古庄シェフが語る「地産地消」とは? ①蔵奉行ネットワーク

古庄シェフが語る「地産地消」とは?
①蔵奉行 ネ ッ ト ワ ー ク
蔵奉行の地元は、北前船ルートの港町、川筋とも重なっており、「蔵奉行
ネットワーク」の物流と交流は、次章で詳細する「ぼうさい朝市」の「災害
時の隣ネットワーク」の防災と交流と物流と、重なり合った全国ネットワー
クとなっている。
「北前船ルート蔵屋敷ネットワーク」は、
3つの「カテゴリーを越えた事業」として位置づけられている。
1、歴史を越える(北前船ルートで、歴史を越えた結びつき)
2、地域を越える(大阪から、酒田から、笠岡から、全国とネットワーク)
3、日常を越えて、非日常とも結びつく(防災のネットワーク)
この3つの「越える力」で、地域活性化の電流方向を指し示して、地域活性
化に関する(フレミングの?)「(地域活性化)左手の法則」とする。
「蔵奉行ネットワーク」の参加基準(認定基準)を、次の3つのキーワー
ドで表現した。
1、防災や地域に対する「気構え」
2、料理や防災の対応力の「腕前」
3 、「 自 前 」も し く は「 地 前 」。地 域 の 生 産 物 を 現 す「 自 前 」。防 災 の 自 助 、
共助、公助の自助にも通じる「自前」。地産地消でもある「地前」。
「気構え」「腕前」「自前」の3つの志と力は、ネットワークする防災と
地域活性化の電磁誘導の方向と可能性を指し示す、もう一つの(フレミング
の?)「(地域活性化)右手の法則」とする。
この(地域活性化)「左手の法則」と「右手の法則」を基準に、食の専門
家が「蔵奉行」を推薦し、蔵屋敷ネットワークと蔵奉行ネットワークの参加
者が実際にお店に行って、「顔の見える美味しい」連携を形作って、ネット
ワーク仲間となる。
岡山県笠岡市(1/19/09)
「防災朝市」における
「防災の気もち」
北前船ルートの各地には、
上方料理文化の一つである丸餅が
広 が っ て い る 。山 形 県 酒 田 も 丸 餅 。
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②蔵奉行行司役古庄シェフが語る
蔵奉行選定の方針、ならびに故郷の食材との連携の考え方
(A)蔵奉行は、料理の道先案内人
蔵奉行行司役・古庄 浩(元第一ホテル鶴岡総料理長)
先日テレビを観ていたら調理人が主演のドラマが放送されていた。
『料理レシピは調理人の命、他人に盗まれたら調理人として終る』と言う場面があった。
私は、そんなにたいそうな物なのかと思ってみていた。
確かに、料理を作るには、食材の購入や下ごしらえの為に手順表が必要だ。
その為に、レシピと呼ばれる物がある。使用材料と作り方が記載されたものだ。
材料を分量通りに入れ、書かれてある作業にしたがって作れば、料理は出来る
しかしながら素人が、レシピ見ながら料理を作っても商品になるような物は出来ない。
我々プロの料理人はそれぞれに自分のレシピを持っている。基本的な技術や、
応用編に進んだメニューは全て、頭と身体の中に刻み込まれている。
従ってレシピを見ながら調理する事はない。
レシピを見ながら、プロの料理人と同じ料理が作れるなら、プロは要らない。
料理を知っている事と、出来る事は大きな違いだ!ましてやプロ並に出来る事は
もっと違うと思う。洗練された熟練の技と、食材の顔と、その場面のシチュエーションを
とらえたタイミングで作らなければプロの味は出ないと信じている。
レシピとは材料のだいたいの分量と作り方、手順が書かれてある。
作ろうとしている料理には、ほぼたどり着く事が出来る指針表なのだ。
だから、レシピとは料理の道先案内人だと思っている。
レシピが料理人の命ならマスコミに出てレシピをさらけ出している料理人はどうなるか。
私も、雑誌やテレビなどで多くの料理レシピを公表してきたが、まだ料理人を続けている
私の好きな言葉に『熟練工』がある。
昨今の料理人が目指さなくなった『究極のワザ師』のことだ。
料理の世界だけではないだろうが、料理を作る工程には、絵や文字・言葉で表現できない
事が沢山ある。要するに、レシピに記載する事が出来ない感覚とタイミングだ。
料理人は長年培った経験とカンで料理を作り、それを弟子達に教える。
(ほら、今カン!と味がきただろう。今クン!とのってきた。コン!とこくが出た)など
別に料理から音が出るわけではないが、カン、クン、コンの世界なのだ。
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信じて貰えないだろうが、これでしか教えようがない。
もし雑誌などに載せるレシピに『カン!と味がのってくる』と書けば、殆どの人が
料理からカンと鳴るまで待つだろう。
だからレシピには感覚やタイミングなどは記載しないようにしている。
しかしそれで困る事は、
『テレビ放映のレシピ通りに作ったのに、ちっとも美味しくない』
と苦情がくることがある。たとえば、オムレツなどタイミングだけが全ての料理がある。
いくら分量通り卵と牛乳と塩胡椒バターを、入れても混ぜるタイミングと、返すタイミン
グは非常に難しい。何度か繰り返し経験するしか方法がない。
調理人は、このようなタイミングの感覚を会得する為に、何年も修行するのである。
私の料理修行時代は、悲惨なものだった。
30年も前の話になるが、
朝は 3 時に電車のない時間なのでオートバイで朝早く出勤して、
調理場の清掃し、冷蔵庫の中身を全部出し、食材を包んでいるラップを包み替える。
ソース、スープ類に火を入れ冷ます。
お客様用の朝食の用意をする。ハム、ベーコンを焼き、サラダを盛りグレープフルーツを
半分に切り一房づつ取り出しやすく切り目を入れておく。
スクランブル、オムレツの卵と目玉焼き用をスタンバイしておく。
全て用意を済ませ、先輩の朝食を作り出勤してくるのを待つ。
せっかく用意をしても(こんなもの猫もまたいで通るわ!)等と言われ捨てられる。
気に入らなければ殴られ、蹴られの毎日だった。しかし、殴られても、蹴られても
『ありがとうございます』と言わされていた。
しかし私は、ありがたいと思った事は一度もなかった。
俺が上司になったら『暴力をふるう連中は全員クビにしてやる』と心に誓った。
修行で何が一番困ったかと言うと、私は生まれつき『左利き』でギッチョと言われ
かたわ扱いされた事だ。今の時代は左利きも重宝がられているが、昔は悲惨だった。
何でも反対の手を使う私に切り方やフライパン調理法など教えてくれなかった。
教えにくかったし、そんな余裕もなかった時代だった。
修行時代は苦しい事ばかりで、いつ調理人を辞めようかばかりを考えていたが、
今思えばこの時代の苦労が肥やしとなって、今日の調理人生活があるのだろうと思う。
つい先日修行時代からの仲間と(美味しい料理とはどんなものか)で討論になった。
彼は自然に近い物を焼き物などに盛り、余り手を加えずに食べるのがご馳走だと言う。
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要するに家族の為に用意した家庭料理や、郷土料理が美味い料理だと思っているらしい。
私は素材と調理法とソースなどの組み合わせで食べるのが一番と思っている。
熟練の技が見える調理法やソースとのハーモニーがかもし出す究極の味が好きだ。
家庭料理や郷土料理もほのぼのとして美味しいが、洗練された熟練の技は感じ取れない。
話は尽きず、どちらもご馳走と言う事で話がついた。
二人とも共通していたのは『空腹を満たすだけの食事は絶対したくない。
』事だった。
ファーストフード店やファミリーレストランなどは冷凍食品が中心で、短時間で調理し、
客に提供している。何処にでもある様な既製品タイプの画一化された料理で
レシピー通り、マニュアル通り作ったとしても美味しい料理が出来るとは思えない。
均質で均一、画一化された料理は、一見美味しそうに見えるが本物ではない。
だからこのようなファーストフード店での食事はしない。
料理にこだわってくると食材にこりはじめる。
私もこだわって、3年前から地元の畑を借りて、野菜を作っている。
私の畑では、無農薬で作る為、虫に食われたり、いびつな形に出来たりで、
商品となる野菜はまったく出来ない。規格に当てはまらない物ばかりだ。
さてこの規格の基準は誰が決めるのだろうか。
箱に入らないので曲がったきゅうりは規格外、椎茸はかさが開けば規格外
曲がったねぎは、薄切りの機械に入らないので規格外など
今定められている規格が、生産者を守る為の規格になっているのか疑問だ。
規格に合って、見た目が良いものが、身体に良くて、人に優しい食材とは思えないのだが。
こだわりのある料理を食べれば感激する。感激を繰り返すと感動する事が出来る。
料理店で、感動したかったら、熟練された人や、高品質な人がもてなしてくれる店に
行くと良い。空間も大切なので、高品位な空間を持った一流の店に行くことだ。
事前期待が高いが、それ以上の満足感が感じられた時だけ感動する事が出来るのだ。
見た目、香り、味、など五感で美味さを感じる事が出来れば最高である。
気の合う仲間や、家族と一緒に食べる時は、少々まずくても美味く感じるものだ。
せっかくの美味しい料理も、嫌いな人とイライラしながら食べても美味いはずがない。
美味しさとは、人それぞれの感性で感じるものであって絶対的なものではない。
我々調理人は、お客様が食事をして、感動して帰ってくれたら最高の励みになる。
また感動していただけるような料理の提供を恒の目標にしなければ熟練者とは呼ばれない。
ここ庄内には、在来野菜の他にも、食材そのものでおいしい物も多くあるが、
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熟練されたプロの手を加えると、今までと違った味わいで、更に美味しさが増す事を
地域の人に知ってもらいたいし、味わっていただきたい。
そして、庄内地方の食文化向上のために料理を通して貢献するべく、ワザを磨き続ける。
(B)「庄内におもてなしの心を満たすには」
古庄浩
①おもてなしのためにふだん心がけていること
我々ホテル旅館業は最もおもてなしの心でお客様に接しなければいけない業
種
だ と 思 い ま す 。お も て な し と は ど の 様 な 事 か を 考 え ま す と(気くばり、
、
心くばり、してくれる空間の提供) で は な い か と 考 え ま す 。
気 く ば り と は 、(間違いや失敗のないように、細かいとこ
ろまで注意を行き届かせること) で す 。
心 く ば り と は (相手の心情を十分に考慮し、予測される
事態に対し万全の対処をする事) で す 。
たとえば晴れ晴れとしたある日の到着時には、(古庄様いらっしゃいませ。
ようこそ当ホテルへ)と必ず名前でお出迎えをします。
又、気分が優れずない日の到着時は、かまってほしくない、そっとしておい
て欲しいと思うものです。そのような時は、遠くからそっと会釈をしながら
迎 え て く れ る な ど 、 『その場の空気を読み臨機応変な対応
が出来る』 こ と が 、 す ば ら し い お も て な し だ と 思 う の で す 。
もう 1 つ例を上げれば、お客様から宿泊の予約のお電話をいただいた時、あ
いにく満室でした。(申し訳ございません本日は満室となっております)と
言葉は丁寧なのですが断ってしまいます。
そこで『当ホテルは満室になっておりますが近くにもホテルがございます。
空き状況と料金を調べまして連絡差し上げますがいかがでしょうか』と提案
をすれば、『そうか私のためにそこまでしてくれるのか』と喜んでいただけ
ると思います。この例のようにお客様の立場から見て
『自分のために特別なことをしてくれるところ』 が リ
ピータを呼ぶと確信しています。
決まりきったマニュアル通りの接客をするのではなく、お客様が言葉にされ
て い な い 願 望 や 要 望 を 読 み 取 り 、常 に『このお客様に何をすれば
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一番喜んで頂けるのか』 と 考 え 接 客 し 、 お こ た え す る 事 が グ レ ー
ドの高いおもてなしだと思います。
②お客様に喜ばれた私なりのおもてなし(実体験)
35年も昔の話になりますが、私は大阪のホテルプラザでの修行時代、料理
人になる為の競争が激しく新人のほとんどが、すぐには厨房に入れませんで
した。待機期間は全員、接客サービスを勉強で経験します。
その時に教えていただいた接客責任者は、自信と誇りを持った、プロ中のプ
ロのサービスマンでした。
マネージャーの接客は静かで上品さが漂っていました。お店にお客様が入っ
てくると、どちらがゲスト側のお客で、誰が招待側のホストかを瞬時で見極
め、『何々様ようこそ!』と静かにゆっくりと会釈をして、テーブルに案内
しておりました。事前に予約を受けているので、出来る業なのかもしれませ
んが、当時はなぜ瞬時でそれが出来るのか不思議でなりませんでした。
そしてサービスの瞬間もお客様を中心に素晴らしい空間を提供する努力をし
ていました。
私は剣道をやっていましたので大きな声で(いらっしゃいませ!)と言える
のが自慢でした。しかしマネージャーは『何もしゃべるな!黙ってお辞儀を
しなさい』と言うのです。料理サービスが始まっても、私はたとえお客様が
楽しく会話をしていようとも料理が冷めては台無しだと思い丁寧に【失礼致
し ま す 】と い っ て サ ー ビ ス を し て い ま す と『 本 当 に 失 礼 な や つ だ な お ま え は !
お客様の会話の邪魔をするな!黙って出せ!サービスとは風のように空気の
ように!』だと叱られたものです。若いころは、そのような接客が『レベル
の高い接客』と感じられなくて、よく反発しながら働いたものです。
50歳を超えた今、やっと言われたことが理解できるようになり、とてもい
い経験をさせてもらったと感謝しています。このような経験から私が思うお
も て な し の 心 は 、『風のように空気のように!』だ と 思 っ て い
ます。
③庄内のおもてなしは十分か、
おもてなしの心を醸成するにはどうしたら良いか
私が庄内に越してきて早くも7年を迎えようとしています。
庄 内 の 自 然 や 食 材 に つ い て は 、す ば ら し く 、お も て な し は 十 分 だ と 思 い ま す 。
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し か し 人 的 な( お も て な し の 心 は )と 聞 か れ ま す と 、十 分 だ と は 言 え ま せ ん 。
お客様に満足して頂くおもてなしをするには、いくつかの阻害要因を除かな
ければなりません。
ま ず 第 一 に『 近 隣 を 認 め よ う と し な い 』悪 し き 風 習 を『 近 隣 は み う ち で あ り 、
仲間だ』と言う意識に変える事だと思います。
雄大な日本海に面し、出羽の山々に囲まれた庄内平野。この恵まれた大自然
がはぐくんだ食材に、美味しくない物があるはずがないのです。
残念ながらいまだに、鶴岡の米は駄目だとか、藤島の枝豆はまずい!など、
近 隣 を け な す こ と は 良 く 聞 く の で す が 、ほ め る 事 を 聞 い た こ と が あ り ま せ ん 。
これは県外から移住してきた人や、遠い地域の人たちから見るとこっけいで
なりません。
新潟の『魚沼産コシヒカリ』のように周りからも絶賛されれば、その近くの
米や新潟中の米が美味しそうだと感じられるものです。日本中の消費者にも
(すばらしく美味しそうだ)と思われます。
酒田で暮らす人でも『鶴岡はいい処ですね』と褒められたら(ええ、鶴岡は
本当に良い所ですよ。それに近くに温泉もいっぱいあるし、山は山菜やきの
この宝庫で、食べ物が美味しい地域なんですよ。また隣の酒田も海に面して
魚介類も美味しいし、歴史文化の高い地域もありますよ)と答えられるよう
にしたいものです。
第二に受け入れ態勢が整っていないことがあげられます。
先月28日の関西交流戦略会議での発表の中で、委員でもあるある社長が、
庄内地方の温泉地に5組10名のご夫婦を招待したところ『満足』と答えた
のは1組だけで、残り4組は不満足となったそうです。理由を聞きますと、
1、
連の地元のお客様来られていて、そちらの応対に一生懸命で、自
分達には、目が向いてないと感じた。
2、
山形に来たのに山形らしい方言が聞こえず通り一遍の接客で『ら
しさ』を感じられなかった。
3、
明るい笑顔でお客様を迎える接客が出来ていなかった。
4、
料理がありふれていて地域性や旬が感じられない。
と言われたそうです。
中でも、(地元のお客様中心の接客)と言われた部分は私どもホテル旅館業
に従事する者にとって、大変反省しなければならないことだと思いました。
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私がこの地域に来て感じた庄内におもてなしは、マスコミ情報の影響からか
(お客様は神様だ)と言葉を作り、お客様より 1 つも2つもへりくだって召
使 の ご と く 、サ ー ビ ス す る 事 が お も て な し と 思 っ て い る 方 が 多 い 様 子 で し た 。
お客様が上、従事する者は下と言ったようなサービスは、わがままなお客様
を作るだけで、人間対人間の信頼関係を築く事は難しくなります。
心が通ったおもてなしをするには、気くばり、心配りが大切で、お客様の期
待以上の配慮が感動を呼べるのだと思います。
従業員がお客様と同じ目線を持って、尊敬しあう事がないと、要望や要求を
読み取り行動することが出来ないと思います。
ですから、我々従事する側も、お客様に認めて頂ける人格者になる為の努力
は絶対しなければならないと思うのです。
お客様に再びこの地域に来ていただくには、庄内のあらゆるところで『居心
地のいい空間』を提供できるようにすることだと思います。少しずつのいい
気持ちが重なって大きな感動につながっていきます。
そ の 感 動 を 他 の 友 人 に も 話 し て 頂 、顧 客 の 輪 が 広 が っ て い く の だ と 思 い ま す 。
他地域から来られるお客様を受入れる仕組みづくりを、早急に進めなければ
『また訪ねて来たい処』にはなれないと思いました。
おまけ
そもそも人は何の為に働くのでしょうか?人はお金や生活の為だけに働いて
いるのではありません。『人から認められる働きをしたい』『家族や友人に
胸をはって自慢できる仕事をしたい』と言う気持ちを持って、その誇りを満
たす為に頑張って仕事に取り組んでいるのです。
ま た 喜 び も 仕 事 を す る 上 で 大 き な 原 動 力 に な り ま す 。自 分 の 仕 事 に 対 し て( お
客様が笑顔で美味しかった)といってくれたり、仕事のアイデアを出したら
みんなが褒めてくれて協力してくれたりした瞬間のこみ上げてくる喜びは何
物にも変えがたいものです。
またその喜びを味わう為に努力を重ねます。
人が自分の能力を最も発揮するのは、この誇りと喜びが一緒になって相乗効
果を生んだ時だと思います。
デパートなどの研修で、全員が1列になって(いらっしゃいませ)(ありが
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とうございました)と言うシーンを見かけます。一般的には非常に礼儀正し
い気持ちの良い挨拶であると思われますが、はたしてそれが『あたたかい心
のこもった挨拶と言えるでしょうか。
居酒屋や寿司屋で入店と同時に、(いらっしゃいませ!)と全員で大声をは
りあげ、お客様を迎えます。最初は気持ちよく感じるのですが、何度も繰り
返されますと苦痛に感じてきます。
全員が大きな声で挨拶すると言うのは、一見すばらしい接客のようですが、
お客様が見えないところからも声が聞こえ、何より店員さんはお客様と向か
い合ってもいなく目も会わしていませんので、誰が来ても同じ一本調子な迎
え方です。お客様に背を向けたまま声を出すだけでは、良い接客とはいえま
せん。気くばりや心くばりはお客様と向かい合わなければ、臨機応変な対応
は出来ません。
温かな心のこもったおもてなしは、お客様のパーソナリティや状況を感じ取
ることによってできるのです。
(C)地産地消について
古庄浩
1、いま世界中で健康や食品とかかわる感染症が発生しています。2年前の韓国
で 起 き た 豚 コ レ ラ 、中 国 の サ ー ズ 、全 国 規 模 の 米 の 不 作 、ア メ リ カ の 狂 牛 病 、
タイを中心にした東南アジアの鶏インフルエンザ、違法表示違法添加物など
食生活をおびやかす様々な事件が続いており、外国からの輸入に規制がかか
っています。
食肉の輸入禁止や悪徳会社の買占め、便乗値上げなどにより、食材の仕入れ
原価が高騰し我々料理に携わる者も、大変苦戦を強いられています。
2、社会情勢がこのような現状ですが、ここ鶴岡は自給自足に最適の地域だ
と思います。
米を中心に、野菜、地鶏、牛、豚なども近くで手に入れることが出来、お酒
も美味しく、海も近いので、魚介類も豊富で自然に恵まれた地域です。
このような自然環境の中にありながら、昔からここに住む人達が、地域の良
さをうまく表現できていないと感じます。
例えば(お爺さんこの辺で見る所は何処かありますか?)と聞くと『なーん
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もねえ』の答えが返ってきます。(お婆さんこの辺で美味しい料理を食べさ
せる店はありますか?)と聞いても『なーんもねえ』が殆んどです。
謙遜してか、本当に何も無いと思っているのか、答えは殆んど『なーんもね
え』です。
これでは遠くから観光に来た人たちは本当に何もないかと思ってしまいます。
他から来た人に自信を持って薦められる地域のブランド作りは大切な事です。
3 、 私 は 地 産 地 消 運 動 を 通 し て 、地 域 の ブ ラ ン ド 作 り が 出 来 な い か と 思 っ て 、
参加しています。
私のように、他の土地から来た者が庄内の良さ感じる事は、どんな所な
のかを地元の人にお話しをして、ここの良さ再発見してもらう事も運動
の狙いです。
また、生産者がどうすれば嬉しいか、またなにを望んでいるか、困って
いる事、出荷できなくて苦しんでいる事などをみんなの前で発表しえも
らう。
消費者が買いたい物はどんなものか、どうすれば地元の商品が買えるか
などを、話し合える時間や場所を提供しています。
参加者は、生産者、消費者、食にかかわる仕事をしている者など、さま
ざまです。
4、地産地消運動の実践として、3年前から市民農園を借りて野菜作りに挑
戦しております。
身体に優しい料理の食材は、やはり無農薬に限るとこだわりながら栽培
しています。
ですから私の畑の野菜達は、葉っぱ類は虫に穴を開けられ、キャベツは
なめくじの巣となり、商品になる様な野菜は1つも出来ません。野菜は
農薬をかけて作なければ、売り物になる品物は絶対に出来ないと私は思
います。一部の不心得な生産者の無登録農薬の使用などにより、農薬全
てが悪役のように扱われているのはとても残念です。
ですから生産者も農協さんも、消費者にしっかり説明するべきです。例
えばこの農薬は即効性があって残留しにくい、この農薬はじっくり効い
てゆっくり消えていくと言ったように、使用許可のある農薬を正しく使
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っている事を、説明すれば良いと思います。
5、私は、『規格』と言う言葉が良く理解できません。
誰が定めた規格で、誰の為の規格なのでしょうか。生産者は規格に振り
回され消費者は、卓上の論理の規格に惑わされていると思います。
きゅうりは曲がっていれば規格外、トマトは形が悪かったり、赤く熟し
すぎた物は規格外で商品価値がないとされています。
しかしながら我々調理人は、このような悪評を受けたトマトが一番欲し
い食材です。
ソース作るにもスープを作るにも、このような完熟のトマトが最高なの
です。
私は、生産者と農協さんで今までの既成概念の規格を打ち破って、新た
な本当に価値ある身体に優しい手間と暇をかけた本物の食材を創り出し
て欲しいと願っています。
本 物 は 手 間 ひ ま か か る か ら 高 価 な の で す 。物 の 良 さ を 理 解 す る 生 産 者 が 、
自信を持って作らなければ世に出てこないと思います。
6、土作りでも同じような事が言えると思います。完全な栄養状態の本物の
土で育った野菜は、本来農薬など無くても、そのもの自体から防御する
『生体防御』が働く為病気にならないし害虫もつかないのだそうです。
人間にも自分から防御する『生体防御』が働くのですから、免疫力は充
分 そ な わ っ て い ま す 。『 こ れ を 食 べ れ ば 、胃 と 腸 の 雑 菌 に 対 す る 免 疫 力 、
抵抗力が強くなります。』とか『この野菜は、血液をサラサラにするの
で、高血圧、高脂血症などに良い。』など
もともと身体に備わっている機能の活性化を促進する食材を食べれば、
少々の病原菌や細菌も退治することが出来ます。効能や薬効性がはっき
り分かる表示を前面に出して、アピールできる物が、これから注目を浴
びると思っています。
最近は食の安全が騒がれて、何もかも無菌状態が良いとされている風潮
に 疑 問 を 感 じ ま す 。骨 の あ る 魚 は 食 べ さ せ な い 、生 水 は 飲 ま せ な い な ど 、
身体には過保護ぎると思うのです。
笑い話に聞えるかもしれませんが「魚に骨があると売れない」と魚屋さ
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んがなげいています。
学校給食でも、父兄から「家でも骨のない魚を食べさせているので給食
も そ う し て 欲 し い 」と の 声 が あ る そ う で す 。家 庭 で も「 み り ん 干 」や「 佃
煮」など噛まなければ食べられないような物は、食卓にのぼらないのだ
そうです。
しかし食事は噛む事が大切です。噛むと言う行為は、脳の活性化をうな
がし、唾液を多く出す事で食べ物の吸収を良くする働きがあります。
育ち盛りの子供たちには、噛む食事を進めなければ、脳の働きが良くな
りません。
せめて小骨を含んだ小魚ぐらいは、頭ごと噛み砕く習慣を身につけたい
ものです。
7 、生 き る 上 で 、食 べ る と 言 う こ と は 一 番 大 切 な 事 で 、生 命 維 持 の 基 本 で す 。
しかし、最近は食べる事にあまり真剣でなく、食生活はとても不健康に
なってきています。
「スピ-ド化社会」と呼ばれて時間の短縮と、効率を追求しいつも時間
に追われて、とうとう食事時間まで短縮するようになりました。私たち
は知らず知らずのうちに『スピ-ド』におかされているのです。
忙しいあまりに効率を考え、出来合いの惣菜や、インスタント食品など
で 食 事 を 済 ま せ た り 、フ ァ - ス ト フ - ド を 利 用 す る 事 も 多 く な り ま し た 。
ファ-ストフ-ドやインスタント食品は、画一化され個性が失われてい
ます。
このような物ばかり食べていると、亜鉛不足となり味覚を狂わせ心身の
成長の妨げになり、美味い物を食べても、おいしいと感じられない味覚
障害なってしまうそうです。
皆様方の家族のなかに味覚障害者が出ないように、バランスの良い手料
理を食べるように心がけましょう。
8、私は、数年前鶴岡の給食センターで『シェフが給食に挑戦』と言う企画
に参加しました。
安全安心が第一なので、殺菌消毒は万全でとても衛生的な職場でした。
不思議に思った事は包丁とかフライパンや鍋を使わない事です。
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ねぎを刻むのはねぎスライサーです。きゅうりも同じようなカット機が
有りました。
真直ぐなものしか機械に入らないので、機械に入りにくい曲がった物は
規格外なのです。
もう一つはベルトコンベアの様な焼き物機が有りました。
味噌汁を作るのも1、000人前できる大きな機械で作っていました。
一度に1万人以上の食事を作るのだから仕方がないのでしょうが、調理
場というよりは、とても味気ない工場のようでした。
今の給食の調理場には天井も高く換気も良いからですが、香が感じられ
ませんでした。
思い出に残る食事とは、必ず香があるものです。昔の給食には、香りが
ありメニューは匂いであてられたものです。
私はかおりたっぷりのハンバーグカレーを作って給食に挑戦し、審査員
の給食大使の皆さんに食べてもらいました。とても美味しいと言って頂
き好評でした。
ハンバーグもカレーも手作りで、大きな機械は使わなかったのですが、
美味しさの秘訣は『1つずつ心をこめて作る事が一番大切』と教えてき
ました。
9、夜寝る時になると本当に便利な世の中になったなあと思います。
科学進歩によって豊かさと、便利さを手に入れました。
科学や技術が驚くほど進んで、昔では信じられなかった物事がどんどん
と実現しています。テレビはリモコンで操作でき、電気も暖房も離れて
スイッチがいれられます。
自宅の電話にはコードが無いし、携帯電話などは一軒に一台ではなく一
人に一台の時代です。
電話番号など、一度登録しておけば記憶しなくても良いのです。
洗濯にしてもスイッチ一つで乾燥まで出来る時代です。
インターネットに至っては、世界の情報が瞬時で見ることが出来ます。
しかし我々はもっと自然な人間の感覚を、大切にした方が良いのではな
いかと思います。
良く考えてみて下さい。昔母親が洗濯板で洗濯してくれていた頃は、そ
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の後姿に感謝した覚えはありませんか。学校までずぶぬれになりながら
歩いて傘を持って来て貰った記憶はありませんか。駄菓子屋では何も買
え な か っ た が 、野 い ち ご を つ ん で き て も ら っ た 事 は 無 か っ た で し ょ う か 。
私はその様な家族の思い出がたくさんあります。
思い出や、感動、感謝などは、『不便』の中から生まれてくると思うの
です。
いまさら昔の不便さが良いとは言いませんが、全自動が必ずしも良いと
は限りません。
手 紙 に し て も パ ソ コ ン で 貰 う よ り 、手 書 き で 貰 っ た 方 が 嬉 し い も の で す 。
ジューサーで作った天然ジュースも美味しいのですが、自然で丸のまま
のフルーツにかぶりつくと、じゅうに旨みが広がって生きている事を実
感するのです。
10、 以 上 の 話 の 内 容 を ま と め ま す と 、 ス ロ ー ラ イ フ に 通 じ ま す 。
地元の生産者が心を込めて作った本物の食材を、地元で購入する事が
地産地消の一つです。
それを持って帰り、ゆっくり心をこめて作られた料理がスローフードで
す。
そのスローフードと呼ばれる料理を家族や友人と食卓を囲み、ゆっくり
と楽しく料理を食べるのがスローライフです。
全ての生活をスローにするわけには行かないかも知れませんが、せめて
食事の時間ぐらいはゆっくりととり、地元で採れた新鮮でエネルギーた
っぷりな食材を食べるようにしましょう。
そうすれば、心と身体を癒し、明日への活力と英気を養ってくれるでし
ょう。
皆様方に、地元の本物の食材の購入して頂き、身体に優しい手間と暇を
かけた料理を作る事と、ゆとりをもってゆっくり食べることを勧め、話
しを締めさせて頂きます。
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