ふーちゃんと共に行く♪ ロンドン視察ツアーのご報告 7月1日~9日、 (社)子ども情報研究センター主催の「イギリス・ロンドン視察ツアー」 に、中三・自閉症の息子・ふみひろと共に参加しました。飛行機がはじめての息子。連れ て行く母も、飛行機なんて、海外なんて、新婚旅行以来十七年ぶり! けるの? 無事に帰ってこられるの!? です。本当に、行 大変不安だったのですが、保育や子育て支援に かかわる心やさしき同行の方々にやさしく見守られ、充実したすばらしい旅となりました。 やってくれました! ここでも、あそこでも…… 今回のツアーは、子ども情報研究センターの副所長で障害児部会の部会長である堀正嗣 先生(熊本学園大学教授)が、研究休暇でイギリスの大学に八月末までおられるので、「堀 先生を訪ねて」子育て・教育関連の諸施設を訪ねる「研修旅行」 。二十代~六十代の女性に 交じり、ふみひろともう一人中学生の男の子も参加して、総勢十七人で、関西国際空港か ら1日深夜の便で出発しました。中東・エミレーツ航空を利用して、ドバイで乗り継ぎ。 ほぼ一日かけて、ロンドンの南にあるガトウィック空港に到着しました。 実は、ふみひろ、関空の旅客ターミナルに着くなり、いきなりふらーっと「行方不明」。 しばらくしても戻ってこないので、焦って名前を呼びました。木曜午後九時前の空港ビル は、人影もまばらです。「先ほど、あちらに、男の子、歩いて行かれましたが……」「あ、 ありがとうございます!」カウンター勤務の女性が声をかけてくれ、そちらに向かい何度 も名を呼ぶと、けろっとして、息子、出てました。はーーーっ、よかったぁ。 関空~ドバイの機内では、一度トイレに行っただけで、機内映画のヘッドホーンをつけ、 うとうと眠ったり、機内食もちゃんと食べて、おとなしくしていたふみひろですが、着陸 後飛行機から降りる段になって、最後にトイレ、と思ったようで、ひと悶着。使用済みの 毛布やヘッドホーン等が詰め込まれて開かないようにされているトイレに無理矢理入ろう とするので、母が止めて、大騒ぎ。とっても疲れてしまいました。 ただ、その後はトラブルも少なく、観光で一番はじめに訪れたバイブリー村の公衆トイ レと、最初の視察先の子育て支援団体のトイレで、 「もう一度入りたい」と騒いだくらいで、 その後は、そんな「問題行動」もふっつりなくなりました。母の私が神経質になり過ぎて いたのでしょうか。 「すみません、もう一度使わせてください」と一言お願いして、息子の 気持ちを立ててやればよかったのだろうかなぁ……。ちょっと反省しています。 バイブリー村の有料トイレ 市内の公園でも、一々チェック。20 ペンス ロンドン塔内のトイレ。入場料を払っている 硬貨を入れる硬貨入れ口が壊れてました。 ので、無料で入れます。 1 ナショナルギャラリー内。 男性用マークの一例 ホテルのトイレの「大・小」 高い位置にあるホテルの こちらも、当然無料。 洗浄のスイッチ。ヨーロッパ シャワーが、怖い~! のデザインは、球形が粋! 毎夜、ふみひろは母に 洗われ、泣き叫ぶ声が……。 世界都市・ロンドンは、意外に「ミニサイズ」 ロンドンでの滞在は、実質六日余り。到着後二日半は、観光です。ツアーのメンバーと 一緒に、オプショナル・ツアーで、イギリスの古い村の様子を残すコッツウォルズとオッ クスフォードを訪ねての一日観光、そして、市内半日観光に。また、チューブと呼ばれる 地下鉄を使い、あちこち皆で移動しました。地下鉄・バス共通の七日間・二ゾーンのフリ ーチケットを買いましたが、とっても便利でおトク。地下鉄の車内はとても狭くて、 「なる ほど、チューブ(管)や」と納得。狭い以外は、安全で快適でした。 「ここは、御堂筋線っ てとこね。あの路線は、千日前線かな」など、市内を密に走る路線を大阪の地下鉄に見立 て、親しみやすく感じさせてくれるお茶目な同行者もいたりして。「ここが、ハリー・ポッ ターの映画に出てきた駅よ」と教えてもらったりもしました(キングス・クロス駅) 。 サウスケンジントン駅で 主要駅のエスカレーター 二階建てバスにも乗りました。車や 壁の両側には、演劇、映画の 人の行き交う中を平気でぐんぐん走り、 ポスターがいっぱい! 四つ角で思い切りよく曲がり、おお怖! はじめて訪れたロンドンの印象は、「掌サイズで壮大」。市東部のドックランズというウ ォーターフロント再開発地域には、目を見張るような高層ビルが建ち並んでいますが、そ れ以外のところは建物の高さ制限があるそうで、まだ枚方のほうがでかい建物があるので は、という感じ。しいて言えば、京都の街に雰囲気が似ていると思いました。市中心部の 道路も、広くない! 平日は市内に入る道路に、課金制度で厳しい通行車両制限が設けら れているため、個人の車両は少なく、二階建てバスがいろんな方向にどんどん行き交いま 2 す。細かく設けられた横断歩道の脇には、かちかちと青から赤へとすぐに色の変わる信号 が立っているのですが、 「GO」の青でなくても、平気で道をわたるのがロンドン流。もた もたしていると道の途中で赤になり車がやって来るし、車が来なけりゃ赤でも横断する周 りの人達を見て、うわぁ、どうしようっ!? と、おろおろする私達。「ふみ君、偉いね。 車来ないけど、青まで待ってるのね」と最初言ってた同行のメンバーも、ツアーの終わり には、 「ふみ君、ここはロンドンだから、赤でも渡っていーの。ロンドンだからだよ~。日 本でやっちゃダメよ~」と言うまでに、 「ロンドン化」していました。 ロンドン郊外で(帰国二日前夕刻、視察先で) 通りすがりに、ついパチリ!(同日午後) 地下鉄、二階建てバス、徒歩、そして、一度だけ、ロンドン名物のタクシーにも乗りま した。運転手の後ろにしきりがあり、向かい合わせに計5人が座れる客席がありますが、 進行方向が「主人」の席。進行方向と反対は、「従者席」なのだそうで、いかにも歴史的だ と思いました。欧米では唯一、イギリスの車は、右ハンドルです。そのせいか、車に乗っ ていても、違和感がなかったです。 二日目土曜夕刻は、定員の 5 人でロンドン タクシーの「主人席」で。 名物タクシーに乗車。ゲイパレードの日で、 あちこちで交通規制に遭い、遠回りに。 美しい7月の街角で ちょうど7月はじめに行ったので、街は、夏のバーゲンの真っ盛り。 「半額」 「70%オフ」 等の赤い文字が至るところにあふれていて、圧倒されました。そして、7月は、イギリス の一番いい季節。からりと晴れた青空、夜の八時まで明るい街、バラの盛りが過ぎようと する花の季節で、美しい街を楽しむことができました。日本と違い感心するのは、公園が 多いこと。芝生と木々が美しい小さな公園が市内の至るところにあり、柵が設けられ、夜 間は施錠されるようでした。 街を歩いていると、目につくのが、頭髪を黒いヴェールで覆って、長い黒い服を着たイ スラムの女性達。ベビーカーを押して歩いている姿を多く見かけました。いわゆる白人の 3 赤ちゃんを見たのは、観光名所で一度だけ。もともとイギリスにいた人達の間では少子化 が進んでいるのに対して、移民の家族の子どもは非常に数が増えていると聞いていたので すが、実際目で見て、そのことが実感できました。 地下鉄に乗っても、あらゆる人種の人々が、同じ車内で隣り合わせに立ち、座っていま す。長身でスリムな人、横にも縦にもビッグな人、背の低い小柄な人、いろんな人が街を 行き交います。白人の男性にはスキンヘッドの人も多く、最初びっくり。一度赤とピンク の道化の被り物をかぶった人を見ましたが、周囲の人は誰も知らんぷり。掌をひらひらさ せたりしてるうちの息子のことも、見向きもされませんでした。一度博物館で走って職員 に注意されましたが、それ以外は、見事なまでに無視というか無関心。息子といるといつ もじろじろ非難や好奇の目で見られる私にとって、ロンドンの街は、非常に居心地がよか ったです。 後で知りましたが、ロンドンに到着した次の日の土曜には、年に一度のゲイ・パレード が行われ、欧州一の大パレードに、50 万人もの観客が集まったのだそうです。道理で、あ ちこちで道路規制が行われていました。そして、帰国一日前の7日には、多くの犠牲者を 出した五年前の同時多発テロの犠牲者を悼んで、地下鉄の駅に花輪が掲げられているのを 見ました。外務省のホームページを見ると、 「英国:北アイルランドにおける爆弾テロ事件 等に関する注意喚起(2010/06/03) 」と掲載されています。多様な生き方が肯定される一方、 この国の抱える負の部分もしっかり知っておきたいと思いました。 到着日夕刻。ガラ・マーケットで、ホット 同日その後、ロンドン橋の上で。なんだか、 サンドを買いました。ボリューム凄い! 大阪の中之島みたいですね~。 二日目土曜日は、バスでコッツウォルズへ 同じくコッツウォルズ地方・ウッドストックの 一日観光。絵のように美しいバイブリー村で。 ブレナム宮殿で。この後出口を間違え、十数人で バスに乗り遅れることに。「みんなで迷えば、怖くない!」 「みゅー」のバスの同行の皆さん、ごめんなさい~! 4 三日目、日曜は、市内半日観光の 毎日ピケのテントが張られているという ツアーに参加。市内中央部は、至る ピジョン広場。 「資本主義はうまくいって ところが、「歴史的名跡」です。 いない」 「もっと別の世界が可能だ」等の テムズ川を行くフェリーにも乗り ました。後ろは、タワーブリッジ。 垂れ幕が見えます。 同日お昼は、半日観光のガイドさんに 昼食後午後は、数人のグループで、 ホテル近くの公園で、ずっと 教えてもらった「シルバー・クロス」 ナショナル・ギャラリーへ。ゴッホの 見守ってくださったTさんと でイギリス名物、フィッシュ・アンド・ 「ひまわり」見ました! それ以外は 一緒に。 「昨朝、リスを見たよ!」 チップスを、二人で一皿ずつ注文。 と、Nさん。 ふみひろの見張りに終わったぁあ~。 視察先で感じたこと、思ったこと ツアー後半の三日間は、子育て支援の諸団体や、学校、障害児・者の連絡機関等、次の ようなところを訪れました。 7月5日(月)午前: ・ホームスタート(Home Start Stevenage) ホームスタートとは、未就学児がいる家庭にボランティアが訪問するイギリス発祥の「家 庭訪問型子育て支援」です。ステヴォネージという地区にあるこの団体は、10 年間にわた る活動で高い評価を受け、ボランティア希望者も多いそう。退職した教員や、マタニティ ーブルーを克服した若い母親、休職・求職中の人達が仕事に戻る前の自信回復の活動とし て等、様々なボランティアによって、活動が支えられていると聞きました。 ホームスタートの建物外観 英国「アフタヌーンティー」のおもてなし スコーン等を自由にいただきました 5 利用者の方と書いたものでしょうか。親って、どんなもの? ~人型の中に「喜びと笑い、困惑、痛み、興奮、誇り、神経質、疲れている…等」。 その外側に、 「友達、お行儀、人々、あなたを評価するもの、親戚、年齢、仕事、 どのように話したらよいか、文化、教育、性」等の文字が見えます。 同日午後: ・ノエルパーク公立小学校(Noel Park Primary School) 宿題の面倒や遊び場の提供、親へのカウンセリングの紹介等といった、エクステンデッ ド・サービスという福祉的機能を取り入れた小学校です。近くにモスクがあるので、子ど も達の半数がイスラム系。42 カ国の子ども達が通っています。日本と違い、公立の学校で も、「業績」次第でもらえる補助金が違ってくるのだそう。「10 年かかって、ここまででき た」と語る熱意ある女性校長の姿が印象的でした。食事支援のサービスもしているそうで、 お昼ご飯は、色とりどりの野菜や魚フライ等を大きなトレイに盛った学校給食をいただき ました。他の保育施設等でもそうですが、教室は日本より大きく、飾りつけ等が実に多様 です。イギリスの学校は、一学級の定員が 30 人。担任以外に、アシスタント教師がつきま す。教室の一角には、リラックスして本が読める「ブックコーナー」があり、感覚過敏や 多動の子でも、ここでなら落ち着いてみんなと一緒の授業が受けられる! く思いました。 6 とうらやまし 教室内を見せていただく。授業には 教室内の窓際には、ブックコーナーが アシスタント教師が一人が配置され、 みんなが説明を聞く間、 ちゃっかりお昼寝、ごめん~! 体育等の専門教師の授業の間に、授業のプランニングをする時間も確保されているそうです。 7月6日(火)午前: ・リトルピープルオブフラム(Little People of Fulham) 1976 年に設立された私立の託児保育施設で、定員は 80 名。生後4ヶ月の乳児から5歳 までの幼児を対象としています。こちらでも、40%が移民家族の子どもだということ。時 間数を決めて政府が託児代を支払うシステムがあったのが、今回政権交代により変わって きているのだそうです。もともとイギリスでは、ごく最近まで、国の行う保育の政策は皆 無に近かったそうで、日本とは事情がだいぶ違います。各々子育ては、おうちの仕事、と いうわけで、ベビーシッター、ナニー等、移民でやってくる人達を個人的に保育者として 雇う仕組みが長年続いていました。そのため、「待機児童は?」と質問しても、質問自体が 成り立たないという面白い体験も。 蓋付、脚付の、すてきなお砂箱 年長さんのパソコンルームで、ふみひろ 英語とアラビア語で書かれた「これ は、ボクのママ」という絵本。国際 結婚で肌や髪の色が母親と違う子らの悩み、 そして、子ども達が見つけた「解決策」は? 同日午後: ・英国児童虐待防止協会(National Society for the Prevention of Cruelty to Children: NSPCC) 電話等による相談業務、虐待防止についての広報活動、児童保護に関連する臨床サービ スを提供しています。また、法的権限を行使できる専門機関として、子どもの代表として 裁判に訴えることができるのだそうです。訪問側に電話相談に携わっているメンバーが多 いこともあり、電話相談に関する質問が次々飛び出しました。ボランティアによる 24 時間 の電話相談や、オンラインチャット、Eメールでの回答等、すばらしい実績に感嘆してし まいました。 7 NSPCC の入っているビル入り口 同受付ロビー。企業等の多額の寄付により 福祉教育等優れた活動を行う団体の活動が保障されている。 7月7日(水)午前: ・エフラ乳幼児センター(Effra Early Years Center) 2~5歳児を百数十名受け入れている公立のチルドレンズセンターです。朝食や放課後 クラブ(学童保育) 、成人学習コース、託児サービス、母親と乳児の「立ち寄りセンター」 等、「保育園」と「チャイルドケアセンター」の二つの部署に分かれ、多様なサービスを提 供しています。十代の母親や父親のための講座やセミナーの呼びかけ等、これまで見学し た施設と同じく、「教育を受けられる環境にいなかった」 「子どものまま親になった若い親」 に対しての啓発活動や教育に力を入れていることがよく分かりました。 エフラ幼児センターのエントランス エフラ・チルドレンズセンターの屋外 エフラ・コミュニティーセンターの週間予定表 ちょうど給食が始まるところでした 掲示:若い母親に、 「あなたの 掲示:若い父親向け水曜日の 内にあるギフトに気づきなさい」と。 無料のジムへのお誘い 同日午後:二グループに分かれ、行動 人数の多い第一グループは、下記を訪問。 ・ザファクトリーセンター(The Factory Children’s Center) チャリティー団体のザ・ファクトリーが運営する5歳未満の子を預かる保育園です。 8 私が参加したのは、人数限定の第二グループです。下記の二箇所を訪問しました。 ・Alliance for Inclusive Education (ALFIE) (インクルーシブ教育連合=仮訳=) 創立二十年の、インクルーシブ教育を推進する保護者や当事者、教師等のネットワーク の団体です。英国では、メインストリーム(主流)と呼ばれるいわゆる普通の学校に、サ ポートをつけて障害を持つ子が学ぶ仕組みや、特別学校とメインストリームの学校の間の 交流が進められているようですが、まだまだこれからだそう。肘までしかない両腕を器用 に使いながら、力強く確信に満ちて語る代表のタラさんの姿を見て、信じる道を貫く勇気 と行動力が大切と強く感じました。 ALFIE での話し合い CDC の建物の入り口で、通訳を介し、代表のケイトさんにお礼を言う ・Council for Disabled Children(CDC) (障害を持つ子のための協議会=仮訳=) 障害や特別な教育的ニーズ(SEN)を持つ子や家族のための国の政策に影響を及ぼすた めに活動を行っている全国的な連合体の組織です。特に力を入れているのが、子どもから 大人への「移行期」のサポート。受けていたサービスが途切れてしまわないように、サポ ートします。また、障害を持つ子や若い人達が集まり、 『障害児のつくった、改革のための 宣言文(マニフェスト)=仮訳=』という冊子を作り、三年前から毎年子ども達の手で国 会議員に届けています。休日返上で出迎えてくれた代表のケイトさんと、事務所の入って いるビルが閉まる午後7時ぎりぎりまで、熱く語り合いました。 思い切って出かけていった成果は? ツアーの間中、特に初対面の保育士さんお二人に、かゆいところに手の届くようなやさ しいサポートをいただきました。 「ご親戚の方ですよね?」通訳の女性にそう言われるほど、 後ろからそっと見守っていただき、必要な時に必要な支えをいただいて。お礼を言うと、 「人 として、当たり前のことでしょう?」とさらり。他のメンバーの皆さんも、ふみひろので きるところをほめ、思わぬ行動のわけを考え、「こんな風に思っているのね!?」とよい風 に見ていただき。みんなで見守ってくれるので、一人でがんばらなくっていい! 本当に ほっとするような、居心地のよい九日間でした。これまで、「自閉症の中三の息子がいて、 ふみひろと言います」と言っていた私ですが、「ふみひろという息子がいて、中三で、自閉 症という障害を持っています」と言うのが本当だ、ふみひろという子ども、人間としての 存在をまず一番はじめに持って来るものなのだ、自閉症でご迷惑をかけますが、と、最初 から言うようなのはやはりおかしい、と気づかされました。 障害児者団体を訪ねた時以外には、車椅子や障害を持っているとおぼしき子や人には特 9 に出会わなかったのですが、市内半日観光の時に、たまたま一緒になったベルギー在住の 日本人ご夫婦との会話で、障害児の話が出ました。 「自閉症の息子と一緒に、やってきまし た」と自己紹介すると、「友人の子どもが自閉症」とのこと。「自分と同じく、ベルギー駐 在の夫についてこちらに来ているのだけど、最初は、髪の毛の色が皆違う外国人を見て、 お子さん、大パニックだったんです。でも、今ではなじんで学校に行っていますよ」と。 支援学級(支援学校?)の担任教師とのコミュニケーションでフランス語という言葉の壁 に悩まされながらも、子どものためにと奮闘しているお母さんの話をしてくれました。そ して、「お互いがんばりましょうね!」「お友達によろしく!」とお別れ。つかの間のそん な出会いもありました。 ドバイで、飛行機の中でトイレに行くと大騒ぎの息子を引き止めていると、大丈夫? と 心配そうにやさしい目線を送ってくれた、サリーをまとった年配のインド人女性。「ああ、 トイレに行きたいのね。さぁ、どうぞ。あら、ドアのラッチが変な具合で開かなかったの ね。大丈夫、これで入れるから、ゆっくり行ってね」。大騒ぎをした息子にやさしく声をか けてくれた、ホームスタートの代表の女性。「ふみ君、ダメよ~。こっち行くの~」。やさ しくきっぱりと声をかけてくれた、ツアーのリーダー役の若いM子さん。お世話になった 方達の姿が今も目に浮かんできます。 視察二日目、リトル 最後の夜、ホテル近くの中華料理店で、 ピープルオブフラム 豪華な夕食。食べきれず、お店の人に頼み、 見学後、遅い昼食 後で来たグループの仲間に持って行って 乗り継ぎのドバイ空港は、二度とも真夜中。 噂通り、金ぴでかめちゃくちゃきれい! もらいました(なんちゅう、大阪のおばさん達や!?) 帰ってくると、お隣に住む祖母に見守られて留守番していた小五の下の子も、しっかり 自分のことをやっており、パパも、これまでになくそんな下の子を気遣いかかわってくれ ていた様子。父親らしくおおらかに、夫らしくやさしくなったパパの様子を見て、ありが とうの感謝と共に、 「可愛い妻子は旅に出る」ことが大切だ、と。思い切って出かけていっ て、本当によかった、と思いました。出会ったすべての方に、感謝の思いでいっぱいです。 (2010.8.22 10 豊髙明枝) 「障害児・者」 VS 「障害を持つ子・人」 イギリスで書かれた文章を読んでいると、 “disabled people”という言葉が出てきます。 「障害者」ということなのですが、disabled というのは、able(できる)ことが奪われ た人、 「できなくされている人」 「できない人」ということをもろに感じ、非常に厳しく 響くのです。米国だと、”people with disabilities”、つまり、 「障害を持つ人」という感 じで、「障害者」というのが一般的だと思っていたので、なぜ? と不思議に思ったの ですが。 イギリス・リース大学の「障害学」の教授の研究室で、研究休暇中の研究をされていた という堀正嗣先生に、疑問をぶつけてみたところ、次のようなことだそうです。 “disablede people”というのは、”disabled people by (the) society”を略していってい るのであって、 「社会によって、 『できない状態にされている』人々」という意味なのだ そうです。戦略的に運動体が、そのような意味で、”disabled people”という言葉を使う ようにしてきた、ということなのだそう。米国では、People First と言って運動をして いるのだけれど、イギリスでは、そういう事情なのだと教えていただきました。 「どっかで、手足に不自由のある男性が、people with disabilities(障害を持つ人々) という言葉で話しかけられて、『私は、障害なんて持っていない! 社会によって、障 害にされているんだ!』と憤慨したそうですよ」と、堀先生。うーん、なかなか、複雑 なものなんですね~! とっても勉強になりました。 (とよたかあきえ) 左:障害児者の連携団体、ALFIE と CDC でいただいた小冊子 右:写真の上の説明文「ナターシャは、ウィリアムが学校に来るって知ったら、いつもより活発にな るの。立ち上がって、 『今日は、ウィリアムの日だね!』て言うの。ウィリアムがいる日は、たとえ病 気でも、絶対に学校を休みたくないって。二人の間には、特別の友情があるのね」(ALFIE の小冊子 『SNAPSHOTS of Possibility(可能性のスナップショット)』P11「インクルージョンとは……友情 が一番先に来る」より) 11
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