フランスで学んだコミュニケーションの基礎 フランス・SJ Le Crenea 宮尾岳宏 初めはだいぶ悩みました。普段の生活で感じるこのストレスがカルチャーショックなのか、ジェネレーショ ンギャップなのか、言語の壁なのか…それさえもわからない毎日。恥ずかしながら泣いてしまったり、ふてく されてしまったり。日本ではもはや恥ずかしくてそんな態度は一切とれないけれど、もうこっちではそんな心 の余裕すらありませんでした。ちょっと慣れてきた頃はワークショップやコレクティブナイトを平気でさぼる ようになりました。どう楽しめばいいのかもわからないし、どこに自分の身を置いたらいいのかもわからない 毎日。日本では 28 歳でもフランスでは 1 歳児以下でした。 具体的に言うと、例えばミーティングやゲームのとき何かを説明されますが、フランス語で言われても英語 で言われてもいまいちよくわからない。常に身の回りで何が起こっているのかわからない。だから参加するこ とも満足にできず、一緒に楽しく時間を過ごすこともできませんでした。 でもどうにかしなくてはいけないので、私は一冊のノートをとりました。辞書があるから自分で言葉を書い て伝えることはできる。初めのうちはそうやってコミュニケーションをしていました。いつしかそのノートが" マジックブック"と呼ばれるようになり、逆に「マジックブックを持ってきて」と言われるようになりました。 そんなこんなで本当に本当に少しずつ少しずつ…3 日に一単語覚えるくらいの非常にゆっくりなペースで自分 の語学力を伸ばしていきました。 「それは遅すぎじゃない?」 と日本人の子につっこまれたこともありましたが、 私はそうは思いません。学校の授業のように論理的ではなく、本当に完璧に言葉を身につけるには「読む・書 く・聞く・話す」の 4 行程全てを実際にこなさなくてはなりません。しかし同時にこの四苦八苦できる毎日が 環境が自分にとって本当に最高の幸せでした。 言語の面だけではなく、自分の行動も少しずつ変わっていきました。 「言葉の通じないなかでどうやって自分 の存在を表現するか」それを考えることが当たり前になっていったのです。日本では考えもしなかったこのよ うなこと、どうやって仲良くなるか、どうやって自分のことをわかってもらうか、これらを常に頭の中に置い ておかなくてはいけませんでした。例えばよくみんなで簡単なゲームをしましたが、最終的にこの重要性に気 付くことができました。渡航前、父親に「遊びに行くわけじゃねぇんだろ」と言われましたが、しかしこの「遊 び」が人と関わって行くうえでどれだけ大事になるかということを学ぶことができました。もし「遊び」がな かったならば、私は出会ってきた人たちに理解してもらえることはなかったでしょう。 そして、これまでいろんな人と出会いました。英語もフランス語も話せる人・英語だけが抜群にうまい人・ 英語もフランス語もぜんぜん話せない人…こうした人たちと関わりながら一つの大事なことを学びました。コ ミュニケーションというものは双方の努力が大事です。例えば「国際交流は英語さえ上手に話せればよい」と 思っている人がけっこういますが、それは完全に間違いだと思います。その人が英語の話せない人と話さなけ ればならない状況で一方的に自分の言いたいことを言い、相手の言葉に耳を貸さなかったらそれはコミュニケ ーションとは言わないでしょう。まさにそういう人こそ相手の言語を学ぶ努力・相手の言いたいことを理解す る努力をしなくてはならないのではないでしょうか。そこでやっと初めてコミュニケーションが成立するので す。 このコミュニケーションを学ぶということは、まさ に日本人同士のやりとりでも絶対に必要な能力です。 もしそれに対しておかしな認識をもっている人がいた らこのように自分の体験を語り、人とどう接するべき かを教えてあげたいと思います。言葉の通じる日本で も、もしかしたらマジックブックは必要なのかもしれ ません。例え日本語でも言葉を覚えるという根本的な 論理は外国語を覚えるときと全く同じです。フランス で赤子に戻って生活してみて、今まで見えなかったも のがとてもよく見えるようになりました。同時に自分 を強く持つことができるようになりました。他人によ り優しくできるようになりました。もはや赤子ではあ りませんがいつでも赤子になりうるこの人生を、いま や十二分に楽しんでいけるような気がしてなりません。
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