裸の古い男

の
ち
の
文
化
史
第
1
8
回
男が女を相手に囲碁をやっている。ところ
が、碁石を打つ手がわなわなと震え、うまく
打つことができない。眼もゆりうごき、口も
ゆがんでいる。左足もうまく坐れない。
それを見て、傍らの女は口に手をあてて、
くすくすと笑っている。
黒い碁石を持つ女も、
つりこまれて笑っている。
この男、なんという病気にかかったのであ
ろうか。
この絵図は平安時代末期に作られた国宝の
やまいの そう し
『 病 草紙』という絵巻物の一枚である。そ
ことばがき
の 詞 書に次のようにある。
ふ びょう
ちかごろ、男ありけり。風 病 によりて、
ひとみつねにゆるぎけり。厳寒にはだか
にてゐたる人の、ふるひわなゝくやうに
なむありける。
「風」にあたって起こると考えられていた。
しんとう
この「ひとみつねにゆるぎ」というのは今
そ の 後、 江 戸 時 代 に な る と、 こ の 病 気 は
ちゅうふう
日の医学用語でいうと眼球震盪のこと。厳寒
「 中 風 」「 中 気 」 な ど と 呼 ば れ る よ う に な っ
あた
いう字がついて「卒中風」または「卒中」と
それに「にわかに」という意味の「卒」と
詞書では「風病」とあるが、これは今日の
いわれるようになった。これに「脳」がついて、
生まれた。ここには「風」という字こそない
風邪ではない。半身不随をともなう脳血管疾
この絵巻物の一枚は脳卒中の症状が見事に
が、「にわかに中る」という古い日本語が残っ
今日の医学用語の「脳卒中」ということばが
描かれているが、それだけに日本で古くから
さて、古代にはこの病気は外の悪い風にあ
ているのである。
脳卒中は現代日本の死因の第二位を占めて
たって起こると考えられていたが、江戸時代
気と考えられるようになった。貝原益軒は名
いる。脳溢血・脳梗塞、くも膜下出血の総称
この脳卒中は『病草紙』が作られた時代は
高い『養生訓』で、次のように述べている。
になると、外からではなく、内から起こる病
「風病」といわれていた。病気を起こす悪い
である。
脳卒中があったことがわかる。
患つまり脳卒中と思われる。
はっきりと表現されている。
こう か
に裸でいる人がぶるぶる震えるように、から
プロフィール
たつかわ しょうじ
医療史専攻。文化史・生活史
の視 点 か ら 病 気・医 療 を 追
究。主な著書に、
『病気の社
会史』
(NHKブックス)『歴
史紀行・死の風景』
(朝日新
聞社)
『臨死のまなざし』(新
潮社)
『からだの文化誌』(文
藝春秋)
『生と死の美術館』
(岩 波 書 店)
『日 本 人 の 死 生
観』
(筑摩書房)など。
た。「 中 」 と は「 あ た る 」 と い う 意 味 で、 風
北里大学名誉教授
だが始終震えているという症状、そして口が
立川昭二
に中って起こる病気という意味であった。
文――
ゆがんでいる口喎、手足の麻痺などの症状が
─「風病の男」『病草紙』
風病 中風・脳卒中
・
い
第18号 18
救急救命
■
連
載
読
み
物
中風は外の風にあたった病気ではな
に な ら ず、 口 が ゆ が ん で 物 が 言 え な い。
足がふるえ、しびれ、麻痺し、思うよう
なるよ。」
尿もオマルでとる。イヤハヤ、身が粉に
こ
い。 内 に 生 じ た 風 に あ た っ た の で あ る。
肥満した人、酒の好きな人はふだんから
ばば
からだが肥満して気の少ない人が、四十
用心するがよい。
益 軒 は 脳 卒 中 と 高 血 圧・
なるほど苦労させられる。脳卒中の後遺症の
やらなくてはならない。ばあさまの身は粉に
自分のことが一人でできず、下の世話をして
しも
よいよいになると、このじいさまのように、
歳を過ぎて気の衰えた時。七情の悩みや
酒食におかされて、この病気になる。手
動脈硬化との関係は知らな
脳卒中になると、身体的障害に加えて痴呆
介護の苦労は今も昔もかわらない。
因であるということは知っ
(認知症)になる場合が多い。江戸時代の医
かったが、肥満と飲食が原
て い た。 彼 は「 病 な き 時、
者香月牛山は『老人必要 養 草』で、次のよ
やまい
かねて慎めば、病なし。皆
うに述べている。
活習慣病のことをいち早く
きはない。体のかなわぬさえあるに、心も
老人の病い多かるなかに、中風ほどうるさ
やしないぐさ
ならい(習慣)よりおこる」
とも説いている。今日の生
指摘していたのである。
恍惚となりて、さながら嬰児のごとし。
人の「ばあさま」が次のよ
馬の『浮世風呂』には、一
でいた。江戸後期の式亭三
という用語を使っていたのである。
なったが、江戸時代の医者が すで に「恍惚」
名から、痴呆のことを「恍惚」と言うように
有吉佐和子の『恍惚の人』という小説の題
を俗に「よいよい」と呼ん
うにグチる場面がある。
が、今はやるよいよい
らが所はの、じいさま
「 聞 い て く だ せ え、 お
左衛門が垣間見て、家に戻り、嫁に向かって
説は、平八がリハビリに始めた歩行訓練を清
彼が見舞いに行く場面がある。そしてこの小
は、清左衛門の 旧友大塚平八が中風 になり、
藤沢周平の小説『三屋清左衛門残日録』に
と い う 塩 梅 だ っ け が、
「 平 八 が、 や っ と 歩 く 習 練 を は じ め た ぞ 」 と
言う弾んだことばで終わるのである。
此の頃は立ち居もひと
しし
りで出来ねえから、屎
19
江戸時代には中風のこと
『病草紙』の「風病の男」