田口 佳史 無断引用、転載、配布禁止 中国古典思想に学ぶ(1)時代が

田口
佳史
中国古典思想に学ぶ(1)時代が求めた思想
~要旨~
性善説を中心に置く儒家の思想、性悪説を説いた法家の思想、それらを包括的に論じる
道家の老荘思想と、中国には古代より優れた思想が数多く生まれている。
47年間、
中国古典思想の書物を読み続けてきた老荘思想研究者、田口佳史氏によれば、
こうした思想の背景にあるのは、550年にも及んだ春秋戦国時代だという。人生の意味
を見出しがたい戦乱の世にあって、より良い社会と人生に必要な人智が、優れた思想とい
う形をもって結実した。それらの思想は、その後、日本に渡り、多くの優れた儒学者を生
み、江戸時代を支えることとなる。
2000年以降、その時々の中国思想ブームがあり、最初はアメリカのビジネススクー
ルに端を発する『孫子』ブームであったと田口氏は語る。孫子が唱えた兵家思想のポイン
トはロジスティックにある。
「戦争の要は、戦闘にあるのではなく、輜重(しちょう)にあ
る」という思想は、その後、多くの戦略思想家、軍事評論家に取り上げられ、企業経営の
戦略論にも影響を与えるに至った。
孫子の後、
『論語』ブームを経て、今は唐の太宗の言行録である『貞観政要』が注目を浴
びている。そこには、長期政権のヒントがあり、北条政子や徳川家康、そして現代の企業
経営者や政治家を引きつけるものがあると、田口氏は分析する。
このように中国思想の真髄に触れてきた田口氏によれば、古典の読み方には二通りある。
最初は「古典に教わる」読み方から始まり、20~30年と読んでいくと今度は「古典に
教える」
読み方になるという。
「古典のすごさは、
読み進めれば読み進むほど飽きないこと」
とは、田口氏ならではの名言である。
~講義録~
●中国古典思想の中の性善説と性悪説、そこから出てきた思想
田口佳史でございます。私は、この47年間ひたすら中国古典思想を読んできました。
中国古典思想にはどのようなものがあるかといえば、皆さんよくご存知の『論語』
、ある
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いは、
『大学』
、
『孟子』
、
『中庸』といった「四書」、それから、
『易経』、
『書経』などの「五
経」があります。
「四書五経」を儒家の思想と言いますが、これに対して、道家の思想、老荘思想の『老
子』、
『荘子』があります。それを読み進めると、今度は法家の思想です。先に申し上げた
のは性善説でありますが、中国古典思想の中の性悪説としては、管仲の 『管子』
、それか
ら『韓非子』といった法家の思想があります。
性悪説というと、皆「人間とは最初から悪いやつで、どうやっても取り締まることはで
きない」と言ってしまうのですが、儒家の思想の中での性善説、性悪説については、少々
誤解があります。正しく言うと、
「自分で自分が制御できる」というのが性善説であるのに
対し、
「それは無理ではないか。したがって、法によって治めていく以外にない」というの
が性悪説で、そこから法家の思想が出てくるのです。
●春秋戦国時代という戦乱の世を背景に生まれた中国思想
皆さんよくご存知の春秋戦国時代は、紀元前770年から紀元前221年です。紀元前
221年は、秦の始皇帝が建国した年ですが、この約550年間は治乱興亡で、ずっと戦
乱の巷でした。どのぐらいの期間かを実感していただくために、私はいつも「1600年
に起こった関ヶ原の戦いがその後550年間続いているようなものだ」と申し上げている
のですが、そうすると現在も戦乱の真っ只中ということになります。
このような時代に、成年男子は何のために生まれてくるのかと言えば、それこそ兵役の
ために生まれてくるようなもので、これでは、人生が意味を持たないという状況になって
しまいます。そういう中で、何とかこれを押しとどめて、皆が健全な社会と愉快な人生を
歩んでいくために出てきたのが、性善説の儒家と性悪説の法家の思想、あるいは、もっと
包括的に論じている道家の老荘思想なのです。
その他にも、
「武経七書」の兵家の思想があります。これには、
『孫子』、
『呉子』
、
『六韜』
(りくとう)
『三略』
(さんりゃく)などがあり、これらも春秋戦国時代に生まれました。
●江戸時代を支えた儒家の思想の流れと日本の儒学者たち
時代がずっと下りまして、1130年から1200年まで生きたのが朱子であり、俗に
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言う朱子学が出てきます。ここでも多士済々、非常に立派な人間がたくさん出て、読み応
えのある古典もたくさん生まれています。それから、また時代が下って、今度は明の時代
になると、王陽明が出てきます。陽明学もなかなか捨て置けない立派な儒家の思想です。
こういうものが日本に流れてきたのは、全て江戸時代です。したがって、これらを幼年
教育として、
それこそ6歳から読み進んでいった人たちが、江戸時代を支えていくのです。
林羅山を中心として、林家による儒家の思想が起こりますが、幕末までずっと、今で言う
文科大臣のような役割を果たすのです。
幕府の学問所である昌平黌(昌平坂学問所)を中心に、300有余藩全部に藩校ができ
ました。そこには数人の全国区の大儒(非常に立派な儒者)がいたのですが、調べてみて
驚いたのは、どの藩にも必ず、どこでも通用する見識を備えた儒者がいたことです。
また、そういう人たちが書いた書物も実に読み応えがあり、中江藤樹や熊沢蕃山の書物
も、現在のために書かれたのではないかというぐらい、非常に迫ってくるものがあります。
さらに時代がずっと下って、今度は幕末になると、佐藤一斎を中心にして、山田方谷や
佐久間象山、横井小楠など、挙げればきりがないのですが、皆、名著を出しているのです。
●『孫子』ブーム-発端はアメリカのビジネススクールから
こういう書物を読み進んできたのが、私の47年間ですが、2000年から振り返って
みても、各時代にブームがありました。2000年から5、6年間は『孫子』のブームが
起こりました。どこに行っても「一つ『孫子』をやってくれないか」と言われ、何カ所で
お話をしたか分からないほどです。
これはひとえに、アメリカのビジネススクールが、戦略論と組織論を教えることが主た
る仕事であるためです。そこで戦略論と言えば、どうしてもフォードの戦略論やアルフレ
ッド・スローンになるのですが、やはり戦略論はリデル・ハートに尽きるのです。そうで
なくても、せいぜい海洋戦略論のアルフレッド・セイヤー・マハンで、このリデル・ハー
トやマハンへ踏み込んでいくことになります。
リデル・ハートは、実は『孫子』をものすごく通読した人で、非常に孫子的な叙述が多
いのです。そうすると、誰でも「その大本を調べてみようではないか」と、
『孫子』を読ん
でみたくなります。
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●ロジスティックがポイントとなる『孫子』
さらにその前をたどっていけば、カール・フォン・クラウゼヴィッツの『戦争論』があ
りました。日本で有名なモルトケ(ヘルムート・カール・ベルンハルト・グラーフ・フォ
ン・モルトケ)が説いたのは、ロジスティックです。何しろ戦争は部隊が重要なのではな
く、輜重 (しちょう)、要するに軍需品を輸送ができるかどうかが重要だというのです。
それは、戦場で兵士が靴を片方失っただけでも、戦力は落ちてしまうからです。そのよ
うな時に、すぐ新しい靴を提供できるかどうかが、戦力保持の貴重なポイントなのです。
したがって、ほとんどの兵士の分を賄えるぐらいの靴を積んで、輜重、すなわち、糧秣(り
ょうまつ;人馬のための食糧と飼料のこと)、武器、弾薬、それに孫子の頃は薪などの燃料
をプラスして運んでいくことがポイントでした。
そのようなことを「ロジスティック」と言って、モルトケが主張するのです。なぜモル
トケがそれに気付いたかというと、この人は国鉄出身だからです。そういう意味では、日
本にその考えが入ってきて、ドイツ型の参謀本部が定着するのですが、そこにもまた孫子
が見え隠れするのです。
アメリカのやる気のあるビジネススクールにおいては、
「これはやはり一回、孫子をやっ
てみる必要があるな」ということで、ソンズレクチャーが非常に多くなってきました。こ
れは、原点に戻って考えてみるという意味で、非常に重要なポイントでした。
●『論語』ブームを経て、
『貞観政要』ブームへ
それから、しばらく『孫子』のブームが続きまして、その次は、2005、6年から5、
6年間が、
『論語』のブームでした。その波に乗って書いた私の本が売れまして、どこへ行
っても「『論語』をやってくれ」と言われました。都合500回ぐらいは『論語』を読んだ
と思います。
さらに現在は、
『貞観政要(じょうがんせいよう)
』ブームです。これは、私だけでも八
つの講座を持っているぐらいで、いろいろなところから「
『貞観政要』をやってください」
と言われます。
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●『貞観政要』に感動し、皆に読ませた北条政子
『貞観政要』は唐の太宗の事績です。これが日本へ来て、北条政子が読んで、
「これこそ
自分の亭主である将軍(源頼朝)が読まなければいけない書物だ」と感動したのです。
しかし、トップだけがこのようなことを知っていても、臣下とのギャップが出てきてし
まうことを、彼女はよく分かっていました。ですから、北条政子の偉いところは、
「これは
自分も読めない。漢文は読めないから、日本文に直せ」と言って、その当時の文学を継承
する家であった菅原家に命じて、日本文に直させたことです。
これは今聞くと何でもないことのようですが、実は画期的なことで、将軍のお妃が漢文
を読めないことを公にするのは、非常に勇気のいることだったと思います。しかし、
「そん
なことはどうでもいい、皆にこれを読ませたい」と言って、自ら版木を彫らせて、印刷を
し、配りました。
●『貞観政要』が読まれる理由-長期政権のヒント
鎌倉幕府が長期政権になり得た一つのヒントは、
『貞観政要』を読んだことにある、と言
ってもいいと思います。唐の太宗は、
「長期の政権をつくらなければいけない」と考えてい
ました。その前の隋は短命でした。その前は非常に戦乱の時代が続きました。春秋戦国時
代があり、その後の秦は、紀元前221年から206年までの短命内閣でした。次の政権
の漢はそれを見て学んだため、前漢、後漢は400年ぐらいの長期政権となったのです。
それを見習ったのが、唐の太宗でした。
近年では、徳川家康が、武断政治から文治政治へ転換するときの教科書に『貞観政要』
を使いました。家康は、関ヶ原の戦いの前、伏見屋敷にいた頃、自ら発注し、その活字を
彫らせて印刷させ、部下に全部配って勉強させたことでありました。家康の政治は300
年弱続くわけですが、その長期政権のヒントがここにあると言ってもいいでしょう。その
ぐらい家康の政治を一つ一つ丹念に見ていきますと、全て『貞観政要』を見習って政治を
やっていたことがよく分かります。
そこで、現在『貞観政要』ブームがどうして起こっているのかというと、
「落ち着いても
のを考えたい」
「じっくり経営に取り組みたい」
「政治に取り組みたい」と、皆さん思って
おられるからでしょう。1年に一人、総理が変わるという目まぐるしさから、政治が安定
し、社会をはじめ、企業、学校、暮らしが落ち着くことを、皆さんが要求されているのか
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なと、思われるからです。
●優れた書物を通して得るもの-「古典に教わる」から「古典に教える」へ
2000年からこの14、5年を見ましても、そういうブームがありまして、そのたび
に私は書物を何回も何回も読むことになるのですが、不思議と飽きません。本当の古典の
すごさは、読み進めれば読み進むほど飽きないことですね。また読んでみると、
「あ、こう
いう素晴らしい言葉があったんだな」
「あ、こういうものはこうやって解釈すればいい」と
いった、新たな発見があります。
古典の読み方は二つあると言われています。一つは、最初は古典から教わって、
「あ、そ
うか、あ、そうか」と言いながら、感心しきりでずっと読んでいく。20~30年と読む
と、今度は反対に古典に対してこちら側が積極的に「こういう解釈をしてみたらどうか、
こうやって読んでみたらどうかな」と、むしろ古典に教えるようになるのです。私も50
年近く読んでいると、だんだんそういう状況になって、ますます寸暇を惜しんで読みたく
なるのです。
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