学 史 事 軍 第50巻 第 2 号 巻 頭 言 総合的戦争史と戦争観 木村靖二 (東京大学名誉教授) 今年は第一次世界大戦勃発百周年にあたり、欧米参戦諸国では新しい問題意識と研究成果に 立った本格的通史が多く出版されている。そのいくつかに目を通したが、あらためて欧米諸国と 日本の戦争観の違いについて考えさせられた。 ヨーロッパの両大戦では、前線と銃後、戦場と本国の間には、一体と言っても誇張ではないほ どの地理的・構造的 心 ・ 理的な近さがあり、本国社会は戦場となかば同居していた。戦争は地続 きの隣接国との戦争が基本で、戦争になれば、国土が戦場になったり、占領下に置かれることは 当然のことであり、「敵」のイメージも具体性・直接性に支えられていた。前線兵士と留守家族 の情報交換も濃密で、たとえばドイツでの第一次世界大戦中の兵士の本国向け野戦郵便は一一〇 億通、第二次世界大戦では三〇〇億通にもなった。ヨーロッパの戦争観、総力戦論も、前線と銃 後の一体性を踏まえて形成されている。 ・ 線は本国とは切り離された海の彼方 一方、日本では、第二次世界大戦末期を除けば、戦場 前 の別の世界であり、戦場や「敵」も体験的実感としてではなく、間接的・観念的イメージとして 理解されている。日本の戦争観は、前線と銃後の分離を前提にして形成されてきた点に、ヨー ロッパとの大きな相違がある。 こうした違いを反映して、欧米の歴史家による第一次世界大戦史では、前線での軍事状況、占 領地の動向にかなりのスペースが充てられ、それと関連させて、銃後 本国社会の戦時体制下の ・ 変動が記述されるという構成が多く、対照的に、日本の大戦通史の構成は、国内の政治 経 ・済 ・ 社会動向の記述が中心で、戦場での軍事状況の説明はいわばその背景として、簡略に触れられる のが一般的である。 二〇世紀の両大戦のような総力戦の分析には、軍事史の枠を越えた総合的戦争史への転換が必 要と言われて久しい。ヨーロッパの最近の第一次世界大戦通史は、それにかなり近づいたように 思う。日本の戦争史研究も、前線 銃 ・ 後の分断という日本の戦争の特質を踏まえながら、総合的 戦争史への転換という困難な課題に挑戦してほしいと願っている。
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