ひろしま・カンボジア市民交流会の歩み

ひろしま・カンボジア市民交流会の歩み
94 年 4 月
広島アジア競技大会へのカンボジア
選 手 参 加 を 支 援 す る た め に 、「 ガ ン バ レ
・カンボジアプロジェクト広島支部」が発足。
支援資金を集めるために、広島フラワー
フェスティバルでカレーショップを開い
て、多くの市民の協力と賛同を得る。以来、
フラワーフェスティバルでのカレーショッ
プは毎年恒例の行事になる。
94 年7月
カンボジア・コンポンスプー州で行われた
広島アジア競技大会へのマラソン選手派遣
選考会の開催に全面協力。広島から 15 名
のボランティアを派遣した。
94 年9月
アジア競技大会に参加する各国選手団を
支援するため、広島市内の各公民館がそれ
ぞれ1つの国・地域の選手団を応援する
「一館一国運動」を展開。カンボジアを応
援する中央公民館で、カンボジア支援グル
ープ合同での「カンボジア祭り」を開催し、
市民交流をする。
広島大会において、カンボジアはアジア
大会に 16 年ぶりの復帰を果たしました。
大会のマラソン競技では沿道の市民に千
本のカンボジア国旗を配って応援。カンボ
ジアのマラソン選手トー・リトヤ選手とフ
ォット・ポウ選手は、自己の記録を 40 分
縮める好記録で平和公園のゴールまで完走
し、市民に大きな感動を与えました。
カンボジアの選手と広島市民とが「平和
であることのすばらしさ」に共感し、感動
を分かち合うことができたことは、とても
象徴的です。
94 年 12 月
「ガンバレ・カンボジアプロジェクト広島
支部」を解散し、「ひろしま・カンボジア市民
交流会」が発足。アジア競技大会から始ま
ったカンボジアとの交流を引き継ぐ。
95 年 7 月
カンボジア・プノンペン市のウナローム寺
僧侶・渋井修師を広島に迎え、カンボジア
講座を開催。「市民交流の家計画」につい
て、ウナローム寺敷地内の土地を借りる交
渉をお願いすることになる
95 年7月
ウナローム寺内に約 180 坪の土地を借
りる許可がでる。1階部分研修所の基礎杭
打ち工事が渋井修師によって着工され、基
礎杭打ち後に柱が立ち上がってゆく。
95 年 10 月
来日中のカンボジア仏教会総本山ウナロ
ーム寺テップ・ボーン大僧正を広島に迎
え、「交流の家」への支援表明を受ける。
96 年 06 月
1 階の渋井修師の木工研修所が完成し、
若い僧侶たちと日本語学校生徒が研修で日
本語図書館の本棚や机を制作する。
96 年 1 月
会員 9 名がウナローム寺内のひろし
まハウスを視察し、隣の日本語図書館
で日本語学校生徒と広島の教育里親を
ビデオで結び、テップ・ボーン大僧正
と再会して親交を深める。
96 年 3 月
広島市主催の「ひろしま未来大学」
(平
岡敬学長)の卒業記念講演で、「まちづ
くりシンポジウム」の講師・石山修武
教授(早稲田大学理工学部建築学科)
及び平岡敬市長に「交流の家」計画に
賛同を頂く。翌月、2・3 階部分の基本
設計案を石山教授から受け取る。
96 年 11 月
ウナローム寺で「ひろしまハウス」
2階部分の起工式をテップ・ボーン大
僧正を迎えて挙行。あわせて、9 月の
大水害の被災地へ「たのし人 フェスタ・
カレーショップ」の募金34万円により米 8
トンを購入して届ける。
97 年 4 月
ひろしま国際センターの「草の根国際
貢献助成金」を受ける。2階工事再開
02 年2月
NHK広島放送局前で「ひろしまハウス
in カンボジア展」をコンテナを運んで開催。
04 年 5 月 24 日
躯体工事が完成し、 テップ・ボーン仏教
会長を迎えて棟上げ式を行なう。
04 年7月
カンボジア・日本大使館開設10周年
のお祭りで、ハウス・レンガ積みツア
ーを開催。寄贈された浴衣を持ち込ん
で、盆踊り大会で市民交流をする。
平和研修のレンガ積みツアーを広島
と東京の石山研究室で年3回開催し、
平岡敬前広島市長の講義を受ける。
また、カンボジアにある帰国留学生
の日本語学校生徒達との交流をする。
ひろしまハウスの1階では、渋井修
さん達の、地雷で足を失った人たちが
行商をするための手こぎ三輪車が次々
と送り出されて行く。
06 年 10 月 1 日~ 9 日
旧日本銀行広島支店でひろしまハウ
ス in カボジア展を開催
06 年 11 月 24 日
ひろしまハウスが完成し盛大な竣工
式を行なう。お祝いの昼食会はハウス
で法事料理に約百名が参加。前夜祭は
中国料理店を借り切って NPO 日本語教
室の生徒たちの劇や踊りがあり、アプ
サラダンスで市民交流をした。
07 年4月
規約を改正し「ひろしまカンボジア
市民交流会」と改称する。
追加のハウス屋根工事が完成し、仏
教会総本山ウナローム寺テップ・ボー
ン大僧正と永代使用契約を結ぶ。
07 年9月
管理人が決まりひろしまハウス開館。
07 年 12 月
広島市より、広島市民賞を受ける。
・・・・ ひろしまハウスとは?・・・・
多目的な平和のためのハウス
このハウスはひろしま市民をはじめ
として、人々ががやって来たときの「宿
泊所」であったり、仕事のないお母さ
んたちのお好み焼き講習の「料理教室」
であったっり、日本に来た留学生達の
交流場所であったり、被爆資料やカン
ボジアでの虐殺の歴史を伝える「資料
館」であったりします。
また、隣の日本語図書館では日本人
僧侶の渋井修さんが、かって地方の貧
しい子達を引き取って学校に通わせ、
日本語を教え、木工研修や製本等の技
術を教えていました。残された子達を
1階の北側に引き取っています。
「ひろしまハウス」が建てられてい
る場所は、プノンペンの仏教総本山の
あるウナルーム寺の境内です。
この寺は、カンボジアの人々の心の
拠り所であるとともに、多くの身寄り
のない子ども達の生活や教育の場でも
あります。
廃虚の広島にかつてあった市民交流
文化センターや、米国のシュモー森林
学博士によって無償で建てられた住宅
が、海外からの善意によるものであり、
これらが広島市民に夢を与えたことを
ご存知でしょうか?
そんな場をカンボジアにもぜひ作り
たいのです。そして、日本の市民とカ
ンボジアの市民がともに平和を実感す
ることのできる「平和のための学校」
へと育てていきたいと思います。
ひろしまハウス建築概要
建設地
設計者
概要
工程
プノンペン・ウナルーム寺境内
建築家・早稲田大学理工学部教授
石 山 修 武 氏
鉄筋コンクリート4階 約400坪
1階 研修所・日本語学校生徒住居
2階 研修所・市民交流センター
大・中・小ホール・寝室・食堂
管理人室・トイレ・シャワー
3階 展示ホール・被爆・戦争他展示
4階 図書資料室・宿泊所
1995年 07 月20日 着工・基礎杭打
1996年 06 月
1階工事完成
1996年 11 月
2階起工式
2000年 01 月
2階躯体工事完成
2001年 07 月
3・4階躯体工事着工
2004年 05 月24日 棟上げ式
2006年 11 月24日 竣工式
費用 1階 1000 万円渋井修氏より建物譲渡
2.3.4 階 約 2,340 万円 市民・広島県
・広島市・国際センター・石山研究室等の募金
ひろしまハウスinカンボジア
なぜカンボジアなの?
カンボジア王国では、19
93年に20年間にわたる内戦
が終わり、国連支援による
選挙を行なって新しい国づ
くりが始まりました。
その翌年、第12回アジア
競技大会広島 1994 にカン
ボジア選手の参加を実現さ
せようと、東京の猪谷千春
IOC理事の呼び掛けで、そ
の費用を募る「 ガンバレカン
ボジアプロジェクト 」が発足
しました。
この プロジェクト の広島支部
では「フラワーフェスティバル」
での カレーショップ などを通
して、多くの市民の賛同を
得て選手の大会参加を支援
することができました。
選手たちのひたむきに頑
張る姿とそれを応援した市
民との交流は、日本中に平
和の喜びと感動を与えてく
れました。
選手たちは、広島平和記
念公園の原爆資料館を訪れ
て、被爆直後の広島の惨状
を知り「廃虚から復興した
広島の姿は、私たちに希望
を持たせてくれます。」と
目を輝かせていました。
ひろしまに来られないカ
ンボジアの人たちに、この
ハウスと交流は、希望を与
えてくれることでしょう。
復興にむけて立ちあがるカンボジアの人々の姿は、
まさに広島市民の歩みと重なるのです。
アジア競技大会から始まったカンボジアの人々と
の交流は、わたしたちが平和についてあらためて考
えるきっかけになりました。
両国の平和のシンボル、そしてこれからの交流の
拠点としての「ひろしまハウス」を中心に誰でもが
様々な形で交流できることが今の私の目標です。
ひろしまカンボジア市民交流会
代表 国 近 京 子
ひろしまカンボジア市民交流会 代表 国近京子
振込先:ひろしまカンボジア市民交流会
郵便振替
01310-9-30665