は じ め に 本書の原典として用いた「CIE カンファレンス・リポート」は,GHQ/ SCAP 文書の中の,「機密文書」の一つであり,占領期日本教育の研究におい て重要な基礎資料となっているものである。 GHQ/SCAP 文書は,戦後三十数年という歴 イギリスで全面 的時間を経て,アメリカや 開 さ れ る に 至 っ た。わ が 国 で は,1978年 に 発 足 し た 「GHQ/SCAP プロジェクト」という大規模事業によって,アメリカ合衆国国 立 文書館(National Archives and Records Administration;NARA)と複 写収集契約を結び,実に13年もの月日を要して収集され,唯一東京の国立国会 図書館にて利用できるようになった。その数およそ3000万ページという膨大な 量に至る。本書は,その一部を成す,担当者別 CIE カンファレンス・リポー トの国語教育に関わる部 を訳出したものである。 鈴木英一によれば,CIE カンファレンス・リポートは,1946年4月19日, GHQ/SCAP 参謀長から各部局あてに,ディリー・リポートとして4月22日 から実施するよう指示されたものであり,同年5月8日のニージェント覚書で, CIE 課員に作成が義務づけられた(佐藤秀夫代表「戦後教育改革資料6 海外学 術研究報告書 占領期日本教育に関する在米資料の調査研究」昭53.3 国立国語研 究所 p.61) 。各リポートには,会議日,会議場所,出席者,議題,討議内容, 資料などが明記され,報告者の署名がある。 本書でとり上げたカンファレンス・リポートは,国語教育に関わった CIE 係官たち9人のものである。原則として,着任の早かった順に収めてある。た だし,ハルパーン氏とペルゼル氏は早期の着任であったが,国語改正顧問とい う特別顧問の地位にあり,他の係官たちに比べて,日本の国語教育人との接触 が少なかったため,両カンファレンス・リポートは,最後に収めることにした。 ハルパーン氏,ペルゼル氏,およびドノヴァン氏(女子教育担当)を除く,6 人の係官は,それぞれ初等教育・中等教育を担当する係官で,国語科だけでは なく,全教科領域に関わった。したがって,実際のカンファレンス・リポート は,国語科だけではなく,戦後,新教科として発足した社会科はもちろん,理 科,算数数学,音楽,図工等多くの教科にまたがって報告されている。 翻訳するに当たっては,内容のみでなく,形式も含め,報告のスタイルをそ のまま再現するよう意図した。当時の CIE 係官の報告をよりリアルに伝えた いと思ったからである。 ディリー・リポートには,無罫紙にまとめた会議録と,様式の定められた紙 (1947年6月10日,および同年6月23日,11月24日,1948年6月14日に改訂されてい る)にまとめた高官への報告書との,2種類がみられる。記録の形式が一とお りでないのはそのためである。報告書をよくみると,出席者の名を連ねる際, 自己の名を一段上の中央に位置づけている係官もいれば,Mr.や Miss.などの 称号を省き,出席者の末尾に添える形で連ねている係官もいる。きちんと直筆 署名をしている係官もいる。また,報告文の用語や文体にも係官によって独特 なものがみられた。これら記録のしかた,内容,ことばの い方から,係官の 専門性やパーソナリティ,気概などを感じることができ,興味をそそられたの も事実であった。 本書に収められたカンファレンス・リポートの内容は,22年度および26年度 改訂版学習指導要領国語科編(試案)に関わるものをはじめとし,第六期国定 国語教科書の教材,プレ・プリマの編纂,教科書検定制度に備えた国語教科書 の評価基準,伝達講習会,指導者養成講習会に関わるものまで多岐にわたって いる。係官たちの実録を通して,戦後初期の国語教育改革時の様子に迫ること ができる。本書によって,占領下における国語教育改革への関心がいっそう高 まることを期待したい。 なお,「カンファレンス・リポート」という文種の特性上,意訳を避け,可 能な限り原典に忠実に訳すよう心がけた。意味が通じるようにと努めたが,日 本語の文章としてこなれていないところも間々ある。その点は,読者のみなさ まのご寛容を願いたい。 2002年 6月 訳 者 はじめに 目 序 文 凡 例 次 はじめに 第Ⅰ部 C IE カンファレンス・リポート 1 ケネス・M・ハークネス ………………………………………………… 2 ヘレン・ヘファナン ……………………………………………………… 3 アイリーン・R・ドノヴァン …………………………………………… 4 ルス・G・ストリックランド …………………………………………… 5 ポーリーン・ヤイディ …………………………………………………… 6 ロバート・R・ユアーズ ………………………………………………… 7 モンタ・L・オズボーン ………………………………………………… 8 アブラハム・M・ハルパーン …………………………………………… 9 ジョン・C・ペルゼル …………………………………………………… 第Ⅱ部 解 説 1 カンファレンス・リポートとは ……………………………………… (1)CIE 部内報告書の種類 ……………………………………………… (2)カンファレンス・リポートの位置 ………………………………… 2 戦後初期国語教育改革を推進した人々 ……………………………… (1)CIE 係官の実像 ……………………………………………………… (2)日本側の代表者たち ………………………………………………… 図1 「GHQ/SCAP 機構図」(1947 昭和22>年9月現在)……… 図2 「文部省職員抄録」(昭和22 1947>年6月25日現在) ……… 3 『昭和二十二年度(試案)学習指導要領国語科編』の成立 ……… (1)『昭和二十二年度(試案)学習指導要領国語科編』の成立背景 … (2)CIE による示唆の展開 ……………………………………………… (3)示唆の受容 …………………………………………………………… (4)「問題単元」と「作業単元(ユニット・オブ・ワーク) 」 ……… (5)一般目標と言語能力観 ……………………………………………… 4 『昭和二十六年改訂版 学習指導要領国語科編(試案) 』の成立 (1)『昭和二十六年改訂版 学習指導要領国語科編(試案) 』の 編纂過程 ………………………………………………………………… (2)「国語能力表」 ………………………………………………………… (3)「単元」と「題材」 …………………………………………………… (4)「国語科学習指導の一般目標」の妥当性 …………………………… 5 カンファレンス・リポートから見えてくるもの …………………… (1)日米の 渉過程 ……………………………………………………… (2)術語における意味規定の厳密性 …………………………………… (3)アメリカの教育観に,学ぶもの …………………………………… 付録 「戦後初期国語教育改革関係年表」 ……………………………………… あとがき 目 次 1948年1月21日 アイリーン・R・ドノヴァン 女子教育係官 午前:文部省; 午後:CI&E-605 教育 2月と3月の8つの協議会における国語科プログラム企画委員会メンバー26名 ドノヴァン氏(Miss.),女子教育係官,CIE; モトキ氏(Miss.),通訳. 2月と3月に開催される8つの協議会における国語科プログラムの計画 福岡,伊東,四国, 江,神戸,群馬,秋田,そして札幌グループの国語の 実地 開授業を行う代表者8名の先生方が,東京地区委員会の年長者10名と一 緒に出席した。文部省の人たちも加わった。 文部省における午前中の会議で,石森氏とホシミズ氏が,学習指導要領の最 も重要な原則をグループに概説した。一人一人の代表者が実地 開授業の可能 性に関わる自 の意見や えを述べた。 教育課における午後の会議では,熟 すべき原則について,要約し,話しあ った。代表者たちは,細部は在宅でもたやすく計画を立てることができるが, 最初の実地 開授業は, (1)明瞭な思 ; (2)生き生きとした話;(3)わ かりやすい作文,という目的を強調するものであるということに納得した。こ れは,話しあいから始まり,黒板で要約をし,個々に書くという作文タイプの 授業である。2つ目の授業は,2つに かれるが,読書の理解と楽しみという 目的を強調するものである。 代表者たちは,指導の方法に関して,署名者にたくさんの質問をした。そし て,協議会の時に,社会科と国語科の比較について CI&E の代表者が話しあ うための時間をとってほしいと特別の要求した。彼らは, 「新教育」はなんで もかんでも社会科であるという印象が,国じゅうに形成されてしまったことを 不安に思っていたのである。署名者は,会議中にその問題を明瞭にしようと試 みた。そして,協議会でこの問題の話しあいをもつことに同意した。 1948年3月23日 アイリーン・R・ドノヴァン 女子教育係官 教育課 教育 石森氏,渋谷氏,文部省国語委員会; アイリーン・R・ドノヴァン氏(Miss.),女子教育係官,CIE。 国語教科書の補助資料 石森氏と渋谷氏(渋谷宗光,文部省教科書局第一編修課)は,今日の会議に,第 7,8,9学年の国語教科書に付加する資料 (手引きのこと) 活動,質問と答え,その他 を提出した。この資料は中学 委員との幾度かの会議で示 唆してきた線にそっている。署名者はそれを詳細に検討し,認可する前の最終 的な会議を,3月25日水曜日,午後3時にもつつもりである。 中学 の国語教科書に入れられる活動,質問と答えが,認可を求めて提出さ れた。 * 昭和24年の『中等国語』 (三訂版)に付け加えられた,「国語学習の手引」は,輿水実 を中心とする,飛田隆,安藤新太郎,倉澤栄吉の4名の手に成るものである。 吉田裕久は,「国語学習の手引」が導入された背景として,以下の3点の影響を挙げ ている。 新教育(学習指導)観 新国語教科書観 教授ではなく「学習」本位 「単元学習」を想定して アメリカ教科書の実態 「設問・練習」を添える (前掲書『戦後初期国語教科書 3 研究』p.555) アイリーン・R・ドノヴァン
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