ビッグブックの中に次の一節が書か れています。「意欲と

ビッグブックの中に次の一節が書か
かし自分がたくさんの人の愛に囲ま
れています。
「意欲と正直さと開かれた れて、皆の中で生かされてきたという
心が回復に必要な核心である。これな 事を知る事で、生きていく自信が持て
しに回復はありえない。」
意欲 - こう見えても人一倍の負
ました。
仕事をさせてもらっている今、毎日
けず嫌い、課題のスリーミーティング、 ハンコで押した様に決まっていて変化
どんなに疲れてても、遠くても雨が降 のない横浜マックでの生活、懐かしい
っても頑張りました。疲れて帰って来 気がします。でも毎日の様に起きる変
てお風呂の中で寝てしまいおぼれかけ 化に悪戦苦闘しながらも、自分の力だ
たり、3ヶ月でスニーカーの底がぬけ けではない、ハイヤーパワーに見守ら
てしまったり、交通費が月5万円を超 れながら、前を向いて生きていくつも
える事もありました。
りです。
正直さ
正直
さ - グループセラピーで過去
長い様で今思えば短かったマックで
の出来事を話す事なんて出来ないと最 過ごした9ヶ月と24日。自分自身を
初は思っていたけれど、仲間の話を聞 見つめ直して、考え方、生き方を変え
いている中で自然と話せる様になり、 るチャンスをもらったこのプログラム
気がついたらほぼ皆話す結果になりま に出会った事に感謝、これからも日常
した。すいません 100%ではありませ 生活の中で実践してい くつもりです。
ん。
最後に施設長はじめスタッフの皆さ
かれた心
開かれた
心 - 現状を受け入れて許 ん大変お世話になりました。今後のマ
す事。他人が悪い、世の中が悪いと批 ックとマックの仲間達の未来に夢と希
判ばかりして酒に逃げていた過去。し 望があります様に祈ります。
M.K
M.K
2年前の3月末、病院から中間施設
ラムを通して教えていただきました。
へ通所という事になり、2年5ヶ月で
アルコール依存症という病気、巧妙
やっと修了する事ができました。アル
で、不可解で、強力なものアルコール。
コール依存症という良く解らない病
時々、何でそんな事になってしまった
気の治療の為病院から通所、一日2回
のかな?なんて思いもしますが、2年
のミーティングを終えて病院に帰る
半学んだ事、忘れないよう生きていき
生活。その後6月末ナイトケアに入所
たいかなと思います。
して、3ミーティングを行なう事にな
依存症ですと診断されて7年にな
りました。その時の気持ちは何が何だ
りますが、なぜあの時に中間施設に通
か解らず、感情もないままに決められ
所しなかったのか。そうしたらすべて
た事をこなしていただけでした。
を、家族を失くす事もなかったのにと
最初の頃の自分というと、ご多分に
時々思いますが、たぶんその時誰かが
もれず「私はここに居る人達とは違
教えてくれていても、私の耳には入ら
う」という気持ち、あの病院にさえ行
なかったと思います。この時期だった
かなければ、ここには居なかったとか。 から心に入って、無事マックを修了す
「中間施設に来れて良かった」と思え
るまで、時間はかかった様に思います。
思い返してみるとミーティング以
る事ができました。
最初の頃、気になっていた家族の事
等々、年月と共にどうにかなるだろう
外いろいろな行事がありました。バレ
と考えられる様になり、就労だったり、
ーボール、卓球、体操、ヨガ、月一回
自立だったり落ち着きをもらってい
の調理プログラム、夏の海水浴、潮干
ます。見守ってもらえ、職員の方々、
狩り、バーベキュー、冬の日帰り温泉。
仲間の方々に感謝の気持ちでいっぱ
ビールのない海、温泉 とても楽しか
いです。ありがとうございました。
った。一人ではできない事を、プログ
Y.T
酒の無い生活は想像できない
た。「先生
先生」は、何を考えている
先生
病院から初めてマックに来た
んですか?!」と。結局、次の日
日の午後、面接があった。
「これか
から1時間早く、マックに行く事
ら、どうしていきたいのですか?」
になった・・・。その日から、2
と質問され、
「できれば、退院後は
年と8ヶ月が過ぎた。振り返ると、
仕事に戻る方向で考えたいのです
長いような気もするが、やはり、
が・・・」
あっという間に過ぎていった感じ
そんな受け答えをし
たと思う。たぶん、マックに通う
だ。
のは入院中だけにしたい。退院し
退院当日から3ミーティングが
たら元の職場に戻り、また飲
飲むこ
始まる。
「イヤです。」とも言えず、
とを考えていたと思う。自分が酒
逃げ出す勇気も、気力も、金も、
を止められるわけないし、酒の無
頼る人もいなかった。
“従う”より
い生活なんて想像もつかなかった
他はなかった。
から。― 止めた方がいいだろうと
は、正直思っていたが・・・。-
その面接が終わり、病院に戻る
病気なんて認められない
自分が病気であることを認め
られなかった。酒を一生飲めない。
とすぐに担当医に呼ばれ、わけが
世間の目、見下される、社会から
わからないまま怒鳴られた。説明
はじかれる。酒の飲めない人生な
すらなく。「君
君 は 、何を考えてい
んてあり得ない。とりあえず今は
るんだ!」何も言い返せない。怒
ガマンしよう。そのうちに何とか
鳴られる理由がわからないのだか
なるだろう。適当にやっていれば。
ら。こっちの方こそ、聞きたかっ
なるべく逆らわず、大人しくして
いれば。そんな気持ちがあった。
こう側の輪の中に、入れたような。
うわべでは、
「飲まないで生きてい
会場係をやらせてもらい、人に信
きます。」という顔をしていたが。
用される事(自分で思ってただけ
でも、心は常に揺れ動いていた。
だろうが)を、うれしく感じた。
止めたい。止められるわけない。
2・3廻りが始まって、他の施
少し ぐ ら いは 。 で も 一杯 飲 ん だ
設の仲間と出会える機会ができた。
ら・・・。忘れられない過去を、
帰り路で、ステップやAA・ホー
ゆるせなかった自分を思い出すた
ムグループ・スポンサーの事など
びに、罪悪感が。はっきりできな
をよく話した。ライバル意識みた
いのが苦しかったかもしれない。
いなものもあったけれど。どこか
どこかで、自分の感情と闘ってい
共通した考えの仲間がいる事がう
たかもしれない。曖昧でモヤモヤ
れしかった。これも仲間意識だと
していた。作り笑い。他人の言葉
思う。初めて病院メッセージに行
が突きささる。くだらない冗談。
かせてもらった時は、緊張もした
本音が話せないもどかしさ。
が、内面舞い上がっていた。いわ
“仲間”とは思えなかった。自
ゆる“ピンクの雲”に乗った状態
分は違うのだから。病気ではない
だった。注意されてわかったのだ
のだから。ただ、負けたくなかっ
けれど。
た。他人に、そして自分にも。少
しだけど、「やるしかないな。」と
就職が決まった
4回の面接がダメで、ようやく
いう気持ちはあったと思う。
仕事が決まった時はうれしかった。
ホームグループを決めた
横浜のハローワークで検索を終え、
ホームグループを決め、少しず
「いつまで続くんだろう・・、職
つ自分の恥ずかしい過去の話しを
探し・・。」トボトボ歩いていたら、
するようになった頃、話した事を
採用のTELが。まるで人生が生
後悔もしたりしたが、何となく仲
まれ変われるような喜びだった。
間に入れた感みたいなものがあっ
そのうれしさを伝えたくて、すぐ
た。自分では入りたくなかった向
マックにTELをした。でも仕事
に就いて1ヶ月は厳しかった。辛
辛い 顔 、 悲し い 顔 、 呆れ 果 て た
かった。終わった時は着替えるの
顔・・・。笑った顔などなかった。
もやっとなほどクタクタになり、
最後には、
「海でも山でも川でもい
すぐにでも飲みたくなった。過労
いから、迷惑にならないように死
と夏バテで1日休ませてもらい、
んでくれ。」と目に涙を浮かべた顔。
点滴を打ってもらった。3ヶ月目
最後に飲んで入院させてもらっ
位から、仕事に対しての考え方・
た時、毎日考えた。
「何でこうなる
感じ方が変わってきた。自分なり
んだろう。何でいつもこうなっち
のペースで、あせらず、丁寧にや
まうんだろう?何でだろう。自分
るようになってきた。仕事が終わ
がいけないんだよな。でもな・・。」
ってから、近くの川のほとりで吸
“運命”だと思った。その言葉で、
うタバコがうまかった。充実感が
自分を納得させるしかなかった。
あった。“努力すれば、与えられ
酒で苦しみ、したくないことをし
る。”という感じがした。これがス
て迷惑を掛け、もがいて死んでい
テップの実践かなと思った。
く人生。それが俺の人生だと。
「で
ステップ4・5が終わった
もな・・。」死にたくはなかった。
5月に棚卸しを書き終えた。部
生まれ変わりたかった。そんな事
屋のそうじ・整理整頓を心がけた。
ばかり毎日々々、考えていた。
TVを見ないようにした。6月に
考え方を変えさせてくれた
ステップ5をして頂いた。ひとつ
考え方を変えさせてくれた。横
区切りを越えた感じがして、少し
浜マックそして仲間とステップ。
ホッとした。8月にお袋と会って
これも“運命”かなと思う。チャ
昼飯を食べた。つまらない俺の話
ンス(機会)そしてチャレンジ(挑
しで、お袋が笑った。何年かぶり
戦・実行)。そしてチェンジ。あり
に見たお袋の笑顔。飲んで心配ば
がとうございました。感謝
かりさせていた頃は、困った顔、
K.H