詳しくはこちら - JA広島農青連

広島県農業協同組合青壮年連盟 【東北被災地支援活動】報告
日時:平成 25 年 3 月 25 日(月)~27 日(水)
場所:宮城県仙台市
平成 23 年 3 月 11 日、未憎悪の災害といわれる東北地方を襲った地震、津波による被害
を受けたこの地は、被災から2年以上が過ぎ復興も進む中、農業分野に至っては未だ営農
再開するに至らないほ場も多くあり、被災を受けた盟友を含む農業者たちのやりきれない
現状を、直に感じてくることが明日の自分たちの農業情勢に向かう心掛けになれるものと
思い、少しながらのボランティア活動がしたいと東北仙台の地を踏みました。
25 日羽田より東北新幹線にて仙台の地を訪れたのは午後 1 時、仙台の被災地若林地区に
地元 JA 仙台・総務部震災復興推進課の方の案内で、若林区井戸の被災した現場に着きまし
た。
目の当たりにしたのは、ここに住宅地があったのかと思われる一部の基礎跡を含む農地
と、遠くにはとぎれとぎれになってしまった防風林でした。この地区は、もとは 100 軒余
りの集落で、レタスの一大産地でもあり、水田地帯でもあったそうです。津波により 38 人
が亡くなったそうで、現在も仮設住宅で地区もばらばらで生活される中、集落再建のため
営農再開に向けて法人化を決断され、平成 24 年度は 16 ヘクタールで水稲作付をされ、一
部レタスの栽培も手掛け始めておられました。
今回は、このレタスを植え始めたほ場のそばの瓦礫をスコップで掘り起こす作業を行い
ました。
「よし!」と気合を入れて掘りかけたものの、大小の石が交じった地にスコップは
なかなか歯が立たず、しかも土に混ざった瓦礫は相当な量で、思った以上に大変な作業で
した。約3時間で 3 メートル×5 メートル(1.5 平方メートル)をやっとの思いで掘り起こ
しました。
夜、地元 JA 宮城農青連の委員長、副委員長2名、JA 宮城中央会の事務局と交流会を行
いました。被災地の盟友の生の声を聞くことができ、大変有意義な時間を過ごしました。
「被
災地を一人でも多くの人に訪れてほしい、そのことだけでうれしい、ボランティアでなく
てもいい。
」といっていた盟友の言葉が印象に残りました。
翌 26 日は、宿泊先を朝 8 時 30 分に出発し途中「YouTube でも放映されていた郷中学校
だよな」
「この高速を隔てて運命が変わったんだな」と、被災の地を改めて確認しながら昨
日とおなじ場所に向かった。「今日は、自分たちの力のあるかぎりいけるところまでやる
ぞ!!」とがんばりました。
「是非またこの地を訪れて、野菜が植わった地を見たいよな」
と盟友同士話しました。
最終日は、管内の被災地を春の作業の忙しい中を、宮城県農青連委員長とJA宮城中央
会の事務局に案内していただきました。JA みやぎ亘理では、亘理、山元地区のイチゴ農家
がほぼ全滅したそうです。園芸農家組合員が4割を超えるこの地は、いち早く23年4月
(被災後翌月)県・町と連携し「園芸、水田災害復興会議」を設立し、管内 1200ha の整備
計画のイチゴ栽培の代替地として 5ha の荒廃地を開墾して、2,4ha の栽培を始めていまし
た。
案内していただいた農家である盟友の方は仮設住宅からも遠く、水質もなかなか条件も
合わない中でも、立派にイチゴを栽培しておられました。近いうちには、元の自分の圃場
での栽培再会を目指しておられました。
JA 名取岩沼を訪問し、自身も被災されている営農企画課の方に名取、岩沼地区の被災状
況についてご説明いただきました。海抜ゼロメートル地帯での除塩作業の計画などの災害
復興計画を聞きました。
復興交付金は、瓦礫は環境省、農地は農水省、用水路は国交省と縦割りの対応が行われ
ており、実態に見合った進捗になく、なかなかうまく話が前に進まない現況を聞かされま
した。
仙台空港で、空港沖にここは一大青梗菜のハウス栽培が松林で海風をさえぎられた地で
栽培されていたのだと説明されたが、その広大な地にハウスの痕跡もなく、防風林もなく
なった地は海風にさらされた砂の地となっていました。
最後に、900 人が亡くなり街が姿を消してしまった名取市閖上を訪れました。15 メートルを
越す高波に襲われ、近くの高台にと避難された日和山富主姫神社も逃げ先にはならなかったそう
です。「地元の盟友は消防団に所属している者も多く、消防団員の盟友2名が避難誘導中に被災
され、その手には最後まで誘導に使われたメガホンを持ったままで亡くなった方がいた」と聞か
され胸を打たれました。
このたびの活動で被災地を訪れないとわからない事や現実の話を多く聞くことができました。
ここ広島では、最近はめっきり被災地の報道もされなくなり、昔話に風化されてしまいがちです
が、現場はまだこれからまさに復興の始まりです。被災地の現況と、私たちまさに中山間地で危
機的状況を迎える広島とは、状況は違いますが農業再興という面で、似たような状況があると思
います。
被災地の復興、中山間地の再興なくして、日本の農業問題は解決できないと、改めて考えさせ
られました。
JA 広島農青連委員長
山本一守