「フランス絵画の 19 世紀」展公式ブログ 「フランス 19 世紀のサロン」 2009 年 7 月 29 日掲載 「フランス絵画の 19 世紀」展に寄せて パリ第一大学パンテオン・ソルボンヌ 矢 倉 英 隆 絵画を味わうとは一体どういうことだろう。そもそもなぜ絵画と向き合うのだ ろうか。芸術作品と意識して向き合うようになってからまだ時間は経っていな いが、その切掛けになった出来事から現在に至るまで過程を振り返りながら今 の段階で言えることを改めて考えてみたい。 音楽との付き合いは長いが、絵画や彫刻などの造形芸術との意識的な接触はま だ 10 年にも満たない。その引き金が引かれたのは、5-6 年前から積極的に始 めたフラ ンス語との出会いではないかと思っている。その教材に使われている 芸術作品をフランス語で読むという過程や、その頃から努めて通うようになっ た展覧会という空間において、大げさに言うと美の発見の悦びを感じるように なっていた。フランス語との接触により、今ここにあるものに止まらず、これ まで蓄積されてきたすべての事に敏感になり、注意深く観察するようになって いた。この注意深さこそ、芸術作品と触れ合う時に大切なことではないのか。 この注意深さこそ、ただ流れているだけにしか見えない日常の中に隠れている 非日常を見る目をもたらしてくれるのではないのか、と気付くようになってい た。芸術作品を味わうということは、注意深さという性質を通して人生を味わ うことと同義ではないかと思い至った瞬間になる。 2005 年のある夏の日。古本屋に置かれていた堀田善衛(1918-1998)の「美 しきもの見し人は」(朝日選書、1995 年初版)を手に取った私は、その序に あった次の言葉に反応していた。 「元来、ヴァレリイの言うヨーロッパ、それを構成する三つの主柱、 すなわち、ギリシャ、キリスト教、科学精神といったものの、このど れ一つをとってみても、なみの日本人としての生活感情を生なままで、 それをもったままで近づいて行って、ごく自然にこの三つのものの、 どれ一つとして自然にわれわれのなかへ入って来てくれるというもの ではない、と思われるのである。[・・・] 正直に言って、誰しも何等かの無理をしなければならないのである。 つまり、勉強、ということがどうしてもともなう。そうして、この無 理と努力の報酬としての感動がある、というかたちになっていること が大部分の例であろうと思われる」 当時は科学の領域に身を置き研究に打ち込んでいたが、まずヴァレリー(Paul Valéry ; 1871-1945)の言っている「科学精神」という言葉に新鮮な驚きを 感じていた。それから、ギリシャ、キリスト教が体の一部になっていないわれ われが、ヨーロッパ芸術を味わおうとした時に出会うであろう無理についても 納得していた。しかし、堀田は「私の努力は、なるべく努力をしない、勉強を しない、ということに注がれることになる」と続けている。自分の感性を信じ 全身を晒すという堀田の態度は、わたしが作品に接する際にそれまで取ってき たものと重なるところがあり、大いに力づけられたことを思い出す。 予習をしない。自分の感性を信じ、全身を作品の前に晒した時に起こる内なる 揺らぎを注意深く観察する。そこで自分が揺れる作品、悦びをもたらしてくれ る作品、何かの意味を感じる作品が飛び込んでくるのを待つことになる。自分 の感性に触れないようなものは無視してしまう。芸術のために生きているわけ ではないのだから。生きるために芸術を味わうのだから自分の感性を信じるし かないだろう。そして、自分を揺らした作品についてさらに探ることになる。 探りたくなるのである。芸術家やその周辺の人物について、絵の主役や脇役や 背景について、他の人の見方について、さらにそこに流れる音楽について、な どなど限がない。この自発性が生まれた時、芸術は一気に近い存在になってき た。それを手がかりに世界がどんどん繋がり、広がり、深まりを見せてくる。 その全体を改めて見渡す時、深い静かな悦びが訪れてくるのだ。 ところで、今回の展覧会で取り上げられるアカデミズムの絵画とはどのような ものなのだろうか。実はこの展覧会のお陰で、これまでに出会っていた「ホラ ティウス兄弟の誓い」、「マラーの死」、「ナポレオンの戴冠式」、「サン・ ベルナール峠を越えるナポレオン」、「ソクラテスの死」のジャック・ルイ・ ダヴィッド(Jacques-Louis David; 1748-1825)、「横たわるオダリスク 」、「ナポレオン」、「ヴァルパンソンの浴女」、「泉」、「トルコ風呂」、 「リヴィエール嬢」のドミニク・アングル(Dominique Ingres; 1780-1867)、 それから最近友人になったばかりのジュール・バスティアン・ルパージュ(Jules Bastien-Lepage; 1848-1884)などがこの派に属していることを知ること になった。彼らとのつながりをいくつか紹介させていただきたい。 これまで歴史上の人物を描く芸術家の想像力には驚嘆し敬服してきたが、過激 な革命家からナポレオンの画家になった新古典主義の総帥ダヴィッドも例外で はない。例えば、「ソクラテスの死」 ではプラトンやクリトンなどの弟子たち が悲嘆し苦悶する中、ソクラテスが魂の永遠を説いて毒を仰ごうかという瞬間 を描いている。登場人物が彫像のように美しい姿勢をとり、中でもソクラテス の雄々しくも従容として死に向かう姿が心を打つ。あたかもその場に立ち合っ ているような迫力を感じる。才能溢れる彼の筆が如何なく発揮されている証拠 だろう。 ボードレール(Charles Baudelaire; 1821-1867)が近くに感じ、ピカソ (Pablo Picasso; 1881-1973)が抽象化する時に参考にしたと言われるア ングルについても思い出がある。時代としばしばぶつかり絶縁状態になり、ロ ーマに長い間暮らしていた 150cmの子男が 70 年にも渡って仕事をし続けた ことに興味が湧き、彼の画集を集めたことがある。「リヴィエール嬢」と題さ れたキャロリーヌ・リヴィエール(Caroline Rivière; 1793-1807)嬢の肖像 を見ていると親しみを覚える。彼女の顔の形が具象から抽象へ向かいそうな感 じがするからだろうか。穏やかな人柄が滲み出ているからかもしれない。この 絵の完成後にキャロリーヌは亡くなったようで、曰く付きの名作になっている。 同じような雰囲気を持つ女性は「トルコ風呂」 の中にも見つけることができる。 彼の手に掛かる女性は美しく、現代的でさえある。しかもその姿勢や体の動き には淫らにはならない艶かしさがある。最近では 2 年ほど前、思いがけない形 で彼に再会した。その時、パリ 13 区の区役所を偶然訪れ、開かれていたイー ヴズ・アヤ(Yves Hayat; 1946- )という方の写真展を覗いていた。そこで 原油の壺を持つ女性にモンタージュされた「泉」に出会ったのだ。その映像は 私の中に強い印象を残し、自らの出版物のために使うことを決めるほどであっ たが、これはアングルが表現した無垢な美と壺から流れる落ちる透き通った水 なくしてはあり得なかっただろう。改めて「泉」の世界に感動していた。 一番新しいバスティアン・ルパージュとの出会いはほぼ 1 年前になる。オルセ (Saison d'octobre, récolte des ーのブティックで「10 月、じゃがいもの収穫」 pommes de terre)を目にしながら通り過ぎようとした時、何かを訴えかけら れているように感じて戻ったのが彼を発見する切掛けになった。以前であれば 見過ごして しまう絵だったが、なぜかその日は写真のように切り取られた素朴 な田舎の人たちの生活に惹かれていた。それ以来、日本で言えば江戸から明治 にかけてわずか 36 年の人生を生きた画家の作品を近くに感じるようになる。 あの時、なぜ彼の絵に惹かれたのだろうか。それが自らの記憶を刺激したから だろうか。あるいは、人びとが人間のすべてを以って接していた時代への郷愁 だろうか。その接触が今まで何も感じることのなかったミレー(Jean-François Millet; 1814-1875)への興味を呼び覚ましていることにも気付くようになっ ていた。 今回の展覧会ではアカデミズムとそれに対抗する形で生まれてきたいろいろな 動きが紹介されている。その中に思いもかけない出会いが待っていることを祈 り、期待したい。
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