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31.Mar.2009
アルビレックス新潟
満員のスタジアムへの挑戦
 満員のスタジアムだからこそ、感じられるものがある。それは大観衆がつくりあげる熱狂であり、興奮、高揚感だ。ピッチ上
の選手にとってこれ以上のサポートはなく、その非日常空間にサポーターは引きつけられる。だが、毎試合大きなスタジア
ムを満員にすることは容易ではない。
 そこで戦略の一つにあげられるのが、通称「招待事業」
といわれるものだ。スタジアムに足を運んだことがない人などに無料
の招待券を配布して観戦機会を得てもらい、その後の有料顧客化へつなげようというもの。しかし、有料で販売するべきチ
ケットを無料で配布することで、クラブの利益機会を失っていることもあり、常に賛否両論のある戦略ではある。
 アルビレックス新潟は入念な計画をもとに招待事業を戦略化し、平均入場者数、シーズンチケット販売枚数ともに全Jクラ
ブ中、浦和レッズに次ぐ 2 位というポジションにつけている。しかし近年、課題も浮き彫りになってきた。新潟のこれまで
の軌跡と新たな挑戦を踏まえ、招待事業のあり方について考えていきたい。
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2001 年 5 月に迫ったビッグスワン(現・東北電力ビッグ
スワンで故郷新潟の人々にも味わってもらいたい。池田
スワンスタジアム)での初めてのホームゲームを前に、当
氏は「プロサッカーになじみがない人をまず、
このスタジ
時のアルビレックス新潟社長・池田弘氏(現・会長)はクラ
アムにお連れする」
「収益ではなく、まず満員にすること
ブスタッフにこう聞いた。
「ビッグスワンに何人、入ると
でスタジアムの使用価値が出てくる」と考え、
大規模な招
思うか」
。スタッフは「5 ,000人くらいでは…」
「1 万人ま
待事業をスタートさせた。
でなんとか」といった数字を口にする。これを受けて池
ビッグスワンでの最初の試合となった2001年5月19 日
田氏は誰しも予想しないことを言い放った。
「ビッグス
の京都パープルサンガ(現・京都サンガF.C.)戦、満員には
ワンを満員にする。ただし、お金を払って見に来る人は
届かなかったが3万人以上もの観衆が集まった。試合は
一人もいないと思え」
。
新潟が先制するも京都が逆転、しかし新潟が追いつき、最
終的に延長Vゴールで京都が4-3で競り勝った。新潟が
サッカー不毛の地での挑戦
負けはしたものの非常にスリリングな展開だったことか
ビッグスワンの収容数は 4 万 2300人。これを満員にす
感動を味わった。
るというのだ。スタッフの驚きは想像に難くない。元々
その後の新潟の躍進は周知のとおり。01 年11月にはJ
新潟はサッカー不毛の地といわれ、県民の多くはお金を
2入場者数の新記録を達成、02 年8月にはその記録を塗り
払ってプロスポーツを観戦した経験に乏しく、サッカー
替え、さらに03年11月23日(対大宮アルディージャ戦)に
への思い入れも特に強いとはいえない土地柄だった。事
はクラブ史上最多の4万2223 人を集めた。05 年には平均
実、アルビレックス新潟が北信越リーグやJFL(当時は
入場者数が4万人を突破し、さらに当時のJリーグ年間最
ジャパンフットボールリーグ。現在の日本フットボール
多入場者数68 万1945 人を達成するまでになった。これ
リーグ)で戦っていたころ、運営会社は何度も経営危機に
は新潟県民(約240 万人)の約60人に1人、新潟市民(約80
直面し、1999 年に念願のJ 2 リーグ入会を果たしてから
万人)
の約20 人に1人が毎試合スタジアムに足を運んでい
も、
新潟市陸上競技場
(1万8671 人収容)
には平均4 ,000人
る計算となる驚異的な数字だ。
程度(99年:4 ,211人、2000 年:4 ,007人)しか観客が入ら
入場者数だけが注目されがちだが、
クラブ経営の軸とな
なかった。
るシーズンチケット販売枚数の伸長も著しい。03年にJ
にもかかわらず、その10 倍以上の収容を誇るビッグスワ
2優勝、
J1昇格を決めたことも追い風となり、
04年のシー
ンを満員にする――。スタッフは困惑した。
「招待した
ズンチケット会員は2万1654 人と、2位の浦和レッズ
(1万
からといって来場してくれるのか」「有料で観戦してく
2443 人)
を1万人近く引き離して当時のJリーグ最多とな
れる人がいるのに無料で招待してしまっていいのか」
った。アルビレックス新潟の前社長・中野幸夫氏(現・J
――。クラブ内ではビッグスワンの2層目を封鎖し、せめ
リーグ専務理事)は「
『もう座る席がない』というところ
て 1 層目だけでも満員にしてはどうかという意見も出た
まで満員にこだわり続けたことが、04 年と05 年のシーズ
が、池田氏はスタジアム全席を満員にすることを譲らな
ンチケット会員2万1000 人超という結果につながったよ
かった。
うに思う」と振り返る。
ら、スタジアムは熱狂に包まれ、観戦した3万人は大きな
それは、自身が1994 年にロサンゼルスのローズボウルス
タジアムで体験した、満員の大観衆から発せられる熱気や
興奮を忘れられないからであった。池田氏が観戦したのは
2
ビッグスワンの魅力を前面に
1994 FIFAワールドカップ アメリカ大会の決勝、
ブラジル
アルビレックス新潟の招待事業はある戦略に基づいて
対イタリアの一戦。決定機が訪れるたびにスタジアムは9
行われた。サッカーに関心の薄い新潟の人々を「プロサ
万人を超える大歓声で大きく揺れた。試合は延長戦でも決
ッカーを見に来て」と誘っても、実際にスタジアムまで足
着がつかず、P K戦の最後にイタリアのエース、ロベルト・
を運んでもらうことは非常に難しい。そこで「新しくで
バッジオが外すという劇的な幕切れとなったため、この試
きたビッグスワンを見に来ませんか」というアプローチ
合はより深く人々の記憶に刻まれることとなった。池田氏
を試みる。町の中心部に突如出現した巨大なスタジアム
もそうした観客の中の一人だった。
は、
鉄道からも高速道路からも飛行機からも目に留まるた
ローズボウルで自身が肌で感じた大きな感動を、ビッグ
め、建設中から多くの新潟市民にその存在を知られてい
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た。そこに目を付け、スタジアムそのものを来場の目的に
象となる自治会を変えた。当初は回覧や取りまとめに
してもらおうと考えたのだ。
労力がかかることや、
「一企業の営利事業になぜ協力し
足を運んでもらえさえすれば、満員のスタジアムで感動
なければならないのか」という意見が強く、多くの自治
を味わい、
「また見に来たい」と思ってもらえる。そのた
会の班長に拒否反応を示されたという。そのためクラブ
めには毎試合満員でないと意味がない。大観衆の中で
スタッフが自治会の集会に足しげく通い、
「新潟を元気
開催されるゲームでしか味わえない感動があるからこそ
にしたい」という招待事業の主旨を根気強く繰り返し
「あの感動をもう一度」という気持ちが生まれる。そうな
説明していった。
「新潟市内すべての自治会が受け入れ
れば今度は、自らチケットを購入して観戦に来てくれるの
てくれるようになるまでに3年かかった」
(中野・前社長)
ではないか。そして、より良い席で観戦したいとシーズン
という。現在では新潟県内の全自治体を網羅しており、
チケットを購入してくれるのではないか。そこへつなげる
ホームタウン全域にしっかりと行き届く仕組みが出来
戦略としての招待事業であった。
上がっている。
小中学校ルートは教育委員会の協力を得て、観戦申し込
最小単位の「家族」にアプローチ
み用の往復ハガキを学校で先生から生徒へ配布してもら
招待方法は無造作にチケットを配るのではなく、独自
ど、生徒たちが観戦しやすい日程が設定されている。生
の工夫を凝らした。無料でいつでも観戦できると思われ
徒は無料招待とし、同伴の親はチケットを1,000円割引き
ないために、招待先をきめ細かくコントロールしたのだ。
とすることで、
積極的に家族での観戦を促した。やはり中
最も重視したキーワードは「コミュニティー」
。地域密着
には自治会の班長と同じような理由で配布を拒否する校
の最小単位は家族であると考え、自治会や小中学校ルー
長もいたが、クラブスタッフが粘り強く意図を説明し続け
トからアプローチしていった。
た結果、
今ではそうした学校は減ってきているという。
自治会ルートは、行政の協力を得ながら開拓が進めら
家族以外のコミュニティーへのアプローチも怠っては
れた。募集方法として活用したのは回覧板。1 世帯 2~
いない。その一つが他クラブでもよく行われているスポ
4名
(シーズンにより異なる)
を招待し、また、同一人物を
ンサー・株主ルート。販促キャンペーンなどで招待券を
何度も招待してしまうことを避けるため、試合ごとに対
活用してもらうのだが、注目したいのは各企業の担当者
う仕組みをつくった。招待期間は夏休みや連休の後半な
招待応募者には、主に往復ハガキを使って申し込んでもらっている。写真
手前の宛先が印刷されたハガキは小学校で配布されたもので、写真奥に見
える宛先が手書きのものは、自治会ルートの告知で応募してきたもの
招待を申し込んだ人は、クラブから送られてきた返信用ハガキを持って、試合
当日に招待者専用の受付でチケットと引き換える。このチケットには地区ご
とに色がつけられており、
半券を集計して着券率などの分析に用いる
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試合当日にビッグスワンに隣接した多目的運動広場で子供たちの大会を開催。勝ち上がるとその日のビッグスワンで前座試合ができる。多くの保護者も観戦に
訪れている
に着券率や人数の目標を設定していること。そうするこ
た分析もできるため、招待来場者数の予測が容易になる。
とで、次第にその担当者自身がまるでクラブスタッフの
さらに、
複数回招待に応募してきた人のもとに、
翌年のシ
ようにアルビレックスへの熱い想いを共有してクチコミ
ーズンチケット案内を送付するといったピンポイントの販
推進員となり、集客に大きな効果を生み出した。ほかに
促活動にも役立てている。地区ごとにきめ細かく整理さ
も、各種団体ルートとして業種別の組合や商工会などを
れたこのデータは、
クラブの大きな財産となっている。
通じた招待応募もあり、前述の3つのルートで網羅できな
4
い部分をカバーした。
トップの決意の下、全社一丸で取り組む
データを分析して着券率を予測
これらの招待事業によって、入場者数を伸ばし、2万人
着券率を上げるためのアイデアも練りに練られた。ま
ポイントは「何がなんでもやり遂げる」というトップの
ずチケットは直接手元に送らず、スタジアムでの引き換
強固な意志と強いリーダーシップであろう。創業社長と
えとした。これにより転売や金券ショップへの流出を未
してクラブを率いた池田氏、05年からバトンを受け継い
然に防ぐことができる。往復ハガキで応募してもらうこ
だ中野氏は一貫して「曜日や天候に関係なく、必ず全試
とも着券率に大きく影響した。100円とはいえ切手代が
合を満員にする」ことにこだわり続け、その方針はクラ
かかるだけでなく、ハガキを書く作業にもひと手間かか
ブ内の隅々にまで浸透していった。
る。このように自らアクションを起こしてもらうことで、
現在も「全試合満員」という方針はクラブ全体で共有
本当に見に来る意志のある人にチケットを提供できる仕
され、チケット販売を担当する運営部門以外も目標値を
組みとなっている。
持って達成に向け努力している。例えば、育成普及部門
招待来場者のチケットは地区ごとに色分けしており、半
が入場者数アップのために企画したのが、Jリーグ公式
券を集計することでデータを集積していく。これにより地
試合の前座試合出場権をかけた少年サッカー大会。試
区ごとの着券率を把握できるだけでなく、曜日や天候、対
合当日の午前中にスタジアム南側の多目的運動広場で
戦カードによって着券率がどのように変化するかといっ
行われ、多くの保護者が応援に駆けつける。この大会で
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を超えるシーズンチケット販売にまでつながった最大の