巻頭論文『住民の目線と専門家の目線』

巻頭論文
住民の目線と専門家の目線
─事業仕分けから
監査制度の抜本改革へ─
関西学院大学大学院経営戦略研究科長・教授
石原 俊彦
事業仕分けの現状と課題
◤
地方自治体だけでなく、政府でも事業仕分けが
今日重用されている。そのことに触発された地方自
実施されている。マスコミ報道からは、事業や公
治体のなかには、また新たに事業仕分けに取り組
益法人の内容を仕分けすることで、住民目線から
もうとするところも多い。しかし、こうした潮流に
は到底理解できない状況が明らかとなっている。
問題はないのだろうか。
渡りや天下り、高額な賃借料、不透明な取引・業
言うまでもなく、事業仕分けには一定以上の効
務の内容など、誰が考えてもおかしな実態が次々
果が認められる。しかしながら、なぜ、こうした荒
と解明されている。国民の事業仕分けに対する期
療治をしてまで改革に着手しなければならない事
待は非常に大きく、官僚と役人は悪代官のごとく
業や公益法人の現状が、これまでの相当の期間放
扱われている。事業内容の説明者には、その立場
置されてきたのか、という点こそが問題なのではな
からであろうが、悪代官ぴったりの役回りを「演じ
いだろうか。筆者は現行制度における行政内部の
ている」官僚も多い。
自浄能力や自己改善能力の欠如が、こうした問題
しかし、冷静に考えてみたい。事業仕分けが解
を拡大していると考えている。この自浄能力や自己
明したような事実の影で、まっとうに日々の業務に
改善能力を行政が取り戻すためには、住民の目線
まい進している真摯な役人、官僚も相当数いるは
だけでは不十分で、行政の専門家の目線が必要な
ずだ。また、日常業務の問題点に気づきながらも、
のである。
法規等の実情や組織の論理からその現状を改革で
もとより行政運営の機軸は、住民目線を基礎に
きず、日々悶々と業務をこなしている人も大勢いる
すべきものである。しかし、その機軸の周辺には、
だろう。渡りや天下りと批判されている官僚のなか
行政運営の専門家しか解決することのできない複
には、実は相当な人格者であったり、仕事の実績
雑な問題が多数存在する。大切なことは、こうし
を数多く積み重ねている人達がいる。ごくわずか
た複雑な諸問題に対して、行政の専門家が組織防
の時間で行われる事業仕分けで、こうした点を十
衛等の視点ではなく、住民目線で職務を遂行でき
分に把握することは、誰が事業仕分けの仕分け人
るかどうかという点にある。ごく一部の特権的な官
となろうとも困難である。
僚 OB の存在は、大多数の官僚・役人も望ましい
政府の役人や官僚が真摯に職務を遂行し、国民
ことでないと考えている。ほとんどの官僚・役人は、
から信頼される存在であれば、事業仕分けといっ
住民目線の行政を真摯に執行し、いつの日か住民
たある種の荒療治を行う必要はない。同じことが、
から賞賛されることを夢見て業務に取り組みたいと
地方自治体で実施されている事業仕分けにおいて
考えている。行政内部の自浄能力、自己改善能力
も言えるはずだ。もともと地方自治体で行政評価の
を活性化する意味でも、また、公務員がバッシン
一類型として開発された事業仕分けは、次第に政
グされることなく、誇りをもって職務を全うしてい
府の無駄や非効率を摘発する手法として進歩し、
くためにも、大多数の官僚・役人のもつ専門家とし
しん し
もんもん
vol.94
Toshihiko Ishihara
石原俊彦(いしはら・としひこ)
ての知見を有効活用するシステムを構築しなけれ
ばならない。
事業仕分けの次は監査機能の強化
◤
関西学院大学大学院経営戦略研究科長・教授。現在、総務省地方行
財政検討会議構成員。2010年7月日本公認会計士協会理事就任予
定。英国バーミンガム大学公共政策学部客員教授。日本初の英国勅
許公共財務会計士。博士(商学)。主要著書に、『CIPFA:英国勅許
公共財務会計協会』(単著、関西学院大学出版会)
、
『パブリック・
ガバナンス』(監訳、中央経済社)など。
員監査、包括外部監査などが制度として存在して
事業仕分けは一時的な対症療法であり、行政内
いる。しかも、これらは行政の無駄を刷新する典型
部の自浄能力、自己改善能力を回復させるもので
的な制度なのである。筆者はここで改めて読者に
はない。事業仕分けのみでは不十分であり、その
問いかけたい。
「会計検査や監査委員監査が制度化
ことこそが本質的問題なのである。筆者がここで
されているのに、何ゆえ、事業仕分けで明らかと
事業仕分けを対症療法と位置づける背景には、以
なるような、諸問題が多数存在するのだろうか」と。
下のような5つの限界が存在する。
地方自治体を例にとって、このことを詳細に考
① 仕分けの対象とならない事業や公益法人の
察してみよう。まず、地方自治体には、すべての自
改革が放置される。
② 一部の事業や公益法人を対象とすることで、
全体最適の目線が失われる。
治体に監査委員の監査が制度化されている。さら
に、都道府県、政令市、中核市には公認会計士や
弁護士による包括外部監査も制度化されている。
③ 仕 分け人のもつ圧倒的なポジション・パ
監査委員の監査は、例月出納検査、定期監査(財
ワーが、偏見とも思われる結論を、時とし
務監査)
、決算審査といった財務を対象とする財務
て導くことがある。
監査と、行政執行の VFM(Value For Money:最
④ ごく限られた時間に結論を導くという拙速
性と一時性が認められる。
少の経費で最大の効果)の程度を吟味する行政監
査に大別される。監査委員には、行政 OB や議員、
⑤ 合理的な証拠形成に基づいて結論が導出さ
その他の有識者が選任されているし、監査委員の
れず、仕分け人の持つ直感で評価が行われ
監査を補助するために、どの自治体でも監査事務
ているようにも見える。
局に職員が配属されている。
ここで整理した5つの限界は、いずれも適切な
わが国の地方自治体監査制度は、地方自治法に
行政運営を行う場合、最終的には克服されなけれ
おける規定の整備や人材の確保、財政措置も行わ
ばならない課題である。①②は公平性の観点から、
れており、外見的には制度が良好に整備されてい
③④⑤は住民目線からのそもそもの問題提起であ
るように伺える。ところが、裏金、預け、横領、収
る。事務事業評価等の行政評価でも同様に認識さ
賄、目的外の人件費や旅費の執行など、いわゆる
れる課題ではあるが、事業等の評価は、すべての
「不適正経理」と称される案件の発生は、依然とし
事業等を対象に公平に実施されなければならない
て住民を納得させる低い水準にまで統制されてい
(①②と関連)
。また、仕分け人の切り口は、果たし
ない。むしろ、こうした不適正経理の問題が絶え
て一般的な住民の目線に沿ったものと言い切れる
ず発生し、住民の行政に対する信頼を失墜し続け
のであろうか(③④⑤と関連)
。こうした課題を内
ているとさえ言えよう。良好に整備されているよう
包する限り、事業仕分けは対処療法の域を出ない
に見える自治体監査制度ではあるが、その実は効
のである。
果的に運用されていないのである。
それでは、事業仕分けのような対症療法ではなく、
行政の悪しき体質を抜本的に改革するための治療
方法とは、何か。この点こそ、筆者が本稿で最も
強調したい点である。周知のとおり、政府や地方
しっ つい
現行監査制度ではまったく不十分、抜本改
◤
正へ
自治体において、行政の無駄を刷新するための仕
監査の問題は自治体経営(マネジメント)のあ
組みは、事業仕分けだけではない。そもそも、行
り方と、経営を監視するガバナンスのあり方に、大
政には、会計検査院の検査や地方自治体の監査委
きな影響を及ぼしている。たとえば、2009年3月総
vol.94
巻頭論文
務省「地方公共団体における内部統制のあり方に
である。自治体関係者は、監査制度をいま一度立
関する研究会」がまとめた最終報告書では、自治
ち止まって、抜本的に見直すことの必要性を認識
体のマネジメントには内部統制の整備と運用が不
すべきである。
可欠であり、監査委員やその事務局による監査は、
自治体の現場では、内部監査として内部統制の重
要な一部を構成していると指摘されている。また、
首長のマネジメントは、議会や包括外部監査人に
地域主権と監査制度改革のあり方
◤
鳩山内閣から菅内閣へと内閣は交代した。しか
よってガバナンスされていると、整理されている。
し、現在の民主党政権で、地域主権改革が引き続
この点に関連しては、しかしながら、2009年度の
き重要な政策課題であることは明らかである。この
第29次地方制度調査会が、監査委員の専門性と独
ことは自民党政権においても地方分権の問題とし
立性を向上させ、監査委員監査が実質的な外部監
て議論されてきたし、日本全国のおそらくすべての
査機能を発揮するような方向で議論を展開してい
地方自治体の首長や議員が地域主権の実現を望ん
る。両者を比較すれば、ある意味異なるベクトル
でいると考えられる。また、何よりも新しい公共を
で、監査委員監査のあり方が問われている。具体
創出するという発想のもとでの地域主権の実現は、
的には、監査委員は、執行機関としてマネジメント
多くの住民が望むこの国の将来像を現していると
の一翼を担うのか、それとも、監視機関としてガバ
考えられる。
ナンス機能を担うのか、という問題である。
地域主権の時代には、
「地域のことは地域で決定
2009度、都道府県等の会計検査で発覚した多額
する」という発想が求められる。それゆえ、地方自
の不適正経理の問題は、住民の行政に対する信頼
治体には政策の形成能力やその執行のための財源
を大きく裏切る結果となった。それゆえ法令等遵
の保証などが求められる。その一方で、地方にゆ
守を前提に、強固な財務体質を構築し、地域主権
だねられた財源、すなわち、税金の使途について、
時代に相応しい住民への恒常的な行政サービスの
個々の地方自治体は、これまで以上に大きな透明
提供とその質量の改革改善、すなわち、VFM に取
性と説明責任を果たさなければならない。会計検
り組むことが、都道府県をはじめとする地方自治体
査で幾つもの不適正経理が発見されたり、地方自
の最重要課題となっている。
治体職員の不祥事が毎日のように発生している状
この課題に取り組むときに、内部統制の構築に
況は明らかに異常であり、このままで地域主権が
加えて忘れてはならないのが、地方自治体におけ
実現されることなどありえない。監査機能を充実
る監査機能の重要性である。現行の監査委員監査
強化するための抜本改正が、地域主権を実現する
制度は、例月出納検査、財務監査、決算審査、行
ための重要な必要条件であることが、重ねて認識
政監査等の形態をとり、期待される目的は、正確
されなければならないのである。
性(誤謬の発見)
、適法性(合規性)
、VFM(経済
現在、地方行財政検討会議において、監査委員
性、効率性、有効性)など多様である。しかし実
監査制度など自治体の監査制度の抜本改正を含め
際はどの監査形態が、どの監査目的を実現する監
た地方自治法改正の議論が展開されている。そこ
査制度であるのかという点さえ不明確である。実
では時に、
「現行の監査制度でも十分に機能してい
務的には、監査委員の適格性、報酬、責任などに
る」という認識、あるいは、
「監査制度もまた、地
ついての問題点も指摘されている。中小自治体で
域のことは地域が決定するという地域主権の原則
は、そもそも監査が実際に機能しているのかという
から、地方自治法の改正を通じて監査制度の改革
問題さえ提起されている。月額報酬数万円の監査
を図るべきではない」という見解が示唆されている。
委員と、それを支えるわずかの職員(しかも兼務)
筆者もこの検討会議の構成員として会議に参加
で、制度が期待する監査機能が発揮されていると
しているが、まず、現行の監査制度に問題がない
は思えない。このように現行制度には数多くの問題
という示唆には、すでに述べたような理由から正面
があり、有効に機能しているとは到底言えないの
から反対したい。昨今の公務員不祥事、自治体の
vol.94
住民の目線と専門家の目線
不適正経理、事業仕分けなどで明らかにされる行
が更新されていない。
政運営の実態から見ても、現在の監査制度が有効
こうした難題を根本から解決するためには、地
に機能しているなどとは、まったくありえない話で
方自治法の監査委員監査に関する規定を抜本的に
ある。
改正し、日本全国の自治体に一律的に水準の高い
問題なのは、地域主権の展開と監査制度のあり
監査制度を確立する必要がある。監査の専門家と
方である。地方自治体が地域主権の担い手として
して筆者は、いま期待されている高度な監査委員
期待されるのであれば、監査制度のあり方もまた
監査制度の確立は、個々の自治体の努力で実現で
その地域(自治体)で決定すれば良いという発想
きるほど、容易なものではない、ということを強調
は理解できないでもない。特に一部の先進的な地
したい。この点は、地域主権という名のもとで「地
方自治体では、独自に監査の手法などを改革改善
域のことは地域で決定する」という原則の例外と
し、非常にレベルの高い監査を実践していると報
して、明確に認識しておくべき点である。不可能
告されている。こうした状況を斟酌すれば、地方
なことを、地域主権の名のもとで主張するという進
自治体における監査のあり方についても、地域
め方は、適当な方法ではない。
(地方自治体)の自主性にゆだねるというベクトル
もありうるであろう。
しかしながら、地方自治体の外部監査が、地方
自治体の税金の使途の合規性や VFM を対象とす
むすびに代えて
◤
住民の目線という言葉が自治体経営で言及され
る監査として、広く住民からの信託を得たものとな
て久しい。しかし、ただ漠然と「民間では」とか
るためには、
「制度としての監査」のあり方を見定
「住民の期待」という言葉とセットで住民目線が語
める必要がある。もちろん、それぞれの自治体に
られるのは、非常に危険な方向性といえよう。昨今
おける内部監査のあり方については、内部統制構
の自治体経営には、自治体職員を中心とした専門
築責任の一環として、その内容についてはすべて
家の目線が不足している。もちろん、自治体職員
首長の判断で決定することができる。すなわち、
等の側にも、十分な専門家としての目線を有してい
内部監査は内部統制の一部であり、その設定はマ
ないケースも多い。この点は自治体職員も謙虚に
ネジメントの問題であり、首長の問題である。しか
反省し、自己改革に努めなければならない。しか
し、内部統制の一部である内部監査の構築と、ガ
し、一定数の自治体職員は、非常に高い見識と専
バナンスとして機能する外部監査としての監査
門家としての技能を有している。この見識や技能
「制度」のあり方を混同してはならない。外部監査
を、より積極的に自治体経営とガバナンスに取り込
が制度としての監査である以上、内部監査とは異
むことで、困難な時代の自治体改革が加速度的に
なる展開が求められるのである。
推進すると期待される。
外部監査が社会制度として有効に機能するため
本稿で考察した「事業仕分け」と「監査委員監
には、監査委員監査が実質的に有効に機能するこ
査」は、事業や公益法人のあり方について、住民
とに加えて、監査委員監査制度の外見的信頼性を
の目線と専門家の目線を対比できる格好の事例で
一定確保することが不可欠なのである。現在の自
ある。
「事業仕分け」に一定の効果が存在すること
治体監査委員監査制度には、実質要件の瑕疵(①)
は否定しない。しかし、今後のあるべき方向性と
に加え、外見的信頼性を失墜する次のような要因
して、
「監査委員監査」制度の充実強化、すなわち、
(②③)がある。
① 監査委員の選任に際して専門的能力や実務
経験が必ずしも問われていない。
② 監査委員の選任に関して外見的独立性が必
ずしも問われていない。
③ 監査委員監査の行為規範となる『監査基準』
抜本改革こそが、事業や公益法人の見直しに不可
欠であることを、われわれは認識しておく必要があ
る。また、こうした抜本改正には、個々の自治体で
は必ずしも実現できない高いハードルが存在する
ことも忘れてはならない。時には、専門家の目線が、
住民の目線を上回ることもありうるはずである。
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