子育てから学んだこと 布施 恵子 家庭での教育とは「どういうことをしていったらいいのだろうか」という思いがふと頭 をよぎるときがあるけれども、これが答えというのはもしかしたらないのかもしれないと 近頃思っている。どこかでもらった日めくりカレンダーに「学問に王道なし」という言葉 が書いてあったが、同様のことが家庭での教育についてもいえるように感じる。 私は子供を育てるに当たり、その時々で自分がやれることを一生懸命やってきたつもり である。特に、最初の子供が何かを身につけるのに時間がかかるタイプであったので、い ろいろなことを調べて自分なりに考えて工夫してやってきたと思う。例えば、歩くという ことについては、歩く前が大切だからということでいろいろなところで、はいはいをさせ た。道、山、神社や公園などの階段など思いつくところではどこでも。それはそれでよか ったとも思うが、反面、子供が歩くようになり少し大きくなったとき道にお尻をついて気 軽に座るのを見たときに、はいはいも場所を選ぶ必要があったのかもしれないと感じた。 うちの子供の性格で、たとえ気を付けていても同じことをしていたかもしれない。しかし、 私の立場からすると、生活の仕方もあったかもしれないと感じるのである。道でしゃがむ のならば、まぁいいかと思える気もするが、単に脚力の問題だけでなく、駅のホームなど でもお尻をついて座ってしまう時もあり、しばらくの間「ここではたとえ疲れてしまって も座るんじゃないよ、椅子に座るか何かによりかかるかするんだよ」と言い続けた記憶が ある。その時はそれが精一杯でそれ以上のことはできなかったと思うが、やや残念な気も している。というのも、初めての子育てということもあったのだが、よくわからないため 本やテレビ、どこかの乳幼児サークルや講演会、乳幼児関係のものを売っているお店など に行って聞いてきたことなどを、自分の性格や子供の様子を見て臨機応変に対応せずに、 そのまま取り入れていたような気がするのである。その時の自分の中にあったのは、歩く ということなら〈早く歩くように〉という思いだったような気がする。 「あの時は無理だっ た」とはっきりわかることではあるけれども、例えば歩くことについていえば、 「歩けるよ うになるとこういうこともできて楽しいよね」と子供に語りかけながら子育てができてい たなら、私自身の日々の思いが違っていたと思うのである。また、歩くという肉体的なこ とについては、もしかしたらあまり変わらなかったかもしれないが、言葉や文字、数など の知的なこと、また人と人とのかかわり合いについては、我が家の子供が実際に身につけ 1 た時期よりも、皮肉にも私が願っていたように早くなっていたかもしれないと思うのであ る。当時の私の気持ちを振り返ってみると、焦りや悲壮感にも似た思いを持ちながら、こ うしなければ子供が育たないというような強迫観念に押されていたような感じだったので ある。幼稚園、小学校、中学校と進んでいく中でもこの思いは根本的に変わらなかったよ うに思う。年齢が上がるにつれ自分が子供に慣れ、また自分が予想もしなかったうれしい 出来事もあったり、何かをするのに時間がかかる子供だったからこそ、自分が今まで気づ くことができなかったことにも気づけたという感謝の思いもあったりはした。それは自分 の気持ちの問題で、子供に対しては、早く○○ができてほしいという思いだったと思う。 しかし、子供が高校に進学をするに当たり、わたしの考え方を変える出来事があり、それ 以来学校に行くのは子供自身であるということをいつも思うようになった。高校に進むと き誰でもどの学校にするか考えると思うのだが、我が家でもここならどうかといくつかの 高校を受けその中の一つに通うことになった。うちの子に合格という判定を出してくれた ことで本当にありがたくて本当に感謝の気持ちでいっぱいだった。しかし、通学するうち に、自分から質問に行き先生に教えてもらうというタイプの学校だったので、何をどうや ったらいいかまだよくわかっていなかったうちの子供が、この学校に行っていて何を学ぶ のだろうかという疑問がわいてきて、いろいろ考えたうえで子供ともよく話し合い、この 学校をやめることにした。そして新たに高校を受け直すことにした。そのとき、どこを受 けるかと親子で考えたのだが、最後にアドバイスをしたのは私で、子供は私が何も言わな かったら違うところを受けていたのかもしれないと思う。結局不合格となり、塾と家での 生活をすることになったのだが、私は不合格になったとき子供にかわそうなことをしたと、 アドバイスをしたことをとても悔やんだ。この時、試験を受けるのはわたしではなく子供 で、その子供が高校に行くことをどう考えるか、子供自身の中身、教科でも生活でも、充 実させなければならないのだと実感した。そして、今後何年かかって高校に合格するのか わからないけれども、それがうちの子なんだと思うようになり、時々受かるのかなーと思 う時はあったけれども、それならそれでいいじゃぁないかと思い、日々浪人生活を楽しも うと思うようにした。浪人生活をしているからこそできることもあるはずだと思い、親子 でその生活を楽しんでいたと思う。私は子供の不合格がわかってから週に何日か仕事に行 き、新たな生活を始めた。子供が中学三年生だった時、もし子供がどこにも行く高校がな く家で受験勉強をしていたとしたら、どんなにか毎日が暗くなるのだろうと重い気持ちに なっていたものだ。どこか行けるところはないか、どこか行けるところ…と日々思ってい 2 た。しかし、結果的にそういう生活をする期間があったのだけれども、それは自分が思い 描いていた生活とは似ても似つかない楽しいものだった。本当に、こういう形の生活も悪 くないと思っていた。その翌年、子供は自分で高校を選び合格できたのであるが、不思議 な感じだった。どこかに行かなければ…と必死に思っていたときにはなかなかうまくいか なかったのに受かるときは受かるもんなんだなあと思ったのだ。 今、わたしは子供の人生は子供自身が歩いていくのだと思っている。もちろん子供の好 きにすればいいというのではない。わたしはその協力者として何ができるかを考えている。 子供はこの子のほかにもう一人いるのだが、性格が違いそれはそれでいろいろのことを学 んできた。それぞれの子に対して、わたしは、その道を歩くのは子供自身であるというこ とをいつも思っている。だから、私自身も私自身の人生を歩いていきたいと強く思うので ある。〈早く歩いてほしい〉と思っていたような私の思いを子供に乗せすぎないようにし、 その子供の歩みとともに歩く中に面白みや楽しみを見出しつつ、また私は、私だけの世界 も持ちつつ、子供と共存して生活していくことだと考えている。今になってみると、夫は もう少し子供とのかかわりを楽しんでいたと思う。そういう夫の子供に対するかかわりを 今は理解できるようになった。性格なのかもしれないが、父親と母親の違いということは 否めないと思う。 最初の子供はいろいろなことを身につけるのに時間がかかるタイプであるのだが、言葉 や文字や数について時間がかかりそうだとわかった子供は、言葉や文字といつもセットに して、生まれた時からやさしく語りかけ見せてあげるといいと思う。身の回りのものから 少しずつ続けていくと、話せる楽しさ、文字が読めて、書ける楽しさが味わえるのではな いかと思う。 親がこうやるといいかもしれないと思っていろいろしているのにもかかわらず、子供が 求めているものの姿になかなかならなかったとしても、思わぬ副産物が得られると思う。 それが何かはわからないけれども。人として生まれて、言葉、文字、数といった知的要素 の基礎の働きかけをすることは、その子供に何かを必ずや残すだろうと感じてやまないの である。親はこの世に生まれてきた子供の中にある何かを信じて生きていけたら!と思う。 そしてそれは、親自身の中にある何かを信じて生きていくことにもつながると信じている。 親子も〈一つの出会い〉だと思う。この出会いを大切にしていくことが家庭での教育のも とになると感じている。 3
© Copyright 2024 Paperzz