高大接続テストの課題と制度設計 - 名古屋大学大学院教育発達科学

大学発教育支援コンソーシアム事業 名古屋大学
第3回 公開研究会
2012 年 4 月 21 日(土) 於:名古屋大学教育学部大講義室
高大接続テストの課題と制度設計
佐々木隆生氏
北星学園大学教授
大学発教育支援コンソーシアム事業 名古屋大学
第 3 回 公開研究会
2012 年 4 月 21 日(土)
高大接続テストの課題と制度設計
佐々木隆生氏
高大接続テストの基盤―日本型高大接続の転換の必要性
ご紹介いただきました北星学園大学の佐々木でございます。これまで 2 回にわたってお
話しをする機会をいただきました。今日は、それを受けて、
「高大接続テストをどのような
ものとして構想したらいいのか」
、この点に焦点をあてて話したいと存じます。
はじめに、これまでお話したことを簡単に振り返ってみることにいたします。高大接続
には教育上の接続と選抜による進学という接続の 2 側面がありますが、日本型の高大接続
というのは、学習指導要領つまりナショナルカリキュラムで教育上の接続というものを図
りながら、学力の把握、つまり教育上の接続に必要な学力の達成度の確認を「落第試験」
ともいえる大学入試に委ねてきたという特徴をもちます。こうした特徴をもつ日本型高大
接続は、戦前の旧制高等学校、大学予科の時代から始まり戦後も維持されてきたわけです
けれども、1990 年代に入って大きな曲がり角を迎えます。それが第三の教育改革でした。
高校の「国民的教育機関化」の結果、高校学習指導要領が改定されて、教育課程が弾力化
され、高校が多様化される。それから同時に大学入試も多様化し、評価尺度の多元化が導
入されました。その結果、教育上の高大接続に必要な学力担保は、もともと大学入試に依
存していた側面をもっていたわけですが、なお一層のこと、大学入試の選抜機能がもたら
す高校教育へのバックウォッシュ効果に依存するようになりました。
しかし、そうした接続の仕方は少子化の進展によって機能不全になりました。このよう
に考えますと、今わが国の高大接続にとって重要なことは、教育上の接続を再構築するこ
とにあります。小学校から始まって高等学校まで普通教育を構成する教科・科目を勉強し
てきた成果を大学につなげていく仕組みを、大学入試に依存しないで構築することです。
そこで、教育接続を確かなものにするためにはどうしたらいのか、このことにもう一度た
ちかえってみますと、欧米などで行われている高等学校段階での客観的学力把握を構築し
導入することが不可避ではないかと考えられます。
「高大接続テスト」はそうした学力把握
の仕組みとして提起されてきました。
高大接続テスト以外の教育接続の可能性はあるか?
私は今年の 2 月に『大学入試の終焉』という本を北海道大学出版会から出しました。間
もなくインターネットに最初の書評が出ました。
「社会科学者の時評」というものです。ご
自分の名前も明らかにされないし、こちらからの反論も受け付けない書評なのですが、佐々
木は非常に冗長で同じことを繰り返した本を書いている、とあります。どこがそうなのか
はわかりません。その書評は、さらに佐々木はバカロレアのような大学入学資格試験の導
入を提唱していると書いてあります。まったくそんなことは書いておりませんから驚きま
した。幸い、他にはそうした拙劣な読み方をした書評はありませんが、そういう誤読が生
まれるような素地が今の日本の社会にはあると言えるでしょう。そこで、前置きになりま
すが、高大接続テストを考える上で欠かせない問題を 2 つ取り上げることからはじめまし
ょう。
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1 つは、
「高等学校段階で普通教育が完成する」といった過日の高校教育を再現すること
は難しいということです。高等学校が国民的教育機関になった、つまり、95%を超えて高
等学校に中学生が進学するようになった段階で、学校教育法の高等学校教育の目的が「高
等普通教育」ではなく「高度な普通教育」を施すことに変わったのは、「普通教育の完成」
という高校教育の目的の放棄を象徴することであったとも言えます。
因みに、
「高等普通教育」という言葉は旧制高校に使用されたものですから、新制高校の
目的に使用したのはそもそも無理があったという側面もありました。新制大学は「一般教
育」を設置しましたが、それは「普通教育」である general education を別に訳したもので
したから、普通教育の定義によっては高校でそれが完成するとは言えなかったかもしれま
せん。しかし、それでも新制高校発足のころは中学卒業生の 30%程度しか高校に進学しな
かったわけで、
「普通教育の完成」という目標は決しておかしくなかったし、高校卒業をも
って大学入学資格を与えるのにも合理性がありました。しかし、現在はまったく違います。
そこで、同一年齢者の大半が高校に進学し卒業するという状況で高校卒業資格と大学入学
資格を与えるバカロレアやアビトゥア型の試験を行うことも合理性を欠くと言えるかと思
います。
2 つ目は、今述べたバカロレア、アビトゥア型の大学入学資格試験を高校卒業資格試験と
は切り離してもいいから実施して大学進学の学力を担保したらどうかという問題です。こ
ういうものの導入は可能でしょうか。これは逆に大学の状況から見て難しいと判断せざる
をえません。大体 1960 年代までの大学っていうのは進学率がせいぜい越えても 17,8%、
15%以内に近いエリート段階の大学だったので、それであれば可能であったかもしれませ
ん。あるいは 1990 年代の初めくらいまでは進学率が 30%程度でしたから、この段階でも
一定の合理性があったかもしれません。しかし、今はもう 50%を超えてユニバーサル段階
になっております。そうなってきますと、大学そのものがエリート段階に対応する大学か
らマス段階に対応する大学やユニバーサル段階の大学という風に多様化し、
「機能分化」が
必要となってきています。大学入学資格を与えるレベルというものが過日とはかなり違う
状態になっています。そこで、大学入学資格試験という形で高大接続、教育上の高大接続
を図ることは非常に難しいし、合理的ではないと思います。
現代の教育接続に必要なこと-高大接続テストの目的
じゃあどうしたらいいのか。こうした状況を踏まえて私共の「高大接続テスト(仮称)
の協議・研究」が考えましたのは、まず何よりもその、大学入試に依存しないで、高校段
階での教育の達成度を客観的に把握する共通テストを導入するべきじゃないか、というこ
とでした。高校段階での達成度の把握、つまり高等学校卒業資格を与えて大学入学資格を
同時に与える学力の判定は高校長に委ねられていますが、高等学校全体をとると大学へ進
学しない子たちも含めて学んでいるわけですから、高校卒業は高校長の認定によるとして
も、高大接続に必要な学力水準の達成度というものを測り、それに基づいて教育上の接続
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を可能にし、同時に「落第試験」的な個別大学での入試を変える、そのための装置という
ものが必要ではないかということでした。ちょうどアメリカでは ACTA、SAT というよう
なテスト専門機関が行う共通テストがあって、これらが教育上の接続の役割を果たしてい
ますし、しかもそれらのテストはユニバーサル段階の大学からアイビーリーグに属するエ
リート的な大学まで適用可能になっておりますので、そういったものを導入する必要があ
るのではないだろうか。以上が高大接続テストの第一の目的をなします。
第二の目的は、そのテストを現在の大学入学者選抜の大胆な改革、つまり個別大学が行
う「落第試験」に代わる選抜制度確立の基盤とすることです。現在の大学入試には非常に
大きな欠点がありますから、それを抜本的に改革する。もうちょっと具体的にいいますと、
後でお話しすることにも関係しますが、本当の意味での総合判定による選抜接続を構築す
ることが必要だということです。
第三の目的は、高等学校段階での普通教育の達成度が低くなっていることを克服するこ
とです。さきほど述べたように高校では「普通教育の完成」は放棄され、他方大学では「設
置基準の大綱化」以来「一般教育」が縮小しています。しかし、普通教育の一定の達成度
がなくては、基礎的教科・科目の普遍的学習の成果なくては、知識の応用、論理的思考な
どに基づいて学修する高等教育への接続も、また高等教育を出た段階での知識人や先端的
専門家の育成も困難なのです。もちろん、昭和 35 年告示の学習指導要領にあったような教
育の成果を求めることはできません。それでも高大接続に必要な基礎的教科・科目の学習
を高校段階で励ますような仕組みが大事になると言えます。その意味で、高校での普通教
育の再構築につながる仕組みの構築が必要なのです。
第四の目的は、大学側での高大接続のための教育に適切な資料を与えることです。ここ
に昭和 35 年告示の学習指導要領に基づいて高等学校で勉強された方もおられると思います。
私はその前の学習指導要領に基づく教育課程で勉強したのですが、私の 2 級下の昭和 41 年
高等学校卒業の方々から 10 年くらいの高校生は、基礎的教科・科目を必修科目として勉強
しなければなりませんでした。理科と社会は全部必修でした。しかし、今ではどうやって
もそんな教育を高校段階に導入することは難しいでしょう。そうすると、基礎的教科・科
目についての高大接続テストを導入しても、大学で求められる教科・科目をきちんと勉強
して大学に入ることも難しいと言えます。そうすると、大学に入ってからの「接続教育」
というべきか、リメディアル教育と初年次教育が必要となってきます。ところが、このリ
メディアル教育のための適切な基礎データが日本には欠けています。入試の成績は制度的
に選抜にしか利用できません。アメリカの場合にはたとえば SAT なり ACT でこの分野に
ついてこのくらいの点数をとったというデータが大学に入って来て、それがリメディアル
教育やプレースメントに利用されています。高大接続テストは、そうした側面での貢献も
求められると言えます。
今述べたような目的を達成する仕組みは、現在の入試や入試制度の改革では達成できま
せん。だからこそ、高等学校段階における学力の到達度というものを客観的に把握するよ
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うな高大接続テストがどうしても必要ですし、それをテスト専門機関が行うことによって
高校も大学も利用するということが最も望ましいやり方ではないでしょうか。また、それ
によってはじめて個別の大学入試に振り回されてきた高校現場も教育改革を実現できるの
ではないでしょうか。
高大接続テストの基本的性格はどうあるべきか
では、高大接続テストの性格はどうあるべきでしょうか。今までお話しした目的から 4
つの基本的な性格が出てきます。
第 1 は基礎的教科科目の学習を促し、普通教育の達成を実現することです。医学部や歯
学部に行く学生が生物をとらないで入学してくる。微分積分を全然知らない、それどころ
か数学が嫌いで経済学部に入ってくる。これでは、ほとんど十分な専門教育ができません。
つまり専門教育のための基礎というものが欠けているということになります。それでは困
りますので、おまけにさらに一般教養という面から言っても非常に問題があります。さき
ほども触れたように、高度の思考・判断・表現をするには、基礎的な知識は欠かせないか
らです。知らないっていうことは重要な問題だということを前回谷口先生が非常に強調さ
れたのですが、まさにそうなのです。知識を学ぶということと考えるということは双方必
要で、前者は後者の基礎を与えます。入試の「良問」と言われている問題は、たいてい知
識だけを問うものになっていませんが、基礎知識を必ず必要とする構造をもっています。
その基礎知識の欠如が現在の高大接続の大きな障害になっていることを理解しなければな
りません。
第 2。現在の大学入試は集団準拠の試験ですね。つまり母集団の中から上から序列をつけ
てとるための試験ですから、母集団に準拠してその受験者がどの位置にいるのかをみるた
めの試験です。当然ですが偏差値をみる競争を直ちに引き起こしますし、1 点刻みの競争を
引き起こすわけですが、それでは達成度を測ることはできません。ですから、集団準拠型
の試験ではなく、カリキュラムに準拠した目標準拠型の達成度テストである必要があるで
しょう。人より上か下かではなくて、自分自身の学習目標なり学校の学習目標に照らして
どの程度達成できているのかをみることに最重点を置く必要があります。もちろんだから
と言って競争がなくなるわけではありませんでしょうし、それからランク付けもなくなる
わけではないでしょうが、他人を蹴落として合格する、集団の山の中でどこにいるかによ
って自分の進学希望を決めるということは克服できます。そこで、自分の学習目標の達成
度に対応して進学進路先を決めることに道を開くでしょう。どこに学習目標において、そ
してどのような勉強をしたらいいのかを指導できるような、そういった資料としてのテス
ト結果の利用の仕方が必要になってくるだろうと思います。
第 3 番目です。前にお話し申し上げましたけれども、かつて平成 9 年から 17 年の大学入
試センター本試験で源氏物語枕草子から素材が一つも出されなかったということを紹介申
いたしました。ほとんどの教科書に源氏物語枕草子が乗っているにもかかわらず出されま
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せんでした。どこかの教科書や入試問題に掲出された素材文を出すと、不公平が起きるか
らです。集団準拠の公正な選抜資料を提供するという大学入試センターの使命からすると、
高等学校の生徒に、高校生として基礎的に身に着けるべき学習を励ますような問題は出せ
ない、少なくとも出すことに大きな制約があると言えます。それでは困ります。出題は難
易度の高い問題から低い問題まであって良いのですが、基礎的教科・科目の標準的な問題
を出して、それをきちんと理解するような勉学を励ますテストである必要があります。
第 4、これが最後ですが、複数回実施が必要です。テスト専門機関が行っています教育上
の接続テストに 1 回限りのテストはほとんどありません。大学入学資格と高校卒業資格を
与えるアビトゥアだとかバカロレアは 1 回限りですけども、そうではない教育上の接続を
図るテストとしての ACT、SAT それからイギリスの GCE の A レベルでは複数回行われて
います。年 4 回であるとか 6 回実施されていて、生徒は自分の目標との関係で何回か受験
します。1 回限りではなくて、複数回受験というものが可能であるということによって、目
標達成をうながすことができますし、それからテストへの取り組みを通じて学習効果を高
めることも可能になってくるわけです。
かつて OECD が日本の教育についての使節団を派遣し、その報告書が 1972 年に出され
ました。調査団は日本の入試を見て驚きます。18 歳のある日に 1 回限りの試験が行われて、
その試験の成績だけでどこの大学に入るかっていうことが決まってしまう。それは、1 位回
限りの学力検査でその子の知的な能力、資質というものが図れるという前提に立っている
ことを意味します。ところが人間の知的能力っていうのはそういうものじゃない。ちょう
どプールに水がどんどん入れば水位があがるように増やしていくことができるもので、し
かもそれが 18 歳のある時に 1 日で決まるものではなく、ひょっとすると一生涯かけて増え
たりするし、また減ったりもするかもしれないのです。そういうことを考えますと、高大
接続という短い期間でその人の能力を把握するのは難しいにしても、少なくとも複数回受
験を可能にして 1 回限りの試験の弊害を乗り越える必要があるのではないでしょうか。
もう 1 度繰り返しますと、普通教育の達成を促すようなテストであること、目標準拠の
達成度を測るテストであること、それから基礎的教科科目の標準的問題を出すテストであ
ること、そして複数回実施して学習目標の達成をうながすようなテストであること。これ
らが教育上の高大接続に必要な共通テストの基本性格だということです。
従来型のテストの限界
高大接続に必要なテストの目的や性格をこのように考えますと、従来のテストには非常
に大きな限界があるということがわかってきます。現在の試験テストは、模擬テストもそ
うですし、大学の個別入試もそうですし、大学入試センター試験もそうですが、すべて素
点主義、非常に古典的な素点主義のテストです。まずある教科について満点として 100 点
を配分し、それを各問にウエイトをつけて分割して、そしてそれぞれの問題に対する正解
に対して何点かが与えられ、その素点あるいは得点を積み上げていって成績を出します。
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そして、問題については、すべての受験者に公正・公平であるように事前に漏れだすよう
なことはないようにし、事後に正解を出して客観的にどれだけの点数がそこで得られたか
をある程度確認できるようなテストということになっています。
ところが、これでは、まず複数回受験可能なテストの実現は無理になります。素点主義
のテストですと、テストの難易度というものが実は受験者の集団に依存しますので、受験
者の集団が変わってくるとテストの達成度、たとえば平均点や得点分布が変わってきます。
他方でそれと逆にテストの難易度が変わると成績も変わります。このような問題をある程
度克服するために標準化という手段が考えられ、偏差値での測定という考えも生まれます
が、偏差値をいくら使っても母集団が変わった時に絶対的な達成度を安定的に測ることは
できません。複数回実施してもそこで得られた成績を比較することが難しいという致命的
な問題を抱えるわけです。
それから難易度の問題を考えてみますと、ユニバーサル段階からエリート段階に至る
様々な大学に高校生が行くわけですから、非常に広範な難易度に対応するようなテストで
なければいけないわけですが、今の試験というのは、それに非常の不向きにできています。
成績の平均を最大値であり中央値になるところに置きますと、分散によっては成績上位で
は易しすぎ、下の方では難しすぎるということが生じます。ほかにも問題は種々あります。
IRT による試験
今見た問題に対する回答として出されていますのが、項目応答理論、Item Response
Theory(IRT)にもとづくテストです。IRT に基づくテストは、入試関係ではあまり知ら
れていないのですが、国内外で実はかなり広範に使われています。アメリカの ACT やアメ
リカに留学する時に必要となる TOEFL がそうです。我が国の大学の医学部、歯学部や薬
学部でも実施しています。医学部では臨床実習に行く前に、共用試験機構-CATO-という
テスト専門機関が 2 つの共用試験を実施しています。1 つは OSCE(オスキー)と呼ばれる
面接試験です。つまりお医者さんとしてふさわしいかということを面接でみる。もう 1 つ
は、CBT(Computer Base Testing)といって PC を用いての学力試験で、これが IRT に
よって行われています。なお民間ですと様々な各種の資格試験でも利用されておりますし、
それから河合塾が名古屋大学と共同開発して実施しております受験学力測定試験というの
がありますが、これも IRT を使っています。IRT による試験というのは、日本では大学入
試や高校教育界ではほとんど知られていませんが、それ以外の外の世界では国内外でよく
使われて、実績をあげて、データの蓄積もなされています。それに、韓国では日本のセン
ター試験にあたる共通テストの英語を近く IRT に基づくコンピューター・ベースの試験に
切り替えると言われています。
それでは IRT に基づくテストはどんなテストなのでしょうか。まず、重要なことは試験
の難易度や弁別力が既知になっています。つまり、1 つの問題について正答確率やそこで得
られる学力水準があらかじめわかっている試験と言えます。次に、IRT では、問題と言い
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換えた方が分かり易いかもしれませんが、1 つの項目つまり 1 つの問題で 1 つの学力を測定
して、最終的には統計的な手法で絶対的達成度を表示するという方法を用います。
『大学入試の終焉』の 97 ページにも掲載した図をここに示しましたが、一見すると成績
の累積分布に似ています。ただ、それが持っている意味が異なってきます。今、図の項目 1
から項目 3 までを比較しますと、項目 1,2 は同じ曲線を描いていますが、正答確率 0.5 に
なる能力が違っています。A のほうが難しい問題なり項目で、C の方は易しくできている
ということになります。項目 3 は、前の 2 つの項目とカーブが違う、つまり曲線の傾きが
違っています。曲線の傾きが違いますので、この場合には項目の弁別度が、項目 1,2 に比
べて低いということになります。このように難易度や弁別度の異なる項目を出題して絶対
的な学力達成度を評価するわけです。
もう 1 つパラメータがある場合もあります。たとえば大学入試センター試験ですと、全
部解答1を選択しても 20 点取れる構造の多肢選択式になっています。
このような場合には、
正答確率が 20%のところから項目特性曲線が出発するようになるでしょう。
IRT による試験のメリット
さてこの IRT の試験によるメリットですが、第 1 に、IRT では、専門用語で Item bank
あるいは問題プールといってもいいところに、さきほど見た難易度や弁別度が分かってい
る問題が預けられて、そこから出題が行われます。もちろん、そうしたバンクなりプール
を満たすために、実際の試験などで試された問題をたくさん蓄積する必要があります。問
題プールには難易度や弁別度が異なる様々な問題があり、そこから適宜出題が行われます。
その項目なり、問題がどのような難易度と弁別度をもっているかは既に分かっていますの
で、達成度を評価するのに相応しい種々の問題からなる問題セットを作ることになります
が、その時、異なる問題セットでも同じ学力の評価が可能になります。こんなことは、従
来の素点主義のテストでは考えられないことです。
すると、厳重に公平性を確保して一斉に同一問題で試験をやるという必要がなくなりま
す。アメリカに留学する時 TOEFL の試験を受けますが、IBT といってインターネットを
使って受けます。その時に、受験者はそれぞれ問題プールから選ばれた問題を解くのです
が、右隣の人がやっている問題セットと、自分が取り組んでいる問題セットが異なること
は普通にあります。問題プールがどんどんどんどん増えていくと、様々な能力を測定する
問題が、また同一の能力について異なる設問でも見ることのできる問題が蓄積されます。
適宜問題セットを作って、受験者によって解いている問題セットが違ったとしても、同じ
ように達成度は見ることができるのです。そこで、IRT の場合は異なる問題セットを同一
会場の異なる受験者に回答させても絶対的達成度が測定することが可能となりますから、
大規模な一斉実施は必要ないことになりますし、複数回やっても不公平は起きないという
ことになります。
第 2 に難易度への対応が素点主義の試験に比べて非常に改善されます。センター試験で
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すと、平均点 60 点にして正規分布ができるように作らなければいけません。なかなかそう
はいかないのですが、一応それを目安に作っています。ところが科目によっては分布の山
が崩れた形になるときがあります。これを解決しようとして易しい問題を出すと今度は高
い成績をとる集団が満点になるなど、別の形で山が変形してしまいます。
IRT の場合には難しい問題から易しい問題まで混在させて出題できます。もちろん、ペ
ーパーテストのときにはそういっても限界はありますが、広い難易度への対応が容易にな
ります。ペーパーテストではなく、TOEFL で行われているような CAT、Computer
adaptive testing というものを導入すればさらに課題の解決が進みます。TOEFL では受験
者が順当に回答していきますとアルゴリズムを使って自然に難しい問題が次々出るように
なっています。つまり正答率の高い受験者にはより難しい問題が次々課されるという風に
なっていて、それに従ってかなり広い範囲での達成度の確立が可能になっています。
第 3 に、IRT を使ったテストの場合には、テストを重ねることによってむしろ出題可能
な問題蓄積が増えていき、それに対応してテストが安定していきます。大学入試センター
試験やあるいは大学の入学者選抜のための学力検査は、テストが重なるごとにテストが不
安定になるという問題をもっています。基本的には前に出した問題を出せないという制約
をもつからです。ですから、新しい学習指導要領に入ったような物理基礎や化学基礎とい
う基礎の付いた理科科目の場合、2 単位で教科書は薄くなり薄くなりますので、公正なテス
トをしようと思うと長年にわたって出題することが難しくなります。
これに対して IRT を使ったテストの場合には、問題プールに蓄積される検証済みの問題
が最初は,5000 問だったが 10,000 問になり 20,000 問になりというように増えていきます。
そこで、テストの機能はむしろ安定化すると言われます。このテスト機能の安定化という
ことは非常に重要で、基礎的教科科目の標準的問題を確立していく上で欠かせないと言え
るでしょう。
第 4 は、テストの出題から実施までのコストの問題です。現在の素点主義の古典的テス
トの場合には、匿名の出題あるいは作題委員を缶詰めにして一生懸命問題を作ります。セ
ンター試験ですと、20 数科目にわたって 400 人をはるかに超える大学教員が年間に 11 回
から 16 回程度集まり 40 日程度をかけて作題をします。また、50 万人に及ぶ受験者を対象
に 2 日間にわたって 730 余りの会場、8,800 にも及ぶ試験室で、一斉に「同一条件」で試験
を実施しています。しかも、何か個別の試験室で問題が起きても、必ずセンターに問い合
わせないと公平・公正が維持できませんので、試験実施の組織体制も大きくなります。こ
のように膨大なコストをかけてやるわけですから、とても複数回実施などできるわけがあ
りません。
これに対して、IRT の場合には、CATO の医学系の共用試験で全国の医学部の先生方か
ら毎年問題を一定数出してもらい、それをチェックして問題作成しているのと同じように、
全国の高等学校の先生方、それから大学の先生方から問題を出してもらって集め、高校と
大学の教員がチームを作って、問題をチェックして選択して難易度や弁別度の異なる基準
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的な良問を選びだしていけばいいわけですし、実施を重ねるごとに増えていく問題プール
を生かすことができます。実施も集中的一斉実施にこだわらずに高校や共通会場で適宜実
施できます。全国的な複数回実施は、このような方法ではじめて可能となります。
IRT の限界・記述式試験の限界、それらへの対応策
では IRT の試験に問題がないかといえば、それはあります。やはり何よりも IRT はやっ
ぱり、academic achievement テストで、しかも客観テストなのですから、それに固有の限
界はあります。そうだからと言って、TOEFL を受けた方はよくおわかりだろうと思います
が、暗記重視の試験ときめつけることはできません。論理的な思考も見ることができるよ
うになっています。それから ACT ではエッセイもありますので、工夫によって記述・表現
を見ることもある程度可能です。しかし、そうはいっても、非常に複雑な思考過程や表現
力をみる問題は出せません。
愛知県や岐阜県やこの中部地区の高校の先生方が各大学の記述式の入学試験を評価した
報告書を見せていただきましたけど、暗記に依存するだけの問題が結構沢山でていますね。
特に歴史なんかはそれが多いように思います。だから私は「客観テストはダメで記述式が
良い」という結論を簡単に導くことはできないと思っています。それでも、数学の問題な
どについて言うと、証明をみるような試験は記述式ではじめて可能となるところがありま
す。もちろん、コンピューターでの出題と回答の可能性はどんどん膨らんでいますので、
やがて記述的な問題を CBT でできるようになるとも思いますが、現在では IRT に限界があ
ることは確かです。
ただし、そうした限界は、センター試験も持っている限界でもあります。それに記述式
や論文式の試験には結構検討すべき点があるということは前回の研究会で報告もいたしま
した。前回参加してない方もいらっしゃいますので、もう一度そこに踏み込んでおくこと
にしましょう。
私も谷口先生と同じように、論文式・記述式テストというのが持っている良さは大事だ
し、書く、表現する、それを通じて自分の思考を発展させるという学力を育成する方法が
求められてもいると考えています。ただ、その際には、これまで触れましたが、基礎的知
識を欠いた論理的思考・判断・表現はないということをまず確認しておく必要があります
し、現在の高大接続にとってそこが肝要だということを理解しかなければなりません。そ
の上で、2 つのことを考えなければなりません。
1 つは論文式・記述式テストにはそれなりの限界があるということです。一般的にいって
論文式のテストは得点分布が中央値によります。たとえば小論文のテストや国語の記述問
題を例にしますと、ほとんどの回答パターンが同じものになります。素材文を理解して論
点を整理することは大半の受験生ができるのです。基礎的な知識を生かして独自の考察を
加えるなど、一歩抜けた能力を示す受験者は普通で 5%、最大で 10%程度しかいないので
す。そうします、そういった試験を達成度テストとして出すことに非常に大きな制約があ
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ることが分かります。
2 つ目は、論文式・記述式テストの評価方法の問題です。学問で一つの論文についての評
価が極端に分かれることは当然のようにあります。論文式のテストでも複数の採点員の間
での評価が大きく分かれることが、やはり当然のように生じます。バカロレアやアビトゥ
アでは、全部地区のリセやギムナジウムの先生たちが採点しています。かなり主観的な評
価なので、主観的な評価の差が出てきます。それは避けられない問題で、そう考えると論
文式・記述式のテストを全国共通の客観的な学力把握に使うには大きな制約があることが
分かります。
そうしますと、現段階での IRT の限界を乗り越えて高大接続を実現する論文式・記述式
での学力把握を行うには、たぶん 3 つくらいの方法しかないと考えられます。ABC と 3 つ
の選択肢を示しましたが、A は IRT に基づくテストと並行する別枠のテストを構築すると
いうものです。IRT のテストとは違ってうんと IRT のテストよりも荒っぽい刻みで評価し
て、主観的な評価が入ることをいとわず行うというやり方。ただしこれは、相当のコスト
がかかりますね。IRT に基づくテストですとコンピューターによる採点が可能ですけれど
も、別枠のテストでそこのところだけ主観も交えての評価をするということになりますの
で、かなりの人数の高等学校の先生方に協力していただかないといけない。採点の公平性
も確保しなくてはなりません。ただ、そうした公平性を確保しても、主観的な評価となり
ますので、採点員や地域間での格差が生じる可能性はあります。高校調査書が選抜資料と
して用いられないのと同じ問題があります。ですから、高校教育の達成度を地域や高校の
間の格差に目をつぶって測るのには良いのですが、大学の選抜につなげるところではかな
りの問題が生じます。
それから B は、一部の大学で選抜のための記述式試験を行うという場合です。全国で 760
を少し超える大学があるわけですが、これを全部同じ大学とみるわけにはいきません。エ
リート段階の高等教育を維持して、内外の教育研究拠点となるような大学では、どうして
も記述式論述式の試験が必要だということになるかもしれません。そうした大学では基礎
知識の習得を見た上で、記述式や論文式で論理的思考力、判断力、表現力を見たいという
理由もあるでしょう。
また、高大接続テストの設計次第にもなりますが、イギリスのようなケースもでてくる
かもしれません。イギリスでは GCE の A レベルの成績と面接や書類を合わせて各大学が選
抜してます。ところがオックスフォードケンブリッジ、ロンドン大学の一部などでは志願
者の GCE の A レベルのスコアが非常に高いので弁別できないという問題が生じます。そこ
で、共通テストを別にやっています。日本で IRT での高大接続テストを実施すれば、GCE
の A レベルとは異なってかなり広範囲の学力を見ることができると思いますから、イギリ
スと同じとは言えません。むしろ、そうした「難関大学」と言われるところについては、
高大接続テストで一定の基礎知識の習得をみた上で、共通の記述式や論文式の問題を作っ
て共通に実施して、採点は個別大学で、記述式で採点するということが考えられると思い
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高大接続テストの課題と制度設計
佐々木隆生氏
ます。こういうのであれば、記述式でありながら、センター試験と同じように共通出題す
るということは可能だと思います。名古屋大学の前の教育科学研究科長だった村上隆先生
が全国大学入学者選抜研究連絡協議会の大会で、
「大学入試センター試験の数学の問題はよ
く考えられていて、記述式で回答させれば非常に良い」という趣旨の報告をされたことが
ありますが、そういうやり方はあると思います。
それから C は、記述式や論述式はどうしても、コストがかかるし、それから評価が主観
性を帯びますので、高大接続テストや選抜試験とは別に、高校での教育活動の成果として
添付資料にする、あるいは高等学校が作成する何らかの評価書の中に盛り込んでいくとい
うものです。アメリカの AO での選抜は、そうしたことをやっています。北米ではエッセ
イにかなりのウエイトを置いていることはよく知られていると存じます。ただしこの時に
問題になるのは高校間の格差ですね。つまり校内尺度みたいな問題がどうしてもつきまと
います。A と同じような問題に直面するわけです。すると、エッセイなどを評価する専門の
教職員がアメリカと同じように配置されて、かなりのコストをそこで負担する必要もでて
きます。ただ、そうした限界はあるにせよ、高等学校での教育活動の成果を何らかの形で
把握し、大学の選抜につなげる方法は考えられます。
テスト設計の論点
それでは高大接続テストを IRT でやるというところまではわかった。IRT に限界がある
ということも分かったし、それを乗り越えるための方策をこれから考えなければならない
ということも分かりました。では、高大接続テストを具体的に設計する際に検討するべき
問題として、どのようなことがあるのでしょうか。私どもが高大接続テストの協議・研究
の中で提起したのは 5 つあります。
第1は、基礎的な教科科目の範囲の確定の問題です。基礎的教科科目と言葉では簡単に
いえますが、実際にどういう範囲でそれを指すのかとなると結構難しいのです。高大接続
にとって基礎的教科・科目とはどのようなものか-この問題は、今までは学習指導要領に
基づいて教育上の接続がなされていたために、高等教育の側はそれを前提としてきました
し、学習指導要領の改訂に意見を出すこともしてきませんでした。それはまた、高大接続
が、入試でなされる成績序列化に基づく落第試験での合否にあげて依存してきたことの結
果でもあると言えます。
しかし、学習指導要領が選択の幅を拡大し必修単位を縮減して、
「普通教育の完成」を放
棄した段階では、高校卒業者の誰もが大学に行くわけではないのですから、逆に高大接続
に必要な教科・科目とその内容がどのようなものかを明確にする必要があります。また、
そうすることによって約 10 年に一度の学習指導要領の改訂に振り回されない安定した教育
とテストの実施を実現することができます。実際のところ、大学が必要とする達成度は、
国立大学で言いますとそんなに変化していないので、学習指導要領の度重なる改訂に振り
回されない方が好ましいと言えます。
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とは言っても、出題教科科目、基礎的教科科目には幅があります。例えばアメリカの ACT
考えてみますと、数学があり、それから言語能力についての試験があり、サイエンスとエ
ッセイのテストもある。それに、サイエンスという科目の中に、化学も力学など理科だけ
でなく社会科学さえも含まれます。そうではなく、センター試験の 5 教科 7 科目のような
出題科目設定もありますし、5 教科というくくりだけにして理科なら物理・科学・生物・地
学から選択を含めてまんべんなくいろんな問題を出すなどの形態も考えられます。5 教科 7
科目を普遍的に出す現在の国立大学のセンター試験の課し方を基準に考え、達成度が低い
なら低いで、大学でのリメディアル教育で対応するのが最も自然とも言えますが、よく検
討する必要があります。この問題は、高校での教科・科目がそれぞれもつ利害、大学が求
める学生像との関係でもつ利害が絡んで結構大変なのですが、必ず検討しなければなりま
せん。
第 2 は、テストの実施時期と回数の問題です。回数は例えば年 6 回やる、というふうに
したとして、実施時期をどこから始めるのか、例えば今の大学入試センター試験の出題問
題は 2 年生の達成度までのところで出されていますので、高校 2 年の途中くらいから 6 回
くらい受けられるようにすればいいという考え方もあります。河合塾の受験学力測定テス
トは 1 年生の時から受けられるようになっています。偏差値に依存しない学力達成度を 1
年生の時から促進するため、そうなっているわけですけども、そういったやり方もないわ
けではありません。高等学校における学事歴との関係を見ながら検討する必要があります。
それから第 3 ですが、先ほど触れた IRT を使うにしても、IRT を改善していく必要があ
ります。つまりテストの射程を広げる調査研究が必要です。しかし、これはおそらく高校
教育の在り方の再検討につながる問題を含むでしょう。たとえばエッセイを書かせるとし
て、アメリカの場合には、エッセイを書かせる際にエッセイを書く教育ということが高等
学校で行われています。論理的にこういうものはきちんと書かれないといけない、パラグ
ラフの構成はこうするべきだという教育がなされています。日本の高校では、そうしたエ
ッセイを書くことが基本的な科目として認識されていませんから、エッセイを書かせたい
としても簡単ではありません。こういうことを含めて、テストの射程を広げる調査研究が
必要だと思います。
第 4 は、適切な評価尺度と評定の設定です。素点主義ではなく IRT のテストを用いると
いう場合には、評価は統計的操作を通じて行います。最終的には最尤法などの統計学的手
法を使うのですが、項目ごとの難易度を含めて最終的に絶対的な学力到達度をどう評価す
るかについての検討を行わなければなりません。昔のペーパーテストのときの TOEFL に
は 600 点をとると大体受験者の上位 10%に入りましたし、アイビーリーグの大学院だと 650
点が必要とされていました。最高得点は 670 点を超えていたかと思います。しかし、現在
の IBT、internet based testing の TOEFL では点数の刻みがまるで違って最高得点は 300
点でしょうか。SAT は writing が入るかどうかでスコアが違いますが、入れると 2400 点が
最高得点で、それに対して ACT は 36 点です。素点主義の 100 点満点でも所詮あるウエイ
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トに過ぎないのですが、それに慣れきっている人々にはこうした評価の刻みは分かりにく
いだろうと思います。そこから分かるのは、適切な評価の点、得点の刻みは何がいいのか
についての検討が必要だということになります。細かくすればするほど、ある意味では現
在の大学入試と同じような 1 点刻みの競争が生じますが、粗くすればあるスコアと次のス
コアの区切りの意味が問題になります。
最後の第 5 番目は、先ほど来申し上げましたように、IRT によるテストをやるためには
何と言っても問題プール、アイテムバンクといいますが、これを構築しなければなりませ
ん。そして実際に実地研究をやって、項目難易度とか弁別度を確かめて、信頼できる達成
度テストを構築する必要があります。
以上の 5 点がテストを具体的に設計する際の論点です。おそらく私の話を聞いた先生方
は、高大接続テストの概念ははっきりしているにしても、本当に細かいところになるとは
っきりしていないと思われるかもしれません。しかし、
「はっきりしてない」と思っていた
だいては困るのです。むしろ、教育者として高大接続を考えるときにはっきりさせなけれ
ばいけない宿題が、今私たちの目の前に提起されていると考える必要があります。そのた
めに、高校と大学は知恵を出しあうことが求められているのです。
テストの構築・導入のための制度的課題
次に、テストの構築導入のため制度的な課題について、少しお話を申し上げたいと思い
ます。
制度的な問題で何よりも必要なのは、文部科学省の政策を待つのではなくて、高大関係
者が下からの検討の機会と組織を形成することです。
高大接続テストの提起、つまり達成度試験の提起は国大協がやりました。国大協が全高
長を動かし、私大連を動かし、そして文部科学省も動かしたのです。ところが、おそらく
政権交代や文部科学省の人事異動なども影響しているとは思いますが、国大協もほかの組
織も今自ら動くことをためらっているように思います。高大接続テストの協議・研究報告
書は文科省に提出されてから、
「死んではいないが、動いてもいない」…つまり動物園の折
の中でじっとして寝ている虎みたいな状態にあります。それは、政権にも、文科省にも動
かす知恵か力、あるいはその両方が無いからでしょう。そうした状態を動かすのは、教育
関係者、高大関係者です。ここにお集まりの関係者をはじめ、高校や大学の関係者がいろ
んなところで議論していって、こうあるべきだ、という議論をする必要があります。
2 つ目、高大接続テストの協議研究の成果を、
「死んでいないが、動かな」状態から動く
状態に移行することを文部科学省は主導するべきだと思います。文部科学省は大臣記者会
見を通じて「非常に重要だと思うので大学入試センターの方で検討します」とセンターに
丸投げすることを明らかにしたのですが、これではダメです。そもそもセンターは文科省
の強い影響力の下にありますから、本省が動く方向を見せない限り動けないでしょう。そ
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れに、センターは大学入試センター試験を存在理由とする組織です。ですから、自己否定
するような改革力を持ちえません。文科省は、省内での小中局と高等局の縦割り体質を克
服して、本気になって取り組む必要があります。初中局関係の幹部が「あれは前の次官が
進めたことで、このさきわからない」みたいなことを堂々と高校関係者の前で言うのでは
いけません。
テストで高大接続のすべてを解決することはできない
これは前にお話ししたことですが、テストで高大接続のすべてで解決することはできま
せん。しかし、高大接続テスト、つまり教育上の高大接続を実現するための学力把握とい
うものが実現すれば、それがインフラとして機能することによって様々な問題に取り組む
ことができます。大学入試の改革は高大接続テストがないとできませんし、高大連携その
他の改革もなかなか難しいからです。
ところが、「高大接続テストだけでは全部解決できません」と言うと、
「全部解決できな
いようなものはだめだ」という意見が出てきます。しかし、それではだめなのですね。全
部解決できないからといってテストに消極的なる必要はないので、むしろテストを構築す
ることによって世界を変えるという姿勢で改革していかないといけないと思います。実践
に責任をもたない批評、具体的な提案をもたない批判は、この段階ではただ無責任で問題
を先送りする理由づけをしているだけにしかなりません。
ところで、高大接続テストを導入した上で残される課題はどのようなものか。6 つくらい
の課題があると思います。1 つは初中と高等をつなぐ教育課程の検討の開始です。2 つ目は
高大連携の深化です。
3 つ目は何と言っても、日本の教育界におけるとんでもない間違いを直すことです。教育
界の中には「日本の教育がつまらないのは知育偏重だからだ」との意見が根強くあります。
これほど大変な間違いはないでしょう。なぜなら、知るというのは人間にとって基本的な
喜びであるはずなのです。それがつまらないものになっているのは、知育自体に問題があ
るのではなく、知育に生徒が喜びをもてないような学校教育が問題だからでしょう。知育
を楽しくするというそういう努力がこれから必要です。
4 つ目は、高大接続テストに基づく大学入試改革で、これは先ほどお話ししました。5 つ
目は、学事暦・学年暦の改革です。東大の秋入学は、本筋をはずれていると私自身は思っ
ています。
「国際化」も大切かもしれませんが、そもそも 3 月に卒業して 4 月から入学する
というのが無理なのです。選抜が間に入るのにバッファーとなる期間がありません。明治
時代から大正時代をみてください。旧制高等学校、大学予科の入学時期は 9 月でした。そ
れが、会計年度を設定したことに合わせて小学校から変わっていきます。それでも旧制高
校、大学予科の入学時期が 4 月に変わるのは、大正に入ってからです。つまり、かなり長
い間日本は、高校・大学は 6 月卒業 9 月入学だったのです。だから、学事暦を変えても不
自然ではありません。予算や徴兵やいろんな外的事情に合わせてきた方が不自然なのです。
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ましてや、高校に入るときから入学試験があるわけですから、義務教育の小中は仕方がな
いかもしれませんが、高等学校から学事暦を変えてもいいと思います。これも、そうです
ね、第三の教育改革以来何度も国際化を口実に秋入学が試みられてきていますが、国際化
では本当の必然性を欠くとも言えます。むしろ、教育制度に内在する要求からして学事歴
を変える必要があると思います。
6 つ目は、定員管理の改革です。これは皆さんあまりお気づきにならないでしょうが、日
本の大学は非常に閉鎖的になっています。流動性がないと言ってもいい。おそらく、そう
なっている理由は 2 つあって、1 つは日本の大学が学部の硬直的な専門教育のカリキュラム
を軸に作られていることによります。ですから、アメリカのように、たとえば大学に入っ
てから、メジャーで哲学選んでサブメジャーで化学を選ぶなどの試みができません。転学
部であるとか編入学などもありますが、なかなか実効的でないというのが実情です。もう 1
つは定員管理です。定員管理は、私は諸悪の根源の一つだと思います。特に学事歴と並ん
で非常に大きな害悪を流す。なぜか?日本の試験がごく僅かの得点差で合否を決定する落
第試験になっている基盤に入学定員管理があるからです。定員が設定されて、それに対し
て予算がつけられているから、定員ピタッと学生をとらなくちゃいけない。入学定員管理
で極端なのは、医学部の入試、歯学部の入試です。文部科学省から、医学部歯学部につい
ては過員も欠員もダメだと言われている。一人上回っても下回ってもダメ。ピタッととる
こと。その結果何が起きるか。加重平均したりして点数を出していますから、0.1 点差で合
否が決まる、それどころか同点で合否が決まるっていうときもある。どうやって決まるか。
北海道大学の入試では、おそらく名古屋もそうだと思いますが、同点の場合に 1 次試験と 2
次試験を総合して 2 次試験のいい方を合格させることになっています。しかも、国立大学
が法人化になってから最近はそれが厳しくなっています。大学間での学生の奪い合いが激
しくなってきたからです。そうすると何が起きるか。定員ピタッととって、そして定員ピ
タッと卒業させるということになりますから、出口での質の保証も学生の流動化もダメに
なります。入学定員をこのように厳格に管理している大学は国際的には珍しいでしょう。
定員管理をいい加減にしてしまうのも問題ですが、せめて収容定員での定員管理に基本を
移行することが望ましいのではないでしょうか。
高大接続テストを取り巻く現在の状況
さて、現在の状況についてお話をします。先ほど申し上げましたように、文部科学省内
では高大接続テストについていろいろな意見があり、初中局と高等局の縦割りもあり、高
大接続テストは中教審答申に書き込まれていながら、「死んではいないが動いていない」状
態にあります。国大協、大学入試センター、全高長などは文科省の動向に依存して模様眺
めになって積極的に動いていません。ただ、最近の中教審の議論の中で高大接続の課題が
確認されましたし、IDE の『現在の高等教育』2012 年 4 月号を見ますと高大接続テストへ
の認識が深まり、肯定的な反応が生まれてきています。ですから、必要なのは教育界での
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高大接続テストの課題と制度設計
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議論と働きかけだという風に思っています。
日本型高大接続を維持したままではいけません。私に言わせると、
「痩せ衰える大学教育
と底の抜ける高校教育」というのが支配的になるだけです。高大接続テストを基盤に、な
いものねだり的な批判ではなくて、高大接続テストをぜひ実現するような、そういった努
力が必要ではないのかという風に私は思っています。
で、もう 1 つ実はお話ししたいことがありますが、時間が 1 時間半たちましたのでここ
で休憩を入れてよろしいでしょうか。
(休憩)
補遺
なぜ今「普通教育」か
私は普通教育が重要だということを申し上げてまいりました。これは 1 回目の研究会で
お話ししたことですが、2 つの問題があります。1つは、学問の細分化や高度化が進行すれ
ばするほど広く知識を授ける、あるいは知的労働力・応用的能力を展開させるという学校
教育法でいう、普通教育が重要となるということです。非常にせまい専門に閉じ込める教
育は、視野の狭い専門家、知識人たりえない専門家を育成するだけになります。戦前の帝
国陸海軍大学校での教育はその典型だったとも言えます。まして、今は、すごい専門の細
分化が進行しています。昔はせいぜい一つの学問、例えば土木工学の中に 6 つとか 8 つと
か講座があったくらいでしたが、今は専門が細分化して土木学会に行ったら数十ではきか
ない分科会ができて、隣同士はわからない状態になっています。そういう中で育った人材
は、広い視野をもてません。
もう 1 つは、高等教育の使命から generalist の要素を欠く専門家を育てると、今述べた
危険だけでなく、本当に先端的な高度な専門家の育成ができません。というのは、現在の
高度な研究というのは、学際領域や融合領域の中にあります。また、生命科学が数学や物
理学を必要とし、経済学が心理学や複雑系の科学を必要とするように、従来の学問領域で
の完結が許されない状態になっています。ですから、従来の学問の枠組を重視してただの
専門家を育てると二流の専門家しか生まれないのです。
知識基盤社会が提起する社会問題
それを前提に、補遺でお話ししたいことは、知識基盤社会、knowledge based society が
提起する問題は何かということです。そのすべてについて話すことは私のできることでは
ありませんが、知識基盤社会の中に進行しているある 1 つの問題を理解していただきたい
と思っています。
ご存知の方もおられるでしょうが、90 年代から、アメリカで労働市場と所得分配の二極
化が進行しています。polarization と表現されていますが。ただの格差ではなくて二極化で
す。そして、日本、EU でも同じ傾向が生まれています。アメリカほどひどくはありません
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高大接続テストの課題と制度設計
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が、着実に生まれています。ではなぜそうなったのか。よくグローバル化が原因ではない
かと言われます。例えば、日本の企業が外国に出ていく、国内が空洞化する。そうすると
不熟練労働力が失業するし、中国などから安い商品が入ってきて、その結果、日本の工業
労働力のコストが問題になり、そこでの失業が生まれる、という風に言う人たちがいます。
しかし、この間の労働経済研究は、グローバル化よりも技術革新そのものが二極化を生み
出している、と結論づけています。もちろん、グローバル化も関係はしていますが、輸出
産業が外国に移転した場合に国内に新たな産業が生まれれば問題は緩和されますし、失業
問題自体は解決されます。それよりも技術革新がもたらす社会の亀裂に目を向けるべきだ
というのです。
知識基盤社会の中での変動-教育の相違に基づく格差の形成
「痩せ衰える高等教育と底が抜ける後期中等教育」では、現代の技術革新に対応した社
会発展というのは不可能だということを、今述べたこととに基づいて申し上げたいと思い
ますが、それにあたって幾つかの事実を紹介します。
①学歴による賃金格差
第 1 に、知識基盤社会の中で、教育の相違に基づく格差の形成が加速化しています。こ
の図は、1915 年から 2005 年の大卒と高卒の賃金が平均賃金に対してもつプレミアムの変
動を示しています。1910 年をとってみますと、高等学校者の賃金水準は平均よりも高かっ
たことが分かります。この頃は高校進学率がそんなに高くはありませんでした。
これがだんだん縮小します。縮小して、1950 年くらいが底になりますが、そこから大卒
と高卒の賃金格差が拡大します。1970 年代を見てみますと、スタグフレーションで技術革
新が停滞する時期に大卒の賃金のプレミアムは下がります。しかし、このように大卒や大
学院卒の賃金が相対的に安くなったことがアメリカにおける大卒、大学院卒の技術をベー
スにした新しい開発を加速化させたと言われています。高卒の賃金が相対的に高くなった
と言ってもいいでしょう。その後、大卒と高卒の賃金格差は大きく拡大しています。
②雇用増加率の変動
アメリカでは賃金の面でいいますと大卒と高卒の間での二極化が進んでしまっているの
ですが、この下が勿論あります。この下というのは何かというと、高等学校をドロップア
ウトした人たちです。高等学校をドロップアウトした人たちは次のデータで問題になりま
す。これは、縦軸が雇用に占めるシェアがどう変化したかです。例えば 60%から 40%に下
がったっていうと 20%減る、マイナスになったということですが、これを対数でとって表
示しています。横軸は賃金の低い方から高い方へかけての 100 度分布になっています。つ
まり、100 のところが賃金が一番高い人たちでそこから賃金稼得者を均等割りで 100 等分
しています。それを見ますと、90 年から 2000 年というアメリカのバブルの時代には年間
28,000 ドル~35,000 ドルくらいの工業労働者の職のシェアはぐっと下がってしまって、マ
イナスになります。そして 12,000 ドル~15,000 ドル位の高校をドロップアウトして、ウォ
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高大接続テストの課題と制度設計
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ールマートで働くような人たちの職は増えている。と同時に、大学卒以上の人たちの職が
増えている。さっきは賃金ですけど、勤める先があるかないかということでの分極化、
polarization が生まれているのです。
③所得分配不均衡の形成
それから、所得分配の不平等が急速に進行しています。これよりもっとショッキングな
のはいっぱいありますが、トップ 10%の所得シェアの変化をお見せします。第 2 次大戦に
入るまでは、アメリカ社会の中でトップ 10%の人が占めている所得のシェアは 40%をはる
かに超えて 45%くらい。だからトップ 10%がアメリカの富の半分近くを持っていたといっ
てもいいわけです。非常に不平等な社会でした。この時のトップ 10%っていうとほとんど
資本家です。株をもっているとか企業を所有しているとかいう人たちです。その人たちの
シェアは第二次大戦を通じて下がって、社会全体での平等化が進行していきます。少なく
なったといっても 3 割はこえているのですが 32,3%まで減ります。それがレーガノミクス
から始まって 87 年後半から増えていって、また 40%を超えてしまっています。
最近話題になっているピーター・ドラッカーは、会社のエグゼクティブは、一般従業員
の 25 倍から 30 倍程度に賃金、報酬をおさえるべきだと言ったことがあります。それが今
どうなっているかというと、レーガノミックスの時代の最後に 100 倍を越えます。そして
今は 450 倍から 500 倍になっています。
知識基盤社会の均衡と安定を求めて-高大接続テストのひとつの背景
知識基盤社会がこういう問題を内包しているとしますと、知識基盤社会の均衡と安定の
経路を求める必要があるのですが、はっきりしているのは、社会発展がヒューマンラーニ
ングに依存するということです。大卒や大学院卒の抽象的思考を生かす仕事が高い報酬を
生み出しているのもそのことをある意味で示しています。それに対してルーティンで働く
工場労働者やマニュアルに従って働く人々の所得は伸びません。こうしたことから、アメ
リカでは幼稚園から高卒までの K12、K through 12 の中で高等教育に向かう準備をきちん
と行うことや高等教育の成果を産業構造や社会の変化に適合させる調整の必要が言われて
きています。最近よく言われる critical thinking、complex reasoning、writing の重要性も
こうした文脈の中ででてきたものです。つまり、知識基盤社会での教育の方向は、国際的
な知識基盤社会を主導する高等教育と学術研究の発展や、大学の規模を縮小させるという
のではなく質的に発展させるということ、それに後期中等教育の再構築を通じる質的な発
展によって知識基盤社会に適合する人材を育成することだと言えます。
しかし、現在の学校制度と学校間接続というのは、義務教育が終了した中学校段階で社
会に基本的に人々が出て生きていける、そういう時代を前提に作られました。高等学校を
出たならば、徒弟期間を終えたくらいの子どもたちが自立した社会人になるのと同じだと
いう風に考えられていた時代の制度なのです。今は状況が根本的に異なります。学校教育
法を作ったときの高校進学率は約 30%、大学進学率は 5,6%です。それが今は、高校進学
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高大接続テストの課題と制度設計
佐々木隆生氏
率が 95%で大学進学率は 50%を超えています。そうすると、制度として小学校・中学校・
高等学校・大学の間がぶつぶつぶつと切れているような学校制度を前提に教育課程を考え
ていいものだろう、という問題が浮かんできます。
アメリカの K12 という枠組みのように、つまり幼稚園から高校卒業までを 1 つのプロセ
スとして考えて、95%が高校に行って、大学もユニバーサル段階にある社会の高大接続を考
える必要があるのではないでしょうか。今までもっていた学校制度観にとらわれて各段階
での学校教育の内容や進学を考えていては、社会の大きな変化・変容に対応できないまま
に「痩せ衰える高等教育と底が抜ける後期中等教育」を続けることになるのではないでし
ょうか。少々、本題からはずれましたが、高大接続を考えるときに、こうした視点の共有
も実現し、そこから大きな教育改革を下から進める必要があると思っております。どうも
余計なことを申し上げたかもしれませんが、これで私の話を終わらせていただきます。
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