中長期ボランティア・ケニア CIVS・Emukhuya primary school ~目次~ 1)はじめに 2)事業の概要 3)参加者・協力者 4)活動期間中の日程 5)事業のねらい、ワーク、その成果 6)ワーク以外の活動 7)生活 8)アンケート結果 9)提案と今後の構想 10)終わりに 名前 :川瀬 麻里菜 活動期間:2012 年 1 月 3 日~3 月 27 日(約 3 カ月間) 1)はじめに 私は、ケニア西部のエムハヤという地区にあるエムフヤ小学校でボランティアとして子ども達、地域の 人たちと交流しました。よりアフリカ的な暮らしを体験してみたいという考えから、私はナイロビなど の都会ではなく、地方のこの学校を選びました。学校へ通う子どもの多くは貧困層から来ているため、 必要な教材が不足しています。教科書も人数分はなく、1 クラス 30 人ほどのところ8冊程度で勉強して います。 (まったく使っていないクラスもあります。 )そこでポスターのような大きな教材を作り、皆が より学びやすくしたり、日本文化に興味がある子たちにはゲームタイムに日本文化の授業を開き、おり がみや日本昔話、習字などを楽しんでもらったりしました。 2)事業の概要 2-1)事業名 Emukhuya primary school 2-2)開催期間 2012 年 1 月 3 日~3 月 27 日 2-3)開催地 ケニア西部 エムフヤ 2-4)事業目的 ケニアに一定期間住むことで、ケニアの文化を経験する。現地の小学校でボランテ (85 日間) ィアとして働き、どのような教育がされているかを知る。 2-5)参加者 *共に活動したボランティア:1 カ国 1 名 *様々な形で参加した住民:約 15 名 詳しくは、 「3」参加者と協力者」を参照 2-6)ワーク内容 ① 教材作り(各先生に頼まれた教材など) ② 4 年生に美術の授業 ③ 日本文化の授業 2-7)他の活動 ワークキャンプ、各地へ旅行、ストリートボーイズプログラム 2-8)生活方法 宿泊:ホームステイ 食事:朝食と夕食は家でホストファミリーと、昼食は学校で先生たちと一緒に食べ る。 2-9)言語 英語、スワヒリ語、クニョーレ 2-10)協力 CIVS スタッフ Kipepeo スタッフ 学校の教員 現地ボランティア 近所の住民 3)参加者・協力者 3-1)共に期間中活動したボランティア(女 1 名:男 0 名) 姓名:難しい場合ふりがな Claudia 在住地 オース 性 女 年 20 職業(専攻) 備考 家業である牧場の手伝い トリア 3-2)協力団体・協力者の方々 ホストファミリー Kipepeo(現地の支援団体)のメンバー 先生方 地域の人々 4)開催中の日程と出来事 4-1)大まかなスケジュール 月 活動内容 重点事項 出来事 1/3 ナイロビの CIVS オフィスでオリ ・CIVS の成り立ち、ケ ・ナイロビ市街に連れて行っても ~ エンテーション ニア文化について学ぶ らう(ケニヤッタ インターナシ 1/7 ョナル コンフォレンス セン ターなど) 1/8 リゲガでワークキャンプに参加 ・将来、地域の病院を作 ・キャンプメンバーの誕生日会 ~ るためのレンガ造り ・カカメガ、キスムへ旅行(オバ 1/2 ・小学校の子どもとサッ マ米国大統領の祖母に会う) 6 カー ・カルチュラルナイト(カレー、 ・マーケットに買い物に みそ汁を作る) 行く 1/2 Emukhuya primary School でボラ ・4 年生に美術を教える ・中間テスト 7~ ンティアとして働く ・高学年に日本文化を教 ・成績発表 3/2 える ・ウガンダ、キスム、サファリへ 6 ・たまに 3 年生に英語を 旅行 教える ・リゲガの友達の家へ訪問 ・空き時間に各授業の教 ・キマ(エムフヤの下の村)で行 材づくり われたワークキャンプに遊びに 行く ・日本料理、オーストリア料理を 教え合う 4-2)基本的な週間スケジュール 月曜日から金曜日まで、ほぼ毎日学校へ行き、授 業や教材づくりをしていました。PE クラスや休み 曜日 予定 時間には子どもたちと一緒に遊んでいました。マ 月 学校 ーケットデイには少し早めに帰宅し、同じ学校で 火 学校 ボランティアをしていた子と一緒にマーケットに 水 学校 行く時もありました。放課後はその子と下の村に 木 学校 行ったり、一緒に住んでいた子どもたちと遊んだ 金 学校 りしていました。土曜日は、高学年の授業があり 土 フリー ましたが、学校へは行かず、ワークキャンプ地の 日 フリー 近くの友達の家に遊びに行ったり、一緒にボラン ティアをしていた子と、お互いの国の料理を教え あったり、旅行に行ったりしていました。 4-3)基本的な一日のスケジュール 7時ごろ朝日とともに起床、朝の準備。毎朝、近 所の人たちが牛のミルクをもらいに来ていました。 時間 行動 朝ご飯はほとんどマンダジとチャイ。学校は歩い 7:00 起床、身支度、朝食 て 10 分ほどのところにあり、8 時 30 分には着く 8:20 登校 ようにしていました。11 時ごろにティータイムが 9:00 授業・教材づくり あり、チャイとマンダジを食べながら、先生たち 11:00 ティータイム とお話します。 (ただ、基本的に現地語であるケニ 13:00 昼食 ョーレで話していたので、なかなか理解できませ 14:00 授業 んでした。逆にケニョーレを教えてくれる先生も 17:00 帰宅 いました。 )12時40分~14 時までがランチタ 18:00 子どもと遊ぶ、洗濯など イム。子どもたちはいったん家に帰り、昼食をと 19:00 夕食の準備 20:00 夕食 21:00 就寝 ります。私は学校で先生たちと一緒に食べていま した。ウガリ(トウモロコシの粉をお湯でこねた もの)とスクマウィキ(地元の野菜)が2週間ほ ど続いたときは、正直つらかったです。子どもた ちの中には、貧困から朝食も昼食も食べていない 子が少なくなく、毎日職員室で昼食を食べている ことが、心苦しくもなりました。また、8 年生に は給食が出ていました。 (雑炊のようなスープ。と ても満足とは言えない。 )17 時ごろ帰宅。一緒に 住んでいた子どもたちと遊び、ご飯づくりを手伝 い、ご飯を食べ、21 時ごろ寝ていました。 5)事業のねらいワーク、その成果 5-1)本事業のねらいと背景 本事業の目的は主に、以下の 2 つである。 ① ケニアに長期間住むことで、現地の生活を肌で感じる。 ② 子どもたちが考えていることに耳を傾ける。 それぞれの背景は、以下の通りである。 ① アフリカと日本では、その暮らしぶりが大きく異なると言われるが、一体どんな部分が異なり、どんな 部分が同じと言えるのか。食事は食べれているのか、筆記用具はあるのか。子どもたちのみならず、地域の 生活と切っても切れない小学校でのボランティアを通して、そこにある生活を感じた。子どもたちのあどけ なさや、いたずら好きなところは日本の子どもたちと大きく異なるということはない。しかし、それを取り 巻く大人たちの、子どもに対する態度が日本とは違ったものであったように思う。 ② ケニアでは体罰が公に行われていることもあり、生徒は教師に対して意見しにくい状況にある。また、 多くの保護者も、教育には体罰は必要不可欠だと考えており、子どもたちは学校での体罰を親に言うことも 出来ない。このような状態から生徒と教師の間には一定の距離があり、生徒が教師に自分の考えを話すこと も難しい部分があった。 5-2)ねらい①への成果 私の行っていた学校では、多くの子どもたちが食事を十分に取れていない状況にあった。 (夕ご飯だけなど) そこで、最高学年である 8 年生にのみ給食のプログラムが開始されていた。このことは今後、他の小学校で の給食プログラムの参考にもなるだろう。また、体育の時間にはケニアと日本、両国のゲームを紹介しあい、 その相違点をお互いに楽しんだ。 5-3)ねらい②への成果 ボランティアという立場を活かし、子どもたちの声に出来るだけ耳を傾けるようにした。教師が怖くて職員 室に入れない子には、一緒に職員室のそばまで行った。また、教師と体罰の必要性について話し、 「子どもた ちと話し合って問題を解決する」という選択肢があることを提示した。 (それまで教師は、子どもはどうせ話 しても分からないという理由から、子どもの話を聞く前に体罰を行うこともあった。 ) 6)ワーク以外の活動 6-1)ワークキャンプ 6-3)他のワークキャンプの見学 日本人 2 人、ドイツ人 4 人、オランダ人 1 人、アメ リカ人 1 人、ケニア人 5 人で病院を作るためのレン ガを作った。ワーク地の近くには病院がない為、地 元住民は、バイクや車に乗って隣の村へ行くしかな く、とても不便であった。そのため、地域のコミュ ニティが建設を始めたのである。午後には近くの小 学校へサッカーをしに行ったり、マーケットに出か けたりした。 プロジェクト中、私の住んでいた下の村で別のワー クキャンプが行われていたので、たびたび参加し、 友人を増やしたり、日本人に会って日本語を話すこ とで息抜きをすることができた。 6-2)旅行・観光 ワークキャンプ中にメンバーとキスムとカカメガへ 行き、プロジェクトに移ってからも友達とキスムや ウガンダへ旅行に行った。ナイロビに一度戻ってか ら、サファリにも参加し、タンザニアへも足を伸ば した。 6-4)友人宅への訪問 学校が終わってからホストシスターの従兄弟の家に 遊びに行ったり、一緒にボランティアをしていたオ ーストリア人の友だちの家に遊びに行ったりしてい た。また、週末にはワークキャンプ地を訪れ、ワー クキャンプで出来た友人と久々に会った。 7)生活 7-1)宿泊施設 7-3)シャワー ワークキャンプで仲良くなった友人の家に住んでい た。 自分の部屋が与えられ、 ベットも比較的大きく、 快適なように思えたが、雨季が近づくにつれ、部屋 にネズミが大量発生し大変だった。近くのお店でネ ズミ用の薬を買ってきたが、なかなか減らず、これ が原因で夜が少し憂鬱だった。(ネズミがの音がうる さすぎて、ぐっすり眠ることができなかった。) トイレの隣にシャワー室があり、家の水のタンクか ら桶 2/3 ほどの水を運び、シャワーを浴びる。一見 少ない量の水に思えたが、足りないということはな い。2 回ほど、水のタンクが空っぽになり、数日シ ャワーが浴びれない時もあった。 7-2)食事 ワークキャンプ中はいろいろなものが食べれたが、 プロジェクトが始まってからは、ほぼ毎日ウガリで 正直飽きた。たえかねて一度、友達と 1 時間半ほど 車で行ったところにある中華料理店に行ったほどだ った。 7-4)その他 毎週月曜日と木曜日はマーケットディだったので、 マタツで 20 分ほどかけ、友達と一緒によく出かけ た。テイラーと仲良くなり、何着かオーダーメイド の服を作ってもらった。ATM や郵便局、サイバー カフェもマーケットプレイスにあった。 8)自分自身の変化 8-1)モチベーションの変遷 100 80 60 40 ワークのモティベーショ ン 20 全体的なモティベーショ ン 0 8-2)モチベーションの変化の分析 開始前:ケニアに来る前アメリカに留学しており、そこで出来た友人と離れることや、知り合いが誰もいない 地へ行くことへの不安がかなり大きかった。 1 週目:オリエンテーション期間に滞在したホステルにドイツ人しかおらず、 (ドイツ人 10 人くらい+日本人 1 人の状態)皆がドイツ語で話すので、1 人だけ分からず、孤独だった。 2 週目:ケニアでの生活に少しずつ慣れ始め、友人も出来た。 3 週目:なんでも話せる友人が出来た。 4 週目:ワークキャンプ終了。別れが寂しくて仕方がない。 5 週目:プロジェクトへの不安。 6 週目:自分からなにかしなければなにも出来ない状態。慣れるのに必死。 7 週目:子どもたちとすっかり仲良くなり、楽しい。 9 週目:教師とも仲良くなり、ほとんどの村の人が知り合いに! 12 週目:すっかり溶け込んだ村の皆ともお別れ…寂しい。出来るだけたくさんの人と話す機会を作るよう心 がける。 8-3)活動を通じて得たことや気づき ケニアの人は、基本的に朝起きて今日何をするかを決める。(時間に追われていないのんびりした生活⇔計画 性がない)そして、朝立てた予定がその通りにならなくてもまったく気にしない。それは、日本人にありがち なせっかちな面を見直すきっかけとなり、大らかな心を持つ素晴らしさを知った。また、日本人の特性とも言 える「計画性」の素晴らしさにも気付かされることとなった。(ケニアンタイムでは物事が先に進まないこと 多数…)ケニアと日本、両国の良い面を見つけることができ、ケニアを通して以前にも増し日本が好きになれ た。 8-4)今後どのようにこの経験を生かしていくか 今、私はケニアでの経験を通し、真逆とも言える文化を知ることができた。これはこれから先、壁にぶ つかった時に、一つの考えに固執せずに物事を考えることが出来る柔軟性を身につけるきっかけとなっ たと言えるであろう。また、今回のプロジェクトで様々な国の人と触れ合ったことや、日本文化を教え させてもらったことで、日本についての興味・関心が今まで以上に私の中に生まれた。なので今後、海 外だけではなく日本文化についても学んでいきたいと思う。 9)提言と今後の構想 未知の土地へ行く時、誰もが不安にかられると思います。しかし、いくら不安でもそこから一歩踏み出 さなければ何も生まれません。 「ハクナマタタ精神(何とかなるさ。問題ない。) 」で一歩踏み出してみる ことが、とても大切なように思います。何とかなると思っていると、本当に何とかなっていくものです。 笑顔を忘れず、困難までも楽しんで、挑戦あるのみです! ただ、初めの不安を少しでも軽くするために、出発前にその国の事情を多少は調べておくといいと思い ます。アフリカではネットの情報と実際では結構違っていることも少なくありませんが、イメージは沸 き、不安も軽くなると思います。 また、現地の言葉もあいさつ程度は覚えていくと良いと思います。ケニアでは英語が通じますが、やは り現地語で話しかけられると嬉しいらしく、心を通わすきっかけになると思います。 10)おわりに アフリカに行くということは、私が小学生の頃に立てた夢の 1 つでした。なので、行けることが決まっ た時は、やっと行ける!と思い、嬉しかったです。けれども、モチベーションのところにも書いたよう に、私はアメリカから直接ケニアに入国しました。仲良くなった友人と別れ、未知の世界への扉…。正 直、初めは不安しかなかったです。しかし、そんな私を元気づけてくれる友人やケニアのスローライフ、 そしてアフリカの象徴ともいえる「ハクナマタタ精神」のおかげで、すっかり異国の地を楽しむことが できました。ハクナマタタ。この言葉には随分助けられました。ケニアへ行く前は、電気・水道・ガス のない暮らしなんて大丈夫だろうか?と思っていましたが、実際住んでみると不自由を感じることは特 になかったです。 (あるとすればネズミの大襲来…)そこにはそこの生活があり、そのままを楽しむこと ができました。ケニアで身に付けた大らかな心を忘れずに、これからも「ハクナマタタ精神」で笑顔で 人との関わりを大切に、人生を楽しんでいきたいです。
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