フィロス第39号発行 - 伊勢市国際交流協会

第 39号
伊勢市国際交流だより
平成 16(2004)年 3 月発行
ΦΙΛΟΣ
伊勢市国際交流協会
TEL 0596-21-5549
FAX 0596-21-0010
ΦΙΛΟΣ「フィロス」はギリシャ語で友情・友達の意
新しい枠組みと国際的こころ
会
長
岩 本
忠
今世紀に入って 4 年目、世界は随分と変わった。ほんの数年前、私たちは来たるべき世紀にむけて
様々な期待をもった。いわく、「20 世紀は物質の時代、新世紀は心の時代になる「戦争の世紀から平
和の世紀に」、「世界は一つになる」などなど。
咢宗派同士が、国家という権力を取り合って抗争を繰り返している。また、私たちの近くでは、一
宗教団体がサリンをもち、小さな国が核物質精製に努めている。物資と情報がいとも簡単に動かせる
時代になったからである。
そもそも国家は、政治により意志決定されたことがらを内には行政で外には外交でもって実現する
人為的な仕組みである。もとより万人がその意志決定や実行に参加することができないから、限られ
た人たちにそれを委ねることになる。その付託行為に権力が発生する。権力は然らざる人の手に渡る
と、人為的な要素が恣意的になって、独り歩きをはじめ、本来の付託とは違った面で権力が行使され、
争いや不和が生じる。
世界の枠組みが変わった。二大国家の拮抗の力学から解放されたはずの昨今、あちこちに新しい争
いが生じている。人間の心を救うはずの宗教が原因となって、数多くの戦争がある。実のところ、宗
教の成熟度にも問題がある。経済も然り。人や物の往来が激しくなり、他者との共生が増えると、個
人や家庭、社会のレベルに格差が生じる。当然、治安は悪化する。こうしてみると、「人類はいつま
で愚かなのであろうか」と嘆かわしく思う。
わが日本は、平和を希求する理想憲法をもち、不文律の現実憲法を運用しているようである。その文
言と運用との整合性はあまり論じられない。日本は今後どのような枠組みに到るのであろうか。
国際交流に関わる者は、国、民族、言語、文化の違いを超えた心的境地において、相手を認め理解
し交際をする。私たちはそのように心がけている。「私たちは皆んな友達」という崇高な友愛精神を、
仲間うちだけでなく、「博愛」として全人類に拡げるのである。一言でいえば「優しさ」である。こ
の精神をもってこそ私たちの存在意義がある。
まず、私たちの近くの町や村には、同じ仲間がいる。この共通の理念をもって、手を広げ、普遍性
を追求しよう。私たちはこのような哲学をもつのである。
(2004-III-15)
2003 年度国際理解連続講座
11 月 24 日(祝)伊勢商工会議所(49 人参加)
「地球市民として生きる」
第1回「暮らし発、戦争のない未来」
講演
田 中
優さん(日本国際ボランティアセンター理事)
戦争に勇気や正義などありえない
戦争は人間がやりうる最も卑劣なこと
最初に田中優さんが訪れた各国の戦争の爪あとをたくさんのスライドで見ました。戦争に勇気や
正義などはありえない、とにかく卑劣に生き延びること、人を殺していくこと、あやしいものを殺し
ていくこと、それが戦争の現場です。戦争は人間がやりうる最も卑劣な行為の連続だと思います、と
語られました。
アメリカは、フセインが大量破壊兵器を持っているという理由で攻撃をしましたが、アメリカが
使った兵器は放射能兵器「劣化ウラン弾」、重さ 8 トンの「デイジーカッター」、地下深くまで到達し
て爆発する「バンカーバスター」、両方とも劣化ウランを使っています。その他、上空で 200 個にば
らけ、それぞれがパラシュートで落ちてきて地表近くで爆発する「クラスター爆弾」を使いました。
大量破壊兵器を使ったのはまさにアメリカでした。
イラク攻撃をしたアメリカが、最初につくった表向きの理由は、「イラクが大量破壊兵器を持って
いる」ということでした。しかし、イラクで大量破壊兵器はみつかりませんでした。では、イラク攻
撃の本当の理由は、別のところにあるはずです。戦争を止めようと思ったら、原因をつきとめなけれ
ばいけません。
戦争をガン発病にたとえてみましょう。ガン発病には、発ガン物質「イニシエーター」とガンを
成長促進する「プロモーター」が必要です。ラムズフェルドのようなネオコンとよばれる人、新保守
主義とかキリスト教原理主義の人々は「プロモーター」です。では発ガンにあたる「イニシエーター」、
戦争の要因は何でしょうか?「エネ・カネ・軍需」であるといえます。
戦争の要因「エネ・カネ・軍需」
∼エネルギーについて∼
アメリカが油田地域から石油を買いアメリカに運び出すためには、地図を見てみると、インド洋
から出すしかありません。そのためにはアフガニスタンを通らなければなりません。アメリカの「ユ
ノカル社」がパイプラインを敷設することになっていましたが、タリバン政権が承認しませんでした。
「9.11」の 2 ヶ月前のことです。アメリカが「9.11」の「報復攻撃」という形でアフガンを爆撃し
てから 4 ヶ月後に、なんと、パイプラインの計画が復活しました。
イラクは世界第2位の石油埋蔵量があります。そして各地の紛争地、たとえばインドネシアのア
チェ、東チモール、コロンビア、中国のウィグル自治区、フィリピン・ミンダナオ島、ロシアのチェ
チェン、といった地域の下には必ずといっていいほど油田があるのです。イラク攻撃を考えても、ま
た各地の紛争地をみても、「油田との関係」が不思議と浮かび上がってきます。
イラク戦争後、それまでイラクの油田の石油を買う権利をもっていたロシア、中国、フランスは
追い立てられました。油田は一旦国有化して、その後アメリカの石油会社が受け取ることになりまし
た。どうみてもこの戦争には石油が絡んでいるとしか考えられません。
私達は石油がなければやっていけないのでしょうか?
この 30 年間で日本のエネルギー消費量は増えました。しかし有効な需要はあまり増えていません。
つまり損失した「無駄になったエネルギー」が増えたのです。これは電気料金のしくみと関係があり
ます。
日本で電気使用量がピークになるのは、「夏場」「平日」「午後 2 時から 3 時の間で気温が 31 度を
越えた時」だけです。そのピークだけを下げるように対応すれば、解決します。
そこで、ピークの需要を分析すると、ピークの 9 割を作っているのは産業需要ということがわか
ります。同じ一月の中で、家庭では、電気を使うほど単価が高くなり、電気代を増やさないために省
エネしようとします。ところが、産業では使えば使うほど、単価が安くなるしくみになっています。
この電気料金のしくみが、産業が無駄なエネルギーを消費する原因になっています。電気料金のしく
みを変えれば解決できるのです。
また私達ができる省エネ策の一つに家電製品の買い替えがあります。電力消費の四天王は、エア
コン、冷蔵庫、照明器具、テレビです。これらを省エネ製品で使うことで、かなりの省エネができ、
電気代も安くなります。買い換えるとゴミが出ると心配する人もいますが、省エネ製品に一度買い換
えたら、末永く使うほど、電気代が得をしますし、また末永く使うことで、結局ゴミも減らすことに
なるのです。
省エネができたら、エネルギーを石油に頼らなくても、自然エネルギーで、充分今までと変わら
ない生活が実現できるのです。石油を奪う必要はなくなります。
戦争の要因「エネ・カネ・軍需」
∼軍需について∼
世界で最も多く軍事費を出しているのはアメリカです。今アメリカの軍事費は非常に増えてきて
います。アメリカは軍事費だけで 48 兆円だしています。これは日本の国家予算 40 兆円を越えていま
す。そしてアメリカの労働者 20 人に 1 人が常に軍需企業に勤めています。面白いことに、軍需企業
の重役は、石油企業の重役を兼任していることが多いのです。
世界最大の投資会社「カーライル」は軍需産業の株で大成功をおさめています。軍需産業の株は
一般の人は買いませんよね。政府しか買いません。この「カーライル」の顧問はブッシュの父親です。
父ブッシュが株を買い、息子のブッシュ大統領が発注すれば、父は間違いなく大もうけができるとい
うしくみです。
もしアメリカをはじめとする世界の軍事費を、他のことに使えたら?
1 年分の軍事費でたくさんのことができます。途上国の借金が帳消しにできます。(昨年度の田中
さんの講演で、「途上国」の人々は「構造調整プログラム」という「先進国」が決めたルールのため
借金地獄に苦しんでいるというお話がありました)。
世界中の兵器を廃棄すること、地雷撤去、義足、難民用テント、安全な飲み水、保健衛生、すべ
て一年の軍事費でまかなえるのです。もしこの軍事費をまともな方に振り向けたならば、世界の諸問
題が解決した未来は間違いなく可能です。
戦争の要因「エネ・カネ・軍需」
∼カネについて∼
アメリカでは、戦争をするために、2001 年 9 月から 15 兆円まで借金が増えました。そして日本銀
行はアメリカの国債を買ってあげました。この国債を買うために、お金のない日本政府は短期国債を
出して、お金を集めました。その国債のほとんどを買ったのが民間銀行でした。つまり銀行に預けて
いる私達のお金が使われたのです。私達は、口では戦争反対と言っていても、お金で戦争を支えてい
ることになります。私達がお金の使われ方に鈍感でありつづけると、口で言うことではなく、おカネ
で表現したことが現実になってしまうのです。未来のために、自分達の貯金をどうするかを真剣に考
えなければなりません。
田中優さんは、10 年前に市民事業のための非営利のバンク「未来バンク」を設立しました。現在
貸し倒れゼロ、貸倒引当金は 700 万円。全国でも注目され、各地で市民のバンクづくりが始まってい
ます。北海道NPOバンクができ、また、坂本龍一さん、桜井和寿さんたちがアーティストパワーバ
ンクをつくりました。
軍需産業他、「途上国」の人権侵害を招く「グローバル企業」に資金が流れるのを防ぐことを考え
ることが、今非常に大切なことです。
今はお金のために働かされるという構造になっていますが、中間法人としての非営利ビジネスを
つくることで、行政、産業と対等の市民セクターを築くことができます。行政、産業それぞれ必要で
すが、市民セクターができることで、お互いがチェックしあい、バランスをつくることができます。
私達が、ひとつひとつていねいに取り組むことで「戦争を避ける」という未来を目指すことはで
きるし、実現可能なのです。
田中さんがお話して下さった膨大な情報をすべて書ききれず、荒っぽいまとめになってしまいま
した。
最後の質疑応答、意見交換の時間でも、田中優さんと参加者の皆さんとで、いろいろな意見を行
き交わせることができました。ていねいに答える田中さんの言葉に、日々いろいろな人と接し、試行
錯誤している地道な活動の裏側がうかがえました。
1 月 25 日(日)伊勢商工会議所(41 人参加)
第 2 回「私にとっての日本―故郷とのわかれ、
水俣の人々とのであい、そして今―」
講演
アイリーン・美緒子・スミスさん(グリーンアクション)
アイリーンさんは父親がアメリカ人で母親が日本人です。子どもの頃、通っていた日本の国際学
校ではクラスメートは皆国籍がちがっていました。中学時代、父親とともにわたったセントルイスの
学校では、多数が白人でした。東洋人である自分が恥ずかしく思いました。アジア人としての誇りを
持つ反面、他のアジアの国の人と間違えられることにも憤りを感じました。人間は、どんな文化の人
でも、自分の中に劣等感と優越感を持っているもの。自分の中の内なる異文化を感じました。またセ
ントルイスの学校では、白人と黒人は隔てられていました。この見えない壁を越えることこそが自分
の課題でした。
アイリーンさんにとって、子どもの時の、様々な立場の人々との出会いが、「公平、不公平」とい
うことなどを考えさせる土台になりました。また自分の「故郷」としての日本を、世界の人に良く思
ってもらいたいという思いがあります。自分も故郷が大事だから、他の人にとっても故郷は大事です。
これは、国家同士が相手をやっつける、ということには決してつながらないことです。
学生時代に、有名な写真家ユージン・スミスさんと写真展のアルバイトで出会い、結婚し、再び、
日本へ戻ります。二人で、水俣の人々を写真にとるためでした。国や企業と裁判で闘う厳しい状況に
いる水俣の人々に、とても多くのことを教わりました。それは「皆で一緒になって、一生懸命にやれ
ば必ず勝てる、認められる」ということです。このことは、自分にとって絶対に消えない宝物になり
ました。
国は、水俣病患者が出て以後も、なかなか漁の規制をしませんでした。規制をすれば、責任を認
めることになるからです。漁師が自己規制しただけだったので、被害はどんどん広がってしまいまし
た。国はいまだにその責任を認めず、今も裁判が続いています。国は上告して裁判を延ばし続け、そ
の間に患者は死んでしまいます。スライドの写真、これらは過去の写真ですが、現在の問題なのです。
現在、日本のプルトニウム政策に危機感をもっています。核兵器の材料になるプルトニウムをエ
ネルギーとして商業利用することは、恐ろしいことです。賛成・反対の立場に関係なく、エネルギー
としてプルトニウムの有効性が全くないということは事実です。未来に向けてたくさんの宿題がある
のに、それをせずにいる。もっと他にするべき研究開発があるのに、それも隅に追いやられています。
先が大変です。
紙面が足りず、すべて書ききれませんが、アイリーンさんの、人間をみる深い眼差し、鋭い感
性、公平な立場で物事を考える姿勢が染み込むようになった生きざまが、ぐんぐんと伝わってくる、
とても本質に迫ったお話でした。
ベナム川を望むバンコクの地を訪ねて
三 宅
春 子
平成 15 年 12 月、6 日間の日程でタイを訪れました。
一日目の観光は王宮エメラルド寺院、大理石寺院等から始まりました。この王宮は 1782 年建設さ
れた国王の宮殿で、即位式の建物、王宮守護院のエメラルド仏寺院のほか、宮内庁などの建物が、四
方を長さ 1,900 メートルの壁に囲まれた面積 218,000 平方メートルの敷地内に建てられています。
1782 年ラーマ一世は即位後チャ オプラマーの河の西側にあるトンプリーは、王宮として相応しない
と考え、対岸東側のバンコクへと遷都しました。トンブリーはアユタヤ(世界遺産)の陥落後、15
年間タークシン王の都でした。ラーマ一世は宮殿のほかに行政を司る各種省庁なども王宮内に建てら
れました。ドゥースイット マハー プラー サート宮殿とプラマハー モンティ エン建物群は王宮内
に最初に建てられたそうです。
ほかに、ウィ アーン メーク宮殿と附属博
物館、スアンパツカード宮殿、バンコク競馬
場、インド人街の観光や、バークローン市場
散策(フラワー市場)、象さん乗り、タイガー
と写真を撮ったり、貴金属、タイシルク民芸
品の実演を見たりしました。あちらこちらと
見て歩いていると、学校前に来ました。ガイ
ド通訳のウィ チャイ ペーチャ ルーソ チィ
さんが「これはバンコクでも有名な中学校で
す。」と説明して下さいました。「タイでは 6
年生までが義務教育で、中学校以上は進学校
として希望者は受験できますが、多くは家庭
の都合上行けない子供がいます。」と聞いた時、どこの国においても大なり小なり同じことが言える
のではないかと心さみしく感じました。しかしガイドさんがこの中学校の下校時、1 グループに接し
日本語の紹介と通訳の橋渡しをしていただいたお陰で、交流を持つことが出来、自分のフリータイム
を利用し日本語の勉強を基に、たがい国との話し合いを楽しみながら交流ができました。学習最後の
日には折鶴を作品として皆様に折ってもらいました。その時の様子を観察していると真剣そのもので
私はうれしく思い、又新しい発見をすることの喜びに満ち、そしてこれが国際交流の場であったこと
を深く感謝し、学生さん達とお別れしました。
翌日、私はオプショナルツアーで水上マーケットに出かけました。川岸に沿って立ちならぶ家々、
水上での生活、営みを目にした私は、原始時代を思い起こしました。ここでは家財道具に大切に保管
されているものが家の空地に大つぼ、水がめ、小船等が見られました。これらは生活にかかすことの
出来ない物で、雨水をため飲み水に利用をするための容器で、洗濯は川の水。タイの水は淡黄土色で
一見知らない人は汚染と間違えるでしょう。だがその色はタイの自然の色だと語ってくれました。気
象、地水の関係により変わるものなのでしょうか?船は陸に上がる時の交通船で、小さい子供達が上
手に漕いでいました。水上マーケットに着くと観光客でいっぱいの人出。数々の品が陳列されて私達
の目を引いてしまいました。私も一寸めずらしい民芸品を買って来ました。
終わりになりましたが、今回の旅は、タイ、バンコクの古代文明、歴史、自然、伝統民族を感じる
充実したぬくもりの旅でした。そしてすばらしき時代に建てられた世界文化遺産として数多くの宮殿、
仏寺院を拝観できましたこと誇りに思っております。今後もなお一層、国際交流に目を向けて内外と
もに喜び合える平和な国々でありますよう祈念いたします。
南米を旅して
伊勢市国際交流協会員
中山
長子
足元から突き上げる様な轟音と崩れをうって落下する水の壁!ここはかの南米イグアスの滝です。
もうずっと以前から何時か訪れたいと希っていた世界最大の滝。“悪魔の喉笛”と呼ばれている滝つ
ぼからほとばしり流れ落ちる水のかたまり!小船に乗って近づけば木の葉の様に翻弄され、頭上から
は水がしたたり落ち、眼前に虹が迫ります。絶叫と共に興奮の坩堝に!巾 3 キロメートルにわたって
およそ百数十の滝がある壮大な風景です。
2003 年 11 月半ば成田よりシカゴ、マイアミを経て南米チリのサンチャゴへ到着、そこからクリス
タル、シンフォニー号へ乗船。いよいよ船旅の始まりです。船は南へ向って出港し船長主催の華やか
なウエルカムパーティの翌日チリのプエルトモンへ入港しました。港の一隅にある地元の小さなレス
トランで言葉もわからぬまま身振り手振りで雲丹や鮑にありつきました。船上では連夜のSHOWや
ダンスパーティー優雅なディナーなどを楽しみつつフィヨルドを旅して 4 日後にチリのプンタアレ
ーナスに上陸。ここまで来ると気温はぐんと下がり摂氏 1 度前後です。街にはマゼランの像があり学
生時代の歴史の授業を想いだしました。昔はとても栄えた都会だったのにパナマ運河が完成したが故
に今はさびれています。があちこちに栄華の跡を見聞しこの世の栄枯盛衰を肌で感じました。
翌日はアルゼンチンのウシュワイアへ入港。その昔は荒涼たる土地に監獄が建てられ囚人が流刑
されていたそうですが今は、南極に一番近い基地になっています。翌 11 月 28 日は南米最南端の地ホ
ーン岬を無事に通過しました。次の日はイギリス領であるフォークランド諸島のポートスタンリーに
入港です。こんな最果ての地にも立派なカソリック教会があり美しいステンドグラスの窓や手の混ん
だ刺繍のクッションなど心暖まるものを目にしました。12 月 2 日ウルガイのモンテビデオを訪れ地
元のビックな肉料理を堪能しました。ここは皮製品が豊富で安価なのでおみやげに財布などを買い求
めました。翌 3 日は、いよいよブエノスアイレスに着き下船しました。当地はなかなかの都会で素敵
なお店が沢山ならんでいました。夜は本場のタンゴショウを見物に。とても雰囲気のある会場で正装
のウェイターのもてなしで 400gのステーキディナーで幕をあけました。やがてタンゴのダンスがは
じまりそれは筆舌に尽せないほどすばらしいものでした。一糸乱れぬ足さばきの群舞、また怪しいま
でに美しいカップルのタンゴは今も脳裡に焼きついています。そして 12 月 5 日遂にあのイグアスの
滝へと機上の人となったのでした。
南米はほんとに遠い国でした。70 才を過ぎての大旅行?!いささかの不安もありましたが何とか
無事に楽しくクリア出来たことが嬉しく、この機会を与えられた事を感謝しています。
遂に見た
イグアスの滝逆巻きて
こみあぐ想い
この身貫く
1 月 31 日(土)∼2 月 1 日(日)於:商工会議所(参加者49 名)
日本語指導ボランティア養成講座に参加して
高 橋
信 子
日本語ボランティアに関わってまだ半年ほどですが、今
まで何度かこういった講座に参加させて頂いたことがあり
ます。実際にボランティアとして携わるようになってから
聞くと、改めていろんな発見があり、同じ内容でも忘れて
いる部分も多く、違う角度から再確認、再勉強させて頂く
ことができました。
色々なテーマのもとに講義を頂きましたが、どの講師の
先生のお話の中にも、ボランティアという言葉の持つ意味、
その意義といった教える側のスタンスやあり方が盛り込ま
れており、自らの研究、あるいは工夫を怠らずに努力され
てきた先生方の熱意に感銘を受けました。また、具体的な
教材や教具の提示、実際の授業展開、分かりやすく教える
てきた先生方の熱意に感銘を受けました。また、具体的な教材や教具の提示、実際の授業展開、分か
りやすく教えるためのヒントなど、本当に今回の 2 日間の養成講座はバランスよく、実践的な講義ば
かりで、大変充実した内容の濃いものだったと思います。
自分の教え方に少しでも自信を持てるようになるのはまだまだ先のことになると思いますが、「常
に学習者の立場にたち、学習者が分かりやすいように」という各先生方の姿勢を肝に銘じ、少しずつ
前進していければと思います。ありがとうございました。
日本語教室交流会にぎやかに開催
2 月 26 日(木)午後 7 時。
いつもは静かなサンライフ伊勢が、今
晩はとてもにぎやかです。ベトナム、韓
国、中国、カナダ、アメリカなどいろん
な国の人たちやボランティアが 40 人ほ
ど集まって、ハッピを身につけ輪になっ
て炭坑節を踊ったり、1 品ずつ持ち寄っ
た、お国自慢の料理やお菓子、デザート
に舌鼓を打っています。
「どうやって作るのですか?」と作り
方を教わっている人、
「どこからいらしたのですか?」とふ
るさとを尋ねている人など、外国の方々
からは、とても上手な日本語が返ってき
て、会話が弾んでいます。日本語教室の
学習の成果があちこちで現れていまし
た。
3 月 3 日は、ひな祭り。しばらくすると、外国の方々をお雛様に見立てて、着物を着せるゲームが
始まりました。決められた時間内にお内裏様とお雛様に仕上げます。モデルたちは競争して「ハヤク、
ハヤク」とせかせるので、うまく着付けができません。
さて、仕上がりはいかがでしょうか?
楽しそうな写真をごらんください。
あっという間に愉快に美味しい 90 分が
過ぎていきました。また、参加したいな
と思った初春の夕べのひと時でした。
※ サンライフにて毎週木曜日 7 時∼8 時
30 分まで日本語教室を開いています。
お越しください。
世界の料理パーティ
山本
春子
平成 16 年 2 月 8 日、世界の料理パーティドイツの巻に、いつものスタッフと参加しました。講師
は国際結婚されて伊勢市に住んでいらっしゃる日本通の「スヴェン キリアン」さん。南ドイツ地方
の料理 3 品を習いました。
スヴェンさんとは打合せで一度会っており師弟の仲もすんなりとゆき、調理室に大きな鍋が不足し
ているのを知っていましたので自分の鍋を持参しましたが、それでも鍋が小さかったのか水分が蒸発
せず、人参が煮くずれてしまいました。ドイツ風の鍋で焼く焼豚と「シュペツレ」という麺は新しい
発見でした。野菜サラダも日本より大胆に大きく切ります。バルサミコ酢のドレッシングもおいしく
「シュペッツィ」という飲み物もファミリーレストランにある「ティーソーダ」に似ていて、あれか
ら我が家の食卓にも置かれています。スヴェンさんはエプロンがよく似合いあちこちのテーブルから
引っ張りだこ。「OK、OK」とサインを送っていました。奥様のキリアン中村明美さんも補佐役で
ご一緒にいて下さいましたが、スヴェンさんの日本語が上手で奥様の補助は少なかったと思います。
感じのいいご夫妻という感じ。
今回の参加者の中に白髪の紳士や他に名の男性の方もみえて 1 人の男性はドイツに住んだ経験が
あり、なつかしいとドイツ語で話していました。又、小学 4 年生の女児 2 人も参加して、テーブル拭
きなどテキパキ働き料理も楽しんでいました。将来
が楽しみな女の子でした。パーティではいろいろな
質問が交わされ「ドイツではいつもこんな料理を食
べていらっしゃるのですか」「夜はどんな料理を?」
「昼がこれだと夜は簡単なもので済ませます。」「朝
食はどんな?」「朝は黒パン(ライ麦パン)とコーヒ
ー。」スヴェンさんは家庭でもよく料理を作りパンも
自分で焼くこともあるそうです。
なごやかな国際交流の場です。ひとつのハプニン
グもありました。注文した豚肉の切り方がものが届
けられ慌てた一幕も。今回のドイツの料理に参加し
て一段とドイツが身近に感じられ好きになりました。
歴史や観光名所やいろいろ知りたいと思います。
相馬雪香さん講演会
昨年 11 月 15 日全米桜祭りの使節団をお迎えして尾崎記念館の竣工式と記念植樹の後に、恒例の作
文コンクール表彰と発表の後、遠来の賓客と共に、咢堂三女の相馬雪香女史の講演を拝聴しました。
以下はその要約です。
「本日は思いもかけず若い人たちの咢堂への所説を見聞する機会に恵まれ、父ゆかりのこの伊勢の地
で皆様にご挨拶の場を与えられ、深く感謝し…」と始まり先づは、理想に燃える若人の意気を思い、叱
りつけるより、冷静に判断し省察することを幼時から教えられ、政治に関心を惹かれ女性参政権など
程遠い法規は改めればよい等考えたが、それもふと他に関心が移ってしまった。そんな過去に比べ
今は良き時代になったと言えようが、そのよさが十分理解されていないのだ。今言う所のグローバル
な見地から狭い自国のみにこだわらず、世界的立場で良きは学び取り、自らの短所を補ってきた先人
にならうと言うのが咢堂生涯の理念だった。今はまだ権利に対する有難さが主権の存する国民一人一
人の政治への関心につながらない。咢風会・香風の皆さんを中心に神宮のましますこの地…心の故郷
…その心こそ“自己中心でなく世界の中の日本”の自覚である。
咢堂が東京市長の立場でなぜワシントンへ桜を贈ったのか。日露戦争で東郷海軍の大勝の裏に知ら
されざる満州の地での辛苦の実態と講和條約締結に至るルーズベルト米大統領の尽力あればこそと
の内情に通じていたための判断だったのだ。近ごろは「反省は自虐」との戦後の誤った自由・平等の風
潮に押し流されてきた嫌いがあり、中国古言の「日に三省」と言うように、成人となっても誤りと知
れば自ら反省することの大切さをこの年になり改めて「世の為、人の為に反省を」と痛感。この半世
紀の何不自由ない生活もアメリカのおかげで、少し「いい気になり、甘えすぎて来たのだ」と言いよ
うのない気持ちになる。各界での無責任状態の暴露しきりの今日、若い人たちに真の民主主義とは何
か、真剣に考えてもらいたい。「反省なき所 進歩なし」。再度申したい。咢堂日ごろの言葉「自己の
み、自国のみにこだわらず、世界的視野に立って考えること」。
長く難民問題に取り組んできて思うことに、日本国はベトナム難民問題について何一つ出来ず、ド
イツでは国会議員が自費で船を雇い救助に努力したことなど。以上日本国憲法前文明記の「自国のこ
とのみに専念してはならない…」と謙虚に反省すべきところの改善を目指し忍耐強く努力を積み重ね
ていくよう、特に咢堂精神を感想作文で解明された若い世代へのメッセージと受け止めたいものと結
んでこの講演を拝聴したまとめとさせていただきます。
(文責 編集委員)
編集後記
日露開戦百周年に当たり、これを特集した「諸君」3 月号で、その英訳者も讃える「坂の上の雲」(司
馬遷太郎)で勝利を演出した英雄達の戦後の総決算は?栄光の旗艦[三笠]の原因不明の自爆沈没の
不詳事に見るように、[失敗は成功の基]ならぬ[成功も失敗への一里塚]ともなることの実証とさ
え思われる。
又経済の上でも「市場競争至上主義への根底的批判の書と評される「節度の経済学」(内橋克人)
や「人間のための経済学なのか、経済のために人間が生かされているのか」との提言で始まる「人間
回復の経済学」(神野直彦)の所説は、ハイテク界で創り出されたロボットの操るまま人間が動かさ
れるような時代の到来など杞憂とするためにも、近代経済学の始祖、アダム・スミスがその主著「国
富論」で説く「人間の本性の利己心に基づく利益追求も神の見えざる手により調和が実現する」に先
立つ「道徳情操論」での「人間の本性が単に利己心にのみありとせず相互に共感できる社会的存在で
ある。」という原点に立ち返ることを、教えているのだというのが経済学に素人の岡目八目的視野か
らの実感である。
又、上記「諸君」の別の論「有能な人物ならいくらでもいる。ただ乃木のような人物がいないから
日本は長い混迷の中にあるのだ。」(福田和也)との言葉が妙に我が心に訴えてくる。乃木という名前
を知らぬ向きも多かろう現在では、唯、相馬雪香女史の説かれた咢堂精神(反省とグローバルな調和
の心)を改めて再認識し、これにあやかるべく努めたいと心に期したいと思う。
編集委員: 池山、片山、喜多、千田、竹中
顧
問: 岩本