95 会員 工藤 この本を私が初めて読んだ のは、高校2年生(昭和59年) の夏休みでした。自分からこ 英知(50期) ●Hidetomo Kudo 『されど われらが日々――』 る方もいらっしゃるかもしれ ま せ ん。 た だ、 私 は 学 生 時 代にこの小説を読んで、「自 の本を選んだわけではありま 分とは何か」「人生をどのよ せん。たしか現代国語のN先 うに生きるべきか」と大上段 生が夏休みに出された課題図 に構え、大真面目に考え、思 書でした。当時、この本を読 い悩んだのです。その後、仕 んで、自分とは何か、自我を 事をするようになり、日々の 初めて自覚させられました。 生活・仕事に追いかけられま 今でも「この一冊」と思える 柴田 翔 著 文春文庫 583円 (税込) 本です。 「されど われらが日々― した。そのような日常の中で は、このようなことをゆっく り考える時間も余裕もなくな ―」は、昭和39年第51回芥川 り ま し た。 こ の よ う な 問 題 賞受賞作品です。昭和30年前 に悩まないですむということ 後の学生運動のころを時代背 主人公の婚約者節子が主人公 は、それはそれで幸せなこと 景とした小説です。私が生ま 宛に書いた手紙の中に、次の だったのかもしれません。い れる前の時代で、私はこの学 ような一節があります。「佐 くら考えて思い悩んでも、こ 生運動の時代や考え方をよく 野さんの遺書が私の手にもた れで納得、というような答え 知りません。また、友人と、 らされた夜、私がその遺書を は出なかったです。せいぜい この時代や学生運動のことを 開いた時、その中の「死に臨 自分らしく生きようとか、毎 深く話題にすることも殆どあ ん で、 自 分 は 何 を 思 い 出 す 日一生懸命生きようとか、抽 りません。この時代を知って か」という問いは、木の肌に 象的な答えしか思いつきませ いる方からこの時代につい 打ち込まれるのみのように、 んでした。しかし、逆に、人 て、じっくりとお話を聞かせ 私の心に突きささりました。 生の問題を考えずに日々生活 ていただけたらと思っている それはあたかも私に向けられ することは、限りある人生を くらいです。ですので、この た問いであるかのようでし 無駄に生きていることなのか 小説の本当の意味を分かって た。そして、それへの答えを もしれません。なので、答え いないかとは思います。それ 探した時、私は自分がそのお が出なくとも、自分の人生に でも、人生について、自分の そろしい問いへのどんな答え ついて考えること自体が意味 存在について、初めて哲学的 も持っていないこと、持って のあることなのだと思ってい なことを自覚させられ、考え いるはずのないことを理解し ます。そういうことを考えさ させられた小説でした。 ました。そして、それと同時 せる一冊です。 この小説は全体のストーリ に、私は自分から去ろうとし 十年後二十年後に、また読 ーとしても考えさせられます ない疲労感の意味を知ったの みたいと思います。 し、いたる所に考えさせられ です。」 る箇所があります。例えば、 青臭さベタベタだと評され 52 NIBEN Frontier●2015年5月号 D10888_52-53.indd 52 15/04/08 14:55
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