ナイラムダルの主な動き 10月07日 11日 98夏モンゴル交流の旅反省会、99年取り組みについて/JIC 平井、馬場、大島 コンサート打ち合わせ/門叶、小野寺、富永、石塚、宮原、小畠、関川、大島 14日 16日 17日 19日 ウランバートルから関西国際空港経由、羽田空港に到着/馬場、大島 *忍野村ふれあいホール(山梨県)/小畠、関口 *なかのZERO小ホール(東京都)/門叶、他多数 *豊島区立駒込小学校(東京都)/土屋、富永雅枝、富永 *豊島区立池袋第3小学校(東京都)/土屋、富永雅枝、富永 *習志野市民会館ホール(千葉県)/日下、大島 *会津坂下町中央・坂下公民館(福島県)/日下、須崎、富永 *市原市民会館(千葉県)/日下、富永 *豊島公会堂(東京都)/土屋、他多数 関西国際公会堂(東京都空港経由にて、帰国/関川、小野寺 20日 21日 22日 23日 24日 11月03日 21日 28日 12月05日 06日∼ 12日 日 助 金】 ありがとうございます 1.10月19日 新井 聖王 員 ・ 会 VGLHN 夏 モンゴル交流の旅 募集始めます!! 10月 第9次 ナイラムダル・コンサート「モンゴルからの風」 1998年合計 / 我孫子市 48,500円 500円 各担当者 代表/「通信」・パソコン通信 事務局長/交流の旅 副代表/会員・会費 副代表/コンサート 物 販/CD、会話集、パンフ コンサート 力士との交流 留学生との交流 副 YEMUNAY コンサート反省会/小野寺、富永、門叶、小畠、宮原、石塚、馬場 東大駒場祭/宮原、小畠 としま国際交流「ふれあい98」/土屋、小畠、石塚、富永、小野寺 運営委員会/関口、関川、門叶、小野寺、富永、須崎、大島 通信 no.23 準備・編集/大島 通信 no.23 作業/門叶、大島 通信 no.23 発送/大島 各活動について、ご連絡ください 【賛 役 BKYUKL 大島 武行 今市市木和田島 1526−152 馬場 三洋 草加市矢塚町 1702 門叶 和雄 豊島区西巣鴨 2−7−8 富永 愛子 練馬区光が丘 2−8−2−210 関川 昇 中野区松が丘 2−5−13−508 小野寺 光 練馬区光が丘 3−3−1−904 石塚 けさみ 墨田区立川 2−6−14 関口 喬 練馬区光が丘 5−6−4−1104 0288−26−0130 0489−27−4454 030−045−9152 03−3976−9168 03−3387−8637 03−3976−5437 03−3846−1861 03−3977−5859 代 表/土屋 治(豊島区)、鴨 哲登志(習志野市)、松永 靖彦(横浜市)、深沢 修(山梨県)、中込 司郎(山梨 県)、田辺 明治(山梨県)、佐藤 一行(長野県)、小林 一郎(長野県)、吉森 康隆(佐賀県) 計/小畠 玲子(練馬区) 会計監査/関川 昇 通信「モンゴルからの風」年4回発行/年会費2000円 発 行 モンゴル交流協会ナイラムダル 321-2345 今市市木和田島 1526−152 /大島 武行 E-mail BYR 16531@niftyserve.or.jp NO.23/1999.01冬 モンゴル交流協会ナイラムダル 1999年 第9次 夏モンゴル交流の旅 1999年 モンゴルからの風 ホームステーでゆくモンゴル 乗馬三昧 & 遊牧民ゲル生活体験 中央ゴビ大草原を馬で駆ける コンサート企画希望がありましたら、下記のコンサート担当へ連絡、相談下さい。 来 日 日 程 <<お早めに参加申し込みをして下さい。申し込み用紙を請求下さい>> 1999年10月13日(水)∼27日(水)/2週間 コンサート日程 1999年10月15日(金)∼25日(月) ただし、10月15日(金) ナイラムダル交流の旅は、今年で9回目。受け入れは友好組識、モンゴル「友好クラブ」。 コンサート回数予定 私たちの旅は、ホームステー、ゲル生活、乗馬、遊牧民ゲル訪問があります。ホームステー せていただきます。 演 奏 家 現在、モンゴル側「友好クラブ」と、検討中/春までには決定予定。 原を人馬一体になって走ってみませんか。新たな発想、発見、生き方を見出すことと思います。 * 関西国際空港(定期便)首都ウランバートル直行便/予定 1. 日 程 /4グループ : 各グループ15名、定員になり次第、締め切ります。 注/費 用/未定(98年出国から帰国までの費用/4月始めに決定) 1.7月17日(土)−24日(土) 22.7万円 2.7月24日(土)−31日(土) 23.2万円 3.7月31日(土)−8月07日(土) 23.7万円 4.8月07日(土)−14日(土) 25.7万円 ●7月10日(土)∼17日(土) ナーダム祭は、希望者が5人以上ありましたら、準備します。 ●パラグライダーオプションで検討中 馬頭琴、ホーミー、その他民族楽器、歌手、踊りなど予定 コンサート担当/富永 関西国際空港からウランバートルへ/ホームステー(ウランバートル) 18時までステー先の家族と市内散策。18時アルタンボラック・ゲルに出発。 ∼ 6日目 ゲル泊/乗馬・遊牧民のゲル訪問など。モンゴルの仲間参加。 朝食後ウランバートルへ。昼食UB.ステー家族と市内散策。18時コンサート ウランバートルから関西空港へ/帰国 愛子 179−0072 練馬区光が丘 2−8−2−210 [参 tel.fax. 03−3976−9168 考]1992年から開催/157回公演、内小学校・養護学校など59回公演 モンゴルの民族音楽を通じて、モンゴルの生活・文化を知り、理解と交流を深め ようと毎年開催しています。開催にあたっては、会員の協力で手作りのコンサートを 行っています。また、特に次代を担う子供たちの国際交流を大切にして行きたいと いうことから、小中学校、養護学校などでも開催しています。コンサートと合わせて、 モンゴル民具・子供たちが描いた絵画・写真・作家の絵画などモンゴル紹介展も開 催しています。この間157回公演。内、小中学校・養護学校など59回公演。 ――――――――――ス ケ ジ ュ ー ル / 案――――――――― 1日目 2日目 3日目 7日目 8日目 一般コンサート8カ所、小学校等2カ所 *ただし、小学校の場合は、一般コンサートを企画していただいた地区とさ では、キッチンに入り込んだり、ゲル生活でも食事の準備を手伝ったりと、ぜひ、趣味や生活の 身近なことにこだわりを持って、互いに学び合えると楽しい旅になるでしょう。そして、4日間、草 なかの ZERO 小ホール 開 催/東京都、千葉県、神奈川県、栃木県、山梨県、佐賀県、長崎県、兵庫県、 福岡県、長野県、埼玉県、宮城県、青森県、愛知県、福島県 案 内 CD /ナイラムダルで扱っています(送料無料/ただし、前納) ■参加資格/ナイラムダル会員/会員でない人は入会ください。99年会費2000円 ツァガン・サル(モンゴルの正月/2月17日)体験、冬のモンゴル訪問の希望 がありましたら、相談下さい!! ■主催、企画/モンゴル交流協会ナイラムダル(担当 : 馬場/fax 0489−27−4454) 321−2345 今市市木和田島 1526−152 fax. 0 288-26-0130 ■渡航手続き取扱社/JIC旅行センター(株) 160-0004 東京都新宿区四谷 4−1 小島ビル3F tel. 03−3355−7295 540-0037 大阪市中央区内平野町 2−2−4 コスミックビル3F tel.06−944−2315 第9次 02 モンゴル民族音楽ナイラムダル(友好)コンサート モンゴルからの風 2000円 馬頭琴 2800円 オルティン・ドー(歌) 2800円 ホーミー 2800円 CD希望者連絡・申し込み先 須崎 須美子/179−0072 練馬区光が丘 5−5−6−903 tel.fax. 03−3976−4753 企画案 03 モンゴルの動き <THE MONGOL MESSENGER> 翻 訳/林 和歌子 10 Dec 1998 Serenlkham はくずれかかった机で席につく冷たく凍えた指で勉強する生徒に、冷え切った教室 で教えていた。 学生は1日20キロ馬に乗り、そして何人かの学生は Serenlkham と彼女の夫、 Jamyansuren と一緒に住み、60キロ離れたところから通学する。 夏の間に、モンゴルと、そしてアメリカ人のグループが教室を改造するために訪れた。新しい 机や贈り物が供給物資とともに学生に提供された。英国大使館はモンゴル人発明者のエネルギ ーの効率的なストーブのデザインを援助した。ストーブを作り出しているモンゴルの会社、 9 月から 12 月までの間、英字新聞には 2 回同じ内容が 1 面を飾った。一つは、民主化運動家 のゾリック氏暗殺事件、もう一つはなんと獅子座の流星群に関した記事であった。ゾリック氏の暗 殺は日本でもテレビのニュースで見るほど大きなニュースだったので、地元本国ではかなりの衝 撃だったといえる。流星群については、日本とほとんど同じで 33 年に一度の天体ショウで東アジ アが絶好の観測地となると言った内容である。あの騒ぎは日本だけでなく全世界共通のものだ ったようである。12 月に入りバンコクで行われているアジア大会でもモンゴル選手の活躍を よく耳にするが、スポーツ面で世界的な活躍を報告する記事は多い。今日、日本で一時バブル の時代にちやほやされたスポーツブームがほされていくなかで、希望と挑戦に燃えるモンゴルの 若手選手に熱いものを感じる。 <林> Monsan は学校のために設備を作ることに非常に協力的であった。この国の若い人々の教育へ の関心にはとても勇気づけられた。 いよいよ開校日である 9 月 12 日がきた。 村は遊牧民、学生、教師、政治家やエンタテーナ ーでごったがえしていた。 理事長の Tomorchodor は勉学に励む生徒を励ました。Dr Mitchum は「あなた達の先生は英雄である。 彼女は自身のゲルで献身的に、彼女の夫とともに10人の 子供たちの世話をする。モンゴルを偉大な国にして、そしてこの国を維持するのは Serenlkam のような人々である。」と賞賛した。 興奮は頂点に達した。 Ch. Galsantogtokh というサーカスのピエロが、俳優と歌手 Batsukh とともに西の県へパフォ ーマンス旅行のために Zavkhan を旅行していた。「35」での祝典について聞くや否や、バンドメ ンバーが彼のグループに学校を訪問するよう話すと、この村は彼の出身の場所なので彼は子供 たちへのサポートを喜んだ。1時間に及ぶ笑い、フルートの演奏や歌が彼らの世代を越えたこの 共同体意識の歴史に刻み込まれた。 国家的に有名なエンタテーナーが自分たちのために話 ■暖房経費がピンチ し、歌うことはとても彼らを勇気づけた。 供給されるのか、がわからない。それは負債によりこの夏充分な整備を整えることができなかっ て教師の給料の援助を始めた。「35」の学校への出席は増加している。 もう一人の教師が村長 たからである。社会基盤庁によると第 3 と第4発電所の修繕が、寒さが始まる前に 30%間でしか完 の努力により増える予定である。「35」のような場所が、モンゴルを明るい未来へ導くであろう。 9/9/1998 モンゴルの首都電力システムに影が見えてきている。まず第一にどのくらいの確率で暖房が 遊牧民が教育の重要性を理解し始めている。 +子供たちを学校に出席するよう促し、そし 了しないことを認めた。政府は言及しないが、問題は資金不足である。多くの住民は電気料金 を支払っていない。幾つかの家庭では未納電気料金が Tg300,000 にまで増えているところもあ る。当局は最近厳しく取り締まることになり、いくつかのゲル地区で電力供給を削減した。政府は この問題は 1996 年にエネルギーの価格が毎年2倍に上昇し始めた頃始まったと言う。 ■400 の陸軍銃が1984年から行方不明 9/30/1998 1984 年から 15 年の間に軍の一施設から銃の 400 が失われるか、盗まれたと公表した。政府 はずさんな備品記録と安全管理に責任があるとしている。 兵器庫警備長官に原因究明をのた めに話を聞いている。 紛失しているのはライフル銃 204 丁、自動 AKM1 丁 、カービン銃 57 丁 ■無名の田舎町が生活の呼吸を得る 9/30/1998 名指すにはあまりにも小さい町が、夢の場所になっている。Ovorkhangai の遠い砂漠地帯に ザーブライフル銃 57 丁を含む約 400 丁。 人々が「35」と呼ぶごく小さい町がある。社会主義時代に家畜を統制した委員会の名にちなん で名を付けられて、建物の大部分が村立センターにされた。幾つかの学校がその地域の子供た ちに教育を提供しようと努力している。そしてこの孤立している場所でモンゴルの希望は証明さ れている。 アメリカの NGO に、1950 年代に「35」で勉強した経験のある夫婦から相談があったのは昨年 の春だった。S.Bolooj は 1958 年の地震があった時に学校にいたことを思い出し、そして ■民主運動のリーダーS.ゾリッグ氏暗殺殺された 10/7/1998 民主運動のリーダーS.ゾリッグ氏暗殺殺された。彼は、人々から親しみを込めて「民主主義の 金のカササギ」と言われていた。今回の事件は政治的に計画された暗殺とされている。 モンゴルの最も尊敬されている政治家の1人で民主運動における多くの信頼を得ていたやり S.Baljinnyam は大学卒業後の一年間をそこで教えたことを思い出す。プロジェクトリーダーの Dr. 手のリーダーが 10 月 2 日金曜日に殺された。Sanjaasuregiin Zorig 、社会基盤庁大臣代理、は Gerald Mitchum は現地を訪問して、そしてモンゴルを変えている素晴らしい女性に会った。 2人の面をかぶった者によって午後10:30に彼の家の前で刺された。 N.バガバンディと Ts. 04 05 エルベグドルジ首相はラジオとテレビで、 ゾリッグの友人たちと家族に弔辞を表し、国民に冷静 6年の一月 Tg6600 と比べ約 Tg12,000 まで上げられた。 高齢者は公共機関の自由な使用を含 でいるようしきりに促した。 「我々の社会に衝撃を与えたこの重大な犯罪について冷静に対処し めた様々なサービスを受ている。 て欲しい。 くれぐれも感情的な行動に出ないように。」、と 大統領は国民に訴えた。 政府は、ゾリッグ氏が今週首相に指名される予定だったことを示し、この殺人が政治的な意 味合いの濃いものであるとしている。 大統領はそれが首相への可能性について9月30日にゾリ 政府はすでに高齢者の為の社会施設や、医学施設、保養地のために来年度予算に Tg1 億 5 千万を計上している。 また、Tg2 万が退役軍人の援助のために割り当ている。 首相 Ts. エルベグドルジは、国際高齢者年委員長として全ての高齢者の健康と幸せを願い、 ッグ氏と一緒に協議を始めていたと言う。「我々は実際に計画をたてていた。ゾリッグは月曜日に また経済的、政治的に大変な変革期を越えてきた彼らの貢献に感謝した。首相は社会保障の 大統領に、そして火曜日には政党で検討される予定で、木曜日には議会によって首相に選出さ 改善と、高齢者の無料医療サービスの実現へ努力することを約束した。 れるはずであった。」と大統領報道官S.バヤルは言う。 オブザーバーは、民主主義の金のカササギとして知られているゾリッグが政治的な敵の手に よって殺されることは充分に考えられると言う。 何人かの高官が極右翼市民軍が悲劇の背後に いることを示した。「彼を殺した人々は民主主義を崩壊させようと願っている。がそれは決して現 実とはならないであろう」と政治家 E.バトーチルが月曜日に 5000 人の集会で言った。 ■観光客はマナー!?子供達がゴビのゴミ拾いに参加 10/14/1998 これは、ウムヌゴビ県にあるゴビ Gurvansaikhan 国立公園の Yolyn Am 谷近くを訪問した Dalanzadgad 第3高等学校の 6 組からのメッセージである。 政治家 Da.ガンボルトはスピーチで類似のコメントをした。「この犯罪は少数派で組織化され 観光客シーズンの後、南ゴビ国立公園事務所は観光客の残したゴミなどの清掃作業の援助 たものである。そこには嫌疑を抱かざるを得ない大きないくつかのグループである。」民主主義 を、学校の生徒に求めていた。 生徒の多くは、谷への旅行は初めてであった。彼らは自然が美 同盟長のB.Bilegt が、連立の中の政治的分派のことを言った。 Bilegt はスフバートル広場で月曜日に同じく群衆に、他に殺人には経済的な意味がある可能 性もあると言った。「何人かの政府の人々はこれがエルデネットとロシアのマフィアと関係があっ たと思っている」と言っている。 「エルデネットは社会基盤庁の下には落ちることはないが、ゾリッ クは関連を知っていた。 彼がエルデネットを退けて、再構成することを望んだという噂があった。 しいこの谷があまりにも汚されているのを見て怒り、驚いた。 「ほとんどの観光客はマナーを守り、 ごみを持って帰るが、いつも何人かの人たちにがっかりさせらている」、と環境観光開発担当の Alan Saffery は述べている。 約 30 人の子供たちがこの谷で丸一日を過ごした。 ごみ拾いと同時にゲームをしながら、国 立公園事務所職員から公園とその野生生物について学んだ。 また彼は石油とエネルギーでの強いコネも持っていた」と政治的アナリストは言った。 N・ Yolyn Am は 217 万ヘクタールの公園の中で最も人気が高い観光地で、およそ 5000 人が年 Enkhbayar 、モンゴル人民革命党( MPRP )の党首はこの死が MPRP に議会の解散について 間訪れる。 それは、野生生物と、1年を通して残っている雪渓でよく知られている。 周囲の丘 再考させたと付け足した。 「我々は一緒に問題を解決し、そして政党を強くしなくてはならない。 は珍しい雪ヒョウのような哺乳動物がおよそ20種、鳥の黒ハゲタカや鷲の生息地帯である。公園 我々は皆で席につき、答えを見いだす必要がある。 この殺人以前は、議会の解散は良い考え 事務所と 6 組の子供たちはどんな訪問者でもゴビの環境守り、ゴミをなくすことを願っている。 と思っていたが、今私の意見は変化している」、と話した。 ゾリッグの同僚が、名高い政治的なキャリアを述べた称賛を書いた。「彼はモンゴルで本当に このことに関してのインフォメーションは南ゴビ国立公園事務所の環境開発担当の Alan Saffery へ連絡を。 Tel.053-3973 FAX.053-1226 Email:[email protected] 民主的な運動の創設者であった。 彼はすべての政党と譲歩する能力を持っていた数少少ない の政治家の1人であった。」 ゾリッグは民主的な運動のリーダーとして世界でも広く尊敬されて いた。「彼の指導力はアメリカ政府と企業にも大変惜しまれるであろう」、とアメリカ大使アルフォ ンス.F La. Porta は言う。何千という葬送者がろうそくの寝ずの番のために、三日三晩の間スフ バートル広場を訪れ、ガンダン寺からのラマ僧がお経を唱えた。 ■2000 年のアジア・アイススケート選手権大会をモンゴルで開催 10/14/1998 モンゴルで 2000 年のアジアのスケート選手権大会が行われることが 世界スケート連盟によ って決定した。 1999 年1月に、モンゴルは韓国のソウルで行われるアジア冬季大会に参加する。 モンゴル スケート連合はこの大会に6人のスピードスケート選手とアイスホッケーチームが参加する予定 ■来年は国際高齢者年 10/7/1998 モンゴル政府は国連が制定する、来年の国際高齢者年に全面的に参加することを表明した。 全世界レベルで開催の式典が11月1日に始まる。 であると発表した。 フィギュアスケートの選手が競技を視察するためにチームと同行する。 モンゴルでは 1990 年から国際レベルの大会に参加している。1991 年、93 年、95 年にアジア 大会でスケートで銅メダルを獲得している。 他のスケート種目では、北京のアイスホッケーチー 現在高齢者は約15万人、人口の7%である。(日本は約 15%) 高齢者とは女性が 60 歳、男性 ムが続けて2度目のモンゴル訪問を計画している。このクラブチームは、主にカナダ人で構成さ が 55 歳以上のことを言う。(日本では男女とも 65 歳以上) 高齢者のうち約 7000 人が退役軍人 れていて、零下の温度で去年の 12 月、オープン戦を行った。今年はモンゴルにホッケーの器具 である。高齢者は現在の発展のために貢献をしてきている。 1998年4月には、年金が199 を寄付することを計画している。 06 07 ■闇市場は大賑わい E−MAIL 10/21/1998 モンゴルの商魂たくましさはウランバートルの闇市場に行けばよくわかる。 届きました−12 from ウランバートル 川岡 美智恵/28 Sep 1998 買い物客のパラダイス、闇市は西洋の蚤市とほとんど変わらない。 台所の流しから古い車の バッテリーまで、大体のものをここで買うことができる。 近年、服、食物や他の家財道具などのほ とんどが中国からきたものが占めているように思われる。 それでもまだ古い魅力の古代ソビエト 時代のものも見ることが出来る。闇市はいつも大変混雑している、が日曜日の昼間は特別である。 御無沙汰しておりまして申し訳ありません。 もし東京の地下鉄のラッシュアワーが「混雑」と表現するならば、闇市は「超混雑」と言えばよい ここ1週間ほど風邪をひきまして、ちょっと調子を悪くしていました。急に寒くなり、おまけに暖 だろうか。 最も良い表現はそこにいる全ての人がフットボールの試合に参加していると思ってく 房はきかないし、で風邪をひく人が多かったようです。ここ2、3日は、暖かい日が続いています れればよい。70年代初めに始まったこの闇市は、当初は本当に「黒い」闇市場であった。通貨 が、木の葉も散り始め秋も終わりに近づいている気配です。 を売買や商品の無登録の販売などのあらゆる種類の非合法の活動が行われていた。 最近の闇市は、非合法の取引は若干存在するが、良い評判を得ている。 その人気は市民 こんな理由で、なかなかモンゴル情報をお伝えすることができませんでした。すみませんでし た。 の 60%が毎週訪れているほどだ。ここではこの国の素顔を見ることができる場所でもある。モンゴ ルの経済は活気づいた草の根活動にある。闇市に商品が流れることによって、競争に負け、長 9月より新学期も始まり、忙しくしています 年街でその商売をしていた人々が職を失うという現象が起きた。 経験豊かな衣類の輸入業者 が多くの新参者実業家に負けたことを認めている。何人かの成功者はドイツと東ヨーロッパから モンゴルは相変わらず新しい首相選びが難航しています。「解散して選挙をすればいいの 良質商品の大規模な卸売りをした。彼らは「入れ物実業家」と呼ばれている。そのような実業家 に」なんて言うと、選挙はお金がかかるからそう簡単にはできないとか・・・お国の事情も様々で の先には都会から地方へ商品を流し家畜や未加工品などと交換する人々がいる。この結果は、 すね。 遊牧民は市場価格に敏感になった。 去年、カシミヤは 1kg が Tg16,000 だったのが半額の Tg8,000 に今年値を下げた。現在ほと 私のホストファミリーも初めのうちは、この首相選びに関心を持ってニュースを見ていたので すが、長引く首相選びに関心も次第に薄れ、とうとう話題にものぼらなくなりました。 んどの人がウランバートル が中央アジアの貿易の中心地の 1 つであったことを知らない。1920 つい最近、ガソリンが値上げされ、物価もこれにしたがって上がるだろうと不安そうに語って 年代に Da Huree(今のウランバートル)の東は Maima Hot(貿易町)と呼ばれていた。この地 いましたが、今のところそれほど上昇してはいないようです。とりあえずバス代は100Tg、タクシ 区にはお茶と絹を家畜と交換していた中国の貿易商がそのほとんどを占めていた。 ーも1km=200Tgのままです。 私のホストファミリーは5人家族で、姉夫婦とその息子、そして妹、弟という構成なのですが、 ■刑務所は大混雑 11/11/1998 1999 年の予算委員会が来年度の予算に公共制度の見直しを検討し、刑務所設備もこれに そのうち姉夫婦は去年1年間ロシアにいました。デザインを勉強するために、夫と子供を連れて 含められた。11 月 4 日に、司法と社会政策委員会が、警察と大蔵省の代表者ととも Gants のほうがいいと言われたとか・・・ドイツでは授業料がいらないそうです。今、一生懸命ドイツ語を Hudag 刑務所を訪問した。社会基盤庁大臣代理は 50 年古い刑務所が修理できないほど崩れ 勉強しています。 ロシアへ行ったのですが、今年は、ドイツに留学する準備をしています。なんでも、友人にドイツ ており、この建物が人の住む所にに適していないと報告した。壁にさわるとぼろぼろになり、しば ですが、ドイツに留学するためには4年生大学の2年を終了していなければいけないそうで しばこの壁を掘って囚人が脱走することもある。あまりにもひどい状態のために囚人の一部は去 すが、実は彼女の場合は短大卒の資格しかないとか。資格が満たされないので、どうするかと思 年の夏に別の刑務所へ移動したが、そこは息苦しいほどの暑さのためにさらに悪い状態だった いきや、色々方法はあるものですね。こちらではこういった証明書などが自分で簡単に作れるよ と警察は報告している。 現在 Gants Hudag 刑務所は収容定員 240 人のところ 1000 人収容して うです。私のコンピューターがしっかり役立ちました・・・!? いる。最高で一部屋に 18 人の囚人が入っている。 また、ドイツ語を600時間学習したという証明書も必要なのですが、これも語学学校の担当者に 刑務所の医師によるとこのひどい設備と混雑した状態のために、伝染性の病気、特に結核の 感染率が高いという。また、働く側も労働条件よりも、日中過ごす場所として環境が悪いために 長続きせず、現在 70 ものポジションが開いている。 警察によると新しい刑務所のために約 Tg4 千万のコストを見積った。 国会は完全な資金の 調達は難しいが、刑務所のために 1999 年の予算を計上することに同意している。 08 お酒を渡して、はい、できあがり。行きたい人なら誰でも行けるというのは、何ともうらやましいとい うか、何というか・・・証明書なんて、こちらでは何の価値も権威もないのかもしれませんね。 でも、書類は揃っても、大使館での試験に合格しなければ行くことはできません。これをどうやっ てクリアするのか、頑張って勉強していますので、是非、希望を叶えて欲しいものです。 * * * * 09 日本語を勉強している大学生との文通に興味をお持ちの方はいらっしゃいませんか 【21 Oct 1998】 本日、「草原の風」を受けとりました。どうもありがとうございます。 冬の Elggydggmkj モンゴル語 & ZMUG を習おうツァー報告 !! ツァーと言っても、参加者は、私ひとりだけど! 津山 薫(埼玉県草加市)/10.29-11.19 コンサートのほうでお忙しくされていると思いますが、いかがですか? 4人の演奏家の 方々は元気にコンサートをこなしているでしょうか。きっと楽しいコンサートになっていることと思 私も行ってきましたー , , , 。 しかも、“冬の”ウランバートル!!寒かったよ , , , 。 います。 ところでそちらに、モンゴルで日本語を勉強している大学生との文通に興味をお持ちの方 はいらっしゃいませんでしょうか。一人の学生(女性)が、是非、日本の方と文通がしたいという ことで絵はがきにメッセージを書いて私のところに持ってきました。もし、文通してもいいよ、とい う方がいらっしゃれば、この絵はがきをそちらにお送りしたいのですが・・・物静かで真面目な 今回、私はわざわざ“冬の”ウランバートルにでかけて行った目的は . . . 1.モンゴルの琴、 ZMUG(ヤタグ)を習う!! ちょっとしたモンゴルの名曲を独奏できるようになりたーい , , , 。 2.モンゴル語を習う!! モンゴル人の宴会についていけるくらいのレベルを目指す( ・ ・ ・ ということは 学生です。ご連絡をお待ちしています。 もし、他にも、こういった学生との文通に興味をお持ちの方がいらっしゃれば、うちの学生た 中級か!!) 3.モンゴルの歌も習う!! ちに声をかけてみたいと思っています。 宴会で歌ってもりあがりたーい , , , 。あとで、琴でも弾けたらなお良い , , , それではまたお便りいたします。 E−MAIL from 車力村 届きました−13 ボロルチメグ / 9 Dec 1998 やったー、ウランバートルに着いたぞー !! ・ ・ ・ という事で、北京から国際列車で、約30 時間かけて、10月29日に無事ウランバートル入 り!!なんと、今年のナイラムダル・コンサートで来 日したヤタグ奏者のトールさんが「こんにちわ」と日 本語で出迎えてくれた!!モリンホールのムンフ こんにちは。お元気ですか? 私は元気です。来年の7月21日まで車力にいることになりました。子供達にモンゴル語を 教えています。言葉を覚えるのがとても早くて、びっくりするくらいです。 スフさんも来てくれた!!習志野のコンサートの時 に、会って、私の顔を知っていたので、駅で迷うと いけないと思ってむかえに来てくれたらしい。ウラ ンバートルで再会できるなんて、大感激!! ウランバートル駅でインドラー・トール・ムンフスフ 6月に車力村へモンゴルの農業研修生が3人来ました インドラーの家にお世話になる 車力は最近寒く、気温はマイナス12度ぐらいです。私は車力にきて2度目の冬を迎えまし 3週間、お世話になったインドラーの家は、お父さん(農業大学の“牛”の先生)、お母さん た。今年の6月に車力村へモンゴルの農業研修生が3人来ました。その研修生たちも6ヶ月の (エコノミスト)、インドラー(歯医者さん)の3人家族で、みんなモンゴル語とロシア語の他に、お 研修を終え、12月の9日にモンゴルへ帰りました。あっと言う間に6ヶ月が過ぎ、同じ国の私と 父さんはドイツ語、お母さんは中国語、インドラーは英語とブルガリア五が話せるので、一家で してはちょっぴり寂しいです。 6カ国語は OK という、すごい家族!! 来年は6人くらいの研修生が来る予定ですが、今から楽しみです。 車力にはモンゴルの力士の旭鷲山、旭天鵬、旭天山が訪問に訪れることがあります。今年 私のほうは、モンゴル語は日本で2ヶ月勉強しただけで、英語と中国語が少し話せる程度だ ったのですが、モンゴル語を覚えるために、なるべく、モンゴル語だけで話そう!という事にな は8月に来て、車力村の人達が歓迎会を開いてくれました。みんなで相撲の話しやモンゴル りました。最初は大変でしたが、インドラーも家族の人達も根気強くつきあってくれたおかげで、 国の話しで弾んでいました。3人の力士は「一所懸命頑張りますので応援して下さい」と言って、 2週間すぎた頃には、なんと、ホブドへ帰ったトールさんからの電話にモンゴル語て対応する 挨拶をしてくれました。 事ができた!(トーラさんは、日本語で「すごい」と言ってくれました)私と同じ齢のインドラーは、 3人のさらなる活躍を祈っています。 10 まるでお母さんのように、大変よく面倒を見てくれました。歯医者の仕事のあいまをぬって、 11 コンサートやサーカスに連れて行ってくれたり、彼女の友だちを 弦!!今の中国箏にはドライバー式のハンドルがあって、簡単に微妙な調節が出来るのですが、 紹介してもらったり、私が「モンゴルのソフトクリームがおいしい」と ヤタグの場合は、まず、ゆるい弦を思いっきり手で引っ張って、調節しなければいけない。←これ 言うと、いっぱい買って来てくれたり . . .。彼女には本当にお世 は大変な仕事!そして、琴柱を立てた左右両側の弦のゆるみ具合が、また関係会ったりするの 話になった。インドラー、どうもありがとう。 で、あっちをひっぱったり、こっちをひっぱったりして調節するのです。はっきり言って、これは、 面白がって弾くまねをしているインドラーのお父さん→ ヤタグを習おう!! 先生でも大変そうでした。 ・ ・ ・ これだけでも、ヤタグが、いかにハードな楽器か、おわかりい ただけたかと思います。半分アート(芸術)、半分、肉体労働入っています。 さて、今回の旅の1番の目的は、ヤタグを習う事。2年程、趣 終わってみれば、3週間の間に、当初習いたいと思っていた5曲は、いちよう制覇し、更に、ヤ 味で、中国箏を習っていたので、ナイラムダルの CD(ホーミーの タグで演奏する名曲「ジャラム・ハル」も習いました。これは私にとっては、かなり立派に目標を達 伴奏がヤタグだった))をきいて、モンゴルにも琴があることを知り、 成したと、自慢できる出来ばえ! 自分で自分をほめてあげた∼い、、、。 単純に興味を持ってしまったのです。 最後に、ツォルモン先生から、日本でも続けて勉強できるように、先生自らが書いた数曲の楽 友好クラブのダッシュドルジュさんが探してくれたツォルモン先 譜をいただいた。私にとっては、これが一番のおみやげです。 生 は、35才 くらいの国立音楽学院の先生で「私は教育者で す!!」というオーラがみなぎっているとても威厳のある先生。はっきり言って、初心者の私には トールさん、ムンフスフ、トールさんの妹が訪ねてきた 友達がたくさん出来た事 もったいない立派な先生で、とても熱心に教えてくれました。 今回の旅で、モンゴルにも友達が出来た。 最初、中国箏もヤタグも同じ琴なのだから、なんとかなるだろう、と、軽く考えていたのですが、 一番仲良くなったのは、私にモンゴル語を 実は、まったく“似て否なるもの”だった!!まず、一番の違いは、ヤタグの演奏では、“ツメ”を使 教えてくれたオドゲレル。モンゴル語の先生とし わない事。そう、素手で弾くんです!!そして、ツメをつけないので、指の腹で内側に向かって ても一生懸命教えてくれましたが、粗衣外にも、 弾くだけではなく、つめ側で外に向かって弾くことも出来るのです。←この反発弾法は、中国箏 損得なしで、本当に、よく私を助けてくれて、彼 にはないもの ・ ・ ・というか、ツメをつけていては不可能なのです。よく、馬が走っているような 女 がいなかったら、私 は、こ んなに充実した 曲がありますが、そういう時には、この方法で、外側に向かって、馬が走る位の速度で速く弾きま 日々をウランバートルで過ごすことは出来なか す。だから、速く弾く程、馬は速く走るのですが、今のところ、私の馬は、ギャロップ、ギャロップと ったと思う。 いう感じで、なかなか、これが難しいのです。 私をウランバートル駅まで迎えに来てくれた 習い初めてすぐに、人指しゆびに直径7 mm くらいの強烈な血豆が出来て、3日目位に、練習 トールさんと、ムンフスフさんも、その後トールさ 中に皮が破れて、弦にも血がいっぱいついてしまいました。まさに “血のにじむような”けいこだ んがホブドへ帰る前に、私に会いに来てくれた よ ・ ・ ・。中途半ぱに弾いていると痛くて弾けないので、痛みを感じない位に思いっきり、力を り、トールさんは、ホブドから電話をかけてきて、ヤタグの勉強はどうかと気遣ってくれた。ムンフス 込めて弾くようにすると、知らないうちに本当に“歯をくいしばりながら”弾いていたりする。先に書 フさんとは、音楽学院で一度会って、来年の夏に、みんなでホブドで遊ぼうと、約束したので、私 いた反発弾法の時にも、弦に指が当たる時に、つめ側に相当圧力がかかっているはずで、指先 は来年の夏は、ホブドへ行かなければならないよ . . . 。なんか、本当に実現しそうで、怖い。 全体がはれてしまうし、最初の2週間は、私の指はボロボロでした。う∼ん、強烈すぎるぜ、 ツォルモン先生とオヨンナ モンゴル琴。 私は、とてもきれいなヤタグを売ってくれた音楽学院の学生のオヨンナは、来年の1月頃に、 演奏旅行で日本に来るとのことで、その時、東京で一緒に遊ぼうね、と約束した。 他にも、インドラーのおじいさんや、彼女の友達のオルトナッスン、帰りの列車で仲良くなった 楽器自体も、現在の中国箏は、改良されて、 音域、音量、形状などの面で西洋楽器との合 アリオンバット、みんなが、また、モンゴルに遊びに来てね、と言ってくれた。とりあえず、日本でも 奏にも対応できるようになっているのに対し、ヤ ちょつとモンゴル語を一生懸命勉強して、来年は必ずみんなに会いに行きたいと思っています。 タグは、ほとんど琴の原型に近い状態をとどめ 今度は、“ウランバートル & ホブド、モンゴルの友達に行こうツァー”だね。みんなそれまで、寒 ているため、特に、音量に関しては限界がある い冬をがんばって乗り切ってね!!来年は、また必ず会おうね!! のですが、逆に、それ故に、中国箏が失ってし まった素朴な温かみのある音を出しているよう にも感じます。 しか∼し、、、原形に近いため体験なのが調 12 追 記 ・ ・ ・ という事で、私にモンゴル語を引き続き教えてくれる、モンゴル語の先生と、ヤタグとの合奏をや ろうという楽器の出来る方、大募集!! 連絡くださ----い 13 草原に草なし、異常気象か!! 大地が大きくえぐり取られ、浸食が急激に進んできています。1度、草のはえる堅い大地がえぐ 大 島/1998.07.24 られると、その下はもろく痩せた土が現れ、ゴビ化へ拍車をかけることにつながります。 草のない草原の遭遇は、私たちの日常生活とつながっていないだろうか 地球環境・温暖化が叫ばれてきています。すでに自然現象ではなく、人為的なことははっき 夏、ウランバートル空港に降り立つと、草原の緑と、小高い山々の青々とした光景が飛び込 んできます。そして、ナーダム(7月11日)には、馬がたっぷりと青々とした牧草を食べて、うまい 乳を出します。遊牧の民は、栄養たっぷりの馬乳酒を飲む季節のはじまりです。 家畜が今の時期に痩せているとは しかし、このナーダムの時期、今年も昨年に引き続き、この草原の青々とした光景は、ありま せんでした。私たちナイラムダルの草原での基地(特設ゲルがあり乗馬、遊牧民のゲル訪問を する)、アルタンボラック地区も同じように夏がまだ来ていませんでした。といっても、ナーダムの 7月11日は、熱風が吹き、35度を遙かに越えて40度以上に跳ね上がりました。 りしてきています。その原因を作り出してきたのは、世界の中でも日本の責任は重大です。正確 には、日本の大企業といえますが、それを見逃してきているのは、私たち一人ひとりなのかもし れません。今、ゴミ問題がクローズアップされていますが、根本原因を考え改めるのではなく、私 たちにその責任転嫁がされ、分別ゴミ収集という「対策」となっています。原因は、企業の塩化ビ ニールなどの包装や過剰包装、使い捨てを控えるべきであり、行政はこの規制を徹底するべき です。 問題の根本原因は、日本企業の飽くなき利益追求の結果と言えます。これが、私たちがせ っかく大自然を残したモンゴルに1週間という短い休暇を利用して滞在しても、草のない草原に 遭遇することになったと言えます。 モンゴルでは夏がくると、スコールのような雨が降り、日一日と草原の緑が濃くなって、家畜 が肥えて、うまい乳を搾乳し、さまざまなツァガン・イデェ(白い食料)を食する豊かな季節という 意味があります。そのはじまりがナーダムなのですが ・ ・ ・ ・。 しかし、今年もなぜか豊かであるはずの夏は遅く、ただただ暑い日が続き、生命を生み出す 会員からの便り 雨が降っていませんでした。遊牧民は「このままだと、ゴビ(砂漠)へ急速に進みかねない」「昨 森/石巻市(10.06) 年も同じようだったが、これからどうなるのか」「家畜が今の時期に痩せているとは」と、不安を募 らせていました。 大自然とともに生きる人たちにとって死活問題 私は、この数10年東京に住み、仕事に追われて生活していた際は、季節感を持つゆとりが ないばかりか、一年中季節の食料に関係なく生きてきたと言えます。ただ、改めて、数10年単 位で振り返ってみると、東京でも冬は、降雪量も寒く感じる日も少なくなってきているし、夏は、よ り蒸し暑く暑い日が続くというくらいしか思い浮かびません。 しかし、大自然とともに生きる人たちにとって、天候の大きな変化は、死活問題になりかねま せん。私の知る限り、モンゴルでは、場所にもよりますが、5∼6年前から集中して大雨が降る傾 向にあるのではないかと思います。ウランバートル市内でも、この間、大雨のため車が60∼70 台も自由市場で流され、死者もでたり、床上浸水も起こるという事態が起こりました。その後も、 毎年のように水害が起きています。また、1992年、冬には、西の山岳地帯で、水分を多く含ん だ大雪のため60数万頭の家畜が、雪の中に孤立し共食いも含め死ぬという事態も起きました。 合わせて、毎年春になると熱風などで草原火災が起きますが、1996年は特に降雪量が少なく 乾燥がひどかったために、大火災へと発展し、5月末から6月はじめの草が芽を出す季節まで 待たざるを得ないという状況になりました。 さて、私たちナイラムダルの基地アルタンボラック地区も、ここ数年の夏の集中豪雨のため、 14 バダムスレンに女の子誕生!! 朝夕はすっかり涼しくなりました。お元気でお過ごしのことと思います。昨日は「モンゴルから の風」お送りくださいました。ありがとうございました。 私もバダムスレンからのうれしい知らせを待っています。 ヤブホランの詩を読み、思い出したことがあります。モンゴルに行った時、ウランバートルの博 物館に行ったとき、売店で買ったハンカチに、モンゴル文字で詩が書いてありました。バダムス レンに訳してもらったところ「私の生まれたところは、こんな ・ ・ ・ ・ 自然の中 ・ ・ ・ ・ 」 と、故郷の自然の美しさを詩ったものでした。もしかしたら、あれもヤブホランの詩だったかもしれ ません。ハンカチの文字の書き方が、とてもすてきだったので、その詩の写真を使ってカレンダ ーを作りました。では、お元気でお過ごしください。 * * * * はがきを出そうと思っているところに、バダムスレンから便りが届きました。 9月24日に「女の子」を無事出産なさったそうです。名前は書いてありませんでした。 母子共に元気でいるそうです。わが娘の出産のように、うれしい気分です。来年の夏は、ぜ ひ、赤ちゃんを見せてもらいにウランバートルに行きたい気分になってしまいました。 ではごめんなさい。 15 16 17 私の生まれたふるさと 1933年作 チツァグドルジュ作 翻訳/ダワドルジュ ヒンタイ、ハンガイ、サヤン山脈の美しい山々 北方の華麗なる森林と山々 マナン、シャリガ、ノミンの広大なゴビ(砂漠) 南方に延々と広がるゴビ これは私の生まれたふるさと モンゴルの美しい大草原 ヒルリン、オノン、トーラの静かに流れる河 人々の身体を癒やす渓流といでゆ ホブスグル、オブン、ポイルの青々とした湖 人と家畜の命の水となっている水流 これは私の生まれたふるさと モンゴルの美しい大草原 オルハン、セレンゲ、ホホイの美しい河 豊かな鉱石を抱く山々と丘陵 残存している古代の名勝古跡 遠方へ延々と延びる道筋 これは私の生まれたふるさと モンゴルの美しい大草原 遙か遠方から望む雪山の頂上 さわやかに晴れ渡った天空 千里からも望める岩々と峰壁 人の心に安らぎを与える大草原 これは私の生まれたふるさと モンゴルの美しい大草原 ハンガイ(山脈)とゴビ(砂漠)をつなぐハラハ大草原 幼い頃から四方八方へ走ったところ 野獣を狩猟してきた丘陵 鳥を捕らえた美しい谷間 18 これは私の生まれたふるさと モンゴルの美しい大草原 家畜の餌になった青々とした牧草 美しく連なる丘陵 4つの季節を自由に移り変わるところ 五穀の豊かに実る田園 これは私の生まれたふるさと モンゴルの美しい大草原 美しい山麓に眠る祖先の墓地 子孫を育ててきたところ 五畜の生きるところ 我々モンゴル人の心を引きつけてきたところ これは私の生まれたふるさと モンゴルの美しい大草原 冬の酷寒に雪が覆い 水晶のような光放つ白雪があるところ 暑い夏に草花が咲き乱れたところ 渡り鳥が群がってさえずり響きわたったところ これは私の生まれたふるさと モンゴルの美しい大草原 アルタイ・ヒャンカン山脈に渡って豊かな鉱石を埋蔵したところ 父母が幸に生きてきたところ 太陽の輝きが平和を定めたところ 月の輝きが永久に存在したところ これは私の生まれたふるさと モンゴルの美しい大草原 モンゴルという名は世に響き渡っている モンゴルという魂は心に宿る 延々と語り続けられてきた言葉と民族の文化 永久にありつづける故郷、離れがたい故郷 これは私の生まれたふるさと モンゴルの美しい大草原 19 投 稿 モンゴルの児童文学の現状−2 れている。『ジグミドとトグミド』は果物摘みにでかけた二人の子供のかわいらしい歌である。ヘン ティー県ムルン村は今後 5 年に1度、全国児童文学作家会議を当村で行うことを決定。村をあ げて児童文学の発展のために取り組む姿勢を掲げている。 ウランバートル在住/ 津田 紀子 5.児童文学作家の会 1991年、モンゴル、ロシア連邦のモンゴル系住民が数多く居住しているブリヤート共和国、 ハリマグ共和国の児童文学作家の会「モンゴル民族児童文学作家協会」が設立された。この組 織は 91 年の設立後、4 年間は雑誌の発行や子供ナーダムの共同開催、優秀な児童文学作品 に贈られる「アルタンオナガ(金の馬)」賞授与など活発な活動を行っていたが、現在は経済的 事情によりお互いの行き来や連絡が難しくなったため、活動は下火になっている。 * ムングニー チミド 1919 年生まれ。ゴビアルタイ県タイハル村出身。1979 年 モンゴル作家同盟賞受賞。現在活躍する児童文学作家の中 では最も高齢だがしっかりした語り口だ。代表作は『小さな白 い子ラクダとウルジー』、『サンダグとドンドグ』など。若手作家 の育成にも力を入れ、多くの弟子がいる。 * ドルジーン ガルマー 1937 年生まれ。1982 年 『大地と天』でナツァグドルジ賞、1989 年モンゴル国家賞受賞。 98 年2月から3月にかけて東京で開かれたモンゴル映画祭に 6.作家紹介 出品された『また馬に乗りたい』『フフーの結婚』の脚本家でも * D.ソドノムドルジ ある。小説、脚本、児童書など様々なジャンルを手掛けるが、 1998 年8月 29 日、ウランバ 児童向けでは『楽しいお話』、『幼稚園に行ったお父さん』など ートルから約 300 キロ離れたヘ が有名。氏の作品は温かみのある笑いに溢れ、笑い話や楽し ンティー県ムルン村で「D.ソド い話の大好きなモンゴル人に人気がある。ちょうどノモンハン ノムドルジ生誕 70 周年記念 事件についての映画『ノモンハンの桜』の脚本を書き上げたと 祭」が行われた。モンゴルで活 ころだそうだ。 躍する児童文学関係者約 30 名が参加し、モンゴル児童文 学界における今年の大きなイ ベントとなった。 当日は雲一つない紺碧の 空の下、村中の正装した老若 男女が馬に乗って中央広場に集合。拍手と歓声と馬のいななきの中テープカットが行われ、ソ ドノムドルジの活動を記念した銅像が公開された。 * ソドノムドルジ(1928 年∼1989 年) ナツァグドルジ賞受賞作家において特筆すべきことはモンゴルではじめて「児童文学作家」 という立場を確立したことである。モンゴルではひとりの作家が大人向け作品、児童向け作品を 手がけるのは今でも一般的だ。自ら「児童文学作家」を名乗り児童に向けた作品のみを書いた のは彼が初めてと言っていいだろう。彼の作品の中では『ノロブの出来事』、『ジグミドとトグミド』 がとりわけ有名である。『ノロブの出来事』は身の回りのものを乱暴に扱ういたずらっ子が、夢の 中で鉛筆やノートなどに仕返しされ、その後はものを大切にするようになる話がユニークに描か 20 * ジャンビーン ダシドンドグ 1944 年生まれ。ボルガン県ブレグハンガイ村出身。モンゴル 児童文化基金会長。詩人、児童文学作家。モンゴルの子供が 描いた絵に詩を付けた『お父さん お母さん ぼく』は社会主義 各国で翻訳された代表作だ。 彼の詩は馬に乗って学校に行く様子(馬に乗る、並足、速足、 駆足、学校に着く、馬から下りる)を描いた詩『アランザルゼー ル』、馬乳酒が発酵する様子を「・v 音を多用して表現した詩『馬 乳酒』などたとえモンゴル語がわからなくても音とリズムで情景が わかるのが特徴だ。研究者からも高く評価されかつ子供にも親 しまれている。彼は現在モンゴル児童文化基金代表として国内 外の作品を出版する活動に打ち込んでいる。児童書専門店、児童書図書館、遊牧民のための 移動図書館なども考案中だ。 またモンゴルでは「絵本作家」と呼べる人材がいないため、その育成に力を入れている。その 21 ため彼の下には将来絵本作家になりたいと希望する、国内外の絵画コンクールで賞を受賞した 実力を持つ若い人材が多数集まってきている。 憧れのモンゴル紀行−2 * ダン−アーギーン オイドブ 1939 年生まれ。バヤンホンゴル県、ジャルガラント村出 8月8日∼15日/遠武 淳子(福岡市) 身。工学博士候補。彼の専門は工学であり、部屋にはコ ンピューターや天体望遠鏡が置いてある。作品のほとん どはSFだ。エンジニアの仕事も文学作品の執筆もどちら も大好きで片方だけを選ぶことなどできないそうだ。代表 作は『Dr.バターの研究』 空港を出発した車は、住宅街を通っていく。しかし、住宅街といっても一軒家はほとんど見あ たらない。多くが4,5階建てのアパートなのである。それも古いか新しいか極端なアパートが多 * O.ソンドイ かった。古い方は社会主義時代にロシアの援助を受けて、新しい方は民主主義時代に建てら 若手作家。モンゴ れたそうだ。これらのアパートだけでなく空港近くにある巨大な発電所や、鉄道、炭鉱なども全 ル教育大学を卒業後、 てロシアの援助でつくられたらしい。私はかなり驚いた。モンゴルがそれほどロシアに助けてもら 小学校の教師をしていたが、現在は児童文学作家活動に っていたのなら、ロシアとの関係も希薄になりつつある今、バギーの生活にも大きな変化があっ 専念している。ソンドイ氏が「これは私の宝物なんです」と言 たのではないだろうか。バギーは少しうつむきながら停電が多くなったことを話してくれた。発電 いながら鞄の中から大切そうに取り出したものは児童の描い 所からロシアの技術者が引き揚げ、部品の供給が停止したのが原因らしい。モンゴルの冬は、 た詩と絵を綴じた冊子。翼の生えた犬など想像力豊かな絵 零下20度以下になる日も珍しくないのに、停電により電灯や暖房が止まるというのは、命に関 が描いてある。「これを見ているといろんなアイデアが浮かん わる問題である。ましてや病院ともなるともっと深刻になる。私がここに来て初めてモンゴルで暮 できます。子供達が私の児童文学の先生なんです。」と話 らすことの厳しさを感じた瞬間であった。自然条件だけではなく政治的背景も深く関わっており、 す。昨年自費で出した物語集『自慢屋の小鳥』は 1000 部 簡単に解決できるような問題でないことが、バギーの少しうつむい表情から察せられた。 印刷してほぼ売り切れた。 * * * * いよいよバギーのアパートに着いた。4階建てで少し外装が古びていた。中に入って驚いたの * * * * 最後に は、玄関のドアが2重になっていることだった。防寒と犯罪防止のためだそうだ。部屋の中は外 観と違いきれいに内装されていた。そしてそれぞれの壁には、畳4畳ほどの上等なじゅうたんが 自費出版する以外自分の作品を発表する場をもたないモンゴル作家にとって現在の状況 はってあった。モンゴルの民族的な絵が描かれており、異国情緒たっぷりの代物である。これも は非常に厳しい。作品を書くという作家本来の仕事に加え画家探し、レイアウト、版下作成、印 防寒のためだそうだ。モンゴルの冬の寒さは、想像を絶するものであることが、これら2つの例を 刷所との交渉、販売、代金の回収などもこなければならないからだ。今一番求められているのは、 見てよくわかる。他はほとんど日本の生活スタイルと同じだった。 出版社の設立であろう。販売と代金回収におわれる作家を見る度、企画立案・制作・宣伝・販 少し休憩をとってから博物館に出かけた。途中タクシーに乗ったのだが、それは普通の人が 売を一括して行い、作家には印税を支払うシステムの確立が必要だと感じる。また児童図書館・ 運転している車を止め、相手と値段を交渉して乗るものだった。どうしてこのような形になってい 書店の設置、国外の優秀な作品の翻訳出版、児童向け雑誌の発刊なども求められている。 るのかというと、日本で言う正規のタクシーはモンゴルで20∼30台しかなく、なかなか乗れない しかし「本当に厳しいんだけどね、この道から離れることなんてできないですよ。」と話す若手 からだ。そんなこととはつゆ知らず、私は変わったタクシーだなと思いながら乗っていた。途中あ 作家ソンドイ氏、そして何と言っても目を輝かせて詩やお話の朗読に聞き入る子ども達の顔を ることにふと気がついた。何と道路の中央線がないのである。だから車同士がすれ違うときに、 思いうかべるとこの厳しい状態から脱する日はそう遠くないと確信できる。モンゴルの児童文学 すれすれになることもある。それに横断歩道もほとんどなかった。なのにみんな結構なスピード 発展とモンゴル・日本の児童文学の交流のため、今後も微力ながら関わり続けていきたいと思 で走っている。10万人あたりの交通事故率が日本より高いのもうなずける。最近のモンゴルで っている。 は車社会が浸透しはじめ、車の数がぐっと増えてきている。交通整備と交通マナーの徹底が早 急の問題となっているのは間違いない。 * 22 * * * 23 博物館では恐竜の骨格標本や卵の化石などを見て周り、夕方になると草原へ向かった。正直 に言うと、ウランバートルから見える周りの風景は私の予想外であった。なぜなら、あまり日本と 変わらなかったからだ。どんとそびえ立つ山の麓に適度な草原があり、ちょろちょろと放牧してあ 民と私の食べるという行為の歴然とした差はいったい何なのか。 * * * * 遊牧民は自給自足の生活である。日常食べているものは、自分たちで育ててきた家畜の恩 る羊や馬がいた。これなら北海道でも出会える風景だった。私の過剰な期待が悪かったのだろ 恵によるものである。だから馬乳酒を飲むときは「最近あの馬の乳の出がいいな。餌場がいいせ うか。それならこれから行く草原にも期待してはいけないと思った。私は憧れているものを理想 いか食欲もある。これからも期待ができるぞ」と話しているのかもしれないし、お肉を食べるときは 化しすぎてしまい、突如その現実と出会ったときに失望してしまうことが間々ある。きっと今回も 「この肉はうまい。大事に育てたあの羊をちょうどいい頃合に食べているからさ」と口々にしてい そうなったのだろうと、1人よがりな自己分析をして車に乗っていた。しばらくすると私は息を呑ん るのかもしれない。このように自分達が食べるものには全て思い入れがある。自分達の頑張った だ。息を呑むと言うより息がしばらく止まったという表現の方が適切であろう。私の目の前に見え ことや苦労したことが食べ物を見るほどに思い出される。そして自分達が生きていくために犠牲 てきたのはさっきの草原の何百倍もありそうな広大な草原が、あたり一面に広がっていた。草原 となってくれた家畜や、その家畜に草を与えてくれた自然にも彼らは自ずと感謝している。これ だけではなく、山々もそれぞれの形や大きさに深い意義でもありそうな神々しさがあり、全てを受 は遊牧民を訪問したときに行われていた祭りや、彼らが歌う歌や話の中に頻繁に家畜や自然 け入れてくれそうな包容力も兼ね備えていた。私はこの時ほどさっきの自分が井戸の中の蛙で への愛情が込められていることによって伺えた。このように、これほど色々な思いを込めて食べ あったことを痛感したことはない。この世のものと思えないほどの大きさと美しさであった。色は山 る遊牧民の食事はどれほど美味しいものであろうか。噛んで飲み込むという食べる行為に、これ も草原も単色の緑であった。その緑を言葉で表すことは至難の業であるが、強いて言うならば ほどの目に見えない付加価値が付いたとき、本当に心も体も満たされる豊かな食事ができるの 私の考える新緑の緑を、3回ほどろ過したものということになる。それほど不純物の少ない、澄み かもしれない。ましてや家畜からの恵みを食べることで自分達の命がある。食べられないと言うこ きった緑と言うことになる。行けども行けども距離が進んでいるようには思えない。近くにありそう とはまさに死をあらわす。食べることが生と死を直結しているのだ。私は人間を頂点とする食物 な山もなかなか近づかない。これは空気の透明度が高いと言うことと、色が全て単色の緑と言う 連鎖の厳しさを肌で実感し、恐怖感で少し身体が震えた。食べることがこんなにも深く重い行為 ことで、遠くにある山も近くに見えるらしい。ウランバートルからの2時間はなんとも言えない夢の だったとは ・ ・ ・ ・。遊牧民は毎日同じものを食べて飽きがこないのだろうか、という私の幼 ひとときであった。 い疑問はいっぺんに吹き飛んだ。食べるという行為の前に、家畜や自然への深い思い入れと * * * * いよいよ私たちが生活するゲルに着いた。このゲルはバイカル湖につながるトーラ川沿いにあ 死の恐怖感を持っているので、飽きがくるという感情は出てこないのだろう。 * * * * った。この川沿いには背丈ほどの濃い緑の木々があるだけで、あとは澄みきった緑の草原と山 では飽食の時代と言われている中で、私の食べるという行為はどうなっているのだろうか。私 の雄大な光景が360度広がっている。私はこう惚として見とれていた。夢とも現実ともわからない が今まで食事をする上で重視してきたことは、どれだけ美味しいかということであって、そこに出 この果てしない空間に、私は息を潜め、ただ立ち尽くすしかなかった。ここで4日間生活できると てくる食べ物の生きざまや歴史などは二の次であった。原因は日本での食べ物のルートが分か 思うと嬉しくて顔の筋肉が緩みっぱなしであった。4人づつ別れてゲルに入るのだがその外観 りにくいせいもあるが、やはりそれらに対する私の関心が低いからであろう。よって食べ物に思い は、羊の毛で作られたフェルトという分厚いテントでできており、床にはこれまた、羊の毛で作ら を馳せることはあまりなかった。しかしそんな私でも祖父からもらったお米や野菜に対してはい れたじゅうたんがびっしり敷かれていた。真ん中には暖炉があり、本物の遊牧民のゲルに極力 つもと具合が違う。食事の時に母が「これは祖父からもらった野菜でつくったのよ」と言うと、その 近づけてあった。実際、本物の方にはこの他に簡単な家具やベットなどが置かれてある。 品に対しての価値はがらっと変わる。美味しいかどうかと言うことは二の次になり、汗だくで働い 早速食事の用意ができたと告げられ、食事用のテントに入ってみると、とても驚いてしまった。 ている祖父の姿がまず浮かび上がる。そして孫のために作ったんだよと言わんばかりの優しい そこに出されていたものは、マトンという肉まんの皮だけのものや、ボーズというしゅうまい風のも 祖父の顔が頭をよぎり、それだけで胸がいっぱいになる。小さい頃から多少苦手な野菜でも、 の、ホーショールというギョウザの5倍ぐらいのもの、スーテーチャという牛乳と紅茶を合わせたも 祖父が作ったものであれば食べることができたのは、野菜を通して祖父の苦労や優しさという目 の、羊の肉を焼いたもの、羊の乳のチーズ、野菜などであった。これは日本で言えばお盆とお に見えない付加価値を感じていたからではないだろうか。もし他の食べ物にも同じような感情を 正月がいっぺんにやってきたと言うくらい豪華で、最もモンゴル人に親しまれている料理の品々 持てたら、私の食べるという行為は随分と意味合いが変わってくるだろう。そしてそれは、今のよ であった。味もとても美味しく、心ゆくまで堪能できた。しかもこんな料理がさまざまアレンジされ うに健康なときだけでなく肉体的にどんな状態になっても、食べ物に対する温かな思いは精神 て、4日間続いたのだからとても嬉しく有り難かった。しかしこれが本当のモンゴルの食生活では 的なものなので変化することはない。例えば病気になり、一時期食べ物を口にできなくなったと ない。普通の遊牧民の食事は、馬乳酒という馬に乳のお酒と干しチーズと羊肉うどんなどである。 き、何かを舌の上にのせてそれを噛み飲み込みたいという欲求は募るであろう。私なら欲求不 これが毎日続く。続けばいい方で冬から春にかけて最も食料がなくなる時期には、干し肉や干 満になり、そのことを嘆くに違いない。しかしそんな心の中に1パーセントでもいいね頭の中で今 しチーズで食いつなぐ。1年を通してほとんど野菜は食べない。これが草原の食である。私はこ まで食べてきた物の生きざまや、それに関わる人たちの思いを想像するだけで、きっと心の豊か の4日間、ご馳走を目の前にする度に考えていた。食べると言うことはいったい何なのか。遊牧 さのバロメーターは変わってくるに違いない。 24 ― つづく ― 25 1998年 第8次 モンゴル民族音楽ナイラムダル・コンサート 「モンゴルからの風」を振り返って い!」という声も多く、あるホーミーオタク?の方は聴きながら涙が出てしまったほど感動したそう です。 やっと、忍野にも「モンゴル」というものが浸透してきたような気がします。なんとか忍野村文 化振興協会という組織を継続して、定期的なコンサートにしていきたいと思っています。 /_/_/_/‾\_ /_/_/_/_/ 山梨県 マウント富士 site _/_/_/ 04 Dec 1998/田辺 明治 ――――演奏家プロフィール/ホブド県音楽劇場民族音楽アンサンブル所属―――― ホーミー(HFFBNA)歌手 N. センゲドルジュ/Ygyrn; VTYUT:KJR シュドルガ(三味線/IE:JGUG)奏者 S.ネルグィ/Vgy;earg. YTJUOA ヤトガ(琴/ZMUG)奏者 Ts.トール/Wtt'nl MEEL モリン・ホール(馬頭琴/BKJNY HEEJ)奏者 D.ムンフスフ/:girg. BFYHVOH 通 訳 / オトゴンバヤル ・ バトブヤン 【習志野市民会館ホール、会津坂下町公民館、市原市民会館/10.20−23】 大草原の響き:アルタイの山への祈り;この目で見た「モンゴル・コンサート」 福島民友10月20日 千葉の習志野、福島の会津坂下、千葉の 市原のコンサートに同行し、車の運転、音 響ディレクター、通訳などで、コンサートの 10月14日(水) ウランバートルから関西国際空港経由にて羽田空港に到着/馬場、大島 お手伝いをしながら一部始終を見聞きして 16日(金) *忍野村ふれあいホール(山梨県)/小畠、関口 来ました。 17日(土) *なかのZERO小ホール(東京都)/門叶、他多数 19日(月) *豊島区立駒込小学校(東京都)/土屋、富永雅枝、富永 *豊島区立池袋第3小学校(東京都)/土屋、富永雅枝、富永 会津坂下町の公演は、国際交流協会 (町が事務局)の主催で、超満員。町の係 の方が、この公民館始まって以来の入りだ といって嬉しい悲鳴を上げていました。地元 20日(火) *習志野市民会館ホール(千葉県)/日下、大島 21日(水) *会津坂下町中央・坂下公民館(福島県)/日下、須崎、富永 22日(木) *市原市民会館(千葉県)/日下、富永 主催者から、会津の特産品=絵ろうそく 23日(金) *豊島公会堂(東京都)/土屋、他多数 と、当日会場入り口に置かれたカンパ箱(ズ 24日(土) 新聞2紙にのり、さらにカラー刷りのチラシを 全戸(2万)配付したといいます。 ッシリと重い)、そして、モンゴルの貧しい子 関西国際空港経由にて、帰国/関川、小野寺 /ナイラムダル:当日の担当者 供たちにノートが、団長のセンゲドルジュさ んに手渡され、お返しに写真付きのサイン 色紙が、国際交流協会の代表に手渡され 【忍野村ふれあいホール/10.16】 忍野にも「モンゴル」というものが浸透!! いつかはモンゴルの草原で、風に触れ、満天の星空を見たいという夢を抱いていた。風のさ さやきに耳をそばだて、馬の蹄の音に遙か彼方の異国からの便りに思いを巡らせてみたかった。 ました。モンゴルが本当に近くて近い国に 感じられた瞬間でした。 日本軍が起こしたノモンハン事件を、い そんな折り、モンゴルから風や音、土の匂いを一杯に詰め込んだ演奏家達がやって来るという。 まだに経験した老人が生きているモンゴル 忍野で実現するために何度も連絡を取り、今年最初の来日公演となった。 と、2度と戦争を起こしてはならないと、強く 夢心地の一日で、ホーミーや馬頭琴の音色に聞き惚れ、モンゴル行きの思いが益々強くな 心に誓ったのは筆者ひとりではあるまい。 その夜、モンゴルの友人たちは、「エー ってしまった。 * * * * 忍野村ふれあいホールでのコンサートは、3回目になりますが、今回、約300人の入場者数 があり、モンゴルからの風としては過去最高でした。 ジ(母)の歌」を歌ってくれた。ああ、モンゴ ルの歌は、本当にいい。 12.09/日 下 昇 入場者数だけではなく演奏も素晴らしく、特にホーミーには感動しました。「もう一度聴きた 26 27 1998年夏 第8次 モンゴル交流の旅―――参加者感想――― ホームステーでゆくモンゴル 乗馬三昧 & 遊牧民ゲル生活体験 中央ゴビ大草原を馬で駆ける ホームステーを経験してどのように感じましたか 1.ホームステー 大変良かった 2.市内散策 80% 大変良かった /良かった 60% 20% /良かった 40% 乗馬・ゲル滞在・遊牧民ゲル訪問・交流など全般についてどのように感じまとたか 1.特設ゲル 大変良かった 80% /良かった 20% 2.乗馬 大変良かった 80% /良かった 20% 3.遊牧民ゲル訪問 大変良かった 90% 4.交流 大変良かった 80% 5.通訳 大変良かった 90% /良かった 10% /少し不満が残った 20% /良かった 10% 感動したもの □草原など自然/100% □乗馬/100% 読売新聞 10月20日 □モンゴル人との交流/90% □市内観光/20% □民族音楽コンサート/30% □ホームステー/80% □遊牧民ゲル訪問/80% □食生活/30% □その他/10% 7泊8日の期間について ■コンサート・グループから感謝の MAIIL/10月25日■ 10月24日、コンサートグループは無事帰国しました。そして、30日には、故郷(ホブド)に 帰るとのことです。ナイラムダルの皆さんありがとうございました。(ダッシュドルジュ) * * * * * ナイラムダルのみなさん、そして、コンサートを準備して下さった人達、そして、コンサートを 聞きに来て下さった人達に感謝します。大変お世話になりました。多くの日本の人達にモン ゴル・ホブドの民族音楽を紹介することが出来ありがとうございます。また、多くの人達に会うこ とができ、また、日本のことも知ることが出来ました。 是非、今度は、ホブドに来て下さい。また、お会いすることを楽しみにしています。 センゲドルジュ、ネルグィ、トーラ、ムンフスフ □長い/10% □丁度良い/70% □短い/20% 宿泊ゲルの設備について □よかった/100% □まあまあ/0% □ひどかった/0% 1.ホームステーについて 篠 原 若い夫婦の家でした。ご主人は外交官で何度か海外に赴任しているため、家族全員が英語が 上手で助かりました。年齢が近いので、夜はナイトクラブに連れていってもらったり、話題も会うの でとても楽しかったです。大変気を使ってくれて、また、私の要望もたくさん聞いてくれて親切に コンサート成功することが出来ました、多くの方々、ご協力ありがとうございました していただきました。 今回で第8次のコンサート(延べ157回公演/内小学校など59回公演)になりますが、多く の方々の協力で、モンゴル民族音楽を紹介することができ、友好のきっかけの輪を、さらに広げ 上 ることができました。ありがとうございます。次号に、コンサート参加者の感想など紹介します。 ホームステーという経験が初めてであったが、大変親切であり、細かい心遣いに会って楽しい思 また、今年の春、私が田舎に戻ることに伴い、中野の事務所も閉鎖したことから、今回のコン 岡 い出になった。ステー先には、高年齢のものがお世話になって大変だったと思う。もっと若い人 サートから富永さんをはじめ東京のスタッフが苦労をして準備をすすめてきました。大変でしたが、 であれば、それだけ他の面白みもあったと思う。その点で、多少恐縮している。大変ホットなもて 来年も続けていこうと張り切っています。今後とも、よろしくお願いします。 なしに感謝しています。 /おおしま 28 29 中 西 ホストファミリーはすごく良くしてくださった。 最終日にザハに行きたかったが、雨で行け なかったのが残念でした。 山 口 ステー先での時間が短かったが、大変親切 にしていただいた。また、現地で友人に連 絡を取ってもらったり、ザハに連れていって もらったりと、短い時間でも充分使えた。感 謝しています。 藤 下 ホームステー先の方はねとても親切。一つ ひとつ気を使ってくださって、かえってこち らが申し訳なかった。 久 間 トイレ、シャワールームが壊れていて、水が 出ないのが、ちょっと不満でした。もちろん 家 でシャワーを浴 びればよろしいのです が。一家に一台の車より、タクシーやテクシ ーを使うことが多かったので、羽田に着く前 にシャワーを浴びたかった。英語でガイドす ることを希望していたが、日本人の方が多 いので日本語の勉強を今年秋から始めよう かと話していました。 岩 城 家族のみなさんが笑顔で本当に歓迎してく ださってとても嬉しかったです。トゥーラさ んとナラさんが、いろんな所へ連れていって くれました。私がどこへ行きたいかを一番に 考えてくれました。ディスコにも連れていっ てくれて、モンゴルの若い人達と一緒に踊 るなんて、本当に貴重な体験をしました。ホ テルに泊まるようなツァー旅行とは全く違う 本当に交流の旅でした。 モンゴルを知るポイントを考える⑦ /おおしま モンゴルの人々との交流の魅力「ふれあい」とは!? 特に、夏の休みにモンゴルを訪れる人々は、どんな目的、興味を持っているのでしょうか。 土 屋 モンゴルの人に会えて良かったです。 小 林 とてもとても楽しいホームステーでした。ただ パンフレットにホームステー先のおみやげ は必要ありませんとあったので、何も用意し ていかなかったのに、逆におみやげをいた だいてしまい恐縮してしまいました。また、ど のような家庭にホームステーできるのか前も って分かっていたら、準備がもっと出来て良 かったと思います。 一般的に言えば、「モンゴル人は、日本人の祖先?!」「蒙古斑点を持っていることから親近 感がある」「モンゴルの大草原、自然にふれたい」「遊牧生活をしている素朴な人たちに接したい」 「草原の自然の中で生活体験をしてみたい」ということでしょう。最近は、「草原を馬で走ってみた い」と言う人が増えてきていいるようです。 このことから、現実の生活から離れて「自然の中に!」 「親近感のあるモンゴルへ!」と、「自 然」と「人のぬくもり」への“ふれあい”ということでしょうか。このモンゴルへの「旅」は、これまでの 「観光」「買い物」「アリバイ」という海外ツァーと違い、新しい流れと言えると思います。 * * * * そして、ナイラムダル夏の交流参加者をはじめ、モンゴルの人といろいろ話をしたい、友だちに なりたいという人が増えてきています。しかし、単に「親しくなりたい」ということにとどまっている風潮 遠 武 家族の一員として受け入れてくれたので、 気を使わずに楽しく過ごすことが出来まし た。家族みんなが仲良く、その雰囲気でこ ちらの心も温かくなりました。バギーも明るく 気さくで、その上親切だったので、とても仲 良くなりました。モンゴル人の生活様式や考 え方を知る上でもホームステーはとても役に 立ちました。 が強そうですし、まだまだ消極的で、例えば、遊牧民のゲルを訪問しても質問があまり出てこなか ったりと、受け身の感覚が強そうです。何か自らの関心事を持つことが問われています。 また、私は、毎年のように帰国の飛行機の中で遭遇する若い人のひとつの特長は、一週間の 滞在で、「通訳と親しくなった」「モンゴル人の友だちができた」と、簡単に長年の友だちのようにな ったような錯覚に陥っている若い人を見ると、あっけにとられます。話を聞いていると、話し合って いる内容はほとんど聞かれません。 ナイラムダルの交流の旅は、ホームステー、ゲルでの生活では、語り合う空間と時間があり、さ らに会話集、通訳がついていることから、これをどう生かすかは、参加者一人ひとりがどうするかに かかっています。 *「事前にホームステー先が分かっていたら?」 事前に知らせるのは、受け入れ先の準備、決定の時間的関係から無理です。また、もし、知らせる ことが出来るとしても、どんな家族か安心するという事と、結局おみやげを持っていくためというこ とになるでしょう。ホームステー先は、信頼できる家族と、少しでも英語、日本語が分かる家庭を 選んでいますので安心して下さい。 (大島) また、単に知り合いになるだけではなく、知りたいこと興味のあることを話しあうなかで、自らの 考え方も問われてきます。そして、どんな信頼関係をつくるきっかけができるかということだと思いま す。 * * * * 話は変わりますが、日本の海外へ出かける人は、年間1800万人に達しています。日本に滞 在する外国人も急増しています。しかし、それよりもずっと以前から日本の大企業を中心に海外進 案 内/交流、モンゴルを知るために利用して下さい 出、資本輸出、物品の輸出入は、世界の隅々まで手を伸ばしています。そして、不況期に入って、 1.モンゴル語会話集(初めての方が、気軽に交流できるようにつくったものです)・ ・ 1500円 テープ基本編/1000円、応用編上下/3000円 2.ミニ植物図鑑(30種類紹介) 300円 3.その他/モンゴル滞在体験集・パンフレットあります。 いものです。すでに日常生活で食料、衣料など、生活全般に渡って諸外国との関わりは、切り離 連 せなくなってきているのですから!! 30 絡/165−0024 中野区松が丘 2−5−13−508(関川 昇) TEL.03-3387-8637 日本産業の空洞化も進んできています。ずいぶん以前から“国際化”が叫ばれてきていますが、 私たちにとって“国際化”とは、どんな意味をもつのでしょうか。身近な生活を通して考えていきた 31
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