海事クラスターの歴史分析:2014 年度報告書

海事クラスターの歴史分析:2014 年度報告書
1.はじめに
日本は世界でも有数の海運業・造船業を有しており、その関連産業も多岐に及んでい
る。「海事クラスター」とは、海運業、造船業を中心として関連産業とのつながりを明
示的にとらえ、これらの産業を一つの「かたまり」として把握する考え方である。海事
クラスターは単なる個別業種の集合体ではなく、複合体、総合体として把握、認識され、
その発展を目指すためにはできるだけ具体的なかたちで現状をつかむ作業が必要とな
る。
海事クラスターの経済規模の現状をつかむ目的で(公財)日本海事センターは2012
年10月に調査を行い、報告書を公表した((公財)日本海事センター, 2012)。しかし
ながら、同報告書は直近の規模を算出するにとどまっており、これまでの歴史的な経緯
や動向を探るにはさらなる調査が必要である。本稿は、同報告書で提示された計算方法
に基づき、海事クラスターの経済規模に関する1980年から2005年までの25年間の推移に
ついて分析を行う。以下では、海事クラスターの概念や海外での事例、国内総生産(付
加価値額)、従業者数の点から海事クラスターの規模に関する計算方法を説明したうえ
で、1980年から2005年の産業連関表を用いて、日本の海事クラスターの規模の推移につ
いて述べる。
2.海事クラスターの概念
海事クラスターの概念は経営学者マイケル・E・ポーターによる産業クラスターに関
する考え方が背景にあり1、その考え方は1980年代には提示されている。彼は、産業ク
ラスターについて「特定分野における相互に密接な関係を有する企業、それらに向けて
特化された部品やサービスの提供者、それらに関連する企業、大学・規格団体・業界団
体などの関連機関が地理的に集中し、競争しつつ、同時に協力をしている状態」と定義
している。つまり、産業クラスターは特定の産業に関連する企業、大学、研究機関など
が一定の地域に集まることから生まれると考えている。
産業クラスターに属する各機関は、取引関係や競合関係、資本関係だけでなく、知り
合いであったり地縁があったりといったさまざまなネットワークを形成しつつ各々の
活動を行っていく。さらには地域内での人材の流動や知識のスピルオーバー(溢出)2、
暗黙知の共有・活用を通じて生産性の向上やイノベーションの創出が進み、地域におけ
1
以下の説明は杉山(2001)および松田(2013)の内容を大きく参考にしている。
スピルオーバー効果は費用を負担した者に提供されるはずの便益が費用を負担しない者にまで及ぶこ
とを指す。海事クラスターなどの場合、イノベーションや新しい手法を獲得するために投資、研究などを
行ってきた企業だけでなく、ほかの企業(同じ業種とは限らない)にも成果が伝わってしまうことを意味
している。
2
1
る産業の競争力を高めていくことになる。ポーターもこの点について「互いに結びつい
た企業と機関からなるシステムであり、その全体としての価値が各部分の総和よりも大
きくなるようなもの」と述べている。
産業クラスターの例でもっとも有名なものは米国カリフォルニア州のシリコンバレ
ーであろう。もともとは卒業生が東部へと流出してしまうことを防ぐことと大学の財源
確保のために、スタンフォード大学のフレデリック・ターマン教授たちが中心となって
開始した工業団地計画が始まりとなっている。1951年にキャンパス南部の用地300ヘク
タール程度をインダストリアルパークとして開発を進め、企業に用地を貸し出す事業が
今のシリコンバレーの嚆矢となった。また、大学による卒業生の起業支援、教員のスピ
ンオフによる創業など、大学を中心に企業の立地が進んだ。さらに、技術者のスピンオ
フもあって、キャンパス内のリサーチパークだけではなく、周辺の「シリコンバレー」
3
に企業が集積し、産業クラスターが構築されている 。
また、スイスのヌーシャテルも有名なマイクロシステム技術に関する産業クラスター
を擁している。ヌーシャテルはもともと機械式時計産業の集積が進んでいたが、クオー
ツ時計の普及による市場縮小を余儀なくされた。しかし、大学と企業を結ぶ技術移転機
関であるスイス・マイクロテクノロジー研究財団やスイス・電子マイクロテクノロジ
ー・センターが設立され、従来持っていた加工技術を活かすことのできる新産業として
4
マイクロシステムテクノロジー、マイクロエレクトロニクス分野への移行が進んだ 。
日本でも静岡県浜松市にあるフォトンバレーなどが産業クラスターの例として知ら
5
れている 。浜松地域では、絹織物や製材が伝統的産業として発展してきた。現在は、
自動車、オートバイや工作機械、木工機械のほか、明治時代に始まった楽器産業も盛ん
となっている。浜松のフォトンバレーはこれらの既存産業を基盤としており、浜松ホト
ニクスなどの企業、静岡大学、浜松医科大学などの研究機関を中心に産業クラスターが
形成されている。
「海事クラスター」とは、産業クラスターの考え方を海事産業に取り入れたものであ
り、「船を通じたモノやヒトの輸送に関連するサービスを供給するため、経済活動を行
う海運業、造船業を中心とした産業・団体の集まり」と位置付けることができる。当時
の運輸省海上交通局(当時)は海事クラスターを「海運、船員、造船、舶用工業、港湾
運送、海運仲立業、船級、船舶金融、海上保険、海事法律事務等の業種を含み、産・官・
学等及びその連携からなる複合体・総合体(運輸省海上交通局, 2000)」と定義した。
海事クラスターでは、個々の企業や団体の活動から生じる国内総生産や雇用に加え、
内部の競争や連携によって総体としてより大きな国内総生産を創ると考えられている。
篠原正人氏は、①集積のメリットを活かした輸送コストの低減、②相互補完性の向上、
③多様なサービス・製品などの活用可能性の高まりと競争を通じたレベルアップ、④熟
3
シリコンバレー形成の経緯については、国土交通省 都市・地域整備局 大都市圏整備課(2004)『海外
のサイエンスシティにおける産学官連携の推進組織等に関する調査報告』の 7 ページなどを参照。
4
ヌーシャテルの事例については原山優子・伊藤元重(2007)「地域経済の発展と産業クラスター」総合
研究機構(NIRA)対談シリーズの 6-8 ページ(原山発言)などを参照。
5
浜松の事例については、日本貿易振興機構(2004)
『日本の地域クラスター事例調査』の 17-25 ページの
ほか、細谷祐二(2009).”産業立地政策、地域産業政策の歴史的展開―浜松に見るテクノポリスとクラス
ターの近似性について―【その 2】”,産業立地, 2009 年 3 月号の 40-41 ページなどを参照。
2
練労働者の集積、⑤知識共有とネットワーク拡大による学習、⑥リーダー企業の先導的
役割、⑦業界団体等の調整役の出現などが起こって、個別に活動を行うより高いレベル
の相互関係やそれを通じた経済効果が起こることを指摘している(Shinohara, 2010)。
海事産業に対して産業クラスターの概念がはじめに取り入れられたのは1990年代の
6
ノルウェーである 。ノルウェーには従来から海運業をはじめとして海事産業の集積が
みられていた。しかし、1980年代に入って便宜置籍船が増加してから、海運、海事産業
の社会的な影響力や経済的位置づけが低下していた。1989年にノルウェー船主協会の会
合で海運経済学者スレトモ(G.K. Sletmo) がポーターの産業クラスター論を紹介した
ことがきっかけとなり、海事関係者がアイディアを出すかたちで海事クラスターという
7
考え方が構築された(Sletomo and Holste, 1993) 。
1990年にはNorwegian Maritime Forumが海事クラスターの推進機関として発足し、船
主協会や船社、ブローカー、船級などがメンバーとして加盟している。Norwegian
Maritime Forumは海事産業、とくに海運業の重要性をアピールして活動を支援すること
を目的としており、政治・行政との対話、クラスター内での異なる産業間の協力のコー
ディネート、国際組織への参画などを行っている。
現在、ノルウェーの海事クラスターは海運、造船、舶用工業、海事サービスなどから
構成されるとされ、海運業は輸出額で同国第2位の産業(第1位は石油・天然ガス)であ
る 。また、船級協会DNV(Det Norske Veritas)の存在が大きいことも特徴となってい
る。2009年時点でノルウェーの海事クラスターは10万人の雇用、付加価値額で1,320億
8
ノルウェークローネ(日本円換算で約1兆9,642億円 )とGDPの5.5%、売上高で4,000億
9
ノルウェークローネ(同約5兆9,524億円)の規模となっている 。
その後、オランダでも1990年年代前半に海事関連産業の衰退を憂慮した運輸・公共事
業省海運・海事総局(Ministerie van Verkeer en Waterstaat, Directoraat -Generaal voor
Scheepvaart en Maritieme Zaken)がアントワープ大学のクリス・ペータース教授らに、
オランダの海事国としての現状分析と再生方策について検討を依頼した。彼らの報告書
10
では、オランダの従来の海運はオランダ籍船舶の維持、すなわち海運業に対する支援
に重点が置かれていたこと、その一方で海事産業の生み出す付加価値の70%は陸上にあ
る海事関連産業から発生していることが指摘された。このレポートの結果を受けて、自
6
ノルウェーの事例については海事産業研究所編(2001)
『欧州海事クラスター調査報告書 -英国・ノル
ウェー・オランダ-』の 26-28 ページを参照。
7
スレトモは Sletmo and Holste(1993) “Shipping and the competitive advantage of nations: the role of
international ship registers”,Maritime Policy and Management, Vol.20(3),243-255 ページにおいて、
「海運の場
合、伝統的な生産要素である労働、資本や経営資源といったものが利用できるだけでは国際市場における
成功を意味しない。(中略)国際海運においてプレゼンスを維持発展させたいと考える国や地域は生産要
素を安い価格で入手できるだけでなく、海運業を行う環境(Shipping Milieu)をサポートすることを優先
的に行うことが重要になる。海運業が生き残るためにはその基礎となる関連産業のクラスターが必要とな
る」(255 ページ)と述べている。
8
ノルウェー中央銀行ウェブサイトのデータにより、2009 年の対円レートである 1 ノルウェークローネ=
14.88 円で換算。
9
Prangerød(2011)” Short update on The Norwegian Maritime Cluster”,a presentation file of 7th Roundtable
conference of European Network of Maritime Clusters の 2 ページを参照。
10
Peeters et al.(1994).De toekomst van de Nederlandse zeevaartsector - economische impact studie (eis) en
beleidsanalyse-. Delft University Press.
3
国籍船の確保に向けた従来の海運業への産業政策から、海外からの産業立地の推進を含
む海運業の経営環境の改善を図る政策への転換がすすめられることとなった。
海事クラスターの推進を行う団体としてDutch Maritime Networkが政府のイニシアチ
ブと財政支援のもと設立され、長期的政策による海事クラスターの発展をめざし、海事
産業のイメージ改善や認知度の向上、人材の確保、イノベーション促進などの業務に携
11
わっている 。
現在、オランダの海事クラスターは海運、造船、オフショア、内陸水運、浚渫、港湾、
海軍、漁業、海事サービス、水上スポーツ産業(ヨットなど)、海事関連部品供給の11
業種から構成されるとされている。ペータース教授らの報告書では海事クラスターの中
心は海運であり、スピルオーバー効果によってほかの海事関連産業に利益がもたらされ
ることが指摘されている。なお、オランダの海事クラスターには海軍が含まれることも
特徴となっている。2009年時点でオランダの海事クラスターは13.2万人の雇用、付加価
値額で145.2億ユーロ(日本円換算で約1兆8,925億円 )とGDPの2.5%、生産額で312.6億
12
ユーロ(同約4兆744億円)の規模となっている 。
日本でも運輸省海上交通局(2000)によって、「海事クラスターの存在を把握しその
グレードアップを図ることは、海事活動を通じた付加価値と雇用を、地域において、ま
た国レベルで持続的に創出させるとともに、我が国経済の競争力向上において極めて有
13
効と考えられる 」と海事産業への新たなアプローチとして海事クラスター論が紹介さ
れたことが嚆矢となった。その後、国土交通省の下で「マリタイムジャパン研究グルー
プ」が組織されて海事産業研究所(当時)との協力のもと欧州の海事クラスター調査が
始まった 。その後、海洋政策研究財団による調査研究 が行われるなどして現在に至っ
ている。
3.過去の調査における海事クラスターの規模
個別の業種などの単なる集合体ではなく、それらがまさしく複合体・総合体である「海
事クラスター」として把握・認識され、政策などを通じて発展を目指すためには、でき
るだけ具体的なかたちで海事産業や「海事クラスター」の現状をつかむ作業が必要とな
る(杉山,2001)。しかしながら、現在でも規模を含む実態を測るための標準的定義は
なされていないのが実情である。また、このところ「海事クラスター」に関する規模の
検証自体が多くは試みられていない。今回の調査はそのような状況を解消するための試
みの一つともなっている。
日本における海事クラスターの規模に関する検証としての主なものは、2002年4月発
表の国土交通省海事局(2002)と内閣官房総合海洋政策本部(2010)および日本海事セ
ンター(2012)である。
国土交通省海事局(2002)によると、1999年度において日本の「海事クラスター」は
11
オランダの事例については前掲書(注 6)の 29-33 ページを参照。
Dutch Maritime Network(2010)” Short update on The Norwegian Maritime Cluster”,a presentation file of 5th
Roundtable conference of European Network of Maritime Clusters の 6-7 ページを参照。
13
運輸省海上交通局(2000)『日本海運の現況』の 41 ページを参照。
12
4
国内総生産額約12.2兆円で、194万人が就業しているとされる。また、内閣官房総合海
洋政策本部(2010)では2005年時点の海洋産業の規模は国内生産額で約20兆円、粗国内
総生産額約7.9兆円、従業員数約98.1万人という結果が出ている。しかし、海洋政策本部
調査の結果は水産業や公共事業の経済活動が多く含まれており、逆に、海運・造船を中
心とした「海事クラスター」を十分カバーし切れていない。また、海洋政策本部調査で
は産業連関表の雇用表を用いて従業員数を調べているため、その数が実態よりも大きく
なっている可能性が否定できない。
このほかにも2010年12月に行われた第一回新造船政策検討会において、海運業、造船
業、舶用工業の営業収入と従業員数を発表している。この資料では、海運、造船、舶用
工業で営業収入約9.5兆円、従業員数約22.8万人(二重計算含む)という数字が示されて
いる(国土交通省海事局,2010)が、これは3業種のみの数字を合計したものであり、海
事クラスターに属するほかの業種を考慮していない。
日本海事センター(2012)は既存の経済統計を用いて計算を行い、2010年における海
事クラスターの付加価値額は4.2兆円、2010年度における売上高は14.2兆円、2009年にお
ける従業員数は30.1万人と算出している。
4.海事クラスター規模の算出方法
本稿では各年の産業連関表を用いて海事クラスターの規模を算出する。そもそも産業
連関表とは、一国の経済活動の様相を、産業間の連結を主軸としてひとつの経済循環の
統計数値の見取り図にまとめたもの であり、いわば経済循環の見取り図である。この
ため、産業連関表を見れば、産業間の販路ないしは産出先がわかり、また、各産業が財
を生産するために要した費用の構成などがわかるような仕組みとなっており、この中に
は雇用者所得や営業余剰などの費用も含まれている。そして、これが最終需要の国内総
生産と連結しているところに、一国経済の循環をつぶさにみてとれるようになっている。
また、産業連関表を開発したのは1930年代、第二次世界大戦前のアメリカであるが、日
本の産業連関表の歴史は世界でも屈指の歴史をもち、日本最初の表は1951年表で、1955
年に公表されている 。
以上から、産業連関表を用いれば、産業間の構造のみならず、海運業および造船業を
中心とした産業が、他産業とどのような相互依存関係をもち、わが国の経済の中でどの
ような規模を持って活動しているのかということがつぶさに見て取れることがわかる。
次に産業連関表を用いた具体的作業について説明する。海事クラスターの規模を測る
ためには、まず、海事クラスターの範囲を定めなければならない。本論文では基本的に
日本海事センター(2012)の分類に従って計算を行った。ここでは、
「海事クラスター」
を、海運業、造船業を中核に舶用工業や港湾運送のほか、法務、金融、保険などといっ
た業種が広がる形で構成されるものと定義する。
5
海 事 産 業
中核的海事産業
水運管理
港・ターミナル
(水路情報提供等)
港湾運送
大学、商船高専等教育機関
船級
舶用工業
海事産業(中核的海事産業以外)
公務
倉庫・物流
金融
商社
法務
ブローカー・
コンサルタント
船舶関連部品・
部材供給
鉄鋼
製紙・パルプ
自動車
農産物・畜産
石油
非鉄金属
家電
電力
ガス・熱供給
水道・廃棄物
処理
その他
(水運施設管理等)
造船業
船舶修繕
卸売・小売
水運サービス
海運業
船舶管理
海事産業の関連産業
損害保険
港湾管理
人材派遣
海事産業の隣接産業
海上自衛隊
海上保安庁
海洋土木
(浚渫等)
海洋開発
漁業・水産
マリン
レジャー
調査研究
図 1:日本における海事クラスター
第一のグループは図1では濃いグレーで示される、海運業、造船業などの業種であり、
これらを「中核的海事産業」と呼ぶ。中核的海事産業は海上を経由してモノやヒトを運
ぶために必要な船舶や港湾を建造・造成し、またはそれらを直接機能させる産業を指し
ている。
第二のグループは倉庫・物流や損害保険、金融などの産業である。これらの産業は中
核的海事産業が財やサービスを提供する上で必要となる人材や資金を提供したり、中核
的海事産業が商取引を行う上で必要となるサービスを提供する業務が含まれている。図
1では薄いグレーで示されている。必要に応じて「中核的海事産業以外の海事産業」と
呼ぶこととする。
また、隣接的な分野として、海上自衛隊、海上保安庁、海洋土木などを挙げることが
できる。これらは海運や造船と同様、海を中心に(広い意味での)経済活動を行ってお
り、海事産業の隣接産業と考える。卸売などの業種も海運業、造船業など中核的海事産
業との取引を通じて利益をあげていると考えられるため、その一部は「海事クラスター」
に含まれる。これらは海事産業の関連産業として考えることができる。
本研究で用いた海事クラスター規模の計算方法は、海事クラスターに関係する業種を
特定したうえで付加価値額や従業員数を積み上げる点では国土交通省海事局(2002)や
内閣官房総合海洋政策本部(2010)の方法と通底している。また、海事産業と関連する
額や人数を抽出するために、関連業種について付加価値額や従業員数を産業連関表その
他の統計を用いて割り引く点も基本的には同じである。
上記のような方法を取るため、海事クラスターの規模を計算する場合、個別業種の国
内総生産額や従事者数のデータが必要になる。本論文では「産業連関表」(総務省統計
局)のデータを用いて、個別業種の値を計算した。
産業連関表のデータを用いて計算を行っているため、付加価値については業種別のデ
6
ータを入手でき、従業員数についても経済センサス、もしくはその前身である事業者統
計からかなり詳細な個別業種の従業員数を調べることができる。
しかしながら、問題となるのは、中核的海事産業以外では、必ずしも海事クラスター
に関連した業務だけを行っているのではない点である。この点を考慮せずに計算を行っ
た場合、海事クラスター以外での活動に従事する従業員数を加算することとなり、過大
推計となってしまう。たとえば、金融業の活動の一部も海事クラスターに含まれるが、
これらの従業員数をそのまま海事クラスターに算入すると、ほかの業務に従事する従業
員数も加算してしまうことになる。
このような問題を回避するため、各業種と、海運業と造船業との間の取引額が、当該
業種の取引額全体のうちどの程度のシェアを占めているかを求め、各業種の従業員数に
かけあわせることで海事クラスターに関連する部分を計算している。
なお、計算方法については二つ留意点がある。まずは海事クラスターの範囲について
である。日本海事センター(2012)を基に分類を行ったが、現状を踏まえ、海事クラス
ターに含まれる業種の範囲を同調査に比べて少し広く取っている。例えば、日本海事セ
ンター(2012)では農業のうち、とくに輸出入穀物に関する部分のみに着目し、穀物部
門のみを海事クラスターに含めていたが、今回は穀物以外の農業や畜産業との関連、ま
た内航海運との関係についても考慮すべく、これらも海事クラスターの範囲に含めてい
る。このため、付加価値額、従業者数ともに、日本海事センター(2012)より少し大き
な計算結果となっている。二つ目は、産業連関表の分類に関する調整である。部門分類
が異なる場合は、2000年及び2005年の産業連関表を基準に比率や取引の割合を算出した。
5.海事クラスターの付加価値額規模
付加価値額について報告する前に、まず、付加価値の概念について説明を加えてお
きたい。付加価値とは、財やサービスの生産過程で新たに付け加えられる価値を指す。
たとえばパン屋さんが 50 円で原材料を仕入れて 100 円のパンを生産した場合、販売額
から原材料費を差し引いた 50 円がパン屋さんの生み出した粗付加価値になる 。売れ
残りが生じて、パン屋さんが自分で持って帰って食べた場合、その分の付加価値はゼ
ロになる。GDP(国内総生産)は一定期間内(3 か月もしくは 1 年)に国内で生みだ
された粗付加価値の合計となっている 。
この報告書で(粗)付加価値額を求めた意図は GDP のなかで、海事クラスターに属
する産業がどの程度の大きさを占めているかを示すためである 。以後、この記事で「付
加価値」と述べた場合、粗付加価値を意味していることを注記しておく。
図 2 では 1980~2005 年における海事クラスターの付加価値額(=国内総生産)規模
を示している。1985 年は 1980 年に比べて増加していたが、それ以降 2000 年まで海事
クラスターの付加価値額は低下傾向にあった。1980 年に 6.3 兆円、1985 年に 6.6 兆円で
あったが、2000 年まで付加価値額は減少を続け、5.4 兆円となった。しかし、2000 年代前
半の海運・造船ブームを反映して、2005 年は 7.0 兆円まで増加した。GDP 比でみると、
1.20~2.75%の間で推移している。
海事クラスターの付加価値額の 7 割前後を海事産業(中核的海事産業とそれ以外の
7
海事産業の合計)の付加価値額が占めており、1980 年から 2000 年までは 7 割前後で
推移してきたが、2005 年は 8 割を超えた。2005 年は、とくに中核的海事産業の伸びが
大きく、全体に占めるシェアでは 1980 年以来過去最高となり、海運業の伸びが大きく
寄与した。
海事産業では、公務と金融業に次いで船舶関連部品・部材供給と商社の割合が高く、
とくに商社は増加傾向にある。一方、船舶関連部品・部材供給産業は、1980 年からあ
まり大きなシェアの変動はなく、中核海事クラスターの主要取引産業の一つであるこ
とを示している。また、倉庫・物流業、損害保険業、法務、人材派遣などの産業は、
海事クラスター内でのシェア自体は決して高くないが、近年増加傾向にあり、造船業、
海運業との結びつきが強まっていることを示した。その一方で、大学、商船高専等教
育機関は 1995 年以降低下傾向にある。
隣接産業の付加価値額は、1980 年には 1.5 兆円であったが、年々減少し、2005 年は
8,730 億円となっている。これは、隣接産業の 9 割以上を占める漁業関連産業の生産額
が年々減少してきたことによるものである。漁業関連産業はかつて海事クラスターに
関連した付加価値額全体の約 2 割以上を産出してきたが、1990 年をピークに徐々にシ
ェアを下げ、2005 年の総生産額は全体の約 1 割、7,750 億円となった。漁業関連産業
を除くと、海洋土木、海洋開発、マリンレジャー、調査研究のいずれも 1980 年に比べ
てシェアを伸ばしてきており、とくに海洋土木のシェアが 1980 年には 0.3%、210 億円
であったものが、2005 年には 0.8%、550 億円に伸び、これらの産業の成長と中核的海
事産業との結びつきが強まっていると言える。
8
3.00%
8000
7000
2.50%
6000
2.00%
5000
1.50%
4000
3000
1.00%
2000
0.50%
1000
0
1980
1985
1990
1995
2000
2005
関連産業
188
315
291
373
330
285
隣接産業
1527
1698
1821
1306
1094
873
海事産業
614
702
1031
956
1075
985
中核海事産業
3954
3893
3151
3182
2929
4854
GDPに占める海事クラスター
の割合
2.75%
2.17%
1.51%
1.31%
1.20%
1.57%
0.00%
図 2:日本における海事クラスターの付加価値額と GDP に占めるシェア
(1980-2005 年、単位:10 億円)
関連産業では、全体のシェアは 2 割強で推移していたが、2005 年は中核的海事産業
の伸びが大きかったため、それまでに比べて大きく低下し、1 割強となった。業種別
にみると、農業、畜産業関連産業、水道、廃棄物処理業、製紙・パルプ業は、海事ク
ラスター内でのシェアが年々高まる傾向にあったが、2005 年は低下した。また、石油
関連産業、電力関連産業、自動車関連産業の海事クラスター関連のシェアは高いまま
で維持されており、これらの業種が以前から現在に至るまで海運業にとっての重要顧
客であることがわかる。
6.海事クラスターの従業者数規模
図 3 では 1980~2005 年における海事クラスターの従業者数規模を示している。
1985 年まで海事クラスターの従業者数規模は増加していたものの、以降は一貫して減
少を続けた。従業者数は 1980 年に 43.1 万人、1985 年に 53.0 万人であったが、2005 年には
35.6 万人まで減少した。日本全体の労働力(国勢調査データに基づく)と比べると、0.58
~0.91%の間で推移しており、付加価値額同様海事クラスターに基づく従業者数は低下
9
傾向にある。ただし、付加価値額は 2005 年に上昇に転じたが、従業者数は上昇に転じ
ていない点で異なっている。
1.00%
600
0.90%
500
0.80%
0.70%
400
0.60%
0.50%
300
0.40%
200
0.30%
0.20%
100
0.10%
0
1980
1985
1990
1995
2000
2005
関連産業
25
30
28
30
21
22
隣接産業
48
64
52
60
49
44
海事産業
94
97
105
88
82
73
中核海事産業
265
339
308
300
228
218
0.78%
0.91%
0.77%
0.74%
0.59%
0.58%
従業者数に占める海事関連従業者
の割合
0.00%
図 3:日本における海事クラスターの従業者数と日本の全従業者数に占めるシェア
(1980-2005 年、単位:1,000 人)
海事クラスターの従業者数の 8 割以上を海事産業(中核的海事産業とそれ以外の海
事産業の合計)の従業者数が占めている。1980 年以降中核的海事産業と海事産業の従
業者数は減少しており、とくに海運業の従業者数は 1985 年の 8.8 万人をピークに減少
傾向にある。港湾運送業と造船業の従業者数も 1995 年以降減少に転じている。中核以
外の海事産業をみると、全体のシェアでは大きな変動は見られないが、産業別に見る
と、船舶関連部品・部材供給産業と大学、商船高専等教育機関の従業者数は 1980 年以
降減少傾向にある。とくに、船舶関連部品・部材供給産業では、非鉄金属、金属製造
業及び電気機械製造業の従業者数が減少している。
隣接産業の従業者数は全体の約 1 割であり、1980 年以降ほぼ横ばいで推移してきた。
隣接産業全体の 9 割以上を占める漁業関連産業の従業者数は、1995 年以降減少し、2005
年は 3.5 万人であった。漁業関連産業を除くと、海洋土木が 1990 年以降増加傾向にあ
る。
関連産業は、2000 年以降若干シェアを下げたが、1980 年以降ほぼ横ばいで推移して
きた。全体として、石油関連産業、製紙・パルプ関連産業、小売関連産業など 1990 年
10
以降従業者数が低下に転じている産業が多い。
7.おわりに
日本の海運業、造船業は、1960 年代から 1970 年代にかけての高度経済成長期を通じて、
輸出を中心とした海上貨物量の増加と技術革新によって、世界市場において大きなシェア
を確保するまでに成長した。
しかし、1980 年代前半には定期船・バルカー・タンカーの「三部門同時不況」が起き、
さらに、1985 年のプラザ合意は海運業にとって大きな環境変化をもたらした。こうした中、
日本船社は、便宜置籍船化や費用のドル化など様々な対策を講じて収益の維持に努めた。
90 年代には製造業の海外展開が進展し、三国間輸送の比率も上がっていった。中国をはじ
めとしたアジア諸国が、金融危機はあったものの成長の時期を迎える一方、日本の経済状
況は芳しくなく、それに合わせて海事クラスターを取り巻く環境も変化した。
一方、平均で 10%を超える経済成長率を続けてきた中国では、石油や鉄鉱石などの輸入
需要が増大し続けており、2003 年頃から米国でも住宅市場はバブル期に突入する。こうし
た米国、中国経済の好調が世界的な海運・造船ブームの原動力となった(Stopford, 2009)。
日本の海運業や造船業もこの恩恵を受けることとなった。この状況は 2007 年のサブプライ
ム問題を端緒とした不況に転じるまで続いた。
こうした海事クラスターを取り巻く環境の変化の中で、日本の海事クラスターの規模は
どのように推移してきたのかを見るために、本稿では、1980~2005 年の産業連関表を用い
て、日本の海事クラスターと他産業との関わり合いを中心に、その変遷を追った。
付加価値額を見ると、1985 年は 1980 年に比べて増加していたが、それ以降 2000 年
まで海事クラスターの付加価値額は減少傾向に転じた。1990 年の日本経済は円高不況
後のバブル景気を経て好調であったが、海事クラスターの付加価値額は 1985 年と比べ
て減少している。GDP 比は 1985 年の 2.2%から 1990 年には 1.6%に低下した。従業者
数にも同様の傾向が見られている。プラザ合意のあった 1985 年が海事クラスターにとって
大きな曲がり角となった点や、一方で 2005 年には海運・造船ブームもあり、付加価値額は
増加したものの、従業者数は増加せず、より少ない従業者で効率的に利益を得る構造へと
変化した点を、数値の推移を通じて確認することができた。
しかしながら、今後さらなる精緻化に向かって対処していかなければならない問題
も残っている。まずは、海事クラスターに属する業種の決め方、つながり方である。
今回は海運・造船を中心に中核的海事産業を定め、海事クラスターの範囲を所与のも
のとしてその経済規模を求めた。海事クラスターの範囲は分析を行う側の状況に沿っ
て変わってくる。本研究で定められた海事クラスターの範囲は運輸省海上交通局(2000)
に比較的近いが、先述したとおり内閣官房総合海洋政策本部(2010)とはかなり異な
る14。しかしながら、今後は海事クラスターの範囲を定めたうえで、どの業種をクラス
ターに入れ、どの業種を外すかについてもさらなる検討が必要になる。たとえば、港
14
海事クラスターの範囲は国によっても異なる。たとえばオランダの海事クラスターでは
海軍が含まれている(松田, 2013)。
11
湾建設や海洋事業に関する付加価値額や従業員数については本稿の方法では過小計算
となっている可能性が否定できない。海洋事業については大きな注目が集まっている
こともあり、今後改善を進めていきたいと考えている。
また、今回の調査では 2005 年までを用いて分析を行ったが、とくに 2008 年を経過
した状況で海事クラスターにどのような変化があったかを調べる必要がある。日本海
事センター(2012)でも 2010 年の値までの調査を行ったが、ベースとなったのは 2005
年の産業連関表であり、近年の変化をとらえきれていない可能性があることは否定で
きない。今後は 2011 年の産業連関表は 2014 年 12 月に速報が公表される予定となって
いる。データの更新後に算出結果を更新していく必要もある。
次に留意すべき点は、異なる企業が取引関係を持つことで生じるシナジー(相乗)
効果や海運業や造船業などが日本にあること、一定の地域に海事関係の業種が集まる
ことにより、ほかの企業の付加価値を高めるスピルオーバー(溢出)効果の計測であ
る。これらの効果は海事クラスターの特長といえるが、今回の調査でも測定ができて
おらず、今後に向けた大きな課題として残されている。海事クラスター以外でシナジ
ー効果やスピルオーバー効果の測定を行っている研究は多く見られるが、日本の海事
クラスターについてはまだ見られていない。今後はこれらの知見を活かしつつ検証を
進めていきたい。
参考文献
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オランダ―、2001 年 3 月
海洋政策研究財団(2006)『
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究報告書』
、2006 年 3 月
国土交通省海事局(2001)『海事レポート』平成 13 年度版、2001 年 7 月
国土交通省海事局(2002)『マリタイムジャパンに関する調査』、2002 年 7 月
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(http://www.mlit.go.jp/maritime/committee/ShinZosenSeisakuKentokai/1st/3_genjo.pdf,
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法人山縣記念財団、2001 年
(公財)日本海事センター(2012)
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国民経済計算、法人企業統計、経済センサスを利用した調査結果―』
内閣官房総合海洋政策本部(2010)
『海洋産業の活動状況及び振興に関する調査報告書』
、
2010 年 3 月
日本貿易振興機構(2004)『日本の地域クラスター事例調査』
原山優子・伊藤元重(2007)
「地域経済の発展と産業クラスター」総合研究機構(NIRA)
12
対談シリーズ
細谷祐二(2009).”産業立地政策、地域産業政策の歴史的展開―浜松に見るテクノポ
リスとクラスターの近似性について―【その 2】”,産業立地, 2009 年 3 月号
松田琢磨(2013)日本の海事クラスターの規模について,2013 年 3 月, 船長(日本船長
協会)130 号
Dutch Maritime Network(2010)” Short update on The Norwegian Maritime Cluster”,a
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Peeters et al.(1994).De toekomst van de Nederlandse zeevaartsector - economische impact
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Prangerød(2011)” Short update on The Norwegian Maritime Cluster”,a presentation file of 7th
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Stopford, M. (2009) Maritime Economics 3rd Edition, Routledge, (日本語訳:マリタイ
ム・エコノミクス(上巻)
((公財)日本海事センター 編訳)2014 年)
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