前回に引き続きイタリア映画の巨匠を取り上げたい。第二次世界大戦終結

前回に引き続きイタリア映画の巨匠を取り上げたい。第二次世界大戦終結後のイタリアで、ファシズムに
対するレジスタンスや戦後の貧しい庶民の生活をドキュメンタリー・タッチで描いた一連の秀作がイタリア
ン・ネオ・レアリズモと称されて世界的に注目を集めた。ヴィットリオ・デ・シーカ、ロベルト・ロッセリーニを代
表とする新進気鋭の監督たちが活躍し、ある意味で映画史を塗りかえたといってもいい。ルキノ・ヴィスコ
ンティ(写真上)もまた、そうした精鋭のひとりとして、若き日には後期の耽美主義的な華麗さとは対照的な
リアリズム作品、たとえば秀作「揺れる大地」(48年)などを撮っていた。
ポスト・ネオ・レアリズモといえるフェデリコ・フェリーニやミケランジェロ・アントニオーニが台頭するのが50
年代の半ばから60年代である。「鉄道員」のピエトロ・ジェルミなど中堅どころが活躍したのもこの頃だ。本
国では巨匠として扱われるマリオ・モニチェリが活躍したのも50年代である。そういう時代にあっても、ヴィ
スコンティはまことに地道に淡々と独自の映画を作り続けていた。
甘い二枚目ファーリー・グレンジャーと「第三の男」で注目された女優アリダ・ヴァリを共演させた「夏の嵐」
(54年)は激情的な物語だ。当初はマーロン・ブランド、イングリッド・バーグマンで企画されたというが、こういうところに演出家としての自
信というか、素人俳優を操り人形のように使おうとするネオ・レアリズモ系の監督と明らかに一線を画するプロ意識が見て取れる。しかし、
結果的にハリウッドの二流の美男スター、グレンジャーと個性的なヴァリの共演が成功したと思う。グレンジャーはどう見たって不良っぽ
いブランドとは異なりヴィスコンティ好みのひ弱な美青年であった。おまけに、やはりモノクロを多用するネオ・レアリズモ系の監督とは
違ってカラーを使ったところがヴィスコンティらしい。ただ、「揺れる大地」でもコンビを組んだカメラマンのG・R・アルドーが撮影途中で急
死したため、ロバート・クラスカーに交替したというから、そういう観点で見直して見るとおもしろい発見があるかもしれない。いうまでもなく
クラスカーは「第三の男」成功の貢献者でモノクロ撮影の名手だが、この前にレナート・カステラーニの「ロミオとジュリエット」(54年)を
撮っていて、そのカラー撮影の実績をヴィスコンティが認めたからだろう。因みにカステラーニ版は数ある「ロミオとジュリエット」映画化の
中でも1,2を争う名作だとされる。オリヴィア・ハッシー主演のフランコ・ゼフィレッリ版(68年)も名作の誉れが高いが、ゼフィレッリはヴィ
スコンティの愛弟子であった。
続いて、マルチェロ・マストロヤンニとドイツの名女優マリア・シェルを主役に撮った「白夜」(57年、ヴェネツィア映画祭銀賞)がある。ド
ストエフスキーの原作を映画化した本作は、監督自身と名脚本家として名高いスーゾ・チェッキ・ダミーコ女史の共同脚色だけあって、お
もしろかった。第一、シェルが何ともかわいらしい。そうして、ネオ・レアリズモの最後を飾る作品群のひとつ「若者のすべて」(60年、ヴェネ
ツィア審査員特別賞)に至る。フランスからアラン・ドロンを迎えてイタリアの貧しい家族と兄弟の日常を描き、心の琴線にふれる秀作と
なった。勢いを得たヴィスコンティは再びカラーを用いて大作「山猫」(63年)をバート・ランカスター、アラン・ドロンほかオールスター・キャ
ストで撮る。没落貴族の末裔として生まれたヴィスコンティは社会主義者としての一面と、絢爛たる王政の時代への限りない郷愁を併せ
持ち、衰退間際に一瞬輝きを放つ貴族社会の歴史絵巻を描いて見せた。この映画はカンヌ
映画祭の大賞に輝き、その次の「熊座の淡き星影」(65年)はヴェネツィアで金賞を獲得する
という勢いだった。
カンヌとヴェネツィアを席巻したヴィスコンティ旋風はここまでだが、その後はむしろ横綱
相撲のような巨匠の風格が加わった。アルベール・カミュの問題作を映画化した「異邦人」
(68年)を経て、三島由紀夫が絶賛したことで知られる秀作「地獄に堕ちた勇者ども」(69年)
の退廃美。鉄鋼王として君臨する一家がナチスをうまく利用して新時代に生き残ろうとする
が、やがて主客転倒してナチスの牙の前に滅亡する。いわば滅びの美学とでもいうものが三
島の心を捉えて離さなかったのだろう。あるいは、傑作「ベニスに死す」(写真下、71年)の映
画美を見よ。ベニスの陽光に溢れた浜辺で、老いた作曲家が時のうつろいに翻弄されながら、自らの衰退せる肉体と魂の対極にある
瑞々しくも神々しい美少年を前にして胸のときめきを感じるという光景がいかに美しかったかを。それにしても、当時世間はヴィスコンティ
が北欧から連れてきたという絶世の美少年の話題で持ちきりだったが、わたしはといえば美少年に魂を奪われて苦悶する老作曲家を演
じたダーク・ボガードの名演に圧倒された。伝染病に冒された老作曲家が日ごとやつれていきながら、浜辺にいる少年に気取られないよ
う薄化粧する。髪の毛も漆黒に染める。それが、熱病で額から吹き出る汗によって、黒い筋となり頬を伝う老醜。むろん、少年はこんな老
人を見てもいないのだが、自意識過剰の老作曲家には恋する相手に病んだ姿を見られるのは居たたまれないのである。ドイツの文豪
トーマス・マンの原作ではマン自身を投影するかのような作家が主人公だが、映画化するにあたってマーラーを念頭に置いたとされる作
曲家に置き換えられた。まさにヴィスコンティ芸術の神髄である。
そうして、ドイツ三部作の集大成が「ルートヴィヒ」(72年)であった。ドイツ・バイエルン帝国の狂王として名高いルートヴィヒ2世の数奇
な運命を耽美的に描いたこの映画は、ことさらヴィスコンティの思い入れが深く、お気に入りの美男スター、ヘルムート・ベルガーを主演
に豪華絢爛たる装置と美術を駆使し、4時間の長尺作品を完成させたが、結局2時間半の普及版で封切られた(のちに3時間のディレク
ターズ・カット版が公開され、4時間の完全復元版がビデオ化)。このあと、「山猫」以来となる往年のハリウッド・スター、バート・ランカス
ターを起用して、ひとり住まいする老教授と周囲に集まってくる若者たちとの家族の擬制を描いた「家族の肖像」(74年)を撮る。「ベニスに
死す」同様、老年のインテリが若者に心を奪われ、やがて若者の退場によって限りない喪失感を味わい、息を引き取る姿が描かれる。か
れよりも若いアントニオーニやフェリーニが既に映画作家としての全盛期を過ぎて活力に衰えを見せ始めた時期に、ヴィスコンティはま
すます巨匠としてのヴァイタリティを発揮していた。さらに、登場から75年の横死までスキャンダラスな話題を提供し続けた天才ピエー
ル・パオロ・パゾリーニ監督を前にしてもヴィスコンティの存在は色あせていなかった。76年に69歳で亡くなるが、まだ黄昏どきの死で
あったというべきか。(2014年4月1日)