平成 23 年 6 月 13 日(月) № 1 子どもは残酷!? 5 月 18 日、中庭にあるヤマモモの木に卵を抱くキジバトの姿があった。見つけたのは子ども たちで、私が駆けつけたときには 10 人程が木の下からその様子を覗き込んでいた。大騒ぎをして いる子どもたちを尻目に、鋭い目線をこちらに向けて、微動だにしないキジバトの姿はまさに子 どもを守る親の強さそのものだ。子どもたちには、 「雛が育って巣立ちするまで大切に見守ってい こう」と声をかけ、その場を後にした。翌日、巣の下に割れた卵を 1 つ見つけた。しかし、キジ バトはそのままで一安心。さらにその翌日、もう 1 つの卵が割れていた。このときキジバトの姿 はなく、巣の形も原形をとどめていなかった。 6 月 8 日、学区のAさんから電話をいただいた。 「子ども数人が、家のツバメの巣を落として 逃げて行った。巣立ちを楽しみにしていたのでがっかりしている。関係した子どもを家によこし てほしい」というもの。この報告を受けたとき、 「しまった、あのキジバトのときに全校児童に話 をしておけば…」と後悔した。そして願わくば該当する子どもが中学年以下であることを念じた。 翌日、該当児童が 5 年、4 年、3 年、1 年各 1 名とわかり、彰先生が 4 人を連れて謝罪に出かけ た。Aさんは決して叱るわけではなく、軒下に巣を掛けたツバメへの思いや命をつなぐ親ツバメ の思いを切々と語られたそうだ。そして、一人の児童は泣きながらその話に耳を傾けた。 元来、子どもは残酷なものだと思う。私は小学校の 3、4 年生まで平気で生き物をオモチャにし ていた。火をつけると黄色い煙が出て、数秒後に爆発する2Bという花火をオタマジャクシやカ エルの口に突っ込んで、爆破して遊んた。また、カエルの皮をむいてザリガニ釣りのえさにした り、ヘビの尻尾をつかんで振り回したりした。信頼する梅田先生も全く同じことをしていたとい う。 そこには命を大切にするとか命を慈しむとかいう感覚はない。ただ面白い遊びでしかなかった。 しかし、小学校の高学年になるにつれ、誰に諭されるわけでもなく、そのような遊びをしなくな った。実に不思議な感覚だが、知らないうちに生き物の命を奪うことはなくなり、逆に、生き物 に対していたわりの気持ちをもつようになった。 今回のキジバト、ツバメ事件が教えてくれるものは何か。私は、この事件が子どもたちの成長 過程の中にある残酷な遊びの一つであることを願っている。それゆえ叱る対象ではなく、諭す対 象として子どもたちを見ていきたい。ただ、それを知って何も語らない大人であってはならない。 大人はそこに子どもを守る親の姿を重ねることができるからだ。子どもを守る親の気持ちは大人 でなければわからない。まさにAさんが話した内容こそ、私たち教師も同じように伝えていく必 要があるのだと思う。 大門学区にはまだまだ田畑が残っている。果たし て、カエルやオタマジャクシがどれほどいるのだろ う。命の尊さを知るためには、命を犠牲にする遊び の過程があっても不思議はない。いや、もしかする と大なり小なりなくてはならない貴重な体験かもし れない。 それにしても、キジバトの雄が抱卵中に見せた厳 しい目線は今も私の脳裏に焼きついたままだ。荒ら された巣に戻った雌はどんな思いをしたのだろう。 巣を失ったツバメは今どうしているのだろう。大 門っ子もそんな思いをめぐらすことができる子で あってほしいのだが。 ▲ ヤマモモの木で卵を抱いていた雄のキジバト *ハトは昼間雄、夜は雌が卵を温める *撮影:倉地耕治 5 月 18 日(水) 8:00 中庭
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