3章 集団分極化現象と米国市民による政策投票の実験から学ぶリスクコミュニケー ションの方法 3−1 討議的民主主義をめぐる研究の展開 3−1−1 近代合理性の限界 近代的合理性の第一原則は、個人の選好順位を保存した行為選択にある。この原則を支 える暗黙の前提は、個人の行為管理権は当該個人に帰属するという倫理原則である。これ に対して、社会的行為の本質は、行為の管理権の移転にある。どういう状況で、誰が行為 管理権を持つことが、どのような理由で正当化できるのかという問いに答えることが、社 会システムデザインの根本問題である。 近代以前には、正当性問題と合理性の問題は別の問題と捉えられていた。これに対して 合理的であることが、正当性の根拠と認めるようになったのが近代である。近代以降、社 会システムデザインの根本問題は、合理性とは何かをめぐる問題になった。この事情は、 現在も変わっていないと考えられる。 ベンサムに始まり、ミルを経由して近代経済学の中心となった倫理前提は、行為管理権 の移転は個人の自発的交換による場合にのみ正当性を持つというものであった。しかし、 行為管理権の自発的交換によって達成されるパレート最適性が、社会的正当性を必ずしも 持たないことは、パレート最適性が提唱されて以来ずっと唱えられつづけている。ただし、 合理性という観点から、パレート最適の正当性に批判が加えられるようになったのは、思 想史的には 1950 年代からのことである。 近代的合理性を支えてきた 2 大原則は、objectivism と instrumental rationality であ る(Dryzek [19])。Objectivism という虚構に対する信念あるいは幻想は、近代科学の成 功に裏付けられて形成された。19 世紀初頭に生まれた French Positivism は、科学的方法 によって得られた客観的知識が最も信頼できる知識であり、社会を改善するためには科学 的知識を有する専門家に行為管理権を集中するべきだと主張した。しかし、事実判断にお ける不確実性を解消することはできない。ポパーが実証科学の基準を反証可能性に置くこ とを提唱したのは実証の限界に対応するためである。また、サイモンが、人間の認知心理 学的能力の限界から、限定合理性を人間行動の前提にすべきだと提唱したのも objectivism の限界に対する気づきからである。 ポパー、サイモンの指摘とほぼ同時期から、人間行動が合理的でないことを示す、実証 的な研究が心理学、社会心理学の分野で行われてきた。Asch 等の同調性の圧力、Stoner 等集団分極化、Tversky&Khaneman のフレーミング効果、などである。ポパーの提案した批 判的合理主義は、社会・心理的バイアスを直接的に意識しているわけではないが、認知限 界を前提にしたうえで、心理的あるいは社会心理的バイアスから逃れるための工夫とみな すことができる。Objectivism をプロセス重視の科学モデルへ転換する試みである。しか 1 し、Dryzek が指摘するように、事実判断における限界合理性に対応するために批判的合理 主義は役立つとしても、価値対立の存する状況では、公共的意思決定にこれらの原則を応 用することには限界がある(坂野[5] [6])。 ハバーマス([9])は科学がイデオロギーの一つとして機能している状況こそが現代社会 の特徴であると論じている。都市計画分野で Davidoff ([18]) が、advocacy planning を 提唱したのも、政治経済学者の Lindblom([27])が incrementalism を近代合理主義に基づ く意思決定モデルの代案として提唱したのも、価値中立性を追及する近代科学の知のあり 方が、限界合理性と価値対立状況のもとでは無力であるという問題意識からである(坂野 [5] )。 Berger & Luckman ([13]) の 用 語 で 言 え ば 科 学 も 社 会 的 な 構 成 物 (social construction of reality)の一つに過ぎないことが認識され始めたのがこの時期である。 近年では、社会構成主義はリスクコミュニケーション研究に影響を与えている。Joss([23]) は、リスクに対する市民一般の認識が、専門家や利益団体の認識と大きく異なるとする Wynne ([36]) 、Beck([11])、Krimsky et.al.( [25])、Limoges([26])らの見解を引用して、 この状況において政策決定者が専門家の見解を重視することがかえって市民のより大きな 不信を招く原因になっていると論じている。市民の専門家に対する一見すると素朴にみえ る不信の出現は、近代を支えてきた合理性の限界に対する認識と、それに代替する合理性 の模索という、近代の枠組みを脱構築しようとする動きと軌を一にしている。 さらに、価値対立の問題は、集合行為レベルの合理性の問題とも関連がある。社会的ジ レンマ状況は、個人合理的に行動した結果がパレート優位にならないという意味で社会的 には不合理になる状況を明らかしている。また、投票のパラドックスは、個人選好をどの ように合成しても、社会的レベルの選好は循環構造を持ち、それゆえ戦略的な操作により 恣意的に結果を左右できる可能性が生じてしまうことを明らかにしている。この社会的レ ベルで生じるジレンマは個人の完全合理性を前提としていることから生じる。このことは、 一見逆説的ではあるが、行為にある種の制限を加えることで、実は社会的ジレンマから逃 れられることを意味する。より広い選択肢から自発的な選択を行えることが合理的である と定義すると、個人レベルの選択肢に制限を加えること、すなわち個人合理性を制限する ことで社会的にはより合理的な選択が可能となる。選択肢に対する認知的制約のことを価 値と定義すると、ある種の価値観の共有が社会的ジレンマを回避する手立てとなる。 権利の経済学的に言い換えると、情報コストが高いとき、実効的な行為管理権は確定で きない。このとき、権利に付随する価値は、public domain に dissipate する。ただし、 行為の影響が分割可能なときは、社会的には問題とはならない。行為影響の不分割性があ る時、社会的ジレンマ状況を回避するためには、個人の行為管理権を制限する必要が生じ る。しかし、行為管理権を決めるルールが社会的正当性をもち、有限のコストで管理可能 な範囲にあれば、これまた社会的には問題とはならない。一方、行為管理権の正当性が未 定の領域では、行為管理権を collective に制限するための社会的合意=倫理判断が必要と なる。行為管理権に関するルールの形成による便益が、ルールの探索、形成(合意形成)、 2 ルール遵守の監視、コントロール等のコストよりも高いとき、集合行為ジレンマは回避で きる。討議は、既存の制度と価値では社会的ジレンマを回避できないときに、倫理判断の 未定領域に権利設定を行うための手段である。 3−1−2 コミュニケーションのポパーモデルとハバーマスモデル 加藤([4])は、科学技術の本質は、選択肢を拡大することにあるとしている。この意味 で科学技術は合理性を高める。しかし、新しく拡大された選択肢が、既存の倫理的判断が 自動的に適用できない範囲にまで拡大してしまうことがある。拡大された選択肢は、人間 にとって善である可能性もあるし、悪であるかもしれない。しかし、科学技術の論理から は、善悪の判断は生まれない。したがって、科学技術が生み出す倫理判断未定領域に対し て新たな倫理的判断を確定して、科学技術をコントロールすることが必要になる。市民参 加が求められる背景には、これまで科学技術をコントロールしてきた専門家と為政者が下 す倫理的判断に対する不信の高まりがあるといえる。 J.ハバーマスは、deception(騙し), strategizing(戦略的操作), self-deception (自己欺瞞)をコミュニケーションの3つの障害としてあげている。これら3障害は、い ずれも事実判断と価値判断の不可分性から生じている。対話や討議は、常にコミュニケー ションの費用便益比が高いわけではない。 したがって、コミュニケーション障害を取り除くためには、価値対立の問題に対処するこ とが第一で、この問題が解消された後に純粋に事実判断に関する対立を解消することに意 味が出てくる。 近代的合理性の 2 大原則である、objectivism と instrumental rationality を公共的意 思決定に応用することの限界を乗り越える道として Discursive Democracy(対話的民主主 義)を提唱するにあたって、J.S.Dryzek は、理想的コミュニケーションの型、政治コミュニ ティのイメージ、政策形成過程のモデル、合理性のモード等の観点から K.ポッパーの Open Society と J.ハバーマスの Public Sphere の比較を行っている。両者とも限界合理性を克 服する方法として、政策実験と free で open な討議、批判、対話を位置づけているとしながら も、コミュニケーションの理想型が前者では、Scientific Community を範例としているた め事実判断に対しては open ではあっても、価値判断に対する free で open なコミュニケー ションの可能性を否定していると批判している。ポパーにとっての政策実験は、政策条件 を操作的にコントロールすることを意味するのに対して、ハバーマスにとってはステー ク・ホールダー同士の対話を通じた意味の再構築こそが、Ideal Speech Situation の目的 である。理想的コミュニケーションは、事実判断だけではなく、価値判断に関しても free で open でなければならないし、理想に近づくことは可能であるとの立場を取っている。意 味の再構築を前提にした社会実験は、piecemeal ではなく holistic になる。現実の政策判 断は、常に不完全な情報のもとで行われるため、価値判断と事実判断の分離は困難であり、 3 実践的合理性は、価値判断に対する free で open なコミュニケーションのない場ではあり えない。 ハバーマスが討議的合理性を提唱して以来、討議をプロセスの中核にすえなおし、民主 主義意思決定プロセスを再構築しようとする議論が活発になっている。間接民主付議と直 接民主付議の優劣に関しても長い間論争が行われてきた。この論争の歴史は、理念的な議 論だけでは優劣はつけられないことを示しており、研究の中心は、どのような条件で、意 思決定はより討議的合理性を獲得しうるのか、また、討議的合理性の高い意思決定過程は 現実にどのような結果を生み出すのかという問いをめぐる実証研究と、より高い討議的合 理性を実現するための社会実験に移りつつある。 3−1−3 間接民主主義と直接民主主義の優劣 直接民主制と間接民主制の優劣をめぐる論争は、主に市民と専門家の能力の非対称性、 個人選好と集合的選好の不整合性、参加による学習効果の 3 点をめぐって行われている。 ただし、どの論点に関しても理論的には優劣をつけられないことがわかる。 (1)市民の政策判断能力および利害調整能力 Budge([12])および大山([3])によると、住民投票の否定論の核は市民の能力に対する不 信である。不信の具体的内容として、①市民の得られる情報が議員のそれよりも劣ること、 ②市民の判断は利己的で利害調整能力に欠ける、の2つが挙げられている。①に対する反 論として、大山([3])は「間接民主制の絶対視は政治的エリートと一般庶民との教育水準や 余暇時間等々のレベルに大差の存在した時代の産物」としており、住民と議員の持つ知識 にほとんど差はないとしている。また、Wittman([35])は「市場と同様に市民が政策に関す るすべての情報を知る必要はない」としている。さらに、住民投票で求められる判断は、 事実判断ではなく価値判断なのだから、知識の差は問題にはならないと考えることもでき る。 また、②に対する反論として、大山([3])は、「現在の代表機関は圧力団体の利益代表 者が多数を占め、一般の住民の声が届きにくくなっている」と指摘し、議員は党派拘束な どにより必ずしも利害調整能力が高いとは限らない。その点では、市民は拘束が少なく態 度変化が容易にできるため利害調整能力に欠けるとはいえない。 (2)民意の反映 直接民主制の否定論の一つとして、二者択一の投票手法では、必ずしも市民の正確な意 見が捉えられないことが挙げられる(五十嵐[1])。それでは現行の代議制は民意を反映して いるのだろうか。大杉([2])は住民投票が求められる背景として「代表と民意に乖離がみ られること」を指摘している。また、大山([3])は「国民の多様な意見を集約して政治に 反映させる結節点となるはずの政党は民意の集約に失敗し、有権者の間に既成政党や職業 政治家に対する不信感を増幅させている」と論じている。本来、効率的に民意を集約・反映 4 するための役割を果たすべき議会が実際には民意を反映していない現状がある。そのため、 直接的に政策に1票を投じることで民意が現状よりも反映されるであろうという期待から、 住民投票を求める声が市民から高まっている。しかし、価値対立が存在する状況でそもそ も民意とは何を意味するのだろうか。マジョリティーがマイノリティの自由を拘束すると いう民主主義の問題は、J.S.ミルの時代より理論的に解決してはいない。理論的には、民 意の反映という点で優劣の決着はつけられていない。 (3)市民の参加による学習効果 大杉([2])は住民投票をおこなうことのメリットの一つとして「住民投票を行うまでのさ まざまな議論などを行うことにより、教育的な効果を得られること」を挙げている。住民 投票がきっかけとなって、市民が争点に関する情報収集や討議がおこなわれ、争点理解が 深まる学習効果が期待できる。これに対する反論として、規模が大きくなることで討議が 困難になることが挙げられよう。少人数であれば討議をおこなうことは容易であるが、人 数が増えることにより話し合いの場を設けることが技術的に難しくなる。この点について も理論的優劣はついていない。 3−1−4 討議的民主主義をめぐる実証研究 (1)直接投票による学習効果に関する実証研究 坂野・山口([8])は、吉野川可動堰建設の賛否を問う住民投票を実施した徳島市の有権者 を対象としたアンケート調査をもとに、通常の選挙と住民投票における市民の政治参加の 比較をおこなった。まず、住民投票の実施が決定することで争点が特定化され関心が高ま り(=関心増加効果)、関心の増加により投票参加を行う(=投票参加促進効果)。そのと き、関心が情報収集につながり十分に争点を理解し(=ウェルインフォームド効果) 、これ らの効果から争点態度に基づく投票を行う(イシュー投票効果)。以上のようなプロセスを 経て市民は住民投票実施によって争点に対する関心が高まることをきっかけとして自発的 に学習をおこない投票することを確認している。 スイスにおけるレファレンダム実施時の市民の投票行動について、Kriesi([24])は 1981 年から 1999 年におこなわれたレファレンダムについて、計 49 回の投票(148 の連邦レベ ルの提案)におけるデータをもとに分析をおこなっている。 結論として、積極的な選挙キャンペーン(intensity of campaign)と争点に対するファ ミリアリティ(familiarity of proposal)の高さが情報キューを用いた直感的で突発的な 意思決定ではなく、議論に基づく(argument-based-opinion)意思決定を促すとしている。 レファレンダムの場合、政府のおこなうキャンペーンのような、提案のファミリアリティ の高さがマジョリティーにとって有利な状況に導く。反対に、市民にとって提案に対する ファミリアリティが欠けると現状維持の選択をするため、提案は否決される傾向も示され ている。そして、市民にとってファミリアリティが低い提案の場合、選挙キャンペーンを 5 活発におこなうことが、議論に基づく意思決定を促すことになるとしている。 (2)集団分極化の危惧 集団分極化(Group Polarization)とは、大雑把に言うならば次のことを意味する。グ ループで討議をすれば、メンバーはもともとの方向の延長線上にある極端な立場へとシフ トする可能性が大きい。この集団分極化の議論の出発点として、リスキーシフト(risky shift)とコーシャスシフト(cautious shift)がある。リスキーシフトに関する知見として Stoner([31])は、討議によって各メンバーの意見が討議前と比べてより極端な方向にシフ トすることを示している。メンバー各人の意見が極端になることで、結果として集団での 決定も極端になり得る。また、意見は極端な方向だけでなく、もともと慎重な意見を持つ 人が集団の討議を通じてより慎重な方向の意見にシフトするコーシャスシフトも確認され ている(Stoner[32])。これらの現象を総じて集団分極化としている(Isenberg[22])。 Sunstein ([33])は、インターネット社会では集団分極化が顕著にあらわれると指摘して いる。インターネット上では、社会的にはマイノリティであっても同じ意見の人を探すの は容易である。そのため、自分の見解に近いインターネット上での議論や情報にアクセス を繰り返すことで元来の見解をより強固なものにする。このような傾向はインターネット に限らず、新聞やテレビなどの従来メディアでも少なからず存在していた。しかし、イン ターネットに代表される新たなテクノロジーによる選択肢の劇的な増加とカスタマイズの 能力向上が、集団分極化に拍車をかける可能性がある。 これまで、討議が学習を促進する効果が討議的民主主義の正当性を支えてきたが、一見 学習にみえる態度変容が、実は分極化となりかえって合意形成を困難にすることが危惧さ れる。討議すれば討議するほど合理的な合意形成が困難になる可能性がある。坂野・山口 ([8])、Kriesi ([24])の研究は、政治参加による学習効果が討議的合理性に基づくのか、 集団分極化の結果であるのか識別していない。3−2 では、これを識別するために今回行っ た調査の概要とその結果を報告する。 3−2 住民投票における分極化現象 3−2−1 集団分極化の社会心理学的メカニズム Sunstein([34])の研究をもとに分極化現象の発生要因をまとめたものが表 1 である。 表 1 分極化現象の発生要因 大 分 類 個 人 属 性 場 イ シ ュ ー の 性 質 小 分 類 ア イ デ ン テ ィ テ ィ 内 容 グ ル ー プや 個 人 に 対 して 帰 属 意 識 を 持 つ 相 手 の 意 見 を 受 け 容 れ や す い イ ニ シ ャ ル ポ ジ シ ョン 争 点 に 対 す る 最 初 の 態 度 が 学 習 プロ セ ス に 影 響 を 与 え る メ ン バ ー 構 成 賛 成 派 が 設 定 し た 場 に は 賛 成 の 意 見 を 持 つ 人 が 多 く参 加 す る 、反 対 も 同 様 討 論 の 内 容 賛 成 派 の 設 定 し た 場 で は 賛 成 を サ ポ ー ト す る 話 、賛 成 を 支 持 す る 意 見 が 多 い 、反 対 も 同 様 争 点 と な る 期 間 長 期 に わ た る イ シ ュ ー ほ ど態 度 変 容 し に くい 6 分極化現象発生の大きな要因は、①個人属性、②場、③イシューの性質の 3 つに大分類 される。各大分類は更に小分類として以下のように分けられる。①の小分類として、グルー プに対する帰属意識、 イシューに対する最初の意見態度(イニシャルポジション)の2つ がある。イニシャルポジションと同じ向きに分極化は進み、帰属意識が高いほど分極化が おきやすくなることが予想される。②の小分類として、討議の場における各メンバーの立 場をあらわす「メンバー構成」、相手との対話の内容を意味する「討議の内容」の2つがあ る。③の小分類として、争点が長期にわたるのかをあらわらす「争点となる期間」がある。 争点が長期になるほど、争点態度は強固になっており態度変容はおきにくいと考えられる。 以下では「学習効果」と「分極化現象」を分けて順に議論をおこなう。まず分極化を考 慮せずに学習効果が住民投票であらわれているかを検討する。次に分極化現象について、 「学習機会の選択」と「討議機会の選択」の 2 つの側面から、分極化現象を捉えることに する。ここでは発生要因のうち、特に「イニシャルポジション」について考察をおこなう。 3−2−2 袖ヶ浦市住民投票を対象にした調査 (1)調査対象 市民の投票行動プロセスにおける分極化現象を検証するため、袖ケ浦市有権者を対象に アンケート調査を実施した。袖ケ浦市の住民投票は、都市整備事業に関するものとして全 国で初めてのケースである。原子力発電施設立地とはイシューは異なるが、分極化現象を 調べるためには、投票プロセスでどのような変化がおきたか観測する必要があり、最近お こなわれた住民投票の事例が望ましい。日本では、市町村合併を除く他のイシューで住民 投票はほとんど行われていないのが実情である。これらの条件を満たす数少ない事例の一 つが、2005 年 10 月 23 日、袖ケ浦駅北側地区整備事業の賛否を問う住民投票である。 (2)調査実施概要 まず、袖ケ浦市の住民投票の実情を把握するために、袖ケ浦市都市整備課および計画に 反対する市民団体・街づくり研究会に対しインタビューをおこなった。 次に、市民の住民投票における行動および意識を捉えるために、袖ケ浦市の有権者を対 象にアンケート調査を実施した。概要を表2に示す。袖ケ浦市選挙人名簿をもとに等間隔 抽出法による合計 1,259 名の無作為抽出をおこない、郵送調査を実施した。調査票発送の 1 週間後に再度、催促の葉書を郵送した。回収結果は 456 人(36.22%)である。 表2 アンケート調査実施概要 調査対象者 抽出方法 標本数 調査時期 調査方法 回収結果 袖ケ浦市有権者 選挙人名簿を用いた等間隔抽出法 1,259人(有権者人口の2.62%) 2006年1月3日∼16日 郵送調査法 456人(36.22%) 7 分析に用いるサンプルの偏りを明確にするため、年齢、性別、投票率の各変数に対し、 袖ケ浦市が公開する統計データおよび選挙結果と比較し、独立性の検定をおこなった。分 析の結果、95%水準で有意な差が確認されたのは年齢と投票率であった。 本研究では母集団の正確な値を推定するのではなく、主として分極化に関連する変数間 の関係を分析するため、分析に支障をきたすものではないと考える。 (3)袖ケ浦市における住民投票実施の経緯 袖ケ浦市はバブル後の時期に一度開発を断念した市施工による袖ケ浦駅北側地区整備事 業(施工面積 49ha)を規模縮小し、再計画をおこなった。2005 年には、都市計画決定に対し 国土交通大臣及び県知事の同意を得る段階にいたる。しかし、2003 年 12 月の市主催の説 明会で整備事業計画に対して疑問を持った市民が中心となり、事業の凍結・見直しを求める 住民団体・袖ケ浦街づくり研究会(以下、凍結派とする)を結成する。2004 年 10 月の市議 会議員選挙では、整備事業計画が選挙争点の一つとなった。選挙の結果、開発推進派議員 が多数を占めていた議会の議員構成は、開発推進派と凍結派が拮抗する形となった。 市議会議員選挙の前後の時期に街づくり研究会は事業計画の凍結・見直しを求める署名 活動をおこない 11,585 筆を集め、2005 年 1 月に要望書と共に市長に提出する。その一方 で、市は開発計画の手続きを着々と進め、2005 年 1 月に袖ケ浦駅北側地区整備事業として 決定公示された。その後、要望書に対して市長から規定の方針通り事業を進めるという回 答がなされた。 街づくり研究会は整備事業の凍結を求める住民投票実施の直接請求をおこなうための 2005 年 4 月から 1 ヶ月の間、署名活動をおこなった。結果として、直接請求に必要な法定 署名数 961 筆(総有権者数の 50 分の 1)をはるかに上回る 13,620 筆の署名が集まり、2005 年 5 月に住民投票条例案が市選挙管理委員会に提出された。賛成 12、反対 9 という結果で 条例案が可決された。 住民投票条例が制定されたことを受けて、各団体が 10 月 23 日の投票日に向けて動き出 した。事業に対して反対の立場をとる街づくり研究会が条例制定以前から積極的に活動し ていたのに対して、事業を推進する人々は後手に回る形ではあるが、明日の袖ケ浦を創る 会(以下、推進派とする)を結成した。住民投票が決定されてから、両派を中心とする選 挙運動が繰り広げられた。 2005 年 10 月 23 日、袖ケ浦駅北側地区整備事業の賛否を問う住民投票が実施された。結 果反対票が賛成票に対して 2 倍近くの差をつける形で凍結派が圧勝する結果となった。住 民投票に法的拘束力はないが、条例文は市長に賛否いずれか過半数の意思を尊重するよう に求めており、現段階では計画通りに整備事業をおこなうことが難しい状況になっている。 8 (4)争点態度を決める上での主要な争点 今回の整備事業計画に対して数多くある争点の中で市民が争点態度を決める際に重要で あったと考えられる主要な 4 争点と、各争点に対する推進派・凍結派の両派の意見を整理 する。主要 4 争点は、①事業費の総額、②開発の必要性・緊急性、③市施工でおこなうこと について、④開発効果の予測、である。①について、推進派は市の財政状況は他の自治体 と比べて良好であり事業費の総額が妥当であるとしている。一方、凍結派は良好な財政状 況を考慮しても事業費は高すぎると主張している。②について、推進派はせっかくの決定 機会を生かさないと、荒れ地のままか乱開発が進むことを危惧している。一方、凍結派は このタイミング急いでおこなう必要性がないと主張している。③について、推進派は今回 の整備事業は宅地開発事業も含めてすべて市施工でおこなうのが望ましいと主張する。一 方、凍結派は、民間にできることは民間でおこなうべきとのスタンスをとっており、特に 宅地開発事業は民間施行が望ましいと考えている。また、開発自体が必要ないと考える人 も少なからず存在する。④について、推進派は整備事業の効果として人口増や雇用創出を 挙げ、全市民に波及すると主張している。一方、凍結派は計画通り開発してもそのような 効果は期待できないと考えている。 (5)市民の争点態度決定のために各派が発した情報 推進派と凍結派の両派の市民に対する情報提供活動を表3に示した。通常、住民投票は 条例に基づく選挙であるため、 「運動は公職選挙法に準ずる」という内容の項目が条例案に 盛り込まれない限り公職選挙法は適用されない。盛り込まれない場合、公職選挙法で禁止 されている個別訪問やインターネットによる呼びかけなどの運動が規制されない。その他 の多くの住民投票でも公職選挙法が適用されなかったように、袖ケ浦市の事例でも公職選 挙法は適用されなかった。 表3 署名活動 ビラ 宣 伝 カー 各派の選挙運動の状況 推進派 凍結派 2 0 05 年 秋 街 頭 署 名 2 0 04 年 冬 街 頭 署 名 2 0 05 年 春 直 接 請 求 全 戸 配 布 計 6回 市広報計画特集号 計 2回 (条 例 可 決 前 も含 む) 1台 9月 中 旬 か ら投 票 日 ま で 街頭演説 おそ らく旧 地 区 で の み おこな わ れ て いた 看板 約 5 00 本 、 カラー 戸別訪問 一 部 の 地 域 で おこな わ れ て いた 集会 市 による出 前 講 座 (計 7 2回 ) ホ ーム ページ ビラの 内 容 が 中 心 全 戸 配 布 計 2 5回 ( 条 例 可 決 前 も含 む) 2台 9月 上 旬 か ら投 票 日 ま で 街 研 有 志 6人 が 1 0月 中 に市 内 全 域 で 各 人 個 性 あるス ピーチを5 分 程 度 約 3 0本 、 ベニア の 手 作 り 各地域の世話人が地域の特色に 合 わ せ て 実 施 を決 定 住 民 投 票 を求 める市 民 集 会 (2 月 2 0 日 ) 開 発 反 対 の 市 民 集 会 (9 月 1 8 日 ) ビラの 内 容 が 中 心 9 3−2−3 住民投票による学習効果の検討 (1)市民の情報収集行動の傾向 市民の情報収集行動の傾向をあらわす単純集計が表4である。まず、紙媒体の情報収集行 動について、両派のチラシを利用した者が約半数いた。どちらか一方のチラシのみを利用 した人を含めると約84%の有権者がチラシを読んでいたことがわかる。ただし、対話した有 権者の比率は、両派の人の話をしたが者は約14%とわずかであるが、どちらか一方の派の人 のみと話した者を含めると約46%と過半数弱の有権者が、推進派または凍結派の少なくとも どちらか一方の人と話をしていたことがわかる。対面ベースの情報収集行動を比較すると、 情報収集のコストが紙媒体の方が小さいために、紙媒体による情報収集がより活発におこ なわれたと考えられる。 表4 情報収集行動の傾向 各派のチラシを 読んだか 各派の人と 対話したか 両方とも 209 46.0% 65 14.3% 推進派のみ 凍結派のみ どちらもない 117 55 73 25.8% 12.1% 16.1% 58 89 243 12.7% 19.6% 53.4% 合計 454 100.0% 455 100.0% 住民投票をおこなうプロセスで、市民がどの程度、事業関連の知識(4項目)についての 情報を得たか単純集計したのが表5である。 「十分得た」と回答した割合は少なかったが、 「あ る程度得た」と「少し得た」を合わせると、おおよそ過半数の人が情報を得ていることが わかる。住民投票以前に知っていた者の割合が3%から16%であったことを考えると、住民 投票が事業関連の知識を学習する機会になったことがわかる。 表5 市民の学習の程度 区画整理事業 減歩 都市計画手続 市の負担額の 内訳 以前から 知っていた 十分得た ある程度 得た 少し得た ほとんど 得なかった 合計 71 15.8% 38 8.7% 16 3.6% 19 4.3% 26 5.8% 20 4.6% 20 4.5% 29 6.5% 128 28.6% 72 16.5% 105 23.9% 136 30.6% 99 22.1% 73 16.7% 108 24.5% 93 20.9% 124 27.7% 234 53.5% 191 43.4% 168 37.8% 448 100.0% 437 100.0% 440 100.0% 445 100.0% (2)争点態度と投票態度の整合性から見た学習効果 主要 4 争点の個別争点態度を説明変数、整備事業に対する投票態度を被説明変数とし、 投票態度と個別争点態度の整合性がどの程度あるか重回帰分析を行った。また、計画を知っ た初期時点と投票日の 2 時点でのそれぞれ重回帰分析を行い、説明力の差を見ることで判 10 断の整合性の高まりがどの程度あったか比較する。このとき、最適モデルを採用するため に、4 つの説明変数と切片の 5 つを組み合わせた計 32 通りで等値制約をかけて、モデル間 の AIC 値を比較した。その結果、AIC がもっとも低いモデルは、「決定機会」にのみ等値 制約をかけていないモデルであることがわかった。モデルの 2 時点の結果をそれぞれ表6 および表7に示す。初期時点と投票日における整備事業の争点態度の説明力が R2値=0.69 →0.72 と増加した。ただし、説明力の差を、統計的に検定すると有意差は確認できなかっ た。イシューごとの判断と最終投票判断の整合性は、投票期間中に高まる傾向があるが、 統計的に差を確認できるほどではない。 表6 初期時点の重回帰分析結果 説明変数 にぎわい 民間施行 市負担金 決定機会 切片 R2値 = 0.69 係数 0.42 -0.12 0.26 0.27 0.38 偏相関係数 0.44 -0.10 0.22 0.27 0.26 z値 15.46 -5.36 7.93 8.78 3.26 *** *** *** *** ** 両側有意確率 p<0.001*** p<0.01** p<0.05* 表7 説明変数 にぎわい 民間施行 市負担金 決定機会 切片 R2値 = 0.72 投票日の重回帰分析結果 係数 0.42 -0.12 0.26 0.31 0.38 偏相関係数 0.44 -0.10 0.22 0.31 0.26 z値 15.46 -5.36 7.93 10.28 3.26 *** *** *** *** ** 両側有意確率 p<0.001*** p<0.01** p<0.05* 3−2−4 イニシャルポジションが態度変容に与える影響の検討 (1)イニシャルポジションの違いによる分極化・逆分極化現象の発生頻度 整備事業実施計画を初めて知った時の態度(整備事業に対するイニシャルポジション) と投票日の投票態度をクロス集計したのが表8である。態度を変えなかった人の割合は、 意見態度が極端な人ほど小さい傾向が見られた。また、態度を変えた人に注目すると、賛 成の意見態度の方向よりも、反対の意見態度の方向へ態度が変わっている人の割合が大き い。 この表のうち、態度を変えなかった人の割合を、イニシャルポジションごとに比較した のが図1である。この結果から、意見態度が強いほど態度変容しにくいこと、また「賛成」 よりも「反対」の初期ポジションを取るものの方が、態度変容しにくいことがわかる。 11 表8 整備事業に対するイニシャルポジションと投票態度の関係 整備事業_初 と 整備事業_投 のクロス表 整備 事業_ 初 賛成 56 75.7% 11 13.9% 7 7.4% 3 5.3% 1 .8% 78 17.9% 賛成 どちらかといえば賛成 どちらともいえない どちらかといえば反対 反対 合計 有意確率 p<0.01*** p<0.05** どちらかと いえば賛成 11 14.9% 32 40.5% 11 11.6% 6 10.5% 1 .8% 61 14.0% 整備事業_投 どちらとも どちらかと いえない いえば反対 3 3 4.1% 4.1% 11 13 13.9% 16.5% 34 19 35.8% 20.0% 2 24 3.5% 42.1% 6 4.6% 50 65 11.5% 14.9% 反対 1 1.4% 12 15.2% 24 25.3% 22 38.6% 123 93.9% 182 41.7% 合計 74 100.0% 79 100.0% 95 100.0% 57 100.0% 131 100.0% 436 100.0% 1 * p = 0.000*** p<0.10* 100.0% 80.0% 60.0% 40.0% 20.0% 反対 どちらか といえば 反対 どちらとも いえない どちらか といえば 賛成 賛成 0.0% 図1 各イニシャルポジションでの態度不変の割合 次に、表8をもとに分極化現象の分類をおこなった。イニシャルポジションと投票時の 態度が同じ場合(イニシャルポジションが「どちらともいえない」は除く)を「態度不変」、 初期態度を強化した場合(具体的には「どちらかといえば賛成」から「賛成」もしくは「ど ちらかといえば反対」から「反対」に態度変容した時)を「分極化」、イニシャルポジショ ンと逆の方向に態度を変えた場合を「逆分極化」と定義する。尚、イニシャルポジション が態度未定(「どちらともいえない」)のとき、分極化・逆分極化は定義できないので「態 度保留」として扱う。 整備事業に対するイニシャルポジションと分極化現象の関係を示すのが表9である。イ 12 ニシャルポジションの賛否によらず分極化した人は10%前後であってそれほど多くない。イ ニシャルポジションが「賛成」の人は、逆分極化した人が35%とかなりの数になる。それに 対し、イニシャルポジションが「反対」の人は、態度不変の人が多くを占める。 表9 整備事業に対するイニシャルポジションと分極化現象の関係 整備事業 態度不変 88 賛成 57.5% 147 反対 78.2% 235 合計 68.9% 態度保留 34 どちらで 35.8% もない 有意確率 p<0.01*** 分極化 逆分極化 11 54 7.2% 35.3% 22 19 11.7% 10.1% 33 73 9.7% 21.4% 態度決定 61 64.2% p<0.05** 合計 153 100.0% 188 100.0% 341 100.0% 合計 95 100.0% p = 0.000*** p<0.10* (2)イニシャルポジションが情報収集行動に与える影響 次に、整備事業に対するイニシャルポジションが紙ベースの情報収集行動に及ぼす影響 をあらわすのが表 10 である。両方のチラシを利用するものの割合は、弱いイニシャルポ ジションの者(「どちらかといえば賛成・どちらかといえば反対」の人)が多い。それに対 して、賛成派で強いイニシャルポジションの者は自分の意見に近いチラシのみを見る傾向 がみられた。 表10 イニシャルポジションと紙ベースの情報収集行動の関係 整備事業_初 と チラシ読んだか(広報込) のクロス表 整備 事業_ 初 賛成 どちらかといえば賛成 どちらともいえない どちらかといえば反対 反対 合計 有意確率 p<0.01*** p<0.05** 両方読 んだ 25 33.8% 46 58.2% 37 38.9% 33 58.9% 65 50.0% 206 47.5% p<0.10* チラシ読んだか(広報込) 推進チラ 凍結チラ どちらも読 シのみ シのみ んでない 34 3 12 45.9% 4.1% 16.2% 21 4 8 26.6% 5.1% 10.1% 26 12 20 27.4% 12.6% 21.1% 8 5 10 14.3% 8.9% 17.9% 22 26 17 16.9% 20.0% 13.1% 111 50 67 25.6% 11.5% 15.4% 合計 74 100.0% 79 100.0% 95 100.0% 56 100.0% 130 100.0% 434 100.0% p = 0.000*** ここで表10の集計をしなおした。両派のチラシを利用することを「均衡選択」、イニシャ ルポジションと同じ意見のチラシのみを利用することを「順選択」、イニシャルポジション と逆の意見のチラシのみを利用することを「逆選択」、どちらも利用しないことを「無選択」 と定義し、集計したものが表11である。イニシャルポジションが「賛成」の人の順選択の 13 割合が大きいこと、また「反対」の人の均衡選択と逆選択の割合が大きい。つまり、 「反対」 の人は自分と逆の意見を利用していることがうかがえる。 表 11 イニシャルポジションと紙ベース情報収集選択の関係 紙 賛成 反対 合計 均衡選択 71 46.4% 98 52.7% 169 49.9% 有意確率 p<0.01*** 順選択 55 35.9% 31 16.7% 86 25.4% p<0.05** 逆選択 7 4.6% 30 16.1% 37 10.9% 無選択 20 13.1% 27 14.5% 47 13.9% 合計 153 100.0% 186 100.0% 339 100.0% p = 0.000*** p<0.10* イニシャルポジションが対面ベースの情報収集行動に及ぼす影響を示すのが表12である。 このとき、紙ベースの場合と異なり、両派とも対面情報収集の機会が少ないこと、順選択 をするものがもっとも多いことがわかる。しかも、イニシャルポジションによって対面情 報収集行動に優位な差はないことがわかった。紙ベースの情報収集のように情報収集コス トが低いときには、イニシャルポジションとは逆の立場にあるメディアを利用する率が高 くなるのに対して、対面情報収集は、情報収集コストが高く、情報収集コストが高い場合 には、均衡型もしくは逆選択がおきにくい。 表12 イニシャルポジションと対面ベース情報収集行動の関係 対面 賛成 反対 合計 均衡選択 26 17.0% 26 13.8% 52 15.2% 有意確率 p<0.01*** 順選択 35 22.9% 52 27.7% 87 25.5% p<0.05** 逆選択 15 9.8% 12 6.4% 27 7.9% p<0.10* 無選択 77 50.3% 98 52.1% 175 51.3% 合計 153 100.0% 188 100.0% 341 100.0% p = 0.462 (4)情報収集選択が態度変容に与える影響 紙ベースの情報収集選択と分極化現象の関係をあらわすのが表 13 である。均衡選択を した人は、態度不変が比較的小さく、分極化もしくは逆分極化と態度変容した人が多い。 逆分極化の最も多いのは、均衡選択をしたものであることは興味深い事実である。均衡選 択をして、逆分極化が起きたことは、賛否両者の立場を吟味し、イニシャルポジションに 拘束されず判断を下していることを反映していると考えられる。 14 表 13 紙ベースの情報収集選択と分極化現象の関係 紙 均衡 選択 順選択 逆選択 無選択 合計 態度不変 102 60.4% 68 79.1% 30 81.1% 33 70.2% 233 68.7% 有意確率 p<0.01*** 分極化 25 14.8% 3 3.5% 1 2.7% 4 8.5% 33 9.7% p<0.05** 逆分極化 42 24.9% 15 17.4% 6 16.2% 10 21.3% 73 21.5% p<0.10* 合計 169 100.0% 86 100.0% 37 100.0% 47 100.0% 339 100.0% 1 * p = 0.019** 次に、対面ベースの情報収集選択と分極化現象の関係をあらわすのが表14である。特徴 的なのは、逆選択をおこなった人の多くが逆分極化をおこしていることである。また、均 衡選択をした人も、逆分極化した人が少なくなかった。さらに、無選択の人はかなりの割 合で逆分極化していた。分極化が一番多い割合なのは、順選択をおこなった人である。紙 ベースに比べて、対面ベースは接触した相手の影響を受けやすい傾向があると考えられる。 表14 対面ベースの情報収集選択と分極化現象の関係 対面 均衡 選択 順選択 逆選択 無選択 合計 態度不変 39 75.0% 69 79.3% 16 59.3% 111 63.4% 235 68.9% 有意確率 p<0.01*** 分極化 4 7.7% 12 13.8% 2 7.4% 15 8.6% 33 9.7% p<0.05** 逆分極化 9 17.3% 6 6.9% 9 33.3% 49 28.0% 73 21.4% p<0.10* 合計 52 100.0% 87 100.0% 27 100.0% 175 100.0% 341 100.0% p = 0.008*** イニシャルポジションごとに紙ベースの情報収集選択と分極化現象の関係をあらわすの が表15である。これを対面ベース情報収集選択について集計したのが、表16である。全体 として、イニシャルポジションの賛否によらず順選択では、逆分極化する割合は小さくな る。均衡選択する場合、とくに「賛成」の人において逆分極化する割合が高くなる。傾向 として、イニシャルポジションが「反対」の人は、紙ベースでは均衡選択をするが、態度 変容しないか、分極化する結果となる。一方、イニシャルポジションが「賛成」の人は、 均衡選択する割合が低く、どの情報収集選択をおこなっても、逆分極化する割合が高くな る。イニシャルポジションが「どちらともいえない」の人は、チラシを多く利用するほど、 態度決定する割合が大きくなっている。 15 表15 イニシャルポジション別の紙ベースの情報収集選択と分極化現象の関係 分極化現象 紙ベースの 情報収集 態度不変 分極化 逆分極化 均衡 34 7 30 選択 47.9% 9.9% 42.3% 38 2 15 順選択 69.1% 3.6% 27.3% 賛成 4 0 3 逆選択 57.1% 0.0% 42.9% 12 2 6 無選択 60.0% 10.0% 30.0% 88 11 54 合計 57.5% 7.2% 35.3% 68 18 12 均衡選択 69.4% 18.4% 12.2% 30 1 0 順選択 96.8% 3.2% 0.0% 反対 26 1 3 逆選択 86.7% 3.3% 10.0% 21 2 4 無選択 77.8% 7.4% 14.8% 145 22 19 合計 78.0% 11.8% 10.2% 態度決定 態度保留 30 7 均衡選択 81.1% 18.9% 16 推進 10 61.5% どちらとも チラシのみ 38.5% いえない 7 凍結 5 58.3% チラシのみ 41.7% 8 12 無選択 40.0% 60.0% 61 34 合計 64.2% 35.8% イニシャル ポジション 有意確率 p<0.01*** p<0.05** 合計 71 100.0% 55 100.0% 7 100.0% 20 100.0% 153 100.0% 98 100.0% 31 100.0% 30 100.0% 27 100.0% 186 100.0% 合計 37 100.0% 26 100.0% 12 100.0% 20 100.0% 95 100.0% 1 * p = 0.171 1 * p = 0.009*** p = 0.017** p<0.10* 対面ベースの情報収集選択と分極化現象について、それぞれのイニシャルポジションご とに比較すると、 「賛成」の人は、逆選択をおこなうか、無選択であることが、逆分極化す る結果となる。それに対し、 「反対」の人は、情報選択の仕方によらず、多くが態度不変も しくは分極化の傾向を示す。また「どちらともいえない」の人は、無選択であれば、態度 保留になるが、それ以外の選択では、同程度の態度決定の傾向がみられた。イニシャルポ ジションが「反対」の人は、態度不変もしくは分極化と意見強化の方向へ動く大きな流れ があるが、彼らの多くは、少なくとも紙ベースの情報収集選択では、均衡選択もしくは逆 選択をおこない、自らの意見強化につながる学習バイアスが発生していない。また、イニ シャルポジションが「賛成」の人は、均衡選択する割合が「反対」の人と比べると低く、 どの情報収集選択をおこなっても、逆分極化する傾向がみられる。 16 表16 イニシャルポジション別の対面ベースの情報収集選択と分極化現象の関係 分極化現象 対面ベース の情報収集 態度不変 分極化 逆分極化 19 3 4 均衡選択 73.1% 11.5% 15.4% 25 6 4 順選択 71.4% 17.1% 11.4% 賛成 7 1 7 逆選択 46.7% 6.7% 46.7% 37 1 39 無選択 48.1% 1.3% 50.6% 88 11 54 合計 57.5% 7.2% 35.3% 20 1 5 均衡選択 76.9% 3.8% 19.2% 44 6 2 順選択 84.6% 11.5% 3.8% 反対 9 1 2 逆選択 75.0% 8.3% 16.7% 74 14 10 無選択 75.5% 14.3% 10.2% 147 22 19 合計 78.2% 11.7% 10.1% 態度決定 態度保留 10 3 均衡選択 76.9% 23.1% 7 推進派の 2 77.8% どちらとも 人のみ 22.2% いえない 12 凍結派の 5 70.6% 人のみ 29.4% 32 24 無選択 57.1% 42.9% 61 34 合計 64.2% 35.8% イニシャル ポジション 有意確率 p<0.01*** p<0.05** 合計 26 100.0% 35 100.0% 15 100.0% 77 100.0% 153 100.0% 26 100.0% 52 100.0% 12 100.0% 98 100.0% 188 100.0% 合計 13 100.0% 9 100.0% 17 100.0% 56 100.0% 95 100.0% 1 * p = 0.002*** 1 * p = 0.547 1 * p = 0.377 p<0.10* (3)争点期間の長さが投票プロセスに与える影響 整備事業計画を知ったタイミングとイニシャルポジションの関係を示すのが表17であ る。署名の時期に知った人は、 「反対」のイニシャルポジションの人が多かった。この署名 が凍結派の署名活動だったことが理由であると考えられる。署名より後に知った人は、イ ニシャルポジションが未定(「どちらともいえない」)の人が多く、政治的関心の強さと、 イシュー認知の時期に影響し、その結果イシュー認知の時期と争点態度の初期ポジション の明確さにつながるものとの思われる。 計画を知ったタイミングと紙ベースの情報収集行動の関係を示すのが表18である。署 名の時期までに知った人の多くは両方のチラシを利用している一方で、署名より後に知っ た人はどちらも利用していない傾向がみられた。 17 表17 計画を知ったタイミングとイニシャルポジションの関係 計画をしったタイミング と イニシャルポジション3分類 のクロス表 計画を しった タイミン グ イニシャルポジション3分類 どちらとも いえない 賛成 反対 101 45 106 40.1% 17.9% 42.1% 32 22 62 27.6% 19.0% 53.4% 13 20 12 28.9% 44.4% 26.7% 146 87 180 35.4% 21.1% 43.6% 署名以前から知ってた 署名の時期に知った 署名よりあとに知った 合計 有意確率 p<0.01*** p<0.05** 合計 252 100.0% 116 100.0% 45 100.0% 413 100.0% p = 0.000*** p<0.10* 表18 計画を知ったタイミングと紙ベースの情報収集行動の関係 計画をしったタイミング と チラシ読んだか(広報込) のクロス表 計画を しった タイミン グ 署名以前から知ってた 署名の時期に知った 署名よりあとに知った 合計 有意確率 p<0.01*** p<0.05** 両方読んだ 137 52.9% 61 50.4% 9 19.1% 207 48.5% チラシ読んだか(広報込) 推進チラ 凍結チラ シのみ シのみ 72 27 27.8% 10.4% 24 25 19.8% 20.7% 14 3 29.8% 6.4% 110 55 25.8% 12.9% どちらも読 んでない 23 8.9% 11 9.1% 21 44.7% 55 12.9% 合計 259 100.0% 121 100.0% 47 100.0% 427 100.0% p = 0.000*** p<0.10* 計画を知ったタイミングと対面ベースの情報収集行動の関係を示すのが表19である。 この結果から、知ったタイミングが早いほど両方の人と話をする傾向がみられる。また、 どちらとも話していない人は知ったタイミングが早いほど少ない傾向がある。署名の時期 に知った人のうち、凍結派のみ話をした人の割合が多いのは、この署名が凍結派の署名活 動だったことが理由であると考えられる。 表19 計画を知ったタイミングと対面ベースの情報収集行動の関係 計画をしったタイミング と 各派と話したか のクロス表 計画を しった タイミン グ 署名以前から知ってた 署名の時期に知った 署名よりあとに知った 合計 有意確率 p<0.01*** p<0.05** 両方と 話した 46 17.8% 14 11.4% 4 8.5% 64 14.9% p<0.10* 各派と話したか 推進派の 凍結派の み話した み話した 38 52 14.7% 20.1% 13 31 10.6% 25.2% 6 3 12.8% 6.4% 57 86 13.3% 20.0% どちらとも 話してない 123 47.5% 65 52.8% 34 72.3% 222 51.7% 合計 259 100.0% 123 100.0% 47 100.0% 429 100.0% p = 0.016** 計画を知ったタイミングと分極化現象の関係を示すのが表20である。計画を昔から 知っていた人ほど、態度変容しにくいという傾向は、今回の調査では見られなかった。こ のことも、住民投票をきっかけとして生じた提供された情報が、態度変容に影響を与えて 18 いることを示している。しかも、その影響は、比較的長くこの問題を認知していたものに も同様の効果があったことを示唆している。 表20 計画を知ったタイミングと分極化現象の関係 計画をしったタイミング と 分極化現象 のクロス表 計画を しった タイミン グ 署名以前から知ってた 署名の時期に知った 署名よりあとに知った 合計 有意確率 p<0.01*** 3−3 p<0.05** 態度不変 142 68.6% 63 67.0% 17 68.0% 222 68.1% 分極化現象 分極化 20 9.7% 12 12.8% 1 4.0% 33 10.1% 逆分極化 45 21.7% 19 20.2% 7 28.0% 71 21.8% p<0.10* 合計 207 100.0% 94 100.0% 25 100.0% 326 100.0% p = 0.700 討議的民主主義の社会実験 3−3−1 ランダム・セレクションを用いた討議型民主主義の模索 民主主義の基盤は討議にもとづく社会的学習にある。このことは、直接民主制を支持す る理論的支柱となってきた。一方、直接民主制は社会の規模が大きくなると効率的でなく なる。市民は常に十分な情報を得て投票するわけではない。特に、社会が複雑化すると、 アマチュアである市民の合理性の限界は一層深刻化する。そのため、近代民主制のほとん どは間接民主制を採用している。しかし、近年、規模の問題を克服する直接民主制の新し い形が模索されている。代表的な理論としては、Barber([10])による Strong Democracy、 Burnheim([15])による Demarchy、McLean([29])による Statistical Democracy、Dahl([16]) による Mini-populous、等がある。 これらの理論は、市民を無作為抽出し、政治に参加させる方法を模索している点で共通 している。特に Dahl 及び McLean のアイデアは、陪審員制の応用で、無作為抽出された市 民による討議と投票を組み合わせることで、直接投票における規模と討議コストのトレー ドオフを克服するものと期待されている。なぜなら、第一に、無作為抽出のため代表性が 統計的に確保され、第二に、小集団であるため十分な討議を短期間に集中して行え、第三 に、その結果十分インフォームドされた(well-informed な)状態で投票を行えるからである。 無作為選出された市民から構成される小規模モデル社会をR.Dahlの用語に倣ってミ ニ・ポピュラス(Mini-populous)と呼び、ミニ・ポピュラスでの討議と投票を組み合わせ た意思表明の仕組みを討議型政策投票と呼ぶことにする。 現行間接民主制に対する不満は、公共的意思決定への参加を求める様々な動きとなっ て現れている。都市計画では、ワークショップ、パブリック・インボルブメントが、環 19 境アセスメントでは、評価枠組み自体を市民が参画して決定するスコーピングが、地方 自治では、市民による条例の起草が取り入れられつつある。住民投票条例提案数も、95 年までは3.2件/年であったものが02年から03年3月までの1年間では126.4件/年と急速 に増加している。しかし、住民参加の場で参加者を無作為選出した事例は日本ではまだ ない。また、住民投票は有権者が負担する情報収集と討議のコストが高いため、投票結 果の信頼性が低くなる欠点がある。すなわち、政治参加機会は増えつつあるものの、代 表制の問題と規模の問題を同時に克服する参加手法はまだ見つかっていない。ここにミ ニ・ポピュラスを活用した討議型政策投票手法の有効性を実証する価値がある。 デンマーク科学技術局(DTB)が80年代後半に開発したコンセンサス会議は、投票は行わ ないものの、ミニ・ポピュラスの構成法、情報提供手続き、および討議手順などの点で 討議型民主プロセスの標準となっている。日本でもコンセンサス会議は、90年代後半か ら数事例実施されている。しかし、日本のコンセンサス会議は、第一に本格的な無作為 抽出を用いていない事、第二に短期間で論点を把握し、価値的な判断を下すという機能 を発揮する段階に至っていない(坂野[7])。このことは、DBTが設定した標準的プロセ スは、異なる政治制度および政治文化の下ではキャリブレーションする必要性があるこ とを示唆している。 公共選択理論の立場からBuchanan & Tullock([14])は、有権者一票の影響力は政治参加 コストに比べて小さいため参加インセンティブは働かないと論じている。間接民主制の優 位を支えてきた同理論は、近年見直しを迫られている。政治学者のBadge(1996)は、理論 的にも経験的にも一般市民が議員に比べてより非合理な決定をする証拠はないと論じて いる。また、公共選択理論家であるLupia & McCubbins([28])は、シグナリング効果を前 提にすれば、限られた情報のもとでも市民は専門家と同程度に合理的選択が可能であるこ とを理論的、実験的に示している。 しかし、Badge 及びLupia & McCubbins は、政党制と全員投票という既存制度枠組みを 前提にしているため、直接民主制は間接民主制と同程度に合理的であることは示せても、 より合理的であることは示せていない。Barber([10])、Burnheim([15])、McLean([29])、 Dahl([16])は、議論を一歩進めて、無作為抽出により選出された市民による政治参加によ り、間接民主制よりも優れた討議型民主制度を作れる可能性ついて仮想的に論じている。 さらに、討議型民主制の社会実験による評価が、デンマークを中心にしたEU諸国、及び 米国で行われている。デンマークDBTのコンセンサス会議、及び米国CDCによる政策投票実 験とその評価は、それぞれJoss([23])、Fiskin & Luskin(2004)により行われている。そ の結果、討議に基づく相互学習効果が確認されている。 3−3−2 米国における討議型政策投票実験 DP の概要 Deliberative Polling(討議型政策投票実験)とは、討議を用いた世論調査法の一つ 20 である。具体的な流れを図2に示す。この方法では、サンプル抽出・設問設定・回答収 集という従来の意見調査の後に、回答者を一堂に集めて専門家等の意見を聞き、バラン スの取れた情報提供をおこなうなどして、討議・勉強を行う機会を設けた後、再度アン ケート調査を実施する。その間の討議の模様は、全過程を新聞やテレビなどを通じて公 開される。 第1ステップ 政策争点を決定し、ランダムサンプリングを行い、 通常のアンケート調査を行う 第2ステップ アンケート回答者に対して、討議参加を呼びかける 第3ステップ 週末、一箇所に泊まり込みで討議を行う 参加者には事前説明資料を配付する。資料は一般にも公開 専門家に対する質問リストを小グループに分かれ作成する 意見を異にする専門家、および政治家に対して質問する 討議の後、投票を行う 討議は、専門のモデレータが行う 事前アンケートと結果を比較する 分析結果は、メディアを通じて、市民、政治家に広報されより 大きな規模の討議にひろげる 図2 Deliberative Polling の流れ 米国PBSは、第3ステップの討議を録画し、編集放映している。今年度PBSは、10月 22日から29日をDeliberation Weekとして、16地方局の協力で、健康・教育問題に ついて16の討議の場を設定。各局は、独自に討議の場を作り、番組収録した。最後の イベントとして、11月10日、各局で行われた討議のハイライト番組を全国放映した。 また、各地域のコミュニティカレッジもこれに呼応し、討議の場を設置。スタンフォー ド大学Center for Deliberative Democracyでは、オンライン上でも、討議型政策投票を 行っている。討議は、オフラインの討議に似せて、参加者の無作為抽出、小グループで 行う。ただし、テキストではなく音声を使用。週末1時間程度の討議を5週続け、投票 を行い。討議に参加しないコントロールグループの投票結果と比較。結果は、Deliberat ion Weekにおいて、地方局の討議に使用される。 3−3−3 DP の評価と問題点 討議型民主主義に対する批判は、直接民主主義の批判と同様に根深いものがある。まず、 第一に不要説がある。結局市民は、専門家以上の意見を述べられないし、意見・態度は討 議で変わらないという批判である。しかし、DP での実験では、事前事後調査では、政治態 度評価の半分の項目で有意な変化が報告されている。投票態度も有意に変化すること報告 21 されている。さらに、DP 参加者は、イシューについてより学び、より情報を多く得た人ほ ど、態度変化を起こすこともわかっている(Fishkin & Luskin[20])。 第二の批判は、弊害説である。これは、態度変容は起こるが、好ましくない方向に変化 するというものである。3−2で取り上げた、分極化現象、あるいは同調性の圧力により、 マジョリティーに有利になると批判されている(Sunstein[34], Sanders[30])。しかし、 DP 実験では、態度変容と、社会属性は無関係であること、政治態度と投票の間の関係は、 事後のほうが高い、討議参加前には、同一意見を聞く傾向があるが、討議参加中は反対意 見を集める傾向がある(Hansen[21])こと等から、討議が進むに従ってより合理的に判断が 行われるようになるとしている。ただし、討議グループ内での意見が同質化する可能性は 完全にはず、モデレータの役割が大きいとい報告もある。 第 3 の問題は、サンプルの代表性である。ランダムサンプリングといっても最終参加者 には強制力が働かない。国やイシューによって、参加同意者率は 30%から 50%であると されている。参加同意者は、教育、所得などの点で社会的に有利な立場にいるものが結局 は多くなるのではないかとの批判がある。この点についても、DP の既存実験では、年齢 が高め、教育程度が高く、トピックに詳しい傾向はあるが、社会属性及びイシューに対す る態度に統計的に有意差はない。また、通常の公募に比べて参加属性の偏りは少なく、参 加インセンティブを工夫することでさらに偏りは減少できるとしている。 3−3−4 極小社会実験からの展開 民主主義の基盤は討議にもとづく学習にある。討議の基盤は、情報にある。市民に的確 な情報を提供するマスコミの役割は、政治がマス化したことと密接な関係があった。しか し、現在、ジャーナリズストが情報をスクリーニング、編集し、市民がそれを消費すると いう一方的形は、市民のニーズに十分こたえきれなくなっていると考えられる。討議型民 主主義を模索する動きは世界的な広がりをみせつつある。その中で、討議型政策投票に対 する PBS のかかわり方は、マスコミの新しい役割の一つの方向を示しているように思われ る。PBS は、Deliberation Week における放送局のミッションを、市民討議 (civic dialogue)を組織的に興す事(convener of civic dialogue)としている。 R.Dahl([17])は、DP の実験を政策形成に結びつけるための制度を提案している。 ステージ1 controversial issue について commission 設置 NSA メンバーで構成。代替案と C/B ステージ2 Deliberative Polling 3000 人→600 人 全国レベル マスメディアを通じて結果報告 ステージ3 地方レベルで Deliberative Polling & Public Debate ステージ4 commission による評価レポート作成 22 ステージ 5 国会での討議と決議 また、Fiskin と Ackerman は、大統領選挙を題材にして、Dhal と同様に、Deliberation Day を設け、全国のコミュニティ単位で DP を行うことを提案している。 4 まとめーリスクコミュニケーションの活用による公共選択の機能強化への示唆 1 章で述べられているように、リスクコミュニケーションを中心にすえた公共選択の機 能強化は、自由(Free) 、完全(Full)、公平(Fair)という3F の市民参加の実現が鍵と なる。しかし、参加と対話は、必ずしも3F を満たすわけではない。討議に基づく学習は、 民主主義を支える重要な支柱の一つであるが、その過程において3F を阻害するさまざま な機制が働く。しかも、3F を阻害する心理的、社会的、政治的機制の存在は、経験的に は知られていても、体系的に蓄積された知識や理解がないのが現状である。討議的民主主 議をめぐる議論は、理論闘争から実証論争をへて、社会実験の段階に入っている。従来、 どちらかといえばイデオロギー論争的で 2 者択一的な性格を帯びていた議論が、討議的合 理性が確保される条件は何か、討議的合理性はどんな結果を生じるのか、といった実証的 な問いに変わりつつある。また、討議的合理性を単なる理念ではなく、社会的実験の中で 実現する取り組みが始まっている。討議型民主主義を実現する社会実験は、3F の市民参 加を阻害する機制の理解と阻害要因を除去する方策を模索する取り組みと言い換えること ができる。 本章では、討議型民主主義にとって現在特に深刻だと考えられている社会心理的機制の 一つである集団分極化に焦点をあて、公共選択の場で分極化現象が起きる可能性を実証的 に評価した。集団分極化が生ずると、コミュニケーションは活発になればなるほど意見対 立は激化することになる。実験室実験や経験的に知られている現象ではあるが、実証的な 立場からは、どのような条件の時に、分極化が生じやすいのか明らかにしていくことが重 要である。今回は、直接投票という機会が分極化にどのような影響を与えるか調査を行っ た。その結果、間接投票に比べて、直接投票のほうが学習効果は高く、集団分極化も全て の人に起こるわけではないことを明らかにした。 しかし、紙媒体と対面によるコミュニケーションを比較すると、後者は前者に比べて態 度形成への影響力が高いにもかかわらず、コミュニケーションのコストが大きいため、セ レクションバイアスがかかりやすく、バランスの取れた情報収集が行われにくいことが示 された。すなわち、個人の自由な参加は、コンセンサス会議および DP に比べると、社会心 理的バイアスが働くために、実は潜在的な自由の発現を阻害するという限界が生じてしま うことを示している。その結果、自然な状態では異なった立場にある人と討議を行う機会 が少なくなるため、態度変容の可能性はかなり制限されることになる。より多様な可能性 の中から選択できることがより合理的な選択であるとすれば、ある程度コントロールされ 23 た環境で討議行うことが必要になる。 DBT のコンセンサス会議、及び米国の DP 実験では、参加者のランダム選出は、コントロ ールされない状況では出会う確率の低い異質な人同士が対話する機会を作り出すこと、そ の結果、ランダム選出された市民は異質な考えを理解し、より公平な判断力を獲得しうる ことを示している。 DBT によるコンセンサス会議と DP を比較すると、両者はほぼ同じプロセスを踏襲するも のの、コンセンサス会議では合意を最終アウトプットとしてまとめることが参加者に要求 される点に違いがある。Fishkin は、合意を短期の会議で要求すると、同調圧力が発生し やすく、社会心理的なバイアスがかかりやすいとしている。DP は、合意を求めるものでは なく、考える前提やフレームを明示化し共有することにある。したがって、イッシューに 対する賛否の表明は最終段階の秘密投票で行われ、討議の中で表明することは強制されな い。この点が、陪審員制度とも異なる。フリーでオープンなコミュニケーションを担保す る討議手続きとして参考になる。 日本で行われた討議型プロセスの先行事例である日本型コンセンサス会議の経験から、 DP 導入の問題点を把握すると、①市民一般の参加意識の低さから無作為抽出による参加者 の確保の困難性、②短期間でバランスの取れた意思決定ができるようにしっかりとしたブ ローシャーの作成、③情報提供を情報提供専門家の参加型プロセスに対する無理解により バランスの取れた専門家招聘リスト作りの困難性、及び、④政策決定主体から独立したプ ロセスマネジメント確立の困難性が指摘できる。この 4 点は、米国先行事例でも、DP 成功 のクリティカルな要因と認識されており、イシューやその他の実験条件に応じてさまざま 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