〔書 評〕 Jean-Michel Hoerner(2010), Le tourisme dans , , la mondialisation − Les mutations de l industrie touristique ,L Harmattan,Paris,119p. 米 浪 信 男 観光は経済的、社会的、政治的、文化的現象などから成る複合的現象である。 そのため、経済学は観光の経済現象を対象とするように、個別の学問は観光現 象のうち個別の現象を対象としているにすぎない。方法論を異にする個別の学 問をいくら寄せ集めても観光現象をトータルに把握することはできない。本書 の著者は、経済的、社会的、政治的諸問題をトータルに扱う「観光科学」(la science du tourisme)の創始者であり、資本主義の発展との関連で観光や観光 産業の動向を分析している。 本書( 『グローバル化の観光 – 観光産業の変化 –』 )の著者ジャン=ミシェル・ エルナーは、フランス南部のピレネーゾリアンタール県にあるペルピニャン大 学の「スポーツ、観光、国際ホテル業」学部の教授・学部長であり、本書以外 に次の著書(1. は共著、2. 〜 6. は単著)がある。 1.En collaboration avec Sicart C., La science du tourisme,précis franco-anglais de tourismologie ,Perpignan,Balzac Éditeur,2003. , 2.Mémoires d un nouveau touriste ,Perpignan,Balzac Éditeur,2006. 3.Géopolitique du capital ,Paris,Ed.Ellipses,2007. 4.Essai sur la famille Fenouillard ,Nîmes,CirVath,2008. 5.Géopolitique du tourisme ,Paris,Armand Colin,2008. 6.Le dictionnaire utile du tourisme ,Nîmes,CirVath,2009. 本書は全 5 章から構成されており、章別構成は次の通りである。 第 1 章 定義 第 2 章 観光と資本主義によって共有された歴史 第 3 章 マスツーリズムと中流階級 − 33 − 第 4 章 国際観光産業の重要性 第 5 章 観光のグローバル化 第 1 章は、観光用語の定義について論じている。どの学問においても使用す る専門用語が明確に定義づけられ、合意の上で使用されない限り、学問の発展 はあり得ない。農業、工業に比べてサービス活動を扱うサービス業の研究は遅 れて始まった。そのため、サービス活動に関わる観光やその産業としての展開 である観光産業に関する用語については、論者によって意見の統一がみられて いないものもある。世界観光機関(UNWTO)では国際的統一基準で統計を作 成する必要から観光用語の定義をしている。しかし、これらの定義は著者の提 唱する「観光科学」の科学的分析と相いれないものもある。たとえば、世界観 光機関は国際観光客を「日常的環境の外で宿泊する訪問者」と定義しているが、 著者は交通手段の発達により国境を超える日帰り観光客もいる現状では「宿泊 する」ことは必要ではないと主張している。 第 2 章は、資本主義の発展と観光の関連について論じている。観光は自由意 思で行われる「楽しみのための観光」と義務的なビジネス目的の過程で行われ る「ビジネスツーリズム」がある。前者は、金銭的ゆとりと時間的ゆとりがあ るほんの一握りの特権階級の楽しみとして始まったが、一般庶民にまで広く普 及するためには、所得水準の上昇、労働時間の短縮が実現されなければならな かった。後者は、義務的なビジネス目的の過程で行われ、商取引、貿易に従事 する人々は古くから実践していたと言える。世界観光機関はビジネスツーリズ ムを正当に評価していないが、著者はビジネスツーリズムを介しての資本主義 の発展と観光の発展は肩を並べて歩んできており、職業上の理由で旅行し、航 空会社、ホテル、レストランなどの観光関連企業に対して観光支出をするすべ ての人々は観光客と呼ばれなければならないと主張している。 冷戦の終焉、情報通信技術の発展、グローバル化の進展に伴い、国際観光の 目ざましい発展、 観光産業の活動のグローバルな展開が見られるようになった。 観光と観光産業は資本主義の産物であるように、とりわけ国際観光とグローバ ルに展開する観光産業は世界の金融、経済の危機の影響から免れることはでき ない。2001 年 9 月 11 日のアメリカの世界貿易センタービルなどへの同時多発 − 34 − テロ事件以降、イスラム教国の観光地を訪れる観光客は国際観光をグローバル 化のショーウィンドーとみなしているアルカイダのイスラム原理主義者から反 観光のテロ行為の犠牲者となるケースが生じている。 第 3 章は、有給休暇制度の誕生、中流階級の勃興とマスツーリズムの発展の 関連について論じている。労働時間の短縮は、労働者階級が資本家階級との階 級闘争の結果、勝ち取ったものである。有給休暇制度は、フランスでは両大戦 間期の 1936 年に人民戦線のレオン・ブルム内閣の下で締結された「マティニ ヨン協定」において労使間で 15 日間の有給休暇が取り決められたのを嚆矢と して、その後 1956 年に 3 週間、1969 年に 4 週間、1982 年に 5 週間と増加して いる。労働時間の短縮の進展、有給休暇制度の充実に加え、経済成長に伴う所 得水準の上昇、低廉な料金の多様な宿泊施設が整備されるときに、労働者が観 光やバカンスに出かける条件が整う。西欧諸国では 1945 年から 1975 年までの 経済拡張期は「栄光の 30 年」と呼ばれ、この時期に中流階級が形成され、彼 らがマスツーリズムの対象として観光企業に包摂されていくことになった。 労働者が観光やバカンスに出かけることができるようになると、かつてのよ うに一部の特権階級の専有物ではなくなる。マルク・ボワイエが指摘している ように、 階級(階層)間の文化的障壁が軽度であればあるほど、上流階級(階層) での観光やバカンスの活動のあり方は中流階級によって模倣されるという「模 倣効果」が働き、新規なことはかなり速く普及する。逆に、階級(階層)間に 強固な文化的障壁がある場合には、 「模倣効果」は機能しない。なお、国内で の観光活動から締め出されている人々が自国と為替相場や物価水準に差異のあ る外国へ出かけることで、豪華なホテルへの宿泊や食事・みやげ品購入に散財 し、自らの社会的地位が向上したかのように錯覚するケースがあるが、これは 「模倣効果」ではない。 第 4 章は、金融グローバル化の中でダイナミックな資本主義的活動を展開し ている観光産業について論じている。航空業界では 1970 年代の航空規制緩和 により価格競争が激化し、それが引き金となって航空業界再編成が進行した。 1990 年代に入ると、航空会社は 3 つの航空連合(スターアライアンス、スカ イチーム、ワンワールド)を形成し、航空会社間がコードシェアリング(共同 − 35 − 運航)で連携するとともに、基幹空港(ハブ空港)を中心とする航空便の路線 展開(ハブ&スポーク・ネットワーク)を図っている。欧米、東南アジアでは、 既存の航空会社とはビジネスモデルを異にする格安航空会社(LCC)が急成長 しており、今後の動向が注目される。また、航空会社におけるコンピューター による予約システム(CRS、現在は GDS:Global Distribution System と称する) は、1962 年にアメリカン航空と IBM が共同開発したセーバーが最初であった が、その後アポロ、アマデウス、ガリレオなどが登場しており、1990 年代の インターネットの普及とともに旅行業におけるオンライン代理店の活動の急成 長を促している。 旅行代理店から経営を始め、金融業、ホテル業、鉄道業などへと多角化し、 旅行関連の業種を包括し、総合旅行企業を形成していった例としては、イギリ スのトマス・クック、アメリカのアメリカン・エキスプレス、ドイツの TUI トラベルなどを挙げることができる。TUI トラベルは、3,500 の旅行代理店、 18 のツアーオペレーター、格安航空会社の 100 機の航空機、10 隻のクルーズ 船を所有している。 ホテル業は大部分の国では家族的経営の独立のホテルが軒数では多数を占め ているが、チェーン方式で経営されている大規模な多国籍ホテル企業は売上高 では高いシェアを占めている。ホテル業はホテル事業収入を通じて投資を回収 していくインカムベースの事業と土地などの資産の含み益の取得を目指すス トックベースの事業から成る。多額の設備投資が必要となるホテル業では、不 動産会社や金融機関が投資ファンドを設立し、不動産の売買を運用会社に委託 している事例がみられ、ホテル経営は資本主義的な企業活動の最前線にあると 言える。 古くからのリゾートとは違い、不動産投機により大規模な開発を行い、ホテ ル、カジノ、テーマパーク、ゴルフ場、レストラン、バーなどの観光総合施 設からなる人工的保養地を形成しているニューリゾートが世界各地で形成さ れている。たとえば、ラスベガスやドバイの大レジャー総合施設のほか、ス ペイン北部サラゴサ近郊の砂漠では 2023 年の完成を目指してホテル 70 軒、カ ジノ 32 軒、テーマパーク 5 つを含む巨大リゾート地「グラン・スカラ(Gran − 36 − Scala) 」が建設中である。 第 5 章は、観光のグローバル化と観光産業の関係、持続可能な観光について 論じている。観光のグローバル化以前にも観光地やリゾート地の別荘に関わる 不動産売買は行われていたが、観光のグローバル化の進展に伴い観光産業と不 動産業の関係はより密接に、また国内にとどまらずグローバルに展開すること になった。グローバルに展開する多国籍ホテル企業にはホテルの所有する不動 産価値の上昇に伴い多額のキャピタルゲインを得る場合があるが、その逆に不 動産価値が下落する場合にはキャピタルロスが生じることになり、不動産から の収益には不確実性を回避することは難しい。1990 年代のインターネットの 普及に伴い、旅行企業にとっては経費節減、生産性の上昇を通じてオンライン 旅行代理店が急成長を遂げるとともに、旅行者にとっては利用する航空機、宿 泊するホテルをインターネットで予約し、こだわりの旅行を楽しむ人々が増加 した。 観光客の移動が活発になればなるほど、観光地においては「開発と保護」の ジレンマに悩まされる。開発と持続可能な観光を両立させることは難しい課題 である。この課題に取り組むにあたって、環境や社会が観光の要求をどの程度 まで受け入れることができるかを表す「収容能力」(あるいは「環境容量」)と いう持続可能性の指標がある。 「収容能力」にはさまざまな種類があるが、い ずれの場合も「収容能力」の限界を突破しないように自然環境や社会環境を守 るために「公平な観光」 、 「連帯責任のある観光」を維持するように努力しなけ ればならない。 観光研究者が頭を悩ますのは、観光用語の定義である。世界観光機関は観光 用語の定義を行っているが、それは国際的統一基準で統計を作成する必要から 定めた統計用語であり、学術的用語とは異なる。著者は世界観光機関による観 光用語に対する明確な異議申し立てを行っており、今後世界の観光研究者間で 論争が活発に展開されることを期待したい。 本書では資本主義の発展との関連で観光と観光産業の発展を分析するという 著者の姿勢が貫徹しており、休暇制度、マスツーリズムの問題点の指摘は鋭い。 さらに、グローバル化の中の観光産業については、本書の副題が示すように、 − 37 − グローバルに展開する観光産業の変化について豊富な事例を用いた現状分析と 鋭い問題点の指摘がなされている。最後に、本書の随所に疑問符(?)で示さ れている問いかけは重いテーマのものが多く、著者が現代の観光が抱えている 諸問題に真正面から取り組んでいることをうかがい知ることができる。 − 38 −
© Copyright 2024 Paperzz