江口 克彦 無断引用、転載、配布禁止 松下幸之助の言葉(1)一人も解雇

江口克彦
松下幸之助の言葉( 1)一人も解雇するな、1円も給料を下げるな(前
編)
~要旨~
「松下幸之助さんの経営の根底には、“人間大事”の人間観がある」と、松下幸之助の
晩年23年間を秘書として仕え、PHP研究所の社長も務めた江口克彦氏は語る。そし
て、その背景には草創期の苦労があった。
松下幸之助は、大正7(1918)年に松下電器製作所を創業。人手不足に苦しんだか
らこそ、採用した人を大事にし、人間大事の哲学が人を成長させた。“いいものを安くた
くさん”も、人への敬愛が生んだ哲学だった。「人間大事」「お客さま大事」「社員大
事」は不可分の三位一体なのである。
昭和4(1929)年の世界恐慌による不況の中でも、松下電器製作所は決して人を
切らなかった。「一人も解雇してはならない。1円も給料を下げてはならない」。松下幸
之助の言葉を受けて、社員一丸となって在庫商品を売りに売り、国内総不況の中、松下電
器製作所だけは工場フル稼働の活況となった。
人間を物のように扱ってはならない。考えるべきは、いかに社員にやる気を起こさせ、
元気を出させ、感動させる方向で問題を解消するか、である。松下幸之助のこうした考え
方こそ、今の時代に求められているのではないか。“商売のための商売”に追われ、営利
ばかりを追うようになってしまった現代社会に、江口氏が警鐘を鳴らす。
~講義録~
●「人間大事」の哲学は、お客さまも社員も同様に敬う
―― 松下幸之助シリーズの最後になるかもしれないこの本『ひとことの力:松下幸之助
の言葉』(東洋経済新報社)を読ませていただいて、大変感銘を受けました。特に「一人
も解雇するな、1円も給料を下げるな」というあたりからお話を聞かせていただければと
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思います。
江口 松下幸之助という人は、経営をやっていくときに、商売のための商売や経営のため
の経営ではなく、人間のための商売、人間のための経営というか、あの人の根底に常に流
れている“人間大事”、つまり「人間とは非常に素晴らしいものであり、その本質はダイ
ヤモンドだ」という意識が強かったのです。そのような人間観があります。
それと、もう一つ、松下幸之助さんは非常に苦労したということがあります。大正7年
に松下電器製作所を始めましたが、言ってみれば中小零細企業ですから、吹けば飛ぶよう
な小さな会社で、人を募集しても誰も来ない。もちろん優秀な人も来ないという状態でし
た。しかし、それでも人手が必要だという状況の中で、何とか人を採っていくのです。時
には優秀ではない人も採用しました。しかし、いかがなものかと思えるような人たちも、
松下幸之助さんと松下電器製作所で仕事をしていると、だんだん力をつけていくのです。
そして、それを「わしが教育しているから当たり前だ」とか「仕事をしているのだから
当たり前だ」という考え方ではなく、「なぜ人間はどんどん成長していくのか」「なぜど
んどん仕事ができるようになるのか」「人手が要るからと、能力がないのではないかと思
いながらも採用した人も、能力を発揮するようになるのはすごい」という考え方を持って
やっていったのです。それが、「人間は誰もが大事だ」「素晴らしい存在だ」という意識
につながるのです。
ですから、松下幸之助さんと話をすると、“人間から出発する”ということが根底に流
れている話が多いのです。例えば、“いいものを安くたくさん”という話がありますが、
それは、いいものを安くたくさんつくれば「もうかるから」という、商売や経営の次元で
考えたことではなく、“いいもの”の背景にあるのは、「人間というものは素晴らしい。
その素晴らしい存在にふさわしいいいものをつくらなければ、素晴らしい本質を持った人
間に対して失礼だ」という考え方なのです。“安く”も、「そんな素晴らしい人間に対し
て暴利をむさぼるのではなく、できるだけ安価にし、しかし利益は確保できる努力をしな
ければいけない」と考えていました。また、“たくさん”についても、「素晴らしい人間
に対して、不足して困らせるようなことはしてはいけない」という考え方でした。ですか
ら、素晴らしい本質を持った人間であるお客さまに対して、「“いいもの”“安いもの”“た
くさん”というのは、礼儀でしょう」という考え方だったのです。常に「人間大事」、
「お客さま大事」を考え、それがまた「社員大事」にもつながっていくのです。
●「一人も解雇するな、1円も給料を下げるな」
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江口 これは有名な話ですが、昭和4(1929)年に世界恐慌があり、浜口雄幸内閣
の時に日本もそれに巻き込まれました。
―― 金解禁ですね。
江口 そうです。それで日本全体が大変な不況になります。日本人の経営者は非常に真面
目ですから、いろいろと一生懸命努力して何とか経営を維持していこうと、経営の合理化
などを考えるのですが、それでも追い付かず、大阪や東京の町工場や会社で人員整理をせ
ざるを得ない状況でした。固定費削減のためには、一番先に人件費を削減することになる
からです。しかし、それも追い付かなくなると、今度は解雇です。ですから、松下電器製
作所の周囲の会社も、倒産するか社員を解雇するか、という状態でした。
当時の松下電器製作所では、後に三洋電機をつくった井植歳男さんが専務格で、松下幸
之助さんの考え方をよく知っていました。松下電器製作所も一生懸命努力はしていました
が、どうしても人員整理までしなければならないというところまで来てしまい、解雇する
人の名簿を井植さんが作成しました。
松下幸之助さんは元来、体が弱く、その時は西宮の自宅で布団に横たわって養生してい
ましたが、そこに井植さんが飛び込んでいき、「大将、ついにうちも解雇しなければなり
ませんので、その人たちの名簿を持ってきました」と言います。
そうすると、松下幸之助さんは布団の上に正座し、その名簿にしばし目を通し、涙を流
すのです。「自分は松下電器を大きくして世の中のために役立とうと思い、人を一人一人
大事に採用してきた。そういう人たちが将来の松下電器を大きくして日本に貢献してくれ
ると思い、人を採用してきた。好況のときにそのような思いで人を採り、不況になったら
人員整理をするというのは、会社のためにもならないし、この人たちが気の毒でかわいそ
うだ」というようなことを、涙を流しながら言ったのです。
そして井植さんに「何としても社員の人たちのクビを切らないようにしなければいけな
い。いいか、一人も解雇してはならん。この名簿のことは、なしにしよう」「また、1円
も給料を下げてはならん」と言います。そして、役員も、営業でない技術部門の人も、製
造の人も、全員がマーケットに出て、倉庫に山のように積まれている商品を全部整理する
ために、半日は営業に回ることを徹底しよう、と言うのです。
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●「企業は人」。今こそ思い出すべき「人間大事」の哲学
江口 この松下幸之助さんの考え方を聞いた井植さんは、会社に帰り、社員の皆にその話
を伝えます。そうすると皆、歓呼、歓呼、涙、涙です。自分たちが明日から解雇され職を
失うと思っていたし、給料が必ず下がると思っていたのに、解雇はされないし、1円も給
料は下がらないのですから、万歳して歓呼するのです。
そして、「よし! 売ってやる」と、会社の社員の人たちは一丸となり、「今から営業
に回ろう」と一斉にマーケットに出ていったのです。倉庫にたくさんたまった商品をどん
どん売り、2か月で在庫がなくなってしまうくらい売ってしまうのです。そればかりか、
倉庫が空になったので、今度は増産のために製造を開始するのです。周囲の他の会社やお
店が人員整理でしょぼくれていく中で、松下電器製作所だけは皆が活気にあふれ、工場は
フル回転する状況になりました。
このことは、三洋電機で後に副社長になる後藤清一さんの『叱り叱られの記』に書いて
ありますが、これを読んでも、また当時の話を聞いても、松下幸之助さんが簡単に人のク
ビを切って捨てたりはしないということが分かります。要するに、松下幸之助さんは“社
員にやる気を出させる”という方向でものを考えていたのです。赤字なり不況なりを乗り
越えるような、社員にやる気を起こさせ、元気を出させる、感動させるという方向で問題
を解消していったのです。
松下幸之助さんがこういう発想ができるのは、当時「店員」と呼ばれた社員たちの存在
を、ただ数字合わせや会社の赤字を消すために排除するのではなく、「会社の将来のため
に大事にしていかなければいけない」と考え、「人間というものは、物のようにそう簡単
に扱っていくものではない」と考えていたからです。しかし、これがいま大事なことでは
ないかと思うのです。
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