変幻自在慰安婦の虚言

ここに掲げるのは全て、同一人物の黄錦周という元娼婦の証言である。
「時間・空間・職業・出没場所も変幻自在」 この出没具合を「見える化」し追ってみた。
生年・職業・慰安婦になった年齢やきっかけなど、さまざまな証言。虚言と言うべき代物です。
西暦
1924 ~ 1932 1933 1934 1935 1936 1937 1938 1939 1940 1941 1942 1943 1944 1945 1946 1947 1948 1949 1950 1951 1952 1953
和暦
T13 ~
S7
S8
S9 S10 S11 S12 S13 S14 S15 S16 S17 S18 S19 S20 S21 S22 S23 S24 S25 S26 S27 S28
↑
正 史 年 表
↑ 支那事変始まる
年齢:生まれ1922年の場合
2
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年齢:生まれ1919年の場合
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高木健一著本人が認めるウソ本
1992年7月
12才の時100円で売られ ↑ ①1938年満州で女中をしていたが身代わりに慰安婦になった。
ソウルの金持ちの家で しかし満州には慰安所そのものが置かれていなかった。慰安婦はあり得ない。
小小間使いをしていた。 下記の④参照すると処女の慰安婦だったという事になる。
↑ ②1939年17歳、女学校在学中 (1922年生)国民徴用令(慰安婦の徴用ではな
い)で動員された。しかし国民徴用令が出たのは1944年、5年も早い。
朝日新聞インタビュー
1995年7月24日夕刊
国連・経済社会理事会
クマラスワミ報告
1996年1月4日
黄錦周
ファン・
クムジュ
大東亜戦争の開戦:真珠湾攻撃
↑ 朝鮮人(当時日本人)女性に国民徴用令が出た年
↑ ③1939年17歳で労働者として 徴用された。
国民徴用令が出たのは、1944年である。事実より5年も早い。
ここでは、学生でなく労働者であったと言う事に変化した。
↑ ④3年も働いた20歳のころ私は処女でしたが、一人の日本兵が
自分のテントに来いと要求、着物を脱げと私に言った。
と言うことは、慰安婦として強制連行された話ではないし、学生でも女中 でもない。
処女だった期間
↑ ⑤満18歳になった時のある日、男がやって来て、村から娘を提供するように言
いました。また年齢が変わった。慰安婦になった状況が、またまた違う。
日韓社会科教育交流団
韓国を訪問(1997夏期)
元日本軍「慰安婦」の
証言を聞く集会
(1997年12月5日)』
TBS番組
『ここが変だよ日本人
2001年5月16日
黄錦周さんの証言を聞く会
東京大学にて
(2001年7月17日 )
「知の見える化」 NO95
↑ ⑥村の班長(日本人)に「一家に一人は行かなくては」と脅かされ、
1941年、韓国を離れましたが、到着した場所は、慰安所でした。」
⑤の男に連行されたという証言と食い違う。
1941年では徴用令(慰安婦の徴用ではない)すらまだ出ていない。
↑ ⑦番組当時82歳1919年生。 「私は19歳で学校を卒業する25日前に、日本軍に引っ張り出され、
仕方なく 慰安所に行った」 。1938年は、大東亜戦争の開戦の3年前。徴用令も出ていない。
上記の①と②から生まれた年を考えると19歳は、1941年になる。 どっちが、本当なのだろうか?
↑ ⑧14歳のとき、いわゆる「少女供出」で満州に連行され、 皇軍兵士のセックスの道具にされた。「つらい体験だっ
た」とうとう14歳までさかのぼった。20歳まで処女だったという話はどこへ?まだ戦争が始まっていない5年も前であ
る。 「少女供出」の言葉も作られた虚言である。
↑ ⑧14歳のとき、いわゆる「少女供出」で満州に連行され、 皇軍兵士のセックスの道具にされた。「つらい体験だった」
とうとう14歳までさかのぼった。20歳まで処女だったという話はどこへ? まだ、戦争が始まっていない8年も前である。