒 に焼 け 、 皮 膚 が ツ ル ツ
子 挺 身 隊 員 を はじ め、 だ れも が全
る 木 の棒 が大 タ イ部 にさ さ った女
径 三 セ ンチ 、 長 さ 二十 セ ンチ も あ
し か ね た重 傷者 ば かり であ る。 直
込 ま れ る被爆者 たち。 長 崎 で処 置
* *
け でな く 、兵 隊 にま し って の作 業
隊 にも 積極 的 に参 加 し た。 防 空 壕
産 婦 の資 格 は と ったけ れ ど、 医 師
や って振 り き った ん です よ 。 私 の
た が、 少 女時 代 から ビ シ ッと し た
さ が続 いた。 食事 そ のも のも 、 初
に ﹁一生 な お ら な いかも し れ ぬ﹂
人 は いつも そ んな調 子 で ⋮﹂。
生
日 赤 で の教 育 も ま た、 厳 し か っ
が勤 務 し て いた。 規 律 は厳 し か っ
と言 わ れ て、 不安 は つの った。 そ
ん な 状 態 であ る のに 日赤 の看 護 婦
や 、 四十 歳 も 過ぎ た者 な ど が ふえ
て来 た。菅 本 フ ジ子 は、負 け る と
かん で いる のを 見 た。﹁あ れ何 かし
女 の区 別 、年 齢 さ え は っき り し な
い。 太 った人 は特 に ひど い。 リ バ
0 人 が死 ん で行 く
原 爆 ⋮ ⋮毎 日 7
は思 わ な か ったけ れ ど、 戦 況 の悪
ら﹂ な ど と言葉 を かわ し ながらも、
ノー ルと油 を ま ぜ、 ガー ゼ にし ま
諌 早 の海 軍病 院 に収 容 さ れ る患
化を 感 じ 始 め て いた。 桜 沢如 一の
﹃
新 し い栄 養 学 ﹄ に接 し て、﹁生 き
て帰 れ た ら先 生 のも と で 一生 勉 強
に多 く の患者 は他 に移 さ れ 、 百 人
せ て、 傷 口に ベ ッタ リ は り つけ 、
包帯 を 巻 く。 そ の間 にも 、 次 々と
ほど 残 って いる だ け だ った が、 そ
鼻 科 の処 置 室 へ患者 を 連 れ て行 く
と、 電 気 が消 え た。 庶 務 課 へ電 話
れ にし ても 想 像 を 超 え て いた。
夜 に入 って、 次 々と 戸 板 で運 び
そ れ ほど気 にも と めな か った。 耳
決 意 が実 現す る 日 があるかどう か、
し た が、 返事 は ﹁そ ん な はず はな
し よ う ﹂ と決 心 し て いたが、 そ の
不安 は強 か った。
-15-
息 を ひき と って いく 人 が いる が 、
と は いて死 ぬ患者 が つづ いた。﹁
焼
飲 み ほし て五分 も た つと、 ガー ッ
七 十 人 が苦 し みな がら 、 死 ん で 行
さ えあ る。 腐 臭 のな か で、毎 日六 、
回 診 で バ ケ ツ 一杯も たま った こと
が、 意外 に強 いのに驚 か さ れ た。
働を し いら れ て いた はず の朝 鮮 人
そ れ にし ても 、 粗 食 や 過酷 な 労
し た﹂
かま って いる余 裕 はな い。 ベ ッド
け た 石 に水 を かけ たよう な結 果 に
った。
が足 りず 、 廊下 と いう 廊下 に、 た
な った ん で し ょう ﹂ と、 フ ジ子 は
赤チ ンや ヨー チ ンを つけ る だけ で
治 る。 ウ ジが わ かな い。﹁砂 糖 を と
らず 、 野草 類 を と り入 れ た食事 の
﹁死 体 の 処 置 を ひ と り で し な け
れ ば な り ま せ ん。 そ れ も 次 々と。
な ん で 看 護 婦 に な ん かな った のか、
ふり 返 る。 水 を 渡 さ な いと、 狂 気
のよ う に ﹁
殺 し てや る﹂ と 叫 ぶ患
し合 った。
が い違 いに寝 か せ て行く 。脱 脂 綿 、
ガー ゼ、包 帯 な ど 、 再 生 ば かり で
あ ったが、
一年 分 の スト ックを 使
と涙 が出 たも のです 。 た だ 次 々と
死 ん で いく 人 たち を 、ど う にも で
夜 中 の零時 を 過ぎ て いた。
い果 たし て処 置 が終 わ った のは、
産 み つけ る。 ウ ジがわ く 、包帯 を
き な いこと と い い、 あ れ は地 獄 で
陸 のウ ワサ に、 残 って いた兵 隊 た
で き な い﹂ と思 って いた◇ 米 軍上
子 た ち はま だ ﹁
見 苦 し い死 に方 は
昭 和 二十 年 八 月 十 五 日、大 日本
帝 国 は敗 戦 し た。 玉 音 放 送 を聞 い
て ガ ック リ し な がら も 、菅 本 フ ジ
実 を いえ ば、 桜 沢 如 一の連絡 先
が わ から な か った のに は、 理 由 が
頼 る こと にし た ので あ る。
都 に いた、 そ の道 の別 の指 導者 を
み た が、 は っき り し な いま ま 、京
も り であ った。 いろ いろ ツテを た
ど って桜 沢如 一の住所 を さ がし て
養 の勉 強 のた め に故 郷 を離 れ る つ
菅 本 フ ジ子 のは や る気 持 ち は、
し かし、 思 いがけ ぬ出 来事 でト ン
タ ラ イ回 し され 、 終戦 後 の九 月 に
捕さ れ た。 あ と は各所 の留 置場 を
た め帰 国 し た と ころを 、警 察 に逮
沢 の同 情者 が お り 、 そ の働 き かけ
で 釈放 され た が、 再決 行 の準 備 の
さ れ た。 満州 国 の高 官 の中 には桜
つか む思 いで、玄 米を キ ツネ 色 に
使 った こと はな か った。 ワラを も
何 も 食 べな い状 態 が つづ いた。
の後 十 日間 は目 を つぶ ったままで、
だ民間 医 療 の本 の記 憶 を たど って、
胸 と頭 とを 冷 や し腹 と足を温めて、
なんとかヤ マ場を越 したも のの、そ
げ て祈 る だけ だ った。 今 ま で読 ん
せ いで は﹂ と、 医者 た ち は ウ ワサ
﹁
水 を く れ ﹂ と いう 声 に、 初 め
と る と、 バラ バラ 落 ち る。
一回 の
者 も いた。
真 夏 だ け に、
ハエが傷 口に卵 を
は コップ に入 れ て渡 し て いた が、
ち と ﹁石を 投 げ て でも 抵抗 し よ う ﹂
と話 し合 った。 急 に ﹁民 主 主 義 ﹂
あ った。 反戦 を 訴 え つづ け 、当 局
座 し た。五歳 にな って いた オイ ︵
姉
■ ″ い
玄 米 ク リ ー ム が 重 病 の甥 を 救 う
だ と か ﹁デ モク ラ シー﹂ だ と か言
から弾 圧を 受 け て いた彼 は、 十 九
いり 、 七 倍量 ほ ど の水 で炊 いて、
し ぼ った。 さ ら に薄 め て眠 ったき
状 が悪 化 し た。息 を は く ば かり 、
脈 は百 三十 にも な った。 朝 かけ つ
け た医師 は ﹁今夜 が ヤ マ﹂と宙一
告し
た。 姉 は水 ゴ リ し 、 兄 は 灯 明を あ
早 く元
に大 き な ミカ ンを 置 いて、﹁
ど わ く はず も な か った が、 胸 の上
く し てや っと目 を開 け た。 食欲 な
のが玄 米 ク リー ムであ る。 今 ま で
途 方 に暮 れ て、 ふと思 いつ いた
い出 し た医者 を国 賊 だ と感 じ たり
の子 ︶が、 あ る 日、自 家中 毒 に か
か った。 い った ん は浣腸 で容 体 が
は ソ連領 事 館 ま で出 かけ た が拒 絶
や っと 釈 放 さ れ た のであ る。
も し た。
現 ・中 国 東 北 地 方 ︶
年 に満 州 国 ︵
も ど った のだ が、 そ の夜 、 再 び症
に入 った。 ソ満国 境を 越 え、 日 米
も 見 え た。 フ ジ子 の召集 が解 除 さ
れ た のはそ んな時 期 であ った。
さ れ 、 目的 は果 た せな か った。 領
め、 衛 生 兵 が ヤ ケ にな るよ う な姿
し かし、 次第 に綱 紀 がゆ る み始
り の オイ の 口に少 しず つ入れた。
そ れ が効 いた のであ ろ う 。 し ば ら
温泉 郡 川上 村 の姉 夫婦 のも と に
事 館 か ら の通報 で特 務 機関 に逮 捕
戦 争 の仲裁 あ っせんを 依 頼 し よ う
と考 え て いた のであ る。 い った ん
帰 り 着 いた フジ子 は、 す ぐ にも 食
-16-
久米村役場 で行なわれた講習会
学 の教 官 とな って いる。
を と り戻 し た。 彼 は今 、 福井 で大
そ の中 に桜 沢 の住所 があ った。 横
三 ヵ月 の遅 れ の間 に、京 都 に い
気 にな って食 べよ う ﹂ と語 り かけ
た。 生 き る意 志を ︱︱ と 考 え た の
で あ る。 二 ヵ月 間 つき っき り の看
食養 ﹄が 届 いた。
た知 人 から雑 誌 ﹃
浜 にあ った そ の場所 へ手 紙 を書 い
た。 間 も な く来 た返事 に は、﹁
すぐ
に上 京 し な さ い﹂ とあ った。
病 を 続 け て、 オイ はす っかり 元 気
如 一から の手 紙 は 届 いた が、菅 本
に伝 え る ことも でき な い。 ジリ ジ
に触 れ る機会 がな く 、 ま し て他 人
だ﹂ と いう ウ ヮ サ が入 って いた の
桜 沢 はア カ
て いた。 ど こから か、﹁
る と、 ふん囲 気 が ガ ラ リ と変 わ っ
講 習 会 に ″待 望 の 人 物 〃
﹁
す ぐ に上 京 せよ﹂ と いう 桜 沢
リす る気 分 の日 が つづ いた。
そ んな時 、 県 主 催 で 保 健 婦 の研
.は、 そ れ
途 方 に暮 れ て いた フ ジr
フ ジ子 は、 す ぐ には故 郷を た つこ
あ って、 一´
十 二年 春、 温泉 郡 久 米
修会 開 催 の計 画 があ り 、 講 師 を 探
し て いる ことを 知 った。 さ っそ く
よ り先 に桜 沢 の講 演会 が徳島 県 で
と が で き な か った。 生活 のた めも
現 在 ・松 山 市 ︶ に就 職 し た の
村 ︵
であ る。 保 健婦 を 置 く た め に、 村
﹁桜 沢 先 生 を ﹂ と申 し出 る と、 保
い つも お腹 を
そ のも のであ った。
類 に海 草 ば か り、今 で いう 自然 食
込 み で 行 わ れ 、 1週間 ほ ど か か っ
た。 食 糧難 の時 代 で、 食事 は 根菜
保 健婦 の講 習会 は お寺 に泊 ま り
た。﹁行 っても い いが、 保 健婦 だ け
で な く 、 指 導者 階 級 を 全 部 集 め て
シリ と書 き 込 ん だ手 紙 が 返 って来
講 師 依頼 の手 紙を書 く と、 一枚 の
紙 を 少 し の ムダ も な く使 い、 ビ ッ
健 課 長 も 了 解 し 、 ト ント ンと話 が
ま とま った。 人 喜 び の フ イ トが、
る と、 ま た 切れ た、 1回 = に秘書
沢 先 生 の こと で ⋮﹂ と説 明 し かけ
の保 健婦 です ﹂ と名 乗 り 終 わ った
愛 媛 県 久 米村
知事 を 呼 び出 し た。﹁
手
指 導 に部 落 を 回 っても 、 夏 は ﹁
姫 路 に いる桜 沢 を 知 る 人 にも会 い
に出 かけ た。 十 五時 間 ぶ っ続 け で
く 知 り た い こ う 保 健 課 長 の求
,
頼 って、
め に こた えよ う と、ッテル﹂
.
年 四月 二 日 から五 日 にか
二十 .
事 情 を たす ね ら れ た。 それ から は
も う 一直線 で 、﹁徳島 に負 け る な ﹂
と 準備 が 進 ん だ。
県 副知I か ら の手 紙 を見 せられ て、
桜
ら、プ ッリ と 切 れ た。 1回 日 、﹁
る と 行動 力 で は 人後 に落 ち な い。
役場 から徳島 県 け に電話 し て、 副
開 かれ た のを 思 い出 し た。 手 つな
す かし て いた。 試 験 にな って みる
はし い。 医 師 、 助産 婦 、 校 長 、 教
が出 て、 や っと話 が通 し た。
週間 後 に、 県 庁 から呼 び出 し
開 催 は目 前 。
講 師 のO Kを と り、
であ る。
が フ ジ子 を 必要 と し た事 情 も あ っ
と、全 部 答 え が見 え てく る よう で
師 、 そ の他 全 部 の人 に聞 か せ て ほ
し い﹂ とあ る。
たよ う であ る。
スラ スラ と解 け た。 三百 人中 四番
が来 た。 副知事 室 に通 さ れ 、 徳鳥
の成 績 であ った。
方 桜 沢 が どう いう 人物 か詳し
資 格 を 取 って み たも の の、 フ ジ
を 洗 いな さ い﹂ 冬 は ﹁う が いを し
な さ い﹂ と言 う だ け であ る。 せ っ
話 を聞 き、 感 激 し て勇 躍帰 って み
子 は自 信 が持 て な か った。 妊 産 婦
かく 桜 沢 を 知 り な が ら 、 そ の神 髄
-17-
け て、久 米村 役場 の講堂を会場 に
三泊四日で開 かれ た講習会 には、
四十 二人が参 加 し た。 二千 人 に案
内 状を出 し た のだ から、歩 どまり
五年 で、 や っと桜 沢 に直接 会 う こ
が ら の講 習会 を 放 棄す る者 は いな
が た い感 激 であ った。 折 から花 見
ど き。 外 で は巻 きず し の遊 山 が に
ぎ わ って いた が、玄 米食 を とり な
は良 く な か ったけ れ ど、 意 義 は深
か った。 フ ジ子 にと って は足 かけ
と が でき た こと は、何 物 にも代 え
食 事 指 導 で 減 った 乳 幼 児 の 死 亡 率
ジ子 の人 生 を ス ッカリ変 え た。 給
演会 で話 を聞 け た こと は、菅 本 フ
さ れ いな のを 見 つけ 、 看 病を 始 め
症 状 だ った。 脈 は百 二十 も あ る。
最 悪 の状 況 であ る。歯 だ け が全 部
ん だ のは、 かな り高 か った村 の乳
に育 つのに、そ のあ と が 伸 び な い。
調 べ て み る と、 六 ヵ月 ま では順 調
単 位 の話 し合 いで の集 ま りも 良 く
な り 、熱 気 も あ ふれ出 し た。
そ んな な か で、 フ ジ子 が取 り 組
身 も す っかり自 信を つけ た。集 落
村 人 は ビ ック リ し た。 フ ジ子 白
料 を 全 部 つぎ 込 み、 講 習 を う け に
た。 医者 に頼 ん でブ ド ウ糖 注射 を
や め、 食事 は玄 米 ク リー ムに決 め
た。 副 食 は 塩気 を 抜 いて煮 た ニン
幼 児 死 亡率 を下 げ る対 策 だ った。
桜 沢如 一に直接 会 え た こと、講
同 僚 たち も 、そ れを 認 め てく れ た。
ジ ンや レ ン コンにし た。
上 京 し、 本 を買 い込 ん だ。 役場 の
五 分 づ き 、 三分 づ き の弁 当 に変 え
を 繰 り 返し た。 シ ョウ ガ百 五十 グ
ラ ムを す り おろ し 、 ガー ゼ でし ぼ
って、 三丁 六 リ ット ルの熱 湯 に 振
母乳 に問 題 があると見 当 を つけ た。
量 は出 て いても 、 ツメ のう え にプ
ック リ山 にな るよ う な 、充 実 し た
毎 日三回 通 って、 シ ョウ ガ湿布
た職 員 も多 か った。 桜 沢 は当 時 雑
誌 ﹃コンパ﹄ ︵
指針︶
を 発 行し て い
た。 そ こに掲 載 され た ﹁二十 三年
の十大 ニ ュー ス﹂ に、 フ ジ子 の名
出 し、 タ オ ルを つけ てし ぼ ったも
い人 に は良 く な いが、 この場 合 に
を あ げ て いる。 そ れ ほど熱 心 な 弟
ネ フ ロー ゼで 死 にそう な 青年 を
健 康 な乳 で はな い。時 代 が時 代 だ
救 った のは、 そ の ころ であ る。 医
者 が サ ジを 投 げ 、 民 生 委員 に ﹁
見
は効 いた。 親 類 がま く らも と に集
ま って、葬式 の相 談 を し た ほど だ
った青年 は、 半年 後 には ス ッカ リ
コベ、雑 穀 類 を と る ことを 指 導 し
た。 分 娩 し て から は タ ップ リ睡 眠
のを 、腹 や背 に当 てる。 心臓 の弱
る だ け で い いから﹂ と頼 み込 ま れ
健 康 を 取 り 戻 し 、 牛 を 使 え るま で
を と る ことを す す め た。 母乳 の不
子 と な って いた。
て訪 ね る と、 目 が は れ、 頭 を 指 で
にな った。
け に栄 養 不 足 が深 刻 だ った。 妊婦
を 訪 ね 、お 米を 黒 くす る ︵
玄 米ま た
、
は そ れ に近 い米 にす る ︶
黄 粉や ハ
押 す と 一セ ンチ も めり 込 む よ う な
を た た いた ころ の桜 沢 如 一の道場 は横浜市 の日吉 にあ った。﹁メゾ ン
M I 道 場 で 厳 し い修 業
二十四年四月、菅 本 フジ子 が門
か った。 な にし ろ 、最 終 日 の翌 日
松 山 で開 かれ た講演 会 を 、全 員 が
そ のま ま聞 き に出 かけ た ほ ど で あ
つ。
2
足 分 は、玄 米 のち ち 粉を 与 え さ せ
た 。一年 間 の指 導 で、そ れ ま で 軍占 ´
よ り劣 って いた乳 児 の身 長 、 体 重
とも大 幅 に上 昇 、 県 か ら 表彰 さ れ
た ほど であ る。
す っかり安 定 し た久 米村 の保 健
婦 の職 を 、 フ ジ子 は突然 なげ う っ
た。 桜 沢 の本 を 読 み、実 践 を 繰 り
返 し て行 くう ち に、 ま す ま す 奥 深
いも の に突 き当 たり 、自 信を 失 っ
て いった。 ﹁
上 京 し て勉 強 し た い﹂
と 考 え る と、
いても 立 っても いら
れ な か った。 ﹁ぜ ひ残 って ほし い﹂
と止 め られ た のを 、 振 り 切 って の
退職 、上 京 であ った。 二十 四年 春
の こと であ る。
* *
〓”
︼
・
イグノラムス︵
い
o目︻雪o﹁日●←
,
-18-
横浜 。日吉 か ら東京・代 々木上 原 に移 ったMIの メンパ ーたち
ば れ 、 M ・I と略 称 さ れ て いた。
=何 も 知 ら な い者 の家 の意 ﹂と呼
け にはジョルジ ュ・オーサワ︵Oool
苦 し にく い自 分 の名 前 を 、外 国 向
も のな ら、 桜 沢 が走 って来 て、 お
﹁君 が め ん どう を みな さ い﹂ と言
そ う な 症 状 の乳 児 二 人を 渡 さ れ 、
れ こそ 両手 に か か え てめ ん どう を
こる。 講 義 は朝 の九時 から で、 午
前中 いっぱ いあ る。 そ の間 も 、 そ
わ れ た。夜 中 に泣 かし でも しよ う
二十 人 ほ ど の塾 生 が宿 泊 し 、
常時 一
明 ∽ o 31 と 表 現す るよ う に
, ,
な る。 略 し てG O 、欧 米 で は こ の
方 がな し みが深 い。
エリー こと菅 本 フ ジ子 に与 え ら
熱 にあ ふれ て いた。
気
フ ジー は こ こで、﹁ェリ ー ﹂ と い
I
う名 前 を 与 え ら れ た。 桜 沢 は 弟′
みな け れ ば な ら な い。
発 明 ・発 見 ﹁ 工 夫﹂
厳 し か った。﹁
が要 求 さ れ 、﹁大 でも シ ッポを 振 る
じ ゃな いか。 人間 な ら 、 自 分 の存
在を 表現 し な く ち ゃあ ⋮ ⋮。 表現
な き は死 な り だ よ﹂ と、 桜沢 は 口
癖 のよ う L 言 い つづ け た。
午 後 は新 聞 売 り が待 って いた。
世 界 政府 運 動 にか かわ って いた桜
沢 は、 ﹃世 界 政 府 ﹄と いう 旬 刊新 聞
を 発 行 し て いた。 そ れ を売 ら せる
れ た最 初 の仕事 は、 桜 沢 が め ん ど
う み て いた病 人十 人を 回 って、 容
く り 、書 類 つく り と いった 日常 の
一日 に五 百 部 も売 っ
段 だ った が、
たち に新 し い名前 を つけ 、 そ れを
﹁P ・U ネ ー ム﹂ と呼 ん だ 。 桜 沢
西 も東 も わ から な い東 京 で、電 車
仕事 の当 番 も 、 重要 な 勉 強 で あ っ
た。 当 番 にな って いた が、 ひと つ
使所 そ う じ や ふろ たき、 ご飯 つ
を 乗 り つぎ 、 一軒 一軒 回 る。 そ の
た者 が いた。
体を聞 き、報 告 す る ことであ った。
う え、報 告 す べき事 柄 は、 途中 の
卒 業 ﹂と な ら ね ば 、
や り とげ て、 ﹁
自身 も この ころ か ら、外 国 人 に発
駅 の様 子 、出 会 った 人、 電 車 は何
叱 責 の手 紙を も ら って寝 込 ん だ者
ぞ う き ん は体 を ふ いても よ いよ う
、
に白 く洗 いあ げ る と いった具合 に
も いた ほど であ る。
から れ た ら顔 も あ げられな いほど。
桜 沢 の指導 法 は厳 し か ったρ し
のであ る。
一部 十 円 と いう高 い値
分 か か った かな ど、 あ り とあ ら ゆ
確
る こと に及 んだ。 桜 沢 の言 う ﹁
次 へ進 め な か った。 そ の卒 業 の基
準 は、 例 え ば 使所 そう し で は、 ピ
カ ピ カ に輝 くよ う にみがきあげ、
定 性 ﹂ の世 界 に到達 を 目 ざ す 修業
の ひと つで あ った。
おま け に、 き ょう あ す にも 死 に
無 双 原 理 と 正 食 の研 修 を 終 え る
たも ので、 ブ ッダも キ リ ストも そ
発 見 し た ので は な く 、 昔 か らあ っ
病 気 と いう 病 気 は、 正 し く な い食
べ物 を と った た め に起 こる。 逆 に
れ は、 そ の人 の罪 であ る と 言う 。
入 れ﹂ と言 う。 人 はす べ て健 康 な
のであ って、 健 康 で な か ったら そ
桜 沢 は ﹁病 人 はす べ て刑務所 に
う と し た ん です ね ﹂
哲 学 =無 双 原 理 と は何 だ った のだ
ろ う か。 横浜 で の講 習 を 振 り 返り
れ に従 った だけ ﹄ とも です 。 この
一
言えば 、 ど んな 病 気 も 、 正 し き 食
間 は愛 で あ り、 正義 であ り 、 健 康
な が ら 、 フ ジ子 は語 った。
東 洋 哲学 を いか に西 洋 人 にわ か ら
戻れ ば たち ま ち救 われ る。
事 に一
桜 沢 如 一が、菅 本 フ ジ子 たち 弟
﹁
先 生 は﹃
字 宙 に は 秩序 があ る。
せる か に打ち 込 み、 そ れ によ って
子 に説 き 、 世 界 に広 げ よ う とし た
そ れ は、 伏 義 が始 め た東 洋 古来 の
世 界平 和 を 一日も 早 く 実 現 さ せよ
で あ り得 る﹂ と言 って おら れ ま し
た ね。 そ し て、﹁この法 則 は自 分 が
哲 学 であ る陰 陽 ︱易 であ る。 そ の
ことを わ き ま え て さ え いれ ば 、 人
-19-
費 用 の自 然 療法 であ る 正 食 によ っ
て、身 体 の健康 を 確 立す る、 ② 伝
食 養 の目的 は、①無 薬 、
無 痛、
無
とも かく、 命を 養 う 食 と し て は邪
物 を 食 べる のは、 楽 し み と し て は
って、 ア フリ カな ど 遠 隔 地 で の作
、 植物 性
た と えば 動物 性 は陽 ︵△︶
伏 義 が説 いた易 =陰 陽 道 であ る。
こう し た 原 理を 裏 付 け た のが、
し よ う と し た フ ジ子 を 、 師 は ﹁ど
し た。 三 ヵ月 の期 限 が来 て 、 帰 郷
あ お ぐ こと で 、 彼 女 は大 き く 成 長
であ る と い い、 日本 国 内 で基 本 食
を 考 え た。① 主 食は玄 米、 ア ワ、
ヒ エ、 キ ビな ど、② 副 食 には ゴ ボ
に転じ るも ので、 不断 に大 極 ︵
実
る。 た だ 、 この陰 陽 は極 ま れ ば 逆
と いう よ う に、 万物 には陰 陽 があ
、熱 は陽 、 寒 は陰 であ る
は陰 ︵▽︶
た。
う し て も 帰 る の か。 残 念 だ 。 期 待
し て いた の に ⋮ ⋮ ﹂ と 、 残 念 が っ
統 精 神 の健 康 を 確 立す る 、③ 正食
ウ、
ニンジ ン、
レ ン コン、 ヽ
不ギ な
有 ︶ に帰 入 し 、 消 滅す る。
出 す 大 自然 によ って生 かさ れ るも
の長 き実 行を 通 し て、 食物 を 生 み
のは みな 同 胞 であ り 、 世 界 は 一家
ど で、 主 食 の四分 の 一以下 、③ 塩
の帰 郷 は フ ジ子 にと って、 本 格的
経 済的 理 由 があ った に せよ 、 こ
であ る ことを 直感 し 、 体得 す る こ
ず 、﹁どう いう こと か﹂ 知 り た が っ
た。 ち ょう ど 松山 の大 林 寺 で開 か
厚 生 課 の主 任 はす ぐ には理解 でき
養 を と り入 れ た いと いう 申 し出 を
て ほし い﹂ と、希 望 を 述 べた。 食
受 け て帰 ったば かり の彼 女 は、 面
接 で 、﹁私 の考 え て いるよ う にさ せ
であ った。 M ・I道場 で の研修 を
友 金 属 鉱 山 から の保 健婦 就 職 の話
て持 ち 込ま れ た のは、新 居 浜 の住
た菅 本 フ ジ子 のも と に、 県 を 通 じ
郷 里 ・温泉 郡 川上 村 に帰 って来
津 に十 二 人、 平 形 に七 人 の主婦 の
い つも 満 員 のあ り さま だ っ
いて、
た。 衛 生思 想 の向上 を 考 え て、 沢
友 病 院 行 き の バ スが毎 朝 二台出 て
約 五 百 世帯 が集 ま って いた が、 住
平 形 地 区 の健 康管 理 だ った。 当 時
菅 本 が最 初 に手 を つけ た のは、
住 友 の社 宅 が密集 し て いた沢 津 、
と言 った。
任 は即 座 に、﹁あ な た の思 う 通 り や
ってく だ さ い。 ま か せま す から﹂
を救 わ れ た、 あ の青年 だ った。 主
で生 死 の境を さ迷 って いた と ころ
し かし 、
一方 で は腹 を 立 てる 人
も いた。 主 任 が ﹁住友 病 院 の院 k
な り 、会 社 から は 喜ば れ た。
き にな った。 当 然 、 保 険 は黒字 に
果が あ が った。通 院 バ スが ガ ラあ
切 った ことも あ って、見 る間 に成
い内 容 だ が、 衛 生 委員 た ち が張 り
え れ ば 、 そ れ ほ ど 珍 し く も思 え な
ま り と ら な い︱ ︱ な ど 、 今 から 考
糖 は絶 対 に とら な い、 肉 や卵 はあ
た食 品 は や め る、 本物 の ミ ツ、 シ
ョウ ユを 使 う 、 油 はゴ マ油 、 白 砂
し た。
そ れ 以来 、 表 立 った 反発 は姿 を 消
来 て、 見 てく れ﹂と大 見 え 切 った。
た のであ る。 指 導 内 容 の説 明を し
疑 間 があ る のな ら 直 接 現場 へ
て、﹁
が所 長 の耳 に入 って、 呼 び出 さ れ
の に︱︱ ﹂ と いう 、 あ る 主 婦 の声
さ ん の言 う よ う にし と ったら 治 る
で はち っとも 良 く な ら ん。 保 健婦
た。﹁保 健所 の言 う通 り し と った の
* *
な実 践 への門出 であ った。
れ た桜 沢 を 招 いて の講 習会 に、出
。
衛生
人 に、
委
を
置
そ
員
い
の
二
十
た
三 カ月間 衛 生教 育 ′
し、地
た崚f ﹂
フ ジ子 が評 す る桜 沢 に直接 教 えを
﹁哲 学者 で 科学者 で医 学者 で詩
人、 ひ っく る め て大 教 育者 ﹂ と、
と︱ ︱ であ る と主 張 す る。
は 天然 醸 造 、④ 加 工品 は な る べく
食 べな い︱ ︱ な ど であ る。
と油 と で味 つけ 、 ミ ソ、 シ ョウ ユ
そ の土地 で と れ たも のを 食 べる
こと が 正し い ︵
身 土不 二 ︶ のであ
席 し てく れ た。 そ こで、菅 本 の指
が﹁
今 度 の保 健婦 は何 を し と るっ一
回呼 ん で来 い﹄ と言 いよ る け ど 、
心 配 せん で え えり け ん か に は 私 が
行 く から﹂ と教 え てく れ た こと が
新 居 浜 で正 食 の普 及 を は か る
導 が どれ ほど効 果 があ った かを 証
域 の指 導者 と し た。 添 加 物 の入 っ
中 を感 激 さ せ たな ど と いう 話 も 起
幕 れ の モチ代 を 用意 し て、亭 主 連
主 婦 たち が 一日 二十円貯金を始 め、
肉 や魚 を 食 べな いから食費 が浮 く。
病 気 が 減 って医者代 が いらな い。
あ る。 保健所 長 からも 文 旬 が つ い
言 し てく れ た のが、 か って久 米村
-20-
住友金属鉱 山にいたころ
左が菅本 フジ子
ジ子 が勧 め た ヨモギ 茶 の材料を 勤
き た。 男 性 側も 協力 的 にな り 、 フ
め の帰 り に採集 し、自転車 の先 に
ヽ
つけ て走 る姿も珍しくな か った。
フ ジ子 の活 躍 を 支 え た人 たち の
出 合 った河内 は、 お かげ で救 わ れ
一時
た。 順 調 に健 康 を とり 戻 し 、
入 った 曹洞 宗 の寺院 で、玄 米食 に
完 治 さ せ ても ら った経 験 を持 つ玉
ヨウ が出 来 た のを 、 芋 パ スタ ー で
近 く に、 直 径十 セ ンチ 余 りも あ る
九 州 に いた 河 内 医 師 に 支 え ら れ る
中 で、特 に重要 な 働 きを し た のは、
当 時 、 九州 別 府 で診 療所 を開 いて
は僧 侶 にな ろう と決 心 し た が、 老
指 示を出 し てく れ る 河内 に は、特
少 な か った。 わ ざ わ ざ 九 州 か ら や
って来 て、 患者 を 診 察 し 、 適 切 な
医 師 は、
何 よ り頼 る べき 存 在 だ が、
食養 に理解 を 示 し てく れ る 人 は、
う から 、 必ず しも 愉 快 な思 いば か
査 に出 かけ た こと さ えあ った と い
新 居 浜 の警 察 署 員 が、 別 府 ま で調
都 合 八 回も 新 居 浜 を 訪 れ て いる。
フ ジ子 の在 職 五 年間 に、 河内 は
度 の道 へ踏 み出 し た のであ る。
った こと はあ り ま せん﹂
う 二 十年 も 、 夫婦 とも 医者 に か か
魚 を と る ことも あ り ま す け ど 、 も
心 に ⋮ ⋮。 夫 は つけ合 わ せ程度 に
は野菜 一点 張 り です 。 根菜 類 を中
にし て います け れ ど 、ず っと 副 食
置 ミ ノ ル→じ =新 居 浜 市 八 雲 町 =
居 浜 には今 も 、玄 米 ・菜 食 を つづ
け て いる 人 は多 い。 頸動 脈 のす ぐ
いた医 師 、 河内 省 一貧し であ る。
師 の勧 め で、 医 師 への道 を 選 んだ。
別大 き な存 在感 があ った。
り で は な か った はず だ が、 使 命 感
わ か れ て いた。 フ ジ子 の担当 は浜
だ った が、 そ の成 功 が目 ざ ま し か
家 な ど の治 療を 受 け たけ れ ど、 全
く 回 復 し な か った。 な にし ろ 入院
父 の縁 で洋 行帰 り や内 科学 界 の大
で百 回 ぐ ら いは ⋮ ⋮﹂と いう のが、
理講 習会 に つ いや さ れ た。﹁五 年間
き わ め た。 土曜 、 日曜 は 食 養 の料
さ て、 フ ジ子 の毎 日 は、多 忙 を
* *
今 も 毎 朝 ジ ョギ ング を つづ け る 元
気 さ であ る。
った せ いで、 山 と島 と にも 保健 婦
を 置 こう と いう こと にな った。 島
一日 に卵 の黄 身 六 個分 を 食
中 は、
彼 女 の記 憶 であ る。 そう し た積 み
重 ね が実 って の こと で あ ろ う 、新
と笑 う 。 そ の大、 福 雄 →し は、
﹁
歯 が悪 く な って から 、 三分 づ き
河内 はも とも と大 分 県 の医 師 の
があ った のであ ろ う。
医 療 行為 の許 さ れ て いな い保 健婦
にと って、 処 方 を 指 示 し てく れ る
も そ の 一人 で、
家 に生 ま れ た が、中 学時 代 に病 気
/菅 本 フ ジ子 が活 躍 し た ころ 、 住
法 衣 の代 わ り に背 広を 着 、 数 珠 の
代 わ り に聴 診 器 を 持 って、 衆 生 済
に は、 フ ジ子 の推薦 で、 同 じ よ う
に か かり 、生 死 の境を さ ま よ った。
、
島︵
友 の社 宅 街 は、 山 ︵
端出 場 ︶
四
に食 養 を実 践 す る女 性 が赴 任 し ヘ
、浜 ︵
平 形 、 沢 津 ︶ の三 ヵ所 に
阪︶
戦 争 で婚 約者 を な く し たと いう 悲
べさ せら れ るよ う な 食事 を 強 いら
し い経 歴 を 持 った 人 で、 島 に骨 を
埋 め る意 気 込 み であ った。 日 から
鼻 に抜 け る利 発 さ と、 明 る い人 柄
で、 住 民 から は姉 や妹 のよ う に親
れ て いた のであ る。 死 ぬ つも り で
浜 で 活 躍 中 の菅 本 フ ジ子 のも と
に、 ひん ぴ ん と 届 き始 め た のは、
し ま れ た が、岩 場 から転 落 死す る
と いう 、 いたま し い最 期 を とげ 亀
と いう 趣旨 の速達 や 電報 が、新 居
再 び 上 京 、 ″五 色 の 毒 〃を 訴 え る
﹁
上 京 し て本部 へ入 って ほし い﹂
-21-
世界無銭武者旅行 に出発する船 の上 で。
後列中央 が桜 沢如一 、花束 を持 つのが里真夫人。
そ の年 の■ 一月 であ った。 桜 沢 夫妻
は十 月 二十 八 日、す で に旅 立 って
いた。﹁あ と 二十 日も し た ら ボー ナ
ど う し ても ﹂ と、 強 引 な誘 いに、
フ ジ子 が新 居 浜 を 引き払 った のは、
販売 に ⋮ ⋮。 変 わ った こと と いえ
ば 、﹁
五 色 の毒﹂ 運 動 が加 わ った こ
な い。 講 義 に新聞 ﹁世界 政 府 ﹂ の
を 受 け た ころ と あ ま り変 わ って い
当 日 の日課 は、 五年 半前 に研 修
の中 で、﹁食品 添 加物 は や めま し ょ
と し て、 正月 や祭 り 、 駅 頭 の雑 踏
に は驚 く べき であ ろ う 。 M I道 場
の メ ンパー は、 ﹁正食 ﹂運 動 の 一環
代 であ った。﹁五色 の毒﹂ の先 見 性
よ く 、 舌 に快 け れ ば 良 し とす る時
う ﹂ と叫 ん だ。 メ ガ ホ ン片 手 に声
と であ ろう 。
を か ら し ても 、道 行 く 人 の目 は﹁
何
スがも ら え る時 でし た。 ち ょ っと
桜沢 の弟子 であ り 、東 海 区 水 産
う 難関 が待 って いた。 桜 沢 は弟 子
現、
研究所 員 であ った 天野 慶 之 ︵
東
五色
に真 生活 協会 から出 版 し た ﹃
の毒 ︱主婦 の食品 手帖 ﹄ は、 食品
添 加物 の害 毒を 告 発す る書 物 とし
展開 し て いた。 現 在 ア メリ カで活
残 念 で し たけ ど﹂ と、 周囲 も 、 自
て は、 わ が国 でも最 初 のも のであ
った。 平 塚ら いてう が序 を書 いた
を し て おる ことや ら﹂ と 、 冷 や や
か であ った。
四時 間 の睡 眠 で、 二十 人 ほど いた
同 書 で は、 サ ッカリ ン、 ズ ルチ ン
な ど調 味 料 に始 ま って、 オー ラ ミ
十 八 年 十 二月
京 水 産 大 学 長 ︶が、一一
患者 に湿布 を し たり 、配膳 し たり 、
休 む暇 と てな か った。 カ ルキ が入
ンや ロー ダ ミ ンな ど着色 料 、 着 香
料 、な ど の危 険 性 が、や さ し い調 子
分 自身 さ え 驚く 、 あ わ た だし い上
一
示であ った。
って いる水 道 を 使 わ な いた め 、毎
あ る。
あ り、 そ の準備 が 必要 だ った ので
回 って、 お披露 目 も済 ま せ た。 そ
こで、思 いがけ な い障 害 が現れた。
ビザ が おり な いのであ る。
方法 を と 模 索す るう ち に、 イ ンド
困 り 果 て た。 な ん と か外 国 に出 る
餞 別 はも ら ってし ま って いる。
* *
も 、 ア メリ カ で の ﹁伝道 ﹂ の話 が
で解 説 さ れ て いる。最 近 問 題 にな
って いる小 麦 粉改 良 剤 、 臭 素酸 カ
航 が 困難 だ った当 時 とし ては異 例
に、 次 々と優 秀な若 者 たち を 世 界
へ送 り出 し て いた。 菅 本 フ ジ子 に
躍中 の久 司 ミチ オを 第 一回 に、渡
た ちを 世 界 に派 遣 し て ﹁伝道 ﹂ を
一方 、 フ ジ子 は語 学 の勉 強 と い
二十 八年 の秋 で あ った。 師 ・桜 沢
朝 井 戸 で水 を く み、 坂道 を かけ上
桜 沢 の厳 し い監 視 が な いと は い
ヽ
え、本部 は相 変 わ らず 厳 し か った。
如 一夫妻 が、 自 ら の哲 学 を 世 に問
う た め世 界 旅 行 にた つこと にな っ
が って、 道場 へ連 ば ねば な ら な い
リ ウ ムは、 この書 で既 に取 り上 げ
一週間
到 着早 々に胃 腸 を こわ し 、
の断 食 に入 った が、 そ の間 も 一日
た た め、東 京 ・代 々木西 原 に移 っ
と いった だけ で、 仕事 のき つさ の
一端 が想 像 で き る だ ろ う 。 保 健 婦
ら れ て いる。
て いた本部 ︵
M I道場 あ る いは真
時 代 の十 分 の 一程度 の給 料 にな っ
た時 代 であ る。 世間 は、 見 た目 が
ま だ 食 糧難 の後 遺 症 が残 って い
生 活 協会 ︶ の陣 容 を 強 化す る 必要
があ った。 桜 沢 の留 守 を あず か る
あ る。
てな お、 そう し た生活 を 送 る ので
のは 別府 から上 京 を要 請 さ れ た河
内 省 一であ る。﹁
女 性 が いな いから、
一か ら の手 紙 で、 そ う 指 令 さ れ て
いた。 ほ と ん ど の準備 も 整 い、 日
イ ンド ヘ 生 け 花 を 教 え て 自 活
は 、 ア メ リ カ に な る はず であ った。
本各 地 に いる指 導 者 たち のも とを
菅 本 フ ジ子 の最 初 の ﹁伝 道 ﹂ 地
文 字 通 り 毎 日 届 く 、 旅 先 の桜 沢 如
-22-
イン ドヘ同行 した竹原幸子 と(右 が フジ子 )
生 き て いく た め の勉 強 を し て お か
な いと、
一ヵ月 で こじ き にな る だ
け だ﹂ と いう村 田 から の手 紙 で、
猛烈 な 勉 強 を し た。 日本 人形 づ く
ンと寄 港 し た。途中 二度 の台 風 で
足 止 め さ れ た ことも あ って、 二十
二 ヵ月 後 には、 男 性 二 人 は 日減 ら
しも 兼 ね て奥 地 に入 り 、 女 性 二 人
結 果 とし て はな ん の役 にも 立 たな
カ ルカ ッタ の港 に着 いて驚 いヘ
を 披 露 し て、 一躍 人気者 にな るな
ど 、 楽 し い エピ ツー ド も あ った。
見 せ てく れ﹂ と頼 ま れ 、 猛特 訓 の
末 、乗 客 二百 人 の前 で ﹁
炭 鉱節 ﹂
程度 で済 ま せ、
一日三十 五 円 ほど
ら、質 素 な の には慣 れ て いる。 真
っ黒 の粉 で作 ったチ ャパテ ィ ニ 枚
久 米村時 代 に免 状 を 得 て いた の
が カ ルカ ッタ に残 る こと と し た。
か った が、 ヒ ンズ ー語 の学 習 。
現 地 で は、 職 員 が 三十 人 ほど い
手 伝う はず の病 院 な ど 、 影 も 形 も
四 日 か か った。 日本 び いき のイ ン
ド 人 の パー サー に ﹁日本 の踊 りを
る 病 院 があ って、 そ こで手 伝 う は
の第 一歩 を記 し た 土地 であ る。 弟
イ ンド は師 、 桜 沢 如 一が 世 界 旅 行
へな ら出 ら れ そう だ と わ か った。
あ った。 女 性 二 人 は 二等 、 男 性 二
教 師 を や め た高 浪 市 太郎 の二 人 で
幸 子 、 薬 大 出 の吉見 馨 、 農 学 校 の
出 港 し た のは、 三十 二 年 九 月 四 日
で あ った。 連 れ は村 田 の妹 の竹 原
雨露 を し のぐ場 所 は得 たけ れ ど
一室 であ った。
と、 あ き れ顔 であ った。 そ の住 ま
いは、 ボー スと いう金 持 ち の家 の
げ て来 る 吉見 、高 浪 の男 性 陣 を ま
土曜 の夜 ごと に、奥 地 から 引 き 揚
太郎 と 一緒 に、 カ ルカ ッタ から バ
スで 一時 間 余 り入 った奥 地 で、 正
の手 術 を 受 け た ので は、大 義 名 分
の指 導 に来 た のに、西 洋 現代 医 学
け れ ども 、 わ ざ わ ざ 日本 から 食養
診 断 し た。 手 術 が必要 だ と いう 。
ボー スの家 へ連 れ て帰 った途 端 に
悪 く な る ば かり だ と、無 理を し て、
噴 き出 し て来 る。 これ で は病 気 が
も 通 ら な い。 戸を あ け る と熱 気 が
* *
百 円 は かけ て いた時 代 であ った。
子 であ る村 田鶴 彦 ら男 性 二 人も 派
であ げ た。 こじ き で さ え七 十 円 。
と 玄 米 菜 食 で通 し て来 た の だ か
形 を作 って売 った。 食事 はも とも
を 生 かし て生 け花 を 教 え、 日本 人
ず であ った。 家 も ち ゃん と用意 さ
イ ンド で暮 らす 日本 人 たち な ら 四
り 、 生 け花 、 料 理 ⋮ ⋮。 そ れ に、
れ て いる︱ ︱ そう 信 し て、神 戸を
な い。 村 田 は ﹁と ん でも な い。 や
っと住 む場 所 が決 ま ったと ころだ﹂
遣 さ れ て いた。﹁イ ンド を 経 由 し て
じ え てす る 食事 だ け が、曲 が り な
り にも 、 人間 ら し いも のとな った。
前 だ か ら、たち ま ち 行 き 詰 ま った。
も東 も わ か らな い。 生活 は全 部 自
あ と は何 も 用意 さ れ て いな い。 西
人 はデ ッキ の上 の四等 と いう 貧 乏
旅 とな った。
香 港 、 シ ンガポ ー ル、 ラ ング ー
ア メリ カ ヘ行 こヽ
つ﹂ と 考 え た。
﹁
簡 単 な気 持 ち で来 た ので は困 奄
﹁君 たち は イ ンド で な にを し て い
る。 な ん の成 果も あ が ら な いじ ゃ
食 運 動 ﹁伝 道﹂ の手 が かり を つか
同 志 発 病 、七 ヵ 月 か け 盲 腸 治 療
な いか﹂ と、 桜 沢 如 一の叱咤 の手
も う と、 日本的 な ア シ ュラ ム ︵
道
病 状 が進 んだ。 血 ウ ミ のよう な 便
紙 が相 つ いだ。 どう し から れ て み
が通 ら な い。 な ん と か せね ば︱ ︱
ひ たす ら玄 米 ク リー ムを 食 べさ
が出 、 足 が 立 たな い。 熱 は高 く、
脈 も 早 い。
う な草 で ふ いた粗末 な小 屋 で、 風
と、 フ ジ子 は苦 し ん だ。
吉見 たち の住 ま いは、 カ ヤ のよ
ても 、菅 本 フ ジ子 たち は手 が かり
ら し いも のさ え つかめなか った。
イ ンド 人 の医 師 たち は盲 腸 だ と
であ る。
場 ︶を つく る た め躍 起 になるうち、
過 労 も あ った のだ ろ う 、 倒 れ た の
そ こ へ降 ってわ いた のが、同 志
吉見 馨 の発 病 であ った。 高 浪 市
-23-
イ ン ドを訪れた桜 沢里真 (後 列 中央 )を か こんで。(左 が フジ子 )
玄 米 は紫 色 が か って お り、 石 が 混
り の玄 米を 手 に入 れ た。 イ ンド の
せ た。 カ ルカ ッタ中 さ がし て 一握
六 人 の通 訳 が出 来 るま で に健 康 を
二 ヵ月 か か って快 方 に向 か った
が、 正常 な状 態 に戻 る の には、 七
が出 て効 果 があ ると いう のである。
ヵ月 も か か った。︵
そ の後 。日本 人
じ って いる。 時 間 を かけ て 石を と
り 去り 、 煮 た。 のち には比 較的 簡
しれ な い﹂ と いう。
迷 った末 に、 イ ンド を 脱出 し 、
桜沢 が いた フラ ンスに向 かう こと
、
に決 め た。 竹 原幸 子 にも らせば
兄 の村 田鶴 彦 に伝 わ る に違 いな い
から と、 男 二 人 と フ ジ子 の二 人 だ
け で決 行す る こと にし た。
見 と 二 人 で夜 汽 車 に乗 り 、出 港 地
の マド ラ スに向 か った。 この汽 車
取 りも ど し 、 現 在、 ベ ルギ ー に住
み、主 と し てフラ ンス語 圏 で 正 食
運 動 に活 躍 し て いる ︶
そ れ や これ や で、 フ ジ た ち の
,
﹁伝道 ﹂ はそ れ ほど効 果 があ が ら
の中 で、睡 眠 不 足 が た た った のだ
単 に玄 米 が入 手 で き るよ う にな っ
た が、 お かげ で、 フ ジ子 の食事 は
一割
同 量 の小 麦 粉を ま ぜ たう え、
な か った。 重 症 の病 人 たち と接 す
ろ う 、 ほ ん のち ょ っと居 眠 り し た
患 部 には 理 イ モを す り おろ し 、
ら、船 長 に パ スポ ー トを とり あ げ
符 は買 ってあ った が、 一瞬 にし て
フラ ンス ヘ向 かう 運 賃 が吹 っ飛 ん
だ。
一週間 、不 眠 不 休 で用意 を 整 え
て、 や っと出 発 に こぎ つけ た。 吉
の シ ョウ ガを 加 え たイ モ ・パ スタ
﹁君 たち はな にも し て いな い。 ベ
る 機会 は少 な か った。
いちば ん大 切な荷 物 を 盗 ま
間 に、
れ てし ま った。 ボ ンベイま で の切
い つも 絞 リ カ スば かり で あ った。
ー を は った。梅 千 し茶 も 併 用 しヘ
﹁お てあ て﹂ も 使 った。 患 部 に て
ルギ ー ヘ来 な さ い﹂ と、 桜 沢 から
と回外 追 放 で強 制 送還 にな る かも
期 限 の問 題 が起 き た。﹁こ のま ま だ
ば破 門 だ﹂ と いう。
一方 、 ビザ の
厳 し い手 紙 が 届 いた。﹁十 日以 内 に
イ ンド を 脱出 せよ。 そ う し な け れ
の ひらを当 てる 治 療法 で あ る、﹁て
の ひら 治 療﹂ あ る いは 古 く か ら 伝
わる ﹁
手 末 ︵たなす え ︶ の道 ﹂で 、
一部 で は広 く効 用 が あ る と 信 じ ら
れ て いる。 患 部 に当 て た て の ひら
から、 あ る 種 の波 動 ︵オー ラ ー ︶
と訴 え る と、 いたく同 情 し て、 マ
ヽきな い揺 れ よ う であ る。
る ことも ´
食事 も ノド を 通 らず 、 十 一日間 の
イ ン ド 脱 出 、ベ ル ギ ー で 自 然 食 作 り
マドラ スで高 浪 市 太郎 が合 流 し、
ルセー ユま で の船 賃 の半分 ほど の
られ 、 寄 港 地 で上 陸 さ せ てく れ な
いま ま、 ス エズ 運 河 を 通 って、 フ
菅 本 フ ジ子 、 吉見 馨 の二 人 が そ ろ
ラ ン スの マルセー ユ ヘ向 か った。
航 海中 、 ほ と ん ど お茶 で 過 ごし札
P Uネ ー ム で呼 ば れ て いた 吉 見 が
船 賃 を 半分 し か払 って いな いか
引 き受 け てく れ た 。
余 った食事 は、 ク リ マック と いう
金 額 を 貸 し てく れ た。
フ ジ子 だ け は 食事 が つく 三等 に、
男 性 二 人 は 、 食事 な し の四等 に分
か れ て乗船 し た が、 とも かく イ ン
ド 脱 出 の目的 だ け は果 た し た。 イ
ンド洋 は荒 れ に荒 れ て、 立ち上 が
マルセー ユ到 着 は 三十 四年 十 一
、
月 二十 一日。 ア ラ レが舞 う 寒 さで
イ ンド から夏 支度 で着 いた 一行 は
ふる え上 が った。
った が、 お金 の問 題 は いかん とも
な ら な い。 ボ ンベイ で 立ち 往 生 と
な った。 困 り 果 て て いた時 に出 会
った のが、師 ・桜 沢 如 一に教 えを
受 け た こと があ る イ ンド 人 であ っ
た。﹁イ ンド 人 にお 金 を 盗 ま れ た﹂
-24-
ベ ルギ ー第 二 の港 町 であ る。 自 然
本 から 文献 を 取 りよ せ猛 勉 強 を つ
ト家 で 食事 づ く り を 引 き 受 け た。
ガ ンの店 にも 手 伝 いに出 た。 そ の
デ ンベ ルゲ ンに桜 沢 が開 いた サ ナ
ラ ント に 移 った。 現地 の富 豪 の女
で あ る。
ニンジ ン、 シ ョウ ガを 使 った桜 沢
式 の鉄火 ミ ソ、 昼 は カ ボチ ャや ニ
ンジ ンのポ ター ジ ュ、 ク ズを 使 っ
* *
︵フ ジ子 のP U ネ ー ム︶式 の英 語
一本 や り で は や は り 不 便 だ った の
使 う こと は少 な か った が、
エリー
暇 々 に、 ピ エー ルの姉 、
マリ ー に
フラ ンス語 を 習 った り し た。 ガ ン
菅 本 フ ジ子 は そ の間 、 ゲ バ エル
電報 で救 いを 求 め てあ った ので
あ った。 朝 五時 に働き出 す と いう
的 基 盤 を 築 いて いる。
った。 高 浪 はプ リ ュッセ ルで豆 腐
店 を 経 営 、 これ ま た安 定 し た経 済
ョー ロッパ全 域 に正食 品 を 供給 す
る リ マエ場 の社 長 をす る ま で にな
づ け 、 そ れを 教 え る と いう 具合 で
桜 沢 の使者 が お金 を 持 って待 ち 受
食 品 の店 を開 いて いた ピ エー ル ・
ゲ バ エルト さ ん が、 ミ ソを はじ め
け て いてく れ た。 や っと解 放 され、
汽 車 で パリ ヘ。 郊外 の マンシ ョン
は フラ マン語 圏 で、 フラ ン ス語 を
と い っても 、 教 員時 代 には ミ ツを
つく った こと が な か った から 、 日
の農 学 校 の教 師 を し て いた経 歴を
買 わ れ て、
醸 造 全 般 の指 導 を す る。
主 役 は高 浪 市 太郎 であ る。 九 州
いヽ
つ。
とす る自然 食品 工場 を 建 設す る計
画 があ って、 そ の手 助 け を せよ と
重 労 働 が つづ いた。
一年 で基 礎 が
出 来 、 繁 栄 への道 を開 いた。 お か
′
げ で、ピ ユー ル・ゲ バ エルト は今 、
にあ った桜 沢 の根拠 地 へ到 着 し た
と き は、 ホ ッと 一息 つ いた。
た った十 日間 、 桜 沢 じ き じ き の
フラ ンス語 講 習 を 受 け た だけ で、
派 遣 さ れ た先 は ベ ルギー のガ ンだ
った。 首都 プ リ ュッセ ルの北 東 約
四 十 キ ロ東 フラ ンド ル州 の州 都 で、
各 国 の 入 院 者 で に ぎ わ う サ ナ ラ ント
った。 欧 米 人 が、 日本 人 な ら だれ
でも 禅 に通 じ て いる と 考 え るよ う
に、 日本 人 は イ ンド で は ヨー ガ が
性 が提 供 し た のであ る。
一分 も 歩
た野菜 の煮物 、 サ ラ ダ 、夜 は、 め
ん類 、 グ ラ タ ンーー な ど で あ る。
こ のな か で、 鉄 火 ミ ソは 血 圧 の調
整 や船 酔 い防 止 、 心臓 強 化 に効 果
があ る と、 フ ジ子 ら が推薦 し て い
こ の間 に、 病 人を か か え る家 へ
るも のであ る。
フ ジ子 は ベ ルギ ー 人 の助 手 一人
を 使 い、 入 院 四十 人、 昼 食客 三十
者 が相 つ いだ。
イ スな ど ヨー ロッパ全 土 か ら入 院
翌 年 に は さ ら に、
海 岸 の保 養 地 、
レ スト ラ ン︶を開 く計 画を 立 て、
日常 茶 飯 の こと と し て行 わ れ て い
ピ ユー ル・ゲ バ エルト の姉 、マリ
ー が サナ ラ ント ︵サ ナ ト リ ウ ム ・
菅 本 フ ジ子 に手 伝 う よ う に依頼 し
る と 考 え が ち だ が、 実 際 は そう で
も な い。
けば海 岸 に出 る風 光 明媚 な場 所 で、
ド イ ツ、
フラ ン ス、 イ タ リ ア、
ス
た のは、 フ ジ子 ら が ベ ルギ ー に入
って、一年 ほど し て から であ った。
初 め て接 し た と いえば 、 ホ メ オ
パテ イーも そう で あ つた。 桜 沢 の
携 関 係 にあ った医 師 、 メガ ンク が
用 いて いた治 療法 であ る。 東 洋 で
弟 子 で、
マリ ー のサ ナ ラ ント と提
食養 レ スト ラ ンと 、 シ ョウ ガ 湿布
や 日 本式 マッサー ジ、 ヨー ガな ど
の治 療を 行う 入 院 施 設 であ る。 ゲ
バ エルト家 で の 一年 間 に披 露 し た
ー式 の正食 であ る。
一例を あ げ れ
え、 シ ョウ ガ湿布 す る こと で、 三
日間 で回 復 さ せ た ことも あ る。 こ
マチ で腕 があ が ら な か った女 性 な
玄 米 食 ● ■えに水 分 の摂 り方を 控
次 々と派 遣 さ れ て、 食事 一本 で患
者 を な おし て 行 った。 急 性 リ ュー
の漢 方 と同 じ よ う に、
ョー ロッパ
に長 く 伝 わ って、進歩 を とげ た。
ば、 朝 は ラ イ麦 や玄 米 の黒 パ ン、
人 ほど の食事 を作 り つづ け た。﹁
身
土不 二﹂ の原則 に従 って、 ベ ルギ
数 々の草 根 ・木 皮 から作 り出 し た
麦 や玄 米、 ア ワ、 キ ビ のオー ト ミ
ー ル、 ゴ マ塩、 ゴ ボ ウ、レ ン コン、
本 格的 な 食養 の腕 前 を 見 込 ま れ て
の こと であ った。 フジ子 は 一も 二
フ ジ子 たち は イ ンドを 経 由 し て
ア ワ粒 ほど の丸 薬を 、
一つか二 つ
投 与 す る だ け な のであ る。
も な く引 き受 け た。
ョー ロッパ ヘ来 た のだ が、 ヨー ガ
に接 し た のは、 こ の時 が最 初 であ
-25-
急性 リユーマチ を玄米食 で治 した女性 (左 )
のちに中央 の男の子がで きて大喜 び した。
日 本 か ら イ ンド 、 ヨー ロッパと
ミ ツ汁、玄 米 の食事 を 要 求す る厳
し さも障 害 にはな ら な か った と い
見 は鹿児 島 県出 身 、 異 国 の花 嫁 に
で、 熱 烈 な 恋愛 の末 であ った。 吉
いう 九 段 を 、毎 日 ガ ンの道 場 に送
同 行者 であ った吉見 馨 が結 婚 し た
のは、 ベ ルギ ー滞 在中 であ る。 相
で 死 亡し た。
迎 し、 フ ジ子 自身 も 基 礎的 な練 習
手 は大 学 教 授 の娘 の ジ ャ ンネ ット
った。 桜 沢 の指 示 で 迎 え た村 重 と
り か え 、 の ち に 男 の子 が 生 ま れ た
を し た。 村 重 は のち に、 日本 への
の女 性 は これ を 機 会 に玄 米 食 に 切
あ き ら め て いた だ け に大 喜 び だ っ
帰 国 途中 の フラ ン スで、交 通事 故
。
た。
合 気 道 の普 及 も 大 き な 仕事 で あ
いった ん働 き に出 た
内 の仕事 で、
と、 予 想 も し な い重 労 働 が待 って
いた。 フ ェルド フ ォー スは水 先 案
ド イ ツ で 患 者 と 六 人 の子 供 の世 話
ンブ ルク に近 い ハイド ミ ュー レ ン
ったけ れ ど、 いち おう無 事 に、
ハ
ブ ルク の フ ェルド フ オー スの住 ま
ら 二 日間 は帰 る な い。 責 任 は重大
ジ子 のド イ ツ入 り の引 き 金 に な っ
いに到 着 し た のは、 二十 七年 の十
ド イ ツ の元海 軍大 尉 で 、 エルベ
﹁妻 の病 気 がま た悪 く な った。 治
で あ る。
。
療 の人を さし 向 け て ほし い﹂ と、
一月中 旬 であ った。 鋭 い寒 気 の冬
の厳 し さ と節 約 ぶり は言 語 に絶 し
らに
ド フ ォー ス 一家 が、 デ ンベ ルゲ ン
のサ ナ ラ ント に滞 在 し た のは、菅
フ エルド フ ォー スから 応援 依頼 が
が始 ま って いた。
河 の水 先 案内 人 を し て いた フ ェル
本 フ ジ子 の ベ ルギ ー 滞 在 二年 目 の
入 った。 そ れ ま で にも 二 回 入院 歴
て いた。 北 ド イ ツ の冬 は氷 点 下 一
な によ りも 、 フ ェルド フ ォー ス
夏 であ った。 女 のウ ツ病 の治 療 が
、
到 着 し て驚 いた。 座敷 牢 と言 う
三度 にも下 が る。 部 屋 の中 で 冷 凍
べき で あ ろ う 、 カギを かけ た部 屋
食 品 が でき る ほ ど で あ る。 そ れ な
があ った が、 今 回 は特 に悪 いと い
に妻 は とじ こめ られ て いた。 洗 面
目的 であ った。一ヵ月 ほど で回 復
器 にたま った小 水 で髪 を 洗 う かと
、
う。 桜 沢如 一に ﹁君 が 行 って 責
任を も って治 し て来 な さ い﹂ と 命
の に、 フ ェルド フ ォー ス家 で は毎
いったん は帰 国 し た が、 これ が フ
じ ら れ て、 フ ジ子 は、 そ れ ほど気
思 う と、 一晩中 壁を た たき な が ら
場 に集 め 、丸 裸 にし て ホー スで水
朝 五時 半 に十 一歳 以下 の子 を ふろ
負 いも せず 出 発 の用意 を し た。 患
わ めき つづ け る。 油 断 す る と た た
か れ る 恐 れ があ る ので、 用 を 足 す
家 に起 居 し な がら の食養 指 導 は 珍
で し な け れ ば な ら な い。
ビ ック リし た のはそ れ だ け で は
がま た、 紙 くず を 燃 やす だけ だ か
る部 屋 で着 が え さ せる。 この暖 炉
を かけ る のであ る。 全身 紫 色 にな
る と、 タ オ ルで ふか せ、 暖 炉 のあ
な い。 家 を出 て いた長 男 を 除 いて
ら 、 暖 か いのは、 そ の時 だ け で あ
。
ハ
υ
,
食 糧 の買 い出 し も 、 自 然 食品 の
時 には、 細 目 にド アを あ け大 急 ぎ
も 、 ︱ 六歳 の娘 を 頭 に、 十 五 、 十
一、 七 、 四 、 そ れ に 一歳 半 と 六 人
店 のリ スト を 並 べ、 ど こが いち ば
し くも な か った。 ド イ ツにも 一度
出 向 いた こと があ った。
の子 供 が いた。 食事 の用意 を し 、
ド イ ツに はあ こが れ も あ った。
来、
一度 は訪 れ て み た いと思 って
上 の子 に弁 当 を 持 た せ、下 着 から
途中 、書 類 の不 備 で汽 車 を降 ろ
お ム ツま で の洗 た くを し て︱ ︱ ︱
ん安 いかを 見 き わ め て 行 き 、 少 し
る かを書 いたも のが あ り、 そ れ以
大 阪 の日赤時 代 読 ん だ 本 で、 ド イ
ツ人 がど れ ほど合 理的 で、節 約 す
いた。
さ れ そ う にな る ア ク シデ ント はあ
-26-
間 を省 く た め 、 ビ ンの フタ がし ま
らな いほ ど ギ ッシリ つめ こむ。
込 む。 帰 れ ば 、何 度 も 入 れ 足す 手
でも 値 切れ るよ う に、大 量 に買 い
思 いも さ めそう にな る ほど であ っ
た。 冷 た いベ ッド の中 へ、 暖 房 代
節 約 ぶり にあ こがれ たド イ ツ ヘの
あ ま り の徹 底 し た生 活 態度 に、
わり に電 気 スタ ンド を 見 つから な
いよ う に引 っ張 り 込 み、 な お寒 さ
に ふる え る 日 が続 いた。
思 い込 み始 め、 とう とう 離 婚 訴 訟
さを 見 て いる だけ に、 親 類 も そ う
バ ンビや キ ジ、 ウ サ ギ な ど がす ぐ
ド バイ スし た人 であ る。
た と き には 、﹁別 れ てし ま え﹂ と ア
自 宅 は郊外 の風 致 地 区 にあ り 、
にま で発 展 し た。 たま り か ね た フ
ェルド フ ォー スは、改 め て夫 人を
″薬 と 電 気 治 療 を 見 切 っ て 完 全 回 復
〃
ら れ て、 辛 抱 し た のであ る。 そ し
て、 信じ ら れ な いよ う な宿 便 が 一
フ ェルド フ ォー ス夫 人 は初 め、
梅 の味 つけを し た クズ し か食 べな
気 に出 て、 病 人 の容 体 は いっべん
一月 も た った ころ 、 フ ェルド フ
ォー ス夫妻 が訪 ね て来 た。 夫 人 は
か った が、 次第 に野菜 ポ タ ー ジ ュ
近 く ま でや って来 た。 家 そ のも の
は丸 太 で組 ん だ 、豪 華 な ギ リ シ ャ
家事 と に追 わ れ る毎 日が始ま った。
、
節 約 ぶり は知 れ わた って いたので
と ても 住 み込 み の家 政婦 な ど来 て
見 違 え るよ う に元気 に、 穏 や か に
と か オー ト ミー ルとかを とりだし、
入 院 さ せ てし ま った。 二年 の末 ご
く れ な い。 逃げ出 し た い気 分 だ っ
な って いる。 正食 も キ チ ンと守 っ
て いる。 夫 人 の語 る と ころ によ れ
に回 復 し た。 菅 本 フ ジ子 が や って
来 て 一ヵ月 ほ ど た ってからである。
の意 外 に驚 いて、 患者 を さ らう よ
た が、 そ う は いかな いのであ る。
ば 、無 理や り入 院 さ せら れ、 電 気
病 状 も落 ち 着 いてき た。 そ のう ち
フ ェルド フ オー スはま た水 先 案
う に入 院 さ せ てしま ったのであ る。
や っと通 いの家 政 婦 が見 つか った。
二週間 かけ て食養法 を 教 え込 んで、
と一
言わ れ て、 翻然 と さ と った のだ
と いう 。 フ ジ子 は胸 をなでおろし、
-27-
ろ であ る。
フ ジ子 の実 施 し て いる 食事 で は、
か ね て から誘 わ れ て いた ヘ ニング
生薬 を 飲 み つづ け ねば いけま せん﹂
治 療や薬 を 飲 ま さ れ るう ち に、﹁一
そ のま ま な ら、 す ぐ に元 のベ ル
栄 養 不 良 にな る と説 得 したらし い。
も とも と 夫 人 は コー ヒー 、 紅茶 、
のも と に移 った とき は、 フ ェルド
便 秘 が始 ま り、 とう とう 二十 四 日
ケー キ な ど 甘 い物 や肉 食 を好 ん だ
フ ォー ス家 に派 遣 さ れ て から 、 十
間 も 排 便 が な く な った。 普 通 だ と
だけ に、 医 師 の話 は 耳 に入 り やす
ヵ月 も た って いた。
風 の邸 宅 であ った。 暖 炉 には 赤 々
、
と火 が燃 え 寒 さ に ふる え 続 け た
フ ェルド フ オー ス家 と は、 天国 と
か った。 電 気 治 療 に薬 づ け の生活
ク の町 内 に 診 療所 を 持 つ医 師 で 、
* *
新 し い仕事 に専 念す る こと が でき
るよ う にな った。
内 に専 念 し 、菅 本 フ ジ子 は 食養 と
が再開 し た。
フ エル ド フ ォー ス の も と に よ く
地 獄 の違 いがあ った。
夫 人 はク リ ス マス前 に いった ん
退院 し たけ れ ど 、今 度 は ﹁お かし
出 入 り し て いた。 離 婚 騒 動 が 起 き
以前 、 ﹁そ の病 気 は絶 対治らな い﹂
と断 言 し た こと があ る医者 が、事
いのは 夫 の方 だ﹂ と、 言 いふら し
ド ク タ ー ・ヘ ニング は ハンブ ル
始 め た。度 外 れ た節 約 ぶり や厳 格
ギ ー ヘ帰 る こと が でき たと ころだ
が、思 いも かけ な いことが起 きた。
浣腸 す る と ころ だ が、 フ ェルド フ
ォー ス家 に出 入 り す る牧 師 に ﹁
自
然 のま ま にす る 方 が良 い﹂ と止 め
ドイツの ミッテンパル トの健康ハ ウスで働
いていた娘たち とい つ しよに。
と ころ であ った。
ヘ ニング に限 ら
な く し、 そ れ ま で 老 夫婦 で住 ん で
いた マンシ ョンから引 き と ら れ た
ん ど うを みる こと であ った。 夫を
ルト の ﹁
健 康 ハウ ス﹂ の二 ヵ月間
も 、そう し た経 験 の 一つであ った。
ミ ュン ヘンの近 く の ミ ッテ ンバ
フ ジ子 は各 地 へ派遣 さ れ た。
食養 で、 ホ メ オ パテ ィー 、 針 も あ
わ せ て行 った 。 ホ メ オ パテ ィー で
は欧 州 全 体 に有 名 、そ の関 係 かる 、
講 習 を 受 け 、 食養 を 守 って 立ち 直
った。 この経 歴 から 治 療 の中 心 は
いう 状 態 で帰 還 し た。 桜 沢如 一の
に十年 間 も 抑 留 さ れ 、全 身 は れ上
が って、 三度 と 立 ち上 がれ ま いと
ヘ ニング は第 二 次大 戦 後 、 ソ連
に は千 人も の聴 衆 が集 ま ったと い
を つく る こと にも 、 張 り合 いを感
を 担当 し て いる女 性 と張 り合 い つ
つ、苦 心 し て砂 糖抜 き のデ ザ ー ト
す べて が快 適 であ った。 普 通 食
ビ学 校 宍 T E S ︶のも と にな った。
外 派 遣 のた め の速習 講 座 ﹁タ イ エ
う だ い﹂ と言 った。 こ の一
一
一
一
口
葉 はさ
っそ く桜 沢如 一に引 き つがれ 、 海
同 じ 腕前 の人を 五 人よ こし てち ょ
断 わ ら れ る と、﹁日本 からあ な たと
ー デ ンに同 行す るよ う頼 み込 み、
ス ウ ェー デ ンから来 た王室 にも出
入 りす る と いう 美容 師 は、 スウ エ
神 秘 の術 を フジ子 から習 わ せ た。
手 当 て で頭 痛 を 治 し ても らう と 、
さ っそ く息 子 を 呼 び寄 せ て、 そ の
マサ ヲ ︵フ ジ子 の姉 ︶が リ ュー マ
吉 から 一通 の手 紙 が 届 いた。﹁
妻の
のは この ころ であ る。
そ んな時 、 祖国 の義 兄 、 近藤 豊
面 が少 な いのを も ど かし く思 った
東 京 オリ ンピ ック のテ レビを スウ
ェー デ ンで見 て、 日本 人 の活 躍場
三 ヵ月 ほど で回 復 し た。 再 び患 家
先 へ派 遣 さ れ る生活 が始 ま った。
日散 歩 し 、水 分 を 控 え る こと で、
キ ンソ ン病 の症 状 があ った が、毎
ヘ ニング の老 母 は脳 軟 化 と パー
な いよ う な別 れ で、
ハンブ ルク ヘ
帰 った。
から﹂ と約 束 せねば離 し ても ら え
さ れ た 。荷物 を 残 し て、﹁ま た 来 る
″姉 、肺 炎 併 発 、危 篤 状 態 の 急 報
〃
ず 、 フ ジ子 が接 し た ヨー ロッパ の
元看 護 婦 だ った経 営者 は、 七 十 二
し て いた。 ヨ 生 こ こに いてく れ ﹂
チ 治 療を す るう ち肺 炎 を 引 き お こ
人 た ち は、 驚 く ほ ど に親 孝 行 であ
った。特 に彼 は、﹁
特 別 に何 かし て
あ げ ねば と思 う ほど﹂ に、 細 か い
配慮 を す る 人 であ った と いう 。
老 母 は最 初 、 動 脈 硬 化 の兆 候 は
のも と へ来 た患 者 た ち に実物 を 見
せ、提 供 す る な ど の役割 を 果 たし
行動 す る こと に思 い切 った。
ド ィ ツから東 京 へ、 十 七時 間 の
かどう か わ から な い。 悩 み、 迷 っ
た末 、 フ ジ子 は とう とう 、 独 断 で
血 が引 いた。
の老 母 の容 体 が悪 く な り 、呼 び戻
あ ったも の の、 心 配す る ほど の こ
歳 と いう年 齢 にも か かわ らず 、 ダ
と言 わ れ 、自 分 も そう し た いと思
ヘ ニング家 で の菅 本 フ ジ子 の最
ヘ ニング 夫 人 が中 心 に
と はな く 、
な って み て いた。 フジ子 は診 療所
ンス好 き で、 三十 分 でも 一時 間 で
し、 危 篤 状 態 だ﹂ と いう 。 全身 の
大 の仕事 は、
ヘ ニング の老 母 のめ
へ通 って昼 食 を つく り 、 ヘ ニング
も 踊 り つづ け た。 施 設 へ入 って来
た人 は さま ざ ま で、 あ る女 医 は お
し かし 、 三 ヵ月 日 には ヘ ニング
った ほ ど であ る。
て いた。 余 談 な が ら、
ヘ ニング 夫
人 は ソプ ラ ノ歌 手 で、 コンサ ー ト
って いた。﹁な ん と か 命 を と り と め
帰 国 す る とな れ ば、師 ・桜 沢如 一
と言 わ れ て いる。 許 しを 得 ら れ る
の許 しを得 ね ば な ら な い。 常 々、
﹁自 分 の こと で動 いて は いけ な い﹂
ま す ﹂ と あ る。 今 か ら で はも う 、
遅 過 ぎ る か も し れ な い。 そ れ に 、
る よ う に、 み ん な 必 死 で 祈 って い
帰 国 後 、悲 し み の 連 続
義 兄 ・近藤 豊 吉 から の、菅 本 フ
ジ子 にと って は た った 一人 の姉 、
マサ ヲ の危 篤 を 伝 え る手 紙 は、 日
本 か らド イ ツ ヘ届 く の に四 日 か か
-28-
飛 行機 の中 でも、東京 から松山ま
で二十 二時間 の汽車 の旅 の間 も、
令 を幸 便 に、上 京 し た。 そ れも 東
騒 ぎ が収 ま るま で︱ ︱ と、 師 の指
った と思 って いる。
は今 でも 、 あ の強 心 剤 は 必要 な か
は つ いた が、今 度 は、 ウ ワ サを 聞
な ん と か歩 け るま で にな った のは、
二十 五 日目 であ った。 ホ ッと 一息
げ で、 あ れ ほど ひど か った姉 が、
を 尽 く し 、 十 二月 には姉 夫 婦 とも
そ れ ま で に得 た知 識 と経 験 の限 り
じ よ う な看 護 の生活 が つづ いた。
そ れ から 半年間 、 ま た以 前 と同
病 疲 れ で 倒 れ てしま った。 再 びあ
わ ただ し い帰 郷とな った。
で は 考 え ら れ な い現象 を 引 き お こ
平 癒 を 祈 る同 志 たち の間 に、常 識
ため、 介 護 を 頼 ま れ た のであ る。
胃 ガ ンの末期 症状 で苦 し ん で いた
店 を し て いる食 養 の同 志 の妻 が、
事 が待 って いた。 芦屋 で自 然 食 の
そ の涙 も 乾 か ぬう ち に、 新 し い仕
悲 嘆 に暮 れ て野 辺 の送 り を し た、
、
﹁
自 分 がず っと つ いて いたら ︶ん
,
な こと にはな ら な か った のに﹂ と
の間 、 三 ヵ月 日 には義 兄 ま で が看
き つけ た 人 た ち が、電 話 で病 気 の
ほ と ん ど回 復 し た。 久 し ぶり に平
息 を 引 き と った。
ほと んど 不 眠 不 休 の看 護 のお か
の悔 恨 があ った。
き、無事 を祈り つづけ た。 羽 田到
つ い
相 談を し て来 る よう にな り 、
和 な気 分 にな れ た のだ が、 翌 四 十
一年 二月 二 日、思 いがけ な いこと
フジ子 はな にひと つ飲 みも 食 べも
しな か った。 ただ、姉 の写 真を抱
着 は四十年 二月七 日。 七年 半 ぶり
騒ぎ が さ わ り にな り かね な い勢 い
には 病 人を 連 れ 込 むよう にな った。
、
姉 に手 が回 ら な く なるだけでなく
いる余裕 はな か った。
ま さか帰
姉 の症状 は重 か った。﹁
の帰 国 だ ったが、感慨 にふけ って
っては来 ま い﹂ と思 って いただけ
に、驚く縁者 たち に見守 られな が
ら、玄 米クリー ムを つくり、 二時
か ら、 姉 の死を 迎 え ね ば な ら な か
った。 か かり つけ の医 師 に強 心 剤
年 であ った。
* *
四 十 一年 は悲 し いこと の重 な る
にな った。
帰 の人 とな った のであ る。 フ ジ子
を 打 っても ら って眠 ったま ま 、 不
そ ん な と ころ へ、 桜 沢 か ら ﹁河
内 省 一を 手 伝 え ﹂ と 言 って来 た 。
し たあ げ く 、 この患者 は二 月 末 に
間 も かけ て食 べさせた。も とも と
酸 味 のも のが好 き で、 ミカ ンを何
日も 食 べ続 け た末 に、 リ ュー マチ
にかか った こと のあ る姉 であ った。
いう のであ る。
桜 沢 の死 は、 残 さ れ た妻 、 リ マ
だ った か ら、 周囲 のだ れも 信 し な
常 は年 齢 を感 じ さ せな いほど 元気
め に汽 車 に乗 った 程度 の気 持 ち だ
った。 そ れ だ け に、 死 が 真実 だ と
を ま る で病 人 のよ う に打 ち ひし い
だ。 う な さ れ 、 十 分 に眠 れ な い。
師 死す。 悲 し み越 え世界 大会
﹁桜 沢 如 一死す ﹂ の電報 が飛 び 込
ん だ。 姉 と、同 志 の妻 と、 悲 し い
ち 、 求道者 の常 とし て、 自 分 のか
一人 で放 置 す る ことはできな いと、
ぎ や かな夕 食 を 、 珍 し く妻 、 リ マ
いつも な ら 門 生 たち が同 席 し て に
軽 に飲 め る よう にと 粒状 にし て服
う とす る 性 格 が思 い当 た った。 死
の三 、 四 ヵ月前 から、 漢 方薬 を 手
隣 室 に移 ら せ ても ら った ほ ど であ
結 婚 し てな く て良 か った﹂と、
る。﹁
んまり つらそう な た め寝 つかれず
か った。 原因を あ れ これ 考 え るう
ら だ で実 験 し つ つ真 理を 見 いだ そ
も な い時 だ った。 死 は四十 一年 四
。
月 二十 四 日 であ る
﹁ま さ か﹂ と、菅 本 フ ジ子 は初 め
と 二人 き り で と って いるう ち 、 突
用 し 、 ガ ンに偉 効 があ る から と紅
送 り が続 いて、 ま だ涙 が乾 く ヒ マ
わ か った とき の シ ョ ック は、 並 た
いて いで はな か った。
桜 沢 の死 は、 全 く突然 だ った。
信 じ られ な か った。 あ れ ほど 食養
然 立 ち上 がり 、 倒 れ て、 数 分 後 に
花 茶 を 飲 み つづけ た。 モ つし た実
験 が、 害 と な った ので はな いか と
つく づ く思 った。
フ ジ子 が看 護 役 に つく こと にな っ
た。 最 初 は隣 り にや す ん だ が、 あ
、
を 説 き、 厳 格 に守 って いた人 で あ
息 を 引 き と った のであ る。
七十 四歳 で はあ ったけ れ ど、 平
、
る。 そ の一
則に会 った時 にも 少 し
も 変 わ った ふう はな か った。上 京
の 途中 でも 、間 違 いを 確 認 す る た
-29-
だ が、 い つま でも 悲 し み に ひた
って いる 余 裕 は な か った。 桜 沢 は
東 京 に集 ま った。﹁食養 の祖国 で﹂
イ ギ リ スな ど十 四 ヵ国 か ら百 二十
人 の食 養 を 信 奉す る ひと びと が、
の到 着 予 定 地 に かけ つけ 、 徹夜 で
な がら 、東 京 から 広島 ま で の行 進
は実 り多 か った。 前 も って、 行 進
参 加 、各 地 で熱 烈 な歓 迎を 受げヘ
二回 オリ ンピ ック に、 八 十 九 人 で
から﹂ と言 わ れ た ことも あ った。
あ った。 異 郷 で 活 動 す る だ け で
はす る﹂ と、 勧 め てく れ た こと で
* *
強 い感 銘を 受 け た。
ち な み に言 え ば 、 フ ジ子 ら は第
死 の前 に、 精神 文 化 オリ ンピ ック
本物 の食養 を 見 た いと は せ参 じ た
を計 画 し て いた 。スポ ー ツで競 い、
さ に驚 いた。 ヨー ロッパでな ら当
フラ ン ス人 の村 長 が ﹁こん な多 く
の フラ ン ス人 が、 フラ ンスで、 日
世 界 平和 を 探 求 す る のが オリ ンピ
ックな ら、 精神 文 化 の世 界 で永 遠
たり前 の正食 レ スト ラ ンな ど探 さ
文 化 オ リ ンピ ック で は、 日本 人 が
ビ ック リし た ほう であ る。
れ な い﹂ と言 った が、 四十 三年 に
フラ ン スで開 催 さ れ た第 二回 精神
弁 当 を作 って出 す 重労 働 が続 いた。
参 加 し た外 国 の青年 たち は、 そ の
の平 和 を希 求 す る試 み があ っても
な いと見当 たら な い。 ほ と んど 理
ひとたち は、 し かし 、 こと の意 外
良 いと 考 え た のであ る。 リ マを 先
解 さ れ て いな い実 情 に、呆 然 と し
た ほど であ る。
本 食 を と って いる と は 信じ ら れ な
か った﹂ とあ いさ つし た こと に、
頭 に、 真夏 の祭 典 の準 備 が始 ま っ
た。
とま れ 、 伊勢 神 宮 や 日光 を 回 り
奉 仕 ぶり に ビ ック リし た。﹁ヨー ロ
ッパで は と ても こんな 具合 にはや
スノ
ワラ ン ス、
イ タ リ ア、
4ス、
わず かな 期間 の つもり の移動が、
食養 運 動 のな か で の立場 のむず か
な く、 自身 の生 ま れ 、 育 った 土地
で こそ、 長 い間 か か って身 に つけ
故 郷 で の普 及 活 動 を 決 意
長 期 間 にな ってし まう のは、菅 本
し さ が気 にな り始 め た ことも あ っ
た。 桜 沢 の精神 や活 動 はC I 本部
ら な いと、 考 え た のであ る。
決 心 は つ いた。 す ぐ にも帰 郷す
看 護 役を 引 き受 け る と とも に、 長
び いて いった。 周囲 は そ のま まず
っと、東 京 に い つづけ るも のと思
し かし 、 桜沢 の五 回 忌 が 迫 る に
つれ て、 フ ジ子 自身 の心 の中 には、
大 の理 由 は、 M I道場 に出 入 り し
し く な った ので あ る。 そ し て、最
て﹂ と言 わ れ る。 そ れ が わず ら わ
話 し合 わ れ た が、 フ ジ子 た ち は別
の問 題 、 塩 日 の存 続 に立 ち上 が る
を い つ、 ど んな 形 で出 版 す る か が
を どう 残 し、 生 涯を語 り つぐ 伝記
そ の五 回 忌 の席 で、 桜 沢 の著 作
五 回 忌を す ま せ て か らにしよう と、
る と ころ だ った が、実 行 は桜 沢 の
た信 念 と技 術 とを 普 及 さ せね ば な
フ ジ子 にと って は、 毎度 の こと で
あ った。 師 ・桜 沢 如 一の死 去を 確
︵ o8 一
お H
電 ・3 8●り =無 知 な
るも の の セ ンタ ー ︶が継 承 し て い
た。 菅 本自身 は リ マの側 付 き であ
時 を 待 った。
認 す る ため だけ の上 京 が、 リ マの
った か ら、 いろ いろ意 見 を 述 べる
には ふさ わ し く な か った。 日 に出
せば 、﹁そ れ な ら 正式 に本部 に入 っ
郷 里 ・愛 媛 に帰 り た いと いう 気持
た ことも あ る 松山在 住 の仲間 が、
い込 み始 め て いた。
く か ら の仲間 たち か ら ﹁私 たち が
ち が芽 生 え育 って いた。 郷 里 の古
﹁
松山で食養=正食を広めては ⋮ ⋮。
そ のた めな ら 、 でき る だけ の こと
べき だ と提 案 し た ので あ る。
元 気 な う ち に帰 って来 て ほし い。
今 だ ったら 、 あ な た の力 にな れ る
-30-
全国各地 で展開 された「塩 田保存 」 の署名運動
そ れ 以前 、 も と専売 公社 職 員 の
転 に追 わ れ た。 健 康相 談 に来 る 人
ま だ、 フ ジr 自身 に こと の重大 さ
さ れ て、 イ オ ン交 換 膜 製 塩 に切 り
かわ る。ほ んとう の塩 がな く な る﹂
西 本 が、﹁日本 じ ゅう の塩 田 が つぶ
プ ラ スと マイ ナ スと のイ オ ン交 換
L 言え ば海 水 を 入 れ た水 槽 の中 に
イ オ ン交 換 膜 製 塩法 と は、簡 単
は帰 郷 し た。 四 十 四年 六月 であ っ
た。 松 山 市 築 山 町 に間 借 り し 、 義
は大 き な危 機感 があ った。 フ ジr
が ほん とう にわ か って いた わけ で
とす る 塩 田 のた め に金 を 出 す 人 が
集 め に奔 走 し た が、 廃 止 さ れ よ う
子 は初 め、 塩 田存 続 のた め の資 金
あ ろう はず も な か った。 ズ ルズ ル
と 日 が た って いった。
* *
若者 ら数 人 が同 居 す る 生活 が始 ま
った。
兄 ・近藤 豊 吉 や指 導 を 受 け に来 た
西 本 友 康 が ﹁塩を 食 べる と 腎臓 病
が 治 る﹂と書 いて いる のを 読 ん で、
た ち が ふえ る に従 って、 わ かり や
︵マイ ナ ス︶と だけ が交 換 膜 を 通
は な いが、 本物 がな く な る こと に
手 紙 を書 いた こと があ る。 そ れ を
機会 にチ ャ ンネ ルが出 来 た。 そ の
す い場所 とわず かでも安 全 な 食 品
膜 を交 互 に立 て、 直流 電 流 を 流 す
そ の間 を 縫 って、 人 月 に開 いた
と、 連 絡 し て来 た のであ る。 当 時
松 山 に帰 って から しば ら く 、菅
本 フ ジ子 は、築 山 町 から道 後 へ、
を 置 け る スペー スを 求 め て の移 動
プ ラ ス︶ と塩 素
と、 ナ ト リ ウ ム ︵
塩を守 る
さ ら に湯渡 町 へと あ わ た だ し い移
であ った。
過 し て、 塩分 が集 め ら れ る 方法 で
時 措 置法 は国 会 を 通 過 し た。 そ の
年 のう ち に、 す べ て の塩 田 は廃 止
な ん と か せね ば と いら 立 つう ち
に、 四十 六年 四月 、 塩業 近代 化臨
越 智 郡 伯 方 町 で の健 康学 国 で、 ほ
浜 、 枝条 架流下 式 ︶な ど の自 然 的
され る こと にな った。
あ る。 藻塩、 塩 田 ︵
揚 げ 浜 、 入 り︶
ん とう の塩を 守 る運 動 に、 再 び 火
が つ いた。 伯 方 塩業 組 合 の塩 田を
製 塩法 に対 し て、 化学 的 製 塩法 と
塩業 近代 化臨 時 措 置法 が目 ざ し
いた適度 な ミネラ ルや希 少 元 素 が、
%も の高 純度 の塩 化 ナ ト リ ウ ムが
得 ら れ る が 、 古来 の塩 に含 ま れ て
ら った。 西 本 は 切 々と、 自然 塩 の
ん で、同 志 で あ る西 本を 加 え ても
のだ が、 フ ジ子 が主 催者 に頼 み 込
し て は郡 司 だ け が予定 さ れ て いた
イ オ ン交 換 膜法 によ る と、 九 九
五 月 に松山 市 で開 かれ た郡 司篤
見 学 に出 かけ 、 塩業 近代 化臨時 措
いう べき であ ろう 。
塩 田 が廃 止 さ れ よ う と し て いる こ
置法 の成 立 が間 近 く 、 日本全 部 の
十 七 ヵ所 あ っ
て いた のは、当 時 ´一
ほ と ん ど 取 り除 かれ てし ま う ので
孝、西 本友 康 講 演会 が運 動 の大 き
な転 機 とな った。 も とも と講 師 と
た 塩 田を 廃 止 し て、 製 塩 を イ オ ン
とを 知 った のであ る。
交 換 膜法 によ る 工場 七 ヵ所 に集 中
あ る。料 理 に使 っても コク がな く 、
この講演 が署 名 運 動 展開 のき っか
け と な り 、多 く の有 能 な同 志 たち
を集 め る機 縁 とも な った。
そ れま で 比 較的 消極 的 だ った東
有 用 性 と 化学 塩 への疑間を説 いた。
栄 養 バラ ン スにも 問 題 があ る。 ま
た、 イ オ ン交 換 膜法 で は、調 整 剤
とし て 塩酸 を 使 う 。 膜 の劣 化 も 無
す る こと で あ った。 製 塩 そ のも の
が明 治以来 、専 売 公社 の管 掌 す る
と ころ であ った から 、 国 民的 関 心
視 でき な い。
多 く の仲間 た ち と とも に、 フ ジ
は低 か った が、 こ の切 り替 え には
重 大 な問 題 が ひそ ん で いた。
-31-
京 の仲間 た ち にも 呼 び かけ て、 全
国的 に集 め た署 名 は、 五万 人 にも
達 し た。法 律 が成 立し てし ま って
り な い行動 を 、 こ の署 名 簿 を 武 器
に展開 す る た め に、 フ ジ子 は純 正
から の反対 運 動 と いう無 謀 き わ ま
にし て、上 京 し たく
食 品 の店 を 二 ヵ月間 も 閉 め たま ま
食 物 に感 謝 す る 心
に つき る﹂ と アド バイ スし てく れ
は 四十 六年 十 二月 末 の伯 方 塩業 組
こう し た運 動 を 続 け ては いたが、
し かし 、法 は法 であ り、 塩 田 の火
れ も し た。
れ を 、自 分 自身 の足 も とを 踏 み か
ち の奮 間 で四 十 ヵ国 に根を おろし、
順 調 に展開 し て いる。 フ ジー は そ
世 界 に広 が った運 動 は、 間下 生 た
て いる。師 ・桜 沢 如 一の生前 か ら 、
さがあるはず です。 おがみな がら ダ
イ エンや ニンジ ンを 切 る。 そ ん な
ば 、 単 な る カ ロリ ー計 算 以上 の重
﹁
金 がな いとき にや れ る運 動 は、
る 人 が いた。 世論 の方 は五万 人 の
合 を 最 後 に消 え た。
検討 し た。 が、 そ の費 用 三百 万 円
専 売 公社 の総 裁 を 告 発 す る ことを
束 が引 き出 せ た のは、 四 十 七年 七
作 っても 良 い﹂ と いう 公社 の 口約
﹁
輸 入 天日海 塩を も と に再 生 塩を
西 の融合 、 恒 久 平 和 に つな が る と
信 じ て いる。
あ る。 そ の地 道 な .歩 .歩 が、東
た め る こと で 支え よ う と いう ので
画 し て いる と いう 。
気 持 ち が 必要 で し ょう ﹂ と説 明 し
た。 秋 には 食 べ物 への感 謝 祭 を計
世論 を高 め、 訴 訟 に持 ち 込 む こと
署 名 があ る。訴 訟 は ︱︱ と 考 え て、
がな い。 そ れ ま で の活 動 で、無 理
フ ジ■ の日常 は、華 や か さ に満 ち
自然 の法則と共に
生きる正食 祀鵠 叩
新刊
し て集 め た金 は使 い果 たし てし ま
にあ わず 、 公社 自身 が作 って は い
導 、毎 月 一回 の料 理講 習 を中 心に、
そ の年 のう ち に伯 方 塩業 か ら特
動
日常 を 支 え る 精神 を 、 彼 女 は ﹁
れも 地道 な活 動 であ る。 そ う し た
増 訂再 版
オ ー ル ・イ ラ ス ト 付 き
0項 目
書き 4
. 存 へ の行 進 出 版 局
生
80 422 ・5 3 ・6 483
●日本 CI協会 でも 扱 い
の各 省 庁 に押 し かけ 、圭
確
貝任者 に﹁
殊 塩 製造 の申請書 が出 さ れ、 翌 年
たも ので はな い。 日常的 な 食養 指
け な いはず の塩を 坂出 の塩 田 で作
って いた こと な ど の指 摘 が、 効 果
環 境 保全 や せ っけ ん運 動 な ど、 ビ
そ の大 き な 目的 にも かかわらず 、
月 であ る。 粘 り づよ い運 動 に加 え
て、 イ オ ン交 換 膜 の製 塩 装置 が間
って いた。
﹁私 が書 こう ﹂ と、運 動 の最 初 か
ら の同 志 であ った大 阪 ・泉南 市 の
があ った こと は間 違 いな い。
か に読 みま し た﹂ と署 名 を さ せる
市会 議 員 が、大 き な 紙 に告 発 の趣
意 を書 いた。 そ れを 持 って、東 京
陳 情 戦 術 に出 た。
2 0 0 0円 一
T2 5 0
8 4 9 6 ・7 1 0 3
o日本 C I協会 でも 扱 い
2 3 8 ペ ー ジ
A 5 判一
× × ×
け で はあ り ま せん。 そ れ を 、 人間
は自 分 が生 き のび る た め に ″いた
小 川 みち著
み
か た
命 の継続 と いう時 間 の重 みを 背 負
って いる ん です 。 決 し て人間 に食
物 だけ でな く 植物 、 た と え ば 粒
べら れ る た め に生 ま れ、 育 った わ
の米 にし ても 何 千 年 、何 万 年 の生
認 可 さ れ た が、 な には とも あ れ、
六 月 に認 可 さ れ た。 いろ いろ な い
き さ つから 、 自然 塩復活 運 動 は分
陳 情 を 始 め てからも、いろ いろ困
難 は あ った。 笑 顔 で会 ってく れ た.
地 元 選出 の代 議 士 が、 陰 で、 ﹁な
自然 塩 の火 は守 ら れ た ので あ る。
菅 本 フ ジ子 は今 、 愛 媛 で 正 食を
だ く ″ん です 。 そ の ことを 考 え れ
裂 し 、 ほ か にも同 じ よ う な会 社 が
ぜあ んな も のを 通 し た か﹂ と 秘書
た ことも あ る。 あ る 政党 の本部 で
広 め る た め に、 渾 身 の努 力 を続 け
を ど な り つけ る のを聞 いてし ま っ
は ﹁こ い つら つま み出 せ﹂ と言 わ
-32-
製 造
限祓
若含
美 術 印刷 ―股 販 売
東 r_l祓
代表取締役 野 ヶ 山 量 尉 矢ロ
東 京 都 台 東 区 浅 草 橋
電言
舌 東 京 (862) 代 表 1
4丁
6
目
2
7
16番 8号
∼ 9 番
〒 111
ψむお●こ セイタン
ねってす ぐもちになる、今講覇の商品・′
5009
純 植 物 性 蛋 自 ・伝統 の 純 正 食 品
ビン入
1809 Y350
1009
¥350
袋 入
¥8150
発 売元 /オ ーサ ワ ジ ャバ ン株 式会社
〒761■ 4 香 1県 小豆島内海田r ●08798・ 2・ 2101
毎 詳
不 ま 後
っ
、
帥
順け
帥
細
陥一
し
此
﹃
◎
〓
動中
一
輝
-33-
■ 正食 医 学 シ リ ーズ
臓 器 の 研 究
■硼号より再録
な 力 べに ぶ つか って いま す 。
で、片 方 の東 洋 医 学 は 、今 の科 学 では ま った く キ
●五味と 五臓 の関係
大 森 英 桜 講 義 録
″
気 の流れ ″とは何か
私 は 体 が弱 く て、 青 春 時 代 、非 常 に悩 ん だ ん です
よ り
が 、 そ れ が 、 ふ と し た き っかけ で こ の 道 へ入 って、
か ら 、西 洋 医 学 では 、 こう いうも のを 認 め て いな か
と いう 治 し方 な ん です 。
″ツボ と か
と ころ が 、 そ の ″気 の流 れ ″ と か、
″
い っても 、 いく ら人 体を 解 剖 し ても 、 何 も 見 え な い
健 康 だ け れ ど も 、 こ の ″気 ″ の流 れ がわ るく な った
のが ″病 気 ″ だ か ら、 そ の流 れ を ス ムーズ にさ せ て
やれば 、病 気 と いう も のは治 る 、 と いうわ け です 。
″ツボ と いう ことを 言 いま す
ハリ や キ ュウ では 、
″
け れ ど 、 体中 に気 の流 れ があ って、 そ の結 節 点 が と
ころ ど ころ にあ って、 そ れ が ″ツボ ″ であ る と 、 だ
か ら、 そ の ツボを 、ハリ と か キ ュウ で刺 激 し てや る 、
ャ ッチ でき な い ″気 ″ と いうも のを も と に し て考 え
て いるわ け です 。人 間 の体 には ″気 ″ と いうも のが
流 れ て いて、 これ が 、 と ど こお り な く流 れ て いれば
三 十年 ち かく 、病 気 を 治 す 、 と いう ことを 道楽 と し
てや ってき て、 こ の正 食 以外 に、 病 気 を ほ ん と う に
治す 方 法 はな い、 と いう こと を 、 は っき り 世 界 にむ
か って宣 言す る こと が でき ま す 。
″
医 学 ″ と いう 言葉 を 聞 く と 、今 、 日本
そ れ で、
では 、 いわ ゆ る西 洋 医 学 と いう こと にな って います
け れ ど 、 世 界中 を 見 ま わ し た ら 、 いろ いろ な伝 統 的
な医 学 が たく さ んあ り ま す 。 し か し、大 別 し て、 い
わ ゆ る東 洋 医 学 と西 洋 医 学 と に分 け る こと が でき ま
す 。西 洋医 学 のほ う は 、科 学 を 基 盤 に し て、 人 間 の
感 覚 でと らえ る こと の でき る ″モ ノ″ と いうも の で
″モ ノ で病 気 を 治 そ
人 間 の病 気 を つか み 、ま た 、
″
う と し てき たわ け です 。 し か し 、 これ は 、 た い へん
った ん です 。 し か し 、 最 近 、生 物 体 から 、 人 間 の日
に見 え な い エネ ルギ ーが出 て いる のを 、特殊 な装 置
、
で撮 影 でき るよ う にな った 。 ソ連 の電 気技 術者 の
キ ー ルリ ア ン夫 妻 が 、高 周 波 を 発 振す る電 気 回路 を
設 計 し て、人 間 や植物 か ら出 て いる 、 日 に見 え な い
エネ ルギ ー の写 真 を ど んど ん撮 り だ した 。 ア メリ カ
でも 、 こ のキ ー ルリ ア ン写 真 の研 究 グ ループ が でき
て、 何 冊 も 本 を 出 し て います 。
と ころ が 、 そ こ に生命 体 が あ った か ら 、 それ か ら
エネ ルギ ーが 放 射 し て いて、 そ れ が 写 真 にう つ った
ん だ 、 と 、 こう 考 え ます ね 。 し か し 、 こ こ に重大 な
問 題 が あ る ん です 。 こ こ に 一枚 の葉 があ り ます ね 。
こ の葉 っぱ は 生 き て いる か ら 、 ま わ り中 に エネ ルギ
ーを 放 射 し て いる のが 写 真 にう つり ます 。と ころ が 、
そ の葉 つぱ の先 の 一部を ハサ ミ で切 り 取 る ん です 。
切 ってしま った ん だ か ら 、 そ こ に ″モ ノ″ はな いん
です 。 な いけ れ ど も 、 ま る で元 通 り にあ るよ う に 、
ま わ り中 に光 を 出 し て います 。 これ を 、ど う 説 明す
る か、 と いう 問 題 です 。
″気 と いう も のは目 に見 え な い
東 洋 医 学 では 、
″
こ の ″気 ″
け れ ど 、 これ が体 の中 を 循 環 し て いて、
によ って体 が でき て、 動 いて いる 、 と 、 こう 説 明 し
て いる ん です が 、 これを 科 学 でど う 説 明 す る か 、 と
いう と 、 それ は 、 でき な いで しょう 。あ ら ゆ るも の
は 原 子 か ら でき て いて、 そ の つな が り あ いで、 いろ
ん な エネ ルギ ーが で てく る 、 と いう 考 え方 な ん です
か ら 、 こう いう ふ う に、 切 ってしま っても 、 な お 、
そ こ か ら エネ ルギ ー が出 て いる 、 と いう こ と は 、 説
明 が つかな いわ け です 。
と ころ が 、 同 じ科 学 的 な 手 法を 使 って、 こ のキ ー
-34-
▲撮 影 前 に切 り取 られ た 部 分 の
先 か ら も光 が 出 て い る
ルリ ア ン写真 のよ う な も のを 出 さ れ る と 、今 ま で の
科 学 の立 場 を ど う 説 明す る か 、 と いう こと にな り ま
す ね 。大 変 な 問 題 だ と 思 います 。
人 間 にも 、同 じよ う な こ と が あ る ん です 。 私 の友
だ ち で、 交 通事 故 で足 を 切 られ た 男 が いる ん です 。
と ころ が 、足 の先 は切 ってしま って、 な いの に、 小
指 の先 が か ゆ い、 と か 、親 指 が いた い、 と か言 う ん
です 。だ か ら、 私 な ん か は 、 そ れ は 、頭 の中 に、足
の先 にあ た る 局在 が あ って、 そ こが ″か ゆ い″ と か
″
痛 い″ と か いう命 令 を 出 し て いる か ら、 そ う感 じ
る ん だ ろ う 、 と い ってご ま か し て いた ん です が 、 い
、 そ う じ ゃな いん で
ざ、
い
真 見
を
て
と
こ
う
写
み
る
う
気 ″と いう も のが
す ね 。 モ ノ自 体 が でき る前 に、 ″
動 いて いて、 そ の上 に 、 いわ ゆ る 日 に 見 え る ″モ ノ ″
が でき て いる、 と いう こと にな る ん です ね 。
西 洋医 学 は、 人 体 を 、 日 に見 え るも のだけ が実 在
″モ ノ だ け で解 決 しよ う と し てや って
だ と し て、
″
き た わ け です が 、今 日 、 ま ったく 行 き づ ま ってしま
って いるわ け です ね 。 世 界中 に病 人 が あ ふれ て いま
す 。 かえ って、 いろ ん な業 を ヶ え た た め に、 そ の業
″
が 原 因 と な って、
医 原病 ″ と いう のが 、 た く さ ん
出 てき て います 。西 洋 医 学 の業 は 、 ほ とん ど ぜ ん ぶ
無 機 質 のも の です 。 こ う いうも のは み んな 肝 臓 障 害
を お こします 。肝 臓 以外 にも 、 ス モ ン病 のキ ノホ ル
ムな ん か は 、足 を マヒさ せ る と か 、 いろ いろ な こと
が お き てく るわ け です 。
東 洋医 学 のほ う では 、 こう いう 無 機 質 の化 学薬 品
は 使わ な いん です 。 ハリ 。キ ュウ と いう のは 、外 部
か ら の刺 激 によ る 治 療 法 です し 、漢 方 では 、 生 き た
酵 素 を も って いる 、 いわ ゆ る草 根 木 皮 、草 や根 や 、
-35-
実 、あ る いは皮 と いう も のか ら作 った も の で病 気 を
だ か ら 、 これ 以外 に これ か ら の人類 を救 う 方 法
の国 の連 中 が 、 い った ん 、 こう いう東 洋 医 学を 取 り
学を 用 いて いる こと です 。
と も な いと 思 いま す が ね 。
入 れ る とな ると 、非 常 な克 明 さ でや ってき ま す 。
か つて、桜 沢 先 生 は 、 ﹁も し 、欧 米 の科 学 の訓 練
適 当 に入 れ て、 つ つ いてみ る ん だ 、 と いう ん です 。
ソ連 の方 法 な ら 、 ピ ッタリ いく わ け です ね 。科 学
治す 、 と いう方 法 です 。 用 いる薬 剤 に つ いても 、 こ
は な い、 と 思 う ん です 。
わ れ わ れ も 、 こ の東 洋 の哲 学 の ″陰 ・陽 ″ と いう
も のを つか って、 正 食 医 学 と いうも のを 、桜 沢 先 生
を へた 人 たち が 、 P U ︵
無 双 原 理 ︶ と 正 食を にぎ っ
東 洋 は永 遠 に追 い つく こと は でき な いだ ろ う﹂
たら、
と いう ことを 言 った ん です が 、 それ ほど 心配 す る こ
のよ う に大 きく 違 う ん です が 、 重 要 な こと は、東 洋
医 学 では 、病 気 を 見 分 け る のに ″陰 ・陽″ と いう哲
が 世 界中 に ひろ め た後 を つ いで、 や って いるわ け な
ん です が 、 や は り 、 こ の東 洋 医 学 で言 って いる″気 ″
と いう も のを 認 め な け れば な り ま せ ん 。人 間 と いう
のは 、 こう いう ″オ ー ラ″ を 出 し て いる 存 在 であ る 、
と いう ことを 認 め た医 学 でな け れば な らな いわ け で
す。
″ハリ 。キ ュウ も 対症 療 法
″
と ころ で、正 食 医 学 の立 場 か ら見 てみ て、東 洋 医
医 学 で言 って いる と ころ の″ツボ ″ だ った ん です ね 。
そ こ で、 ソ連 圏 の学者 た ち はび っく り し て、 が ぜ ん
所 ほど 、 強 く 光 って いる場 所 が あ る 。 これ が 、東 洋
五臓 六 腑 の陰 陽 順 は ?
学 はど う かと いう と 、 た し か にす ぐ れ ては いる ん で
す が 、 ハリ で突 っつく と か 、 お灸 で刺 激 す る と か 、
東 洋 医 学 の研 究 を 開 始 した 。 それ ま で、 ソ連 と いう
と ころ で、東 洋 医 学 では 、 人 体 の内 臓 には 、 五臓
六腑 があ る 、 と いう ことを 言 つて き て いま す 。″臓 ″
と いう のは 、肝 臓 のよ う に、中 身 が つま った 臓 器 の
″腑 と いう のは 、胃 だ と か、 大 腸 と か、
こと で、
″
膀 脱 な ん か のよ う に、中 が中 空 な 器 官 の こと です 。
P U では 、中 身 の つま った ″臓 のほ う を ″陽 ″ と
″
し て、中 の中空 な ″腑 のほ を ″陰
しま す 。
と
う
″
″
″腑 にた いし ては ″臓 のほ う は ″陽
△︶ で
″
″ ︵
″
す け ど 、 そ の ″臓 ″ の中 にも 、 心臓 と か肺 臓 と か 、
いろ いろ あ る か ら 、 それ ら の中 で の陰 陽 の順 番 が 、
し かも 、 重大 な こと は 、 こ のキ ー ルリ ア ン夫 妻 が
これ も や は り 対症 療 法 ︵
表 わ れ た 症 状 に対 し て、
一
のは 、唯 物 論 の国 で、徹 底 的 な 科 学 主 義 です か ら、
東 洋 の医 学 と か宗 教 と かは ″
迷 信 ″ だ と し て、毛 ぎ
ら いし てき た ん です 。 と ころ が 、 現 実 に こう し て ツ
要す る に、病 人 が 陰 性 だ と 、 こ れを ″虚 ″ と い い
″虚 であ れ ば 、 これ に陽性 、東 洋 医 学 で
ます が 、
″
″実 だ った ら 、
いう ″実 を与 え て治す と 、ま た 、
″
″
″虚 のほう へ、 つま り 真
そ の ″実″ を 弱 く し て、
″
ん中 へも ってく る 、 と いう こと で病 気 を 治 そ う と す
﹂の考 え方 は 、す ば ら し いと 思 いま す 。
るん です が 、ラ
時 し のぎ の処 雹 を す る療 法 ︶ の 一種 じ やな いかと 思
ボ が あ る 、 と いう こと が 日 に見 え てき た ら、東 洋 医
こ の装 置 で人 体 を いろ いろ搬 ってみ る と 、 約 七 百 カ
ら 、死 ぬま で病 気を しな いよ う にす る のが本 当 の医
て いる か 、 と いえば 、 これ は 、食 べ物 で でき てき て
では 、動 物 は何 で でき て いる か 、人 間 は 何 で でき
一度 、 病 気 を 治 し た
います К 三度 と病 気 を しな い、
学 じ ゃな いかと 思 いま す が 、 こう いう 見地 か らす れ
桜 沢 先 生 のク ラ ック ス ︵
無 双 原 理 問 題 集 ︶ の中 に
﹁五臓 六腑 の陰 陽 順 を 言 え﹂と いう のが あ り ます が 、
正 食医 学 で病 気 を 治 そ う とす る と き に、 こ の五 臓 六
そ の ツボ に正確 に ハリを 打 って いく わ け な ん です 。
ふ つう 、 ツボを ど う や つて見 つけ る かと いう と 、ど
こど こか ら 、指 の幅 で いく つ日 、な ん て いう ん です
が 、指 の大 さ な ん て、 み んな違 う ん です か ら 、 正確
に いかな いん です ね 。ハリ の人 た ち に聞 いてみ た ら、
な 臓 器 が あ る と 、 そ の働 き は これ これ 、 と 、 こう い
う こと は 、ち み つに や って いる ん です が 、東 洋 医 学
け です 。 と ころ が 、 西 洋医 学 には 、 こう いう 考 え方
は 、あ り ま せ ん 。解 剖 し て、体 のど こど こ に、ど ん
腑 の陰 陽 順 が 分 か らな か った ら 、 正 しく 治 せな いわ
ま た あ るわ け です 。
ば 、 こう いう東 洋医 学 も 、 も の足 り な い。
学 の ハリ ・キ ュウ は 、す ば ら し いも のに違 いな い、
と いう の で、 最 近 、 猛 烈 に研 究 を し て いるん です 。
し かも 、 お そ ろ し いほど の科 学 的 な 正確 性 でや って
います 。 つま り 、ア
﹂の装 置 で人 体 の ツボを う つし て、
いるわ け です 。人 間 は食 べ物 によ って構 成 さ れ 、 そ
の食 べ物 の間違 いによ って体 を わ るく した のだ った
ら 、 当 然 、 正 し い食 べ物 を あ た え て、 き れ いな 血 を
つく れば 、病 気 は しぜ ん に治 るだ ろ う し、 ふ た たび
わ る い食 べ物 を 食 べな いか ぎ り 、死 ぬま で健 康 で い
られ るわ け です 。
-36-
と ころ で、 四 、 i
f年 前 に東 京 の如月 会 と いう研 究
会 で、 ﹁五臓 六腑 の陰 陽 ﹂と いう テー マを 出 され た
ん です 。 桜 沢 先 生 と いう人 は 、皮 肉 な 人 で、 問 題 は
え な いも の であ れ 、宇 宙 のあ ら ゆ る 現象 を 表 わ す の
れ て八 つの ″八卦 ″ に分 かれ る 。 こ の人卦 が ..つず
つ組 み合 わ さ って、 人 ・八 ・六卜 四 の、 六十 四卦 が
いう のは 、宇 宙 のあ ら ゆ るも のは ″陰 ″ と ″陽 ″ と
に分 かれ る、 と 。 そ の陰 陽 の中 にも ま た陰 陽 が あ っ
て、 四 つに分 かれ 、 そ のお のお のが ま た 陰 陽 に分 か
出 す け れ ど 答 え は 教 え な い。答 えを 教 え た ら相 手 が
、 私 は少
だ 、 と 、 こう いう も の です ね 。
″五 行 説 と いう のは 、 や はり 陰 陽 的
と ころ が 、
″
な 考 え方 ではあ り ま す け れ ど 、字 宙 のあ ら ゆ る も の
″陰 陽 によ る位 置 づ け 、 と いう 考 え方
のよ う な 、
″
は持 って いな いん です 。
バカ にな る か ら 、 と いう ん です 。 と ころ が
、
を、
木 性 ・火 性 ・土性 ・金 性 ・水 性 のi
r つに分 け て
でき て、 こ の六十 四 が 、 日 に見 え るも の であ れ 、 兄
し抜 け て いるも ん です か ら 、 何 でも 教 えち ゃう 。
五臓 六腑 の陰 陽を 解 かな け れば な らな い、
そ れ で、
と 思 って、 いろ いろ と 考 え た ん です 。
そ れ ぞ れ の関 係 を 見 て いく わ け です ね 。 これ も 、 じ
っさ い使 ってみ て、合 って いる ん です 。臓 器 も 、 こ
、
の五 つにあ ては め てあ り ます 。 それ か ら 味 も 五 つ
に分 け てあ り ま す 。苦 い 。しお か ら い 。け い 。酸 っ
″渋 い な ん て味 が あ
ぱ い ・辛 い⋮ ⋮ こ のほ か に、
″
り ます け れど 、だ いた い主 だ った味 と いう と 、 こ の
五 つにな るわ け です 。
、
そ れ で、 こ の五 つの味 の陰 陽 順 を 考 え てみ る と
″
苦 い″ です 。 これ は、 炭 み
いちば ん 陽性 な のは 、
た いに焦 が した 味 です 。 そ の次 は ″しお か ら い″ で
す 。 これ は 、も のを 締 め つけ る ん です か ら、 そ う と
= い″ が き ます が 、
う 陽 性 な も の です 。 そ の次 には ″
これ は 、締 め つけ な いです ね 。 ち ょ っと ゆ る め る ほ
酸 っぱ い″ です け ど 、 これ は 、も
う に働 く 。次 は ″
のを 溶 かす よ う に働 く 。 酢 な ん か です ね 。酸 味 と い
に対 応 す る 心臓 が いちば ん 陽性 だ 、 と いう こと にな
り ま す ね 。次 が腎 臓 、牌 臓 、 それ か ら肝 臓 、 いち ば
-37-
″易 の ″陰 陽 説 が あ
も とも と 、東 洋 哲 学 には 、
″
″
っ 、
ら ″i 行 説 と いうも のが 加 わ って、
中
か
て
途
f
″
″易 と
″陰 陽 五 行 説 が 柱 にな って いる ん です 。
″
″
う のは 、も のを 溶 かす 味 な ん です 。 これ はも う 陰 性
辛 い″ です け ど 、 これ は 、
に入 り ま す ね 。 最 後 は ″
ワサ ビ と か、 シ ョウ ガ と か、脂 も と かす ほど の陰 性
、 こう な
″辛 い が 極
″
苦 い″ が 極 陽 性 で、
です 。 つま り 、
″
陰 性 だ と いう こと にな り ます ね 。
︵
にが じ
し お か ら い︶
馘 ︵
か ら い︶
辛 ︵
あ ま い︶
甘 ︵
苦
す っぱ い︶
酸 ︵
そ う し て、 こ の五 行 説 の表 を 見 て み る と
り ます 。
牌
経
い
一
十
肺
じ
ヽ
腎
、 苦い
そ うす る と 、 こ の味 と の関 係 か ら い って ″
″
土
や一月
木
金
火
水
う光
膀
間
陽
”
笑
足
¨
左右共一百二十六穴
れて ︵
分 裂 は陰 性 、単 一のH ま り は 陽 性 ︶ いるん で
陽 性 ︶ 、 し かも 分 裂 し て、 右 肺 と 左 肺 の二 つに分 か
1にあ り ます じ ︵
中 でも 、 いちば ん1
上 が陰 性 、下 が
ん陰 性 な のが 、肺 、 と いう こと にな り ます 。臓 器 の
で発 生 学 の要 点 を や ってみま し ょう 。
と いう 学 問 です ね 。 これ を や ってみ て分 か った 。 や
は り 、 五 行 説 の答 え は合 って いた 。ち ょ っと 、 こ こ
各 臓 器 や体 の組 織 が ど のよ う に し て でき てく る か 、
み た ん です 。 発 生 学 と いう のは 、
受 精 し た卵 r か ら 、
向 の遠 心性 の力 が あ るわ け です 。 だ か ら 、私 た ち は 、
分 かり ま す 。求 心性 の力 があ れば 、 必ず そ れ と 逆 方
の力 があ ると 、 そ の合 力 の エネ ルギ ー が 生 じ てき ま
動 か され て いるわ け です 。
そ れ か ら、 も う 一つ、 こ の求 心性 の力 と 、遠 心性
こ の、求 心性 の力 と 、遠 心性 の力 によ って作 られ 、
す か ら 、陰 陽 の初 歩 的 な 考 え方 か ら い っても 、 いち
ば ん陰 性 な機 器 だ と いえま す 。
外 へ出 て いく 力 と 、 二 つし か働 いて いな いん です 。
ら でき て いる 、 と いう哲 学を つか って います 。 だ か
人体 発生 の 三要 素
私 た ち は 、字 宙 のあ ら ゆ るも のは 、 1 つのも のか
力 も 、 ぎ り ぎ り の中 心 へく れば 、 こん ど は 反転 し て
二 つの要 素 があ るわ け です 。
ま た 、宇 宙 法 則 の重大 な 原 理 の ´つに、 ﹁陰 き わ
ま って陽 生 じ、 陽 き わ ま って陰 生ず﹂ と いう のが あ
り ま す 。 と いう のは 、 先 ほど 言 った求 心性 の陽 性 な
す 。 だ か ら結 局 、求 心性 の陽性 の力 と 、遠 心性 の陰
洋医 学 で五臓 六腑 と い いま す け ど 、牌 臓 はあ るけ れ
地球 を と ってみ ても 、
地 球 が丸 いかたち を し て いる 、
陰 性 な遠 心性 の力 と な って拡 散 し て いき ま す 。 そ の
て い いのか、わ る いの か、 決 め られ な いわ け です 。
体 のど こど こがわ る い、 と い った時 に、塩 気 を や っ
そ うす る と 、 私 た ち 地 球 上 の生 物 は 、 植物 であ れ
るわ け です 。
星 は 、 み んな 左 ま わ り に太 陽 のまわ り を 公転 し て い
向 かう 力 が 、 あ と か らあ と か ら入 ってき て いる 、 と
いう こと です ね 。 だ か ら 、 太 陽 の九 つあ る 、 主 な惑
上 へ登 って いく 、 と いう 、陰 性 な も の です 。 こ こ で
細 長く て、
も の です 。反 対 に、 男性 が つく る精 r は 、
そ うす ると 、今 度 は人 間を み てみ る と 、 女性 は陰
反 転 し て求 心性 の力 とな って帰 ってく る と いう 、″陽
き わ ま って陰 、陰 き わ ま って陽 ″ と いう 、 無 限 の大
き な 循 環 を く り か え し て いるわ け です 。
性 の力 と 、そ の 二 つの合 した 、陰 陽 の合 力 、 と いう
ど 、膵 席 が な いん です 。西 洋 の生 理 学 では 、胃 の後
と いう こと は 、 求 心性 の エネ ルギ ーが 、 た えま な く
拡 散 した遠 心性 の力 も 、拡 散 の極 ま で いけば 、 ま た
こ こ で、ち ょ っと 問 題な のは 、 牌 臓 な ん です 。東
る のと ころ に膵 臓 が あ って、 そ の横 に牌 臓 が あ る ん
です 。ど うも お か し い の で、いろ いろ 調 べて見 た ら 、
働 いて いる 、 と いう こと です ね 。 さ ら に、地 球 が 左
極端 に いえば 、 病 気 と いう のは 、塩 気 が足 らな いの
か 、塩 気 が 多 す ぎ る の か、 ど っち かな ん です 。 血液
動 物 であ れ 、 小 さ な 微 生物 であ れ 、 ま た 、
元 素 でも 、
″
も、
陰 が 陽を 生 じ 、陽 は陰 を 生 む″ と いう こと が
言 えま す 。
一
ら 、銀 河 系 でも 、 太 陽系 でも 、中 へ人 ってく る力 と
こ の■ 行 説 で言 つて いる ″
牌 臓 ″ と いう のは 、 現 代
生 理 学 で いう膵 臓 の こと な ん です 。
ま わ り に自 転 し て、 さ ら に太 陽 のま わ り を 左 ま わ り
に 公転 し て いる 、 と いう こと は、 左 まわ り の、中 に
の中 の塩 気 が適 当 であ った ら 、
病 気 じ ゃな いん です 。
原 子 でも 、す べ て こ の左 ま わ り の求 心性 の力 が 働 い
て生 じ、 ま た 、 常時 、 こ の力 が 働 いて いる こと を 認
これ は 、幕 末 にオ ラ ンダ の解 剖 学 が 入 ってき て、
臓 器 の訳 語を 決 め る と き に、 間違 った ん です 。
こ の ″五臓 六腑 の陰 陽を き め る ″ と いう のは 、大
事 な ん です ね 。 と いう のは 、 これ が 分 か らな いと 、
そ の点 、 五行 説 で こう し てi
l臓 六腑 の陰 陽 順 が分 か
る か ら、 ど こど こが わ る い、 と い っても 、塩 気 を ど
め な け れば な り ま せ ん 。
答 え方 にな らな いし 、 カ ン ニング です よ ね 。
そ れ で、 四 、 二
f年 前 に、 は っき り した答 えを 出 さ
際 にも 間違 いな さ そ う だ か ら 、 と いう のではP U の
便 利 な ん です が 、 i
r行 説 で こうき ま って いる し、 実
これ は 、 いく つも の星 雲 の写 真 を 見 ても 、 は つき り
は ど う な る か 、 と い います と 、 当 然 、 こんど は中 心
か ら反 対 ま わ り に遠 心性 の力 と な って出 てき ま す 。
いき ます け れ ど 、 いちば ん中 ま で入 ってしま った力
それ か ら、 こ の求 心性 の力 は 、中 へ中 へと 入 って
人 間 の生 命 が 誕 生 す る た め に は 、卵 子 が卵 管 に出 て
命 の段 階 ヘジ ャ ンプ す る た め に は 、 こ の 二 つの エネ
ルギ ー が合 体 し て 一つにと け あ わ な ければならな い。
な い。精 子だ け でも 人 間 にな れ な い。人 間 と いう 生
生 き も の です 。 と ころ が 、卵 r だ け では 人 間 にな れ
と ころ で、卵 子自 体 も 生 き てます 。 ま た 、精 子も
性 です け ど 、 そ の体 に でき る卵 r は 、 丸 く て陽 性 な
のく ら いにす る か 、 と いう 兄 当 が つく か ら、非 常 に
な け れば いけ な い、 と いう ん で、 発 生 学を 勉 強 し て
-38-
●生 命 の 最 初 の 12日 間
● 排 卵。
② 排卵後、12∼ 2時 間のあいだに、輸卵管をさかのぼってき
た無数の精子のうち最強の i個 が卵子の中に入る (受 精)。
一
″ 事色 ﹁ 一ドル ・
ヽ一
ヵ︲,
L瑚 ﹁
,
Oσ
´
/11
き て、 そ こ へ、 何億 と いう精 子 の中 の、 いちば ん 強
い 一個 が卵 子 の中 へと け こん で、 と け た瞬 間 か ら新
し い生 命 の誕 生 が は じま るわ け な ん です 。
そ うす る と 、
陰 と 陽 の 二 つの エネ ルギ ーが あ って、
そ の二 つが合 わ さ って、新 し い エネ ルギ ーが 生 ま れ
る 、 と いう こと が 、 人 間 の生 命 の誕 生 のと ころを 見
てみ ても 、 は っき り 分 か るわ け です 。
だ か ら 、 こ の卵 子 も 、
受 精 し て分 裂 ・増 殖 を 始 め 、
r宮 に定 着 し て、 二 つの部 分 に分 かれ て発 達 し て い
く 。 これ は 、 無 限 の宇 宙 のかな た か ら 、求 心性 と遠
心性 の二 つの エネ ルギ ーが 入 ってき て いる のだ か ら、
こ の受 精 した卵 子も 、
遠 心性 の エネ ルギ ー の部 分 と 、
求 心性 の エネ ルギ ー の部 分 と 、 1 つに分 かれ る。 求
心性 の エネ ルギ ー の人 ってき た 、上 の部 分 は 、神 経
組織 の芽 です 。糸 のよ う に細 いも のが 発 達 し て、 そ
の先 に、 脳 が でき てく る 。 下 のほ う の、 陽 性 の部 分
へは 、遠 心性 の エネ ルギ ー が 入 ってき て、 これ は消
化 器 官を つく って いき ます 。 いち ば ん 先 が 日で、木
端 は肛 門 にな るわ け です 。
と ころ が 、神 経 が でき て、 消 化 器 官 が でき た だ け
では 、ま だ 人 間 は生 き られ な い。 消 化 器 官 で でき た
血液 が 、全 身 へく ま な く 配 ら れ て、 は じ め て人 間 の
生 理 機 能 が完 成す る 。 そ こ で、上 の部 分 と 下 の部 分
の中 間 に、遠 心力 と 求 心力 の 二 つの エネ ルギ ー の合
力 が 、 心臓 の原 型 を つく ってく る 。循 環 器 の系 統 は
こ こ から でき てく るわ け です 。
整 理 し て いう と 、 上 は 、位 置 は陰 性 な ん です 。 下
のほ う は陽 性 です 。 し か し、 陰 性 の部 分 へ人 ってく
る エネ ルギ ー は 、 陽性 な ん です 。 逆 に、 陽性 の部 分
へ入 ってく る エネ ルギ ー は陰 性 です 。宇 宙 法 則 で、
-39-
後、胚子は子宮壁にもぐりこみ、着床する。
12日
011∼
河﹁0
(排 卵 ・受精 ・分裂 ・子官 壁へ の 着床 )
0受 精後 24∼ 30時 間で、精子と卵子の染色体が合体する。
0中 心紡錘の形成。
036時 間後、2細 胞への分割。
048時 間後、 4細 胞への分割。
03日 後、胚子は 32個 の細胞となる。
'6∼
04日 後、胚子は64∼
128個 の細胞の球体となる。
04∼ 5日 後、胚子の外皮が拡大して、細胞が一方に寄る。
⑩ 6∼ 7日 後、胚子は子宮壁に着く。
● 胚 葉 の 発 生
6髄
│
ヽ むヽ
、、θ
ヽ
ttFiIP
` `
θ
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ミ移f
二
く
範
£
漏∫ 17稲
ぎF \″・
ヽtiル 抑
lAl
,
陰 には陽 、 陽 には陰 、 と 、 逆 な ん です か ら 、 間違 わ
な いでく だ さ い。消 化 器 官 と いう のは 、筒 で、中 空
にな って スー ッと のび た 、 と いう のは 、遠 心性 の エ
ネ ルギ ーが 作 用 し て いるわ け です 。
これ は 、精 子 の つく られ 方 を み ても 、 そ う な ん で
す 。男 性 の生殖 器 官 であ る 、 精 のう と いう のは、放
射状 に並 ん だ 、無 数 の筒 か ら でき て いて、 そ こか ら
精 子 が遠 心 力 で外 へ飛 び 出 し てく る ん です 。男 と い
、
、
う陽性 か ら、陰 性 の精 子 が 生 ま れ る と いう のは
字宙 法 則 の大 き な 見地 か ら 見 れば 、 当 然 な ん です け
ど 、 今 の科 学 では 、 こう いう こと は 何 も 見 な いで、
ただ 、 現象 の説 明 だ け し か し て いな い。
肺 は消 化 管 の先 に ″分 裂 ″ し て でき る
今 日 は 、 消 化 器 の話 です か ら 、話を も ど します と 、
こ の内 胚 葉 と いう 、 消 化 器 の原 型 が ズ ー ッと のび て
きま す け れ ど 、 エネ ルギ ーが 、 と ころ ど ころ で タ マ
を つく る ん です 。 ま ん中 ど ころ に、膵 臓 を つく り 、
片 方 に肝 臓 を つく ってき ま す 。
そ れ か ら、 た と えば 、 水 道 のホ ー ス で水 を 出 す よ
うな ことを 考 え ても 分 かる ん です が 、 も のは 、 エネ
ルギ ーが つよ け れば 、 ど こま でも 一つで、 ま っす ぐ
行 く 。 と ころ が 、力 が 弱 く な ってく る と 、 先 が 分 か
れ て分 裂 し てしま う 。肺 は 、 こう し て消 化管 の先 に
二 つに分 かれ て でき た 。 だ か ら陰 性 です 。
心臓 はど う か、 と いう と 、 心臓 は 、遠 心力 と求 心
力 の合 体 した 、 いちば ん 陽 性 な エネ ルギ ー ででき ま
。
す 。 いちば ん陽 性 な も のは 、ま ん中 へでき てき ま す
そ し て、 こ の陽性 な エネ ルギ ー は下 へさ が って い っ
陽 性 な も のは地 球 の中 心 へ向 か い、 陰性 な も
て、 ︵
-40-
のは フワ ッと上 が る︶ そ こ で、途 中 に牌 臓 を つく り
ます 。膵 臓 と牌 臓 を 比 べた ら 、牌 臓 のほう が 陽性 な
つの腎 臓 を つく る 。
こう し て、 無 双 原 理 を つか って人 間 の発生 学 を 調
き ま す 。 次 に 、膵 が き て、肝 が き て、 いちば ん 陰 性
側 が陰 性 で、背 中 の側 が 陽 性 です 。膵 臓 は 、 な ぜ牌
に近 いん です 。 お腹 の側 と背 中 の側 と では 、 お 腹 の
な ぜ 、 心臓 が 体 のま ん中 にあ る のか⋮ ⋮ こう いう
な ぜ 、腎 臓 が 二 つあ る のか 。
な ぜ 、 肺 が 二 つあ る のか。
が弱 って いた ら 、苦 味 を やれば い い。片 か ら西 洋医
非 常 に楽 な ん です 。
だ か ら 、 五 行 説 に書 いてあ る こと は 、 でた ら め じ
ゃな い。 これ が分 か ってみ る と 、病 気 を 治す と き に
な のが肺 臓 です 。
臓 よ り も お腹 の側 に近 く あ る か 、 と いえば 、膵 臓 は
こと が 、克 明 に分 かり ます 。 こ の結 果 と 、五 行 説 で
べてみ た ら 、非 常 にお も しろ い。
消 化 器 官 で、陰 性 な遠 心力 で でき た も のだ か ら 、前
出 てく る ■ 臓 の陰 陽 序 列 を 比 べてみ た ら 、 や っぱ り
ん です 。 と いう のは 、牌 臓 のほ う が人 体 の背 中 の側
のほ う にあ るわ け です 。牌 臓 は循 環 器 の系 統 で、遠
心臓 と いう のが いちば ん 陽竹 だ と いう な ら、 これ
心力 と求 心力 の合 し た 陽性 な 力 で でき る か ら、背 骨
学 で強 心剤 と し て使 ってき た のは 、 ジ キ タリ スと い
″熊 の胆 です 。
う苦 い薬 です 。 日本 の民 間業 では 、
″
そ れ か ら 、黒 焼 き療 法 と いう のが あ って、梅 卜 し の
黒 焼 き と か 、 何 でも 黒 焼 き に し て のま せ ま す が 、 み
ん な 苦 い。 肯 い顔 し て フラ フラし て いる 人 に、 こう
いう も のを やれば 、 シ ャ ンとす る 。
逆 に、古 い味 のも のを 摂 り す ぎ ても 病 気 にな る 。
そ う いう時 に は 、 そ れ を 抜 いてやれば い い。 必ず 、
病 気 には 、陰 と 陽 が あ って、 ウ ラ ・オ モ テにな って
いま す 。西 洋医 学 には 、 こう いう考 え方 が な いん で
す ね。
心臓 が わ る い、 と い っても 、塩 気 を と り す ぎ て、
心臓 がぐ っと締 ま って滴 状 心 にな って、暴 れ ま わ っ
て いる 心臓 病 も あ る 。 反 対 に 、砂 糖 だ の果物 だ のを
摂 り す ぎ ち ゃ って、 レ ントゲ ンで見 る と 、 心臓 が ブ
ワ ッと ひ ろ が って、 青 い顔 し て、階 段 を L る にも 、
アゴ を 出 し て ハア ハア い って いるよ う な 、 陰性 な 心
臓 病 も あ るわ け です 。 こう いう 広 が って いる 心臓 に
は 、片 い、 ち ぢ むも のを やれば 、元 にも ど るわ け で
す 。滴 状 心 で、 ちぢ ま りす ぎ た 心臓 には 、広げ るも
のを やれ ば 、 いいわ け です 。苦 味 と 反 対 のも のを や
腎 臓 と いう のは 、 体 の塩 分 と 水 分 の管 理を し て い
るわ け です 。
-41-
の側 にあ る 。 そ し て、 こ の エネ ルギ ー が 、 さ ら に下
が って い って、 弱 く な る か ら 、 二 つに分 裂 し て、 二
▲ 体長5ミ リの時の消化系の発生状 況
合 って いた 。
苦 い″ に対 応す る の で、いちば ん 陽性 だ 、
心臓 は ″
″しお か ら い で、腎 臓 が
と な り ます 。 そ の次 は 、
″
●肺 は 消 化 管 の 先 に で き る
上大静脈
甲状 腺
尿 管
行結腸
=焦
■空 腸
子 富
卵管・ 卵巣
膀 洸
直 腸
膵 1麟
き
│■ 1体
1警
ます 。 全 身 を ま わ ってき た 血液 の中 の、と 化 した塩
気、 余 分 な 塩 気 、余 分 な 水 分 を 、腎 臓 の糸球 体を 通
し て、 こ し て、小 水 と し て体外 へ出 す 、 と いう役 目
を し て います 。
物 事 を 陰 陽 で判 断 す る
。
腎 臓 病 にも 陰 性 病 と 陽性 病 の. つあ り ま す 塩 気
の摂 りす ぎ によ る腎 臓 病 だ った ら 、脱 塩 療 法 を やれ
ば い い。 逆 に、 不 フ ロー ゼ み た いに、 果物 と か= い
塩 気 が ぬけ て、
も のを 摂 りす ぎ て、 ふ やけ ち ゃ って、
腎 臓 の組 織 自 体 が崩 壊 し て、 と かさ れ てき て いるも
のに は 、塩 気 を や らな け れば 助 か らな い。
、物 事 を 陰 陽
と ころ が 、西 洋医 学 に は 、 こう いう
で判 断 す る 、 と いう 考 え 方 が な いた め に、腎 臓 病 だ
、
と いえば 、 体験 主 義 か ら、牛 乳 と 果 物 療 法 だ と い
、
う バ カな やり 方 を つづ け て いるわ け です 。 だ か ら
な ん にも 助 け る こと が でき な い。腎 臓 が ダ メ にな っ
人 工腎 臓 にな った ら大 変 です 。 し ょ っち ゅう病 院
た ら 人 工腎 臓 だ 、 と 。
へ行 かな け れば な ら な い。 お 金 も か かり ます 。そ れ
で将 来 治 る のか 、 と いえば 、 治 らな い。 これ を や っ
た ら 長 生 き でき る のか 、 と い った ら 、 そ れ も だ め 。
´つ覚 え
悲惨 な も ん です 。 そ れ で、 食 べる ほ う は 、
牛 乳 ・果物 ″⋮ ⋮ つま り 脱 塩 法 です ね 。醤 油 ま
の ″
で、塩 を ぬ いたも のを 使 って いる 。 人 間 は 定 の塩
気 が 体 にな か った ら生 き られ な いん です 。 私 たち の
血液 は 、 海 水 の濃 度 よ り も ち ょ っと薄 いく ら いの塩
気 が あ る ん です 。 こ の塩 気 が な か った ら、 心臓 が 動
では、膵席は何か、というと、ここからはインシ
かな い。
-42-
(背 面から)
●各 内 臓 の 位 置
大 動 脈
左 肺
右 肺
下大静懸
1籐 1織
下行結腸
回 腸
肛‐
門
ュ ン いう ホ ル モ ンが出 て、 体内 のブ ド ウ糖 消 費
と
リ
″甘 いも の″ を
を管 理 し て いるわ け です 。 つま り 、
、
コント ロー ルし て いる ん です が 今 か ら 二千 年 も 前
牌 臓 ″ と いう名 前 で、 こ
に、 こう し て漢 方 医 学 で ″
の膵 臓 を 、甘 さ を管 理す るも のと し て位 置 づ け て い
。
た 、 と いう こと は大 変 な こと だ と 思 います
、
甘 い、 と い っても 、ア
﹂れ は砂 糖 の︱
︱ さ じ ゃな く て
澱 粉 の こと な ん です 。 澱 粉 と いう のは 、 体内 でブ ド
。
ウ糖 に変 わ って、 エネ ルギ ーを 出 す わ け です ね つ
、 こ の膵 臓 で
ま り 、主 食 、 お米 に関 係 し て いる のが
す。
ニン ニクと か、 シ ョウ ガ と か、あ あ いう
いう のは 、
味 です 。
こう し て 、五 行 説 で■ つに分 け て、 さ ら にそ れ ぞ
。
れ 、陰 陽 に分 け て見 て いく か ら、完 ぺき な ん です
た と えば 、 心臓 病 と い っても 、肉 食 を たく さ ん じ
た ア メリ カ人 な ん か に多 いん です が 、 心臓 が充 血 じ
、
、
て、 耳 ま で真 っ赤 にな って胸 を お さ え て 苦 し い
苦 し い、 と い って いる場 合 が あ り ます 。 こん な と き
.つ覚 え でや っ
″心臓 には片 いも の″ な ん て、
に、
た ら、 な お苦 しん で しま います 。 血を うす く す るも
。
の、塩 気 を 抜 く も のを やれば い いわ け です 具 体 的
、酸 っぱ い
。
リ ンゴ を お ろ した も のを ど んど ん のま せま す
に は 、 心臓 のL に 、大 根 お ろ しを は って
膵 臓 が 陽性 に かた む いた と き は 、甘 いも のを 入 れ
、
てやれば いい、逆 に、 陰 性 にな って いる と き は し
の人 が 死 ん で いる か分 かり ま せん 。
、
った ら 、 こ れは 逆効 果 です 。 そ のた め に、ど れ だ け
、
れば 助 か る ん です 。 だ け ど 、東 洋 人のよ う に 貧 血
で心臓 が苦 しく な ったよ う な場 合 に、 カ ン フ ルを や
場 合 は 、 こう いう 、 血 を うす く す るよ う な も のを や
ン フ ル のよ う に 、非 常 に陰 性 な も の です 。西 洋 人 の
西 洋 の心臓 病 と いう のは 、 み ん な肉 食 過 多 か らき
、カ
た 、 陽性 な 病 気 です か ら 、西 洋医 学 の強 心剤 は
、 栄養 を 貯 蔵 し
お 気 を 入 れ て締 め てや れば い い、 と いう こと にな り
ます 。
肝 臓 と いう のは 、油 を 処 理 した り
たり 、 解 毒 した り し て いる ん です が 、油 のとり す ぎ
で肝 臓 が はれ た、 と いう よ う な と き は 、酸 づぱ いも
のを 入 れ てやれば 、肝 臓 はよ く な り ま す 。
、
、
コカ コー ラが よ く 売 れ る と いう のは 肉 食 を し
、
て、油 の摂 りす ぎ で肝 臓 が疲 れ た と き こう いう酸
つぱ い飲 みも のを 入 れ てや れば 、 スカ ッとす るわ け
これ は 、 食 養 を や って いる 人 の問 題 な ん です が
味 のバ ラ ン ス
です 。 ︵コカ コー ラが い い飲 み物 だ と 言 って いるわ
、
け ではあ り ま せ ん け れ ど ︶ け っき ょく 肝 臓 と いう
多 く と れ 、 と い います ね 。 これ は 、澱 粉 です か ら
つま り ″甘 い″ 味 です 。 それ か ら、塩 と か醤 油 で味
つけ しな さ い、 と い いま す ね 。 これ は ″しお か ら い″
炒 め た ″ も のを 食 べま す
味 です 。 そ れ か ら 、よ く ″
。
ね 。 焦 が した ″片 い″味 が 人 ってき ま す
ふ つう 、 食 養 と いう と 、主 食 、 つま り玄 米 や穀 物 を
、
のは 、油 と か蛋 白 と か 、酸 性 のも のを 処 理 し て いる
わ け です 。 これ も 、 五 行 説 の、 あ の表 は合 って いま
す。
肺 は 、 これ が充 血 し た と き は 、辛 いも のを 入 れ て
や と 治 り ます 。 結 核 のよ う に貧 血 し て いるも のに
る
。辛 い、 と
は、 反対 に塩 気 のも のを 入 れ てやり ます
、
そ れ で、 果物 や、白 っぱ い野菜 や ま し て シ ョウ
辛 い″ 味 は 、陰
酸 っぱ い″
″
ガ や カ ラ シな ん か の ″
性 だ と い って、 と らな いわ け です 。
これ は 、果物 や砂 糖 や香 辛 料 、 生 野菜 な ん かを 食
べす ぎ て、 体 が ゆ る ん で いる 人 に は非 常 に い いわ け
、 f年 、 卜年 、 つ
です 。 です け ど 、 こう いう 食事 を i
づ け て いる と 、 い つし か体質 が かた よ って しま う ん
″
酸 っぱ い味 ″
です 。 そ れ で病 気 にな った と き は 、
や ″辛 い味 ″ のも のを とれば 、 な ん でも な く 治 る ん
″解熱 発汗 には第 一人 根 湯 ″ と いう のは 、 こ
です 。
″そ ん な も のは陰 性 だ ″ と
の意 味 です 。 と ころ が 、
、少 しし
、助 か
い つて、 と らな い人 が あ り ます 。 と っても
かと らな い人 があ る 。 そ のた め に、 ど れ だ け
。
る人 が 助 か らな か った か分 かり ま せ ん 教 わ った こ
。
と だ け を 、く そま じめ にや る 人 は こわ い P U と い
、
臨 機 応変 と いう ことを 言 って いる ん です が
う のは 、
これ の分 か らな い人 が 、 意外 に多 い、 と いう こと で
す。
け っき ょく 、病 気 と いう のは 、 陽性 な も のを と り
、
す ぎ た か 、陰 性 な も のを と りす ぎ た か のど っち か
、 陽性 な 食 べ
な ん です 。陽 性 のと りす ぎ の場 合 には
物 を や め て、中 間 のも の、 あ る いは陰 性 な も のを と
って、 体 を 中 庸 にも ってく る。 反対 に、 陰 性 のと り
、
す ぎ の場 合 には 、陰 性 な 食 べ物 を や め て 中 間 のも
の、 陽 性 な も のを と って、 体 のバ ラ ンスを は か る よ
う にす れば い いわ け です 。
桜 沢 先 生 と いう 人 は 、陰 性 だ った か ら 、 塩 気 を い
、
く ら と っても良 か った 。よ く読 めば 無 双 原 理 と い
う のは 、 陰 陽 の調和 な ん です か ら、 関連 わ な いわ け
な ん です け ど 、ど ち ら かと いう と 、陰 性 な も のを 禁
-43-
じ て、陽性 なも のを す す め る と いう 、自 分 の体験 と
いう も のが 、い つし か本 に出 てき てしま う 。 だ か ら、
陰性 な も のは いけ な い、お 風 呂 に入 っては いけ な い、
果物 は食 べては いけ な い、 生 のも のは 食 べ ては いけ
な い、芋 は いけ な い⋮ ⋮ 陰 性 な も のは 、 み ん な ダ メ
です 。
し か し、体 が 陽性 に かた む き す ぎ た 人 は 、陰 性 な
も のを と った り 、脱 塩 した り しな け れ ば 助 か らな い
わ け です 。陰 陽 と いうも のが 本 当 に分 かれ ば 、 そ う
いう 誤 り はな いわ け です 。 は じめ 、陰 性 だ った か ら
ます 。 ゼ ン ソク でも 、 コ ン コン、 コン コン、 せ きを
し て苦 し い、 と 、 これ は陰 性 な のか 、 陽性 な のか分
かれば 、 治 し方 は 、 いとも か ん た ん な ん です 。
︱
こう いう のは 、 ︱
︱
︰交 感 神 経 の緊 張 です 。だ か ら、
1
む か し、 せき ど め 、 と い った ら 、 ア メを 使 って いた
で し ょう 。食 養 では 、 ふ つう 、 いけ な い、 と いう も
のを 使 って いるわ け です 。塩 気 は使 って いま せ ん 。
と いう と き は 、塩 気 のも のを や つち やダ メ です 。玄
米 も だ め です 。玄 米 だ って陽性 です か ら 、酸 つぱ い
果 物 の よ うな 、塩 気 を ぬく も のを やれ ば 、熱 はす ぐ
下 が り ます 。
、 四年 前 に、非 常 にま じめ な奥 さ ん が
こ れ は 、 す.
高 熱 を 出 した 。 こ の人 は 、 卜年 く ら い、 キ ンピ ラご
ぼ う と テ ッカ ミ ソを な め て、体 が 陽 性 で コチ コチ に
な っち ゃ った 。十 日 間 、 四 〇度 の熱 で、 うな った っ
き り だ 、 と いう ん です 。 聞 いてみた ら 、 梅 生 番 だ の
玄 米 スープ だ の飲 ん で いる 、 と いう ん です 。 そ ん な
こと した ら死 ん じま う 。す ぐ 第 一人 根 湯を ど ん ぶり
一杯 、 そ れ か ら ハス のお ろ し汁 、 それ か ら酸 っぱ い
リ ンゴ の果汁 でも 飲 ま せな さ い、 と い つた ん です 。
そ れ で、 飲 ん だ ら、 いき な り熱 が^
.卜 七度 ま で下 が
った 。 と ころ が 、フ
﹂んな にく そ ま じめ に や った人 は 、
一回 く ら い熱 が 下 が っても 、 血 の濃 いのが残 って い
る か ら 、ま た熱 が 四 〇度く ら いま で上 が った 。ま た 、
同 じよ う な ことを しな さ い、何 回 でも 熱 が下 が る ま
で、大 根 湯 と ハスと リ ンゴ を 飲 みな さ い、 と い った
ん です が 、本 人 が 、 そ ん な 陰 性 な も のは いやだ 、 と
拒 否 した ん です ね 。 それ か ら 、^ヽ 医 者 が 来 ま した 、
と いう 連 絡 があ った か ら、 これ はも う ダ メだ な 、 と
思 った ら、注 射 し て四時 間 で亡 く な り ま した 。
こう いう例 が 、ず いぶん あ る ん です 。
上 下左 右 の陰 陽
少 し、 話を も ど します 。
桜 沢 先 生 は 、食 物 を 陰 性 なも のか ら陽 性 なも のま
で並 べて 、
食物 の陰 陽表 と いう も のを 作 って いま す 。
そ うす る と 、苫 いも のは 陽性 、十 いも のは陰 性 のと
-44-
と ころ が 、占 い会 員 の人 の中 に は、 何 でも 病 気 は陰
性 な ん だ 、 と 、 セキ が 止 ま らな い のに、 r ども に梅
生 番 な ん か飲 ま せ て、一 で
間
熱
ン
ウ
ン いわ せ て いる
ウ
人 が あ り ます 。 血 が濃 く な って、l
l
︱
︲交 感 神 経 が緊 張
︲
し て、 セ キ が出 て いる の に、 さ ら に塩 気 のも のを 飲
だ か ら 、 こ のよ う に、 子ど も が熱 を 出 し て″赤 い
″
られ ま せ ん 。
て熱 を 出 し て いるわ け です 。西 洋医 学 では 、熱 があ
る 、 と いう と 、 ″
氷 ″ だ と や って いる 。 これ はも う 、
科 学 でも な いです ね 。人 間 が熱 を 出 し て いる 、 と い
う のは 、酸 化 な ん です か ら、 ア ルカ リを 入れ てやれ
ば 、中 和 し て熱 が 下 が る 。水 や氷 じ ゃ、酸 化 を 止 め
五 行 説 に は 、色 も 出 て います 。 いちば ん 陽性 な 心
″赤 です 。 子 ど も が熱 を 出 し
臓 に対 応 す る色 は 、
″
て、 ほ っぺた が 赤 い、 耳 が赤 い、 と いう のは 、 これ
は 、 陽 性 過多 の凝 集 熱 です 。 これ は 、 血液 が酸 化 し
辛 酸 甘 鹸 苦
ま せ て、 な お苦 し め て いる 。
′L)
肺 肝 牌 腎
食養 を は じ め て、高 圧 釜 で炊 いた玄 米 に、 ゴ マ塩 を
かけ て、根 菜 類 の、 いわ ゆ る キ ンピ ラみ た いな 陽性
な お かず を 食 べ、 そ う し て じ よ じ よ に体 が 治 ってゆ
圭日
陽性 →
―陰 性
黄 黒 赤
白
く 。 これ は 当 然 な こと です ね 。
と ころ が 、 これ を つづ け て、中 心を 過 ぎ ち ゃ った
らど う な る か 、 と いう と 、陽性 のほう のかた よ り も 、
これ も 病 気 です 。 そ した ら 、 こんど は逆 に陰 性 のほ
う へも ど し て、
中 心 へも って こな き ゃな り ま せん ね 。
それ が 、
私 た ち の受 け た 教 育 が 間違 って いた のか、
動物 性 のも のを 食 べ て、 頭 が お か しく な って いる の
一たす 一は 二、 と いう だ け の、 いわ ゆ る形 式 論
か、
理 が 、 私 た ち の頭を ぎご ち な く さ せ て いる ん です 。
い つし か中 心を 通 り す ぎ ても 、 ま だ 自 分 は陰 性 だ 、
と 、 陽性 な食 べ物 し かと らな い。死 ぬ 間ぎ わ にな っ
て か ら陰 性 を と っても 、も う 間 に合 いま せ ん 。 や は
り 、あ る程 度 、柔 軟 な 代 謝 能 力 のあ る とき 、 排毒 の
でき る と き に、 陰 性 な も のを 入 れ てやれば 、中 心 に
も ってく る こと が でき るわ け です 。
だ か ら 、 カ ゼな ら カ ゼ で、 これ が陰 性 な のか 、 陽
性 な のか。 カ ゼ にも 陰 性 の カ ゼ と 陽性 のカ ゼ があ り
金 木 土 水 火
●体 質 別 の 食 事 法
すぎ
陰も ぉ夏 み
陽も
議
駐乱;飲
賛
狡
(陰 性の 肥大 )
主 食 は フツウ
副 食 は少 な く
塩 気 を強 く
湯 茶 を少 な く
。
硬 化 した 体 を ひろげ る には 温 め る 。 温 泉 O K
、
主 食 を ユル メ ル、 オ カ ユ、 ウ ド ン パ ン
。
主 食 、副 食 の比 を 逆 に し ても よ い
1
│ま
野 菜 は適 量 に
水分 は フツウ
温 か い もの をとる
、
︱
ころ に入 って いま す 。甘 い、 と いう のは 澱 粉 の︱
さ です か ら 、 ま ん中 のと ころ にあ り ます 。砂 糖 の甘
さ と は違 います 。砂 糖 は いちば ん陰 性 のと ころ に人
れ てあ り ます 。
そ こ で問 題 な のは 、 陽 性 にな った人 が陰 性 のも の
、
を と る 、 と い っても 、 ど の陰 性 を と った ら い いか
、
と いう こと です 。 こ の五 行 が 分 か って 五 味 の性 質
、陰
が 分 か って いれば 間違 いな いん です け ど 、 た だ
と 陽 と だ け し か頭 にな いと 、大 き な 間違 いをす る ん
です 。
そ こ で、 私 は ″上 ド 左 右 の陰 陽 ″ と いう のを 発 表
した ん です け ど 、 た と えば 、 心臓 が 小 さ く な った か
ら大 きく ひろげ る 、 と い っても 、萎 縮 し て小 さ い場
力 が な く な って、
合 も あ り ま す 。 血 が 少 な く な って、
しぼ ん で小 さ い場 合 です 。 も う 。つ、塩 気 が非 常 に
。
、
一
強 く な って、日 く 締 ま って 小 さ い場 合 も あ り ま す
、
だ か ら 、も の の小 さ いのが 陽 性 で 大 き いのが陰
性 だ と いう 、 かん た ん な形 式 論 理 的 な 陰 陽 の判 断 だ
と 、 た い へん な 誤 ち を す る場 合 が あ り ます 。
心臓 が 肥 大 した 、 と い っても 、 いわ ゆ る塩 ぬけ に
、
な ってき て、 血 が 水 み た いに うす いた め に 弁 膜 肥
。
大 みた いに 心臓 が ひろ が って いる場 合 が あ め ます
、肉 を ど ん
そ う か と 思 う と 、プ ロレ ス ラー み た いに
ど ん 食 べて、 必要 以上 に血 を つく ってしま った場 合
でも 、赤 く はれた が って、大 き く な って います 。
、
だ か ら、 同 じ ″小 さ い″ と いう中 にも 塩 気 が 多
、
く て締 ま った のと 、年 寄 り み た いに しおれ てき て
大 き く な る″ と い
つあ るわ け です 。 ″
小 さ いのと .
っても 、 力 通 山 み た いに 、陽 性 で大 き いのも あ る し、
糖 尿 病 み た いに、 青 ぶく れ で大 き いのも あ るわ け で
-45-
水分 多 く
食
断
生 ヤ サ イ,果 物
塩気少 な く
スー プ (穀 物で もヤサ イで も)
短期的 に
●断 食 は向 かな い
︵
ち ぢ ま る︶
(陽 性の萎縮 )
性の萎 縮 )
(陰
●体 を温 め る
●体 を温 め る
聰着
な
ミな
雖
飩
主 食 を多 く
ば1食 を陽性 に,少 な く
飲 み物 は陽性 に,少 な く
主食少 な く
ヤサイ多 く
湯茶適量
●断 食 は 向 か な い
ふく らむ︶
︵
も陽 も共 にな い)
(陰
(血 が濃 い)
(血 がうす い)
。塩 気 が汗 と い
っ 、
ッ
っ
て
汗
が
ス
と
引
こ
む
わ
で
け
す
っし ょ に出 てし ま う と 疲 れ る か ら 、
塩 気 を補 って、
す。
そ うす る と 、 こう いう いろ いろ な タイプ の人 が 、
汗 を そ れ 以上 出 さ な いよ う にす る ん です 。
と ころ で、も う ^ぺん 、 五行 の表 を み てみ る と 、
出 せな い場 合 も あ る ん です 。 こう いう場 合 には 、 体
″収 の
の中 の塩 気 を 、 小 水 の中 にと か し て出 す 、
″
も のが い いわ け です 。 小 水 と し て出 す 場 合 には 、 占
い塩 気 だ け出 し てき ま す 。汗 の 場合 には 、 ま だ 使 え
て熱 を 下 げ るわ け です 。
でも 、汗 を 出 し て、あ ぶな い場 合 も あ り ます 。汗
と いう のは体 の中 の塩 気 も 出 し てき ま す か ら、汗 を
のた め に入 れ る︶ そ れ でな か った ら、 ネ ギ ミ ソを と
る 。 み ん な ″辛 い″も の です 。 強 い ニオ イ のあ るも
の です 。辛 いも の、 と いう のは 、 み ん な揮 発性 が あ
る ん です 。 ネギ 湯 も そ う です 。 ネギ を 刻 ん で、 ミ ツ
を 入 れ て、 お 湯 にと か し てと ると か、熱 を 発散 さ せ
は 、 第 一人 根 湯 です ね 。 ︵
醤 油 は 、 陰 陽 の取 り合 せ
メ です ね 。汗 を 出 さ な け れば いけ な い。そ うす る と 、
大 根 お ろ し に、 し ょう が お ろ しを 加 え てと る 。これ
こと にな り ます ね 。 カ ゼ な ん か でも 、 体 の中 に占 い
塩 気 が た ま って、 カゼ熱 を お こす 、 と いう場 合 が あ
り ます 。 こん な と き に、酸 っば いも のを と っても ダ
″
″収 です ね 。汁
要す る に、
酸 っぱ い も のは 、
″
″
″
″
を 引 っこめ る 。
辛 い″ も のは 、
散 ″ で、な お汗
を 出 す 。 カ レー な ん か食 べた ら 、汗 ば かり か、 涙 ま
で出 てく る 。だ か ら 、フ
﹂の五行 が 本 当 に分 か った ら 、
な にも 、 漢 方 の ″収 ″
散 ″ な ん て いう 言葉 を つか
″
わ な く ても い いん です 。
では 、 陽性 にな った と き 、汁 を 出 し て しま つた ほ
う が い いの か、 引 っこめ た ほ う が い いのか、 と いう
体を 治す た め に食事 を す る 、 と い っても 、 た だ 単 に
陰 だ 、 陽 だ 、 と いう だ け では 、 正 し い答 え が出 な い
ん です 。
だ か ら 、ち ぢ ま つて いる陽 性 の人 は 、 ひろげ る陰
性 のも のを と れば い い、と いう こと にな り ま す 。 今
度 は 、力 道 山 み た いに 、熱 を も って、 カ ッカ し て大
きく な って いる 、 と いう 場合 に は 、 ひろげ るも のを
や った ら逆効 果 です か ら、 これ には 、塩 気 を 抜 く も
のを やれば い い。脱 塩 剤 です 。体 の中 の塩 気 を ど ん
ど ん と か し て、小 水 と し て出 し てや るも のを やれ ば
い い。
体 が締 ま りす ぎ て小 さ く な った 人 は 、体を 温 め て
ひろげ てや るも のを り.え れば い い。
だ か ら、 同 じ陰 性 と い っても 、余 った 陽 性 を 小 水
と し て出 す 、 と いう陰 性 も あ れば 、国 く な って いる
か ら 、 これ を 広げ る 、 と いう陰 性 も あ る ん です 。
汗 を ひ っこめ るも のと 、 出 す も の
と ころ が 、漢 方 の中 には 、 こう いう区 別 が あ る ん
″収 と
です ね 。 ″収 ″ と ″散 ″ と い って います 。
″
いう のは 、汗 を ひ つこめ る 役 の ことを い います 。 リ
ンゴ と か、 レ モ ンと か 、夏 ミ カ ンと か 、酸 つぱ いも
の です 。 と ころ が 、 カ ロリ ー のあ る甘 い果物 を 食 べ
た ら、汗 は ど んど ん出 ます 。 果物 が 陰 性 だ と 一般 的
に言 っても 、 汗 を 引 っこめ るも のと 、汗 を な お出 す
も のとあ るわ け です 。 日 本 では 、 山 のぼ り を す る な
ん て いう と 、梅 干 しを 持 って いき ます 。汁 を か いた
と き に、 これ を 食 べる と 、梅 I し に は ク エン酸 が あ
辛 い味 ︶
●第 一大 根 湯 ︵
大 根 お ろ しと し ょう が お ろ し の酔駕 発 汗 剤 。大
根 お ろ し 、 さ かず き 二杯 、 ひね し ょう が お ろ し 、
そ の 一割 、純 正占 式製 法 のし ょう ゆ、 さ かず き 一
杯半 から 一
杯 。 ほ う じ番 茶 を 熱 く した も の、 二、
i合 を つ いで、ど ん ぶり .杯 を 一度 に のむ 。き か
な け れば も っと 飲 ん でも い い。 のん でお いて、布
団を 厚 く 頭 ま で か ぶ って四 〇分 、 じ っと ガ マンす
る と 全身 か ら玉 の汗 が出 て、熱 が下 が る 。 廊場 は
これ でO K 。
●第 二大 根 湯
足 のむく み 、 泌 尿 器 系 の病 気 で発熱 し て、小 水
が出 な いと き な ど 、 体内 の占 いと 化 した 塩 気 を 小
水 に と か し て出 す も の です 。 ︵
第 ..
大 根 湯 では 、
大 根 お ろ し の ″汁 ″だ け で、 カ スは使 いま せん 。
腎 臓 に作 用 さ せ る た め です 。 第 ´大 根 湯 は 、腸 に
作 用 さ せ るた め に カ スも し ばり 汁 も い っし ょ に使
大 根 お ろ し の汁 だ け しば って、 さ かず き 一杯 、
います ︶
お 湯 l杯 。 これ を 一回 、 パ ッと煮 沸 し て、 ニパ ー
セ ント の食 塩 を ま ぜ て飲 みます 。人 によ って多 く
必要 な 人 に は2 カ ップ 飲 ま せま す 。
、
第 ..
大 根 湯 を 飲 む0
3 分前 に 第 一大 根 湯 を 1 カ
ップ 飲 ん でお く こと が 必要 です 。
●リ ンゴ ・ジ ュー ス ︵
酸 っぱ い味 ︶
解 熱 のた め に、酸 っぱ いリ ンゴ のお ろ したも の
全 部 のま せ 、 次 に、 利 尿 のた め に、 カ スを のぞ い
、 1滴 た ら し て飲 ま せ 。
た しぼ り 汁 に レモ ン^一
る
、
熱 が8
3 度 以下 のと き は 一度 パ ッと沸 かす 。
-46-
す。
る塩 気 でも 、占 い塩 気 でも 、 み ん な出 し てしま いま
人 が 、 体 が 氷 み た いな ん です 。 直 腸 ガ ン の 人 、 体 の
た の は 、 四 、 五 年 前 です 。 重 症 の肝 臓 ガ ン の忠 者 の
と き に、毒 消 しと し て、消 化 でき るよ う にす る た め
ん です 。 た だ 、肉 と か魚 と か 、 陽性 のも のを 食 べる
べる ん です 。 温帯 や寒 帯 では 、 そ う いう 必要 は な い
か った ら生 き て いられ な い。 だ か ら、暑 いと ころ で
は香辛 料 を う ん と 使 って、汗 を 出 す よ う な 料 理を 食
は 、体 に塩 気 は いらな いん です 。 体を 冷 や し て いな
あ の暑 い、 太 陽 の カ ロリ ーが い っぱ いあ る と ころ で
湯 の中 に ま ぜ て と ら せ た 。 そ し た ら 、 そ の水 み た い
た ん です 。 そ こ で 、 梅 F し の黒 焼 き を 作 って 、 ク ズ
苦 いも のを 取 り L げ な か った ん だ ろ う 、と 気 が つ い
分 た ち は 、 今 ま で 、 ど う し て いち ば ん 陽 性 な 、 こ の
ほ と ん ど 動 い て い る の か 、 いな い の か 分 か ら な い。
助 け 方 が 分 か ら な か った 。 そ の と き 、 フ ッ と 、 自
です ね 。 非 常 に 陰 性 な 粘 液 便 を 出 し て いる 。心 臓 も 、
ど こを さ わ って も 冷 た いん です 。 玄 米 の ク リ ー ムを
の ま せ て も 何 を 入 れ て も 冷 た い。 そ れ で 、 便 は 緑 色
と いう と 、
イ ンド人 が な ぜ カ レー料 理 を 食 べる か 、
に、 コシ ョウ と か 、 ワサビ と か 、 シ ョウガ と か、 ニ
な 体 の人 が 、 足 が 少 し ポ カ ポ カ し て き ま し た 、 と 言
いま し た 。
●会 費 / 七 〇 〇 〇 円
¨
“〇一
六六九・
二・一
〇二四
車 で 7分 ︶ 農 業 研 修 セ ンタ ー
土 ︶∼ 4 日 ︵
●8月 2 日 ︵
月 ︶、 2泊 3 日
2
2
美 瑛 駅よ り
●上 川郡美 瑛 町 字美瑛 原 野 ︵
特 別 講 座
北海 道健康学苑
ン ニクと かを 業 味 と し て取 り合 わ せ るわ け です 。
″ み は体 を 温 め る
苦
″
と ころ で、塩 と いう のは 、 ま ったく カ ロリ ーが な
キ い と いう のは熱 量
いん です 。 と ころ が 、 炭素 、″︱
″
です ね 。非 常 な カ ロリ ーが あ り ま す 。 だ か ら 、体 が
陰 性 でや られ て、 陽 性 を 入 れ な く ては いけ な い、 と
いう と き 、体 が非 常 に冷 え て いる人 、こう いう人 は 、
塩 を 入 れ ても ダ メ です 。 だ か ら 、 同 じ陽性 でも 、 体
を 温 め る陽 性 と 、 あ る 程 度 、冷 やす 陽 性 と あ るわ け
です 。
今 ま で の食 養 は 、 と かく ″塩 気 、塩 気 ″ と い って
き たわ け で、 卜年 、1卜年 や って いる う ち に、 体 が
●講 師 / 桜 沢 里 真 先 生 、大 森 英 桜 先 生 、
国 く締 ま ってき て、 血 の循 環 がわ るく な ってき て、
塩 気 のとり す ぎ のた め に冷 え 症 にな る 、 と いう人 が
江 子先 生
宮 長 正 八先 生 、 三島祥 園 先 生 、 吉 成 知
2 の1 82英 茜今 里 軍 ︶
H丁 目 5
旭 川市 永 山町
●主 催 / 北 海道 健 康 学苑 ︵
多 い。 では 、 こう いう 人を 治す に はど うす る か、 と
いう と 、同 じ陽 性 でも 、塩 気 でな い、苦 いも のを や
れば 、 体 が 温 ま ってき ます 。
占 味 ″ と いうも の に気 が つ い
私 も 、本 当 に こ の ″
● 料 理 教 室 修 了 試 作 会
日本 CI協会 本部 のリ マ ・ク ッキ ング アカ デミー
0回 ︶が、 7月 2日 0 の2
夏期 の修了試作会 ︵
第3
1
1
時 からと 4時 から の2回 に分けて開かれ、校長 の桜
沢里真 先生、浮津宏 子先生 から講評 があり、桜 沢里
真先生 から各級免状 の授与 があ りました。 お名前 は
次 の通り です。 おめ でとうござ います。 ︵
敬称略 ︶
*初級︱︱本 橋祥 子、真島庸 子、浅尾富 子、荒井 速
浪、北 川知代 、松 田清、藤 野由布 子、佐 々木直 子、
本内永 子、
一倉真弓、前 田とし子、森光代、上 田真
子、松 橋幸 子、近藤麻由美、高園洋 子、小貫山智 子、
高本佳代、吉 田良 子、神谷淳子、植村祐 子
*中級︱︱ 梅津文 子、石堀路依孔 、浅尾富 子、浅妻
真智 子、川幡雅 子、島村美恵子、北 川知代 、高本佳
代、上原イ ツミ、市村ト ヨ子、徳永栄、小山 いく子、
乳井美代 子、榎本福美、増田稲 子、
*上級︱︱ 山本祐希 、梅津文子、川幡 雅 子、舘上あ
い、本村香代 子、高島加代 子、香取富 美子、矢頭 タ
カ子、小山 いく子、井出 照子、松下悦子
*師範︱︱ 石川雅子、五蔦久男、香山桂 子、川幡 雅
子、石井愛 子、岩名紀美、橋詰 ほなみ、飯 田裕 理、
三輪和 子、 田中幸 子、栗原佳子、 野尻多圭 子、小永
井 八重 子、三荷忠夫 、加藤忠子、竹中千 晶、福富敬
子、金 田裕世、石河好恵
-47-
■ 無 双 原 理 シ リ ーズ
の 研 究
●手相 の原 理 の解明 と運命 の変 え方
■佃号より再録
大 森 英 桜 講 義 録
です 。 そ れ か ら、 指 先 のウズ 、 これ も大 変 な 問 題 で
長年 、肉 食 を や ってき た西 洋 人 は 、指
す 。 た と えば 、
、
先 の ウズ の巻 いて いるも のが 、平 均 1本 く ら いし
、
f
かあ り ま せ ん 。中 国 人 でi
f ・五 本 日本 人 で四 ・i
本 く ら いです 。 これ は 、肉 食 の摂 り 方 によ って、 ウ
ズ の巻 き 方 が くず れ てき て いるわ け です 。
私 た ち は、 す べて エネ ルギ ー のウズ 巻 き によ って
でき てき て います 。 だ か ら 、も し母親 が 本 当 の正 食
を し て子 供を 生 ん だ な らば 、 頭 の ツム ジも 、ま ん中
に ウ ズ を 巻 いて います 。 手 の指 も 、 卜 本 が 卜 本 と も
正 しく ウ ズを 巻 いて いな け れば な り ま せ ん 。 と ころ
が 、 指 の ウズ が流 れ て いる 、と いう のは 、 不合 格 だ 、
と いう こと です 。 日本 人 も 、 動物 食 が ふえ てく る に
した が って、 巻 いた ウズ の数 が 減 ってき て います 。
だ か ら 、 手 相 と い っても 、 こ の ″指紋 ″ だ け 取 り
上 げ ても 、 た い へん な 問 題 です 。ど の指 が ウズ を 巻
いて いる 、ど の指 が流 れ て いる 、と いう ことだ け で、
よ り
そ の人 の運命 、健 康 か ら 、 いろ ん な こと が 分 か って
時 代 の陳 希 夷 、 明 にな って哀 忠 徹 な ど と いう大 家 が
日本 も 、 江 戸時 代 など は 、ず いぶん 手 相 。人 相 な
東 洋 と 西洋 の手 相
ど が盛 ん だ った ん です が 、 ほと んど 、 こ の中 国 のも
、
き ま す 。流 れ る、 と い っても 、右 へ流 れ る のか 左
へ流 れ る のか 。 これ にも 、陰 陽 の区 別 が あ るわ け で
出 て いま す 。
のを 真 似 た り 、 影 響 を 受 け た り した も の です 。
っては いま す が 、東 洋 哲 学 と いうも のが根 本 にな っ
、
るも のが 入 ってき ま す 。 でも 、ふ つう 手 相 と いう と
手 のす じが 、 いちば ん変 化 があ って、 お も しろ いか
悪 し 、 弾 力 のあ る な し⋮ ⋮ 手相 と い っても 、あ ら ゆ
そ れ か ら 、 手 の肉 づ き 、 各 部 の盛 り L が り の良 し
す ね。
て、深 い見方 を 展 開 し て います 。
た も の です 。東 洋 のは 、 や はり 多 く の経験 が元 にな
た ん です が 、 だ いた い、 体験 と か統 計 と かを 元 に し
西 洋 でも 、た い へん 手 相 に つ いて の研 究 が 発 達 し
今 、 日 本 でお こな わ れ て いる 手 相 に は 、西 洋 か ら
入 ってき たも の、東 洋 か ら来 たも の、 いろ いろあ り
ます 。 旧 約 聖 書 ・ヨブ 記 の中 に、
﹃神 は人 の手 に印 章 を お き た ま え り 。そ は 、 これ に
よ り 、す べて の人 々 にそ の職 分を 知 ら しめ ん が た め
7章 7節 ︶
な り﹄ ︵
3
とあ り 、 これ が 手 相 に つ いて の、 いちば ん古 い文
献 と いう こと にな って いま す 。
西 洋 では 、ギ リ シ ャの哲 学者 、 アリ スト テ レ スあ
た は大 き な 病 気 を す る 、災 難 にあ う 、あ る いは 、死
″
陰 性 ・陽 性 ″ に分 け て見 る
と ころ で、 占 いで大 き な 問 題 は 、 い つご ろ 、 あ な
ら 、 これ が大 き く 取 り上 げ られ て いるわ け です 。
好 、皮 膚 の状 態 、 日 いと か柔 ら か いと か 、ツメ の形 、
た り が 、 手 相 に つ いて、 ま と ま った 本 を の こし て い
厚 さ 、色 、 こう いう も のが ぜ ん ぶ、 ふく まれ るわ け
す じ ″だ け ではな い
手相 は ″
そ れ で、 ふ つう 手 相 と いう と 、 手 のす じだ け の こ
ます が 、 これ も 、 ど う も イ ンドあ た り に起 源 のあ る
も のら し い。 イ ンド ・中 国 では 、 かな り古 く か ら 、
手 相 に つ いて の研 究 が 行 な わ れ て いま した 。
中 国 では 、前 漢 の鬼 谷 子 と いう 人 が ﹃玉 掌 之 図﹄
と に思わ れ て います け れ ど 、 本 当 の手 相 は、 手 の格
と いう 本 を 書 いて いま す 。 そ れ か ら、 漢 の許負 、宋
-48-
小日
ぬ、 と いう こと が 、占 いで分 った に し ても 、 それ を
ど う や って避 け る か 、 と いう こと が 分 か らな いかぎ
り 、 意味 が な いわ け です 。 そ こま で、 街 頭 の場 者 さ
ん が 教 え てく れ るな ら 、高 いお金 を 取 っても い いで
し ょう 。 し か し 、 そ ん な こと は 、あ の人 た ち に は分
から な い。も し分 か って いた ら 、 街 頭 な ん か に立 っ
てや しま せ ん 。
い男 です 。 顔 色 が 赤 く て ヒ ゲ 面 の男 は 、 正 直 で 、 フ
か い手 の人 、 と いう のは 、 体を 動 か し て働く のを い
か み に 、いろ んな こと が 分 か るわ け です 。 それ か ら 、
皮 膚 の同 い柔 ら か い、 と いう区 別 が あ り ます 。柔 ら
だ か ら 、 手 のす じを 見 る ま え に、 だ いた い、大 づ
た だ 、 こ の赤 い人 は 、 元 気 な ん です が 、 元 気 に ま
や が る 、安 楽を 好 む人 です 。遊 ん でば かり いる 、と
ェミ ニス ト です 。
か せ て 働 き す ぎ て 、 過 労 で倒 れ る 、 と いう こ と が 多
傾 向 が あ り ます 。欲 望 の中 にも 、 いろ いろ な段 階 が
あ り ま す けど 、 いちば ん下 か ら 、食 欲 、性 欲 、
物欲 、
は 、 のら りく ら り し て、 つか みよ う が な い。
し か し 、 弾力 が あ る 人も 、華 美 を 好 み 、名 を 好 む
皮 膚 です 。 順 応 性 があ るわ け です 。 同 い人 は 、 環 境
に対 し て刃 向 か った り します し 、白 く て柔 ら か い人
いちば ん い いのは 、 と いう と 、 弾 性 に富 ん で いる
金 銭 に執 着す る 。
働 者 みた いに、保 守 的 で、
経 済 観 念 が非 常 に つよ く 、
つく 、
と い った物 欲 は な いけ れ ど も 、名 誉 心 はあ る 。
では 、 反 対 に、 手 の日 い人 はど う か、 と いう と 、 労
いう のは 、だ いた いこう いう 手 の人 です 。
こう いう人 は 、 権 力 は求 め ま せ ん 。金 銭 に しが み
い。
と に か く 、 理 想 的 な の は 淡 紅 色 です 。 き れ いな 赤
い血 が 流 れ て い て 、 皮 膚 を 通 し て み る と 、 そ れ が ち
ょ う ど 桜 色 に 見 え る わ け です 。 こ う いう 人 は 、 快 活
で 、 希 望 に あ ふ れ て い て 、 あ せ り も し な い、 消 極 的
でも な い。
そ れ か ら 、 手 の大 き さ に も 、 大 き い、 小 さ いが あ
り ま す 。 標 準 よ り も 大 き い人 は 、 ど う か 、と いえ ば 、
こ う いう 人 は 、 陰 性 で デ リ ケ ー ト な ん です 。 や る こ
と が 正 確 で器 用 です 。 反 対 に 、 手 が 小 さ い人 、 これ
は 、非 常 に 陽 性 な ん です 。 こ う いう 人 は 、 大 き な 事
柄 だ け に 関 心 を 持 って 、 細 か い事 に と ん ち ゃく し ま
せ ん 。 大 胆 で 、 人 の下 に立 つ のが いや で、 支 配 力 を
持 って い る 。
権 力 欲 ⋮ ⋮ 。名 誉欲 、 と いう のは そ の上 です 。 だ か
ら 、 弾 力 が あ る 、 と いう のは 、自 我 の中 でも 、 名 声
を 好 む 、 と いう段 階 です 。
″ヘラ形 の指 は 気 が 弱 い
″
こう いうよ う に 、 手 の色 、 つや 、大 き さ 、日 さ 、
こ う いう も のを 見 て い って、次 に、 手 の形 で見 て い
手 や 指 の形 が 、方 形 、 四角 ば って いる人 が あ り ま
き ます 。
す 。 これ は 、 実務 家 に多 い。
そ れ か ら、 へら形 、 と いう のがあ り ま す け ど 、 こ
れ は 日本 人 に は少 な い。木 端 肥 大 です 。 こう いう 人
-49-―
では 、 P U ︹
無 双 原 理︺ では 、ど う いう ふ う に 見
″
て いく か 、 と 言 えば 、
陰 ・陽″ の 二 つに分 け て考
えれば 、大 づ か み に分 かる わ け です 。中 心が いちば
ん い いわ け です 。
た と えば 、健 康 な 人 、幸 福 な 人 、 こう いう人 の肌
は 、桜 色 を し て いるわ け です 。 だ か ら 、 こ の桜 色 を
中 心 にお いて考 え て、 も し赤 か った ら 、フ
﹂れ は極 陽 、
陽性 す ぎ る 、 と いう こと にな り ます 。感 情 家 で、血
が濃 く てカ ッカ 、カ ッカ し て、落 ち 着 き が な いわ け
です 。
と ころ が 、逆 に 、色 が白 い、 と いう のは 、 そ の反
対 です 。 血 が 薄 く て、 貧 血 気 味 で、冷 静 で、も のご
と に消 極 的 です 。 エゴ イ スト が 多 いわ け です 。 他 人
の こと ま で考 え る 力 が な いん です か ら 。
じ ゃ、 桜色 でも 、フ
﹂れ が黄 色 っぽ か った らど う か 、
と いう と 、 これ は 、肝 臓 型 で胆 汁 型 で、気 むず か し
い。誰 を 見 ても 、
あ い つは悪 い ことを し て いる奴 だ 、
と疑 り ぶ か い。
顔 でも 手 でも 、赤 い人 、 と いう のは 、 血 の循 環 が
よ す ぎ て、熱 狂 的 な タ イプ の人 です 。 だ いた い、 労
働者 に多 いです ね 。 こう いう 人 は 、 カ ゲ ・ヒナ タが
な い。色 白 の人 は 、 ウ ラ ・オ モ テが あ る 。 女 をご ま
かす 、 と いう のは 、 た いて い、色 自 で、 ヒゲ のう す
▲ 四角い指の人 は実務家。
▲ へ ら形 の 人 は陰陽両面。
▲ 円錐形 はき ゃ しゃなタイプ。
そ れ か ら、 円錐 形 の人 、 これ は日 本 人 にも 、 け っ
こう います 。 き ゃし ゃな 手 で、 想像 力 に富 ん で いる
けれ ど 、 実 行 が と も なわ な い。芸 術 家 に多 いタイプ
です 。
こう いう形 の、ど れ でも な い、標 準 的 な 手 、 と い
う のが 、 ノー マルな タイプ で、融 通 に富 ん で いるわ
け です 。角 ば って いる 、と いう のは 、 陽性 す ぎ る し 、
先 が細 い、 と いう のは 、 陰 性 です 。
っこ う 多 い。 有 名 な フ ラ ン ス の芝 居 に 出 てく る 、 シ
は 、 鼻 の 先 も ふ く ら ん で いま す 。 ア メ リ カ 人 に 、 け
ど う した ら い い、 と いう解 決 が 、 ひと つも あ り ま せ
ん 。だ か ら 、 悪 い相 が出 て いる 、と い っても 、 では 、
う 手 相 にな った か 、 と いう こと が 解 明 し てあ り ま せ
て いる と ころ も あ り ま す が 、肝 心 の、 な ぜ 、 そ う い
なぜ 、 ″天 ・地 。人 ″と 分 け る のか
本 屋 へ行 く と 、いろ ん な 手 相 の本 が出 てます け ど 、
だ いた いは統 計 を 元 に し たも の で、 それ な り に合 っ
ラ ノ ・ド ・ベ ル ジ ュラ ック 。 あ れ が 、 そ う です 。 こ
質 を 解 明 し て、答 えを 出 し たも のが な い。西 式健 康
ん。
ー
ーく ら
私 は 、新 し い本 、占 い本 、 千 相 の本 を 四 トー
い集 め て読 ん でみ た ん です が 、ど れ 一つと し て、 本
れ は 、 肉 食 で脂 肪 を 多 く 摂 った 人 に 多 い。 洋 画 で俳
優 の顔 を ア ップ で 映 し て いる と き 、 よ く 見 てご ら ん
な さ い。 よ く 、 こ う い う 鼻 が あ る 。
こ う いう タ イ プ の 人 は 、 肉 食 し て い る か ら 、 暴 力
患 者 さ ん の観察 と 研 究 で本 を 書 いて いて、 それ な り
に大 変 に参 考 にな り ま す け ど 、ど ん な場 合 にも .律
法 の名 古 屋 のお 医 者 さ ん の樫 尾 太 郎 さ ん が 、長年 の
に、 生 野菜 を 食 べて、柿 の葉 っぱ のお茶 を 飲 ん で、
的 な 強 さ を 持 って いる け れ ど 、 気 が 小 さ い。 肉 と い
う の は 、 し お 気 と いう 陽 性 さ も あ る け れ ど も 、 脂 肪
リ ンと か 、 非 常 に陰 性 な ミ ネ ラ ルを 含 ん で いま す か
金 魚 運 動 だ と 、 い って います が 、 そ ん な も のだ け で
と いう 陰 性 も 持 って いる 。 そ の ほ か に 、 年 素 と か 、
ら 、 恐 怖 心 が お こ ってく る 。 肉 食 動 物 は 、 ほ え て 、
かり し て いる ん です 。 も のを 見 て いく 場 合 に、 必ず 、
″天 。地 。人 と 、 二 つに分 け て 見 ていき ます 。顔
″
″上 停 ・中 停 ・下 停 と 、 1 つに区
を 見 る の にも 、
″
東 洋 の相 法 のす ば ら し いと ころ は 、 原 理 的 に し っ
治 るわ け が あ り ま せん 。
相 手 を お ど か す け れ ど 、 自 分 が こわ い か ら です 。
シ ラ ノ ・ド ・ベ ル ジ ュラ ック な ん か 、 剣 を 持 た し
た ら 天 下 無 双 な の に 、 想 いを 寄 せ て い る 女 の人 に 心
を 打 ち 明 け る こ と が で き な い。 陽 性 な の に 、 す ご く
陰 性 な と こ ろ を 持 って いる 。 こ れ が 木 端 肥 大 の人 の
特 徴 です 。
-50-
シラノ 。ド・ベルジュラック
一
ヾ
、 鳩
一
一
イ ・
一
ヽ
守・
■
考
亀
=
嗜
ゝ
■
▲ 精子 は細長い ミ
。
陰性 、
分 し て いま す 。易 の卦 でも 、人 が あ って、地 が あ っ
て、 ま ん中 が ″人 ″ だ と 、 三 本 の卦 です ね 。姓 名 学
でも 、 天 格 ・人 格 ・地 格 と 、 三 つに分 け て見 て いま
も の です 。
これ は 、 な ぜ か、 と いう と 、 そ のた め には 、人 間
の二 つの エネ ルギ ーが合 体 し て、 は じめ て生 命 の誕
ど 、 そ れ だ け では 、 人 間 にな る こと は でき な い。 こ
精 子 と いう のは 、精 巣 の円筒 状 のも のか ら、外 側 ヘ
と ころ が 、 男 性 は 陽 性 です か ら、男 性 の生殖 器 官
で作 ら れ る ″精 子″ と いうも のは 、細 長 い、陰 性 な
も の です 。 し かも 、遠 心性 の力 が 働 いて いる か ら 、
が 、ど のよ う に し て でき てき た か 、 と いう こと を 見
てみ ま し ょう 。 ︹﹃臓 器 の研 究﹂ 参 照 ︺
キ ー ルリ ア ン の写 真 を 見 ても 分 る よ う に、植 物 で
生 が 始 ま るわ け です 。 だ か ら 、陰 性 と 陽 性 の二 つの
す。
も 、 動物 でも 、す べて、日 に見 え な い エネ ルギ ーが
遠 心 的 に飛 び 出 し てき ます 。
卵 子 自 体 も 生 き て いる し、精 子も 生 き も の です け
元 にな って働 いて、 でき てき て いるわ け です 。
エネ ルギ ー が あ って、 そ の合 体 した エネ ルギ ー と 、
こう し て、卵 子 と精 子 が い っし ょ にな って、 生命
三 つの エネ ルギ ー が あ る わ け です 。 こ の、陰 と 陽 の
0時 間 か 0時 間後 には 、 そ れ が
が始ま ります けど 、 3
4
二 つの細 胞 に分 裂 し、 さ ら に四 つに分 裂 し、ど ん ど
地球 な ら地 球 を と ってみ ても 、 左 ま わ り に自転 じ
へ向 か う遠 心性 の力 が 働 いて いる た め です 。も し 、
一週
ん 、 たく さ ん の細 胞 が でき てき ます 。 そ し て、
合 力 は 、非 常 に強 力 な エネ ルギ ー です 。
求 心性 の力 だ け だ った ら 、地 球 は太 陽 へ向 か って 一
直 線 に行 って しま いま す し、遠 心性 の力 だ け だ った
間後 に は 、 F宮 ま で降 り てき て、着 床 し、 さ ら に分
な が ら 、 さ ら に太 陽 のまわ りを 大 き く 公転 し て いま
ら、 太 陽 から離 れ て、 無 限 のかな た へ飛 ん で い って
す 。 これ は 、 太 陽 へ向 か う求 心性 の大 き な 力 と 、外
しま います 。
陽 性 の部 分 に分 かれ 始 め ま す 。
上 の部 分 は 、上 胚 盤 と い った り 、外 胚葉 と い った
き ま す 。求 心性 の力 が 働 いて います か ら 、先 へ行 っ
則 の通 り にな って いま す 。
こう し て、上 の陰 性 な 部 分 は神 経 組織 を 作 って い
軽 いも のが 上 が り 、重 いも のが 下 へ、 と いう字 宙 法
は陰 性 だ か ら、 こち ら のほ う に は、 水 が た ま り 、下
のほ う の内 胚葉 に は 、 栄 養 が た ま り ま す 。 これ も 、
す 。 これ は 、宇 宙 法則 です 。 そ うす る と 、上 のほう
て いま す 。上 のほ う は 、陰 性 で、 下 のほ う は陽 性 で
り しま す 。 下 の部 分 は 、 下 胚 盤 ま た は内 胚葉 と い っ
裂 が 進 ん で いき ま す が 、 そ の中 でも 、陰 性 の部 分 と
です か ら、求 心性 を ″陽 ″ と した な らば 、遠 心性
は ″陰 ″ とな り ます 。 こ の、 陰 と 陽 の二 つの エネ ル
ギ ー によ って、物 は作 られ て、 動 かさ れ て いるわ け
です 。
そ し て、字 宙 法則 の大 き な 法 則 に、 ﹃
陰 は 陽を ひ
き 、 陽 は 陰を ひく ﹂ と いう のが あ り ま す 。
です か ら 、人 間自 体 の発 生 の様 子を 見 てみ ても 、
こ の法 則 通 り にな って いるわ け です 。
男 性 は 陽性 で、女 性 は陰 性 です 。 と ころ が 、 こ の
陰 性 な 女 性 には 、 陽性 な エネ ルギ ーが つよ く 入 って
き ます 。 だ か ら 、女 性 が 生 殖 器 で作 り だす ″卵 子″
と いう も のは 、求 心力 のかた ま り で、丸 い、 陽性 な
-51-
t毛
︱,
絨
化 系 で作 られ た 血液を 全 身 にま わ す た め の循 環 系 が
と ころ が 、神 経 と 消 化 系 だ け では不 十 分 です 。消
末 端 が 肛 門 にな り ま す 。
細 長 い筒 が スー ッと伸 び て いき ま す 。 先端 が 口 で、
これ で、 頭 が 丸 いわ け が 分 かり ま す 。 下 の陽性 な 部
分 は 、 消 化 系 を 作 って いき ま す が 、 こ こ へ入 ってく
る エネ ルギ ー は陰 性 な エネ ルギ ー です か ら 、中空 の
てグ ルグ ルと丸 く な って、 脳 を つく つて いき ます 。
卵 黄襄
必要 です 。 そ こ で、外 胚葉 と内 胚葉 の中 間 に、中 胚
葉 と いう も のが でき て、 これ が 心臓 の原 形 を 作 って
き ます 。 これ は 、 陰 性 と 陽性 の エネ ルギ ー の合 力 が
働 いて いま す 。 陰 と 陽 の合 力 です か ら 、中 間 に でき
の、 消 化 器 系 のパ イ プ が ズ ー ッと のび てき て、途 中
で エネ ルギ ー が タ マにな って、鷹 鷹 、肝 臓 を つく り
先 端 へ行 って、 エネ ルギ ー が弱 く な って、 二 つに分
裂 し て、肺 を つく つてき ます 。 そ れ で、肺 は 、 体 の
上 部 、 と いう 陰 性 な 場 所 に 、 二 つに分 かれ て ︵
陰 ︶、
大 な ︵
き
陰 ︶ 臓 器 と し てあ るわ け です 。
心臓 は 、 と いう と 、 心臓 を 作 ってく る 、陰 陽 の合
体 し た エネ ルギ ー と いう のは 、 いちば ん 強 力 で陽 性
な も の です 。陰 と 陽 と に分 かれ た も のと 、 こ の陰 陽
てく るわ け です 。
こう し て、 心臓 の成 り 立 ち が 分 かる と 、な ぜ 、 心
臓 は 、 動 脈 で全 身 へ血液 を 送 り 、 ま た 、静 脈 で全 身
か ら血液 を 吸 いよ せ てき て いる か、 と いう こと が 分
かり ま す 。陰 性 と 陽性 の合 力 が 働 い て いる の です か
ら 、押 し出 す こと も 、 吸 い込 む こと も 、 でき るわ け
合 した も のとを 比 べた場 合 は 、 分 かれ た も の のほ う
腎 臓 を つく ってき ま す 。
ど ん で牌 臓 を つ り 、 さ ら に
っ
って、 エネ
い
く
下
が
て
ルギ ーが 弱 く な って、 二 つに分 かれ て ︵
陰 ︶、二 つの
ち で いちば ん 陽 性 な 心臓 を 体 の中 心 へつく り 、 地球
の中 心 へ向 か って下 が って い って ︵
陽︶ 、途 中 でよ
が 陰 性 で、合 力 のほ う が 陽 です 。 だ か ら 、臓 器 のう
です 。
西 式 健 康 法 の西勝 造 氏 な ん か は 、 血液 は毛 細 管 現
象 で吸 い上 げ ら れ て動 いて いる ん だ 、 な ん て い って
な も の で動 く わ け が な い。 これ は 、 無 限 の字 宙 か ら
いま す が 、 毛細 管 現象 で上 が る 、な ん て、 知 れ た も
の です 。 ま し て、 血液 み た いに粘 ったも のが 、 そ ん
地 球 の中 心 へ入 ってく る巨 大 な求 心性 の エネ ルギ ー
こう し て、 な ぜ 肺 や腎 臓 が 二 つあ る か 、 な ぜ 肺 が
ギ ー が 働 い て いる た め です 。
体 の上 部 にあ る か、 な ぜ 心臓 が 体 の中 央 にあ る か、
あ ら ゆ る こと が 、 人 体を 発 生 学 的 に宇 宙 法 則 で解 明
と 、 そ れ が 、中 心 か ら 反転 し てく る遠 心性 の エネ ル
三 つの エネ ルギ ーか ら 生 ま れ る
こう し て、 こ の三 つの エネ ルギ ー か ら 、人 間 のあ
ら ゆ る臓 器 、組 織 が でき てき て いるわ け です 。
手 の指 が 五 本 あ る 、 と いう のも 、 これ で分 かり ま
す 。 ま ん中 に は 、陰 陽 の合 し た 、 いちば ん 陽性 な エ
ネ ルギ ー で中 指 が でき ま す 。だ か ら、中 指 は 、循 環
三 本 の線 が出 てく るわ け な ん です 。
ネ ルギ ーな ん です か ら、 手 にも 、 そ の エネ ルギ ー で
の主 なす じが 三本 な のか 、 と いう こと も 、 これ で分
かり ま す 。人 間を つく ってき て いる のは 、 二 つの エ
す る と分 かり ま す 。
赤 ち ゃん は 、生 ま れ てき た と き は 、生 命線 、 頭 脳
線 、感 情 線 と いう 二 つの大 き な す じ し か持 って いま
せ ん 。 これ を 三大 主 線 と い います け ど 、な ぜ 、 手 相
いちば ん 下 の内 胚葉 か ら は 、 消 化 器 系 のも のが で
き 、 上 の外 胚葉 か ら は 、神 経 系 、脳 組織 が でき 、 そ
れ か ら皮 膚 が でき てき ま す 。中 の中 胚葉 は循 環 系 、
心臓 、腎 臓 な ど 、人 体 に栄 養 や酸 素 を く ま な く 配 り 、
不 要 な も のを浄 化 す る 、 と いう作 用を す るも のを 作
ってき ま す 。 そ れ か ら 、体 の中 心 で、 いちば ん 陽性
な骨 を 作 り ます 。
肺 は 、 こ の内 胚 葉 か ら でき てき た ん です 。内 胚葉
-52-
神経管
腸
羊膜
手 の経絡
小腸 経
心包 経
三焦 経
心包 経
・
系 の状 態 が 現わ れ て いま す 。外 胚 葉 と内 胚 葉 を 作 っ
てく る 、陰 と 陽 の エネ ルギ ー は 、 第 二 の エネ ルギ ー
に比 べた ら、 弱 い陰 性 な も の です か ら 、右 と 左 に分
かれ て、そ れ ぞ れ 二本ず つ指 を つく り ま す 。 だ か ら 、
親 指 と 人 さ し指 は 消 化 系 、 小 指 と薬 指 は神 経 系 の状
態 が出 て います 。
中 指 は循 環系
だ か ら 、 キ ー ルリ ア ンの写 真 を 見 ても 、中 指 か ら
いちば ん 強 く オ ー ラ の光 が出 て います 。 こ こ へ、 い
ちば ん 強 い エネ ルギ ー が き て いるわ け です 。中 国 で
発 達 した 鍼 灸 で、 人 体 の経 絡 を 解 明 し て います が 、
中 指 へは 、 や は り循 環 系 、 と いう こと で、 こ こが 、
″心包 経 にな って います 。 これ は 、 循 環 系 のす べ
″
て の機 能 を ″心包 経 ″ と い って いるわ け です 。
人 さ し指 と親 指 は 、内 胚 葉 と いう 、 消 化 器 系 か ら
でき てき ま す 。だ か ら 、人 さ し指 は ″大 腸 経 ″ で、
親 指 は消 化 系 の末 端 です か ら ″
肺 経 ″ と いう こと に
なります 。
焦 経″
あ と は 、神 経系 です ね 。薬 指 は 、 だ か ら″〓一
と いう 経絡 です 。 体 の臓 器 や組 織 の動 き を つかさ ど
って いるも の です 。西 洋 の生 理 学 で い う神 経だ け で
はあ り ま せ ん ね 。 ホ ル モ ン の内 分 泌系 も 入 って いま
す 。 では 、 小 指 は 、 と いう と 、 これ は ″小 腸 経 ″ で
す 。 これ は陽性 な エネ ルギ ー です か ら 、大 腸 よ り も
小 腸 は細 く な って いま す 。 そ れ か ら 、 生殖 器 官 、 こ
れ も 、 子 供を つく る 、 と いう 陽性 な 働 き です か ら 、
体 の下 部 にあ って、 小 指 に表 わ れ て いま す 。 それ か
ら 、 心臓 も 表 わ し て います 。 心経 が こ こ へ入 ってき
て います 。
-53-
こう し て、今 か ら数 千 年 も 昔 に、古 代中 国 で こう
いう こと が 発 見 さ れ て いた 、 と いう こと は 、す ば ら
そ こ で、 重大 な 問 題 は 、な ぜ 、 こ の主 線 は カ ープ
と ころ が 、正食 を や って生 ん だ 、 家 の子 供 た ち は 、
く る 、消 化 器 系 を 表 わ し て います 。ま ん中 の筋 の頭
これ が 分 か らな い前 は 、 私 は 、自 分 の頭 脳 線 が 、
状 の遠 心 と 求 心 の力 で でき てく る ん です か ら 、 み ん
な カ ープ を え が いて います 。
こ の世 の中 に 、 自 然 な も の で、直 線 のも のは 、 な
い、 と いう こと な ん です 。 あ ら ゆ るも のは、 ラ セ ン
って います 。
線 は 、 反 対 側 か ら出 て、上 向 き に、 別 のカ ープ にな
下 向 き に カ ープ を え が いて いま す 。 と ころ が 、 感 情
生命 線 と頭 脳 線 は 、
一つの円 に接 す る カ ープ で、
せ んが ね 。 ︵
笑 い︶
と ころ で、 ど う し て感 情 線 が上 向 き のカ ープ を え
強 情 っば り だ 、 と書 いてあ り ます 。 そ う かも しれ ま
と いう こと です 。あ る本 を 見 た ら 、真 っす ぐ な のは
脳 線 か と 思 った ら、 六人 が 六人 とも 、 カ ープ し て い
ます 。宇 宙 法 則 で考 え てみた ら 、 少 し カ ープ し て い
トだ と言 って いま す 。夢 見 る人 間 じ ゃ困 る から 、 ガ
ッチ リ 正 食 さ せ た 子 供 は 、 私 のよ う に真 っす ぐ な 頭
見 る と 、 下 が って いる のは 、 オ セ ンチ で ロ マンチ ス
少 し カ ープ し て、 下 が って いる ん です 。 手 相 の本 を
私 のよ う な 真 っす ぐ な 頭 脳 線を 持 って いな いん です 。
脳 線 は 、 当然 、神 経系 を 表 わ しま す 。 いちば ん 上 の
″感 情 と いう のは 、 血液
感 情線 は 、循 環 系 です 。
″
が 左 右 し て いるわ け です 。 血液 の質 によ って 、人 間
は怒 った り 、 悲 し ん だ り し て いる ん です 。
い い線 だ と 思 って自 慢 し て いま した 。 私 のは 、
一直
が いて いる か、 と いう ことを 書 いた 本 は 一つも あ り
を え が い て いる か 、 と いう こと です 。
だ か ら 、赤 ち ゃん は 、 生 ま れ てき た と き は 、 三大
線 で、 ほ ぼ 、 ま つす ぐ 横 断 し て いる ん です 。易 者 に
ま せん 。
し いこと です 。宇 宙 法 則 で調 べ てみ ても合 って いる
主 線 し かあ り ま せ ん 。 生 ま れ てき て か ら、 自 分 で食
見 せ る と 、 あ な た は 、 お金 は いらな い、名刺 を いた
です か ら 、 生 命線 と いう のは 、内 胚葉 か ら でき て
ん です 。
物 を 食 べ、 自 分 自 身 の血液 を 作 ってき ます から 、 い
だ き た い、 な ん て いわ れ る ん です 。
る のが 、ノー マルな ん です 。 下 が りす ぎ が いけ な い、
ろ いろ な 細 か い線 が出 てき ます 。
これ は 、 発 生 学 を や ってみ る と 分 か る ん です 。神
経 系 を つく ってく る外 胚 葉 と 、 消 化系 を つく ってく
る内 胚葉 と は 、 スタ ー ト のと ころ と 、 のび て いく 方
向 が 同 じな ん です 。 と ころ が 、 循 環 系 を つく る沖 胚
葉 は 、 反 対 側 か ら始 ま って、 のび る方 向 が 、外 胚 葉
と内 胚葉 と は 逆 にな って います 。
だ か ら、 こ のこと が 、 手 のす じ にも 表 わ れ てき て
いる ん です 。 消 化 系 を 表 わ す 生 命 線 と 、神 経 系 を 表
わ す 頭 脳 線 は 、同 じと ころ か ら スタ ー ト し て、 同 じ
方 向 に回転 し て いる 。循 環 系 を 表 わ す 感 情 線 は 、 反
対 側 か ら始 ま って、逆 向 き の回転 を し て いるわ け で
す。
だ か ら 、 こう し て宇宙 法 則 です べ て のも のを 研 究
し て い った ら 、 お も しろ いです ね 。
デ ﹂の世 で、 分
か ら な いも のは 、 何 も な い﹂ と 、桜 沢 先 生 は 言 いま
-54-
正 食 しな いと 、分 か らな いん です 。白 米 食 べて、動
した け れ ど 、 そ の通 り です 。 た だ 、 これ は 、玄 米 で
ます 。
し て いる も の です か ら 、 非 常 に 有 難 いも のだ と 思 い
す ね 。消 化 器 官 と いう のは 、陰 性 な 遠 心力 ででき た
ん です か ら 、母 親 が 正 し い食 べ物 を 食 べた のな ら 、
長 いほど い い、 と いう のは 、陰 性 だ 、 と いう こと で
出 てき ま す 。 タ テに のび てく る 線 は 、 陽 性 で、 い い
生 ま れ てき てか ら 、主 線 のほ か に、 いろ ん な 線 が
も し 、 親 が 最 高 傑 作 と し て自 分 を 生 ん だ ら 、 む し
す。
ん だ り 、 親 を う ら ん だ り 、 と いう こ と に な る わ け で
難 いん です け ど 、 そ れ が 分 か ら な いと 、 世 を は か な
″業 を ひ き つ い で 七 て いる ん だ か ら 、 これ を 、 う
″
ら ん じ ゃ いけ な い。 こ の世 と いう の は 、 先 祖 か ら の
″業 を 消 す と いう ″ア ソビ を す る た め に 生 ま れ て
″
″
き た ん だ 、 と 思 え ば 、 わ る く 生 ん でも ら った だ け 有
く ら 玄 米 を 食 べ ても 直 ら な い。 こ う いう の は 、 親 の
頭 の ツ ム ジ です ね 。 左 巻 き を 右 巻 き に し よ う と か 、
二 つあ る のを 一つ に し よ う と か 、 こ れ ば か り は 、 い
ち ば ん 変 え ら れ な い の は 、 指 紋 です ね 。 そ れ か ら 、
だ か ら 、 わ る い相 で も 変 え ら れ る ん です け ど 、 い
親 が 、 え ら い易 者 のと ころ へ連 れ て い って見 ても ら
伸 び てき ます 。
私 は 、 熱海 で、美 食 でそ だ ったも の です か ら 、 生
化 器 官を 治 しさ えす れば 、 こ の生 命 線 は 、 ぐ ん ぐ ん
が 弱 く て、長 生 き は でき な いわ け です 。 だ から 、 消
消 化 器 官 の状 態を 表 わ し て いる た め です 。消 化 器 官
人 間の 寿 命 と いう のは、 生命 線 の長 さ に出 て いる
と い いま す 。 それ は合 って います け れ ど 、も う 一つ、
の、 い い意 味 で の陰 性 のも のを 摂 らな いで、動 物 性
のも のを 食 べる と 、 生 命 線 が短 い子 が 生 ま れ ま す 。
生 命 線 は 長 いわ け な ん です 。も し、 母親 が 、 植 物 性
物 性 を 食 べて いた ん では絶 対 に分 か らな い。
線 です 。 と ころ が 、ヨ コに切 ってく る線 と いう のは、
ろ 、 つま ら な い ん じ ゃな いか 。完 成 し て いた ら 、 や
る こ と が な い。 米 完 成 な る が ゆ え に 、完 成 に 向 か っ
った ん です け ど 、 せ いぜ い、 1↑ i
rく ら いま で し か
た こと が あ る 、と述 べて います 。人 相 が変 わ るな ら、
宿 命 論 にな らぎ るを え な い。 これ は 、 江 戸時 代 の有
名 な 人 相 兄 の水 野南 北 も 、 ﹃修 身 録﹄ の中 で、 わ る
い相 を 持 って いた 人 でも 、晩 年 会 ってみ た ら、非 常
にヤ 福 にな って、 そ のわ る い相 が消 え てしま って い
わ り ます 。主 線 でさ えも 変 わ り ます 。でな か った ら、
陰 で、わ る い線 です 。凶 運を は らん で います 。
性
こう いう 線 でも 、 生 活= 食 べ物 によ って、刻 々変
手相も変え られ る
当 然 、 手 相 も変 わ って いる わ け です 。 そ し て、 そ の
て 、 いろ いろ な ア ソビ が でき る 、 と いう こ と です 。
生 き な い って 言わ れ たん です 。結 核 で した しね 。
と ころ が 、 正食 し た ら、今 、 生 命 線 が 、 手 のド の
線 か ら親 指 一本 の幅 のと ころ が 七十 才 で、 そ こま で
細 く 深 く 、 切 れ 日 な く 、き れ いな 線 が 入 って いれ ば 、
ほ う ま で伸 び てき て いま す 。起 点 が 0才 で、 手 前 の
命 線 は 、中 途 ま でし かな か った ん です 。 だ から 、 母
生 命 線 が 、 な ぜ々 命 を 表わ す か 、 と いえば 、 これ は
頭 脳 線 の状 態 も 、合 わ せ て見な け れば な り ま せ ん 。
秘 密 は 、 行 な いと 食 の つ つし み です ね c 粗 食 と 少 食
こ れ が 分 か った ら 、 世 の中 、 な に も 、 う ら む こ と も
だ か ら 、 西洋 の科 学 文 明 と いう の は 、 物 質 さ え ■
な く な る わ け です 。
だ 、 と いう ことを 言 って いま す 。
た だ 、水 野南 北 は 、麦 食 を す す め た け れ ど も 、 米
か に す れ ば 幸 せ に な れ る 、 と い って 進 ん でき た 結 果
L 卜 才 ま で生 き る 、 と いうゎ け です 。
これ が 、 さ ら に、 手 頸線 と いう 、 手 怖 の線 ま で仲
と 言 わ な か った 。麦 は陰 性 です か ら、南 北 は陰 性 な
人 相 見 と し て 一生 を おわ ったわ け でし ょう 。
す 。 じ ゃ、 東 洋 は ど う か 、と いう と 、 宗 教 だ と いう 。
び て いれ ば 、 八卜 才 か ら九 十 才 も 生 き るわ け です 。
が こ の 通 り で し ょ う 。 不 安 と 恐 怖 と 犯 罪 の世 の中 で
こ れ も 観 念 論 です ね 。 こ れ だ け で は 救 わ れ な い 。 だ
だ か ら、 人 相 や 手 相 が わ る いと い って、 生 ん でく
れ た親 を う ら ん じ ゃ いけ な い、 と いう こと です ね 。
か ら 、 ど う し ても 無 双 原 理 と 正 食 し か 、 これ か ら の
消 化 器 を や られ て いる か ら、親 指 の根 元 か ら生 命 線
へ向 か って、細 か い線 が い っぱ い出 てき て いま す 。
ん です 。自 米 を 食 べて、邪 食 し て いる人 は 、 み ん な
た だ 、 生命 線 を 横 切 る障 害 線 が あ っては いけ な い
わ るく 生 ん でく れ た ら 、 そ れ を よ く す る ″ア ソビ ″
が大 いに でき る 、 と 思 って、喜 ば な く ち ゃ いけ な い
人 類 の進 む 道 は な いわ け な ん です 。
生命 線 は寿命 を 表 わ す
です か ら 、 生 命 線 な ら 、 生 命 線 を 見 ても 、 これ が
わ け です 。 た だ 、 今 ま で、わ る い相 が あ る 、 と い っ
ても 、 それ を ど う や って直 す か 、 と いう方 法 を 提 示
しな か った か ら 、悩 むば か り だ った ん です 。そ こ で、
無 双 原 理 と 正 食 は 、 人 間改 造 の方 法 を 具 体 的 に提 示
-55-
これ は 、 カ ゼを ひく 、 な ん て のも 出 て います 。
私 は、 子 供 の ころ か ら 青年 時 代 ま で に、 三 回ば か
大 病 す る 、 と いう の も 、 あ る 日 、 突 然 な る わ け で は
あ り ま せ ん 。 長 年 のあ いだ 、 つも り 重 な った 原 因 に
よ って起 こ る わ け です か ら 、 米 来 の 予 告 が 、 そ こ に
出 て いる わ け です 。
です か ら 、 正 食 し て いる 人 は 、 そ う いう 障 害 線 が
り大 病 で寝 こん だ ん です 。だ か ら 、 そ れ が 、 そ の年
齢 のと ころ に、 は っき り残 って います 。太 い障 害 線
が 生 命 線 を 横 切 って いま す 。 左 右 両 方 とも です 。 こ
だ ん だ ん 薄 く な って いき ま す 。 消 化 器 を 治 し て いけ
ば 、 そ う いう も の が 消 え て いく わ け です 。
れ は 、 かく す こと は でき ま せ ん 。
だ か ら、 人 間 はわ る いことを し ても 、す ぐ忘 れ る
と会 う た び に言 わ れ る 。 生 野菜 も 新 漬 け も 食 べ ては
いけ な い、 と いう の で 、 ま じ め に や って き た と こ ろ
が 、 手 の ひ ら が カ チ カ チ に な って 、 ゾ ウ の皮 み た い
に な って き た 。 ︿ァは 痛 く て曲 が り ま せ ん 、 と いう 。
曲 が ら な い、 と い った ら 、 そ れ は 陰 性 だ か ら 、 も っ
と ゴ マ塩 を 摂 ら な け れ ば いけ な い、 と 言 わ れ た 、 と
いう ん です 。
病 気 や ら何 か の障 害 が 、 いく つも の線 で横 切 ってき
のと ころ が 、 そ の年 齢 です け ど 、そ れ ま で の人 生 の、
相 談 を 受 け た ん です 。 私 た ち は 、 正 食 を ま じ め に 十
1 年 ほ ど も や つて き た ん です 、 と , あ る 指 導 者 に 指
ま す 。 こ れ は 、 あ る 、 六 卜 代 の老 婦 人 の姉 妹 の人 の
ご わ だ 、 と いう の は 、 正 食 す れ ば 、 か ん た ん に 治 り
ち ょ っと 余 談 です け ど 、 手 の ひ ら が 厚 く て 、 ご わ
助 か ら な い、 と 言 った ん です 。
そ う し て 二 月 のち 、そ の厚 い皮 が ボ ロボ ロ取 れ た 。
食 べ て い いん です か 、 と いう ん です ね 。 食 べな き ゃ
し な さ い、 と 言 った と こ ろ が 、 そ ん な 陰 性 な も のを
な い、 あ な た 方 に は 、 玄 米 は つよ す ぎ る か ら 、 玄 米
でも 、 オ カ ユにす る と か 、 ク ズ と か 、 ウ ド ンだ け に
そ こ で 、 生 野菜 と か 大 根 お ろ し を 食 べな き ゃ いけ
て います が 、 これ か ら先 のと ころ にも 、障 害 線 が た
あ ん ま り た く さ ん 取 れ た か ら 、記 念 に 取 って お いた 、
と い って 、 袋 に い っぱ い人 った のを 見 せ てく れ た 。
手 の ひ ら の硬 化 を 治 す
く さ ん 現わ れ て いま す 。 両 手 と も 同 じと ころ に太 い
導 を 受 け て いた と こ ろ 、 あ な た は 陰 性 だ か ら 、 キ ン
-56-
け れど も 、肉 体 に は 、 は っき り刻 ま れ て いる し 、 そ
れ が ″業 ″ と し て残 って いく ん です 。
今 、 あ る 人 が 二 十 五 才 だ と し て、生 命 線 でま ん中
線 が 横 切 ってき て いる な らば 、 そ れ は死 ぬ時 です 。
く な り す ぎ た 、 と いう のも 、 こ れ も 病 気 です 。
も 、 た く さ ん 食 べれ ば い いわ け です 。
か と い って 、 果 物 や な ん か 食 べす ぎ て 、 皮 が う す
食 べな け れ ば 、 か ん た ん に 治 り ま す 。 大 根 お ろ し で
す 。 そ れ で 、 小 指 の横 のと こ ろ に 、 代 謝 し な い皮 膚
の同 い層 が で き て し ま う 。 これ が 魚 の日 です 。 魚 を
が 代 謝 し な い で 、 腎 臓 ・膀 脱 に た ま って し ま う ん で
と いう の は 、 膀 脱 の経 絡 が 来 て いま す 。 動 物 性 蛋 白
魚 の 日 、 と いう のも 、 魚 が 原 因 です ね 。 足 の 小 指
魚 が 入 って いた ん です 。 そ こ へ食 養 で 陽 性 な も のば
か り 食 べた か ら 、 こ う いう こ と に な った ん です 。
そ の 人 た ち は 、 魚 屋 さ ん の娘 です 。 小 さ い時 か ら
も う 、 手 の ひ ら が ピ ン ク色 に な って 、 や わ ら か く な
って いま し た 。
ピ ラゴ ボ ウ と テ ッカ ミ ソを 摂 ら な け れ ば いけ な い、
足 の 甲
片 手 だ け だ った ら 、 そ れ は大 病 です 。死 ぬ、 と か、
足 の経絡
足 の 裏
生 理 と 心 理 は ひと つ
生 理 と 心理 は同 一な ん です か ら 、何 か人 生 の上 で、
事 故 と か、他 人 に裏 切 られ た と か、離 婚 した と か 、
病 気 以外 にも 、 人 生 、 いろ いろな ト ラブ ルが お き ま
す が 、 そ う いう時 は 、 そ の人 は 、 ほ ん と う に健 康 で
な いわ け です 。 も し 、 心身 と も に健 康 だ った ら 、 そ
う いう ト ラブ ルは お き な いわ け です 。
と ころ が 、今 ま で の占 いは 、 生 理 の メカ ニズ ムが
分 か らな いか ら 、取 り上 げ な か った 。 それ で、 単 に、
こう いい
つ手 相 の人 は 、 こう いう時 に、 こう いい
つ事 件
が お き る 、 と いう こと だ け を 言 ってき たわ け です 。
と ころ が 、じ つさ い 、 不幸 な事 件 が お き る 、 と いう
時 は 、 そ の人 の生 理 にも 重大 な 問 題 が お き て いて、
それ が 手 相 にも 出 てく るわ け です 。
だ か ら 、 生 理 的 に 、 ほん と う に健 康 に した ら、 そ
う いう事 件 も 、 のが れ られ る 、 と いう こと です 。
し か し、わ る い手 相 を 持 った 人 は 、 ほん と う にま
じ め に体を 治 さ な け れば 、 不幸 を のが れ られ な い。
これ は 、あ るM I 生 、桜 沢先 生 の道場 の研 究 生 同
士 が結 婚 した ん です 。 十 何年 も 前 の話 です 。 女 のほ
う が年 上 だ った 。
非 常 にま じ め に玄 米 を 食 べて いた 。
と ころ が 、 三年 ほ ど 前 、離 婚 した い、 と言 ってき
ま した 。 女 の人 のほ う が です 。年 下 だ か ら って、同
情 心 で結婚 し た ん じ ゃな いのか 、 って言 った ん です
が 、 そ う いう と ころも あ り ま した 、と いうわ け な ん
です ね 。 手 相 を み た ら 、 ち ようど 、 そ の年 のあ た り
で、 生 命 線 が つな が らな いで、 ち よ つとず れ て いる
ん です 。 こう いう 人 は 、 そ の年 ご ろ に、重大 な 問 題
がお き ま す 。
結 婚 と いう のは 、 ほ ん と う の愛 情 で結 婚 しな か っ
た ら成 功 し ま せ ん 。姉 さ ん気 取り で、 かわ い い、な
ん て気 持 で結 婚 し ても 長 つづ き しな いわ け な ん です 。
そ れ でも 、 結 婚 し て子 供 ま で作 った ん な ら責 任 を
と らな き ゃ いけ な い、 と い つて、家 へ連 れ て帰 ら せ
た ん です け ど 、 け っき よく 一年 後 、離 婚 し てしま い
ま し た 。 調 べてみ た ら 、 私 と つき あ って いた始 め の
ころ は 、 ま じめ に玄 米 を 食 べて いた んで す 。 と ころ
が 、 そ のあ と 、 くず れ だ した 。
線 が 、 かり に離 れ て いても 、 正 食 し て いた ら 、細
い線 が 入 ってき て、 つな が る ん です 。
これ は 、 私 の女 房 の話 な ん です け ど 、 五年 ほど 前
に 、 生 き る か死 ぬ か の境 を さ ま よ つた ん です 。 ﹁霊
6
と の対 決﹄ 本 誌 4
8 号参 照︺
手 相 の話 はよ く す るけ れ ど 、自 分 の女 房 の手 相 な
ん て、 見 た こと が な か った ん です 。 と ころ が 、 そ の
時 、手 相 を 見 て、 お ど ろ いた 。 そ の年 齢 のと ころ で、
生 命 線 が 切 れ て いる 。 と ころ が 、玄 米 を 十 何年 ま じ
め に食 べ て いた か ら 、 運命 線 は非 常 に濃 いのが のび
てき て いま した 。 し か し、女 子大 の ころ 、盲 腸 を 切
って いる か ら、 消 化 器 がよ く な って いな い。肝 臓 も
病 気 し て、 学 校 を 一年 、休 ん で いる ん です 。肝 臓 も
消 化 器 系 です 。だ か ら 、生命 線 が 切 れ た ま ん ま だ っ
た ん です 。 た だ 、 生 命 線 を 横 切 る障 害 線 は消 え て い
ま した 。
私 も 、死 ぬ思 いを し て助 け た ん です け ど 、 最 近 見
た ら 、 こ の切れ た と ころ に細 いのが 出 てき て、 つな
が って いま す 。
それ で、 これ は 手 相 と いう のは 、 バ カ に でき な い
な 、 と 思 って、 も う い っぺん勉 強 しな お し した ん で
そ れ で、 女 房 が倒 れ てか ら、 そば に つ いて いて、
す。
徹 底 的 に 一回ず つ二百 回 かま せ て、 ヤ ン ノーと か黒
焼 き と かと ら せま した 。 そ の時 、妊 娠 し て いた ん で
す ね 。 そ の子 が 、 いちば ん 丈 夫 です 。赤 ん坊 でも 、
昼寝 も しま せ ん 。 私 と い っし ょ に夜 中 の十 一時 ご ろ
ま で テ レビを 見 て いて、朝 は 五時 起 き です ね 。 兄貴
た ち は 、 八時 か九時 にな る と 、 ね む い、 と い って、
寝 ち ゃう ん です けど 。 陽性 なん です ね 。
手 相 と 病 気 の関係 に つ い ては 、西 式 の樫 尾 太 郎 と
″
誰 でも 生 野菜 ″?
いう お医 者 さ ん が ﹃手 相 によ る病 気 診 断 法﹄ ︵
芸術
生 活社 ︶と いう詳 し い本 を 出 し て いま す 。 こ の人 は 、
本 で研 究 した だ け でな し に 、自 分 のと ころ へ来 る患
者 さ ん を 見 て、 ぼ う大 な デ ー タを 元 に し て書 いた 。
だ か ら 、貴 重 な 本 です け ど 、 た だ 、病 気 の治 し方 が
間違 って いる のが欠 点 です 。ど ん な 病 気 でも 、 ビ タ
ミ ンC を と れば い い、 と い つて、柿 の葉 のお茶 を の
ん で、 生 野菜 を 食 べて、 温 冷 浴 を し て、金 魚 運 動 を
やれば い い、 と 書 いて いま す 。
こう いう療 法 は 、だ れ にも 勧 め られ るも の じ ゃな
い。 ビ タ ミ ンC を 摂 った ら 、血 が うす く な り ま す 。
血 が うす く な った ら 、 生 命 線 でも な ん でも 、 み ん な
線 が うす く な って しま う ん です 。 た だ 、 血液 を ア ル
カ リ にす れば い い、 と い つて、 ビ タ ミ ンC だ と 言 っ
てま す が 、 ア ルカ リ過 剰 も 病 気 な ん です 。 ア ルカ 7
1 ジ スです 。陰 性 にな った ら、 タ テ の い い線 、 運 命
線 と か 、物 質 ・財 産 運 を 示す 太 陽 線 な ん か は 、 水 け
-57-
を 多 く 摂 った だ け でも 消 え て しま う ん です 。 果物 で
も 消 え ます 。 そ う した ら 、消 化 器 官 が陰 性 にな って
や られ てく る か ら 、 生 命 線 に向 か って、細 か い障 害
本 当 の理 論 を 知 ら な い人 は 、 これ だ から困 り ま す
線 が た く さ ん出 てき ま す 。
け ど 、 た だ 、 デ ー タだ け は、 ぼ う 大 に集 め てく れ て
いる か ら、 これ は非 常 に有 難 いです ね 。
これ が合 って いた か ら 、よ か った ん です 。
﹃南 北 相 法﹄ を 見 ても 、 手 相 のと ころ は、 あ ま り
詳 しく あ り ま せ ん 。 これ も 、陰 と 陽 と いう モ ノサ シ
で見 て いけば 、 よ く 分 かり ます 。
﹁南 北 相 法﹄ に、 手 の五本 の指 は 、中 指 は自 分 だ
と 、薬 指 は 配 偶 者 で、 小 指 は 子孫 、 人 さ し指 は 他 人
で、親 指 は親 だ 、 と し てあ り ます 。 これ は合 って い
る か、 間違 って いる か。 発 生 学を や ってみ る と 分 か
生 ま れ てき た 子 供を 完 全 に育 てあげ る こと の でき る
﹂う いう 条 件 が 必要 です 。
判 断 力 が そ なわ る こと と 、フ
結婚 と いう のは 、 好 き嫌 いが は っき り し てか らす
″知 ︰情 ・意 と いう 言 葉 があ り ま
るも の です ね 。
″
す け れ ど 、 神 経系 と いう のは ″知 ″を つかさど り ま
す 。 そ し て、循 環 系 と いう のは ″情 ″ です 。 血 のめ
ぐ り です か ら 。意 志 が つよ い、 と か、 よ わ い、 と か
いう のは、 体 が 丈 夫 かど う か、 と いう こと です 。 体
の健 康 と いう のは 、消 化 器 系 の機 能 の こと です か ら、
″意 と いう のは 、消 化 器 系 の こと にな り ます 。
″
結婚 と は 何 か 、 と い った ら 、 これ は まず ″情 ″ で
す ね 。 何 と い っても 、 相 手 が 本 当 に好 き でな か った
ら結婚 と いう も のは成 り 立 たな い。 そ れ と と も に、
り ま す 。中 指 は 、 いちば ん 陽性 な循 環 器 だ か ら 、 自
分 だ と 、 そ し て、 小 指 は 生殖 器 の経絡 です か ら 子 供
結 婚 線 と いう のは 、小 指 の下 に表 わ れ ます 。小 指
生 理 機 能 が完 全 で、 生殖 器 が完 全 に発 達 し て、 は じ
だ と 。 これ は合 って いま す 。
う 、 え ら い易 者 でも 、 こう いう も のを 勉 強 し て、大
が 生殖 機 能 を 表 わ す の です か ら 、 これ は 当 然 です 。
め て、 結婚 し て子供 を つく る こと が でき る 。
″ 婚 線 の秘 密
結
″
日本 の昔 の手 相 と いう のは 、 だ いた い、中 国 か ら
勢 の人 を 見 て、 体 験 を つん で い ったわ け でし ょう 。
小 指 が 小 さ い、 と いう 人 は 、 生殖 器 の機 能 が 弱 いか
来 た 手 相 を ま ね て いる わ け です け ど 、水 野南 北 と い
た だ 、 理 論 と い っても 、 それ は中 国 のも の の受 け 売
ら 、難 産 です 。 結 婚 し ても 子 供 が でき な い、 と か 、
一生 結婚 でき な い人 も 多 い。 と ころ で、 結 婚 と いう
のは 、肉 体 的 な 生 理 機 能 が 十 分 に発 達す る こと と 、
く判 断 力 が 早 く 発達 した 人 は 、 結婚 線 が 、感 情 線 や
結婚 線 が でき るわ け です 。 そ こ で、 社 会 に生 き て い
晩 婚 の結 婚 線
だ か ら、判 断 力 を 表 わ す 感 情 線 と 、 小 指 と の間 に
り です ね 。先 ほど 言 った よ う に、 な ぜ 、天 ・地 。人
と 二 つに分 け る か 、 と いう こと が 分 か らな い。
易 の哲 学 が元 にな って いて、
た ま た ま 、中 国 のは 、
五祐 ぇ司ぇ
頭 脳 線 に近 く 、下 のほ う に出 てき ま す 。
と ころ が 、肉 体 だ け の生殖 機 能 だ け で、判 断 力 の
発 達 のお そ い人 は 、結 婚 線 が上 のほ う へでき てき ま
す 。 これ は 、晩 年 でな け れば 結 婚 でき な い、 と いう
こと です 。
ア メリ カ人 な ん かは 、肉 食 を 多 く し た た め に、肉
精 神 的 な も の、
体 的 には非 常 に早 熟 です 。 と ころ が 、
判 断 力 が それ に追 い つかな い。好 き 嫌 いの情緒 が 不
安 定 な うち に、体 だ け が 要 求す る か ら結婚 す る 。 し
か し、 長 つづ き しま せだ 。す ぐ 離 婚 す る 。
-58-
│
▲ 結婚線のいろいろ。
感 情 線 のと ころ が 才 で、 小 指 の下 の線 のと ころ
5︲ 6才 で
が0
ら いで か ら、 ち ょうど 中 間 は 3
才
す
く
3
7
51 6才 で結婚 す る人 は 、 結婚 線 が 、
す 。だ から、 2
2
中 間よ り も 下 にき て いる 。
本 当 に健 全 な 肉 体 と精 神を 持 った 人 な ら、 結婚 線
が真 横 へま っす ぐ 長 く 走 って いま す 。 と ころ が 、 下
へ下 が る 、 と いう 人 は 、 何 回 、 結 婚 し ても 、相 手 が
う 人 は 、 結 婚 は 一回 です 。 これ は 、親 や身 内 の人 に
かわ いが られ た 、 と いう のが 線 に出 て いる場 合 が あ
る か ら です 。 と いう のは、 自 分 が 思 いを 寄 せ て いる
のが 一人 、 む こう か ら 思 って いる のが 二人 、 と いう
こと です 。
ラ ン ス で出 てき て いる ん です か ら、 生 理 を 正 常 に し
だ か ら 、 結婚 線 と いう のは 、 生 殖 器 と循 環 器 のパ
も 幸 福 な 結 婚 は でき ま せ ん 。 精 力 絶倫 な ん です ね 。
た だ し、 相 手 の人 が死 ぬ 、 と いう こと は あ り ま せ ん 。
き て、 循 環 器 の系 統 だ か ら、火 星 平 原 は 、循 環 器 の
ん だ と ころ は火 星 平 原 と い います 。
これ も 、 発 生 学 的 に 、 ま ん中 へは中 胚 葉 が のび て
丘 、 月 丘 ⋮ ⋮ と 名 前 が つ いて いま す 。ま ん中 の へこ
手の ″
丘 ″も 見 て ゆく
と ころ で、 これ ま で、 手 のす じ のことば かり 言 い
″
丘 ″ と い って、盛 り 上
ま した け れ ど 、 手 相 では 、
が った と ころ も 問 題 にす るわ け です 。水 星 丘 、 太 陽
これ は 、 戸籍 を 入 れ た 、 法律 上 の結婚 だ け でな く
て、 実 際 の恋 愛 。結 婚 し た場合 も 、 み ん な出 ま す 。
て いけ ば 、 わ る い線 が出 て いても 、 それ を 直 し て い
様 子 が出 て いるわ け です 。 人 さ し指 、親 指 は、 太 陽
み ん な 死 にます 。 これ は 、 陰 性 です 。 そ う かと い っ
て、 女 性 が男 性 ホ ル モ ン過 多 で陽 性 にな って、先 の
く こと が でき ま す け ど 、 こう いう こと は 、占 いの本
細 か い線 が何 本 も あ る 、 と いう 人 は た い へん です
と いう のが は っき り し て いる ん です か ら 、同 じ療 法
で治 るわ け が あ り ま せ ん 。
す ぎ る 。 ま た 、 下 へ下 が った のは 、陰 性 で塩 抜 け だ
だ か ら 、上 り す ぎ は 陽 性 で、体 にわ る い塩 気 が 多
書 いてあ り ま す 。 そ うす る と 、 これ は 、 陽 と陰 だ か
ら 、 は っき り し て いま す ね 。
上 りす ぎ た のも 不幸 、 下 が りす ぎ た のも 不幸 、 と
い って いま す 。 先 天 性 梅 毒 の子 は 、 月丘 の下 部 のほ
いけ な いのが 、 こ の月 丘 の上 部 へ向 か って いる 、 と
白 痴 の子 は 、 母親 が猛 烈 な陰 性 を と つた た め か 、 生
命 線 が 、親 指 の根 元 へ向 か って巻 い て いかな け れば
中 ・下 に分 け ます 。樫 尾 さ ん の本 を 見 る と 、 先 天 性
ふく ら みを 月 丘 と い います 。 そ の月 丘 を ま た 、 上 ・
金 星 丘 は 、消 化 器 系 を 表 わ します 。
小 指 の側 は神 経 系 です ね 。 手く び に近 いと ころ の
経 、肺 経 が 来 て いる ん だ か ら 、 そ の根 元 の木 星 丘 、
ほ う が 上 へ、 は ね あ が って いる 、 と いう のも 、 これ
に は出 て いま せ ん 。
ね 。 これ は 、年 中 、 結 婚 の練 習 を し て いる 、 と いう
うを 向 いて生 命 線 が 来 て いる 、 と いう ん です 。
と に かく 母 親 の責 任 は重大 です ね 。 ふ つうな ら 、
丸 く 回 って いかな け れば な らな い。
回転 し て いる エネ ルギ ー で でき てく る ん です か ら 、
わ け です 。 ︵
笑 い︶
太 い、 は っき り した 線 が 、両 手 の同 じ位 置 に、 二
本 、 三 本 あ る 、 と いう 人 は 、 結婚 は 一回 では 、す み
ま せ ん 。 た だ 、片 手 だ け 二本 で、片 方 が 一本 、 と い
-59-
ん でみ る と 、 同 いグ リ グ リがあ り ま す 。 こ こは消 化
器 だ か ら 、 当 然 です ね 。 だ か ら、 こ こを も めば い い
です 。 だ か ら 、便 所 で便 が で にく いと き 、 こ こを も
だ か ら 、生 命 線 の回 り 方 でも 、大 き く 張 って回 っ
てく る 、 と いう のは 、非 常 に陽 性 な 人 です 。 と ころ
が 、 小 さ く ク ル ッと 回 って いる人 は 、陰 性 です 。 こ
ん でく だ さ い。
です 。 陽 性 な 線 な ん です 。生 まれ てか ら 、 血液 の状
態 が 非 常 によ く て、そ の子 供 が 、将 来 、 自 分 の生涯 、
だ か ら 、 手 相 学 では 、 タ テ線 と いう のは 、 い い線
て タ テ線 が のび てき ま す 。
指 の根 元 に盛 り 上 が り があ って、 土星 丘 と か太 陽
丘 と か名 前 が つ いて いま す 。 そ し て、 こ こ へ向 か っ
運命 を 表 わ す線
う いう 見方 も でき ま す 。
それ から 、非 常 に丈 夫 な 人 は 、 生命 線 にそ って、
副 生 命 線 と いう のが走 って いま す 。 こう いう 人 は 、
そ う と う 、 き わ ど い病 気 を し ても 助 かり ます 。
だ か ら 、消 化 器 の様 子を 見 る のも 、 生命 線 だ け で
の
な く て、 こ の親 指 の根 元 の金 星 丘 の肉 の盛 り 方 、色
つ やな ど でも 見 る こと が でき るわ け です 。
神 経衰 弱 、 ノイ ロー ゼ にな った 人な ん か は 、 こ
月 丘 の肉 が落 ち て、色 が 悪 く な って います 。 こ こ の
血液 循 環 がわ る く な って いる た め です 。
ど う いう 人 生 を 送 る か、 と いう確 固 た る 信 念を 持 っ
た ら 、中 心 の中 指 へ向 か って、
す ば ら し い運 命 線 が 、
ま っす ぐ 上 が ってき ます 。 何 才 にな っても 、 お 先 ま
っく ら で、 人 生 の目 的 が は っき り しな いで、親 が勝
手 に生 ん だ ん だ 、 な ん て、フラ フラ し て いる人 に は 、
運命 線 の い い のは出 てき ま せ ん 。
そ れ か ら 、 体 が非 常 に健 康 で、頭 が よ く て、富 も
自 分 の力 でと ってみ せ る 、 と いう 人 、 それを 実 行 し
た 人 は 、薬 指 に向 か って、太 陽 線 が は っき り 出 てき
て いま す 。親 の スネを か じ つて いる 人 に は 、 こ の線
は出 てき ま せ ん 。線 に は 、流 年 法 と い って、年 齢 も
出 て いるわ け です 。 太 陽 線 が 頭 脳 線 と ぶ つかる と こ
5才 、感 情 線 と ま じわ ると ころ は 5才 く ら いで
ろは 3
5
す か ら 、 これ を 見 る と 、 自 分 の実 力 でお金 を か せ い
だ時 期 が よ く 分 かり ます 。 スネ カ ジ リ の人 には 、 下
のほ う に は 何 も 線 が あ り ま せ ん 。
日 本 の女 の人 は 、 だ いた い、感 情 線 から上 のほ う
に し か、 太 陽 線 があ り ま せん 。 これ は 、 だ いた い女
の人 が 五 十 代 に入 る と 、
男 のほ う がく た び れ てき て、
女 の人 が 、 経 済 の実 権 を にぎ って切 り まわ す よ う に
な る か ら です 。
さ ら に金 運 の つよ い人 は 、 小 指 のほ う へ向 か って
副 線 が出 てき ます 。 サ ラリ ー マン では 、 こう いう線
が出 てき ま せん 。
運 命 線 と いう のは 、自 分 の運命 です ね 。循 環 器 で、
自 分 の肉 体 な ん です か ら 、中 指 へ向 か ってく る線 と
いう のは 、事 業 運 が出 て います 。 自 分 の人 生 の コー
スを は っき り 決 め て、
一貫 し て歩 い てき て いる人 、
と いう のは 、鮮 明な 線 が 出 て います 。 し かも 、真 下
か ら上 が ってく る 、 と いう のは 、独 立 し て、 自 力 で
や る 、 と いう 人 です 。金 星 丘 のほ う か ら カ ーブ し て
上 が ってく る 、 と いう の は 、身 内 の援 助 で運命 が の
び てく る人 です 。逆 に、月 丘 の側 か ら カ ーブ し て上
が ってく る人 は 、他 人 の支 援 が大 き い人 です 。
私 な ん か、 ″風 のま にま に″ な ん て人 生 観 だ か ら 、
下 か ら真 っす ぐ 来 てな い。 月 丘 のはず れ のほ う か ら
上 が ってき て いる 。 私 の女 房 な ん か 、親 から金 も ら
って、 女 千大 へ行 って、職 業 に つこう と し てた ん で
す か ら、 私 と ち が って、金 星 丘 のほ う か ら上 が って
き て いる 。
人 生 、 何を す る のか、 は っき り しな い、 と いう人
は 、 こう いう タ テ線 が出 てき て いま せ ん 。 循環 器 も
消 化 器 も し っかり し て いな いし 、甘 党 だ 、 と いう こ
と です 。
ソバ 粉 の陽 性 は ″
粘 り ″が な い
それ で、 私も 正食 を 始 め て、 な ん と か タ テ線 を 出
し てや ろ う と 思 って、ソバ粉 の実 験 を や った ん です 。
-60-
酒 でも 飲 む と 、 手 の ひ ら のま ん 中 の火 星 平 原 が 真
っ赤 にな ってき ま す 。 こ こ へは循 環 器 の系 統 が来 て
いる から です ね 。
手 相 と はち ょ っと ち が います け ど 、宿 便 のた ま っ
て いる人 は 、親 指 と 人 さ し指 の間 の根 元 を 指 では さ
▲ 運命線の い ろい ろ。
いた ん です が 、 よ た る に した って、 体 が 丈 夫 でな け
れ た ん です 。 そ れ じ ゃ、 ど う せ 長 く 生 き られ な いな
ら 、よ た る だ け よ た って、 面白 く やろ う 、 と遊 ん で
ても ら っても 、 二十 五 才 ま で し か生 き な い、 と 言 わ
いう こと が でき な い。 台 の前 へ行 った ら 、 パ シ ッ、
主 人 に、 も う こな いでく れ 、 と 言わ れ た 。ポ ー ン、
ポ ー ンと 、 ロング で打 ち合 って、 お互 いに遊 ぶ、 と
ころ が 、 そ のう ち 、 相 手 が こな く な った 。卓 球 場 の
国 体 ク ラ ス の選 手 と や っても 勝 つよ う にな った 。 と
にな った 。
球 場 へ行 って 、毎 晩 、 夜 中 の 一時 過 ぎ ま で遊 ぶよ う
れ ば 、よ た れ な い、 と いう こと です ね 。 銀 座 。新 橋
あ た り で酒 飲 ん だ って、す ぐ 吐 いち ゃう 、 と いう ん
パ シ ッと 決 め る こと し か でき な い。 手 が勝 手 に動 い
と いう のは 、若 いころ か ら体 が 弱 く て、 手 相 を み
では 、遊 び たく ても 遊 べな い。
し た け ど 、 子 供も 六人 、育 って います 。
こう いう 人 生を や ってき た 私 な ん かは 、 人 生 、 ひ
と つの こと に打 ち こん でき た 人 み た いに、 下 か らま
っす ぐ 、 と いう運 命 線 ではあ り ま せ ん 。横 か ら曲 が
って入 ってき て いる 。
それ で、 おも しろ いのは 、 ア メリ カ人 です 。昨 年
も ア メ リ カ ヘ行 って、大 勢 の人 の手を 見 た ん です け
ま した 。 も う数 え る こと も でき な い。 た だ し、短 い。
そ の ころ は 、 手 に 、 ケ ンラ ンた る タ テ線 が出 てき
運 命 線 でも 、邪 食 の人 の運 命 線 は 、 横 のほ う へず れ
元 のほ う へ曲 が ってしま って いま す 。 いか に、 い い
ら 、 運命 線 が ま っす ぐ中 指 へ入 って いかな いで、根
く っつ いた 運 命 線 の人 な ん て、 いま せ ん 。
し か し、 そ の自 分 の前 進 す る 目 的 が 曲 が って いた
ど 、 ア メリ カな ん かは 、親 は親 、 子供 は 子 供 で、早
く か ら独 立 し て暮 ら し て います 。 だ か ら、 生 命 線 と
そ れ で、 ソバ は た し か に陽性 だ け れど も 、米 のよ
な い。
に、歯 が ま る でダ メな ん です 。玄 米 が噛 めな い。 だ
と いう のは 、若 いころ か ら砂 糖 が 入 って いた た め
サ イ フにあ った のが 四百 円 でし た 。 これ で生 活 を 始
ん です 。女 房 にも 、親 か らも ら った も のは み ん な 返
せ、 と い った 。 女 一
房 の持 ってき た金 が 三百 円 。 私 の
一文 な し で始 め た
婚 し た ん です 。 結 婚 す る ん でも 、
一年 後 にま た 、 と った ら 、ど れ だ
で手 相 を と って、
″マスカケ 線 は行 動 派
″
だ か ら、C I でも 、会 員 が 入会 した と き に、 手 型
て しま う 。
う な 粘 り が な いな 、 と 気 が つ いた ん です 。だ か ら 、
てしま います 。
一発勝 負 で相 手 を負 かす 。
手 の動 き の早 いこと 、
熱 海 へ帰 って、
建 築 の仕 事 を や って いた ん です が 、
ち ょうど 大 火 が あ って、 ど こも か し こも 新築 で、注
そ のさ いち ゅう に、 縁 があ って桜 沢 先 生 の本 に触
ソバだ け 食 って いた ら、 社会 性 にと ば し い。
薬 指 へま っす ぐ 上 が らな いで、
む だ に浪 費 す る人 は 、
文 が 山 のよ う にき て、徹 夜 で図 面 ひ いても 追 い つか
れ た ん です が 、 さ あ 、 お れ は陰 性 だ った んだ 、男 ら
そ こ で、 い つま でも 遊 ん で いち ゃ いけ な い、 と 思
って、歯 を 治 し て、玄 米 を 食 べるよ う にな って、 結
お金 の線 でも そ う です 。せ っかく た め た お金 でも 、
し い男 にな り た い、 と 思 って、 ソバ粉 にみそ を 入 れ
て、 ゴ マ塩 入れ て、 自 然 署を す って入 れ て、 カ チ カ
か ら 、粉 食 な ら い いだ ろ う 、 と いう の で、粉 の中 で
め る ん だ 、も し、 正 食 と 無 双 原 理 を や って いて幸 せ
け 正食 を ガ ッチ リ や った か、す ぐ わ かり ます 。顔 で
チ に焼 いたも のを セ ッセと 食 べた 。
も 、 いちば ん 陽 性 な ソバを 食 べた ん です 。 そ のほ か
にな れ な い、 と いう な ら 、 こ の世 は 生 き る にあ た い
横 へ曲 が ってしま う 。 これ も 、右 へ曲 が る のと 、 左
へ曲 が る のと では 、大 いに違 います 。
に、ゴ マ塩 を オブ ラー ト にく る ん で、 梅 生番 のん で
しな い、 と 言 った ら 、 女 房 は ふ る え て いま した 。
こう いうも のが あ る か ら、税 金 だ と か何 と か、 う る
る と か いう の で、 そ の年 のと ころ で、事 件 が お き る
け です 。わ る いのは 、途 中 で切 れ て いる 、 と か、島
が でき て いる 、 と か、 さ さく れ て いる と か、星 があ
け っき ょく 、 は っき り した 、 き れ いな 線 が い いわ
も 分 かり ます けど 、顔 はご ま かす 人 が あ り ま す が 、
手 のす じだ け は、ご ま か せま せ ん 。
頓 服 す る 、 な ん て ことを 始 め た ら、 た ち ま ち 睡眠 時
も 、 近所 隣 り は ま だ寝 て います 。
さ い。物 を 持 つか ら苦 労す るん だ 、と いうわ け です 。
″人 生 、 な るよ う にな る と いう 人
け っき ょく 、
″
生 観 です 。 そ れ でな ん と か 、 二十 何年 、 お も し ろく
や ってき ま し た 。 味噌 ・醤 油 の買 え な い月 も あ り ま
私 は 、家 も 何 も 弟 た ち に譲 ってしま った ん です 。
間 は 三時 間 、 明 け 方 、暗 いう ち に目 が さ め て、箱 根
の山 ま で、 かけ 足 で登 ってお り てく る 。帰 ってき て
事 務 所 へ行 って図 面 を ひ こう とす るけ ど 、 机 の前
、
。
に0
1分 も 座 って い られ な い エンピ ツを 持 って 物
を 書 く こと が でき な い。も う 、仕 事 は や めだ 、 と い
う の で、 卓 球 な ん てや った ことも な か った のが 、卓
-61-
わ け です 。
頭 脳 線 と いう の は 、 長 く て
、 少 し下 向 き に カ ーブ
し て いる の が い いん です 。 と こ ろ が 、 自 痴 の 子 な ん
か 、 非 常 に短 い。 あ っても 、 生 命 線 と い っし ょ で 一
、
本 し か な い、 な ん て いう 場 合 が あ る 。 そ れ か ら 女
、
の人 に 多 いけ ど 、 体 に 塩 気 が な い人 は 頭 脳 線 が 下
、
、
へ下 が り す ぎ て いる 。 こ れ は 実 行 力 が な く て 夢
こ う いう こ と は 、 ど の手 相 の本 にも で て いま す か
み る タ イ プ です 。
ら 、 陰 陽 の原 理 を あ て は め て 、 よ く 研 究 し て く だ さ
い。
そ れ か ら、 日 本 人 にも 、 こ のご ろ ふ え てき ま した
れば な らな い。 と ころ が 、 これ が離 れ て いる 、 と い
う人 は 、 楽 天 家 です ね 。細 か いこと はあ ま り 気 に し
な い、 と いう 行 動派 です 。肉 食 が 入 ってき て いるわ
け です ね 。
″マスカ ヶ線 ″ と いう のが あ り ま す 。
面 白 いのは 、
感 情 線 と頭 脳 線 が共 通 で、横 一本 に走 って いま す 。
卜 万 人 に 一人 、 と いう珍 し い線 です け ど 、 考 え る よ
り 先 に事 を 起 こす 、 と いう行 動 型 です 。片 か ら ″百
。
づ か み ″ と い います 。にぎ った ら離 さ な いわ け です
行 動 型 だ 、 と いう意 味 では 、すば ら し いです ね 。 で
、
も 、 行 動 す る自 分 を 見 つめ て、あ あ す る 、 こうす る
、楽 は楽 です
と大 脳 で考 えな が ら進 ん で いく ほ う が
け ど ね 。感 情 線 や頭 脳 線 が クサ リ み た いにぐ に ゃぐ
、
で見 か 、 右 手
左
手
る
、左
に ゃし て いる のよ り は 男 ら し い。
右 で見 る か 、 左 で 見 る か
と ころ で、 手 相 を 見 る のに
で見 る か 、 と いう 問 題 が あ り ます 。 あ る本 には
、と
手 で先 天 的 な 運 命 を 見 て、右 手 で後 天 的 な 運 命 を 見
る 、 と し て いま す 。 し かも 、 これ は男 女共 通 だ
いう わ け です 。
そ う か と 思 う と 、 水 野南 北 は 、男 は先 天 運を 左 手
で、 後 天 運 を 右 手 で見 て、女 性 は そ の逆 だ 、 と し て
、男 も 女 も 、ヽ
いま す 。 じ ゃ、 左 利 き の人 はど う か 、 と いう 問 題 も
男 と 女 では逆 に見 る 、 と い っても
で てき ま す 。
、
臓 は ま ん中 か らち ょ っと 左 で 肝 臓 が 右 にな って い
、
ま す 。 これ が 逆 な ん て人 は いま ま で知 られ て いる
、
だ け でも 、 十 いく つし か例 のな い 奇 形 の場 合 だ け
です 。
人 間 の体 は 、左 右 、 同 じよ う に見 え ま す け ど 、 た
。
いて いの 人 は右 手 のほう が力 が 強 く て、左 手 が 弱 い
肺 や腎 臓 は 二 つず つあ り ます け ど 、 ど ち らも 右 のほ
、
う が 左 よ り も大 き い。 な ぜ か 、 と い っても 現 代 の
科 学 では 、 た だ 現象 の説 明を し て いる だ け で、 そ の
理 由 に つ いては 分 か らな い。 これ は 、宇 宙 法 則 で人
。
間 の成 り 立 ちを 解 明 しな け れば 分 かり ま せん
は左 手 で過 去 を 見 、 右 手 で現
私 は 、 だ いた い、男一
、
在 と米 来 、後 天 運を 見 て、女 性 は左 手 で過 去 と 現 在
右 手 で米 来 を 主 に見 て いく 、 と いう のが 正 し いと 思
いま す 。
、
。
以上 、 手 相 に つ いて の概 論 です あ と 生 命 線 の
下 に分 かれ て出 る旅 行 線 と いう のが 、 生 地 と違 う と
ころ に住 むよ う にな る印 であ る と か 、 いろ いろ 細 か
いこ と は本 に書 いてあ り ま す 。 そ れ か ら、 ツメな ら
、
ツメだ け 取 り上げ ても 大 変 です 。 長 い ツメ 丸 い ツ
、
、
メ、 四角 い ツメ、そ った ッ メ ツメ の色 つや タ テ
じわ 、 ヨ コじわ 、星 、自 ツメ の大 き さ な ど あ り 、ど
の指 の ツメが 何 を 表 わ し て いる か考 え た ら 、非 常 に
お も しろ いと 思 いま す 。
函館玄米 く らぶ
夏季 特 別 講演 会
水︶ ●講師 /大 森 英 桜
●8月 6
2日 ︵
●午前、健康 相談、午後 、講演
梅川実︶
●問合先/函館玄 米 く らぶ ︵
曇一
一
交
一
函 館市 鍛冶町 下興人 a o三バ圭一
-62-
、
が 、 ア リ ヵ 人 に多 いのは 頭 脳 線 と生 命 線 の起 点
メ
、 調 子 が い い。 発 生
が離 れ て いる人 、 こう いう人 は
学 か ら考 え てみ ても 、外 胚葉 と内 胚葉 は同 じと ころ
、
か ら ス ター ト し て回 転 し て伸 び て い った ん です か ら
当 然 、頭 脳 線 と 生 命 線 は同 じと ころ から始 ま ら な け
▲ 頭脳線の起点の いろいろ。
ア メリ カ旅 日記
発 、 サ ン フ ラ ン シ ス コ行 き の中 華 航 空 機 で飛 ぶ
﹂の 度 は 機 が 熟 し た と いう の か 、
運 び と な った 。フ
前 回 と は ま る で反 対 にす べ て が ス ム ー ズ に 運 ん
各 地 教 室 の大 勢 の 方 々 の は げ ま し と 、 東 京 近
だ。
郊 在 住 の友 人 に 見 送 ら れ 、 機 上 の 人 と な った 。
C I の本 間 さ ん 、 曽 我 部 さ ん に 一方 な ら ぬ 御 世
話 に な り 、 親 切 な ア ド バ イ ス の お かげ で何 の 不
安 も な く 仕 合 せ な 旅 立 ち だ った 。 見 送 り の 人 々
中 。 そ の後 間 も な く 桜 沢 先 生 は 他 界 さ れ 、 私 の
カ の滞 在 権 ま で獲 得 し て 、 そ れ ぞ れ の道 で 活 躍
居 た 。 私 は ビ ザ が と れ ず 断 念 し た が 、 他 の 二人
は そ の チ ャ ン スを 生 か し て渡 米 。 つ い に ア メ リ
田博 之 君 ︵
現 在 、 ニ ュー メ キ シ ョ州 に て 活 躍 中 ︶
山 本 しづ 子 さ ん ︵
在 、 ニ ュー ヨ ー ク ︶ そ の 他 が
が 適 当 か も 知 れ な い 。 そ の仲 間 に は カ メ ラ の福
私 の場 合 は 、 許 可 と い う よ り 命 令 と い った 方
、
0
TE S︶ が
1 数年 前 桜 沢 先 生 の最終 講 座 ︵
終 った 時 、 受 講 生 の中 か ら 私 も 含 め て 数 人 が ア
メ リ カ 行 き の許 可 が 出 た 。
に 航 空 券 の 予 約 ま で お 世 話 頂 き 、 いよ いよ 本 格
つ い て 細 々 と ア ド バ イ ス し て下 さ り 、 旅 行 会 社
折 り 、 ワザ ワザ お 立 寄 り 下 さ って渡 航 手 続 き に
が 無 い気 が し て 重 い腰 を 上 げ た 次 第 。
今 年 の 正 月 、 ミ セ ス相 原 が 福 島 へお 里 帰 り の
作 って 下 さ った の に 果 た せ な か った こ と を 思 い
こ の際 、 勇 気 を 鼓 舞 し て行 って 来 な け れ ば 申 訳
見 て 来 い と 言 わ れ て 、 せ っか く そ の チ ャ ン スを
だ った が 、 桜 沢 先 生 が 生 前 、 君 も 一度 は 海 外 を
必 要 以 外 は ほ と ん ど 家 に こ も り っ放 し の 私 に と
って 、 外 国 行 き は 何 と な く 気 が 重 く 、 お っく う
で と い う あ ら ま し の ス ケ ジ ュー ル で O K し た 。
6 年 5 月 0 日 以 降 8 月 の上 旬 ま
昨 年 の秋 頃 、 5
2
年 後 を 約 束 、 今 回 、 実 現 と な った 。
り が つ か な いま ま に 心 な ら ず も 御 断 り し て 、 二
K 。 う つ ら う つら す る こ と 2 時 間 余 、 つ い に サ
ン フ ラ ン シ ス コに 到 着 。
む す び を 食 べ て 、 後 は 梅 千 を 一個 し ゃ ぶ って 0
ジ ュー ス は 味 が 濃 す ぎ て 、 サ ン ド イ ッチ は 肉 入
2時 頃 、
り の物 ば か り で 手 を つけ な か った 。 翌 日 1
朝 食 が 運 ば れ た が 、 こ れ は 断 わ った 。 始 め て の
ジ ュー ス や ら サ ン ド イ ッチ 等 を 配 って く れ た が 、
中 国 人 で 、何 や ら 中 国 語 で 言 いな が ら 、パ イ ン ・
不 安 も な く 妙 に 落 着 い て いた 。 隣 り の座 席 に は,
子 供 連 れ の中 国 人 の若 夫 婦 。 ス チ ュ ワ ー デ スも
コ に 着 く な ん て 、 こ れ ま た 夢 のよ う だ が 、 何 の
目 の 当 り 見 た よ う な 妙 な 気 に な った 。 9 時 間 後
に ま だ 見 ぬ ア メ リ カ の玄 関 口 、 サ ン フ ラ ン シ ス
る で夢 の 様 で 、 ま る で 自 分 の葬 式 の 予 行 演 習 を
に 別 れ て 座 席 に 落 着 く と 、 さ っき ま で の事 が ま
渡 米 の チ ャ ン ス は 消 え た 。 そ し て、 見 か け に よ
的 に準 備 が 進 ん だ 。
し か し 、 曽 我 部 さ ん の ア ド バ イ ス のお かげ で、
ま で に 一時 間 余 り か か った 。
る ま で に 相 当 ひ ま ど った ︱ 係 り 官 の検 間 が 終 る
色 々な 手 続 き を す ま せ 、 預 け た 荷 物 を 受 け 取
ア メ リ カ 行 き を 祝 って妹 が 届 け てく れ た 赤 飯 の
ら ず 出 不 精 の私 は 、 積 極 的 に 自 ら そ の チ ャ ン ス
り 、 パ スポ ー ト か ら ビ ザ ま で ト ン ト ン拍 子 に 事
そ の後 は 日 本 C I の曽 我 部 さ ん に お 世 話 に な
を 作 る 努 力 も せ ず 、 国 内 の仕 事 に 追 いま く ら れ
一昨 々年 、 ヘ ル マ ン 相 原
つ つ十 数 年 が 過 ぎ た 。
:l
′
2 日 午 後 9時 0 分
務 的 な 処 理 が 進 め ら れ 、 5月 2
5
Jヽ
氏 か ら 招 き を 受 け た が 、 ス ケ ジ ュー ル の や り く
-63-
′
く サ ン フラ ンシ ス コのジ ャバ ン ・セ ンタ ー で。
だ った の で 、いさ さ か く た び れ た 感 は あ った が 、
無 事 外 に 出 ら れ て ホ ッと し た 。 出 迎 え の相 原 夫
菜輪 箱 、 カ ニ輪 箱 と いう風 に盛 り つけたも のだ 。
と い う の は ヘギ で作 った 丸 い飯 器 に 釜 飯 風 に 山
の テ ーブ ルに は 櫨 を イ メー ジす る よ う に上 か ら
自 在 で南 部 鉄 ビ ン が 釣 り 下 げ てあ った 。 輪 箱 飯
妻 に 助 け ら れ て荷 物 を 運 ん で頂 き 、 車 に 落 着 い
私と コルネ リ ヤさ んは山菜輪 箱 、 ヘル マンさん
ど こも ス ム ー ズ に パ ス し た が 、 そ の 間 立 ち 通 し
た 時 は 一度 に 緊 張 が と れ て 、 完 全 に リ ラ ック ス
と 御 嬢 さ ん の マリ ー さ ん は カ ニ輪 箱 を 注 文 し た 。
み そ 汁 と ヒ ジ キ の煮 物 と 御 新 香 が つ いた 。 お い
て 何 でも 自 分 で や ら な け れ ば 気 が す ま ず 、
一人
切 って い る 証 拠 。 そ れ に つけ ても 、﹁我 ﹂ が 強 く
も サ ッパ リ 気 に な ら な い の は 、 相 原 さ ん に 頼 り
シ ス コを 後 に 相 原 さ ん の 車 は 他 の 車 に さ ま た げ
は 思 え な か った 。 店 を 出 る と いよ いよ 夕 色 迫 る
く る 。 そ の せ いも あ って 、 こ こ が ア メ リ カ だ と
しく 、 隣 り の テ ーブ ルか ら は 銀 座 の話 が 漏 れ て
し か った 。 他 の テ ー ブ ル の客 も 日 本 人 が 多 い ら
後 はも う相 原 さ んま かせ、英 語 が出来 なく と
した 。
芝 居 に終 始 し た 私 、 吾 な が ら 遅 ま し 過 ぎ て小 面
2時 ま で
う ど 私 が 起 き た 頃 、 帰 って来 ら れ た 。 1
時 頃 、 少 し 離 れ た 事 務 所 へ仕 事 に 出 か け 、 ち ょ
今 朝 は 正 午 近 く ま で寝 て いた 。 相 原 夫 妻 は 8
●五 月 二十 三 日 ︵
土 曜 日︶
久 方 振 り に ゆ っく り く つろ いだ 。 ま さ に 極 楽 。
時 差 も あ って 長 い 一日 だ った 。
ンを 敷 い て 頂 き 、 手 足 を 思 い っき り のば した時 、
お 風 呂 に 入 れ て 頂 き 、 十 畳 余 り の広 間 に フト
だ。
せ せ っこ ま し い東 京 で は 想 像 も 出 来 な い贅 沢 さ
が 広 が り 、 大 き な 木 が た い て い二 、 三 本 植 え ら
れ 、 そ の 下 に 車 が 必 ず 一、 二 台 置 か れ て い る 。
こ こ は 郊 外 の住 宅 地 、 家 々 の前 に は 広 い芝 生
に オ ー ロビ ルな る 相 原 邸 に 到 着 。
ら れ る こ と な く スイ スイ と ひ た 走 り 、 5時 間 後
憎 い婆 々 ︵
/ ︶ に 、 こ ん な に 頼 り 切 れ る 一面 の
あ る こ と に 気 が つき 、 安 心 し た り し た 。
意 外 に 静 か な シ ス コ の表 情 も 、 私 の 心 を や わ
ら げ てく れ た 。 ア メ リ カ は 夏 時 間 と か 、 機 内 で
時 差 の 調 整 は し た が 、も う 一時 間 早 め た 。 途 中 、
日 本 街 で車 を 止 め 、 ま ず 紀 伊 国 屋 書 店 に 立 寄 っ
た。
一番 先 き に ﹃オ キ ド ウ ヨガ ﹄ と い う ゴ ツ
イ 本 が 目 に 入 った 。 続 い て久 司 ミ チ オ 氏 の ﹃マ
ク ロバ イ オ テ ィ ック の本 ﹄ ア ヴ ェリ ー ヌ夫 人 の
﹃
味 噌 ﹄ 等 々立 派 な 著 書 が 晴 れ が ま し く 日 に 入
って来 た 。 皆 ん な が ん ば って い る ん だ ナ ア 、 と
感 心 し た 。 次 の 瞬 間 、 ど の く ら い売 れ る の か ナ
? ど ん な 人 が 読 む の か ナ ? と 思 った 。い や 、
飾 ってあ る だ け で立 派 だ と 思 った 。
紀 伊 国 屋 を 出 る と 、 シ ス コ の街 に も ほ の か に
夕 や み が 漂 い初 め た 。 夕 食 は 日 本 食 で 、 と の 相
〓
︲錠 を
轍箱
原 夫 妻 の は か ら い で、会 津 料 理 ﹁
﹂ 御
馳 走 に な った 。 店 の 造 り は 日 本 の 田 舎 風 で 、 奥
-64-
寝 た の は 何 十 年 振 り だ ろ う か 、 記 憶 に な い。 心
オ テ ィ ック 教 室 のあ る ベ ー ガ ヘ連 れ て 行 って 頂
く 。 泊 り 込 み の 若 い女 性 二 人 に 一時 間 ほ ど お 話
れ ず 残 し た の を ワ ン チ ャ ン に も ら つて帰 つた 。
いわ ば 代 数 の よ う な も の だ が 、 陰 と い って も 陽
づ く し の朝 食 を 頂 き 、 わ が 家 と は 一味 ち が った
味 噌 汁 そ の他 に チ ョ ッピ リ 故 郷 を 離 れ た 感 じ を
味 わ った 。 夕 食 は 相 原 さ ん 御 一家 と 彼 の ス タ ッ
夜 中 ま で桜 沢 先 生 の 思 い出 話 等 を し て 、 二 時 頃
と い っても そ の 実 数 は 無 限 に あ る こ と だ か ら 、
実 数 を つ か ま な いと 解 決 に な ら な い こ と 。 漠 然
陰 の中 の 何 か 、 陽 の中 の 何 と いう 風 に 具 体 的 な
陰 陽 は 無 限 に あ る 事 象 を 二 つに 分 け て考 え る 、
を した 。
フ 一同 で 私 の歓 迎 会 を し てく だ さ った 。 メ キ シ
床 に つ いた 。
は な か った 。 し か し 、 チ ー ズ を 好 ま な い昔 者 の
私 と し て は 、 全 体 に シ ツ コ過 ぎ て半 分 以 上 は 食
べ ら れ な か った 。 コ ルネ リ ヤ さ ん も 同 様 食 べ切
ヨ料 理 の レ ス ト ラ ン で総 勢 七 人 、 奥 ま った 大 き
な テ ー ブ ル に 着 く と 一人 一人 に メ ニ ュー が 配 ら
れ た が 、 私 は ど れ を 見 ても チ ンプ ン カ ンプ ン 、
味 が あ って香 ば し く 、 そ れ だ け で 結 構 いけ た 。
コー ンせ ん べ い に こ の 野 菜 ソ ー スを つけ て 食 べ
る の だ 。 コー ン の焼 いた も の は 、 そ れ 自 身 の甘
等 を 刻 み 込 ん だ 野 菜 ソ ー ス のよ う な 物 が 出 た 。
カ ー セ ン ベ イ のよ う な 物 と 、 ト マト 、 ピ ー マ ン
ユ
則菜 に ト ー モ ロ コ シ の粉 で薄 く 焼 いた ク ラ ッ
地 下 室 に は 漬 物 や 味 噌 の カ メが 並 び 、
一階 の 一
家 が あ って 、 こ こ は 以 前 住 ん で 居 ら れ た 家 と か 、
年 が 彼 を 助 け て いる 。 小 径 を は さ ん で 三 階 建 の
い部 屋 が 二 つ に 分 れ て い て 、 二 人 の ア メ リ カ 青
さ ん の 料 理 の 本 も 立 派 な の が あ った 。 相 当 大 き
なる 翻 訳 書 が た く さ ん 並 ん で いた 。 コ ルネ リ ヤ
ス ヘ案 内 し て 頂 い た 。 こ こ に は 相 原 さ ん の 手 に
オ ー ロビ ル 三 日 目 。 今 日 は 相 原 さ ん の オ フ ィ
た。
イ な 、 よ く 熟 れ た 果 物 のよ う に 豊 か に 陰 性 を 持
った 陽 性 な 人 の方 が お い し い、 等 と 話 し て 帰 っ
な く て カ サ カ サ し た 陽 性 な 人 よ り も 、 ジ ュー シ
って い る も の が 美 味 し い し 、 人 間 も 陰 性 が 足 り
と も ムズ カ シイ こと 等 を 話 し た 。 同 じ 陽 性 な 果
物 でも 野 菜 で も 、 陰 性 が 充 分 あ って 陽 性 に 仕 上
あ る か ら 、 そ れ を 見 き わ め な いと 病 気 を 治 す こ
ま た 、 陽 が 過 ぎ た 陽 性 と 、 陰 が 足 り な い陽 性 と
性 な の と 、 陽 が 足 り な く て陰 性 な の と あ る ︱ ︱
と 陰 性 だ 、 陽 性 だ と いう 時 で も 、 陰 が 過 ぎ て陰
野 菜 ソ ー ス は 酸 味 と 辛 味 と 適 当 な 塩 味 が あ つて
間 に 長 男 の次 郎 さ ん が 住 ん で居 る 。他 の部 屋 は 、
︵日 曜 日 ︶
お い し いも の だ った が 、 ち ょ っと 辛 味 が き き す
時 々勉 強 に 来 た 生 徒 さ ん の宿 舎 に も な る と の こ
● 五 月 二十 四 日
ぎ る よ う に 思 った 。 や が て 料 理 が 運 ば れ た 。 サ
ラ ダ と 大 皿 に ゴ ッテ リ 盛 ら れ た 料 理 は 、 ち ょ っ
と 。 も う 一棟 こ の 三 階 家 と 事 務 所 を コ の 字 型 に
全部 おま かせ した 。
.
と 説 明 が む ず か し い。 メ キ シ ヨで は ガ ル バ ン ゾ
結 ぶ よ う に 二 人 の 青 年 の宿 舎 が あ る 。 そ の建 物
ま た 車 に 積 ん で自 分 の車 のと こ ろ ま で 運 び 、
運び
終 った ら 、手 押 し 車 は 、
も よ り のた ま り 場 に お け
カ ウ ン タ ー ヘ持 って 行 く 。 支 払 い が 済 ん だ ら 、
ら さ が つて い る 。 自 分 で欲 し い だ け 袋 に 入 れ て
グ ラ ム で 幾 ら と 明 記 さ れ 、 ポ リ 袋 と ハカ リ が ぶ
直 ぐ そ ば の 食 品 マー ケ ット で 野 菜 果 物 等 を 買 っ
た 。 マー ケ ット は 日 本 よ り 大 分 ス ケ ー ルが 大 き
い。 手 篭 な ら ぬ 手 押 し 車 が 備 え ら れ 、 客 は そ れ
を 押 し な が ら 買 物 を の せ て運 ぶ 。 各 品 物 に は 何
帰 り に 大 き な ス ー パ ー マー ケ ット で 日 用 品 を 、
ー のよ う な 豆 類 が 主 食 の よ う に 使 わ れ る 、 と 桜
の横 に は 相 当 広 い空 地 が あ って 、 軽 井 沢 あ た り
の 別 荘 地 を 思 わ せ る 。 東 京 で は 望 め な い豊 か さ
った が 間 も な く 晴 れ た 。 相 原 さ ん の マ ク ロ バ イ
今 日 は メ モ リ ア ル デ ー で 休 日 。 朝 一時 雨 が あ
● 五 月 二十 五 日 ︵
月 曜 日︶
だ。
沢 先 生 か ら 聞 いた こ と が あ つた が 、 お 皿 に は う
ず ら 豆 のよ う な も の を 軟 か く 炊 いた も の が 、 ち
ゃん と の って いた 。 肉 は 断 わ った か ら の って い
な いが 、 料 理 の傾 向 と し て は 、 ド ロド ロし た 辛
いも の や 、 チ ー ズ が か け ら れ 、 御 飯 の ね ば り を
洗 い 流 し て軟 か く 煮 た も の に ト マト ケ チ ャ ップ
で味 を つけ た も の 等 で 、 私 は 恐 る 恐 る フ ォ ー ク
を 入 れ た が 、 味 は 塩 が 相 当 き い て い て、 ま ず く
-65-
こ ろ だ が 、 セ ロリ ー を 入 れ る と こ ろ に 、 ち ょ っ
れ た も の だ 。 いわ ば 、 煮 込 み う ど ん と い った と
相原
今 日 か ら の ド ラ イ バ ー 、 レ ー ン君 の宿 所 ︵
氏 の オ フ ィ ス︶ へ向 った 。 レ ー ン君 は 外 に 立 っ
ば い いよ う に な って い る の で 便 利 だ 。 夕 食 後 に
、 これ は 文 句
オ レ ンジを 頂 いた が 、 さす が 本 場
と趣 き がち がう 。
と 街 の シ ョ ッピ ング セ ンタ ー ヘ買 物 に 出 か け た 。
御 飯 が 炊 け る 間 を 縫 って 、 私 は ヘ ル マ ン さ ん
て待 って いた 。 ド ラ イ バ ー を 含 め て 総 勢 四 人 を
乗 せ た 車 は 東 へ向 って走 り つづ け た 。
な し に お い し か った 。
コ ル ネ リ ヤ さ ん は 、 二 日 後 に 迫 った 旅 の 準 備
な い五 月 晴 。 日 本 へ の ハガ キ を 数 枚 書 い て は あ
今 日 も カ リ フ ォ ル ニ ア の空 は 青 く 晴 れ 、 申 分
って 、 そ れ ぞ れ に 憩 って いた 。 便 所 も あ る 。 必
げ ん 豆 の煮 物 だ った 。 他 に も 一∼ 二 台 の 車 が あ
った 。 玄 米 む す び と 草 餅 入 り の味 噌 汁 と 、 いん
に車 を と め 、
一つ の テ ー ブ ルを 囲 ん で朝 食 を と
も 、 た だ 細 長 い テ ー ブ ル と ベ ン チ のあ る だ け ︶
の煮 物 が か け ら れ て い た 。 レ ー ン君 の テ ン ト は
と 、 御 飯 が 炊 け て 、 そ の後 に 玉 葱 と いん げ ん 豆
は 果 物 を 買 った 。 ヘ ル マ ンさ ん は 奥 さ ん に た の
ま れ た 野 菜 と パ ンを 買 った 。 キ ャ ンプ 場 に 帰 る
だ った 。 空 気 が 乾 燥 し て い て喉 が 渇 く の で 、 私
カ リ フ ォ ル ニア のも のと 大 差 無 く 、 立 派 な も の
、
源 と 聞 い た 。 し か し 、シ ョ ッピ ン グ セ ン タ ー は
無 く 、 ネ バ ダ 州 公 認 のギ ャ ンブ ル が 最 大 の収 入
砂 漠 の 町 ウ ィ ネ ム ッカ は 、 収 入 源 に な る 産 業 も
る が 、 ポ ス ト が 付 近 に は 無 い。 相 原 邸 のあ た り
要 最 低 の モ ノ は 設 備 さ れ て いた 。
一体 み し て 、 ま た 走 り 続 け る 。 ラブ ロ ック と
実 に 手 際 よ く 、 大 き い の と 小 さ い の と 二 つ張 ら
で 一日 忙 し く 働 い た 。
は 近 く に 商 店 街 も 無 く 、 静 か で昼 間 は ほ と ん ど
いう 町 を 通 り 抜 け る と 、 景 色 は 一転 し て 見 渡 す
日 光 の 杉 並 木 の様
四 、 五 キ ロも 続 く 杉 並 木 ︵
0時 頃 、 公 園 ︵
と い って
な ︶ の道 を 通 り 抜 け 、 1
人 通 り も な い 。 時 折 り 町 へ買 物 に 行 く 車 が 通 る
限 り の砂 漠 が 続 く 。 そ の中 を 時 速 百 キ ロ で走 り
火 曜 日︶
●五月 二十 六 日 ︵
く ら い で 、 ト ラ ック のよ う な も の は 一切 適 ら な
い。 そ ん な 静 か な 郊 外 地 。
れ て いた 。
食 事 を す ま さ な いと いけ な い の で忙 し い。 お の
お の定 め ら れ た 場 所 に は 、 公 園 に あ った と 同 じ
ヤ さ ん は 夕 食 の準 備 に 取 り か か る 。 日 没 ま で に
を し て 、 指 定 の 場 所 に テ ン ト を 張 る 。 コ ルネ リ
て 下 さ った 人 に 申 訳 な い と 思 いな が ら 、醤 油 を
と ば か リ ア メ リ カ の味 は つき あ い か ね る 。 作 っ
た 。 日 本 人 の 中 で も カ ラ好 き の 私 に は 、 ち ょ っ
た 梅 び し お を 少 し 入 れ てま ぜ た ら お い しく な っ
を 使 って 淡 味 に 苦 心 し て いる よ う だ 。 いん げ ん
と 玉 葱 の 淡 味 の煮 付 け に は 、 吉 成 先 生 か ら 頂 い
に 弱 い と いう の で 、 コ ルネ リ ヤ さ ん は 大 変 神 経
いよ いよ 夕 飯 。 私 は 悪 いと 思 った が 、 う ど ん
つづ け る 。 行 き 交 う 車 も な い。荒 涼 た る 眺 め に 、
い つ の 間 に か ま ど ろ む 。 ド ラ イ バ ー の レ ー ン君
の汁 に 相 当 醤 油 を 入 れ て 食 べ た 。 レ ー ン君 が 塩
今 日 も コ ルネ リ ヤ さ ん は 旅 の準 備 に 忙 し い。
夕 方 8 時 頃 、 チ コサ ン の ケ ネ デ ィ夫 妻 が 訪 れ 、
も 眠 く な ら な いか と 心 配 に な る 。
細 長 い分 厚 い板 の 机 と 腰 掛 け が 用 意 さ れ 、 そ の
入 れ た り 梅 び し お を 入 れ た り し て、 我 が ま ま を
し て し ま う 。 コ ルネ リ ヤ さ ん は 、 い や な 顔 も せ
ウ ィ ネ ム ッカ に 到 着 。 早 速 、 キ ャ ンプ 場 の 予 約
側 に 水 道 栓 が つ い て いる 。 ヘ ル マ ンさ ん が石 油
ず 寛 大 に 許 し て下 さ る の で 、 つ い甘 え る 。
夕 飯 も す み 、八 時 を ま わ って い る と いう の に 、
コ ン ロ の 用 意 を す る と コ ルネ リ ヤ さ ん が 洗 った
キ ャ ベ ツと セ ロリ ー の 入 った 清 汁 に う ど ん を 入
玄 米 を か け る 。 そ の ワキ の 火 で ス ー プ を 作 る 。
出 発 し て か ら 七 時 間 く ら い し て 、△フ夜 の泊 り 、
一時 間 .
く ら い歓 談 し て帰 ら れ た 。
︵
水 曜 日︶
いよ いよ 明 日 は 出 発 。 私 も 身 の ま わ り の物 を
整理 した。
● 五 月 二十 七 日
キ ャ ンピ ング カ ー に 、 テ ント か ら寝 袋 か ら食
糧 一切 と 書 籍 類 お よ び 身 のま わ り 品を 積 み込 ん
で、 お 嬢 さ ん の マリ ー さ ん を 一人残 し て、まず 、
-66-
く 一面 の塩 の平 原
`
`
`■ │■
い●│ヽ・
:
=■
‐■
゛
> ソ ルト レーク市 から コロラド州 へ行 く途中 の
休 憩 所 に て。
ま だ 明 る い。隣 り に も 小 さ な テ ン ト が 張 ら れ た c
い カ ップ ル. テ ン ト を 張 り 終 る と 抱 き 合 って キ
オ ー ト バ イ で 来 た 中 年 の夫 婦 だ 。 そ の向 う は 若
ッス し て いる 。何 ん だ か 映 画 の中 の様 な 光 景 だ 。
ひ そ か にク 暗 の迫 る 頃 に は 段 々 ふ え て テ ン ト 村
が 出 来 た 。 私 は 年 寄 り の故 を 以 て 車 の 中 に寝 か
せ て 頂 いた 。 そ れ に し ても 、 生 れ て初 め て の ス
リ ー ピ ン グ バ ッグ だ 。 二 鷹 教 室 の 横 田 さ ん か ら
頂 い た シ ー ツが 役 立 った 。 寝 る 時 は 毛 布 な ど い
ら な いと 思 った が 、 夜 中 か ら 朝 明 け に か け てど
ん ど ん 冷 え て 、 思 わ ず 毛 布 を か け た 。 こ こ は富
士 山 と 同 じ一
局さ と か 、 な る ほ ど と 思 った 。
一晩 中 、大 き な 車 の突 走 る 音 が 絶 え な か った 。
昼 間 は 割 合 と 車 の 数 も 少 な か った が 、 夜 中 は 猛
スピ ー ド で走 る 車 が 多 く 、 そ の音 で時 々日 が さ
め た 。 でも 、 直 ぐ そ ば の空 地 で ケ ン カ が あ つた
そ う だ が 、 私 は ち っと も 知 ら な か った のだ か ら
結 構 眠 った の だ ろ う 。
翌 朝 六 時 頃 、 鴬 に似 た 小 鳥 の 声 で 日 を さ ま し
た 。 車 か ら出 る と寒 さ が身 に鴻 み た 。 洗 面 所 ヘ
行 く と コ ルネ リ ヤ さ ん が す で に洗 顔 を す ま せ 、
電 気 の 下 で 本 を 読 ん で いた 。 聞 く と こ ろ に よ る
と 、 テ ン ト の中 は 寒 く て 一晩 ね む れ な か った と
か 、 中 訳 な い限 り であ る 。 他 の テ ン ト の人 達 は
ま だ 起 き て いな い 。 寒 いけ れ ど も 澄 み 切 った 空
気 の 心 地 よ さ 。 遠 く の 山 々 が 絵 の様 だ った 。
●五 月 二十 八 日 ︵
木 曜 日︶
-67-
か あ って 、 何 組 か の客 が そ れ ぞ れ に 腰 を お ろ し
業 用 と の こ と だ った 。 付 近 に は テ ー ブ ルが 幾 つ
塩 が 間 に 合 う ん じ ゃな い か と さ え 思 え た 。 と こ
ろ が 、 こ こ の 塩 は 食 用 に は な ら ず 、 も つぱ ら 工
拾 った 。 こ ん な に 自 然 の塩 が あ った ら 世 界 中 の
って乾 いた 塩 の あ る 所 ま で行 って 、 塩 の 結 晶 を
お 続 いた 。 エ ル コー と い う 町 の展 望 台 の あ る 所
で 車 を 降 り て 一体 み し た 。 自 然 の塩 田 の 様 に な
時 間 く ら い走 った 様 に 思 え た が 、 塩 の 湖 は 、 な
た 。 正 確 な こ と は 忘 れ た が 、 気 持 ち の上 で は 一
って ユ タ州 に 入 る と 問 も な く 塩 の 湖 が 見 え 始 め
所 が 見 当 ら ず 、 私 達 は 車 の中 で 食 事 を し た 。 ま
だ ネ バ ダ 州 の砂 漠 地 帯 が 続 く 。 二 時 間 く ら い走
は 昨 日 よ り 長 丁 場 と か 。 三 時 間 も 砂 漠 の中 を 走
0時 半 頃 、 小 さ な 町 に出 た 。朝
った だ ろ う か 、 1
食 の場 所 を 探 し た が 、 こ こ に は テ ー ブ ル の あ る
8時 出 発 が 予 定 よ り 大 分 早 く 出 発 出 来 た 。 今 日
私 達 は 車 の 中 を 整 理 し て色 々 の物 を積 み 込 ん だ 。
ヘル マンさ ん と レー ン君 は テ ン ト を た た ん だ 。
モ ル モ ン教 祖 が こ の地 を 開 拓 し て 教 え を 広 め る
の寺 院 を 見 物 し た 。 ス ライ ド と 人 形 を 使 って 、
夕 食 ま で の時 間 を 利 用 し て 私 達 は モ ル モ ン教
日 本 の ワ ラ ジ が 吊 り 下 って いた り し た 。 御 夫 妻
の趣 味 の豊 さ が し のば れ た 。
の壁 に は 地 方 色 豊 か な 民 芸 品 が 飾 ら れ 、 中 に は
て い て 、 ま る で小 さ な ホ テ ル並 み で あ る 。 各 室
つ か あ る 部 屋 の 一つ .つ に バ ス と ト イ レ が つ い
で フ ッカ フカ の ジ ュー タ ン が 敷 き 詰 め ら れ 、 五
表 か ら 見 る と 地 階 の 様 に な って い る が 、 三 階 ま
入 れ て 、 落 着 いた 雰 囲 気 を 作 って いた 。
一階 が
﹁の れ ん ﹂ が 壁 に か け ら れ 、 植 木 を 上 手 に 取 り
頓 さ れ た サ ロ ン に は 日 本 の麻 製 の 渋 い藍 染 め の
った 。 夫 婦 と 子 供 二 人 の暮 し だ が 、 き れ い に 整
住 居 は 、 モ ル モ ン教 寺 院 を 望 む 閑 静 な と こ ろ だ
探 し 当 て た 御 弟 子 さ ん の マリ ア ン ヌさ ん の お
信 号 に 出 会 い、 東 京 ほ ど で は な いが 、 車 の数 も
ふ え た 。 死 の 国 か ら 生 の世 界 に も ど った 様 だ 。
を 長 い こ と 走 り つづ け た が 、 こ こ へ来 て初 め て
会 った 様 な 気 持 ち が し た 。 今 ま で信 号 の 無 い道
て寝 た 。
だ った か ら c で も 、 初 め て の 経 験 だ か ら 一生 に
一度 の 思 い 出 に 、 今 夜 は こ れ で ね よ う と 決 心 し
ジ ュー タ ン は フ ト ン が い ら な い く ら い フカ フ カ
ジ ュー タ ン の 上 で 寝 よ う か と 思 った か 知 れ な い。
ち の 私 は 苦 手 だ った 。 何 遍 か ベ ッド か ら 降 り て
る こ と を 知 った 。 バ ス を す ま し て ベ ッ ド に 入 る
て 変 っ て 、 私 は 生 れ て 初 め て こ ん な ベ ッド の あ
る 仕 掛 に な って い る 。 昨 夜 の キ ャ ン プ と は 打 っ
下 の 様 に な って い る 部 屋 だ った 。 ダ ブ ル の ウ ォ
ー タ ー ベ ッド で 、 ス イ ッチ を 入 れ る と 水 が 温 ま
と に し た 。 私 達 の寝 室 は 表 の 人 口 か ら 見 る と 地
明 日 は ま た 長 いド ラ イ ブ と か 、 早 め に 眠 る こ
グ で 和 え た も の で 、 大 変 お い し か った と の 由 。
レ タ ス と ホ ー レ ン草 と 胡 瓜 を 梅 酢 の ド レ ッシ ン
は 頂 か な か った が 、 コ ル ネ リ ヤ さ ん の 話 で は 、
ア ン ヌ さ ん の人 柄 が 偲 ば れ た 。 グ リ ー ンサ ラ ダ
淡 味 だ が 、 中 ま で 味 が し み と お っ て い て 、 マリ
コ シ﹂ が 用 意 さ れ て い た 。 器 は 日 本 製 で 、 ブ ル
と ﹁グ リ ー ン サ ラ ダ ﹂ そ れ に ﹁繭 で た ト ー モ ロ
出 発 か ら 約 七 時 間 に わ た る ド ライ ブ であ る 。 長
い長 い橋 を 渡 る と 大 き な 町 に 出 た 。 こ こ が モ ル
あ る 、相 原 さ ん の お 弟 子 さ ん の 家 に 着 く と いう 。
握 った 。 こ こ か ら 二 時 間 も 走 れ ば 今 夜 の宿 舎 で
マリ ア ン ヌ さ ん が 車 で迎 え に 来 て 下 さ って 、
模 の大 き い の に 驚 いた 。
を き く こ と も 出 来 な か った 。 し か し 、 何 と も 規
ざ さ れ て い て 、中 を 見 る こと も も ち ろ ん 、演 奏
と 走 り つづ け た 。 き れ い に 晴 れ た 美 し い朝 だ 。
目 が さ め た 。 身 仕 度 を し て 8時 出 発 。 車 は 美 し
い ソ ル ト レ ー ク の街 並 み を 通 り 抜 け 、 東 へ東 ヘ
ア メ リ カ に 来 て 、 ち ょ う ど 一週 間 目 。 六 時 に
と 、 フ ニ ャ フ ニャし て いて温 か 過 ぎ て 、貧 乏 育
ー の 刷 毛 目 模 様 の 落 着 い た も の だ った 。 料 理 は
て食 事 を し た り 、 お 茶 を 飲 ん だ り し て い る 。 私
大 き な パ イ プ オ ル ガ ン のあ る と い う 音 楽 堂 は 閉
ま で の歴 史 を 解 説 し てく れ た 。 し か し 、 世 界 一
モ ン教 が 開 いた ソ ルト レー ク ・シ テ ィであ る 。 今
私 達 は 夕 食 の テ ー ブ ル に つ いた 。 お い し く 炊 け
た ﹁
玄 米 御 飯 ﹂ と ﹁の り 巻 き ﹂ と ﹁プ ロ ッ コ リ
レ ー ン君 に 代 って ヘ ル マ ンさ ん が ハ ン ド ルを
達 も し ば ら く お 茶 な ど を 飲 ん で休 憩 し た 。
ま で砂 漠 に つぐ 砂 漠 で 、 荒 涼 と し た 自 然 の中 を
ー 、 玉 葱 、 豆 腐 、 南 瓜 、 子 ト マト な ど の 煮 物 ﹂
● 五 月 二十 九 日 ︵
金 曜 日︶
旅 し て 来 た 私 達 に と って 久 方 振 り に 生 き 物 に
-68-
三 時 間 く ら い し て 、 湖 に 面 し た と いう と ち よ っ
ん な 所 に 住 む 人 の生 活 は 定 め し キ ビ シ イ も のだ
今 夜 彼 は 彼 の教 室 で レ ク チ ャ ー が あ る と
氏は ﹁
も 居 な い。 私 は ま ず ト イ レを 借 り た 。 ヘ ル マ ン
い つて いた か ら 、そ っち に 行 って い る ん だ ろ う ﹂
ろ う と 思 った 。
と ピ ー マ ン の 線 切 り を ま ぜ 合 せ た も の︶、こ れ は
塩 漬 、 生 の 人 参 、 セ ロリ ー の棒 状 に 切 った も の
竜 の 町 か ら 三 ∼ 四 時 間 も 走 った ろ う か 、 あ た り
0 メ ー ト ル先 も 見 え な い
は 一面 、 霧 に 包 ま れ 、 1
ほ ど だ った 。 ロ ッキ ー 山 脈 に 差 し か か った の だ 。
く 。 でも ラ イ ラ ック の花 咲 く 部 落 も あ った 。 恐
が 終 った の か と 思 った が 、 ま だ 緑 の少 い道 が 続
私 達 も 降 り て ト イ レな ど 借 り た が 、 外 は 寒 い。
ジ ャ ケ ット 無 し で は 居 ら れ な い。 も う 砂 漠 地 帯
だ ろ う か 、恐 竜 → ← の 骨 が 発 見 さ れ た と い う 町
に着 く 。 こ こ か ら が コ ロラ ド 州 。 給 油 のた め 、
今 度 は ど ん な 自 然 が 広 が る だ ろ う と 期 待 し てみ
る 。 し か し 、 余 り 変 化 は な い 。 二 時 間 も 走 った
ニン グ だ 。
か 、 ま あ よ か った 。 そ れ に し ても 、 と ん だ ハプ
こ こ の方 も サ ンデ ー さ ん 達 の グ ル ー プ の 一人 と
家 で は 無 さ そ う だ 。 そ こ へ赤 ち ゃん を 抱 いた 奥
女 の 人 が 入 って 来 た 。 日早 や に 大 声 で コ ルネ リ
ず 、 私 達 の た め と は い え 、 私 は ち ょ っと 驚 いた 。
コ ロラド 州 が 近 いと いう ヘル マンさ ん の声 に 、
と 表 現 が 違 う 、 湖 を 見 下 ろ す 小 高 いパ ー キ ン グ
色 ど り が 美 し く 見 事 だ った 。 し か し 、 私 の 口 に
ラ イ ト を つけ て 車 は 走 る 。 日 本 の 山 道 と 同 様 、
と い った 。 そ れ に し ても 、 長 い時 間 、 鍵 も か け
は 合 わ な か った 。 私 は お む す び 一ケ と セ ロリ ー
曲 り 曲 った 道 だ が 、 道 幅 が 広 い の で 、 危 険 感 は
場 を 見 つけ て車 を 止 め た 。 天 然 湖 だ ろ う か 、 人
造 湖 だ ろ う か 、 と に か く 大 き い。 こ の 辺 は 海 抜
木 ネ ズ ミ が 出 て 来 て 食 物 を ね だ る よ う に 一行
玄 米 む す び に マリ ア ン ヌ さ ん の作 って 下 さ った
胡 瓜 の酢 漬 と オ リ ー ブ の
海 苔 巻 と 特 製 の漬 物 ︵
と 人 参 を 一本 ず つ取 って 、 例 の吉 成 先 生 の 梅 び
し お を つけ て 食 べ た 。
離 れ た 所 に 大 変 広 い庭 の あ る 邸 宅 を 構 え て いた 。
教 え ら れ た 通 リ サ ンデ ー 氏 は 、 そ こ か ら 大 分
分 前 に こ の家 を 売 って 他 へ越 さ れ た 、 と い って
そ の 道 順 を 教 え てく れ た の だ そ う だ 。 し か し 、
さ ん が 入 って 来 た 。 英 語 の 分 ら な い私 に は 、 さ
っぱ り 分 ら な いが 、 後 で 聞 く と サ ンデ ー 氏 は 大
ヤ さ ん と 話 し て い る 。 ど う や ら サ ンデ ー さ ん の
や が て 、 お も て に 人 の声 が し て 、 若 い陽 性 な
の顔 を 眺 め る 。 コ ルネ リ ヤ さ ん が バ ンを ち ぎ っ
か った 。
缶小
9 0 0 0 フィ ー ト ︵
? ︶ く ら いと か 、 寒 い 。
日 の 当 る 方 の ベ ンチ に 腰 掛 け て朝 食 を と った 。
前 足 ︶ で パ ンく ず を 持 って 、
て与 え る と 、両 手 ︵
後 足 で立 つ様 な ポ ー ズ で 食 べ始 め る 。 何 ん と も
四 、 五 百 坪 も あ ろ う か と 思 わ れ る 裏 庭 の中 央 に
は 、 ま わ り を レ ン ガ で囲 った 噴 水 が あ って ゴ ー
咲 い て い る 。 時 々 ﹁リ ス ﹂ が 庭 木 か ら 下 り て 来
た り す る 。 ブ ラ ン コが あ る 。 滑 り 台 も あ る 。 欝
可 愛 い い。 木 ネ ズ ミ の 数 は 段 々 増 し て 、 ち ょ っ
と 面 喰 ら った 。 私 は 意 地 悪 く 、 梅 び し お を つけ
も あ る と か 。 外 は 相 当 寒 い ら し い。 幾 曲 り も し
蒼 と 繁 って い る 楓 の老 木 に も ブ ラ ン コ用 の 綱 が
ジ ャ ス な 雰 囲 気 を 作 って い る 。 百 株 も あ ろ う か
て 山 を 越 え る と 街 が 近 づ い て 来 た 。 そ の辺 り か
か け てあ る 。
と 思 わ れ る 芍 薬 が 見 事 であ る 。 菖 蒲 に 似 た 花 も
周 囲 の山 々 は 雪 を 頂 き 、 ソ ルト レ ー クを 出 る
ら 、 か れ こ れ 一時 間 近 く も 走 った ろ う か 。 目 指
た パ ンく ず を 投 げ て 見 た 。
一瞬 た め ら った が 、
頃 は 美 し い 五 月 晴 れ だ った の に 、 し ば ら く 走 る
す ボ ル ダ ー に 着 いた の は 8 時 頃 。も う 暗 か った 。
一時 間 く ら い休 憩 し て
そ れ も 食 べた 奴 が い る 。
こ れ が ロ ッキ ー 山 脈 か / 一万 一千 フ ィ ー ト
と 時 々 小 雨 が 降 り 出 し た 。 ま だ ユタ 州 と か 、 砂
出 発 した。
漠 地 帯 が 続 く 。 背 の低 い灌 木 が 灰 を か ぶ った 様
サ ンデ ー 氏 の 家 を 探 す の に暇 ど った 。 こ こ だ /
こ こ だ / や っと 探 し 当 て て 入 って み た が 、 誰
彼 女 は 母 親 が 仕 事 中 は 庭 に 放 り 出 さ れ て 一人 で
一番 下 の エリザ ベ スち ゃん はま だ 一歳 ち ょ っと 。
サ ンデ ー 氏 は ュダ ヤ 人 で 二 人 の 子 供 が い る が 、
な 色 を し て 、 不 気 味 に 思 え る 。 でも 時 々 は 馬 の
放 牧 さ れ て いる のを 見 る 。 人 家 も 稀 にあ る 。 こ
-69-
這 いず り ま わ って遊 ん で い る 。 大 人 も 子 供 も 、
家 の中 も 庭 も ハダ シ で気 楽 に暮 し て い る 。 サ ン
デ ー 氏 は 漢 方 と 鍼 灸 で診 療 を し て い る のだ そ う
だ 。 そ の か た わ ら 何 人 か の グ ル ー プ を 持 って マ
お い し く な い レ ベ ッカ さ ん の 料 理 に 私 は 心 か ら
感謝す る。
切 り を の せ 、 そ の上 か ら 豆 腐 の ソ ー ス ︵
ゴ マと
塩 を 摺 り ま ぜ た も の︶ を タ ップ リ か け た 、 見 る
も の だ が 、 彼 女 も 御 多 分 に も れ ず 、 色 々 作 って
陽 性 過 ぎ る 人 は 概 し て 料 理 は余 り 上 手 で な い
そうだ。
ポ リ 容 器 に 漬 け 込 ん であ った 。 こ れ は 売 る の だ
味 噌 も 手 造 り 、 自 菜 の朝 鮮 漬 も 四 斗 樽 く ら い の
奥 さ ん の レ ベ ッカ さ ん は 大 変 陽 性 な 働 き も の 。
十 二 時 頃 出 来 上 った 。
参 加 者 が 多 か った の で 、ホ
者 な 英 語 で手 際 よ く 説 明 し な が ら 料 理 を 進 め 、
師 の 料 理 を 見 守 って いた 。 コ ル ネ リ ヤ さ ん は 達
て 行 った 。 会 場 に は 三 、 四 〇 人 の老 若 男 女 が 講
け た 。 ヘ ル マ ン さ ん と 私 は 一時 間 く ら い お く れ
であ る 、 五 百 メ ー ト ルく ら い離 れ た 教 会 に 出 か
が 予 定 さ れ て い る と か 、 彼 女 は 少 し 早 め に会 場
今 日 は コ ルヽ
不リ ヤ さ ん の ク ッキ ン グ ・ク ラ ス
ン ド が あ つて 、子 供 達 が 自 由 に た わ む れ て いた 。
く 。 神 宮 球 場 く ら い の観 覧 席 と 人 工 芝 の グ ラ ン
し ま う 。 そ の か え り に コ ロラ ド 大 学 を 見 せ て頂
ポ ス ト が 見 当 ら な い の で 、 郵 便 物 を つ いた め て
出 す た め に 、 メ ー ルボ ック スを 探 し に ヘ ル マ ン
さ ん と 外 に 出 た 。 ア メ リ カ の町 に は 、 日 本 ほ ど
レ ク チ ャ ー ま で時 間 が あ った の で 、 郵 便 物 を
日 本 人 で も 抵 抗 な く 食 べ ら れ る と 思 った 。
塩 味 は き い て いた の で 、 結 構 食 べら れ た 。 豆 腐
の ド レ ッシ ン グ も 上 手 に 出 来 て い て 、 これ な ら
か ら に す が す が し いも の だ った 。 チ ャ ー ハ ン は
﹁ひ いき の ひ き 倒 し で 、 具 が 多 過 ぎ た た め 、
﹂
グ シ ャ つ い て い て 余 り お い し く な か った 。 で も
く れ る が 、 味 が 悪 く て と いう よ り 、 味 が 無 く て
ン の試 食 程 度 だ った が 、 コ ー ン ス ー プ と 玄 米 飯
こ の辺 は ど こ を 歩 い て い て も 芝 生 に タ ンポ ポ が
●五 月 二十 日 ︵
土 曜 日︶
私 に は ち ょ っと つき あ い か ね る 。 御 飯 そ のも の
が 下 手 でま ず い。 ア メ リ カ で は 御 飯 に塩 を 入 れ
と シギ 焼 茄 子 ︵
茄 子 を こげ る ほ ど 油 で焼 いた も
群 生 し て いる 。 そ れ も 大 き く て 遅 し い。
ク ロバ イ オ テ ィ ック 活 動 を し て 居 ら れ る と か 、
て炊 いた も のを 食 べさ せ た ら 膀 脱 炎 を 起 す 人 が
の に 味 噌 を 少 し 水 で ゆ る め て レ モ ン汁 を 加 え た
て いた 。 七 時 二 十 分 。 四 、 五 十 人 の 人 が 集 った 。
度 にも ら う こ と に し て いる 。
く て 、 何 と も 食 べ ら れ な い。 私 は い つも 試 食 程
続 出 し た と か 、そ れ 以 来 、塩 を 入 れ る のを 止 め た
そ う で 、 御 飯 が 水 っぱ く て 、 お か ず に 塩 気 が 無
ソ ー スを か け た も の︶
胡 瓜 と キ ャ ベ ツ の即 席 漬 、
そ れ に ﹁チ ェリ ー の寒 天 よ せ ﹂ だ った 。 私 も 試
食 さ せ て 頂 い た が 、 ど れ も お い し か った 。 受 講
ヘ ル マンさ ん の レ ク チ ャー の一
則に 二 十 分 ほ ど 、
る よ り 外 に 仕 方 の 無 い所 に 追 い込 ま れ れ ば 、 い
志 の 弱 い者 に は 、 直 す 努 力 が 出 来 な い 。 そ う す
事 が か く さ れ て い る 。 悪 いと 気 が つ い ても 、 意
何 事 に も 表 と 裏 が あ る 。 い や な 事 の裏 に は い い
体 の た て直 し が 出 来 そ う だ 。 有 り 難 い こ と だ 。
来 て 、 長 い間 の気 ま ま な 生 活 で大 分 な ま った 身
った こ と と 少 し ス マー ト に な った 。 ア メ リ カ ヘ
ア メ リ カ の レ タ ス は 生 き が い い︶ を タ ップ
ス ︵
た 。 早 速 内 へ入 って 食 べた が 、 チ ャ ー ハ ン の パ
ック 詰 と 、 も う 一つ の パ ック は 生 き の い い レ タ
売 って い た 。 ヘ ル マ ンさ ん が 五 人 分 買 ってく れ
は 玄 米 の弁 当 屋 が 受 講 生 の夕 食 の た め の弁 当 を
チ ャ ー の た め 、 再 び 会 場 に 行 った 。 会 場 の前 に
ん で 、 夜 七 時 三 〇 分 か ら の ヘ ル マンさ ん の レ ク
私 達 は い った ん 宿 に 帰 って 、 三 時 間 く ら い休
御 厚 意 に 甘 え て 来 た が 、 直 に み た ア メ リ カ の印
や り 度 い と 温 い気 持 ち で招 待 し て 下 さ った の で
た 。 最 後 に 、 今 ま で 日 本 を 出 な い で マク ロビ オ
テ ィ ック 活 動 を 続 け て 来 た が 、 2
7 歳 と いう 私 の
年 を 考 え て 、 ヘ ル マ ン夫 妻 が 一度 米 国 を 見 せ て
てく れ た お か げ で助 か った が 、 全 く 冷 汗 を か い
を 簡 単 に 話 し た が 、 ヘ ル マ ン氏 が 上 手 に 通 訳 し
会 い と 、 マク ロバ イ オ テ ィ ック の ア ウ ト ラ イ ン
何 か 話 せ と いわ れ た の で 、 私 は 桜 沢 先 生 と の出
会 場 に つ いた ら 、 も う 数 人 の 人 が 開 講 を 待 っ
生 も 満 足 そ う だ った の で 、 ま ず は 成 功 。
や 応 な し に す る し か 無 い 。 食 い過 ぎ で困 って い
リ 敷 き 、 そ の 上 に 胡 瓜 と セ ロリ ー の う す い短 冊
でも 、 そ の 少 食 の お かげ で便 通 が ま ず よ く な
る 人 は 、 レ ベ ッカ さ ん の お 世 話 に な る と い い 。
-70-
の 陽 と バ ラ ン ス で あ り 、 酸 性 食 品 の中 の 陽 性 ︵
た
って 、 酸 性 食 品 の中 の 陰 は ア ル カ リ 性 食 品 の中
陰 陽 が あ り 、 ア ル カ リ 性 食 品 の中 に も 陰 陽 が あ
を 陰 陽 に 分 け る の で は な く 、 酸 性 食 品 の中 に も
れ た 。 そ れ か ら 、 酸 ・ア ル カ リ に 分 け て 、 そ れ
の初 歩 的 な 事 柄 を 順 序 よ く 上 手 に ま と め て 話 さ
取 った ら 、 こ れ も 塩 気 が ほ と ん ど な い。 悪 いと
く ア ラ メ の煮 物 が お い し そ う な の で少 し 多 め に
で 、 サ ン デ ー さ ん の家 族 と 一緒 に 頂 いた 。 味 噌
汁 が 何 と も 淡 過 ぎ て水 っぼ く 食 べ に く い 。 珍 し
午 前 中 お 天 気 が 良 く 、 朝 食 は 庭 の丸 テ ー ブ ル
ん ば か り だ 。 ど こ を 見 ても ア メ リ カ は 巨 大 だ 。
ど こ で も そ う だ が 、 街 路 樹 が 老 木 で空 を お お わ
感 じ 。 日 曜 の朝 と あ って人 気 も 無 く 車 も 走 ら な
い。 ジ ョギ ン グ を 楽 し む 親 子 を 二 組 く ら い 見 た 。
した 。 朝 、
一時 間 ば か り 散 歩 し た 。 こ の 一角 は 、
ど こ の 家 の 前 の芝 生 に も 、 タ ンポ ポ ﹁な ず な ﹂
そ の他 沢 山 の雑 草 ︵
日 本 にも あ る よ う な ︶ が 生
え て い る 。 何 ん と 無 く 田 舎 び て い て親 し み 易 い
ら れ な いよ う な 物 でも 平 気 で食 べ る 。最 初 の朝 、
嗅 覚 も 鈍 感 な 様 だ 。 私 ど も に は 腐 れ 臭 く て食 べ
り 生 活 が 味 気 無 く て タ マラ な い。
そ れ に 、 肉 食 の人 達 は 、 味 覚 は 勿 論 の こ と 、
私 に は 、 と ても つ い て 行 け そ う に 無 い 。 文 字 通
ヘル マンさ ん の話 は 英 語 だ か ら 、 私 に は 余 り
つも り です と 結 ん だ 。
か り 食 べ て い て平 気 な ア メ リ カ 人 は 、 想 像 以 上
に 陽 性 に偏 し た 過 去 を 持 って い る こ と が 分 った 。
手 製 の 納 豆 と 称 し て出 し てく れ た 物 が ま さ に そ
れ だ 。 ヘ ル マ ン さ ん が ﹁こ れ は ス ポ イ ル し て い
る ﹂ と 忠 告 し た が 、 彼 ら は 一向 に 平 気 のよ う だ 。
日 本 で も 、 酸 ・ア ル カ リ な ら 分 る が 陰 陽 で は
ても 味 に な じ め な い 。 軽 く 一膳 が や っと で 、 お
た 。 ア メ リ カ ヘ来 て 九 日 に も な る の に 、 ど う し
の で 私 達 は 食 べ な か った が 、 ほ と ん ど の会 員 は
の物 が つけ 合 さ れ て いた が 、 そ れ も 腐 って いた
焼 の そ ば に 、 サ ンデ ー 夫 人 が 昨 日 の会 合 に 出 し
た と い う いわ ば 残 り 物 の ﹁実 そ ば ﹂ の カ ユ状 の
で も 、 そ れ は 忠 告 通 り 捨 て た よ う だ 。 コ ルネ
リ ヤ さ ん の ク ッキ ン グ ク ラ ス の時 、 茄 子 の シギ
分 ら な い と いう 人 が 多 い が 、 こ う い う 説 明 の仕
茶 一杯 、 何 も 食 べな く と も お 腹 も 空 か な い 。 食
全 部 平 気 で食 べた の に は 驚 いた 。
分 ら な か った け れ ど も 、 マク ロバ イ オ テ ィ ック
ら い の 気 候 で 、 あ ん な 水 っぱ い塩 気 無 し の物 ば
と え ば 肉 ︶ は ア ル カ リ 性 食 品 の中 の 陰 性 ︵
生野
象 は 、 日 本 へ帰 った ら ﹁
古井 戸 から飛び 出 した
菜 の様 な ︶ と バ ラ ン スだ と 、 手 際 よ く ま と め ら
思 った が 醤 油 を か け さ せ て 頂 い て 、 や っと 食 べ
蛙 の 見 た 世 界 ﹂ と いう タ イ ト ル で 報 告 会 を 開 く
れ た のも 見 事 だ った 。
方 な ら 分 り い い か も と 思 った 次 第 。 私 は 、 酸 ・
事 に 対 す る 恐 怖 感 が あ る せ い か も 知 れ な い。 私
ア メ リ カ に 来 て 十 日 日 。 毎 日 少 食 の お かげ で
●六 月 一日 ︵
月 曜 日︶
つけ て 、 た ま った 郵 便 物 を 出 し た 。
夕 方 、 ヘ ル マ ン夫 妻 と 散 歩 に 出 て ポ ス ト を 見
ア ル カ リ は 学 術 語 だ か ら 、 酸 の中 に も 陰 陽 が あ
で も 、 少 食 の お 蔭 で身 体 は 物 凄 く 快 調 c 果 物
の我 が ま ま は ど う し て も ぬ け な い 。
て は 陰 陽 で考 え た 方 が い いと 話 し て来 た が 、 ヘ
も 甘 い物 も 一切 欲 し く な い。 便 通 が 日 本 に 居 た
り 、 ア ル カ リ の中 に も 陰 陽 が あ って 、 実 用 と し
ル マ ンさ ん の 話 の 方 が ス ッキ リ し て 現 代 人 に 分
時 よ り い い。 だ か ら 、 私 も 含 め て 日 本 人 が 、 悪
な る の は 、 少 し 塩 気 の 強 い物 を 取 り 過 ぎ る た め
か し 、 時 に は喉 を 渇 か し て水 や お 茶 のお いし さ
至 極 快 調 。 耐 え る と い う こ と は 、 い い事 だ 。 し
を 味 わ う 時 が あ った 方 が い い 。 時 に は 甘 い 物 や
だ と 悟 った 。 い い体 験 だ 。 し か し 、 日 本 へ帰 っ
べ る だ ろ う と 思 う 。 何 でも 理 屈 通 り に は 行 か な
った 方 が い い と も 思 う 。 耐 え て 突 張 っ て い る の
果 物 の 誘 惑 に 負 け て 自 分 の 弱 さ を か こ つ時 が あ
そ れ に し ても 、 朝 夕 は 上 着 を 着 な いと 寒 いく
い。
た ら 、 私 は ま た 自 分 好 み の塩 加 減 で た ら ふ く 食
いと 思 っても 時 々 無 性 に 甘 い物 や 果 物 が 欲 し く
る と 思 った 。
●五 月 二十 一日 ︵
日曜 日︶
今 日 は 日 曜 で仕 事 な し 。 私 は 半 日 手 紙 書 き を
-71-
か ら チ ー ズ の 人 ら な い玉 子 の サ ン ド イ ッチ を 頼
ん ど の物 に チ ー ズ が 入 って い て苦 手 だ 。 そ の中
も あ って 喫 茶 店 に 入 った 。 メ ニ ュー に は 、 ほ と
ヤ さ ん が 心 配 し て、 そ れ に少 し歩 き 疲 れ た こと
私 が 我 が ま ま を い つて 食 べな い の で 、 コ ルネ リ
今 日 は ボ ル ダ ー の 繁 華 街 へ出 か け て 行 った 。
き て行 こ う 。
も 緊 張 感 が あ って い いけ れ ど も 、 私 に は 、 そ う
長 く は 続 き そ う に 無 い。 ま あ 、 あ る が ま ま に 生
ても 認 め な く と も 、 自 ら に 備 わ って い る も のを
フ ルに 生 か し て 、 お ご ら ず 、 こび らず 、 生 き 通
素 晴 ら し さ を 天 性 と し て 持 って い る 。 人 が 認 め
信 を 見 る と 、 彼 は 人 間 と し て若 者 と し て 沢 山 の
ま だ ヘボ 役 者 か も 知 れ な いが 、 時 々 来 る 彼 の 通
大 道 芸 を し て い る と いう 生 島 斎 を 思 った 。 彼 は
って い る 若 者 は 美 し か った 。
一瞬 、 私 は パ リ で
かな 拍 手 に感 謝 し な が ら 、 自 分 相 応 に自 分 を 売
道 を 行 き 交 う 人 に こび る こ と も な く 、 周 囲 の僅
そ れ に 応 え た 。 何 のき お いも 、 き ど り も 無 く 、
飾 ら れ て あ った 。 韓 国 、 支 那 等 の焼 き 物 も 、 そ
の 精 を 極 め た も の が 沢 山 あ った 。 ど れ も 溜 息 の
何 階 に 何 が あ った か 忘 れ た が 、 日 本 の物 と し
て は ﹁絵 唐 津 ﹂、L備 前 ﹂、 ﹁
伊 万 里 ﹂ 等 の代 表 的
な 焼 物 を 始 め 、 輪 島 塗 り の蒔 絵 の 見 事 な 物 等 が
画 、 彫 刻 、 工 芸 品 等 に 分 け て陳 列 さ れ て いた 。
等 々 に 分 れ て 、 そ れ ぞ れ の古 い文 化 を 服 飾 、 絵
各 階 に は 、 ア メ リ カ 、 ョー ロ ッパ 、 東 洋 各 国
下 へ降 り な が ら 見 る こ と に し た 。
た 。 私 達 は エ レ ベー タ ー で六階 に 上 り 、順 々 に
で作 った 日 用 品 、 様 々 な 動 物 の皮 で作 った 壁 掛
ん だ 。 サ ンデ ー さ ん の お 嬢 ち ゃん ︵ロ ワイ ヤ ー
斎 よ 、 今 も パ リ に健 在 か ?
け や 衣 類 、 本 の葉 を 裂 い て織 り 上 げ た 織 物 等 、
出 る も のば か り 。
豆 腐 の サ ン ド イ ッチ を 選 ん だ 。 立 派 だ 。 後 で 、
玉 子 の サ ン ド イ ッチ が 祟 って か 、 私 は 夕 食 が
全 部 手 造 り の素 敵 な も の が 沢 山 あ った 。
し て欲 し い 。
そ れ を 少 し 試 食 さ せ て 頂 いた が 、 玉 子 の よ り は
入 ら な か った 。 梅 生 番 が 飲 み た く て 、 夢 中 で飲
さん ︶ は 、 お 母 さ ん の 日 頃 の云 い つけ を 守 って
る か に お い し か った 。 私 も そ れ に す れ ば よ か っ
んだ。
そ れ か ら 、 古 代 ア メ リ カ の 生 活 様 式 の モデ ル
ア メ リ カ ・イ ンデ ア ン の物 は 、 石 や 動 物 の骨
た と 後 悔 し た 。 ア メ リ カ の 、 こ のよ う な 主 に 若
者 が 出 入 り す る 新 し い タ イ プ の店 の サ ン ド イ ッ
か き な ら し て いる 若 者 が 居 た 。 近 く の ベ ン チ で
大道 ︵
商 店 街 の間 にあ る︶ で、 何 や ら楽 器 を
く て欲 し いグ ラ ス が 幾 つか あ った が 、 旅 行 中 持
って 歩 け な い の で 止 め た 。
ル製 品 を 扱 って い る 店 に 入 って み た ら 、 案 外 安
は 半 分 で 満 腹 。 コ ルネ リ ヤ さ ん と 分 け た 。
店 を 出 る と 、 ゆ っく り 一軒 一軒 の ぞ い て 歩 い
´
た 。 こ れ と い って 買 い た い物 も 無 い 。 ク リ ス タ
つか 組 み 合 せ た 様 な 、
一見 、 巨 大 な ﹁か た つむ
横 に は 板 を 何 枚 も 組 合 せ て扇 状 に し た も のを 幾
術 館 ︶ に 行 った 。 大 き な 建 物 で 、 そ の 人 口 の前
私 達 は 、 地 図 を 頼 り に 、 ま ず ミ ュジ ア ム ︵
美
は コ ロ ラ ド 州 の首 都 と か 、 大 き な 町 だ 。
た。
一時 間 近 く も か か った だ ろ う か 、 デ ン バ ー
三 日 間 御 世 話 に な った ボ ル ダ ー の 町 に 、
■時
別 れ を 告 げ て 、 今 日 は 隣 り 町 のデ ン バ ー 市 へ来
を 注 文 し た 。 ヘ ル マ ンさ ん は 刺 身 定 食 、 コ ルネ
本 食 堂 ﹁曙
い
と
う
庶
な
レ
ト
民
的
ン
ス
ラ
ヘ行 っ
﹂
た 。 広 島 の人 の 経 営 と か 。 私 は 天 プ ラ ︵
5 ド ル︶
ュー ム は キ ャ シ ャ で優 雅 な 物 が 多 い 。 コ ルネ リ
い し か 使 え な いよ う な 物 ば か り だ った 。 コ ス チ
ル ー ム に は 、 当 時 使 用 さ れ て いた 家 具 調 度 品 が
二 、 二 人 の若 者 が 聴 い て い る 。 私 達 も 少 時 聴 き
り ﹂ を 思 わ せ る よ う な 飾 り 物 が あ った 。 ヘ ル マ
リ ヤ さ ん と レ ー ン君 は 水 鍋 と 称 す る 野 菜 の 水 炊
●六 月 二 日 ︵
火 曜 日︶
な が ら足 を 休 め た 。
一曲 終 った と こ ろ で 、 何 が
ン氏 は シ ャ ッタ ー を 切 った 。 ミ ュジ ア ム の中 は 、
き を 注 文 、 外 に奴 豆 腐 を 二 皿頼 ん だ 。
一膳 ず つ
チ は と に か く ジ ャ ン ボ で ボ リ ュー ム が あ る 。 私
し の小 銭 を 彼 の前 に 置 い てあ る 袋 に 入 れ た 。 拍
一階 は イ ン フ ォ メ ー シ ョ ンと 売 店 と 食 堂 が あ っ
美 術 館 の前 で 記 念 写 真 を 撮 つて 頂 き 、 次 は 日
て いた 。
ヤさ ん は ﹁
昔 の 人 は 小 さ か った の ネ ﹂ を 連 発 し
置 かれ て いる が 、皆 ん な サ イ ズ が 小 さ く 、 ベ ッ
ド で も 椅 子 でも 、 今 の ア メ リ カ 人 な ら 半 人 く ら
手 が 起 る と 、 演 奏 の若 者 は 、 あ り が と う / と
-72-
つ いた 御 飯 の 外 に 、 お 代 り 用 の御 飯 も 頼 ん だ 。
食 べら れ な い。 ヒ ジ キ の サ ラ ダ も ま あ ま あ 。 煮
︱ ンポ タ ー ジ ュも ま ず く は 無 いが 、 た く さ ん は
行 く と 、 ま る っき り 田 舎 の よ う に 草 深 く 、 道 も
私 は 迷 子 に な ら な い程 度 に 歩 き ま わ った 。 少 し
し た が 、 離 れ て見 れ ば 何 と な く 絵 にな る 奴 だ 。
い。 草 に 靴 を こ す り つけ て 泥 を 落 し 、 家 に 入 っ
だ。
上
物 は 相 変 ら ず 塩 気 が 無 く て 、 醤 油 で 頂 いた 。 聞
ヘ ル マ ン夫 妻 は 、 八 時 か ら の操 体 の レ ッ ス ン
え び の天 プ ラ は 、 大 き な 白 い洋 皿 に 、 え び が 二
食 後 に 苺 の寒 天 よ せ が 出 た 。 銘 々 に 勝 手 な 雑
の た め に 準 備 に 余 念 な か った 。 私 は 留 守 番 を 引
尾 、 南 瓜 が 一切 れ 、 玉 葱 の リ ン グ 、 人 参 の輪 切
談 で 過 す こ と 一時 間 、 私 は 何 の挨 拶 も せ ず 立 ち
き 受 け 、 手 紙 書 き を し た 。 お かげ で た く さ ん 書
舗 装 さ れ て いな いと こ ろ も あ る 。 昨 夜 雨 が 降 っ
た と 見 え て 、 ぬ か って いる 。 靴 に 泥 が つ い て 重
去 る こと も 出 来 ず 、 モジ モジ し た が 、時 計 を 見
時 か ら ヘ ル マ ン氏 は 個 人 指 導 、 コ ルネ リ ヤ さ ん
く と こ ろ に よ れ ば 、 ア メ リ カ 人 は 食 卓 の上 で自
る と 八 時 半 過 ぎ 、 た ま り か ね て ヘル マンさ ん に
は 料 理 指 導 のた め に ま た 出 か け た 。 午 後 二時 半
分 の好 み の ソ ー スを か け て 食 べ る 習 慣 と か 。 成
挨 拶 さ せ て下 さ いと 頼 ん で 、 や っと 挨 拶 が 出 来
だ。
上
頃 、 は げ し い雷 鳴 と と も に 横 な ぐ り の 大 粒 の雨
り 等 を 上 手 に 揚 げ た 物 に 繭 でた イ ング ン と ト マ
.
ト 、 オ レ ン ジ の う す 切 り が 一枚 、 パ イ ン等 が 盛
温 い心 の こ も った パ ー テ ィを 開 い て 下 さ った
腹 で重 苦 し か った 。
今 夜 の宿 舎 、 ロー ゼ ン バ ー グ ︵
通 称 ビ ル︶ 夫
畳 く ら いあ る サ ロ ンを 寝 室 に 当 て ら れ た 。
る ほ ど と 思 った 。
0分く ら い
妻 の出 迎 え を 受 け た の は 、 そ れ か ら 2
皆 様 に 心 か ら感 謝 す る と 同 時 に 、 も し 私 が G O
り 合 せ に な って いた 。 天 つゆ は タ ップ リ 砂 糖 が
き い て い た の で 、 醤 油 だ け で食 べた 。 昨 夜 来 、
し て か ら だ つた 。 若 夫 婦 の家 は 、 二 人 住 居 に ふ
が 降 り 出 し た 。 白 い花 ビ ラ が 散 る よ う に雨 に ま
じ る 物 が あ る 。 よ く 見 る と 、 ヒ ョー だ 。 ま た た
御 飯 を 食 べ て いな い の で 、 す す め ら れ る ま ま に
二 膳 も 食 べ、 お い し か った が 、 何 と い って も 満
さ わ し い小 さ な 家 だ った が 、 私 は 御 主 人 の 居 間
を 知 ら な か った ら 、 こ ん な に し て 頂 く こ と も 無
か つた こ と を 思 え ば 、 G O に も 心 か ら の 感 謝 を
一瞬 の こ と に 私 は
く 間 に 芝 生 は 真 白 に な った 。
け た 。 ヘ ル マ ン夫 妻 は い った ん 帰 って 、 午 後 二
0
ら し い 8 畳 く ら い の部 屋 を 、 ヘ ル マ ン夫 妻 は 1
捧 げ た いし 、 ま た 、今 回 、 私 に こん な チ ャ ン ス
夜 は 当 地 の グ ル ー プ に よ る 歓 迎 パ ー テ イー が
明 日 は 、 ヘ ル マ ン 氏 の レ ク チ ャ ー が あ って 、
て頂 い て会 を 閉 じ た 。
妻 の 帰 り を 気 づ か った 。
く ら い の家 の 屋 根 が 吹 飛 ん だ と か 。 ヘ ル マン夫
0軒
た 。 こ の頃 、 町 の 一角 に タ ツ マキ が 起 って 2
催 さ れ 、 会 場 は 大 分 離 れ た 所 だ った が 、 ビ ル の
地 下 の 一室 だ った 。 マク ロ バ イ オ テ ィ ック ・ク
ッキ ン グ を 教 え て い る と いう 女 の住 居 だ った 。
一
そ の 一部 で 私 に も 一時 間 く ら い 下 さ る と か 。
ビ ック リ し た 。 ズ 7朝 、 あ ん な に 美 し く 晴 れ て
いた の に ⋮ ⋮ ﹂。私 は 各 室 の ガ ラ ス窓 の 戸 を 締 め
な が ら 、 は げ し い雨 脚 と 鋭 い稲 妻 を 見 つめ て い
御 馳 走 は 、 皆 持 ち 寄 り の物 と か 。 燕 麦 と 玄 米 の
御 飯 は ち ょ っと ボ ロ つ いた が 、 歯 ご た え が あ っ
時 間 で何 を 話 せば い いかな ?
を 作 って 下 さ った ヘ ル マ ン夫 妻 に 限 り 無 い感 謝
を 棒 げ る む ね 述 べ、 私 の個 人 的 な 体 験 を 話 さ し
て 、 水 っぽ い物 よ り お い し か った 。 ﹁ビ ー ンポ
キ レイ に晴 れ た 美 し い朝 、 六時 頃 起 床 、 戸外
*
に出 た 。 芝 生 に は 露 が い っぱ い で靴 が 濡 れ た 。
︵
水 曜 日︶
細 いウ ド ンと
タ ー ジ ュ﹂ ﹁ひ じ き の サ ラ ダ ﹂ ﹁
野 菜 の ピ ー ナ ッ ツ和 え ﹂、 ﹁レ ー ズ ン 入 り 完 全 粉
、 玉 葱 、 セ ロリ ー
ッコ
ブ
ロ
リ
ー
の マ フ ィ ン﹂、 ﹁
一日 以 上 、
の 煮 物 ﹂ 等 々 だ った 。 ど れ も ど れ も 、
私 に は 食 べ ら れ な か った が 、 ウ ド ン の ピ ー ナ ッ
一瞬 ド キ ッと
リ スが 一匹 、 足 元 を 馳 け ぬ け た 。
●六 月 三 日
ツ和 え は 割 合 お い し く て 、 た く さ ん 食 べた 。 ビ
-73-
の最 大 のプ レゼ ン ト と し て長 く 私 の心 を 捉 え て
離 さ な か った 。
一切 の自 信 を 失 い 、 続 い て 師 を
失 った 私 は 、 涙 の 中 か ら 、 も う レ コ ー デ ィ ン グ
す る 必 要 の無 く な った 録 音 器 と し て 過 去 の テ ー
て スガ スガ し い。 会 場 に は 十 人 ば か り が 既 に 居
物 で夕 食 を 済 ま せ 、 七 時 半 か ら の ヘ ル マ ン 氏 の
レ ク チ ャ ー の会 場 に 急 いだ 。 雨 は き れ い に 上 っ
が 帰 って 来 た 。 ク ッキ ン グ ・ク ラ ス で作 ら れ た
者 の み が 健 康 と いう 幸 福 を か ち 得 る こ と を 教 え
た 。 足 を 棒 に し て そ の秩 序 を 説 き 、 秩 序 を 守 る
に 悩 み 、 死 ん で ゆ く のを 黙 って 見 過 ご せ な か っ
の新 し い旅 立 ち を 決 意 し た 。
プ を 反 復 し て 一つ 一つ考 え な が ら 、 た つた 一人
た 。雷 雨 の た め か 人 の出 足 が 少 し お そ く 、 8 時
た 。 沢 山 の 人 が そ の教 え で健 康 に な った が 、 自
夕 方 、 5 時 近 く 、 雨 は 上 った 。 ヘ ル マ ン夫 妻
近 く 開 会 。 私 が 前 座 を つと め る こ と に な って い
分 が 秩 序 を 守 る だ け に と ど ま らず 、 さ ら に進 ん
で人 に も 秩 序 を 与 え る 者 に な ら な け れ ば な ら な
G O は 人 々 が 宇 宙 の 秩 序 を 知 ら な いま ま に 病
る の で 、 ま ず 主 催 者 の挨 拶 が あ り 、 続 い て ヘ ル
マ ン氏 が 私 を 紹 介 し て 下 さ った 。
何 か印 象 に残 る 話 が し た いと 思 った が 、 い い 考
に そ の 秩 序 を 与 え る こ と は 出 来 な か った 。 し か
いけ な い︶ 力 説 さ れ た 。
いこと を ︵
し か し そ れ は 暴 力 的 に お し つけ て は
え も 思 い浮 か ば な か った の で 、 G O 最 後 の 私 ヘ
の ア ド バ イ スを 話 す こ と に し た 。 自 分 さ え 無 双
感 す る 所 と な った こ と を 思 え ば 、 私 達 一人 一人
限 ら れ た 時 間 の 一回 き り の 話 は む ず か し い 。
原 理 が 分 って健 康 で 万 事 自 分 に 都 合 よ け れ ば 幸
0年
福 だ と 思 って いた 私 の エゴ イ ズ ム 、 そ し て 3
間 G O の レ ク チ ャー を 録 音 す る だ け の テ ー プ レ
が 一粒 の麦 と な る な ら 、 世 界 が こ の 秩 序 に め ざ
る こ と が 出 来 る 、 ど う か 皆 様 も 一粧 万 倍 の 悲 願
に 燃 え て 、フ
﹂の 運 動 を 力 強 く 展 開 し て 頂 き た い 、
め て 、 正 し い平 和 の世 界 が 出 現 す る こ と を 信 ず
食 に 名 を 借 り た G O の 信 念 は 、 多 く の 人 々 の共
し G O 逝 い て 十 有 余 年 、 沿 々 と 押 し寄 せ る 自 然
と は いえ 、 G O 自 身 も 、 世 界 は お ろ か 日 本 中
コー ダ ー に 過 ぎ な か った 自 分 の 発 見 。 驚 き と 悲
グ だ け で は ダ メだ 、 場 数 を 踏 ん で実 際 に 体 験 を
と 結 ん で 終 った 。
し み に 茫 然 自 失 の中 か ら 自 分 を 起 ち 上 ら せ た の
は G O の ﹁も う 二 十 年 苦 労 し ろ 、 レ コー デ ィ ン
積 まなければ 、正義 ︵
宇 宙 の秩 序 ︶ を 身 に つけ
氏 は 、 そ の 後 二 時 間 余 り 、 癌 を テ ー マに 上 手 に
る こ と は 出 来 な い﹂ と いう 言 葉 だ った 。
﹁お 前 は ま だ 正 義 を も つて 居 な い ノ ﹂ ︱ ︱ そ の
言 葉 は 私 を え ぐ った 。 し か し そ の 言 葉 は 、 そ の
陰 陽 的 解 明 を さ れ た 。 そ れ は前 にも ふれ た の で
ヘ ル マ ンさ ん が 通 訳 に 困 った だ ろ う 、 と は 後
で 思 った こ と 。 そ の時 は 夢 中 だ った 。 ヘ ル マ ン
後 間 も な く 他 界 さ れ た 師 の 最 後 に残 さ れ た 私 ヘ
省く。
く 左 から、 ヘル マン相 原 、小 川 みち 、
コルネ リ ヤ、 レー ンの皆 さ ん。
︵つづ く ︶
5日 ︵
■ 9月 1
火 ・祝 ︶ 3 ∼ 6時
ヨ! ロ ッパ ・ツ ア ー報 告 会 桜 沢 里真 会 長 ほ か
7日 ︵
■ 9月 2
日︶ 1 ∼ 3時
﹁
古 井 戸 か ら飛 び 出 た蛙 の報 告 ﹂ 小 川 み ち先 生
以 上 、 日本 C l協 会 本 部 に て。参 加歓 迎 。
-74-
緊急特報 /
タワー式天然海塩を使つた
天然玄米みそ配付のおしらせ
醤油 にひ きつづ いて 、玄米 み その醸造試験 を行 な
(4)申
って お ります。出来上 り品 は当会 (日 塩 研 )の 会員 の
方 に、適 価 にて配布 しますので お申込 み くだ さい。
また、 まだ会員 で な い方 も、同時 に入会 して くだ
されば結構 です。人会 くだ さると、海水 を完 全天 日
にて結 晶 させた タワー式 天 然海塩 が無 料配付 され る
ほ か、 い ろい ろな特典 が あ ります。 (7月 号 参照 )
(原 材料 は無農薬 国産
ー
品 、 タワ 式塩 使用、無添 加 、天然醸造 )
(1)品 名
:天 然玄米 み そ試作 品
(2)配 付予約価
込締切 :1981年 8月 31日
(当
日消印有効 )
☆申込 み者多数のときは抽選 とし、はずれ る場 合
もあ ります のでご了解ね がいます。 (別 表参照)
(5)配 付時期 :1981年 10月 ころ
県名 もわす
(6)申 込方法 :① 氏名 ②住 所 (郵 便番号、
′
れず に。)③ 連絡先電話番号 ④①①の別 と申込
数 ⑤ 会員種別 (会 員 で ない方は申込み と合 わせ
て入会 くだ さい)を 必ずハ ガキにお書 きの上、お
送 りくだ さい。代金 (配 付価格 +運 送費)は 、配付
決定 の通知 があってからお払 い ください。
〒151東 京都渋 谷区
(7)申 込先 :日 本食用塩研究会
大山町 11-5日 本 CI協 会内 ●03-469-7635
:① lケ ース (10kg)7,900円
③陶器製 カメ入 り (10k9)8,800円
13)運 送費 :700円 (関 東)∼ 1300円 (九 州、北海道
)
天然海塩配付量
会 員 種 別
正会員 (社 団員
1回 年120,000円
[月 割分納可〕
)
賛
助
特 別 賛 助
l口 60,000円
他
の
典
の
(送 料 は会 負担 )
☆天然海塩 を使 った食品加工試験品 を無料進呈 (完
│い の ちと海J
成時に送付。運賃着払 い)。 ☆機関誌
。
な塩関係記事など無料送付
主要
ほか、当会刊行物、
1口 につき10k9を
郵送 (送 料 は会鮨 Bl
★天然海塩 を使 った食品加工試験品の配付 を優先的
に受 けられる。 ★機関誌 │い のちと海Jを 無オ斗送付。
1口 につ き18町 を
年 3回 に分 けて郵
送
3口 以下 =1口 に
普 通 賛 助 つ き 2k9を 郵送
1口 6,000円 4回 以上 =1口 に
―括納入う つ き 2.5k9を 運 賃
〔
[
¨
[
グル ー プ賛助
1口 3,000円
上 ま入
員
そ
★天然海塩 を使 った食品加工試験品の配付 を申込め
る (多 数のときは抽選)。 ☆機関誌 [い のちと海』を
着払 いで送付
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になります。
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場
所
寂
光
院
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テーマ
1.体 つ き、顔 の型 、色 、 つ やによ る性格 、運命
2.体 つ き、顔 の型 、色 、 つ やによる病 気診断
3.ニ キ ビ、ホ クロ、 ソバ カス等 に よる運命
4.ニ キビ、ホク回、ソバ カス等による病気診断と運命転換法
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主 催
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TEL 0568-76-2731
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-76-
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●環境 適 応 説一 人間 は どの よ
うに してで きたのか。
●人 間 の 食 べ物 とは。一 食物
が人 間 を作 る話。
●果物 と肉 食 の害 について。
●食べ 物 と体 、食物 が体 にお
よぼす作用 につ いて。
●正 食 と自由 、世界平和 につ
いて 、本 当 の 幸福 とは ?
●牛乳 はなせいけないのか●子
供の ア レルギ ーの原因は ?● 玄
米児の身長 ●落ち着きのない子、
勉強 ぎらいの子の食事法 ●途中
から正食 に入 った子の食事 ●子
供のケガ、病気の治 し方 (カ セ・
発熱・ 下痢・ ひきつけ 。夜尿症・
百 日咳 ・ハ シカ・おたふ くかぜ・
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ド・ 中耳炎・ 食あたり
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■『宇宙の秩序』の解説 1609x,1本 }Y260011〒 ‐
●無限 の世界 とエネルギ ー。
一すべ ての ものを作 つた無限
のエ ネル ギーとは。
●人間の源 は何か。人間が誕
生す るまでの宇宙の 七段階。
●宇宙法 則 の 解説 と正 食の 原
点一 なぜ 玄米 を食べ るのか。
●現代栄 養学 と医学 の問題 点
●信ず るな か れ 、すべ ての こ
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志2049 80962421719 *9∼ 18 *無
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法 を模索。
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・948・ 5701 *10∼ 20 *①
成 増 店 '175東 京都板橋区赤塚 32113 803・ 9760231
*10∼ 20
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八王子店 ● 19203 八王子けj堀 の内450(芝 原 バス停 前)●
0426 76 1258 *10∼ 20 *無
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ギ
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覇市泉崎1911琉 球新報社向 ●0988・ 66・ 5366
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61・
:1、
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0545大 阪市阿倍野区西田辺町2-2-29 8
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号)● 06・ 538・ 2225 *10∼ 18 *① *食 品、 リマ化粧品 、
書籍、器具
自然食福園 0530大 阪市北区梅田1-6-15 806・ 341・ 7798 *
売店 9∼ 20、 食堂 11∼ 19半 *① 祝 *自 然食 レス トラン、 自
然食品販売
吉川商店 0561豊 中市小曽根1-823 806334・ 0088 *7半
∼19 *2・ 4① *料 理、健康講習会 (月 2回 )松 岡四郎先生
ほか
いはらはら刀根山薬局 0560豊 中市 刀根 山43-51 806・ 854・ 2
541 *8∼ 22 *元 旦 を除 き年中無休 *代 表取締役 上西
義直
田1-2-6(南 海本線
堺 自然食品センター 「康口」0590堺 市竜神橋「
駅前)● 0722・ 32・ 3357 *8∼ 20 *① *料 理教室、健康 相
談、漢方薬局、振替 大阪 304407
山本祥園 (ソ フィー)0573枚 方市高田2-22PU学 園 80720
・53・ 2200 *福 園、水・金曜。健康相談、マ クロビオテ ィック
料理教室、PU勉 強会、出張講師、食品、GO書 籍販売
ABC関 西地区正食品愛好協会 0572寝 屋川市三井ケ丘4-13
80720・ 22・ 4555 *9∼ 19 *関 西一円 に宅配 (無 料)整 体指
圧 と正食料理教室
岸和田自然食品 セ ンター 0596大 阪府岸和田市南町12-1 807
24・ 33・ 2666 *9半 ヽ18半
*① 祝 *配 達 あり
自然食品むぎの家 0532大 阪市淀川区 18条 2-13806・ 393・ 45
77 *8∼ 15 *無 双原理の研究会、健康指導、無農薬野菜 、
マクロビオテ ィ ノク食品、 ヨーガ教室
〈近 畿〉
田辺自然食品センター
0739・
ビバ健康 ハ ウス本部 0733広 島市榎町2-23 80822・ 93・ 83210
*9∼ 19 *東 洋医学研究会 (毎 月第 3日 曜ヽ 自然食料理教室
(毎 月第 3木 1露
毎年夏休みに入 って最初の金・土 。日曜 (2
泊 3日 )健 康合宿
皆実 C: 0734広 島市皆実町4112 80822・ 55・ 2846 *平 賀
佐和子、毎 月第 4土 曜、例会 (料 理講習 PU勉 強会
明治製棚 旬 0726広 島県府中市中町536 *小 川清 *め ん類
製造
人間医学社府 中支局閉健康医学社広島総特約店 0726府 中市下
辻町 80847・ 417668 *特 に定 めず *食 品、 ライスピネガ
ー、 リマ化粧品、書籍、真空浄血治療器、正 食浄血指導
西 日本 自然食品センター 0722広 島県尾道市新浜卜6-21国 道 2
号線沿 80848・ 22・ 5577 *9∼ 18 *① 祝 *自 然食品販売
普及活動、PU研 究会「自然食品会館」(純 正食品マルシマ)
岩国自然食品センター 0740山 口県岩国市今津町1-5-980827
・21・ 5975 *9∼ 18 *① 祝 *正 食研究会 (月 1回
鶴島食品 0747山 口県防府市南松崎町54 *0835・ 22・ 0347
*例 年 1月 と8月 中は休業 *「 鶴島通信」(無 料配布)に て催
しもの を予告 します。
山口健康生活 センタ ヽ 0753山 口市大市町2-2808392・ 3・ 1842
*10∼ 18 *① *健 康教室、料理教室 (出 張 に応ず)西 日本
健康 自然食品協会
)、
)
)
く四 国〉
アズマヤ 0760香 川県高松市紺屋町3680878・ 21・ 7665 *9
∼21
愛媛純正食品センター 0790愛 媛県松山市湯渡町1∈ 2280899
・43・ 6464(松 山束高東300m)*8∼ 20 *4①
菅本 フジ
子、健康相談、料理講 li(毎 火曜 )東 洋医学会 (第 3日 1複
いで 自然食品 0794愛 媛県今治市高橋 l11610480898・ 2378
32 *7半 ∼19半 *第 2・ 4⑥ *配 達有 り、健康相談、玄
)
0646● H矢 山県田辺市 ド昼敷田r9o-848
227731 *10∼ 18 *① *配 達 あり
南紀自然食品センターシャロン勝浦本店 こ64953 和歌山県那
智勝浦町朝日2-239● 07355・ 2・ 1107 *正 食料理教室、 ヨーガ
教室、足心道教室〇、南紀正食会本部、自然医学会南紀支部
米試食会、 白家製みそ、漬け物HIx売
く福岡・大分・長崎〉
く兵 庫〉
神戸ヘルスフーズ 0658神 戸市東灘区住吉町室の内237井 上 ビ
ル (国 鉄住吉駅北100m)● 078・ 822・ 2600 *10∼ 19 *⑥
*食 養相談、毎月第 2土 曜美容相談
蔵風 0659兵 庫県芦屋市船戸町 5番 街 ●079731・ 4141 *10
∼18 *① *食 と生活研究会 (毎 月
ヤス美美健サロン ●666兵 庫県川西市栄田rl 13 8o727 57・ 53
27 *H∼ 15 *① ①祭 *自 然正食品、化粧品、健康器販売
)
八幡 自然食品 センター 0805福 岡県北九州市八幡西区八千代町
6-22 ●093・ 621・ 4184 *9半 ∼18 *1・ 3① *料 理講習
(月 1回 )健 康相談 (月 1∼ 2回 )勉 強会 (月 1回
漢方専門あまのがは 3816福 岡県大野城市栄田
r2391 8092
・581・ 4916 *9∼ 19 *①
サニー健康食品 3813福 岡市東区千早5105 8092・ 681・ 0883
*10∼ 19 *① *食 ど 洗斉J、 書籍、器具
未来 を考 える会・販売部 5879-02 大分県字佐市南敷田250本
多公子方 8097832・ 0808 *特 に定めず *正 食料理教室、
自然農法研究会、健康 ・美容相談
(旬 徳陽書店 0870H
人分市田尻4535 80975・ 42・ 1215 *
10∼ 20 *① 祝 *書 籍販売、健康 食品販売、松山医院長によ
る健康相談及 び正食指導
般若 日本 自然療能研究所 ●857長 崎県佐世保市京坪 田r76809
)
]、
56・ 25・
く山 陽〉
山陽自然食品センター 弓之町店 ●700“ lllllfFJ之 町1320
0862・ 258722 三門店 岡山市三門西田
「 1880862537710
8
*9∼ 1914 *①
口 大妍和西1499(繁 Ш
求道会道場 0709-37 岡山県久米郡 中央「
湾徳)● 08686・ 8・ 0730 *9∼ 21 *無 *七 号食実習道場 、
ミ
求道― 永遠 の 幸福 を求めてミ自然農法、
陰陽五行、PU村 建設
-78-
0369
陰陽洞
10∼
0249神 奈川県逗子市逗子5-3-28
80468・
73・
0467名 古屋市瑞穂区瑞穂通 り'2-458
0146 *9∼ 19 *① *自 然食品、健康食品、化粧
天籠健康食品センター
7137 *
19 *① *無 農薬野菜、無添加豆腐、自然食品、 リマ化
粧品、食養相談、配達 あり。
楽々堂 0250神 奈川県小田原市堀 ノ内 80465・ 36・ 6258 *10
∼18 *◎ Э *正 食と東洋医術 による、薬とメスを使わない
治療院 (望 予約)*自 然食品、GO書 籍、リマ化粧品
ヘルスロー ド自然食センター 0242大 和市中央6-3-22大 和警察
署ウラ 80462・ 62・ 0020 *10∼ 19 *① (第 4日 曜12∼ 17ま
で営業)*自 然食品、健康食品、 リマ化粧品、オーサワジャパ
ン食品、日本CI協 会図書、 グループ配達
ltl豆 彦商店 0235横 浜市磯子区出中町4-18045。 774・ 0750 *
9∼ 17 *① *無 添カ
豆腐・油揚製造、無農薬大豆持込歓迎
ロ
市内配達
藤屋健康堂 0240-01 三浦郡葉山町堀内384 80468・ 75・ 0152
*9∼ 18 *⑥ *神 奈川県下配達・発送
万騎ケ原自然食センター (季 香園)0241横 浜市旭区柏町35-5
(南 万騎 ケ原)● 045・ 363:6876 *10∼ 20 *自 然食品、健康
食品、無農薬米・化粧品、洗剤、書籍。配達、地方発送可。
土と愛の家・民宿旅館 0243Ю l 厚本市七沢温泉1954 80462
・48・ 0752 *希 望により玄米むすびと漬け物 を提供 (1泊 4000
円ヽオーサワジャパ ン食品取扱。ハイキング好適。要予約。
い青健 0220横 浜市西区北幸2914 8045・ 311・ 3847 *10半
∼19 *○ *食 養健康相談、治療室、 ヨガ・食養の健康講座、
自然食品、無農薬野菜、書籍
052・ 841・
品。近隣配達可
愛知陰陽会 (長 生堂)0485愛 知県小牧市大字寺浦2943 ●0568
,76・ 2731 *9∼ 19 *① 祝 *講 演会
(2カ 月に1度 位)無
料食養健康相談、CI書 籍、テープ、自然食品、 リマ化粧品販
売
春 日井自然食品センター 0486愛 知県春日井市瑞穂通7-1-11
80568・ 82・ 7661 *9∼ 20 *① *食 養料理教室 (月 2回
安城 自然食品センター 0446安 城市今池町3-6-29 80566・ 98
.3136、 97・ 9432 *10∼ 18 *①
*純 正食品、健康食品、自
然化粧品、 ヨガ教室、無料健康相談
豊橋 自然食品センター 0440豊 橋市松葉町3-65市 民病院前 ●
0532・ 54・ 5876 *9∼ 18半 *① *食 品全般、化粧品、健康
炎
目言
本
l■l東 海ヘルス 0426静 岡県藤枝市谷稲葉141180546・ 44・ 0666
)
Q *9∼ 18 *①
豊川店ケ ンコー社 0442愛 知県豊川市市田町大道下17 市田バ
ス停前 ●05338・ 6・ 5679 *10∼ 18 *①
く岐
阜〉
岐阜健康自然食品センター
く長 野〉
酒井須三子 0380長 野市上松卜535 80262・ 34・ 3824 *リ マ
化粧品取扱、正食品販売、長野無農薬野菜の会
長野正食センター付属ポリオ研究会 (小 児マヒ研究所)0380長
野 市三輸6-917 ●0262・ 34・ 5349 *7∼ 19 *無 休 を原則
*年 刊 「ポ リオ」発行、小児 マ ヒの方募集
南佐久 Clく らぶ 038414 長野県南佐久郡川上村大深山673
802679・ 72709 *正 食研究会
もりいずみ 0385長 野県佐久市岩村日本町762● 02676・ 7・ 3730
*9半 ∼19 *① *自 然食品、野菜小売 。近隣市町村配達可
く新潟・ 富山・ 福井〉
新津 自然食品センター
0956新 潟県新津市本町2-17-5 80250
5810 *10∼ 19 第 2・ 3・ 4① 祝 *食 養料理教室 毎
月第 3① 9∼ 14時 **小 川み ち講師、食養相談、食品、日本C
2・ 4・
I図 書 ・ テープ
正食の店・ 和や 0930富 山市中川原17 80764・ 25・ 1448 *8
∼20 *無
丸の内薬局 0930富 山市丸の内2-1-180764・ 24・ 0891 *9∼
19 *◎ *漢 方相談、健康相談
福井健康学園 0910福 井市照手1-11-2 80776・ 21・ 3811 *ヨ
ガ体操 と正食料理で手軽 に宿便 を出す道場 (予 定)自 然農園、
植林。 自然食品セ ンター (市 内)
楊明堂 095921 新潟県北蒲原郡水原町下条町 15-5 802506
・2・ 7433 *8半 ∼19半 *第 1・ 3④ *毎 週金曜 日配達 あり
く静岡・ 愛知〉
ニホ ンケ ンコー社 0438静 岡県磐田市中央町122-15 磐田商工
会館前 805383・ 2・ 3016 *9半 ∼20 *① *自 然食品・健
康食品 ・純正化粧品・書籍 ・治療器・勉強会 (第 3日 1覆 日)
自然食品の店 一福 0448愛 知県刈谷市中山町2-48 80566・ 2
3・ 2719 *Q小 島一夫 *10∼ 19 *◎ Э *ヨ ガ教室、薬草
化粧品、革工芸教室、料理講習、健康相談
東海健康文化 センター 0453名 古屋市中村区則武 1-19-3 805
2・ 451・ 4195 *8∼ 20 *無
*正 食普及、料理教室、合気 ヨ
ガ、書道 、茶道、幸道 など文化活動
-79-
80582・
32・
0502岐 阜市長良崇福寺町 2丁 目
0631 *9∼ 20 *① *健 康食品、書籍、化粧品
正食講座、料理教室
岐阜自然食普及会 0500岐 阜市神田町 9名 鉄新岐阜百貨店 lF
80582・ 65・ 7111 内線319*10∼ 18半 *④
柳屋自然食品店 0500岐 阜市織田塚町1-280582・ 45・ 9355 *
10∼ 20 *① *無 料健康相談
く京 都〉
京都 マ クロビオティックセンター 0606京 都市左京区高野蓼原
町77 ●075・ 711・ 4551、 721,7191 *正 食品、料理器具書籍、
料理講習、折詰弁当 (予 約制)英 語版書籍販売
京都 自然食品 センター 0604京 都市中京区河原町通夷川角 8
075・ 221・ 7890、 231・ 0348 *平 日夏季 9∼ 18半 、冬季 9∼ 18
*① 祝 13∼ 18
1■ lエ ンチーム三丹 0620福 知山市堀内田町1953-2 80773・ 22
・9508 *8半 ∼20 *不 定期 の① *食 品、厨房器具、酵素
化粧品、天塩、マクロピオテ ィ ンク書籍、その他
天粒 (て ん りゅう)マ クロビオティックセンター 0624舞 鶴市
田辺 12616本 町バス停前 80773・ 76・ 7126 *9∼ 19 *無
*食 養相談、自然化粧品、食品書籍取扱 い
'ヒ
く大 阪〉
ヘルスマー トムソー
0540大 阪市東区大手通2-5-l
0511 *9∼ 19*①
a06.945・
0540大 阪市東区大手通2-5-1806・ 941・
*9∼ 18 *① *料 理教室 (毎 火 。木1捏 日)定 例会
世界正食協会
7506
(第 1日
)
'盪
ムソー
食品谷町店
7545 *10∼
売
*①
●06・ 771・
0547大 阪市平野区喜連東1-2-10 806・ 709・ 11
1183 *9∼ 17 *① 半休① *純 正食品、製造、卸、小
ナチュラルい
63、
0543大 阪市天王寺区谷田1928
18半
〈千 葉〉
習志野健康食品おお くば京愛堂 0275習 志野市本大久保5-3-24
80474・ 73・ 2957 *10半 ∼19平 日、13∼ 190・ 祝 *③ *食
品販売、食事相談
市川平和堂 0272市 川市真間3-11-12● 0473・ 22・ 0810 *10∼
19 *① *無 農薬野菜・果物、料理講習、勉強会、配達及び
地方発送
溝口善油 0299-22 千葉県君津郡袖ケ浦横田98980438・ 75・
2003 *天 然醸造普油 「金明」製造、オーサ ワジャパ ン取扱
自然食品センター千葉駅前店 0280千 葉市弁天町580プ ラザ 1
F 80472・ 56・ 0888 *10∼ 19 *無 休 *健 康 ・美容相談、
小川み ち先生料理教室 (第 1・ 3水 曜、11∼ 14時 、会費 1回
自然食品の店 ふる里や
0135江 東区白河4-3-7
ac13・
643・
5
247 *9∼ 19 *① *食 養相談、自然良能誘起法東京連絡
所、小川みち先生料理講習
むぎの友 0151渋 谷区笹塚1-12-15 8C13・ 485・ 0026 *10∼ 19
*① ・祝 *都 内配達
ソル ト アン ド グレイン 0150渋 谷区広尾2-5-13 広尾マン
ション前 ●03・ 400・ 4054 *11∼ 22 *④
1500円 )
自然食品センター船橘駅前店 0273船 橋市本町 5-卜 880474・
25・ 0350 *10∼ 19 *無 休 *健 康・美容相談 (特 にヨガ、
催眠 の臨床、経験豊富)
く東京都下〉
自然食品センター みずほ 0182調 布市国領町7-1-17 ●0424
・88・ 8540 *食 品全般、化粧品、洗剤、無農薬野菜 *9∼ 20
*第
1、
3⑪
腑むさしの自然食品
0180武 蔵野市中町1-23-17● 0422・ 51・ 29
58 *10∼ 19 *① *代 表取締役 高岡敏行、正食品、本、
く東京23区 〉
オーサワジヤバン
803・ 465・
0151渋 谷区大山町11-5イ
ンターマ ンク1階
(小 田
5021 *10∼ 18 *① *都 内配達、国内発送
急線東北沢 1分 半)日 本CI協 会事業部
然食品センター本店 0150渋 谷区神南110-6 803・ 496・
7103 *10∼ 19平 日、10∼ 18① 祝 *3④ *レ ス トラン「天
味」併設、食品、器具、化粧品、図書、小売、卸、料理教室
営業所〕
横浜市緑区美 しが丘513188045・ 901・ 5111 *① 祝
〔
不二 自然食品 0106港 区麻布十番2-21-4803・ 451・ 8966 *
9半 ∼19 *① *食 養相談、料理講習、隣接区内配達 (一 の
橋交差点バス停前
いゲダツ商事 0160新 宿区荒木町 4 803・ 357・ 1161 *代 表
取締役 岡野武徳、一般食品、健康食品、正食法のLXl書 販売
サンライ ト自然食品センター尾山台店 0158世 田谷区等々力2
51 803・ 704・ 8324 *9∼ 18 *① 祝 *玄 米弁当、お惣
菜調理 、ハ ンの専門店
富士見台自然食品店 0176練 馬区貫井31416 ●03990・ 6773
*9∼ 19 *代 表 酒井三恵子、自然農法食品、野菜、化粧品、
図書、鍼灸治療院併設
高砂 自然食品センター 0125葛 飾区高砂8-13-5 803・ 600・ 1412
*9∼ 19 *③ *料 理講習・美容相談、マルチレーターによ
る健康相談 (無 料
l■lそ うけん健康食品センター 0121足 立区東伊興町33-22803
・853・ 1724 *9∼ 19半 *① *月 一回料理教室、食養相談
友永ヨガ健康教室 0167杉 並区荻窪5-25-1山 岸 ビル 803・ 393
・5481 *9∼ 20 *① 祝 *友 永淳子、 ヨガ教室、健康教室 、
講習会など
グルッベ 0167杉 並区荻窪5-27-15 803・ 398・ 7427 *10∼ 19
*① *無 農薬・有機農産物、自然食糧品、化粧品他
かいがらや 0165中 野区若宮1-24-10003・ 337・ 2241 *10半
∼18半 *① *自 然食品・無農薬野菜・ リマ化粧品販売、配
達、地方発送
健康 自然食品店 ミナ 0165中 野区新井5-21121 803・ 385:6058
*8∼ 22 *① *「 健康は正 しい食生活から」、無農薬野菜、
書籍、配達。 リマ化粧品
根津の谷 (ネ ズノヤ)*113文 京区根津1-卜 14 803・ 823・ 0031
*11∼ 21 *2① *健 康食品、自然食品、野菜
健康センター・心身改造 ドック 真澄会 (ま すみかい)0161新
宿区下落合3-15-20大 和田 ビル901号 803・ 950・ 5219 *10∼
19 *① ① 祝 *心 身改造 ドンク、
Cl図 書 ・純正食品販売など
自然食品の店ななくさ 0177練 馬区大泉町1953 803・ 925・ 09
14 *10∼ 20 *第 2・ 4① *無 農薬野菜、 トーフ、書籍、
洗斉 自然食品500種 類以上
lal自
)
野菜、料理教室、(第 2・ 4土 曜、13∼ 16)
はじめ健康食品店 0180武 蔵野市中町1-29-5 80422・ 54・ 7716
*8半 ∼20 *無 *食 品全般、化粧品・洗剤、書籍
東京シー H旬支店 01844ヽ 金井市本町6-5シ ャ トー小金井 1階
80423・ 84・ 4600 *10∼ 18 *③ *食 品 ・書籍・器具販売、
美容・健康相談
自然食品の店 和康 0184小 金井市本町3-ll1 13 80423・ 85
5261 *10∼ 18 *◎ Э *自 然食品・書籍販売、健康相談、
料理教室、玄米試食会
健康サロン 019卜 11 東京都西多摩郡羽村町富士見平213羽
村ハイツ 80425・ 55・ 2278 *10∼ 18 *①
*食 品、洗剤、
書籍、化粧品、器具販売、健康相談、配達承 ります。
いなば酒店 0100-01 東京都大島元町2-1-10 804992・ 1221
*8∼ 20*④
自然食品センター上水店 0190立 川市柏町4-5-14 80425・ 37
・3051 *9半 ∼18 *な し *自 家栽培 の無農薬野菜販売
兄弟社 (自 然食糧供給 センター)0182調 布市西つつ じケ丘1-39
-1080424・ 85・ 1309 *10∼ 18 *① *無 農薬野菜、自然食
糧品、書籍販売農山林用具
美山口茶舗 (み やまえん)0199八 王子市長沼町58-2046 ●04
26・ 35・ 9643 ホ 茶、海苔の専門店
自然食品センター中神店 0196昭 島市中神町1113 80425・ 44
・2159 *10∼ 20 *無 *玄 米食運動、雑穀普及、無農薬野菜
(司 マナ自然食品センター 0196昭 島市昭和町5-5-5● 0425・ 44
・8866(夜 41・ 6068)*10∼ 19 *③ *健 康食品・自然食品・
電子治療器総合専門店、毎月最終木曜、料理教室、配達
7D・
)
J、
-80-
││〉
く神 奈 ′
自然食品センター弘明寺店 0233横 浜市南区中島町4-81 804
5・ 712・ 3339 *9半 ∼19 *渋 谷自然食品セ ンター姉妹店
菊屋百貨店 。健康 自然食品センター 0244横 浜市戸塚区戸塚町
44 8045・ 881・ 7636 *9半 ∼19 *田 中久夫、毎月 1回 料理
教室・健康相談会、 リマ、オリープマ ノン化粧品取扱
サ ンエイ相模 自然食品 0228相 模原市旭町9-16 80427・ 46・ 63
14、 45・ 7401 *9∼ 20 *①
*毎 月 1回 食品研究会
加藤大季 (ひ ろき)0220-01 神奈川県津久井町三井73580427
・84・ 3163 グリー ンクラブ主宰、自給農法の研究、自給農園あ
り。玄米人生 の悩 み、よろこび、共 に言
吾りあお う。(来 訪の際要
TEL)
■この欄に掲載 を希望の方は、別ベージの入会申込書 (法 人会員)に 記入 して、お申 し込みください。 4行 以上になる場合は、1行 につ
き 7,000円 増 しになります。☆ (*)印 の数は法人会員申込 口数です。
■内容は、太字が名称、次が郵便番号、住所、電話、営業時間 (8∼ 18は 、午前 8時 から午後 6時 のこと。19半 は7時 30分 のこと、次は
休日 (③ は毎日曜休日、 3⑧ は第 3水 1盪 日、祝は祝 日休み、無は年中無休ヽその次は代表者及び備考です。
自然・健康食品のデパー トサンケン 0064札 幌市中央区南18条
西73(第 5コ ーボ)● 011・ 512・ 4636 *9∼ 19 *① 祝
*玄 米試食会、健康相談、指圧、卸小売配達、料理講習会
北海道健康学苑 0078-02 旭川市永山町1152-680166・ 48・ 41
07 *8∼ 20 *① *食 養相談、足心道指導、食品 。書籍小
売
道南CIく らぶ 0040函 館市若松町20-9 80138・ 22・ 8714 *
代表・山崎寿生
侑)ウ リ薬局 0073-01 砂川市西 1条 1ヒ 1丁 目9 801255・ 2・ 43
86 *8半 ∼19半 *① *漢 方調斉」
井上 自然食品 センター じ371前 橋市本町1-12-1380272・ 24・ 18
1釧 ● *8∼ 19半 *① *自 然食講習、美容講習、食事相談
人生相談
須藤酒店 0376桐 生市東久方町 26-21 ●0277・ 44・ 5733 *7
半∼20半 *①
壮美研究所 0376桐 生市広沢町2-3085 ●0277・ 54・ 1175 *9
∼17半 *③ 祝 *ヨ ガ教室・自然食講習、美容講習、純植物
性化粧品取扱 い
自然食品 センターあおぞら 0376-01 群馬県山田郡大間 々町大
間々39011 00277・ 2・ 3241 *電 話注文にて配達 (電 話は18
時∼翌朝 10時 )
く茨城・ 埼玉〉
内田繁商店 自然食品部
987・
く東北地方〉
ラッキーフー ド
968・
4・
002001
岩手県岩手郡滝沢村穴口4364801
)
)
7840 *9∼
18
自然食品の店マナ こ02001
盛岡市高松115-31 80196・ 62・
(3 ④ X自 然食品 500余 種、
図書、有機野菜、有精卵、配達巡回販売、会報発行
6205 *8∼ 20 *① *料 理講習
く群 馬〉
群馬 マ クロビオティックセンター
0273・ 22・ 5484、
小川 自然食品店 0362上 尾市上町2-7-25 80487・ 74・ 8504 *
9半 ∼18半 *無 (臨 時休業)*純 正食品オーサ ワジャパ ン取
扱 い、有機農産物、健康相談 、毎月料理講習会 (CIよ り講師
派遣 リマ化粧品美容講習会、健康医学社指導講習 (浄 血指導
桜井商店 (埼 玉東部プロック)0343越 谷市大沢4-105 80489
・62・ 3479 *8∼ 21 *無 *オ ーサワシャバ ン食品、書籍
太田屋本店 自然食品部 0346久 喜 市南18-18 80480・ 21・ 0102
*9∼ 19 *① *食 養相談 、健康指導、食品、図書販売、 リ
マ化粧 品、玄米食品会、CI定 期講習会
けい らく操法普及会 0336浦 和市常盤9-322180488・ 317819
*千 日米子、正食とけいらく健康法、於熱海長寿会館 (随 時
予約制
自然健康食品三好屋 0336浦 和 市Jじ 甫和119-4 80488・ 86・ 72
品、書籍、器具販売、美容、健康相
34 *9∼ 20 *0 *食
‐
炎。西こ達 ・配送承 りまう。
言
大橋 自然食品 センター 0350川 越市霞 ケ関北5-12-8 80492
32・ 9445 *9∼ 19 *⑥ *無 農薬野菜、食品、図書、化粧
品、玄米試食会、料理講習
「玄米の宿 Jグ ループチェーン大宮店 0330大 宮市土呂町272
-13 80486・ 665809 *9∼ 19 *① *健 康食品、無農薬
野菜、食養相談、書籍、配達 発送 いた します。
「正直村」 0364北 本市本田1316580485・ 92・ 2007 *9∼ 18
*昭 和 6年 豆腐、斉藤 さんの納豆、アゲ、地粉 バ ン、天然醸造
1味 噌醤油 など純正加工食品、有機農法野菜卸、巡回販売車あり。
)
)、
3420 *特 に定めず 海 の学校、山の学校、食品雑穀 、
農産物通信販売、予約販売、料理研究会
北上正食セ ンター 0024岩 手県北上市新穀町135801976・ 4
7048 *無 *堀 米幸雄、食品、図書販売、出張講演 に応 ず
試食会 (無 料
みちの く自然食品セ ンター 0980仙 台市中央3-10-7 ●0222・ 6
2・ 7677 *9∼ 19 *1∼ 3①
料理講習 (講 師小川み ち他
食養相談 (第 1・ 3⑥ 、第 2・ 4① 、玄米弁当 (予 約)
東北文化協会 0020-01 岩手県盛岡市上堂1-19-32 ●019646
・1937 *特 に定 めず *自 然食品、雑穀jlll売 、健康相談、 自
然農法研究、郷土研究、機関誌 「エ ミシ」 「稜J発 行、食養懇
談会
実穂 自然食品 0027岩 手県宮古市新町4-28 801963・ 3・ 6310
*9∼ 19 *1・ 3① *定 例学習会、料理教室
十和田正食普及会 0034青 森県 十和国市穂並町2-56 ●01762
2・
0300-12 茨城県+久 町牛 久3475 *02
0135 *9∼ 19 *④ *食 品、書籍、器具
)
0370高 崎市和田町713 8
255560 *9∼ 19 *無 *図 書、食品販売
月例無双原理 と正食の勉強会 ・健康相談
高崎 自然食品セ ンター 0370高 崎市新町 101● 0273・ 252605
*9∼ 19 *無 *食 品llk売 、正食、空手、 ヨガ講習会、健康
指導
鈴木述子 (の ぶ こ)0370-12 高崎市山名町乙6118027346・ 49
21 *自 然農法 の玄米 ・野菜、農産物加工、料理教室、 群 llJ県
安全農法研究会、群馬食養友の会
七庸会 0370高 崎市小塙町樋越35-1 80273・ 43・ 8181 *田 中
ふ じ枝、第 2・ 4 ① l∼ 3時 一料理教室、第 3① l∼ 4時 =①
勉強会 (テ キ ス ト、桜沢 。大森 )② 研究発表会、毎③ 10∼ 4時
―健康相談会、食品・書籍
里味 (さ とみ)0370高 崎市京目町1123-2 80273・ 53・ 0710 *
10∼ 19 *① 祝 *マ クロピオティンク・フ ズ 販売、玄米パ
ン、各種黒焼・参泉製造、自然農園 あり
-81-
く栃 木〉
晴雨農場
80282・
(テ
62・
リフリ)034913
栃本県下都賀郡藤岡町大前1751
2635 *無 農薬野菜、穀物類 自給 自足的基盤 に立
っての衣・ 食・住の追求 と実践。来訪の際、要連絡
ノ
7号 食 を実践 しよう。
に基づいたお 話 を聞 き、その あ とで 、 自由 な形式 で質 問
や意見交換 を します。
共 に語 り、学 んで い きたい と思 い ます。
)
※詳細 はTELに てお問 い 合せ くだ さいⅢ
真澄 会健 康 セ ンター
●テ ーマ/「 子育 て と社会参加」
●毎月2回 、火曜 日14:30∼ 16:30(日 本 CI協 会 2階 にて
●参加費/1000円
●講師/大 森―慈先生
F食
(日 )午 後 1時 、 べ
・
るか
物で人生かとう変
J武 者宗―郎 大阪府大名誉教授。
■舞鶴市民会館大ホール、 9月 20日
入場無料。食品汚染問題 と人類の未来。問合せ/● 0773
)8950-5219
{国 電 口ri駅 徒歩 5分
一
小 茂年一
主筆●●●一
川
一︲ L 一
き いる■
刊
生
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月
︲ 光r
・
﹁
0
純
胡
麻
油
胡
香
.
光■
本練 胡麻L 美 の一
同 健
■ス■●■
月刊L喜然食二二一
一一一
■ 一一
一一一一入一〇0一
綱
一奪欄麟続料
︲一
︱
︵有 ︶グ リ ー ン ハー ト サ ービ ス
●会 場 /東 京大 学教 養 学部 第 2本館 20 2教室
井 の頭 線東大 前ド卓 一
︵
1 30 0円
●聴 講 料 /各 ︱
6日飛 ︶ 武 者 宗 一郎
▼9月1
▼9月9日飛 ︶ 橋 本 敬 三
▼9月2日飛 ︶ 大 森 英 桜
●司 会 / 太 田 竜
●各 日 午 後 六時 半 ∼九 時
﹃
医 療 制 度 改 革 に向 け て﹄
駒場自主講座
767126 天粒 MBセ ンター
●問 合 せ/ 8 0 422 ・52 2 48 8一
夜︶
■ 編 集 後 記 ■
7号 の ﹃
︲
自力 出 産 の記 録﹂ ︵
橋本 準 ︶を 覚 え て い
5
.
ます か そ の果 遊 ち ゃん も 、も う 2歳 半 。今 度 は、
,
夫 君 の準 さ ん の外 出 中 に、果 遊 ち ゃん の弟 が 生 ま れ
ま し た ︵ ″一人出 産 ″ ︶ 次 号 は 、そ の、 橋本
,
ちあ きさん の ﹃
娘 の正 食 記 録 と 自 然出 産 ﹄ です c
●本 誌 を 2倍 に読 む方 法︱ ︱
4 へ︲ジ上段 8行 日 、 ﹁
た と えば 、 6月 号 2
十代 に
1
二 人 の肉 親 の死 に当 面 し た オカ ゲ で、私 は夭 折 の不
合 理 の真 因 を 発 見 す る ことを 志 し 、幸 いにも ソレを
発 見 し た ci ご と いう 桜 沢先 生 の文 章 があ る の で、
G O先 生 が 、 別 のと ころ で、若 いころ 、婦 人科 病 以
外 のあ ら ゆ る 気 を し て、
を 玄 米 食 で治 し て⋮
病
れ
そ
2 べ︲ジ の写 真 を 見 る
⋮ と言 って いる のと違 う し 、 2
と、 G O 先 生 の前 頭 部 ︵
肺 に相 当 、頭 項 は 腸 に相 当
す る ︶は禿 げ て いな いか ら 、少 な く と も肺 結核 を 病
んだ こと は な いはず だ ⋮ ⋮ と 、読 ん で は いか が で し
ょう 。 ︵
G O先 生 は 、 な かな か茶 = っ気 のあ った 人
のよう です ね ︶
■7月 号 訂 正︱ 1 0頁 中 段 H行 ﹁
陰性 ← ﹁
陽 性 ﹂、
﹂
1
食 養 料 理講 座 Ⅱ ← ﹁
別刷 ﹁
Ш 、
9
の ﹁
正食 医
月
﹂
﹂
学講 座 Ⅲ ﹂ ← ﹁Ⅳ ﹂ ︵
橋本 政 憲 ︶
へ、 九 月 号
新 しき世 界 へ た し号
0 一九 へ .年
、月 日
発 行 日 昭 和 II 六年 ′
編 集 兼 発 行 人 橋 本 政 憲
東京 都渋谷区大 山町 ︱五
発行所 日本 CI協会 〒 ■
季 ボ0 1 1 9 4 1 2 5
振 替 十
電 話 031 4691 7631山
-82-
●心身改造 ドック 0ク ールバー ド温浴 ●純正食品販売
新宿区下落 合 3-15-20大 和日Iビ ル 901号
●問合せ/日 本 Ci協 会 803・ 469,7631(担 当/越 川み よ子)
'
ひ とりよが りに陥 らない で、楽 しく食養 をす るよ うに
1
まず、具体 的 なテ ーマ にそ って、大森 一慧先生 の 体験
当会独 自の システノ、によ り、7'ナ 正 食が らくら
・ん と'ん ツト し、 きオ
く実行で きま
本毒 をと
泄
`t千
い な血l液 をつ く
り、心身 を,争 化 しま‐
II
※7H泊 設備完備 (通 い キ
リ可
■81年 度 トック開催 日
-23日
8月 17日 ―
9月 14日 ∼20日
-25日
10月 19日 ヽ
11月 16日 ヽ22日
てみ ましょう。
… この 時代 だか らこそ。
食養 をよ りよ く実践す るため に 、 日常生活の中でお こ
る身近 な問題 を、 さまざまな形で取 り Lげ て、皆で 考 え
月刊 『新 しき世界 へ 』購読案 内
別
種
年 会 費
A
正 会 員
12,000Fl
B
賛助会員
12,000円
を 2日 以上
C
誌
友
5,000円
D
法
人
(2分 割 可 )
徴
特
月刊機関誌 │(年 間11回 発行)1部 送呈。会員証、会員バ ッジ。各種行事割引。料理教室、無
農薬玄米配布つ カムカムクラブ入会可。各種相談 を受 け られる。 日本 CI発 行 の図書・ テー
プ 5%引 き (図 書券で)
機関誌毎号 2部 送呈。その他は正会員 に同 じ。日本 CI発 行 の図書・テープ10%引 き
券で)
(図 書
月刊機関誌 1部 送呈。料理教室、無農薬玄米配布のカムカムクラブ入会可。
④に同 じ、本誌巻末に毎号、店名・住所・電話・営業時間・ 申し込み口数・ その他 を広告。
「新しき世界へ」 5部 配布 日本 CI友 の店 シール配布
30,000Fl
●下記 の用紙 または振替用紙 に記入 し、会費 を添 えて、〒151東 京都渋谷区大山町11-5 日本 C:協 会会員係
にご送付 ください。
財 団 日 本 CI協
会 入 会 申 込 書 鰭書で書いてください。
輯匿 ∃
私 は 日本 CI協 会の会員 にな りた く、次 の通 り申 し込みます。 (会 員別の符号 を○ でかこんで くだ さい。
:悪
)
)
から□
]月 号
E三 三
]年 E三 三
A.正
会 員
(12,000円 )
B.賛
助会員
を
(12,000円
分
年間
C.誌
口)
フ リガナ
住
所
職
回。 2分 割可)
業
)
(
明
生年月日ぬ
日生
月
年
°号室)(○ ○様方)と 詳 しく。
) (°
(〒
人 (店 舗 )
(30,000円 を
男・ 女
名
氏
D.法
友
(5,000円 )
TEL
ご家族
① 独身 ② 既婚
)
備考
日 本 C I 協 会 は 、 桜 沢 如 一が 創 立 し た 、 マ
ク ロビ オ テ ィ ック 運 動 の国 際 セ ン タ ー で 、 研
究 ・教 育 。普 及 活 動 を 展 開 し て い る 非 営 利 団
活 動内 容 は 、
体 です 。 会 長 、 桜 沢 里 真 。
昭和
① 実 用弁 証 法 ︵
無 双 原 理 ︶ と 正 食 法 の研 究 ・
実 践 。普 及 。
② 桜 沢 如 一ほ か 、 右 の内 容 に 関 連 し た 図 書 ・
出 版 物 の刊 行 。
③ 講 演 会 ・講 習 会 ・研 究 会 ・正 食 料 理 教 室 ・
正 食 医 学 研 修 講 座 。海 山 ス キ ー な ど の健 康 学
園 、 特 訓 セ ミ ナ ー ・海 外 研 修 旅 行 の 開 催 。
④ 正 食 医 学 によ る 食 事 健 康 相 談 会 の開 催 。
⑤ 出 張 講 習 。講 演 会 な ど の斡 旋 。
⑥ 日 本 C I 協 会 の事 業 部 と し て オ ー サ ワジ ャ
パ ン株 式 会 社 が あ り 、 純 正 食 品 ・無 農 薬 農 産
物 ・料 理 器 具 。自 然 化 粧 品 な ど の普 及 販 売 。
⑦ 関 連 活 動 団 体 、 各 地 セ ンタ ー 、事 業 組 織 な
ど が 多 数 活躍 中 。
③ 欧 米 は じめ全 世 界 に関 連 団 体 多 数 活 動中 。
■ ぃったん納入された会費、誌代は、返却できません。
附 日 本 C I 協 会
玄米歴
(家 族名・構成内容
健 康 を 守 る 長 命 の酒
●1螂 購入″ 鶏 乳
の
鈍
餅 自然酒
食 物 によ る 健 康 法・ 料 理 法 特 集
●日本 CI協会扱 い他社本 のお知ら せ
﹃
田村式 計画産児 法
同会
﹄
田村 いと の著 ︵あ8 円、 二 一
吾円 ︶
無 肥 料 、無 農 薬 の自 然 米 を 原 料 と し て 、
防 腐 剤 、 増 量 ア ル コー ル、 ブ ド ー 糖 、 化
学 薬 品 等 一切 入 って お ら ず 、 出 来 上 った
ま ま を ビ ン詰 め に し た 貴 重 な お 酒 です 。
十本単位 にて全国 に発送 いたします 。
二級税率適 用 一・
八 リ ット ル 一七 二〇円
一級税率適 用 一・
八 リ ット ル 一一王 ハ○円
代金前払 い、送料着払 い。
O振替 /大 阪九五 二五九 大喜酒販
住友銀行庄内支店当座/二三四四五五 大喜酒販
大喜洒販
笏 辞 鰹録一
打
彗軒設
)
大 森 英 桜 /七 号食 。少食・反応、手当法の実際
大 森 一 慧 /一 家を健康にする料理の工夫、食箋料理
●第 2集 (11月 号)は 健康相談特集です。 (価 格 は第 1集 と同 じ
﹃
砂糖病﹄甘 い麻薬 の正体 日貿出版社
ウィリ アム ・ダ フティ著 ︵
三oo円、 〒一
三〇円 ︶
一
﹃
有
害
な
子
食
供
品
七
月社
﹄
郡司篤孝著 ︵
突o円、 〓 一
8円 ︶
﹃
かたみ
みち さ会
く
﹄
小川みち著 ︵
舌8円 一
工一
吾円 ︶
﹃
植物 の不思議な力= フィト ンチ ッド 講談社
﹄
ト ーキ ン、神山著 ︵
買o円 一
工一
8円︶
﹃
自然農法﹄
時事通信社
福岡正信著 ︵
冥8 円、 一 円 ︶
二
8
一
﹃
一
自
わ
然
農
法
。
ら
命
本
の
革
柏
樹社
﹄
福 岡正信著 ︵
三〓円、 二 一
一
8円 ︶
﹃
が
び
奇
蹟
と
喜
の
我
ゼ
ノ
ロ
ー
人
生
鶴
島
丈夫
イ
﹄
鶴 島丈夫著 ︵三8 円 一
正一
き円 ︶
﹃
観相術 の秘伝 前 ・後篇 竹井出版
﹄
水 野南北著 、平秀道訳 ︵
2冊 で 三8円、正 三日U
﹃
姓名 の神秘﹄ 紀元書房
熊 崎健翁著 ︵
圭 円、
o
二
一
吾
円︶
´
﹃
ェ
野
辞
史
典
日
ル
本
シ
出
版帥
﹄
八切止夫著 ︵
杏8 円、 〓 二
8円 ︶
﹃
見えぎ る恐怖 。食品汚染 講談社
﹄
武者宗 一郎著 ︵
︽ o円 一
正一
吾円 ︶
田村豊幸著 ︵
昌 o円 一
二 占円 ︶
﹃マンガ でわ かる砂糖 の有害性 帥法経教育 開発
﹄
田村豊幸著 ︵
呂 o円 一
二 占円 ︶
﹁マンガ でわか る クスリ の有害性﹄欄法経教育 開発
無代進呈
1部
月 の食養料理
/葉
桜 沢 里 真
特価1200円
『新 しき世界へ』 1980年 809月 合併号
保 存 活 用 版 睛 名 。手当名 の索引つ き)
1集
第
●機 関 誌「75回陶
● ヨネ ヒ トくらぶ会員制度 (無 農薬有機玄米
ヨネ ヒ ト販売員を募集
.4′
男女各 2名 年齢 は問いません。 ファイ トあ
●料理、 自然医学、 ヨガ、姓名学の各教室 │ る同志 を求 む。将来、 自然食の店を持 ってマ
●自然塩 の 自主流通運 動 ●薬害 の追放運動 │ クロビオテ ィック運動 をともにや って い く意
食品供給制度)
●農薬 と化学肥料を追放 し、国内の農業生産 1欲 ある人、味聴 のすべてを開放 します。
■ 問 い合 せ は、各小売店 か事務局 ヘ
自給率 を高めま しょ う。
〒173東 京都板橋区向原 1-11-5
電話 03(958)8645
江古田店 (03・ 948・ 5701)、 成増店 (03・ 976・ 0231)、 八王子店 (0426・ 76・ 1258)
自然のままに…フレッシュなコールドプレス(冷 圧法)
●アプラ菜科 のからし菜 の種子 は
日本 で も昔 から高級 食用油 の原
料 で した。
●コー ル ドフレスは食用油搾油法
としては、最高の技法 です。 上
下の圧 力 によって熱 を加 えず、
植 物 性 食 用 油
●からし菜油 には ビタミンEが たっ
ハ1墜動
風味 が とても豊かです。
●か らし菜の種は生の まま搾 れる
ので、貴重な栄養成分 を豊富 に
含んで い るほか、天 フラなどに
して も1要 が強 く、 とて も経済的
です。
ぶ り (35m9%)で す。また、 か ら
し菜油独得 の 天然の酸化防止成分
が過酸化脂質 の発生 を防 Jlし て く
れるので安心 して召 し上れます。
●サラダに、天フ ラに、あらゆ る食
用 にとうぞ
.′
乙ゝ鱗法輪M
803(44フ )2260
東京都港区高輪1-23-34芝 高輪ハイツ
ミ
ネ
継 ?争 │:是 釜3操 「赤穂 の天塩 」
´ ´
t__´ ´´´´
塩 の 生命 は
海水 が 自然 に も つ 成分
ミ ネ ラル 等 の 独 特 の
パ ラ ン ス に あ り ます
塩 の 微 量 成 分 │ま
食 品 の仕 上 り や 昧 に
決 定 的 な役 割 り を
果 た します
◆ 昔 か ら塩 が作 られて いた塩 田 は、昭 和
46年 全面廃止 され、工 場 大 量生産方式
(イ オ ン交換膜製塩法 )に かわりました。
NaC1 99%以 上の精製
◆ その結 果、塩は、
され た ものにな りま した。
◆ 自然塩復活 を願 う日本 CIは じめ各界
の ご協 力により生れ た「 赤穂 の天角
は、食生活の原点 と しての灯 をとも し
つ づ けてお ります。
靭 射 自然塩普 及協会
東京3新 宿区百人町 2丁 目24番 6=〒 160
003・ 364 ・ 2721
健 康 と幸 福 と美 を創 るマ ク ロ ビオ テ ィ ッ クの 料 理 教 室
昭和56年 度
(%・
′
%∼ %)募 集 。
玄 米 を は じめ 各 種 の 穀 物 や 野 菜 、 海 草 な ど の 持 つ て い る素 朴 な
味 を 最 大 限 に ひ き 出 し、 肉 体 と精 神 の 養 い と す る お料 理 を指 導
い た し ます 。 天 然 醸 造 の 味 嗜 、 書 油 、 自 然 塩 、 純 正 の ゴ マ 、 菜
種 の 油 な どで 調 味 し、 砂 情 や 化 学 調 味 料 は い つ さい用 い ませ た
●初級 コース/マ クロビオテ ィック料理の基礎 (基 本食、食箋料理 など)昭 和56年 9月 23日 開講
●中上級師範 コース/桜 沢流 普茶、懐石料理。 フランス、イ ン ドなど世界各国の民族風 自然食料理。
美 容 食 、 治 療 食 を含 む応 用 コー ス
昭 和 56年 9月 22日 開 講
●校 長 /桜 沢 里 真 (日 本CI協 会会長)
●定 員 /各 ク ラ ス40名
(年 齢 ・性別に制限ありません)
11:00-14:00
●特 典 /規 定 の 回 数 出席 し、 試 作 会 に
出品 され た 方 に 免状 を授 与 い た しま
す。
11:00-14:00
● い った ん納 入 された受 講 料 は お返 し
で きませ ん の で 、ご 了承 くだ さい。
● 申込 み /申 込 用 紙 に記 入 し、 受 講 料
を添 え て 、 下 記 へ 。
●持 参 品 /筆 記 用 具 、 エ プ ロ ン、 ス カ
ー フ (手 拭 い)
● 日本 C:協 会 の会 員 (正 会 員 、 年
万
2千 円 な ど)ま た は誌 友
AB・ クラス
¥ 4,000
C.D ¥4,000
¥22,000
(入 学時のみ CD・ クラス
¥22,000
¥6,000
¥6,000
¥6,000
¥3,000
)
1
(『 新 しき
世 界 へ 』 購 読 、年 5千 円)に な る こ と。
ングアカデミー係
日フ
トC il協 髪やクッキ
-5 803(469)7631
〒151東 京都渋 谷 区大山町‖
キ
リ
リ マ・ ク ッ キ ン グ ア カ デ ミ ー
継続/前 回のコース名
(
ト
リ
―
線
一
一
一
―
―
―
一
一
一
一
一
一
―
5眸 度秋期)申 込 書
(昭 和
希望 クラス
A・
B・ C・
D
※○印をつけてください
1.正 会員 (の 家族)で す
会員番号
(
)
2.誌 友 (の 家族 )で す
3.CIの 雑誌購読 していません
自宅
電話
市外局番
(
)
職 業
勤務先
円 を添 えて申込 み ます。
日本 CI協 会御中
│:III最
勤務先
電 話
た
管
ま
し
量
市外局番
(
)
=三
* ll l l *
* 1l l l *
‐
・
級
:L↓摯翼
=,
(初
中講座
1
1'自 2日
(%2時 受 開始、%)3H、 午月会
〒151東 京都渋谷区大山町115嶽 03)4697631
日 曜F//日 召禾口56:竿 9月 19日 (■ )∼ 9月 20日 (日 )
主 催 。会 場 //日 本 CI協 会 (イ ン タ ー マ ッ ク )本 部
f」
,
野 菜 い ため御 飯 、 野 菜 シチ ュ ー 、 蓮 根 い ん ろ
芳 、 タル トポ チ ロ ンな ど、 大 切 な 食 養 基本料
う 、ガ トー ロー ル 、 玄 米 餅 ス ー プ 、 蓮 根 煮付 、
理 の 実 習 が あ り ます 。料 理 実 習 の ほ か に 、食 養
プ ー リー、 そ ば 寿
:J、
の 考 え方 や実 際 に つ い ての 講 義 も あ り ます 。
煮込 う ど ん 、 た た き牛
●講 師 /桜 沢 里 真 、橋 本 政 憲 、吉 llk知 1江 子
●特 典 /4回 分 を合 わせ て修 ∫され た 方 に
9月
9月 20日
19日 (土 )
リ マ ・ ク ソキ ン グ ア カデ ミーの 初 級 免 状
を授 り します。
会 鮮ll■ 71i'自 す るノ、13、 000111、
● 申 込 み/申 込 書 に 記 入 し、受講 料 を添 え
て 現 金 書留 で 食 養 料 理 講座 係 へ 。
12:00
ll:│`
半額返 還 と な り ます。
●持 参 品 /筆 記 用 具 、 ね ま き、 エ プ ロ ン、
ス カー フ
│]。
に か ぶ る もの 雑 「
)、
● 日本 CI協 会 の 会 員 (正 会 員 、年
(『
1万
実習
1桜
(桜
沢 里真
沢 11真
'
質 疑 応 答
丈習 (桜 沢 里 真
)
食 養基本料理 Ⅲ
解散
,
食養基本料理
I
1,In
講 義 IFi本 政 │き
Jl 11,マ
クロピオティックについて
2
,
自 由 日
寺間
新 しき世 界 へ 』
(X)消 火1 41寝
5千 円 )に な る こ と。
購 読 、年
1
18・ 沖
)
食 養基本料理 I
││ │,Iヽ 11
● 取 消 し/9月 15日 まで は 、手数 料 2000円
を引 い て返 還 。 9「 116日 以降 は会 の 運 営
千 円 な ど)ま た は 誌 友
実 習 1吉 成 贅l江 fl
1131
員 に な り次 第 、締 切 ります。
(頭
7 rj,
11130
● 締 切 り/9月 15日 は)必 着。 た だ し、 定
L、
起 床 、 清掃
10i。
●受 講 料 //12.0001il(材 料 費 を含 む )CI
(日
6:Oo
込書
食 養 料 理1講 座1菫 ●(%■ │%)申 ‐
CI協 会 御 中
tあ ヌ省爆リ
料理
I、
Ⅱ、Ⅲ
(1[]3.0001■
1)
勤務先 市外局 番
)
電 話 (
職 業
勤務 先
今 まで に食養料理集 中講座 を受講 された
方 は、記入 して くだ さい。
円 を添 えて申込み ます。
日本
耕・
麟
)
日 生
(
歳 月
rl宅 市外局 番
電話
年
,
│
リ
会lミ 番))(
2誌 友 (17D家 族 )で す
3CIの 雑誌購読 していません
道県
都府
(〒
イil,ll子
明 人 昭
男 。女
氏名
1正 会lt(の 家族 )で
1981年
月
日
10月
● 日時 /昭 和56年 10月 10日 ││」
1時 受付開始、10月 11日 (日 )4
‖
、
女。1,F12 11
イオ
ヤ角
●主催 および会場 /日 本 CI協
会 本部 〒151東 京都渋 谷区大
111-5 1■ 03-469-7631イ ヽ
●講 師 /大 森英桜
●研 修 費/15,000111(外 泊 の場
合 CI会 館での 宿 泊 は1000円
LIJ‖
)
)。
増。
●持 参品/食 器 (茶 わん、汁 わ
ん、 中皿 、は し、 布 ││;2枚 X学
習 用具 、洗面用具 、 雑 巾
●申込方法/申 込 書 に 記 入 し、
研修 費 を添 えて 日本 CI協 会あ
て現金書留で送 るか直接持 参す
る。 日本 CI協 会 の 会 員 または
誌 友 で ない方はお申込 くだ さい。
講 義 の1内1容
10月 10日 (土 )
1.各 種病気の病因 、症 状 、陰
陽 と食養療法
その 7.生 殖器 (男 、女 )
2.
上
同
その 8.脳 と神 経 系
(誌 友年購読費 5,000111よ り)
●締切 り/10月 6日 着 。
3.
●取 消 し/10月 6日 までの取消
しは 手数料2000円 をひ いて返還
します 。 それ以後 の場 合 は会の
4.
同
上
その 9.目
同
10月 11日 (日
上
5.
同
起床、
清掃 、
歌
体操、
9 :30ヽ -11
講義 5
11:30ヽ -1
朝
1 :00ヽ -1
写真、次 卜」分受付
1 :30^-3
講義 6
3 :30-4
受講生交流 茶話会
上
;
その 11.骨 、関節 、外傷
6.
;
同
上
そ の 12.皮 膚、血 液
正 食 医 学 講 座
V(%∼
%)申
1.CI会 館 で宿泊 =16,000円 2.外 泊 します =15,000円 3.部 分参加
(
)
日本
講義
会 御 中 1%1年
I、
Ⅱ、田、Ⅳ、V、 Ⅵ
会員番号 (
)
2.誌 友 (の 家族)で す
3 Clの 雑誌購読 していません
※部分参加の方は、講義
号 を記入 して くだ さい。
(定 員 に余裕 あ る時受け付
けます。)
勤務 先 市外局番
電
勤務先
・
食
込 書
業
円 を添 えて申込み ます。
CI協
日生
話
月
電
職
年
質:市 外局番
講義 4
1正 会員の家族です
明大 昭
自
)
6 :00--7
7 :00^-9
そ の 10.耳 、
鼻、歯 、日、の ど
運 1,キ 上、半額返還 と な ります。
*食 事 は 日本 CI協 会 の 料理 劇
が調理 す る玄米正 食料理 です。
*人 数 に余裕 があ る と きは、淵
分参 力││も 受 け付 け ます ので 、 お
問 い合 せ くだ さい。
ユ│■│ル
│ス│ケ │ジ
月
正 食 医学講座 出席
話
(
)
回目
9月
●日日
寺//日 召禾口56年 9月 12日 (J
l時 受付 開始 、9月
時解散。 1泊 2日
13日
lE)4
●主催および会場/日 本CI協
会本部 〒151東 京都渋谷区大
山口
Tll-5 ■
'03-469-76310
●講師/大 森英桜
●研修費/15,000円 (外 泊の場
合ヽ CI会 館 での宿泊は1000円
増。
●持参品/食 器 (茶 わん、汁 わ
ん、 中皿 、は し、布 巾 2枚 X学
習用具、洗 面 用具 、雑 巾
●申込方法/申 込書 に記入 し、
1.各 種病気の病 因、症状、陰陽 と
食養療法
研修費 を添 えて 日本 CI協 会 あ
その1.呼 吸器 (気 管支、肺
て現金書留 で送 るか直接持参 す
2.
上
同
る。 日本 CI協 会 の会員 または
その2.循 環器 (心 臓、血管)
誌友でない方 は お申込 くだ さい。
3.
上
同
(誌 友年購読 費 5,000円 よ り)
その3.消 化器 (食 道、胃
●締切 り/9月 8日 着。
同
●取消 し/9月 8日 までの取 消
その4.消 化器 (十 二指腸∼肛
しは手数料 2000円 をひ いて返還
門
します。 それ以後 の場合は会 の
上
同
運営上、半額返還 とな ります。
その5, 肝、胆 、膵、牌臓
*食 事 は 日本 CI協 会 の料理部
上
)
)
9月 12日 (土 )
1:00∼ 1:30 受付 、開 会
1:30∼ 3:30 講義 1
4:00∼ 6:00 講 義2
6:00∼ 7:30 夕 食
7:30∼ 9:30 講義 3
11:00
消灯 、
9月 13日
(日
)
)
同
その6. 泌尿器
が調理 す る玄米正 食料理 です。
*人 数 に余裕 があ るときは、部
分参加 も受 け付 け ます ので 、 お
問 い合 せ くだ さい。
(腎 、膀脱)
7
00^-7 :00
00^-9 :00
9
30^´ 11:30
講義
5
11
30^‐
1
00^´ 1
30--3
30- 4
朝
食
6
1
*講 義 の録 音 は ご遠 慮 くだ さい
1
3
:00
:30
:30
:00
歌
起床 、
清掃、
体操、
講義 4
写真 、次回分受付
講義 6
受講生交流茶話会
No.
1.CI会 館 で宿泊 =16,000円 2.外 泊 します =15,000円 3.部 分参 加
)
所
自 宅 市外局番
電
話
(
(
月
)歳
日
生
職
)
CI協
)
会員番 号 (
2誌 友 (の 家族 )で す
3 cIの 雑誌購読 していません
※部分参加 の方は、講義番
号 を記入 してください。
(定 員 に余裕 ある時受け付
け ます。)
勤務先 市外局番
業
電
勤 務先
円 を添 えて申込 み ます。
日本
1正 会員の家族 です
道県
都府
(〒
住
年
氏名
明大 昭
男 ・女
、
リカ=を
ら
講義 I、 Ⅱ、Ⅲ、Ⅳ、V、 Ⅵ
会御 中
19a年
月
正食医学講座 出席
日
話
(
)
回目
■ 毎木曜日は休館 です。 (オ ーサワジヤパ ンは営業
)
日 本
下 北沢
0会 員 でな くても参加歓迎です
小 田急 線 (各 駅 停 車 )
●録音 は ご遠慮 ください
CI協
会
〒151東 京都渋谷区 大山町11-5
● 03・ 469・ 7631 代
小 田急線 。東北沢 駅 下 車 2分
)
至渋 谷
8月 20日 困 ∼23日 18)PU大 学
,自
夏 の セ ミナ ー
3
取 )会 費 /1回 1000円 、 以 後 %例 0、 %伏 %例 0、 形
・…・今 秋 は%ま での 予 定 で す。%ま で に要 予 約 。
ω・
10月 4日 (日 )11時 ∼ 2時 正 食 医学 に よ る健 康 相談
)、
4日 、 那 須 自然農 法 研 究 所 にて。 詳糸田は 6、 7月
号 を御 覧 下 さい。
9月 6日 (日 )11時 ∼ 2時 正 食 医学 に よ る健 康 相 談
講 習 会 (公 開 )講 師 /大 森 英 桜
正 しい 食 べ 物 、正 しい 食 べ 方 、正 しい生 活 法 に よ る
健 康 確 立 、体 質、性 格 改 善 、病 気指 導 の 公 開 講 習 会
です 。 相 談 希望 の 方 は必 ず 予 約 して下 さい 。 当 日は
10時 まで に 2階 へ 来 て 下 さい。聴 講 は どな た で もで
きます 。 会 費 /相 談 す る 人 (正 会 員以 上 )=10,000
円 正 会 員聴 講者 =2000円 、一般聴 講 者 =2300円
午 後 3時 ∼ 5時 半 月例 講 演 会 「食 養 の 失 敗 例 とそ
の原 因 」 ― 間違 わな い た め に一 講師 /大 森 英 桜 会
費 //正 会 員 =1300円 、一 舟支-1500円
9月 9日 因 1時 ∼ 3時 くれ ない会総 会 運 動 の
要■
_E、
会 則 、役員 の選 任 な どの 議決 を します の で、
くれ な い 会 の 全会員 の 方 、 ご参集 くだ さい。
9月 11日 日 午後 6時 ∼ 8時 健康書 道 教 室 %、
え 、%、 %、 え 、 %。 講 師 /織 田秋 海 会 費 /1回
卜か ら
500円 。 漢 字 、平 が な。 メ、F]在 矢迎 。 カ タ カぅ
9月 12日 l■ 13日 lB)正 食 医学 講座 V 講 師 /大 森
英 桜 詳府Ⅱは別紙 を ご覧 くだ さい。
9月 15日 ω ・ lal正 午 ∼ 2時 半 「初心者 の た め の 食 養
説 明 試 食 会 」 本間昇 ほ か 会 費 /1000円 、 食 事 つ き
13日 (日 )ま で に 申 し込 み を して ドさい。
3時 ∼ 6時 「ヨー ロ ッパ ・ ツ ア ー報告会 」 桜 沢里
真 会 長 や 参 加者 か ら、旅 行 の 感想 な どを話 して いた
だ き ます 。 だれで も出 席 蓄矢迎 。 お茶 代 /300円
9月 19日 田 、20日 (日 )食 養 料 理 講座 初 級 Ⅲ 講 師
//桜 沢 里 真 ほ か 詳糸田は 号」紙 を ご覧 くだ さい 。
9月 22日 ω 、 23日 因 、食 養 料 理 教 室 リマ ク ッキ ン
グア カ デ ミー 秋期 開 講 講 師 /桜 沢里 真 ほ か 。 詳
細 は 別 紙 を御 覧下 さい。
9月 22日 ω 2時 半 ∼ 4時 半 マ クロ ビオ テ ィ ック
座 談 会 講 師 /大 森―懇 会 費 /1000円
9月 23日 因 。la1 3時 ∼ 5時 ・80陽 友会 食 養 の勉
強会 、 交流 の場 。 だれ で も参 加 歓迎 。会 費 100円 。
9月 26日 lEL1 1時 ∼ 4時 手 作 リバ ン講 習 会 講 師
/横 田 和 敏 申 し込 み は 、 オーサ ワ ジ ャバ ンヘ 。 a
465・ 5021 会 費/1000円 (天 然 酵母 1袋 付 )
午後 6時 ∼ 8時 PU経 済 原 論 を読 む会 高 祖 英 二
ほ か 会 費 //500F]
9月 27日 (日 )1時 ∼ 3時 PU大 学 講演 会 「古 井 戸
か ら飛 び 出 た蛙 の 報 告 」(ア メ リカ旅 行 )講 師 /′ Jヽ 川
み ち 会 費 /正 会 員 -1300円 、誌 友 。一般 =1500円
3時 半 ∼ 6時 PU大 学 物 理 学 講座 (1)講 師 /宮 沢
秀明 会 費 /正 会 員 は 1300円 、誌友 。一舟支-1500円
9月 29日 四 3時 ∼ 5時 舞 踊教 室 日本 舞 踊 を初
歩 か ら稽 古 します。 指 導 /藤 間清重 (宗 家藤 間流 名
l、
i
講 習 会 (公 開 )講 師 /大 森 英 桜 %の 項 参 照 。
午 後 3時 ∼ 5時 半 月例 講 演 会「夢 と予 言 と食 物 と」
講 師 /大 森 英桜 会費 /正 会 員 =1300円 、 誌 友 。一
月支-1500円
10月 6日 四 2時 半 ∼ 4時 半 マ クロ ビオ テ ィ ック
座 談 会 講 師 /大 森 一懇 会 費 /1000円
10月 10日 日 、 11日 lB)正 食 医 学 講座 V
講 師 /大 森
英 桜 :務 田1朗 Jふ 氏を御 覧 下 さい。
10月 18日 lE)GO生 誕 祭 (1■ 2時 ∼ 2時 餅 つ き試
食会 (2)2時 半 ∼ 6時 発 表 会 会費 /1800円 発
表 会 は 、 会 員 の皆様 か ら、 あ らゆ る分野 に お け る研
究 、 体 験 、意 見 、訴 えた い こ と等 や、料理 、 芸 術 、
工 芸 、 農 産 等 での 公開発 表 を していた だ く も の で、
発 表 して 下 さる方 は、 要 旨 、所 要 時 FE5等 を必 ず 、 14
日因 ま で に お知 らせ下 さい。 会員相 互 の 堅 苦 し くな
い会 で す か ら、 多 くの 方 々 が 発 表 して下 さい 。
10月 20日 ω 2時 半 ∼ 4時 半 マ クロ ビオ テ ィ ック
座 談 会 講 師 /大 森 ―懸 会 費 /1000円
10月 24日 l■ 1 1時 ∼ 4時 手 作 リバ ン講 習 会 講師
/横 田 和 敏 %の 項 参 照
午後 6時 ∼ 8時 PU経 済 原 論 を諄 む会 高 祖 英二
ほ か うざ費 //500円
10月 25日 (日 )正 午 ∼ 2時 半 「初 心者の た め の 食 養 説
明試 食 会 」 本 間昇 ほ か 会 費 /1000円 、 食事 つ き
23日 0ま で に申 し込 み を して下 さい。
3時 半 ∼ 6時 P∪ 大 学 物 理 学 講座(2)講 師 /宮 沢
秀 明 会 費 /正 会員 -1300円 、誌 友 。一 舟l=1500円
9月 か らの新講 座 等 の お知 らせ
1.物 理 学 講座
無 動 カ ポ ンブ や超強 力永 久磁
石 な ど多数 の 重要 な発 明 を され、80歳 代 とは 思
わ れ な い 若 さと体 力 で 研 究 に取 り組 ん で お られ
る宮 沢 秀 明 先生 に、物 理 学 の 基礎 、原 子 、 物 性 、
電 気 、機 械 、原動機 、 エ ネ ル ギ ー な ど、 毎 月 1
回 の 予 定 で長期 にわた っ て講義 して いた だ き ま
。
り
2.舞 踊教 室 日本情 緒 を動 と曲 か ら学 び柔 軟
な体 と心 を養 お う。 日本 の 伝 統 舞踊 を初 歩 か ら
稽 古 し ます。 毎週 1回 の 予 定 です。 ご希 望 、 予
約 な どお寄 せ 下 さい。 指 導 /藤 間清重 (宗 家 藤
間流 名取 )
3.初 心 者 の ための 食 養 説 明試 食会 こ れ か ら
食 養 を始 め る方 々 に 、 そ の 意 義 、具体 的 方 法 、
陰 陽 な ど につ い て説 明 し ます。ぜ ひ 多 くの 方 々
に ご案 内 くだ さい。 毎 月 1回 の 予定 で す 。 玄 米
ご飯 に一 汁 一菜 の 食事 つ き。
■ 8月 13日
(木 )∼ 15日
(土 )、
夏季休 業 します 。
肌 にやさ しい
リマ 化 粧 品
植物性
素肌に関心 のある方に
使 項 :いただ きたい。
プ用品まで発売 К おりま魂
化粧水からメイクアソ
年 間 、 正会 員 一万 三千 円 、 誌友 五 千 円 ︶
︵
●全 国の自然 食 品店 。
薬 店・化 粧 品店 。デパ ートで お求 め下さい。
リマ 化 粧 品販 売株 式会社
リマ 化 粧 品西 日本販 売株 式 会社
(発 売元 ),マ 化粧 品株 式 会社
〒 175東 京都板橋区成増 2 35 4 TEL03 976 2525
〒 550大 阪市西区立売堀 244永 I帯 ビル2F TEL06 533 3081
〒 104東 京都中央区銀座 1 20 4 NKヒ ル 6・ 7階