『書香』28号

大谷大学図書館・博物館報(第28号) ( 1)
大 谷 大 学
図書館・博物館報
第28号 2011年3月18日
大谷大学図書館・博物館 発行
43 京都市北区小山上総町
〒603―81
TEL.
075― 411―8123
目 次
〈巻頭言〉
「物足りる」図書館
村瀬 順子 (図書館長・教授) …………… 2
〈資料紹介〉
『アリスト テレス協会紀要』(Pr
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anSoc
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y)について
朴 一 功 (教授)………………………… 3
日本近代都市社会調査資料集成
山下 憲昭 (教授)………………………… 5
『狩野文庫マイクロ版資料』について
大秦 一浩 (准教授)……………………… 7
〈博物館特別展〉
特別展「親鸞 ─その人と生涯─」の開催について 宮﨑 健司 (学芸員・教授) ……………… 8
〈NewsSour
ce〉
図書館システムリプレ イスについて ……………………………………………………………… 1
0
図書館・博物館の活動 201
0年度記録 …………………………………………………………… 11
( 2) 大谷大学図書館・博物館報(第28号)
〈巻頭言〉
「物足りる」図書館
図書館長・教授 村 瀬 順 子 (英文学・英米文化)
夏目漱石の『三四郎』は、熊本の高等学校
とは言え、世紀の変わり目に2年間イギリ
を卒業して東京帝国大学に入学した三四郎の
スのロンドンに留学した漱石自身は、かの有
淡い恋と失恋を描いた青春小説である。大学
名な大英博物館内にある図書閲覧室(大英図
の授業が始まり、律義な三四郎は専門以外の
書館は閲覧室を残して1998年に別の場所に移
授業も含めて週40時間以上の授業に出席する
転)へは行かなかったようだ。読みながら余
が、どうも物足りない感じがしてならない。
白に書き入れをすることを習慣とし た漱石
それを聞いた友人の佐々木与次郎は、馬鹿に
は、図書館で借りるよりも自分で購入する方
したようにこう言い放つ。「下宿屋のまずい
を選んだのだろう。留学中、衣食住を切り詰
飯を一日に十返食ったら物足りる様になるか
めて400冊にも上る本を買い集め、下宿に籠
考えてみろ」と。つまり、大学の授業など、下
城して文学論の研究に没頭した。
宿屋のまずい飯と同じで、いくら食べても満
一方、正に漱石と入れ違いで日本に帰国し
足のいくようなものではないというのである。
た南方熊楠は、8年間のロンドン滞在中、大
与次郎は三四郎に電車を乗り回すこと、料
英博物館の古美術部門で東洋関係の資料整理
理屋でご馳走を食べること、寄席を楽しむこ
を手伝ったことから閲覧室の利用が認められ、
とを指南した後、こう告げる。「これから先
毎日、朝から晩まで通いつめたと言う。生物
は図書館でなくっちゃ物足りない」と。これ
学から民俗学に至るまで幅広い関心を持って
を聞いて三四郎は図書館通いを始める。
いた熊楠は、古今東西のあら ゆる書籍から
大学の授業を下宿屋のまずい飯に例えるあ
「抜書」し、「ロンドン抜書」と呼ばれるノー
たり、大学教員の立場からすれば、苦笑する
トは大判で54冊に上ったという。今のように
他ないが、ある種の真理を衝いているところ
コピー機のない時代であったからこそ、驚異
もある。それは、大学の授業も下宿屋の飯も
的な記憶力を持つ熊楠にとっては抜書こそが
宛行扶持(あてがいぶち:一方的に与えられ
知識を身につける手段だったのだろう。
るもの)では面白くないということではない
漱石と熊楠は同年の生まれで大学予備門の
だろうか。ただ単に椅子に座って授業を聞い
同級生だった。全く正反対の気質を持つ二人
ているだけでは身につかない。自分で興味を
だが、学問への熱い思いを抱いて、それぞれ
持ち、疑問に思ったことを追求していく姿勢
のやり方で「物足りる」べく奮闘努力してい
が大事だということだろう。
た様子が伺える。こうした明治の達人たちか
そういう意味では、豊富な資料を備えた図
ら学ぶことは実に多い。但し、熊楠は、閲覧
書館は「主体的に学ぶ」ための絶好の機会と
室で二度暴力事件を起して利用許可を取り消
場所を提供してくれる。授業が物足りないと
された。理由はともあれ、多くの人たちが利
感じたら、図書館は「物足り」得る場所であ
用する図書館では、まずマナーを守ることが
るに違いない。
肝要である。
大谷大学図書館・博物館報(第28号) ( 3)
〈資料紹介〉
『アリストテレス協会紀要』(Pr
oc
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anSoc
i
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t
y)について
教授 朴 一 功
(西洋古代哲学〈ギリシア哲学〉)
『アリストテレス協会紀要』は、
1880年にロ
れ、出席者は5名、会の発案者は化学者のセ
ンドンで創設された哲学会「アリストテレス
ニアー(Al
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)であった。そして今
協会」の研究雑誌であり、旧シ リーズ 3巻
後は女性を含む2
0名程度の会員で隔週月曜日
(1888/
9
11895/
96)
、新シリーズ103巻(1900/
に会を開くことなどが決定され、二週間後に
0
12
00
3)、および補遺77巻(19
182
00
3)が再
予定通り、設立された協会の初会合が開かれ
版され、本学に所蔵されるようになった。同
た。
協会は、現在も活発に活動しており、継続し
最初のテーマは「哲学とは何か」であり、
て雑誌を年3回(9月、12月、3月)
、補遺を
討 論 者は 医 師 の バ ーン ズ =ギブ ソン
年1回(6月)発行している。
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Bur
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Gi
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on)であったが、それに先だっ
「ア リ スト テレ ス 協 会」は、イギ リ スに
て、会の名称と会長選出の件について話し合
おける哲学の最も重要な学会の一つである
われた。どちらの案件もバーンズ=ギブソン
ばかりか、国際的にも大きな影響力をもっ
の提案によって解決されたが、医師の彼は、
ている。今日にいたる まで、ラッセル(B.
哲学ではヘーゲル派であった。会の名称の考
Rus
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)、ムーア(G.E.Moor
e)
、ホ ワ イト
案にあたって彼の念頭にあったのは、「哲学
D.
Ros
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)
、
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d
)
、ロス(W.
ヘッド(A.
N.
Whi
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的」という用語がイギリスでは気象器具にま
ライル(G.Ry
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)、エアー(A.J
.Ay
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)、オー
で使われるという、その乱用ぶりをこきおろ
スティン(J
.L.Aus
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n)
、ポパー(K.Poppe
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)
、
していたヘーゲルであった。19世紀は近代科
ハート(H.L.A.Ha
r
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)、バーリン(I
.Be
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n)
学が哲学から独立していった時代であり、気
ら、その名を歴史に留める人々が会長職を務
象器具はもはや哲学の対象ではなかったので
め、数多くの有力な哲学者たちが、そのつど
ある。
最前線のさまざまな研究を発表し、議論を重
哲学は思索的なものであり、会もそのよう
ねてきた。
な哲学を志し ていたので、哲学の思索性を
しかし、なぜ協会名に古代ギリシアの哲学
はっきりと打ち出す名前が求められた。こう
者「アリスト テレ ス」の名前なのか? 192
9
して、哲学史における代表的な哲学者「アリ
年、第50回会期を終えるにあたって、会の形
ストテレス」の名前が採用されることになっ
成期に幹事役を務めていたウィルドン・カー
たのである。当時、世界的に著名なイギリス
「アリスト
(H.Wi
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donCa
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r
,185
7193
1)が、
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,
の 哲 学 者 ス ペ ン サ ー(He
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テレス協会」の半世紀の仕事を回顧して、自
182
01903)に 対し て、「ア リ スト テレ ス協
分たちの立場と見解を確認している。その貴
会」が関わりをもたなかったのも、会のこの
重な報告は『紀要』の新シリーズ第2
9号に掲
ような性格による。思索的な問題こそ哲学の
載されているが、それによれば、1880年4月
本領であり、哲学は哲学の歴史から切り離す
19日に協会設立のための会合が、ロンドンの
ことができない、と考えていた「アリストテ
ブ ルームズベリー・スクエア17番地で開か
レス協会」からすれば、スペンサーは「独断
( 4) 大谷大学図書館・博物館報(第28号)
的な科学精神」の代表者と見られたのであ
あれば、他の資格はいっさい求められない。
る。会の初代会長にはオックスフォード出身
事実、会員には宗教的、社会的、政治的関心
の哲学者ホジソン(S.H.Hodgs
on)が招かれ
の異なる人たち、また哲学における最も対立
ることになった。
的な原理の代表者たちが含まれていた。こう
こうした経緯からわかるように、「アリス
して「アリストテレス協会」はどこかの大学
トテレス協会」は、特にアリストテレスを研
を拠点とすることなく活動を続け、現代にお
究する学会でもなければ、アリストテレス主
ける哲学の一つの重要な可能性を追求するこ
義を信奉する学会でもなくて、もっぱら哲学
とになった。それは、大学の外での、哲学愛
の体系的な研究のための学会にほかなら な
好にとどまらない、本格的な哲学研究の可能
い。ウィルドン・カーによれば、「アリスト
性である。
テレス協会」の理想は、哲学をアカデミック
哲学は必ずしも時代とともに進歩する学問
な学問としてではなく、まさに「人間の思考
ではない。哲学にとって大切なのは、何らか
の 物 語」(t
hes
t
or
yofhuma
nt
hi
nki
ng)とし
の解決よりも、むしろ哲学的な問題をめぐる
て研究することであり、「協会」はその歴史
対話と議論の深まりである。『アリストテレ
を通じて、この理想から一度も「ぶれた」こ
ス協会紀要』は、こうした対話と議論の記録
とはなかったという。
であり、今後も哲学に関心をもつ人々に、研
また、会員になる唯一の条件は、「哲学へ
究と思索のための豊かな糧を提供してくれる
の本物の関心」であり、問題への理解力さえ
だろう。
大谷大学図書館・博物館報(第28号) ( 5)
〈資料紹介〉
日本近代都市社会調査資料集成
教授 山 下 憲 昭
(社会福祉学〈社会福祉史・地域福祉活動論〉)
先般、『日本近代都市社会調査資料集成』
会調査に着手していくなかで、社会事業行政
(復刻版)が本学図書館に収蔵された。これ
の体系化も進んでいった。国では内務省地方
は、東京・大阪・京都・神戸・名古屋・横浜
局救護課が19
19年に社会課に改称され、翌年
の6大都市において、大正期半ばから昭和の
社会局に、職業紹介法や健康保険法の制定を
戦中まで実施された社会調査を網羅するもの
受けて外局に昇格し、労働行政と社会事業行
であって、500冊余におよぶ膨大な調査資料
政とを併合統一することとなった。その後、
である。
健康保健部や職業課などを設置して、固有の
これらの調査が実施されたのは、第一次世
失業対策がようやく現実の政策過程にのるこ
界大戦と第二次世界大戦の戦間期に位置する
ととなった。
激動の時代で あった。19
18(大正7)年の
社会調査実施当初、労働能力を有しながら
「米騒動」はまたたく間に日本全体に波及し、
も社会の底辺で喘いでいる「細民」を対象と
社会問題の重大性を強烈に印象づけるできご
したものが多い。農山漁村の人口の多かった
とであった。第一次大戦の最中に急激な工業
時代であったが、賃金労働者の生活問題が社
化が進み、わけても政治都市であった東京、
会問題として顕在化していったのである。小
商業都市であった大阪をはじめ京都、神戸、
額労働者調査、無宿者(浮浪者)調査、住宅
横浜、名古屋も工業都市として変貌していっ
調査、女性労働者や売春問題に関する調査、
た。192
0年の戦後恐慌以来、不況のもとでの
幼少年保護調査、在日外国人の実態把握など
労働組合運動の高揚、社会主義思想の広が
多岐に及んでいる。また、衛生状態や教育問
り、関東大震災、金融恐慌、世界大恐慌へと
題、経済保護事業としての職業紹介、公設市
社会不安は拡大する一途であった。192
0年代
場や食堂、質屋などの実情について調査し、
の社会経済状況は、基幹産業の停滞にともな
さらに乳幼児死亡率や妊産婦の状態、高齢者
う大量の失業者と金融資本の確立とを特徴と
などへと調査対象を細分化していった。
し、未曾有の経済不況のなか、貧富の差の拡
1930年代に入り、時代の行き詰まりを打破
大は深刻な事態となった。遅れて資本主義経
すべく、対外的には植民地拡大、国内的には
済に突入した日本では、労働問題対策(社会
物心両面にわたる軍国主義支配へと歩んで
政策)の整備は極めて貧弱な内容であって、
いった。社会調査は太平洋戦争末期までつづ
失業問題対策も社会事業の枠内にあった。
けられたが、調査の実施も社会事業の変質と
さて、これらの都市において社会問題を放
同様に、戦時体制での人的資源の涵養を中心
置できなくなるなかで、その実態を明らかに
課題とするものとなっていった。
する必要性が認識されていった。それまでも
『日本の下層社会』を著した横山源之助や浮
浪児のケーススタディに取り組んだ安達憲忠
などの民間の調査活動はあったが、行政が社
( 6) 大谷大学図書館・博物館報(第28号)
1.東京市社会局調査 192
0(大正9)年~193
9(昭和14年)
2.東京市・府社会局調査 1922(大正11)年~1943(昭和18年)
3.大阪市社会部調査報告書 192
7(昭和2)年~1942(昭和17)年
4.京都市・府社会調査報告書Ⅰ 1903(明治36)年、192
0(大正9)年~1944(昭和19)年
5.京都市・府社会調査報告書Ⅱ 19
18(大正7)年~1943(昭和18)年
6.神戸市社会調査報告書(含兵庫県) 19
18(大正7)年~194
3(昭和18)年
7.名古屋市社会調査報告書(含愛知県) 192
0(大正9)年~1944(昭和19年)
8.横浜市社会調査報告書 19
15(大正4)年、19
19(大正8)年~1943(昭和18)年
9.大阪市・府社会調査報告書 19
17(大正6)年~1943(昭和18)年
大谷大学図書館・博物館報(第28号) ( 7)
〈資料紹介〉
『狩野文庫マイクロ版資料』について
准教授 大 秦 一 浩
(国語学)
世に三大文庫という。「加賀文庫」、「蓬左
むと、宗教なんか馬鹿らしいというのは当た
文庫」、そして「狩野文庫」を指す。東北大学
り前だ」と言わしめた(小林勇『蝸牛庵訪問
か のうこうきち
附属図書館蔵「狩野文庫」は、狩野亨吉博士
記』)。成果を誇らずひたすら学識を深めゆく
旧蔵の和漢古典類10万8千冊余の集成であ
生き様からすれば、生涯独身を通したことに
る。かくも厖大な文献を渉猟した狩野亨吉と
も頷ける。薄田泣菫は「独身主義者」と題す
はどのような学者であったのか一眸し、「狩
る「茶話」で、狩野に「唯真理を研究するの
野文庫」の意義に触れてみたい。
に忙しいもんだから、結婚する閑が無かつた
狩野亨吉(18651942)は現秋田県大館市
んだね」と語らせておいて、「しかし狩野氏
生まれ。帝国大学で数学と哲学を修め、まず
が…捜してゐる真理といふものも、実際手に
旧制四高教授、次いで夏目漱石の薦めにより
取つて見れば、結婚同様案外下らない物かも
五高教授となり、3
4歳で一高の校長となっ
知れない」と揶揄したが、これは茶化し過ぎ
た。この時、漱石を一高講師に招いている。
というもので、「彼は江戸時代の古本を片っ
なお、漱石没時に友人代表の弔辞を読んだの
端から読みました。…一生独身を通し、それ
も、修善寺の漱石詩碑をものしたのも狩野。
までの蓄えを全てつぎ込みました。…彼が悩
要職歴任の後、明治39(1906)年、京都帝
み続けたことは、『日本人には独創性がある
国大学文科大学の初代学長に就任。講座設置
か』ということでした。維新後、日本は国際
にあたって慣例に従わず、人物本位で在野の
社会に仲間入りして…学問もヨーロッパ風に
賢人を招いた。「どうしてすぐれた学者が数
する。それらはうまくいっているが模倣にす
多く集まったのか、今もって不思議である。
ぎない…日本人に本当に独創の才能があるの
内藤湖南博士や西田幾多郎博士などは特に著
か。狩野亨吉は思いつめ、それを調べるため
しい例であるが、当時の教授たちのほとんど
の古書集めだったのです」(司馬遼太郎講演
全部がそれぞれ一家言を持ち、文筆の才があ
録)と見るのが妥当である。そして、万巻の
り、世間的にも有名な人たちであった」(湯
読破からは近世の学者志筑忠雄、思想家安藤
川秀樹『本の中の世界』)。ほ かにも 幸田露
昌益、経世家本多利明が発掘された。
伴、小川琢治(湯川秀樹の実父)
、富岡謙蔵
真理の究明を期した蔵書は、それゆえ殆ど
(鉄斎の子)、桑原隲蔵(武夫の父)等まさに
総ての領域を網羅しており、戦前より国宝指
多士済々、ひとえに狩野の学徳の所以である
定を受けた『史記孝文本紀第十』『類聚国史
(漱石も招かれたが拒絶して朝日入社)。2年
巻第二十五』など質の高い資料が多数ある。
後に辞職した後は一切の公職就任要請(東宮
和書線装本は平成3年からマイクロフィル
の教育掛など)をにべもなく断り通し、書画
ム化が進められ、平成5年よりマイクロフィ
鑑定を事として世を終えた。
ル ム利用が可能となった。本学は、第2門
凄 まじ い読書量は、気が つけば10万を超
(哲学・宗教・教育)
、第4門(語学・文学)か
え、かの露伴をして、「あの人くらい本を読
ら文科省助成金を得て収集を進めている。
( 8) 大谷大学図書館・博物館報(第28号)
〈博物館特別展〉
特別展「親鸞 ─その人と生涯─」の開催について
学芸員・教授 宮 﨑 健 司
(日本古代史)
大谷大学博物館の2
0
10年度特別展「親鸞
「Ⅱ 祖師との出会い」は、書跡を中心に
─その人と生涯─」が、10月12日(火)から11
絵画などで構成した。親鸞の出家の師とされ
月2
8日(日)まで、真宗大谷派(東本願寺)
る慈円の伝記『慈鎮和尚伝』(本館蔵)、親鸞
をはじ め、京都国立博物館・久多自治振興
が聖徳太子を讃仰した『皇太子聖徳奉讃』断
会・光 圓 寺・清 凉 寺・善 敬 寺・彦 根 城 博 物
簡(親鸞筆・真宗大谷派蔵)
、真宗七祖にか
館・法藏寺・龍谷大学大宮図書館など、各位
かわる善導と法然の二幅像「二祖対面図」
の協力のもとに開催された。
(本館蔵)ほか、重要文化財「法然上人消息」
2
0
11年は浄土真宗の宗祖親鸞の七百五十回
(清凉寺蔵)を展示し、宗祖親鸞と祖師たち
御遠忌にあたり、各方面で記念事業が催され
との出会いを紹介した。
る。本館でも宗祖親鸞をより多くの方に知っ
「Ⅲ 浄土門の系譜」は、浄土教にかかわ
ていただくため、3ヵ年間にわたっての展覧
る書跡で構成した。浄土教信仰の起点ともい
会を企画した。展覧会は、「親鸞」を メイン
える『往生要集』
(本館蔵)をはじめ、法然の
タイトルとし、2
0
10年度は「その人と生涯」
、
主著である重要文化財『選択本願念仏集』
2
0
11年度は「真宗本廟の歴史」、2
0
12年度は
(本館蔵)、聖覚著『唯信鈔』断簡(親鸞筆・
「真宗開顕」をそれぞれサブ タイトルとして
真宗大谷派蔵)や宗祖親鸞が『唯信鈔』に注
催すものである。今回は その初年度にあた
釈を加えた重要文化財『唯信鈔文意』(親鸞
る。
筆・真宗大谷派蔵)ほか、聖覚の自署と思わ
展 覧 会 の 内 容は「Ⅰ 親 鸞 の 生 涯」、「Ⅱ れる奥書の『大般若経』(久多自治振興会蔵)
祖師との出会い」
、「Ⅲ 浄土門の系譜」、「Ⅳ
などを展示し、『往生要集』にはじ まる浄土
親鸞の教え」の4つのテーマで構成し、書
教の流れを紹介した。
跡・彫刻・絵画など重要文化財4点を含む36
「Ⅳ 親鸞の教え」は、書跡を中心に絵画
点の作品を展示した。
で構成した。「六字名号」(蓮如筆)と「方便
「Ⅰ 親鸞の生涯」は、絵画を中心に彫刻・
法身尊像」を冒頭に、親鸞の主著『教行信
書跡などで構成した。「親鸞聖人像(安城御
証』、また執筆にゆかりの「鹿島社一切経」、
影)模写本」「日野有範像」(以上、真宗大谷
「三帖和讃并正信偈文」(蓮如開版・文明版)
派蔵)「恵信尼像」(龍谷大学大宮図書館蔵)
のほか、『歎異抄』(端坊旧蔵・永正本)、『末
「親鸞聖人絵伝」(善敬寺蔵、光圓寺蔵)など
燈鈔』(蓮如筆)、『口伝鈔』(以上、本館蔵)
絵画が多くを占めたが、とりわけ観覧者の目
を展示し、親鸞の著書や言行録などを紹介し
を引いたのは重要文化財『本願寺聖人伝絵
た。
(康永本)』(真宗大谷派蔵)であった。また、
さらに親鸞真筆「四十八願文抜書」の特別
親鸞の系譜を示す『日野一流系図』『諸家系
出陳も注目され、本展覧会を盛会に導いた大
図』
(いずれも、本館蔵)などを展示し、親鸞
きな要因であった。本品は展覧会開催直前に
の生涯や系譜を紹介した。
調査依頼のあったもので、本学学長・草野顕
大谷大学図書館・博物館報(第28号) ( 9)
重要文化財『一念多念文意』
(真宗大谷派 (東本願寺) 蔵)
重要文化財『選択本願念仏集』
之氏と本学真宗総合研究所嘱託研究員・小山
帯端末を利用した音声ガ イドを運用してきた
正文氏により親鸞真筆と判定され、新聞紙上
が、本年度は i
Pa
dを利用した画像と2カ国
を賑わした。その機縁で展覧会に特別出陳さ
語(日本語・英語)の音声によるガ イドを試
れることになった。親鸞の御遠忌の直前に真
みた。特に画像については、現実の展示では
筆が発見されたことに驚くとともに、感慨深
絵巻などの全容を見ることはできないが、展
いものを感じた。
観箇所以外も スクロールし て見ることがで
関連事業として、10月16日(土)に本学教
き、部分的に拡大して確認もできるとして、
授・沙加戸弘氏「『本願寺聖人親鸞伝絵』の
たいへん好評を得た。
聖人像」、11月3日(水)に東京文化財研究所
大谷大学は東本願寺の教育機関「学寮」を
文化財アーカ イブ ズ 研究室長・津田徹英氏
起源とし、親鸞の教えを基盤とする大学とし
「親鸞聖人と鎌倉」の2度の講演会を開催し
て今日に至っている。この3ヵ年にわたる展
たが、いずれも多くの来聴者があり、熱心に
覧会は本学にとってとりわけ意義は深いもの
耳を傾けた。
であると思われ、本展覧会は御遠忌を迎える
さらに2
00
7年度特別展より観覧者向けの携
にふさわしい展覧会になったと考える。
( 10) 大谷大学図書館・博物館報(第28号)
NewsSour
ce
図書館システムリプレイスについ
図書館システムリプレイスについて
本館では、2
002年の響流館開館以来、図書
タ移行について何度も確認し調整を重ねてき
館情報シ ステムとし て LVZを利用し てきま
ました。
し たが、2
0
11年春、新たに LI
MEDI
O(リ メ
ディオ)を導入いたします。
今回のシステム更新により、利用者の方々
から見て大き く変わる点がい くつかありま
今回の図書館情報システムの変更は、LVZ
す。まず分かり易い点では、検索画面がより
の保守終了に伴うもので、現行システムでは
使いやすくなることです。LVZでは資料の所
利用者への安定したサービ ス提供を継続する
蔵情報が検索結果画面の下部に表示されてい
ことが困難であるという判断によるもので
ましたが、LI
MEDI
Oでは上部に表示される
す。新システムの検討は、本館による要件定
ことになり、画面スクロールをしなくても、
義のほか、他機関にて導入されている図書館
図書館のどこに目的の資料が所蔵されている
システムの調査を行うなどして進められ、シ
かがすぐ に確認できるようになります。ま
ステムの安定性や導入実績を参考にして、候
た、新たに「マイライブラリ」という利用者
補を3社に絞り込みまし た。そし てハード
専用のページが利用できるようになります。
ウェアおよびソフトウェア機能、保守内容な
個人認証は必要ですが、これにより、文献複
どの諸要件についての仕様確認のほか、各社
写や予約などの依頼、貸出資料の確認など、
によるデモンストレーション、実際の導入大
従来のサービ スに加え、利用者が登録し た
学図書館への訪問調査、導入経費などを考慮
キーワードに基づいた資料の新着状況、図書
に入れ、およそ10ヵ月をかけて比較検討し
館から諸連絡など、幅広いサービ スを利用書
てきました。その結果、株式会社リコーが提
に提供できるようになります。さらに、利用
供する LI
MEDI
Oを導入することに決定いた
者からのリクエストが非常に多かった携帯電
しました。
話用の蔵書検索機能も追加されます。屋外や
導入決定の要因は、操作がシンプルで利用
出先など、パソコンがない環境でも、携帯電
者重視のシステムであること、業務系の操作
話を使って資料の所蔵確認をすることができ
性とのバランスがよいこと、他社に比べて保
るようになります。
守対応に秀でていること、また、システムの
持つユーザー(利用者と図書館業務担当者)
昨今の利用者、特に学生たちの I
T技術に
重視の姿勢が本館の性質によく合致したとい
対する順応性は目を見張るものがあります。
うところにあります。
利用者の皆さんに LI
MEDI
Oに馴染んでいた
図書館システムを新たに導入するときに最
だけるよう、操作方法などの利用教育には、
も重要で困難な作業が、旧システムから新シ
これまで以上に力を入れて継続して行く予定
ステムへのデータの移行です。システムが新
です。
し くなってもデータが損なわれては、利用者
の皆さんに必要なサービ スを提供することは
できません。また、本館は独特の資料データ
を多く持っていることもあり、導入社とデー
大谷大学図書館・博物館報(第28号) ( 11)
LI
MEDI
O簡易検索画面
LI
MEDI
Oマイライブラリ画面
( 12) 大谷大学図書館・博物館報(第28号)
2010年度 図 書 館 の 活 動
受贈図書資料(201
0.
2.
1~2011.
1.
31)
下記の方々より図書資料をご寄贈いただきました。
図書館にて活用させていただきます。 ありがとうございました。
* * * * *
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、赤松徹真、明永恭典、芦津かおり、安藤弥、
五十嵐隆幸、石塚伸一、稲垣淳造、猪飼祥夫、岩渕信明、慧光、エリザベス・ティンズリー、
遠藤由香、王麗萍、大桑斉、大野僚、大森惠子、奥村浩基、織田顕祐、梶浦晋、嘎・達哇才仁、
加藤丈雄、加藤基樹、河内昭圓、喜多恵美子、木村宣彰、楠山三香男、熊平源蔵、小島道裕、
後藤義昭、佐賀枝夏文、佐藤彰一、重松康希、清水洋平、鈴木寿志、鈴木正崇、鈴木幹雄、
鈴木美津子、滝川義弘、多田稔、田中廣滋、谷本晃久、田野村忠温、張在辰、鄭早苗、辻田晶計、
ツルティム・ケサン、寺添証顕、遠山一郎、徳永勲保、礪波護、中川諭、長澤寛行、中森一郎、
朴一功、秦恒平、幡谷明、濱田正美、林千宏、原田武、番場寛、平井雷太、平野寿則、平松伴子、
平山洋、深堀俊子、ほりもとちか、前田卓、増田昌和、増山太郎、松濤弘道、松岡智美、松川節、
松塚豊茂、水島見一、箕浦暁雄、宮本悦也、村上光彦、村瀬順子、村田公明(佳次郎)、村田美香、
村松秀紀、村松法文、森雅秀、柳田洋、山﨑浩史、山中一郎、山本拓士、横山公一、吉田時夫、
李錦繍、李青、若山正和、鷲尾幸雄、渡辺信一郎、横田彌太郎
〈敬称略 個人のみ 五十音順〉
図書館ガイダンスの実施
新入生対象ガ イダンス 9回
全利用者対象ガ イダンス 13回
ゼミ・クラス別ガ イダンス 2
7回
Topi
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〈図書館員による図書紹介企画〉
新入生 ─こんな本もあるよ!
第2
0回 We
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第2
1回 京都特集
第22回 特別展「親鸞 ─その人と生涯─」(博物館特別展協賛企画)
学生選書プロジェクト (201
0年度 943冊収蔵)
プロジェクト メンバーおよびゼミ・クラス学生による選書ツアーを13回実施
図書館人事(201
0年4月1日現在)
・図書館委員会委員
・図書館長
藤嶽 明信 村瀬 順子 阿部 利洋
村瀬 順子
天野 勝重 加藤 丈雄 齋藤 望
関口 敏美 並木 治 朴 一 功
古川 哲史 松浦 典弘 ロバート F.
ローズ
金 厚志 滝川 義弘 山内 美智
大谷大学図書館・博物館報(第28号) ( 13)
2010年度 博 物 館 の 活 動
まなびや
春季企画展 大谷大学のあゆみ ─赤レンガの学舎─
■会 期
2
0
10年4月1日(木)~5月22日(土)
■展示品
「知進守退」拓本
青写真「真宗大谷大学建築平面図」
写真「赤レンガ本館上棟式」
「大谷大学樹立の精神」
『大谷大学新報』 ほか全3
1件
■入館者数 1,
2
60名
夏季企画展 日本画家 畠中光享の眼 ─インド ・仏教美術の流伝─
■会 期
2
0
10年6月8日(火)~8月8日(日)
■展示品(畠中光享氏より借用)
パドマパーニ観音像 北インド パーラ朝
仏陀立像 南インド ナーガパティナム
仏陀涅槃像 北インド パーラ朝
仏塔 アフガニスタン ガンダーラ
ターラ(多羅)像 ネパール ほか全100件
■記念講演会
7月3日(土) 仏像はなぜつくられたか ─インド 仏像の展開─(日本画家 畠中光享氏)
■ギャラリートーク
7月3日(土)、17日(土)
■入館者数 3,
693名
秋季企画展 南條文雄と近代仏教学(実習生展併催)
■会 期
2
0
10年9月7日(火)~9月2
5日(土)
■展示品
百万塔および陀羅尼
『瑜伽師地論』巻三十七(五月一日経)
「万里長城居庸関」拓本
『法苑珠林』巻九十四(思渓版)
「玄奘三蔵渡天之図」 ほか全2
6件
( 14) 大谷大学図書館・博物館報(第28号)
◇実習生展
A班 親鸞の教え ─その継承とひろがり─
B班 江戸時代初期の古典受容の拡大
■入館者数 855名
特別展 宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌記念 親鸞 ─その人と生涯─
■会 期 2
0
10年10月12日(火)~11月2
8日(日)
■展示品
重要文化財 本願寺聖人絵伝(康永本) (真宗大谷派 (東本願寺)蔵)
重要文化財 法然上人消息 (清凉寺蔵)
重要文化財 『選択本願念仏集』 重要文化財 『一念多念文意』 (真宗大谷派 (東本願寺)蔵)
『教行信証』 ほか全33件
■記念講演会
10月16日(土) 「本願寺聖人親鸞伝絵」の聖人像(大谷大学教授 沙加戸弘氏)
11月3日(土) 親鸞聖人と鎌倉 (東京文化財研究所 文化財アーカイブズ研究室長 津田徹英氏)
■学生ガ イドによる解説ツアー (会期中実施)
■入館者数 3,
809名
冬季企画展 京都を学ぶ 京の寺内町
■会 期 2
0
10年12月14日(火)~2
0
11年2月19日(土)
■展示品
洛中洛外図屏風
平安城東西南北町並之図
東本願寺御境内町絵図(新屋敷)
東本願寺御境内町絵図(古屋敷) (真宗大谷派 (東本願寺)蔵)
上首寮日記 ほか全19件
■入館者数 11
,53名
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博物館人事(201
0年4月1日現在)
*就任
・博物館委員会委員
館 長 齋藤 望
藤嶽 明信 齋藤 望 平野 寿則
主 事 平野 寿則(再任)
宮﨑 健司 浅見直一郎 乾 源俊
沙加戸 弘 東舘 紹見 三木 彰円
三宅伸一郎 釆睪 晃
金 厚志 滝川 義弘 山内 美智