「パーテイカー」のプロフィール - 株式会社インプロビック|Improbic

「パーテイカー」のプロフィール
株式会社インプロビック
「主意培訓所」代表
販売商品
「超プレミア中国ビジネスアイデアレポート」
メルマガ
「超プレミア中国ビジネスアイデア情報」
◆出身地
埼玉県北葛飾郡杉戸町生まれ
◆パーテイカ―の育ち
私の家庭は、母子家庭で、母、兄、そして、私の3人家族です。
兄は、もう結婚して、外資系の超有名製薬会社でバリバリ働いています。
今から8年前に兄が結婚して、出ていったので、この8年間、私は母と
二人で過ごしてきました。
小学校4年生から、私は、兄にサッカーをするように勧められ、
(というか、強制的にやらされた。笑)クラブチームに入団しました。
週に4回も、練習があって、サッカー始めて、3か月後に小学6年生の
チームでレギュラーを取りました。
その時に、私に与えられたポジションはゴールキーパーです。
私が小学校6年生の時には、関東大会で決勝まで進みましたが、決勝で
破れ、全国大会には進むことができませんでした。
しかし、その関東大会で優秀選手賞を獲得し、
あるジュニアクラブチーム(中学生のクラブチーム)から、オファーを
受けて、そのクラブチームに入団しました。
◆将来の夢
サッカーを真面目に、真剣にやるようになって、
僕は、世界ナンバーワンのゴールキーパーになることを
最大の夢とした。
そのために、まず、目標を決めなければならないと思い、
日本代表でプレーている川口能活選手を追い抜くことを
第一の目標とした。
まず、川口選手のプレーをビデオで見まくって、また、
練習場にも何回も足を運び、直接、自分の目で、観察
をした。
それから、毎日、サッカーの練習に参加する以外にも、
朝と夜、2時間走り、自分を鍛え上げていった。
◆全国大会
その後、私は、クラブチームの副主将を務め、そのチームを
全国大会へと導きました。
目標は、全国制覇。
世界一のゴールキーパーになるには、まず、自分のクラブチームを
日本1にするくらいのことは簡単にできないと厳しいと自分の頭の
中に叩き込む。
◆強豪清水エスパルスに敗北
しかし、その全国大会も、清水エスパルスというJリーグのジュニアクラブ
チームに敗れ、全国ベスト16にとどまる。
◆門前払い
その後、私は、某Jリーグチームからオファーがあり、そこに行けば、
間違いなく、Jリーグでプレーができると保証されていたけれども、
あくまでも、僕が目指しているのは世界一であって、日本一ではない
ということを再確認し、そのオファーを蹴り、日本代表の監督である岡田
監督がいる、そして、私の目標である川口能活選手がいる横浜マリノスへ
入団しようと試みた。
しかし、選考試験の段階で、岡田監督に次のように言われました。
「君は180センチの身長がないから、うちには入れないよ」
と。
それでも、自分のプレーには世界1の自信があったので、
「まずは、私のプレーを見てください。
」
と言ったのですが、
全く聞いてくれず、私を門前払いしたのです。
その後、私は、命をかけてきたサッカー人生に
終止符を打つことにしました。
そのチームでプレーできないならどこでプレーして
も全く意味がないと思ったからです。
それほど、私は横浜マリノスに門前払いされたことが
辛かったのである。人生初の最大の挫折であった。
◆浪人時代
高校卒業後、何の夢もない自分は、暗闇の中で生活をし、
いわゆる、ぷー太郎をやっていて、これから自分はどうなる
んだろうと考えていた。
しばらくしてから、うちは母子家庭だから、さすがにそろそろ
お金を稼がなければならないと思いはじめて、
体力には自信があったので、
某引っ越し会社で働くことにした。
◆搾取の経験
しかし、そこでは、私の想像していたものとは、完全にかけ離れていて、
いわゆる、日本の社会における搾取というものを経験し、それの存在に
に気がつかされたのです。
会社の保険に加入していたのにも関わらず、お客様の荷物に破損があった
場合、自腹で、弁償しなければならないという経験を何回もしました。
特にひどかったのは、お客の大理石で作られたテーブルを運んでいたときに、
手がすべり、落としてしまい、なんとその超高級なテーブルが半分にきれいに
割れてしまったのです。
始末としては、私が、13万円、自腹でお客に弁償し、
この問題を解決しました。
会社は、私の起こした破損について、何の対応もとってくれませんでした。
会社が言うには、お前のミスなんだからお前が弁償しろとのことでした。
私はてっきり、会社の保険に入っていたので、会社の保険で、
この破損問題は解決すると思っていたのですが、
私が入っていた会社の保険は適用されず、私の実際の給料25万から
13万円が引かれて、その月はたったの12万円しかもらえませんでした。
毎日、朝から夜遅くまで、体を壊してまでも働いているのに、
月に、たったの12万しかもらえないという現実に直面して、
つまり、いわゆる搾取という現実に直面して、
私はもう、その会社で働くことをやめました。
◆人生やり直し計画
それと同時に、その時は、ちょうど日韓ワールドカップが行われていて、
その時に、サッカー日本代表監督であるトルシエの横にいつもいる、
同時通訳者のフローラン・ダバディエという人が私の人生を180度
変えてくれたのです。
私も、彼のように、サッカー場で同時通訳したいと
思うようになったのです。
もちろん、もうサッカー選手としての夢はあきらめましたが、
サッカーの同時通訳者なら、今からでもなれる、そして、いつ
かは、フローラン・ダバディエを追い越して、世界一の通訳
者になってみせると思うようになったのです。
◆平秀信社長との出会い
まずは、私の人生を変えてくれるような人をネットで探し出しました。
しかし、どれも私の期待を満たしてくれる人は見つかりません。
やはり、世界一の通訳者を目指している私ですから、私を楽しませて
くれる人なんてこの世にはいないんだなと思い、ほぼ、諦めかけていた
時に、
「かなわない夢はない」という言葉に出くわしました。
この言葉をたどっていくと、平秀信社長の言葉であるということが
分かりました。
そして、平秀信社長の書籍やメルマガやDVDなどを見ていくうちに、
この人なら私を大きく変えてくれると思い、平秀信の書籍を全部読みました。
◆平秀信社長に弟子入り
平秀信社長が配信しているメルマガの中で、平秀信社長の生い立ち
について、書かれていました。
そこで、知ったのは、平秀信社長は、過去に、一億円の借金を抱えていて、
そこから這い上がって、今では、年間102億円稼ぐようになったという
ことです。
平秀信社長の180度の転換が私に大きな衝撃を与えたのです。
それと同時に、是非、できるものなら、平秀信社長のもとで仕事がしたいと思い、
平秀信社長に私を採用してくれるように申し出たのです。
採用試験は非常に難関でしたが、なんとか、弟子入りできたのです。
◆株式会社インプロビックでのプロジェクト
平秀信社長は、私を株式会社インプロビックで、仕事をするように命じました。
その後、第一のミッションは、
中国に行って、一年間、中国のマーケット調査をして来い
というものでした。
中国語を今までに勉強したことがないのに、中国に1年間も???
と思いましたが、これくらいのことは簡単にこなさなければ、自分が
大きく変わることはできないと思い、即、引き受けました。
◆中国で婚約
中国で、マーケット調査を行うとともに、中国語の勉強を始めました。
しかし、今まで、本格的に中国語を勉強したことがなかったので、非常に困りました。
何を、どう勉強してよいか分からない。
そこで、中国の湖南師範大学という大学の日本語学科のパーティに参加しました。
日本語を勉強している中国の学生から勉強方法を教わろうと思ったのです。
何回か、その日本語学科の学生と交流するうちに、ある女性が、今度一緒に
勉強しようと誘ってきたのです。
私は、もちろんOKし、次の日に、彼女と会って、一緒に勉強しました。
彼女も今まで、辛い経験をしてきて、将来、日本語の通訳者になって、お金を
稼いで、親孝行をしたいという大きな夢があり、非常に意識が高く、その思いが
私を勇気づけて、私も頑張らなければならないと思い、彼女とお互い毎日、
励ましあい、将来の夢を達成する意識を高めあうような関係になっていきました。
その後、毎日一緒に勉強しているから、お互いに恋愛感情が芽生え、お互い尊敬し
合っている関係だけでなく、お互いを愛し合う関係に発展していったのです。
そして、去年、11月に2人の間で、婚約しました。
◆彼女の親の猛反対
しかし、彼女の親は、反日感情がはんぱなく強く、
「日本のくそ野郎と婚約なんて、ふざけるな!!!」
と言いだし、
彼女は、泣きに泣き崩れたのです。
もう、二人の関係は、これでおしまいかと思ったけれども、
自分が大きく成長するためには、彼女がそばに必要だと感じ、
諦めずに、彼女の親に、結婚させてくださいと絶えず、お願い
しました。
3か月間に渡る、彼女の親への説得を通して、彼女の親は、私に
ひとつのチャンスをくれたのです。
それは、お金を稼いで、家を買うこと。
最初に家を買わなければ、結婚はさせないと言いました。
彼女の親は、私に経済力がないと彼女を幸せにすることはできない
という考えがあるのです。
そこで、私は、自分でお金を稼ぐノウハウを身につけて、お金を
莫大に稼いでやると決心しました。
◆「主意培訓所(しゅいばいくんしょ)
」
日本に帰国後、株式会社インプロビックに帰国報告をし、その時に、
株式会社インプロビックの社員と上司であるエリック網倉と一緒に
これから、パーテイカ―自身はどうするのかということについて、
話し合いました。
そこで、私は、お金を莫大に稼ぐ責任があるので(結婚のために)、
これから、私にお金を莫大に稼げるようにしてくださいと頼んだら、
この中国で一年間、毎日書いてきたレポートを自分で販売するように
と命じられました。
商品の販売の仕組みについて、右も左も分からない状態からはじめ、
商品の内容から、商品を宣伝する方法、それから、ホームページの製作、
メールマガジンの作成、商品を販売する方法、また、お客様からクレジットで
代金を徴収する方法まで、自分ひとりで勉強し、それらを完成させてきました。
そして、今、株式会社インプロビックの中で、
「主意培訓所(しゅいばいくんしょ)」という中国情報プロジェクトを
たちあげることに成功したのです。
このプロジェクトの中で、今まで書いてきた中国の独特のビジネスアイデア情報を
商品化し、お客様に商品として、販売するという体制が今、整ったのです。
◆中国の起業家たちとの対談
中国にも、やはり成功している起業家とお金が稼げない起業家が存在します。
その中でも、成功している起業家と対談することができました。
また、何回か彼らと対談するつもりです。
それらの情報を今度は、音声や映像で、商品化したいと思います。
また、中国の成功している起業家たちを日本に連れてきて、日本で、
セミナーを開こうとも思っています。
◆今のパーテイカ―自身
今の私は、やっと自分でお金を稼ぐノウハウをほぼ完璧に身につけた
という段階です。
ここまで、かなりの苦労をし、もがき苦しみましたが、ひとつの壁を超え
たと思います。
しかし、これからが本当の勝負で、今度は、商品を販売して、
結果を出さなければなりません。
平秀信社長からもっと多くのビジネスノウハウを学び、中国ビジネスの研究
を通して、売上を莫大にあげたいと思います。
それと、並行して、今は、カンボジア語とスワヒリ語を勉強しています。
私の計画がうまくいけば、来年の9月から一年間、カンボジアに行く予定です。
カンボジアに行って、自分の視野を広げていきたいと思います。
また、近い将来、アフリカにも行く予定なので、スワヒリ語も勉強しています。
今、週末は、英語と中国語の同時通訳を代々木と早稲田でやっています。
最終的には、5か国語は操れるようになりたいです。
◆最後に (将来の最大の夢。
。
。
2009年7月現在)
今まで、世界一の同時通訳者だとかお金を莫大に稼ぐということが
平秀信社長のもとで働いていると、私の想定範囲内になってきて、
それだけでは、なにか、ものたりないという感じがしてきたのです。
なぜかというと、やはり、私は、一回、サッカーで挫折しているから、
何かしら、サッカーに関しては、未練がある。
だから、何を達成しても、世界一のサッカープレーヤーになるという夢を、
追い抜くことはできないと思ったのです。
それでは、どのようなことがかつて挫折した夢をも
追い抜くことができるのかと
私は、かなり考えました。
その結果、出た答えは、
やはり、世界一のナンバーワンサッカープレーヤーに
なるということです。
これ以外に、私のかつての夢を追い抜くことができないと判断したのです。
しかし、もう6年間もサッカーから離れているので、今から、また、練習して、
世界一を目指すのは無理です。
それでは、どうするのか?
それは、将来の自分の息子を世界一のサッカープレーヤーに
させればよいという結論がでました。
そうすれば、今までのどんな目標、夢よりも追い抜くことができると思ったのです。
だから、今から、自分の将来の息子を鍛え上げるのに、
まず、自分を鍛えなければならないと思い、
今、平秀信社長のもとで、訓練している最中です。
日々、進化です。
新しいことを積極的に受け入れて、自分のスキルへと変えていく努力を
しています。
今までの私のプロフィールは、こんな感じです。
今、平秀信社長のもとで仕事ができていることがまるで夢のようです。
しかし、これは、あくまでも、スタートラインであり、私の最大の夢
の関門はもっと厳しいと思います。
今、平秀信社長のもとで、激しくもまれ、厳しい訓練に耐えて、自分を
一気に成長させたいです。
長いプロフィールでしたが、最後まで読んでくださり、
誠に感謝します。
かなわない夢はない
パーテイカ―