No.27 - 青山学院大学山岳部

昭和 62年 10月 25日
行
発
発行所
〒 103
東 京 都 中
央 区 本 橋 3-2-13
(有 )中 探 印 刷 所 内
緑 ケ丘 山岳会
六十周年 は盛 会 に終 了致 し ましたが、最近 の風潮
で、山岳部 への入部者 が減 っており、今後七十 五年
百 年 へと 一歩 一歩 の積 み重 ね が大 切 と な り ま す の
で、OB諸 兄 の益 々のご協力 をお願 いします。
に於 ては、小 島隼太郎 名誉会 長 及び 二 十年 間 山岳
部 の部 長をお引 き受 け戴 いております徳久部 長 に感
謝 の意 を込め て、ペ ナ ントをお送 り致 しました。記
念式典 のメイ ン oイベ ントは永井先輩 、現役諸君 の努
力 で、六十周年 の スライド を作成 、上映を行な い、山
岳部 の昔 じと今 をビジ ュアルにご出 席戴 いた方 々に
楽 し んで戴 きまし た。 日頃 はO B諸先輩 も、仕事 に
忙殺され、行事 に参加 出来な いのが実情 です が、青
春 時代 を 過 ごし た、山 岳部 の六十 周 年 とも な れば、
忙 がし い時間を やりく りし て六十余名 のご出席 を戴
き、楽 し い式典 となりました。尚 、当 日、山岳部 か
ら、学院 に送 った記念植樹 が、十 二月、徳久部長 のご
,
紹介 により、 リ ッパな モミ の木 を渋谷 キ ャンパ ス本
部 裏 庭 に て行 な わ れ ま し た。 今 年 のク リ ス マスに
は、デ コレーシ ョンをすれば、きれ いな クリ ス マス ・
ソリ ーとな ると思 います。諸 先輩 の方 々も渋谷 キ ャ
ンパ スに行 った折 には、
一度 本部裏 へ足を は こんで
見 て下さ い。
山 岳 部 創 部 六 十 周 年
記 念 の 集 い
我 々緑 ケ丘山岳会 々員 の方 々が青春 の四年間を過
ごした、山岳部 が創部六十周年を迎え、記念式典 が、
昨年十 一月 八 日 土
自学会館 に て盛 会 に行 な われま し
た。
特別ゲ スト に西堀栄 三郎 先生 にもご出席 を戴 き、
スピ ーチを戴きました。
学院からは、大木院長、学院関係者 の方 々、体育
会連 合会 OB会 長 及 山岳 部 O B諸 先輩等 、多く の
方 々のご出席 を戴き、 これも皆様方 の日頃から の山
岳部 に対す るご理解と感謝致 し ております。
当 日、大木院 長から、﹁
厚木キ ャンパ ス内 に岩登り
のトレー ニング場 は、場所が決 りしだ い、 かならず
作ります﹂と我 々に大変有難 い、お話 しを戴きまし
た。
当 日 す﹂
出 席戴 いた方 々には、六十 周年実行委 員
会 でチ エをしば り、内容的 には、時間的 に制約が有
り、十分 と は言えませんが、多く の先輩方 にご協力
を戴き、我 が伝統 の山 岳部 の歴史 を年表 にま とめ、
緑 ケ丘 通信 の記念号とし て配布を致 しました。併 せ
て、山 岳部も 、近代的 感覚 のイメ ージ を出 す為 に、
西堀先輩 のデザ イ ンのT シ ャツを作 り、合 せ て配布
致 しました。 T シ ャツは、まだ スト ックが有ります
ので、 ご希望 の方 がござ いましたら、幹事会 ま で、
ご 一報下さ い。実費 にてお分 け致します。記念式典
念 撮 影
口
己
時
ハ
閉
NO.27
661,044
※未 払 金
E口 昴
」肇呈 184,170
105,222
十 平 年 度 O B 総 会
5体 育会 OB連 合会 、会合費
昭 和 六 十 二年度 O B総 会 は 、 多数
のO B の出 席 を 得 て、 五月 二十 二
日夜 、青 学会館 に て開催 さ れた。
永 井 理事 の司 会 によ り、 鈴 木 弘
会 長 、 中 村 賢 次 理 事 長 、下 河 辺幹
費
事 長 、 小 倉 監 督 代 理 の西 脇 コーチ
8_次 期繰越金
か ら、それ ぞれ、あ いさ つ、報 告 に
立 った。
主 な 趣 旨 は、昨 年 の ﹁六 十 周 年
記念 の集 い﹂の報 告 、会計 報告 、今
6.福 島基金繰 入
25,000
42,125
55,300
41,995
7.雑
年 の抱 負 等 で、 ま た、 本 年 度 の監
督 会 、 及 び幹 事 会 のメ ンバ ー は変
更 なし 、と いう こと にな った。
本 総 会 出 席 者 のう ち 、 最 古 参 の
笹 井 O B の音 頭 により 乾 杯 じ 、 現
役 の山 行 の スライド を 見 つ つ、 懇
談 に入 った 。 ま た 、徳 久部 長 も あ
いさ つに立 た れ、 大 学 の体 育 実 技
にO B派遣 の要望 を された。
さ ら に、 こ の春 の卒 業 と な った
三名 のう ち 、 出 席 し た 皆 川 、 江 原
の新 会 員 の紹 介 、 そし て、 全 員 出
席 し て いた 現役 ︵四年 一名 、 三年
○名、一一
年 二名 、 一年 四名 ︶の紹介
が あ った 。 久 し振 り に出 席 の草 野
O B、 遠 路 出 席 の青 木 O B など の
顔 を 見 せ、会 は次第 に盛 り上 が り、
全 員 での合 唱 で最高潮 に達 し た。
105,222
1.次 期 繰 越 金
104,846
376
1.前 期 繰 越 金
2.受 取 利 息
纂
編
史
1監
1.前 期 繰 越 金
6,043
1,054,000
1.前 期 繰 越 金
787,451
2.返 済 金
120,000
3.60周 年 よ り繰 入
80,000
4.OB会 費 よ り繰 入
42,125
5.受 取 利 息
30,467
督 会 費
200,000
扇1妻 :
228,696
3.発 送 費
29,120
4.六十周年 パ ーティーヘ の援助金 38,808
2 E口
133,260
505,000
22,412
372
2.OB会 費
3.雑 収 入
4.受 取 利 息
1.借 入 金 利 息
2.次 期 繰 越 金
Ⅲ 年
金
基
島
Ⅱ 福
計
会
般
I一
六十 一年 度会計報告
緑 ケ丘 山岳会
堀 内 拓 三君 当 選 す る !
、小林 、中條 、野
家族 ︶
口、斉 藤 、下河 辺、小 倉 、
出 陣 式 /西村 、平野興、白井 、︵
御
︱参 加 者︱
六 月 の定例 市議 会 では早速 一般
質 問 に立 つな ど積極的 な活動 を し
て いる堀 内 君 の今 後 の益 々の活 躍
を 期 待 し た いと思 います。
大 O B の神 崎 氏 の司会 でな でやか
な会 と な りまし た。 ・
大 学山 岳 部 の同期 生 が中 心 にな っ
て、胸 に議員バ ッジを付 けた堀内夫
妻、御父君を招待し て、催されまし
た。当 日は堀 内 君 の交遊 の広 さを
示すように、明治大、法政大、中央
大、日本大、東農大、芝浦 工大 のO
B諸氏が出席し、当OB会からは白
井 氏 以 下 四名 が出 席 しまし た。 日
由
田
⊥
⊥士口 市 議 に初 挑戦 で見事 に栄 冠 ︱
中
今春 の統 一地方選挙 で、堀内拓
三君 ︵
三十 八年卒 ︶は地元富士吉
田 市 の市 議 会 議 院 選 挙 に初 挑 戦
し、定数 二十六人中十 八位 で見事
に当選 しまし た。我がOB会有志
は公 示 日 の四月十九 日 ︵日︶初夏
を 思 わ せ る陽 差 し の中 行 な わ れ
た。出 陣式 に、西村 OB以下十 二
名、学生 三名 が出席し、西村氏が
挙戦 は大 いに頑 張 って下さ ぃ。﹂と
代表し て、﹁
友情厚き男、堀内拓 三
君 の為 に応 援 に駆 け つけ てきまし
た。私達 は残 念乍ら投票権を持 っ
ていな いが、我 々のこの熱意を地
元 の皆様 に理解し て貰 いた い。選
挨 拶 さ れ 、 や れ モノだ 、 カネ だ の
当 世 に友 情 で大 勢 の人 間 が動 く事
を 地 元 支 持 者 に訴 え、 大 い に感 銘
を 与 え ま し た 。 そ の後 、
一同 でカ
レ ッジ ソ ング を斉 唱 し 、出 陣 式 を
土 田、若杉 、菅 田 ︵
十二
大 い に盛 り上 げ ま し た。
当 選 後 、 これ か ら の議 員 生 活 に
励 ます会 /白井 、戸 張、小林 、平 野
名 ︶、 ︵
学 生 三名 ︶
大 い に期 待 し 、 ヤ ル気 を 出 し て貰
お う と 、 六 月 二十 一日河 口湖畔 の
富 士 ビ ュー ホ テ ル で励 ま す 会 を 、
隊 ︵? 一人 ︶ の山脇 君 が は るば る下
か らビ ールや食料 を背 に登 って来 る
で は な いか 。 感 激 。 彼 も ホ ー ム ス
く に つれ 登 山 者 が め っき り 多 く な
り、 ざ わ め いた感 じ にな る。塔 の頂
上 で大 体 止 、大 昼食会 で浮 かれた の
ち、 下 山 にかか った直 後、 サポ ート
山 の 一つのピ リ オド を か み じ め る。
翌 日 は 前 日 にも ま し て の快 晴 の
朝 、 丹沢 山 、塔 ケ岳 へと続 く稜線 は
ま さ に天上 の散歩 道、 し かし、北 面
の静 かな 山域を去 り、塔 が岳 に近 づ
し た。久 方 ぶり の感 動を 五人 で分 か
ち 合 い、 長 か った ホ ーム スタ ート登
と な った が、 午後 三時 少 し前淡 いガ
スを 通 し てさす夕陽 の中 、頂上 に達
り に か か る 。 こ の頃 は 、 日頃 のト
レ ー ニング 不足を 悔 いる つら い登り
な る足を だま しだまし て アルバ イト
九 時 間 、 ガ スのまき はじめ た蛭 の登
歌 的 に開 けた実 に素晴 し い所 で、月
見 の宴 にふさわし い。再度 の来訪を
期 し て縦 走 路を たど る。 撃り そう に
は蛭 の北 面 は はじめ ての コー スであ
った が 、 人 の気 配 も な く 、 静 か で、
南 アルプ スを 思 わせ る魅力 あ る山域
であ る。黍 殻 の非難小 屋付 近 は、牧
ホ ー ム スタ ート 登 山 、 完 成 ︱
午 前六時 、朝 露 にぬれた焼 山 登山
口 の林 道 を 歩 き は じ め る。 な れ な
二 肩 に荷 が 重 い。 メ ンバ ー は栗 林
一路、木 村太 三郎 、中村 賢次 、永井
夫人 の各氏 と、私 西堀 の五人 、ここ
ま では、ヽ
永井 君が車 で送 ってき てく
れ た 。 彼 は我 々を 見 送 ってか ら 仕
事 場 に向 うと か、朝 早 く からあ りが
L︶つ。
こ の山 行 は 今 年 の 一月 に栗 林 先
輩 が 提 唱 さ れ た ホ ー ム スタ ー ト登
山 の ハイ ライ ト と し て計 画 さ れ た
も の であ る。 忙 が し い仕 事 の合 間
に、少 しづ つ歩を進 め、よう やく登
山 口 にた ど り ついた のが 、 六 月 七
日。 そし て、七 月 五 日に いよ いよ蛭
ケ岳 を 目 ざ し て登 行 を 開 始 し た の
だが、梅 雨明 け の大 雨 に打 ち のめ さ
れ 、 焼 山 か ら のビ シ ョビ シ ョの敗
退 。 そ れ か ら 三 ケ 月 目 よ う やく 再
度挑 戦 の日、十 月 二 日を 迎 え た わけ
であ る。
澄 ん だ 秋 空 か ら も れ る木 も れ 陽
が快 調 にペ ー スを のば し てく れ る。
前 回、四時 間 かか った焼山 の登りも
今 回 は 三時 間 で頂 上 に達 す る。 そ
れ でも コー スタ イ ム の五割 増 。 私
タ ート 登山 のメ ンバ ー の 一人 であ
る。
一仕 事 終 え た 満 足 感 を 胸 に、
総 勢 六 人 で下山 か か る。老 いた 足
の疲 れ に大 倉 ま で のバ カ尾 根 の下
り は登 り にも まし て長 く つら いも
のだ った。 自 宅 か ら自 分 の足 で歩
い て越 え た 丹沢 の秀 峰 、蛭 ケ岳 の
登 頂 と 縦 走 、仲 間 達 と 無事 にやり
終 え た 満 足 感 は大 き いが 、 反 面 、
長 い時 間 を か け て少 し づ つ目標 に
向 って いた 楽 し み が そ の瞬 間消 え
てし ま った と いう 一抹 の淋 し さを
感 じ た のは私 だ け では な か った ろ
う 。 登 山 に限 らず 、人 生 にお いて
幹 事 長 が交 替 し
下 河 辺 幹 事 長 は国 外 転 勤 のた
め 、 た ま た ま 、同 時 期 に帰 国 の斉
藤 ︵
健 ︶O Bと幹 事 長 を交 替 す る
こと にな りまし た。
山岳部年表 訂 正
緑 ケ丘 通 信 の六 十 周 年 記 念 号 掲
載 の年 表 中 の卒業 欄 ︵
昭和 三十 二
年 ︶ に、 山 脇 隆夫 O Bが欠 落 し て
お りま し た 。 お詫 びと 訂正 を 申 し
上 げます。
は、常 に、近 く に、遠 く に、あ こが
れ に似 た目 標 を持 ち続 け ると いう
こと が いか に大 事 であ るかを 教 え
られた山 行 であ った。
幹事会より
と 思 います。
回 く ら い の発刊 にも って いき た い
何 と か、以前 のよう に、年間 、一
二
しま い、お恥し い次第 です 。
や総 会 の報 告 が大 変 お そく な って
び申 し上 げ ま す 。六 十 周年 の集 い
ってし ま った こと を 、 まず 、 お詫
し ます 。 ほぼ 一年 ぶり の発 行 と な
緑 ケ丘 通 信 二十 七 号 を お 届 け致
小島隼太郎名誉
会 長 入院 さ る
か ね てよ り 、 脳 血 栓 のた め治 療
を 続 け てお ら れ た小 島 氏 は、藤 沢 ・
病 院 に再 入 院 し て いま す 。 ご 自 分
では話 し が 思 う よう ではな いと の
こと です が 、 こち ら か ら の話 を お
聞 き 頂 く に は支 障 は な いよ う で
す。
お 見 舞 い の際 は 、 ご 自 宅 の方 、
あ る いは、 栗林 O B に病 院 を 確 認
し て下 さ い。
部 長 、鈴木 会長、下河 辺幹 事 長、小
倉 監督 、白井 のO Bと現役 五名 が立
ち合 った。
創立 六十 周年 を記念 し て学 院 に記念植 樹
記 念 式 典 の後 の十 二月 、学 院 の
本 部 裏 に モミ の木 を 寄 贈 、植 樹 し
た 。植 樹 に は、学院 関係 者 、徳 久
会 費 お 支 払 い の お