組合の歴史シリーズ 全日本航空労働組合

日本航空機長組合
2000. 6. 1
No.1 4-267
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裁判所提出 用語解説より
組合の歴史
∼シリーズニュース(6)全日本航空労働組合∼
全日本航空労働組合
世間で言うところの「御用組合」「第 2 組合」に当たる。
日本航空の整備士を含む地上職約 6,100 人と客室乗務員(スチュワーデ
ス)約 5,400 人を組織しており、運航乗務員(パイロット)は全く組織し
ていない。
日本航空が、「旧日本航空(株)」と「日本航空整備(株)」に分かれて
いた時、企業別に日本航空労働組合(略称「日航労組」)と日本航空整備
労働組合の二つの労働組合が組織されていた。
1963年10月の両社の合併後も、労働組合はそのまま二つ存在して
いた。(この二つの組合は1966年8月に合併して日本航空労働組合と
なった。)
旧日本航空に当たる職場で、「組合の左傾化」を批判し「産業民主主義
を目指す」として、1965年7月に日本航空労働組合を脱退・分裂させ
て「日本航空民主労働組合」を結成した。
1965年12月には、日本航空整備労働組合を分裂させて「日本航空
新労働組合」を結成した。
この両新組合は、1969年8月、路線が同じと言うことで合併して、現
在名の「全労」となった。
その後、全労は、組合員の要求を取り上げて運動していた「日本航空客
室乗務員組合」に対して、従来組織もしていなかった職種であるにも拘わ
らず、分裂攻撃をかけ全労の「客乗支部」として組織し現在に至っている。
会社は、1963年10月に「旧日本航空労働組合」と締結していた労
働協約を一方的に破棄し、「組合費のチェックオフ」の中止、「組合事務所
の取り上げ」攻撃や「時間内組合活動や会社施設の利用などの便宜供与」
を制限して来た。
又、1965年には、「一時金について業績リンク協定」を結ぶか、結
ばないかで支給金額に差別をもうけるやり方で、組合員間の離反を図る労
務政策を進めた。
「組合の左傾化」を大儀明文に組合を脱退し、新組合を設立した背景に
は、このような日航経営の強い支援が働いていた。
その後、会社は、人事考課による昇給・昇格や処遇、教育、整備士資格
受験などで日航労組員や客乗組合員を差別して、「全労」を育成してきた。
また、会社職制が前面に出て、飲み会などに誘って日航労組員や客乗組合
員の脱退を進めた。
このような組合・会社からの攻撃は、「全労」の民主化をめざした活動
家にも向けられ、日航労組員の結婚式への参加までも妨害することまで行
われた。
会社は、「全労」を育成する一方で、組合分裂に功労のあった人物や全
労役員経験者を積極的に会社の重要部署に配置し、役員にも登用し、多い
ときは取締役の1割を占めるほどにもなった。
このような労働組合のチェック機能を果たさない労使の癒着は、経営腐
敗を生み出す原因になった。
分裂功労者や全労幹部経験者は、子会社の役員になって子会社を勝手気
ままに経営し、会社の金で飲み食いをするなどに発展したのである。
その結果、莫大な借入金に依存したホテル展開、日航監査役からも中止
を指摘された長期為替予約の継続など、日航本体の経営を脅かす 3,000 億
円を超える大損失を生み出した。
バブル崩壊後の経営破綻から1992年から始められた日航の「構造改
革施策」とそれに基づく「人事賃金制度の改定」に対して、全労執行部は
「経営を取り巻く背景を理解する」、「人件費の抑制に一定度理解する立
場」を表明した。そして、その後の度重なるリストラ計画の具体化に際し
て、全労執行部は一貫して「会社施策の実行に当って、会社が社員・組合
員へ十分説明する」ことを強く求めた。
本来、組合執行部は、会社施策に対する見解を示して会社の施策内容を
組合員に説
明し、その中で出される組合員からの希望や要求を取り上げて運動すべ
き立場である。会社に、直接組合員を説得(=説明)することを求めるこ
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とは、労働組合の自殺行為である。会社との癒着の中で組合の役割を果た
していないのが、「全労(執行部)」と言えるのである。
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