第48回 調和の妙 理想の美 ~絵画とともに聴く古楽

~絵画とともに聴く古楽
須田 純一 (銀座本店)
第48回 調和の妙 理想の美
ニコラ・プッサン:「階段上の聖家族」クリーヴランド美術館
アルカンジェロ・コレッリ
教会ソナタ集作品3(全曲)
ヴァイオリン・ソナタ集作品5(全曲)
エンリーコ・ガッティ&アンサンブル・アウローラ
■CD:Mer-A402(2CDs)、Mer-A423(2CDs)各 \4,515
(マーキュリー、日本語解説付)〈ARCANA〉
みなさんは、ニコラ・プッサンの名前をご存知
でしょうか。少し美術史を紐解けば名前とその作
品は必ず出てくるはずでし、その影響力の大きさ
にも触れられています。
しかし、同時代の他の画
家、例えば、近年日本でも人気急上昇中のカラ
ヴァッジョやフェルメールといった画家と比べる
とどうにもその存在感が薄いのは否めません。実
際のところ、
プッサンの作品は、色彩や構図など
抑制された理知的な画面のため、一目見たイン
パクトには若干欠けるのかもしれません。
しかし、
その画面構成力はずば抜けており、かつ絵の深
みは類を見ません。
「物語を、そして絵を読んで
下さい」
というプッサン自身の言葉が示す通り、
プッサンの絵画はただ眺めるだけでなく、細かい
ところまで 読み尽す 楽しみがあります。知れば
知るほど作品が面白くなる、それがプッサンの作
品の最大の特徴なのです。
例えば掲載した
「階段上の聖家族」
を見てみま
しょう。中央の人物群の正確で堅固な三角形構
図、考え抜かれ配置された色彩、普遍的でモニュ
メント的な表情など、
どんな細かいところも動か
しようのない堅固な画面構成になっています。実
は階段に座る人物群という構図、そして個々の人
物のポーズは過去の作品から借用されていて、
こ
うしたことはプッサン作品全体に見られることな
のですが、ただの借用に陥らず、様々な要素を組
み立て上げ、見事に調和させ、明確な主張を持っ
た古典的な画面へと作り上げてしまうところが、
プッサンの凄さなのです。
そしてこの絵画を 読んで みると、様々な要素
が込められていることが分かります。
まずこの中
央の人物群の三角形構図はカトリックの重要な
教義である三位一体を示しています。右側で陰
になっている人物はマリアの夫ヨセフで、彼が三
角形構図の一角にいることで、イエス、マリア、
ヨ
セフという 3人 家族、すなわち三位一体を象徴
するものとなっているのです。
またヨセフはコン
パスらしきものを持ち、思索に耽っているところ
を見ると、建築家や数学者を表しているようで
す。
これは三位一体の教理とも合致する 神聖比
例 について考えているものと思われます。
また階段の上には神殿が広がっており、
これは
天上世界の情景を示しています。すなわち階段
は現世と天上世界を結ぶものであり、イエス・キ
リストは天上世界から聖母マリアを通じて現世
へと降り立つことと同時に、人類は聖母マリアを
通じて天上世界と繋がることができることをも示
しているのです。
この天と地を繋ぐものとしての
マリアの重要性はその頭部が三角形構図の頂点
になっていることからも示されています。そして
画面中央に位置する幼子イエスは、洗礼者ヨハ
ネからリンゴを受け取ろうとしています。
このリン
ゴはエヴァのリンゴ=人類の罪の象徴であり、そ
れをイエスが受け取ろうとしている様子を描くこ
とによって、イエスが人類の罪を贖う=人類の救
済がイエスによってなされるというその瞬間とい
う大変劇的な場面を演出しているのです。
そうした劇的な瞬間にもかかわらず、静謐でま
るで映画や舞台の一場面を瞬間冷凍させたよう
な、動きそうで動かない画面となっています。
ま
るでモニュメントのような静謐性こそ、
この絵画
を普遍的なものにしているのです。
ちょっと深入
りするだけでもプッサンの絵画にはこれだけの
意味が隠されています。感じるだけでなく、絵画
を読むこと=理解することの重要性をプッサン
の絵画は教えてくれるのです。
さて、音楽史にもプッサンと同じような存在の
作曲家がいます。
それがアルカンジェロ・コレッリ
です。絵画におけるプッサン同様、同時代そして
次代にとてつもない影響力を及ぼしたコレッリで
すが、日本ではどうにも他のバロック有名作曲家
らの影に隠れがちです。
その理由は後述するディ
スクの解説などに詳しいのでそちらに譲ります
が、
トリオ・ソナタ、合奏協奏曲(コンチェルト・グ
ロッソ)、
ヴァイオリン・ソナタ
(ソロ・ソナタ)
とい
うバロック音楽における極めて重要な要素とな
る3つの形式を確立したという点において、コ
レッリは音楽史上に大変重要な位置を占める存
在となっているのです。
ルネサンスからバロックへと様式が甚だしく変
化を遂げていた時代にあって、
コレッリは混沌と
していた音楽形式を整理し、完璧なものとして作
り上げました。
ですから、バッハもヘンデルもヴィ
ヴァルディもそしてコレッリと同時代かそれ以降
のほぼすべての作曲家が直接的間接的に影響
を受けていると言っても過言はないのです。
コレッリの作品の特徴を簡単に表せば、調和
と洗練 となるでしょうか。
どの作品もとてつもな
く厳しい審美眼を持っていたコレッリによって推
敲され選ばれた、一部の隙もないものばかりで
す。余計なものが一切削ぎ落されたコレッリの作
品は洗練の極致とも言えるほどシンプルなもの
です。
それを楽譜通り弾くだけでは、
コレッリが意
図した音楽を再現することは不可能なのです。
コ
レッリ演奏には、即興的装飾という演奏技術が欠
かせないものとなっています。
コレッリの骨格に
正確に肉付けしていくことなくしてはコレッリの
作品は真の輝きを発しないのです。
そうしたコレッリの音楽を現代において再現
するに最適な演奏家は バロック・ヴァイオリンの
神様 エンリーコ・ガッティをおいて他にいませ
ん。活動初期からコレッリ作品を積極的に取り上
げ、その重要性を訴えてきたガッティは、現在ま
でいくつかのコレッリ・アルバムを世に出してい
ます。
これらの録音では、様々な研究資料を参照
し、演奏経験で培った17世紀の作品における様
式研究を基に、
コレッリが作品を作曲したその当
時の演奏再現が試みられています。
特にトリオ・ソナタ集作品3とヴァイオリン・ソ
ナタ集作品5(いずれもARCANA)の全曲録音は
完璧さにおいて比類なく、
もしコレッリが聴いた
ら絶賛するだろうと思えるほどの素晴らしさです。
これらの演奏におけるガッティのセンスと経験か
ら生み出される装飾法はかなり大胆なものなの
ですが、
まるでコレッリの作品がそれを望んでい
るように為されているため、
とても自然に響きま
す。
またそれ以外にも一聴しただけではわからな
い、
こちらもあまりにも自然になされた仕掛けに
満ちていて、それらを知れば知るほど凄みを増す
という、
まさにプッサンの絵画のような演奏なの
です。残念ながらARCANAレーベルのタイトルは
一度品切れすると入手困難になることが多いの
で、お持ちでない方は早めのご購入をお薦めし
ます。
コレッリはプッサンの絵画を所有していたそう
です。おそらくその芸術理念に共感するものが
あったのでしょう。両者とも妙なる調和を持って
理想の美を目指していました。
そして時代や国の
趣味に左右されない完全性を持った普遍的な作
品を残そうとしていたのです。完璧な調和を為す
彼らの芸術は一見、一聴だけでは見えてこない
深みを有しています。ぜひじっくりと彼らの作品
に触れていただき、その真価を味わっていただ
ければと思います。