3 Higashi Sapporo Hospitalʼs Newsletter September2012, No.71 カルバリー病院研修報告 副院長 小池 和彦 当院と姉妹提携・交換研修プログラムの提携を行っている ニューヨーク・カルバリー病院への研修が昨年より始まりました が、本年度は私と遠藤佳子看護師が 7 月 2 日より 7 月 26 日までの 約 1 ヶ月にわたり行かせていただきました。昨年は、照井院長、大 串副看護部長が 9 月から研修に行かれ、カルバリー病院の多くの スタッフの方にお世話になりましたが、今年も様々な領域にわた り多彩なプログラムを院内の緩和ケア研究所 (PCI:Palliative Care Institute) 所長の Robert Brescia 先生を中心に組んでい ただき、とても充実した研修を行うことができました。 カ ル バ リ ー 病 院 へ の 研 修 前 に、MASCC/ISOO international symposium on supportive care in cancer という国際学会が 6 钨 近 д ǔ ḿ败 傲 佰 ê 丝 颤 海 俊 甜 豁 ù 1 翱 败 ǚ ǜш 嫡 搭 蒋 蠢 豺 磊 藩 4 (連載) 潘_bFI[@凹爸ш百ш j悉潦[] Ю Dr. F rank J. Brescia 峦浓销襟贫j蔼 ш交此鲅ЮЮЮЮЮ6 腻 ┬ 答 6 禁 队 佰 拜 ш 跋 摆 爱颁 in舰 妥 昂ш 把 g 蒋 蠢 (2 0 1 2 涩 7 闺 1 5 腮 ) 7 ǔ 艾蔼幕 月 28 日より 30 日までニューヨーク市で開催され、学会参加・演 題発表をさせていただきました。この学会は、がん医療における supportive care(支持療法)の重要性・価値をサイエンスとして も評価し実践することで、cancer care の向上を図ることを理念 としている学会で、がん医療に携わる様々な領域の医師やメディ カ ル ス タ ッ フ が 参 加 し て お り ま し た。自 分 は、”Appropriate symptom management for terminally ill cancer patients lead to decreasing of prevalence of continuous-deep palliative sedation (CDS)” 『終末期がん患者に対して適切な症状マネジメン トを行うことは深い持続的鎮静の施行率を減少させる』という内 容のポスター発表を行いました。ベルギーの医師より、深い持続的 鎮静の実践に至る意思決定 NewsletterЮǔ描ù ЮNo.71 2012涩9闺尸谎 のプロセス、妥当性の検証 は誰が行うのか?といった 尸谎乱伞狙д丝颤贫Ю琅层Ю癸 質問があり、当院で行って 舰妥窖娠峦稿情舰妥3里3坯钨7-35 いるチーム医療のことを紹 TEL:011-812-2311 (代表) 介させていただきました。 FAX:011-823-9552 他にも様々な国の医療者よ E-mail:[email protected] り貴重な意見をいただきま HP:http://www.hsh.or.jp した。 MASCC/ISOO international symposium on supportive care in cancer にて 5 8 カルバリー病院は、110 年にわたりホスピスケアを提供している病院です。当院とは、1990 年よ り石谷理事長の尽力により姉妹提携し交流してきていて、多くの学びを得てきております。当院 1 階にあるカルバリールームは、カルバリー病院に敬意を表して命名されたもので、カルバリーの 皆さんも東札幌病院にカルバリールームという部屋があることは知っておりました。病院の規模 は、当院よりやや少ない 200 床ですが、年間約 3300 人程度の入院患者を受け入れ、年間 2800 名前 後の方のお看取りをされています。原疾患はがん患者だけでなく、予後 6 ヶ月未満と推定される 認知症・心不全・腎不全といった非がん疾患の患者も 30% 程度入院されておりました。がん患者 の中には、積極的治療の希望や可能性に関して、カルバリーで再び説明を求めてくるという場面 にも遭遇しました。その際、自分は臨床腫瘍学も専門としていたため、カルバリーの医師(そのホ スピス主治医は老年医学が専門)より、腫瘍内科医としての意見を自分に求めてきたりして、臨床 腫瘍学の重要性を再認識しました。 米国の他の医療機関との大きな違いですが、病院の基本理念として患者を人として尊敬し、決 して見捨てない (non-abandonment) というケアを個別に提供するということ、患者とそのご家族 と同じ想い (compassion) を持つということです。ホスピス病棟の回診につきましたが、主治医の 先生は「Are you comfortable?(辛くないですか?)」とまず声をかけ、患者・その家族に対してま るで自分の家族のように接し、とても丁寧な説明を行っていました。これは、他のスタッフにも当 てはまることです。 bereavement care(ご遺族に対する死別後の悲嘆のケア)も充実しており、亡くなられたご遺族 が参加する会に出席させていただきました。ご遺族はみなさん口をそろえて、 「カルバリー病院で のケアは素晴らしかった、自分ももし治癒の見込めないがんになったら迷わずカルバリー病院で 最期を過ごしたい」とお話しされておりました。 この会は毎週 1 回開催されていて、写真2は、奥 様を亡くされたご遺族が集まった会で皆様と写真を撮らせていただきました。他にも紙面の都合 上、全部をご紹介できませんがいろいろな部門でのケアを研修することができました。自分たち が日本で行っている医療と共通することは、当院で行っているチームアプローチは、カルバリー でも実践されており、当院での理念を紹介したところ、 「東札幌病院はカルバリーと理念は全く一 緒だ」と多くの人からの返答をいただきました。 今後、この貴重な経験を現場に生かし、緩和医療・ ホスピスケアの発展・意識改革も含めて尽力していきたいと考えております。 最後になりますが、カルバリー病院との姉妹提携にご尽力いただき、世界的にも高名な先生と の面会にお力添えをいただきました石谷理事長、東札幌病院のスタッフの皆様に深く感謝申し上 げます。 奥様を亡くされたご遺族と共に(写真2) 2 カルバリ-病院医局で講演(写真3) ḿ败傲佰ê丝颤海俊甜豁 看護主任 遠藤 佳子 私は、今年夏にニューヨーク市ブロンクス地区のカルバリー病院 での約 1 ヵ月間の研修を受ける機会に恵まれました。病床数 200 床 のカルバリー病院の医療スタッフは、長く勤め続けている方が多 く、病院全体の雰囲気はとてもアットホームで、自由で率直なコ ミュニケーションが交わされている印象を強く受けました。それで いて何か解決しなければならない事が生じたときには、即座に緊急 のカンファレンスが開かれ、率直な意見が交わされ、問題解決に全 力を注ぐ医療スタッフの姿がありました。 ベッドサイドケアも同様でした。患者さんの事を「sweet heart」 と呼ぶ CCT(Cancer Care Technician)は、自分の家族の体を拭いて いるような語りかけで患者さんのケアをしていました。その温かく CCTインストラクターのデニスと 陽気な関わりに入院したばかりで不安気だった患者さんの表情は見る見るうちにほころび、体を 拭き終わる頃には、すっかりと安心した笑顔に変わっていました。そして、RN(Registered Nurse) 達の Physical Assessment は、迅速で無駄のないものでした。その温かさと緊張感のある研修の 現場で柔軟に働く医療スタッフ達を見て、私の頭に浮かんだ言葉が、当院の key word とも言える 「アートとサイエンス」でした。カルバリー病院の細分化された組織の構造や役割、充実した Bereavement Care や Pastoral Care(スピリチュアルな苦痛への宗教的な緩和ケア)など、他にも たくさんの学びがありましたが、私としては、医療に携わる者として大切にしたい「Spirit」の部 分で、強く共感できる病院が地球の裏側にも存在し、そこで研修する機会を得ていることへの純 粋な驚きと大きな感動がありました。 今回の研修の機会を与えて下さった石谷理事長、長谷川看護部長を初め、たくさんのサポート を頂いた方々に感謝致しますとともに、得た学びをひとつでも多く病棟に還元していけるようこ れからも頑張っていきたいと思います。 (左から)コンフォート院長、小池副院長、マイケル・ブレシア総院長、遠藤 3 ノルウェー学会参加印象記 緩和ケア科部長 中島 信久 このたび、ノルウェーのトロンヘイムで開催さ れ た 緩 和 ケ ア に 関 す る 国 際 学 会(7th World Research Congress of the European Association for Palliative Care)に参加しましたので、報告 いたします。 この学会は「通常の学術集会」と「研究をメイ ンにした学会」を毎年交互に行います。今年は後 者であり、その際には各国の研究者が集まる「研 究セミナー」が 3 日間、学会に先立ち開催されま す。大会長は石谷理事長と親交のある Kaasa 先生 Kaasa 先生とセミナー会場にて であり、私は研究学会に加えて、セミナーにも参 加するという貴重な機会をいただき、この地で 1 週間にわたり学びを深めることができました。 セミナーはヨーロッパや欧米を中心に 14 か国から 56 人が参加し、トロンヘイム郊外のフィ ヨルドに面したホテルで行われました。テーマは疼痛、呼吸困難、悪液質の 3 つで、講師陣が それぞれの分野における世界のトップリーダーであることはもちろん、参加者も各国でエキス パートとして活躍している方々ばかりでした。これらのテーマについて、概説的な講義に続い て講師と参加者による熱いディスカッションが連日朝から夕まで繰り広げられました。私は悪 液質をテーマに選び、日本国内の研究グループでしばしば問題となる点をいくつか提示し、こ れらについての多面的な意見交換を図れたことは大きな収穫でした。それと同時に、参加者同 志がそれぞれの確固たる意見(研究成果)をもとに、積極的かつ建設的に議論し合う前向きな 姿勢に大きな感銘を受けました。国内では経験したことのないこうしたやり取りの場にいるこ とができたことは、とても刺激的な体験でした。その一方で、普段、国内で行われる議論のや り方に改めて物足りなさを感じたというのが正直な感想です。 セミナーが終わると、1 日おいて、いよいよ本学会の始まりです。世界 47 か国から 1,100 名 超の参加者が集いました。日本からの 10 演題を含む 678 の演題発表があり、会場のいたるとこ ろで演者とフロアーとの間で活発な討論が繰り広げられていました。私は「がん告知と終末期 ケアの質の関連性」ならびに「がん終末期の輸液治療が理学的所見に及ぼす影響」という 2 つ の演題を発表し、両者合わせて 25 名の参加者と議論する機会があり、異なる視点から飛び出す 様々な意見からたくさんの学びを得ました。帰国後も このうちの数名の方々と研究に関するやり取りを続け ています。 今回、「海の向こうの世界」を知ることで、自分自身 の臨床研究に対する考え方はもちろん、日常の診療に おける見方や考え方が変わってくるということを肌で 感じることができました。こうした機会をいただいた 石谷理事長ならびに私の留守をサポートしてくださっ ポスター会場でのディスカッション 4 た職員の皆様に感謝いたします。 (連載) 潘_bFI[@凹爸ш百ш j悉潦[] Dr. F rank J. Bresciaě 捌摆 颁 г 扒 拜 皑ǔ洛 碌 è 理事長 石谷 邦彦 私のもっとも大切な友人である。もう 25 年のお付き合いになろうか。私 の NY 留学時代の恩師アービング・リストフスキー教授から当院と同じよう な病院が NY にあると聞き 1988 年一人で紹介もなく訪ねたのがカルバリー 病院であった。その時の院長がフランク・ブレシア先生であり私の下手な 英語での国際交流の申し出を熱心に聞いてくれた。カルバリー病院は 110 年の歴史をもつ終末期のがん患者のケアを行ってきた老舗である。驚いた ことに病院の壁が当院と同じ色の煉瓦であった。考え方が同じであればそ の表現も同じになるのかと感動した。当時はこの病院を充実させた先達ジェ イムス・シミノ、マイケル・ブレシア両先生も一緒にこのプログラムの実 現に協力してくれた。数日滞在してカルバリー病院の本質を知れば知るほど当院に導入すべき システムが山のようにあることが感じられた。フランクは多忙な中を付きっ切りで私の世話を してくれた。初めて会った他国の人間に対しての慈愛に満ちたケアは彼の人間性を象徴してい た。手渡された数編の彼の論文の中に「Notes of a death watcher(看取り人の覚書)」があった。 少し驚いたが、内容は死に逝く過程におけるその人と医療者のマナーの極めて深い洞察であっ た。彼はちょうどこの年フォーダム大学で哲学の博士号を取得したとのこと、さもありなんで ある。1968 年にニュージャージー医科歯科大学を卒業、コーネル大学で研修後、主にメモリアル・ スローン・ケッタリングがんセンターで腫瘍内科医として研鑽を積んでいる。特筆すべきは 1970 年から 3 年の軍籍があり 1 年間ベトナムに従軍している。この経験が哲学を学び緩和ケア の道に進む契機になったことは想像に難くない。カルバリー病院理事会の承認を受けて交流プ ログラムが始まった。始めにコルネリア・フレミング看護部長が来院し当院の看護の在り方の みならず病院全体の運営についてのアドバイスを頂いた。また当院から石垣前看護部長、田村 MSW, 数人のナースなどがカルバリー病院を訪れた。現在東棟3階の野島師長もそのひとりで ある。1990 年 2 月東札幌病院主催の冬季札幌がんセミナーが「がんと QOL」のタイトルで開催 された。緩和ケア関係の日本での初めての会でありその枠組みは今でも延延と継承されている。 その海外演者のひとりをフランクに依頼した。「がん患者のクォリティ・オブ・ライフ」につい ての丁寧な講演であった。札幌雪祭りに合わせたセミナーでありフランクは雪像を物珍しげに 見ながら大通り公園を散策していた。夜すすきののとあるクラブに行ったときピアノでモーツ アルトの小品を演奏してくれた。幼少時から弾いていたとのことで繊細な彼の一面を垣間見た。 多忙のためセミナーで講演後すぐ帰国したが、その夏再び奥様と末娘モニカを連れて来札した。 今度は一週間滞在し一緒に患者を診るなど彼の臨床経験の 多くを学ぶ機会を得て幸せな時を過ごした。現在の東札幌 病院のシステムの基礎はこのとき築かれたと言って過言で はない。彼はいつも控え目に言動する。それはオーソドッ クスな医師としての品格というよりは彼の生き方そのもの であり揺るぎのない哲学する人なのであろう。彼は death watcher であり life watcher なのである。以来 25 年にも 及ぶ友情を得たことを心から感謝している。(続く) 5 峦浓销襟贫j蔼 ê交此ЮYj鲅 理事長 石谷 邦彦 ニセコモイワスキー場 一昨年(2009)ニセコモイワスキー場下の民宿ウッドペッカー のオーナー新谷さんにポール練習に参加したいとニセコの チームへの紹介を依頼した。すぐに少年たちの「ティンカー ベル」「ニセコジュニア」そして大人の「ジャステム」チー ムのコーチたちに話を通してくれた。阿部さん、伊藤先生、 梅本さんなど皆快く迎えてくれた。同好の士の有難さが身に 沁みた。以来シーズン中他の地域での大会以外ほとんどの週 第1回ニセコポテトカップ (モイワスキー場 4/9/2011) 末はこのスキー場で練習している。新谷さんは「自然」とスキーの冒険家、文筆家としても 知られている。またニセコ連峰全体の雪崩遭難の救助隊のリーダーである。現在はモイワス キー場の管理者の一人でもある。ウッドペッカーは札幌医大スキー部の合宿所として多くの 後輩たちが世話になっている。ニセコモイワスキー場はニセコアンヌプリの西南に位置する 標高 839m のモイワ山に展開している。1966 年に開設されこれまでのリゾート開発とは無縁 のまま「美しいプライベート感覚のゲレンデ」として愛されている。世界各国からの常連が 訪れているが最近は香港に住むヨーロッパ人、オーストラリアからのスキーヤーが目立つ。 全日本 A 級公認コースを含め 6 本のコースがあり各種大会が催されている。かっては日本全 国から大学、企業チームが挙ってポールを立て一般スキーヤーが滑る場所がないほどであっ た。最近は平均 3 チーム位であろうか。我々のチームは午前中朝 8 時半から 11 時、午後 1 時から3時までが練習時間である。 以下 2010 ~ 2011 年度スキー備忘録より抜粋。 12 月 18 日 ( 土 ) ニセコモイワで初滑り。新谷さんから「シーズン初めなので無理しない」 のアドバイス。積雪 60cm、例年に比べ非常に少なくブッシュがでていた。軽く流すことで感 触を楽しんだ。 12 月 25 日 ( 土 ) ティンカーベル・チームと今シーズン初のポール練習。いつものことだ が初めてのポール練習には恐怖を感じる。6 本滑り自信を取り戻す。 12 月 26 日 ( 日 ) 一日 15 本のポール練習。さすがに疲れ夕食後 7 時半に就寝。 12 月 30 日 ( 金 ) ティンカーベルと練習。伊藤先生、阿部さんの指導を受ける、と言って もほとんど暖かく見守ってくれている感じである。たまに「もう少し上から入るように」な どのワンポイントアドバイスがある。阿部さんに会費を尋ねたが「いらない」とのこと。 12 月 31 日 ( 土) 大晦日。午前中ティンカーベル、ニセコジュニアチームの合同練習に参加。 1 月 2 日 ( 日 ) ニセコジュニアと午前・午後一緒に。 「頑 張るねー、センスがよい」と阿部さん。お世辞と思うが思 わず頬が緩んだ。他の人たちからも声を掛けてもらうよう になった。梅本さんのお蔭か。 1月3日(月) センターロッジで峠レーシングチームのメ ンバーたちと会った。中山峠は 3 月まで閉鎖しているため、 赤井川村のキロロスキー場かたまにここに来るらしい。 ニセコモイワスキー場 6 (続く) 腻 ┬ 答 ┰ 禁 队 佰 拜 ш 跋 摆 爱颁 in舰 妥 昂ш 把 g 蒋 蠢 (2012涩7闺15腮) 病院長 照井 健 今年もリレーマラソン in 札幌ドームに参加しました。札幌ドーム内で襷リレーする1周 2Km のコースを 6 時間でどれだけ走れるか (6 時間の部 ) とフルマラソンの 42.195km を 10 人で 21 周して完走する部があります。いち早くエントリーに向けて準備を始めたのは札幌ドームメン バーズ会員の中脇薬局長。朝礼のスピーチで参加者募集を呼びかけ、今年は2チームが 42.195Km にチャレンジしました。今年も「HIGASHI SAPPORO HOSPITAL」入りのユニフォーム T シャツで勢揃 いです。 大会は参加 1,080 チーム、参加者 10,000 人以上で札幌ドームがにぎわいます。常日頃、医療連携 している数々の病院のチームにばったり会います。また、ゲストの元オリンピック銀メダリスト、 ワイナイナ選手、女子カーリングチーム ( ロコ・ソラーレ )、スキー複合金メダリスト・阿部雅司 選手、オリンピック代表を目指した猫ひろし選手のトークショーなどお楽しみ満載です。 10 時の出走 20 分前にスタート地点に第一走者が集合。当院は石谷理事長と照井。 「ゆっくりマイ ペースで。」と、言ってもスタートするとアスリートの本能が身体を動かすのでしょう。石谷先生 は2回目を走った後にはすごい量の汗、汗、汗。昨年も参加してこのコースを経験済みの大串祐美 子副看護部長、東 PCU の竹内直人君、外科病棟の土岐田昌幸君、西 PCU の山口弘君、薬局の中山可 奈子さん、加藤遥平君、三浦沙織さん。初参加の東 4 階病棟の嶋田美澄さん、野上史恵さん、中央 3 階病棟の高見直子さん、薬局の佐久間裕士君、栄養課の斎藤香央里さん、居宅介護支援事業所の河 北聡さん。みんなエントリーして少しずつ走ってきたのでしょう。かっこよかったです。ところ で、8 月末の北海道マラソンにエントリーしている照井と石原内科部長は 5 周ずつ。石原先生は 1 周を 7 分という素晴らしいタイムで 5 回とも走り、「ちょうど良いスピード練習でした」。25 年前 の学生時代にスキーマラソンの名選手として鳴らした健脚ぶりでした。 タイムは昨年を上回る 3 時間 21 分 59 秒 (101 位 ) と 3 時間 30 分 08 秒 (159 位 ) でした。おか げで気持ちの良い汗をかきました。アサヒビール園での打ち上げはフルマラソンの完走、感想、感 動でジンギスカンがはかどります。 さて、次は 9 月 23 日の白石区民マラソンです。 7
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