Apr. 2005 THE JAPANESE JOURNAL OF ANTIBIOTICS 58—2 193( 89 ) 日本抗生物質学術協議会・ファイザー感染症研究助成 海外留学報告会講演記録 2004 年 11 月 22 日 , 学士会館 203 号 腸内硫化水素ガス — 病因? ただの悪臭? 大毛宏喜 *,竹末芳生 ,末田泰二郎 ,ROBERT D. MADOFF,MICHAEL D. LEVITT 広島大学病態制御医科学講座外科 ,Minneapolis VA Medical Center はじめに 炎に似た症状が出現する 3)。回腸嚢炎は潰瘍性大 腸内細菌の産生している多くの種類のガスは , 腸炎の術後の30%から50%に起こり,1977年に初 排泄物としてのイメージが一般的で ,残念ながら めて報告 4)されて以来多くの研究が行われてきた 多くの研究者が取り組むテーマとは言い難い。し にも関わらず ,未だに原因不明である。 かし硫化水素は単なる悪臭のみならず ,シアン化 潰瘍性大腸炎は大腸粘膜のみが侵される炎症性 合物と同等の毒性を持つことが知られ 1),病原性 腸疾患であることから ,大腸全摘手術を行えば根 2) を有する可能性が指摘されている 。我々は硫化 治が期待できる訳だが ,術後に再び原因不明の炎 水素と回腸嚢炎の病因との関係を検討し ,さらに 症が小腸末端に起きるため,患者・外科医の両者に その過程で社会生活の悩みの元である放屁の消臭 とって重要な課題である。 についても研究を行った。 (2) 回腸嚢炎の原因解明に向けて 1. 回腸嚢炎と硫化水素ガス 回腸嚢炎の病因解明にはいくつかの手がかりが (1) 回腸嚢炎とは ある。まず抗菌薬が多くの症例で著効する。Met- 大腸全摘手術を行う際 ,小腸に便貯留能を持た ronidazole もしくは Ciprofloxacin の内服で ,通常 24 せる目的で ,小腸末端を 10 から 15 cm 程度折り返 時間以内に排便回数の減少など効果が現れる。こ して袋状にし,肛門に吻合する術式が行われる。こ のことは腸内細菌の関与を示すもので ,何らかの の袋を「回腸嚢(pouch)」と呼んでいる。潰瘍性大 腸内細菌産生物質が炎症の原因と考えられてい 腸炎や家族性大腸腺腫症では ,現在この術式で自 る。しかし興味深いことに,これまで特定の腸内細 然肛門を温存することが可能となっている。 菌や細菌毒素は同定されていない。従って原因と この回腸嚢に術後炎症を来すことが知られてい なる腸内細菌および産生物質は ,特殊なものでは る。回腸嚢炎 (pouchitis)と呼ばれ ,排便回数の増 なく ,通常腸管内に存在しているのではないかと 加,出血,疼痛,全身倦怠感など,丁度潰瘍性大腸 考えられる。 [Proceedings] HIROKI OHGE (Corresponding author), YOSHIO TAKESUE, TAIJIRO SUEDA, ROBERT D. MADOFF, MICHAEL D. LEVITT: Fecal hydrogen sulfide: Toxin? or just odoriferous gas? * 2002 年度助成者 194( 90 ) THE JAPANESE JOURNAL OF ANTIBIOTICS 58—2 Apr. 2005 また回腸嚢炎は潰瘍性大腸炎の術後にはしばし 症例 (n⫽9),④回腸嚢炎急性期で抗菌薬治療を ば起きるものの ,同じ術式をとる家族性大腸腺腫 行っていない症例 (n⫽8),⑤回腸嚢炎に対し抗菌 症では稀であることから ,原因となる物質は家族 薬治療(Metronidazole もしくは Ciprofloxacin 内服) 性大腸腺腫症の回腸嚢では潰瘍性大腸炎のそれと を開始し 5 日以上経過した症例 (n⫽11)。 比較して低濃度である可能性がある。 ②の群は,1回もしくは数回の回腸嚢炎発作を起 これらの条件に合致する腸内細菌産生物質の候 こすものの抗菌薬治療に良好に反応し ,以後炎症 補として,硫化水素が挙げられる。硫化水素は嫌気 を繰り返さない症例で ,臨床的にしばしば経験す 性菌の一群である硫化水素産生菌(sulfate-reducing るパターンである。③はいわゆる慢性的に発作を bacteria) より産生されており ,これらの菌は腸管 繰り返す症例で ,抗菌薬治療には反応するが中止 内の硫酸化合物を硫化水素ガスに変換する反応過 すると再燃するという ,治療上問題となる群であ 程で発生するプロトンをエネルギー源としてい る。 新鮮便を4リットルの容器に採取し,密封して内 る。 発生する硫化水素ガスは毒性が高く ,動物実験 1) 部を窒素でフラッシュし ,37°C の嫌気状態で での LD50 はシアン化合物と同等で ,これまで潰 incubation した。1, 2, 4, 24 時間後に容器内のガス 瘍性大腸炎の発症への関与が疑われてきた。潰瘍 サンプルを採取し,硫化水素,水素,二酸化炭素濃 性大腸炎の炎症粘膜では短鎖脂肪酸である n-bu- 度を測定した。 tyrateの酸化が抑制されているが,この代謝異常の 原因は硫化水素ガスであることが明らかになって 2) 結果・考察 いる 2)。また潰瘍性大腸炎の病勢と腸内硫化水素 図1に24時間incubation中の硫化水素産生量の推 産生量は相関があることも報告されている 5)。さ 移を示す。潰瘍性大腸炎術後症例では家族性大腸 6) らに 2002 年に DUFFY ら は ,硫化水素産生菌が潰 腺腫症術後症例と比較して約 5 倍の量の硫化水素 瘍性大腸炎の術後回腸嚢では分離されるものの , を産生していた。また回腸嚢炎に対する抗菌薬治 家族性大腸腺腫症術後の回腸嚢では分離されな 療は,この高い硫化水素産生を,家族性大腸腺腫症 かったと報告した。そこで回腸嚢炎の活動性と,腸 と同じレベルまで低下させていた。 内硫化水素産生との関係を検討するスタディを 行った。 図 2 は回腸嚢炎の活動性と硫化水素産生量との 関係だが ,回腸嚢炎急性期ならびに頻回に回腸嚢 炎を繰り返す群では ,その他の群と比較して有意 (3) 回腸嚢炎と硫化水素ガスとの関係 7) に高値の硫化水素を産生していた。また興味深い 1) 対象・方法 ことに,回腸嚢炎の既往がない群は,内視鏡的に粘 潰瘍性大腸炎術後症例45例と家族性大腸腺腫症 膜に炎症を認めないにもかかわらず ,家族性大腸 術後症例5例を対象とした。いずれも大腸全摘およ 腺腫症の回腸嚢と比較して有意に高値の硫化水素 び回腸嚢肛門吻合術を行っており ,機能している を産生していた。このことは,潰瘍性大腸炎術後の 回腸嚢を有していた。潰瘍性大腸炎症例は回腸嚢 回腸嚢は ,家族性大腸腺腫症のそれと比較して硫 炎の活動性で5群に分けた。すなわち,①回腸嚢炎 化水素の代謝に根本的な違いがあることを示して の既往が術後 2 年以上ない症例(n⫽8),②既往はあ いる。 るものの最近 1 年以内に炎症を来していない症例 一方水素と二酸化炭素の産生は腸内細菌全体の (n⫽9),③最近 1 年未満の間に炎症を起こしている 代謝を示すものであるが ,回腸嚢炎の活動性との Apr. 2005 THE JAPANESE JOURNAL OF ANTIBIOTICS 58—2 図1. 24時間incubation中の回腸嚢内硫化水素産生量 (文献 7 より引用) 図 2. 回腸嚢炎の活動性と硫化水素産生量との関係 (文献 7 より引用) 195( 91 ) 196( 92 ) THE JAPANESE JOURNAL OF ANTIBIOTICS 58—2 Apr. 2005 相関は認めず ,硫化水素の産生は回腸嚢炎に特異 (1) 消臭効果の測定方法 的な因子であることが明らかとなった。 消臭効果を測定するには 2 つの因子を明らかに これらの検討により ,回腸嚢炎の活動性と便中 する必要がある。まず肛門から出たガスの量,そし 硫化水素産生量は ,強い相関関係にあることが明 て消臭製品に吸着されたガスの量である。肛門か らかとなった。これほどの高い相関を有する因子 ら出るガスの量は毎回異なるので ,標準化する目 は過去に報告がなく ,回腸嚢炎の病態解明に道を 的で人工のガスを作製した。硫化水素40 ppmを含 開くものと期待している。ただし本検討からは,硫 む窒素ガス 100 ml の人工ガスを ,硫化ガスを吸着 化水素産生が回腸嚢炎の原因なのか結果なのかを しない polypropylene チューブを通して体外から注 論じることは出来ない。原因であることを証明す 入し ,肛門部で噴射した。 るには,食事中の硫黄分を全て除去するか,腸管内 次に消臭製品に吸着されるガスの量を知るため の硫化水素を全て除去することで回腸嚢炎が治癒 に,図3のごとく腰から両側大腿を密封する形のズ することを示さなければならない。 ボンをMylarTM(硫化ガスを吸着しない)で作製し ビスマス製剤は traveler’s diarrhea に使用される た。消臭製品を着用し,人工ガスを噴射して,この 止痢剤で ,腸管内で硫化水素を吸着することが知 MylarTM 製ズボンの内部のガスサンプルを採取す られている 8)。回腸嚢炎の治療薬としても欧米で れば,それは消臭製品から逃れてきたガスであり, は使用されており ,ビスマス製剤の内服が回腸嚢 結果としてどの程度吸着されたかが明らかにな 内の硫化水素濃度を効果的に低下させていること る。 が証明できれば ,回腸嚢炎の病因解明につながる であろう。 しかし MylarTM 製ズボンの中の容積は一定でな いため ,採取されたガスサンプル中の硫化水素濃 2. 放屁の悪臭の効果的な消臭法 9) 硫化ガスは放屁の悪臭の主成分である 10)。この 図 3. MylarTM 製ズボン 悪臭を消す試みは多いが ,前述したようにこのガ スは硫化水素産生菌により産生されており ,薬剤 や食品類でこれらの菌のガス産生能を抑えること は容易でない。従ってこれらの製品の効果は残念 ながら十分でなかった。 そこで一旦肛門から出たガスを消臭するという 発想が出てくる。米国では活性炭が硫化ガスを吸 着する作用を応用した消臭製品が市販されてい る。しかし驚いたことに,これらの製品の消臭効果 は科学的に測定されたことがなく ,どの製品が効 果を有するのかが明らかでなかった。 我々はこれらの製品の効果比較を通じて ,①客 観的な消臭効果の測定法の確立と②効果的な消臭 法を明らかにすることを目的とするスタディを立 案した。 このズボンの内部のガスサンプルを採取し測定した Apr. 2005 THE JAPANESE JOURNAL OF ANTIBIOTICS 58—2 197( 93 ) 図 4. 各種消臭製品 左がパッド型 4 種 ,右上がパンツ型 2 種 ,右下が座布団型 度が低かったとしても ,それが希釈されたためな の,残る5種類が座布団型で椅子の上に置いて使用 のか ,製品に吸着されたためなのかは明らかでな するものである。 い。そこで使用する人工ガスに水素を 0.5% 加え 座布団型以外は立位と座位で測定 ,座布団型は た。水素は活性炭に吸着されないため,注入時の硫 座位でのみ測定した。被験者は男性3名女性3名の 化ガスと水素の比と ,採取ガスサンプルでの両者 健常成人ボランティア(米国人 5 名 ,日本人男性 1 の比を比較することで ,希釈に関係なく活性炭に 名)で,各製品毎に2回ずつ人工ガスを噴射し,測 吸着された硫化ガスの量を計算することが出来 定値の平均値を使用した。本スタディを行うに当 る。例えば噴射された人工ガスの水素と硫化水素 たっては院内倫理委員会の承認と ,被験者からの の比が1 : 1で,採取したサンプルの比が1 : 1であれ 書式での同意を得た。倫理委員会では「別に本物 ば製品は硫化ガスを全く吸着していないことを意 のお尻でなくても良いのではないか」との意見も 味し,この比が1 : 0.4であれば60%の硫化ガスが製 出たが ,よりリアルな条件を作るためにヒトでの 品によって吸着されたことになる。 検討を行う承認を受けた。 (2) 対象・方法 (3) 結果・考察 米国内で入手可能な活性炭を使用した消臭製品 各製品の効果比較を図5に示す。縦軸は硫化水素 11 品目(一部非売品)を対象とした(図 4) 。うち 吸着率で,100%は硫化水素ガスを完全に吸着した 4種類はパッド型で,肛門部の下着内部に貼り付け ことを意味する。パッド型の製品は約70%程度の るもの,2種類はパンツ型で下着の上に着用するも 効果で,3割程度の悪臭は周囲に漏れていた。パン 198( 94 ) THE JAPANESE JOURNAL OF ANTIBIOTICS 58—2 図 5. Apr. 2005 各種製品の消臭効果 (文献 9 より改変して引用) ツ型の製品の一つはほぼ 100% の硫化ガスを吸着 3. おわりに しており ,本検討で比較した中で最も効果的で 腸内硫化水素ガスが粘膜の炎症に関与している あった。座布団型は残念ながら20%程度の吸着率 とすれば ,腸内細菌と疾病との関係を示す新たな で,十分な効果が得られなかった。この他,立位と 発見となることが期待される。消臭のテーマも含 座位 ,男女差で吸着効果に差はなかった。 めて今後も腸内細菌産生ガスの研究を続けて行き 製品間で消臭効果に差が出た理由として ,まず たいと考えている。 パッド型は肛門近くにあり ,最も効果的と考えら れたが ,パッドの両側に逃げたガスが再度製品に 謝辞 接触する機会はほとんどなく ,この結果約 30% の 本留学の機会を頂きました ,日本抗生物質学術 ガスが周囲に漏れたと考えられる。パンツ型で最 協議会とファイザー株式会社 ,そして本協議会助 も効果的であった製品は ,パンツ全体が活性炭素 成選考委員長の清水喜八郎先生 ,ならびに井上松 材でガスの逃げ場もなく ,効率的に吸着できたと 久先生をはじめとする選考委員の先生方に心より 考えた。座布団型の製品が効果に乏しかったのは, お礼申し上げます。また渡米前から帰国まで常に 活性炭部分がクッションの下に位置し ,ガスがこ サポートして下さいました本協議会助成担当の佐 の活性炭に接触するには ,下着 ,着衣 ,座布団カ 原久世様に ,改めて深謝いたします。 バー,クッション部分を通過しなければならず,接 触効率が不良であったためと考えられた。 以上の結果から,効果的に消臭するためには,① 活性炭部分をカバーしないこと ,②ガスが周囲に 逃げないように工夫することなどが重要であるこ とが明らかとなった。 文献 1) SAX, N. I.: Dangerous properties of industrial materials. Van Nostrand Reinhold, 1984 2) ROEDIGER, W. E.: The colonic epithelium in ulcerative colitis: an energy-deficiency disease? Lancet 2: 712⬃715, 1980 3) M AHADEVAN, U. & W. J. S ANDBORN : Diagnosis and management of pouchitis. Gastroenterology 124: Apr. 2005 THE JAPANESE JOURNAL OF ANTIBIOTICS 58—2 1636⬃1650, 2003 KOCK, N. G.; N. DARLE, L. HULTEN, et al.: Ileostomy. Curr. Probl. Surg. 14: 1⬃52, 1977 5) LEVINE, J.; C. J. ELLIS, J. K. FURNE, et al.: Fecal hydrogen sulfide production in ulcerative colitis. Am. J. Gastroenterol. 93: 83⬃87, 1998 6) DUFFY, M.; L. O’MAHONY, J. C. COFFEY, et al.: Sulfatereducing bacteria colonize pouches formed for ulcerative colitis but not for familial adenomatous polyposis. Dis. Colon Rectum 45: 384⬃388, 2002 7) OHGE, H.; J. K. FURNE, J. SPRINGFIELD, et al.: Association between fecal hydrogen sulfide production and pouchitis. 4) 8) 9) 10) 199( 95 ) Dis. Colon Rectum 2005 (in press) LEVITT, M. D.; J. SPRINGFIELD, J. FURNE, et al.: Physiology of sulfide in the rat colon: use of bismuth to assess colonic sulfide production. J. Appl. Physiol. 92: 1655⬃1660, 2002 OHGE, H.; J. K. 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