情報教育 情報教育の最前線と基礎学力(PDFファイル:499KB)

報
教
育
ここでは,2003年 4月から日本の高等学校で導入される普通科目「情報」における教
育内容と区別して「情報教育」という言葉を使用する。アメリカにおける「情報教育」は,
主として,コンピュータやインターネットを活用しながら,子どもの学習活動を支援する
教育として捉えることにする。
2001年 1月 20日,ブッシュ大統領は,ミシシッピ州出身で黒人の元テキサス州ヒュー
ストン市教育長ペイジ(Paige,R.)をアメリカ第 7代教育長官に任命した。21世紀に入
り,民主党クリントン政権から,共和党ブッシュ政権に移行し,それまで掲げてきた「目
標 2000年(Goals 2000)」の 8つの教育目標政策から, 子どもの落ちこぼれ解消(No
Child Left Behind)」政策へ転換した。この政策転換の根底には,1965年の「初等中等
教育法」の全面的な改正(子どもの落ちこぼれ解消 2001年法[No Child Left Behind
Act of 2001]以下「NCLBA 2001」と略す)がある。2002年1月,ブッシュ大統領はこ
の NCLBA 2001法に署名した。その後,ペイジ教育長官は,全米 25都市において「子ど
もの落ちこぼれ解消キャンペーン・ツアー」に駆け回っている。日本と同様に,1983年
『危機に立つ国家』以来続いてきた連邦政府主導の中央官僚教育制度の強化策を規制緩和
し,従来から根付いている学校教育の地方分権化政策に立ち返り,子どもの学力向上と学
校教育の結果責任を,これまで以上に学校(教育委員会)当局や父母・地域社会が引き受
ける教育改革を推進しようとしている。
このようなアメリカ教育改革の柱の1つに,情報教育の推進が掲げられている。その理
由として,1965年の初等中等教育法施行以来,37年間で 3,210億ドル(1ドル=130円で
約 40兆円)の連邦予算(図1)を費やしても,小学校 4年生の 32%しか,基本学力の1
つである「(英語)読解力」に合格していない。不合格者の多くは,貧困層のマイノリテ
ィーの子どもである。
教
育
予
算
額
225
500
180
400
135
300
210.2 208.6
213.5
億
ド
ル
︶
90
209.4
得
点
210.2
207.5 209.9
209.9
45
200
100
0.0
0
19
66
19
68
19
70
19
72
19
74
19
76
19
78
19
80
19
82
19
84
19
86
19
88
19
90
19
92
19
94
19
96
19
98
20
00
20
02
情
1.21世紀のアメリカ教育改革と情報教育
予算
英語「読解力」得点
(図1) アメリカの教育予算額と小学校 4年生の英語「読解力」試験結果の推移(1966∼2002)
アメリカ教育省ホームページ[No Child Left Behind](http://www.nclb.gov/next/stats/index.html)
より引用。
東京理科大学助教授
伊藤
稔
1954年群馬県生まれ。東京理科大学理工学部数学科卒業。横浜国立大学大学院教育学研
究科修士課程修了後,1986年ペンシルベニア大学大学院教育学研究科博士課程修了。
1987年より東京理科大学講師を経て現職。著書に『学校改善に関する論理的・実証的研
究』
『特色を求めるアメリカ教育の挑戦』
『教育データブック』(いずれも共著)など多数。
教育学博士。
100
80
100
国語(英語)読解力
80
100
国語(英語)読解力
80
60
60
60
40
40
40
20
20
20
0
0
0
白人
黒人
白人
100
80
ヒスパニック
100
数学の試験結果
80
白人
数学の試験結果
80
60
60
40
40
40
20
20
20
0
A:白人 VS 黒人
アメリカ原住民
100
60
0
国語(英語)読解力
数学の試験結果
0
B:白人 VS ヒスパニック
C:白人 VS アメリカ原住民
(図2) アメリカにおける白人・黒人・ヒスパニック・アメリカ原住民の 4年生の「国語(英語)読解力」と 数学」の試験結果
資料は,図1と同様のサイト(http://www.nclb.gov/start/facts/achievement)より引用。
同様に「算数」や「理科」の基礎学力も,白人とマイノリティーの学力差が顕著に現れ
ている(図2)。NCLBA 2001法でも,このような人種間の学力格差を解消するために,
インターネットを利用した情報教育やコンピュータを活用した教育工学を積極的に導入し
ようとしている。
Percent
100
100
80
Grade 8
Grade 4
Grade 11
80
60
60
40
40
20
20
0
0
1984
1988
1992
1996 1984
1988
1992
1996 1984
1988
1992
1996
(図3) アメリカの小学校 4年生,8年生,11年生に対して,1984年から 1996年の間コンピュータ情報
機器導入の推移
り引用。
資料は図1と同様のサイト(http://www.nclb.gov/start/facts/21centtech.html)よ
情
アメリカ連邦政府は,小・中・高等学校で,コンピュータ等の情報教育を子どもの学習
活動を支援する道具として積極的に活用するようになった(図3)。ペイジ教育長官は,
教育のための情報技術(Enhancing Education Through Technology:略して
報
教
育
ED Tech)活用の目的を3つ揚げている。
① 情報教育を活用しながら,初等・中等学校の子どもの学力(academic achievement)
を向上させること。
② 第 8学年(日本の中学 2年)修了までに,コンピュータ情報機器を活用できる知識・技
術を習得できるように支援すること。
③ 教師は,子どもの学力が向上するように教育課程を展開するときに,情報教育を活用
できること。
さらに,NCLBA 2001の 21世紀の情報技術を活用した教育について,次のような留意
点が示されている。
① コンピュータ情報技術を活用するときに注意しなければならないことは,子ども一人
ひとりの学習活動プロセスの支援に情報技術が具体的に結びつくことである。単に,各
学校の教室にインターネットを引いたり,コンピュータ機器を導入しても意味がない。
② コンピュータ情報技術は,他の教材と同様に,コンピュータを導入するだけでは意味
がない。子どもが,コンピュータ情報技術を活用して,どれだけ自分の学習のために,
コンピュータ情報機器を生かすことができるかが重要である。
③ 教育の質向上は, 教えること」と「学ぶこと」について,コンピュータ情報機器を活
用して,これまでにない新しい教育方法を開発することにかかっている。
単にコンピュータ情報機器やインターネットを教室に持ち込むだけでは,これまでのコ
ンピュータ教育と何ら変化はないとしている。すなわち,コンピュータ・システムを導入
することで,子どもの学習活動や学力変化を,いつでも,どこでも瞬時にモニターしたり,
フィードバックを行うと同時に,コンピュータによる情報教育システムを活用しながら,
子どもの基礎学力向上のための学習支援を積極的に行うというものである。
2.最近のアメリカにおける情報教育
アメリカにおける情報教育について,アメリカ教育情報センター(通称 ERIC)のホー
ムページで調べてみると,1998年度の情報リテラシーに関する報告書がある。
それによれば,1980年初頭から,情報教育の重要性が取り上げられ,大統領直轄の情
報リテラシーに関する全米図書館委員会報告書では, 情報リテラシー」について次のよ
うな定義が示された。 情報リテラシーとは,人間が,ある情報を必要としたときに,そ
の情報の存在場所やその真偽等を正確に評価し,かつその情報を有効に活用できる能力で
ある」と。すなわち,一人ひとりの人間が,これまでの視聴覚教材,コンピュータ機器,
インターネットや基本的な文字情報等,さらには,これからの新しいコンピュータ情報機
器の活用技術を習得し,生涯学習者としての意識を学校教育から始めることが重要である
としている。
学校教育(幼稚園から高校)における情報教育の重要性は,
『危機に立つ国家』の中で
いち早く指摘され,すぐに, 学校図書館メディアプログラム(1986年)」がスタートし
東京理科大学助教授
伊藤
稔
た。そこで,情報リテラシーの中に図書館利用法やコンピュータ機器活用技術が含まれる
ようになった。1990年代に入り,クリントン政権時代のゴア副大統領は, 情報スーパ
ー・ハイウェイ構想」を打ち出し,全米の学校をコンピュータネットワークで繫ぎ,最新
の情報教育の実現を試みた。当時の『アメリカ 2000年の目標』の実現に向けて,アメリ
カのコンピュータ情報教育が世界中から注目された。1990年代後半に入り,アメリカの
学校には多くのコンピュータが導入され,様々な情報教育が試みられた。
しかし,21世紀に入り,これら情報教育の導入は,アメリカの子どもたちの基礎学力
向上に,必ずしも結びついていないことが明らかになった。
『1999年度全米教育成果報告
書(NAEP)』のデータによれば,コンピュータが積極的に導入され始めた 1990年代後
半から 1999年までの 5年間,基礎学力における「読解力」 数学」 理科」の全米の平
得点(小学 4年,中学 2年,高校 3年)には,ほとんど変化が見られない(図4)。
500
国語(英語)読解力
300
286
285
250
285
258
256
255
215
210
208
290
289
290
290
288
288
288
258
258
259
211
212
212
257
257
257
260
211
212
209
211
AGE 17
AGE 13
AGE 9
200
0
71
75
80
84
88
90
92
94
500
96
99
数 学
304
300
300
266
264
298
269
302
269
250
219
219
219
222
305
270
230
307
273
230
306
274
230
307
308
AGE 17
274
276
231
232
AGE 13
AGE 9
200
0
73
78
82
86
90
92
94
500
99
理 科
305
300
250
96
296
290
283
288
290
294
294
296
295
251
255
258
257
256
256
224
229
231
231
230
229
255
250
247
250
225
220
220
221
AGE 17
AGE 13
AGE 9
200
0
6970
73
77
82
86
90
92
94
96
99
(図4) 1971年から 1999年までの NAEP の教育成果報告書に基づいた 4年生,8年生,11年生の「国
語(英語)読解力」
・ 数学」
・ 理科」の試験結果の推移 資料は,アメリカ教育省のホームページの中のサ
イト(http://nces.ed.gov/naep/)より引用。
情
他方,アメリカ企業等におけるコンピュータ導入率と企業の業績向上については大きな
相関関係があることが,ペンシルベニア大学ウォートン・ビジネス・スクールの研究等で
報告されている。
報
アメリカン・ビジネスの世界で,コンピュータ情報機器の積極的な導入が成功を修めた
のに対して,なぜ,初等・中等教育の分野では,期待するほどの効果が現れてこないのか。
教
ベネットは,次のように分析している。 ビジネス世界において,コンピュータが導入さ
育
れ,ビジネス活動の在り方について用いられることがなかった。しかし,今日では,ビジ
れた当初は,コンピュータが鉛筆や文房具の代わり(ワープロや広告用紙)として用いら
ネス活動の構造変革の必要性から,コンピュータ情報機器が用いられることになった」
このために,コンピュータ情報機器導入が,ビジネス活動の構造変革に必要不可欠な道
具となり,コンピュータ情報機器の導入率と企業の業績が強い相関関係で結ばれることに
なったというものである。
アメリカの学校教育におけるコンピュータ情報機器導入も,ビジネス活動における初期
のコンピュータ導入時期と同様に,コンピュータ情報機器が単なるワープロや掲示板の代
わりに用いられているために,そのコンピュータ情報機器導入がアメリカの学校教育成果
に結びついていないというものである。重要なことは,教師の意識,指導技術や教育方法
の構造変革が必要不可欠になって,初めてアメリカン・ビジネス同様に,学校教育に導入
された何百万台ものコンピュータ情報機器が,子どもの学習支援に効果を発揮するという
ことである。このことは,日本のこれからのコンピュータ情報教育においても,同様であ
ろう。
3.
アメリカ情報教育の最前線
ベネットは,コンピュータ情報機器導入を積極的に進めたアメリカン・ビジネスの成功
を,アメリカ学校教育に導入して,同様の成功を収めることができると主張している。具
体的に情報教育に関するコンピュータ・ソフト・ウエア開発企業と学校教育の連携プログ
ラムの事例を3つ紹介している。そこでは,従来からある「型どおりの教師の役割」とい
うものを超えて,学習者である子どもに対して,直接的・個人的にコンピュータ情報機器
を用いて,学習支援を行っている。特に,従来の学校教育になじまない, 落ちこぼれの
児童・生徒」にコンピュータ情報機器を導入した学習支援プログラムが成果を上げている。
以下に,3つのコンピュータ情報教育の実践事例の概略を紹介する。詳細については,
インターネットのアドレスで直接各プログラム企業のホームページを参照することをお勧
めする。
①
プラトン学習」プログラム会社(Plato Learning, Inc, http://www.plato.com)
この企業は,もともとコンピュータ教育ソフトを開発するために設立された会社である。
現在は,コンピュータ情報教育開発を手がけて,コンピュータ情報機器を活用した教育カ
リキュラム開発とそのカリキュラム経営を,全国の教育委員会や学校から委託されている。
特に,アメリカの標準学力テスト,高校卒業資格取得,学校や地域社会での生涯学習等を
支援するための豊富な学習教材や教授方法を準備・提供している。例えば,小学校3年生
から高校2年生までの子ども学習診断を,コンピュータ・ネットワークのオンラインを用
東京理科大学助教授
伊藤
稔
いて,児童生徒の学習におけるつまずきを発見し,学習結果を向上させ,州認定の学力テ
スト・スコアを上げている。すでに,フロリダ州・インディアナ州・テキサス州等で成果
を上げている。
② 「科学学習」プログラム会社(Scientific Learning, http://www.scilearn.com)
現在の脳科学を活用して,国語である英語の読み書きが不自由であっても,コンピュー
タ情報機器を活用して,学習効果をあげるためのコンピュータ・プログラム・ソフト開発
を行っている会社である。小学校低学年において,英語の読み書きの基本的な技能を身に
付けるために, ことば即習プログラム(Fast Forward Program)」を売り物にしている。
最先端の脳科学から得られた言葉の発声法や習得法を最も効果的・構造的に学習者へ提供
している。コンピュータ情報機器を活用しながら,言葉の音声,言葉の構造,言葉のパタ
ーン等について,自動的に習得できることを売り物にしている。
③
NCS 学習」プログラム会社(NCS Learn, Inc, http://www.nn.com)
アリゾナ州に本部を置く 40年以上の歴史ある教育ソフト開発会社である。現在では,
カリキュラム開発,教育調査,教育データ・システム開発を手がけ,特に,教育ソフト・ウ
エア開発や教育オンライン・サービスを行っている。全米各地の教育委員会からの委託に
より,子どもの学習支援プログラム開発,教育効果測定,カリキュラム経営等を行ってい
る。アメリカ教育界屈指の教育ソフト・ウエア開発企業の1つである。
4.
アメリカの情報教育の課題
上記のコンピュータ情報教育企業の実践事例は,全米でも注目を集めている。そこでの
成功の秘訣は,コンピュータ情報機器の特性を個人の学習活動支援に用いたことである。
一人ひとりの子どもに対応して,それぞれの学習速度に合わせて,コンピュータと学習者
の相互作用が促進されるようにコンピュータ・ソフト・ウエアを開発し,そのソフトを学習
者の変化に合わせて,瞬時に,絶えず新しく更新していることである。
しかし,教育の本質は,人間対人間である。基本的な読み書き技能向上は,あくまでも
人間同士のコミュニケーションを円滑にするために必要不可欠な,人間が生きていくため
の能力の1つである。コンピュータ情報機器活用は,手段であり,人間の成長を支援する
道具であることを忘れてはならないであろう。
*1
アメリカ教育省ホーム・ページの中の[No Child Left Behind]で,21世紀の科学技術につての欄
(http://nclb.gov/start/facts/21centtech.html)より引用。
*2
上記と同じサイトから引用。
*3
アメリカ教育情報センター(ERIC)のダイジェストより引用。ERIC の ID 番号 ED 427777;
Information Literacy. ERIC Digest.
*4
ペンシルベニア大学ビジネススクールのヒット助教授(Hitt, Lorin M .)のサイト
(http://opim.wharton.upenn.edu/ lhitt/main.htm)から引用。
*5
ベネット(Bennett, Frederick)論文の「KAPPAN」2002年4月号(pp.621-625)から引用。