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シリル・ドモラウド
コートジボワール人シリル・ドモラウドは、悪いことではな
く良いことに目を向け、自身が神の御国の一員となれるチ
ャンスのゆえに神に感謝している。
シリル・ドモラウドにとって、2006年ドイツW杯は、彼のキャリアの中で最も
偉大な勝利と最も大きな挫折であった。
2005年末、
ドモラウドはコートジボワール代表のフルバック、そしてキャプテ
ンとして予選を戦い、
レ・エレファンツ(代表の愛称)を初のワールドカップ出場に
導いた。それは6年間続いた内戦に一時的な停戦を促すほどの、歴史的な偉業で
あった。
しかし本大会でドモラウドは、アルゼンチンと
オランダに惜敗した予選リーグ最初の2試合に出場
できなかった。セルビア・モンテネグロに勝利した
最終戦には出場したが、
レッドカードで退場した。
「
ショックだった。私の努力は報われなかったと感じ
スポーツの世界で福音を告げ知らせる
機会
た。」
と彼は言う。
「しかし、それも仕事の一部だ。」
ドモラウドはコートジボワールで生まれ、魔術が染み込んだ文化の中で育っ
た。若い頃、彼は幸運の指輪をはめていた。それは彼が数多く持っていたお守り
の一つで、霊的な守りと悪霊追放を祈願したものだった。
しかし、妹の忠実な証し
のおかげで、
ドモラウドはキリストに従う者となり、迷信深い生活から離れた。
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してビデオをご覧ください。
それ以降、彼のサッカー選手としてのキャリアは大きく変化した。いくつかの
フランスのクラブでプレーした後、彼はイタリア・セリエAの名門インテル・ミラノ
に加入、その後フランス、スペイン、
トルコでプレー、最終的にコートジボワール
シリルのようなアスリートのため、スポーツアカデミーは技術と
精神的な成長の機会を提供する。
に戻った。彼の最後のシーズンは、
アフリカ・スポーツ・アビジャンでプレーした。
今、彼はアビジャン市にあるシリル・ドモラウド・トレーニングセンターでの
活動に多くの時間を割いている。
このセンターは、
スウォンジ・シティ
(イングラン
ドプレミアリーグ)所属のコートジボワール人のストライカー、ウィルフリード・
ボニーを輩出している。
しかしコートジボワールにおいて、
ドモラウドはいつまで
も、有名なドイツワールドカップ出場の代表チームの一員として記憶されるだろ
う。一時的な不満はあっただろうが。
ドモラウドは次のように語った。
「私はW杯に出場できてとても幸せだった
し、私が代表チームの一員となることを神さまが許してくださった。まさに神さま
のおかげだった。それは奇跡だった。私の人生とキャリアの中に与えられた偉大
な瞬間だった。
私はプロサッカー選手になれるとは思ってもみなかったが、神さまが導かれ
た。だから、否定的なことが起こった理由を尋ねるよりも、私は神の御国の一員で
あること、そしてW杯でプレーするチャンスが与えらえたことを神に感謝したい。」
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Issouf Sanogo/Getty Images
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