第6回 論語と算盤-澁澤栄一

産業と技術の歴史
第6回 論語と算盤
-澁澤栄一
2011年5月27日
吉備国際大学国際環境経営学部
大谷卓史
本日のテーマ!
• 幕末から明治にかけて、どのように歴史が展
開したか再確認しよう。
• 幕末から明治の激動期、澁澤栄一はどのよう
に生きたか?
• 澁澤栄一の「論語と算盤」と呼ばれる経済思
想はどのようなものだったか?
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澁澤栄一古稀のお祝いの画帳の
洋画家・小山正太郎の絵
目次
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幕末から明治へ
澁澤栄一の生涯
澁澤栄一の道徳経済説-「論語と算盤」
まとめ
幕末から明治へ
• 幕末の国内の動き:開国へ
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諸外国からの開国の要求:不平等条約締結
尊皇攘夷から尊王開国への国論の展開
雄藩連合の結成(薩長同盟が主軸)
雄藩連合による幕府打倒:戊辰戦争
• 明治維新(1867年)
• 明治期の国内の動き:近代化、富国強兵
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不平等条約の改正、植民地化の防止
廃藩置県:藩主権力を新政府へ奉還
富国強兵政策・・・産業振興と軍事的整備
太政官制度から近代的内閣制度へ
議会政治の開始
日清戦争、日露戦争
澁澤栄一の生涯
• 澁澤栄一(1840-1931)
• 幕末から昭和まで、農
民・武士・官僚・企業家
・社会事業家としていき
方を変えながら活躍。
• 約500の企業の設立に
かかわったとされる。
• 「日本資本主義の父」
• 「合本主義」、「論語と
算盤」。
澁澤栄一の生涯
• 武蔵野国榛澤郡血洗島村の豪農の家に生ま
れる。
– 血洗島は中仙道の陸運と利根川水運に隣接。
• 干鰯(肥料)の入手、藍玉の搬出に適した土地。
– 生家は藍玉の生産と販売を手がける。
• 現金購入・販売が基本のため資金運用が困難。
→時代の動きに敏感な資質を養う。
– 父・市郎右衛門:質素倹約の教え、母・栄:ハンセ
ン病患者への献身→澁澤への影響
澁澤栄一の生涯
• 澁澤栄一の少年期:農民として
– 14歳で藍玉の買付け、インセンティブの工夫。
• 藍の良否で番付作成、よい藍の生産者を宴席に招待
– 非合理主義への反発
• 姉の病気を祓うとした霊媒師の撃退。
– 権威主義的な武士への反発
• 17歳のとき、陣屋で代官・若林某から「御用金」を500
両払えと居丈高に強迫される。
→身分制の理不尽さ、幕府の批判へ
澁澤栄一の生涯
• 尊王攘夷運動への参加
– 1853年、ペリー来航(澁澤、13歳)→血洗島でも大きな話
題に。
– 水戸学を学んだ従兄弟・尾高新五郎の影響で、尊皇攘夷
運動に参加。
• 水戸学:尊王攘夷運動のルーツ
• 北辰一刀流千葉道場で剣術修業
– 1863年、高崎城焼き討ちを計画→寸前で中止
• 8月、計画。父親に勘当を願い出る。
• 京都から戻った小高の弟が、時勢が急展開しており、攘夷運動
の無意味を説得。
• 決行直前の10月末、焼き討ち中止。
澁澤栄一の生涯
• 一橋慶喜(徳川慶喜)の家臣となり、武士に。
– 1864年2月、攘夷計画の嫌疑から逃れるため、知人の紹
介で一橋家家臣に
– 玄関番から順調に出世。
– 1866年7月、慶喜が第15代将軍に
• フランス・パリ万博への随行
– 1867年、パリ万博に徳川昭武(慶喜弟)派遣、澁澤随行。
→西洋との接触から攘夷論の転換
– 「・・・とても我々は勝てぬ。これを師として学ぶほかはな
い」澁澤「欧米視察談」1903年
澁澤栄一の生涯
• 澁澤栄一は欧州(フランス)から何を学んだか?
– フランスには官尊民卑の思想がない→武士(軍人)が商
人(銀行家)に一目置いているという事実。
• 饗応役の銀行家が軍人と対等、もしくは尊敬されている。
– 饗応役の銀行家から産業・流通のしくみに学ぶ
→「合本」制の発見。
→公債(国債、鉄道債券)購入による利殖
– 国家(君主)が経済・産業振興に熱心な事実→国による
産業振興の経済発展への重要性。
• ベルギー国王が同国の鉄を昭武(当時、14歳)に売り込む姿を見
る。
澁澤栄一の生涯
• 1868年帰国すると、幕府は消滅していた。
→静岡藩(徳川慶喜)への出仕
– 「勘定組頭格」に就任、経理全般を担当。
– 政府の貸付金で殖産興業策を実施
→1869年、「商法会所」を設置。
• 半官半民組織。
• 商品担保貸付、定期・当座預金、米穀・肥料販売、製
茶業への融資など。
• 8ヶ月間で8万両の利益→「常平倉」に名称変更。
澁澤栄一の生涯
• 1869年、民部省租税正へ→官僚への転身
– 現在の主税局長職相当。幕府から預かったお金を利殖で
増やした実績を買われた。
– 大蔵卿:伊達宗城、大輔:大隈重信、少輔:伊藤博文
– 新制度整備を実施。
• 貨幣制度、税制改革、度量衡改正、郵便改革、鉄道敷設など。
– 1871年、大蔵少輔事務取扱(実質的事務次官)に就任。
• 廃藩置県の実施、公債発行を担当。
– 同年、会社制度を日本に紹介。
– 突出する軍事支出を抑制するよう「量入為出」を主張
• 1873年、大久保利通との衝突から官僚辞任。
澁澤栄一の生涯
• 1873年、企業家に転身、第一国立銀行総監
役に就任。
– 1872年、国立銀行条例、公布(澁澤が原案)。
• アメリカのナショナル・バンク・アクトを参考に設立。
• 「国立」といっても、国が運営するわけではない。
– 1873年、第一国立銀行、設立。
• 1916年の引退まで、同銀行のトップにとどま
る。
澁澤栄一の生涯
澁澤栄一の生涯
• 1900年、実業家としてはじめて男爵に叙され
る(後に子爵)。
• 1916年、日糖事件で、引退。
– 政界を巻き込む汚職事件が発生、多数の逮捕者
。
– 澁澤が推薦した社長が、澁澤が彼を非難する文
章を発表した直後に自殺。
• →引退を否定するが、結局古稀を期して引退
。
論語と算盤-澁澤栄一の経済思想
小山画伯の
小山画伯の絵の意味
刀:武士として
武士として生
として生きたこと。
きたこと。
シルクハット:
シルクハット:紳士として
紳士として生
として生きようとしたこと。
きようとしたこと。
論語:
論語:道徳
算盤:
算盤:商業
論語と算盤-澁澤栄一の経済思想
• 澁澤栄一の経済思想・・・商業道徳の主張
– 商業は私的利益のためではなく、公益のためのものであ
る。
– 私的利益を通じて、公益に寄与する。
• 澁澤栄一の社会事業
–
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–
東京養育院への出資、運営。
女子教育への参加(日本女子大学、東京所学監など)
漢学、商業教育への参加(一橋大学、二松学舎など)
義捐金集めへの奔走。
論語と算盤-澁澤栄一の経済思想
• 「合本思想」・・・株式会社制度の導入と紹介
– 小資本をたくさん集めることで、大きな事業を実
施できるという思想。
– 小資本の資本家の味方という澁澤イメージ。
• 簿記の紹介→民部省(大蔵省)への簿記制
度の導入など。
• 温情的経営から労働組合の容認へ
– 労使関係の調整への関与。
• 財政上の規律の観点から、軍国主義に反対
まとめ
• 澁澤栄一の生涯
– 農民、武士、官僚、起業家・企業家、社会事業家として5
回人生を変える。
– 民部省で新制度整備を実施。
• 貨幣制度、税制改革、度量衡改正、郵便改革、鉄道敷設など。
• 廃藩置県の実施、公債発行を担当。
– 会社制度を日本に紹介。
– 第一国立銀行を基盤に事業展開→500以上の会社を設
立、関与。
– 社会事業家として、教育・慈善活動、民間外交に関与。
まとめ
• 澁澤栄一の経済思想
– 合理主義と温情的経営
– 合本主義・・・株式会社制度の導入。
– 論語と算盤・・・商業道徳
• 私的利益をむさぼることを否定。公益への関与を主張
。
課題
• あなたは、澁澤栄一の「論語と算盤」論をどの
ように考えるか?「商売」は、社会的意義のあ
るものか?利己的なものか?
参考文献
• 見城悌治『評伝・日本の経済思想 澁澤栄一
「道徳」と経済のあいだ』日本経済評論社、
2008年。
• 周見『張謇と渋沢栄一 近代中日企業家の比
較研究 』日本経済評論社、2010年。
• 東京商工会議所編『澁澤栄一 日本を創った
実業人』講談社、2008年。
• 日本経済新聞社編『経営に大義あり』日本経
済新聞社、2006年。