おいしさを科学する 「水分」 食品中の水分の存在は、おいしさを左右する味覚や食感 に大きく影響しています。下ごしらえや調理のうえでも、 水分のもつ性質がさまざまに利用されています。普段は 意識することもない水分が、おいしさにどのような影響 を与えているのか探ってみました。 生命活動を支える水分 ●図表1 体内の水分量/人体の成分比率 人の身体は、成人では体重のおよそ60%が水分。体重60 体内の水分は、細胞内に含まれている「細胞内液」と、血液 や細胞間液などの「細胞外液」に大別されます。細胞を構成 するたんぱく質や核酸などが安定して存在するうえで、水分 70 歳 25 歳 キロなら36キロは水分です(図表1) 。 脂肪 14% 脂肪 30% 骨ミネラル 6% 水 53% 水 61% は重要な働きをすると同時に、血液として常に体内をめぐり、 骨ミネラル 5% 水に溶解した栄養素、あるいは新陳代謝によって生じる老廃 物などの物質を輸送する役割を担っています。また、体内の 水分は、発汗で熱を放散することによって、体温を調整する 働きもしています。 細胞性固形物 19% 細胞性固形物 12% 人が1日に飲食する量の65%は水分です。量にしてだいた い2.5リットル(図表2)。そして、1日に同量の水分を呼気や 川西秀徳「高齢者の水分補給」FOOD Style 21 2003.8 Vol.7 No.8より作成 汗・排泄物として体外に排出しています。このように人間の 成長とともに減少する水分 体内の水分は、絶えず入れ替わりながら一定の割合に保たれ ており、人体の生命維持活動を支えています。 体内の水分量は年齢や男女差によって異なり、新生児で80%、成人で60%前 後、高齢になると50%台となります。また、女性は脂肪分が多く、水分の割合 は男性に較べて少し低くなります。赤ちゃんの肌にハリがあるのは水分をたく さん含んでいるから。歳とともに肌がかさかさしシワが寄ってくるのは、成長 とともに水分が減少してくるからです。老化は身体の中の水分が減っていくこ とだともいえるのです。 ●図表2 体内での水の出納(mL) 供給される水 循環している水 排出する水 2500 8200 2500 飲水量 1,200 食物中の水 1,000 食物の酸化 300 唾液 1,500 尿 1,400 胃液 2,500 糞便中の水 100 胆汁 500 汗(不感蒸泄)500 スイ液 700 肺 500 腸液 3,000 小沢正昭「水の機能と機能化」FOOD Style 21 2003.8 Vol.7 No.8より作成 おいしさを科学する 「 水分 」 柔らかい水と硬い水 飲んで「おいしい水」の条件として、 ○無色透明で臭みがない ○水温が体温より20∼25℃ほど低い温度 ○カルシウムやマグネシウムなどのミネラルが適度に入って いる があげられます。 水は温度によっておいしさが変わります。水温が体温と20∼ ●図表3 世界主要都市の水の硬度 軟 仙台 神戸 やや軟 京都 大阪 東京 25℃の差があると舌やのどへの適度な刺激感となりおいしく 感じられます。また、水に炭酸ガスが一定量含まれていると ストックホルム 水にはカルシウムやマグネシウム、ナトリウム、カリウムな 水が軟水か硬水かで調理やお茶などの味も変わります。だし の旨みを引き出すのは軟水で、カルシウムが多いと植物繊維 を硬化させるため、野菜を柔らかく煮る場合や炊飯も軟水が 向いています。緑茶も軟水が向いていますが、温度が高いと 苦味が出るので玉露なら60℃、煎茶なら80℃にさました軟水 ニューヨーク ロサンゼルス サンフランシスコ シカゴ 20 ラスベガス 200 100 50 500 硬度(CaCO3ppm) 疋田正博編「食を育む水」ドメス出版2007 /日下譲・竹下成三「化学と工業」社団法人 日本化学会 1990 より作成 ●図表4 水の硬度と用途 硬度による分類 用途 軟水(∼100) 和風だし、和食、緑茶、紅茶 中硬水(100∼300) 洋食、しゃぶしゃぶ 鍋物、コーヒー アッサムティー を使います。コーヒーは硬度100ぐらいの中硬水が適してい ますが、エスプレッソでは苦味が出すぎてしまうので硬水が ミラノ ミュンヘン ホノルル 味を左右します。水に含まれるミネラルの量は硬度で表され、 一般に日本は軟水が多く、欧州の多くは硬水です(図表3) 。 那覇 パリ ロンドン マドリッド ミネラルの多い水を「硬水」 、少ない水を「軟水」といいます。 宮水 北京 ニューデリー カイロ アムステルダム コペンハーゲン メルボルン シドニー さわやかな清涼感を感じます。 どのミネラルが含まれていて、ミネラルの組成や量の違いが 硬 やや硬 。 向いています(図表4) 硬水(300∼) 運動後のミネラル補給 妊娠中のカルシウム補給 コーヒー(エスプレッソ) パスタ(アルデンテ) 藤田紘一郎「水の健康学」新潮社2004より作成 水の硬度 水の硬度は、国によって表し方が異なっていますが、日本、米国、WHOでは1L 中のCaCO3(炭酸カルシウム)数で表し、カルシウムイオン量とマグネシウムイ オン量から下記の式で算出されます。 水の硬度(CaCO3 [mg/L] )=(Caイオン量×2.497)+(Mgイオン量×4.118) おいしさを科学する 「 水分 」 水分は重要な食品成分 ●図表5 もともと食品は動植物もしくはその加工品で、含有量に大小 主要な食品における水分の割合 野菜 85∼97 重量の85%以上が水分です。果物は80∼90%、魚類は65∼ きのこ類 88∼95 81%、食肉類で50∼70%の水分を含んでいます。豆や穀類で 果物 80∼90 も10%∼16%が水分です(図表5) 。 貝類 78∼90 乳類 85∼89 はあるものの、常に水分が存在します。たとえば、野菜類は 食品中の水分は食品を構成する物質の一つとして、歯ごたえ や口当たりといった「食感」を左右するとともに、甘味・塩味・ イカ・タコ 80∼83 魚類 65∼81 いも類 66∼80 酸味・苦味・うま味という味覚として感じられる食品のさま ざまな「呈味成分」、特有の香りを感じさせる「香気成分」 の溶媒としても働いています。 卵類 73∼75 牛肉 50∼72 鶏肉 65∼70 ども失われてしまうでしょう。水分は食品にとって、重要な 豚肉 50∼70 存在なのです。 豆類 12∼16 水分と味の濃度は逆相関 穀類 12∼16 もしも食品に水分が含まれていなかったならば、味や香りは 損なわれ、ジューシー感やなめらかな舌ざわり、のどごしな 2∼7 油性種実 一般に、水分が多く流動性の大きい食品ほど、舌の味を感じ る部分である「味蕾」で化学的に味をとらえやすくなります。 水分の少ない食品は、流動性の大きい液状になるまで噛まず に飲み下してしまうことが多く、化学的な味を充分にとらえ ることができません。そのため、水分の少ない食品は、味の 0 20 40 60 80 100 (%) 久保田紀久枝・森光 康次郎編「食品学―食品成分と機能性」東京化学同人 2003 ●図表6 濃度が高くないと満足感が得られません。 和菓子の水分と砂糖濃度 水分 (%) 砂糖 80 おおむね水分の少ない食品ほど味の濃度が高く、水分の多い 柔らかい食品ほど味の濃度が低くなっています。たとえば、 和菓子の水分と砂糖量をグラフにすると、水分と砂糖濃度は ほぼ逆相関になっています(図表6)。果物では、果物の中でも 甘く感じられる柿にしても糖分は15%程度で、菓子類に比べ ると糖分は少ないにもかかわらず、水分が80%以上と多いた めに強い甘さを感じるのです。 水 分 ・ 砂 糖 濃 度 60 40 20 0 か し わ も ち 大 福 も ち ち ま き さ く ら︵ も関 ち西 風 ︶ さ く ら︵ も関 ち東 風 ︶ う い ろ う か る か ん 蒸 し よ う か ん も な か 久保田紀久枝・森光 康次郎編「食品学―食品成分と機能性」東京化学同人 2003 甘 な っ と う おいしさを科学する 「 水分 」 食感を左右する水分 せんべいやクラッカーなどの、快く砕ける歯ざわりやパリッ と割れる音もおいしさの大きな要素です。化学的に変質した わけではなくとも、湿気るとおいしくなくなり、これを乾燥 させると、またおいしく食べられる場合もあります。乾燥す ることで食品の構造が砕けやすくなるためです。吸湿や乾燥 による食品中の水分の増減は、食感を変化させ、おいしさに ●図表7 細胞の吸水と脱水の仕組み 大きな影響をおよぼしています。 吸水 生鮮野菜は新鮮なほど水分量は多く、これが独特の歯切れや 歯ごたえを生んでいます。野菜は収穫後も呼吸し絶えず水分 を蒸散しているため、時間がたつとしなびてしまいます。 脱水 細胞膜 薄 い 液 細胞膜 濃 い 液 濃い液 薄い液 サラダや刺身のつま、添え物に使う千切りの野菜を切った後 に水につけるのも、吸水させて張りを持たせるためです。 野菜を水につけると、細胞膜の外から高濃度の細胞内へ水が 入り込んでいき、細胞が膨らんで組織全体が緊張した状態に なり、歯切れがよくなるのです(図表7) 。 水分量の差が生むおいしさ ゆでたてのめんは、めんの外側に近い部分よりも中心部の方 が水分含有量が少なくなっています。この水分分布の状態が、 食感のよいゆでめんの状態です。ゆでてから時間をおくと、 外側に近い部分から中心部へ水分が移動してめん内部の水分 分布が平均化され、独特の食感は失われます。これがのびた めんのまずさの原因です。 天ぷらのサクッとした口当たりも、揚げ油の温度と共に衣の 水分含有量で決まり、時間がたつとおいしさが半減します。 揚げたての衣の表面の水分は3∼4%にすぎず、ほとんど乾物 と同じ水分量です。ただし、衣の内部は20∼30%以上の水分 を含み、衣の表面と内部で水分含有量が異なる状態が、揚げ たての天ぷらのおいしさをもたらしています。 物の細胞膜は半透膜と呼ばれ、水はよく通しますが、水に溶け 込んだ物質は通さない性質があります。水は半透膜を間にはさ んで、濃度の低い方から高い方へ移動します 杉田浩一『新装版「こつ」の科学―調理の疑問に答える』柴田書店2006より おいしさを科学する 「水分」 保存性に関わる水分活性値 ●図表8 各種食品の水分活性値 水分は食品の保存中の腐敗にも関係し、品質を劣化させる 食品の例 水分活性 原因となります。食品腐敗は食品中に微生物の腐敗菌が大量 に増殖するためですが、これらが活動するためには水分が 自由水が多い 1.00∼0.95 新鮮肉、果実、野菜、シロップ類の缶詰果 実、調理したソーセージ、バター、低食塩 ベーコン 0.95∼0.90 プロセスチーズ、パン類、生ハム、ドライ ソーセージ、高食塩ベーコン、濃縮オレン ジジュース 0.90∼0.80 チュダーチーズ、ドライソーセージ、可糖 練乳、フルーツケーキ 0.80∼0.70 糖蜜、高濃度の塩蔵魚、ジャム、マーマレ ード 0.70∼0.60 パルメザンチーズ、乾燥果実、コーンシロ ップ、小麦粉、米などの穀類、豆類 0.60∼0.50 チョコレート、蜂蜜 必要です。ただし、微生物が利用できるのは食品の中を自由 に動くことができ、食品との結合が非常に弱い「自由水」と 呼ばれる水分だけ。食品成分と強く結びついている水分を 微生物は利用できません。 食品に含まれる自由水の割合は「水分活性値」という値で示 され、食品の保存性の指標として用いられています。水分が 多くても、水分活性値が低ければ微生物は増殖しにくく、 食品の保存性はよくなります(図表8)。水分活性値は腐敗 だけでなく、食品の酸化や褐変、酵素活性など、多くの化学 的・物理的変化にも関わりがあることが知られています (図表9) 。 乾燥させることによって食品中の自由水は減少し、水分活性 結合水が多い 0.4 乾燥卵、ココア 0.3 乾燥ポテトフレーク、ポテトチップス、ビ スケット、クラッカー、ケーキミックス、 緑茶、インスタントコーヒー 0.2 粉乳、乾燥野菜 久保田紀久枝・森光 康次郎編「食品学―食品成分と機能性」東京化学同人 2003より作成 値も下がって保存性が増します。砂糖や塩を利用すると、 水分が比較的多くても水分活性値を下げられます。干魚・ ●図表9 水分活性値と食品の変化・微生物の繁殖 塩漬魚・塩辛・佃煮・ジャムなど、天日乾燥や塩や砂糖を 加えて常温で保存する工夫は、経験的に水分活性値を低下さ 脂質の酸化反応は 0.3付近で最低となる せたものといえます。 食品工業の世界では、生鮮品などの水分が多い食品と乾燥 食品との中間の食品を、「中間水分食品」と呼んでいます。 水分の多いソフトで口当たりのよい食感をある程度保ちなが ら、腐敗などを起こす微生物の活動を抑えるレベルまで水分 活性値を下げて、保存性をもたせているのが中間水分食品の 特徴です。 中間水分食品は、食塩や砂糖などを活用して保存性を高めて いますが、昨今の消費者の嗜好に合せて単純に低塩化や低糖 水分活性が高いと 微生物が増殖しやすい 脂質酸化 増 殖 速 度 ・ 反 応 速 度 酵素活性 酵母 カビ 細菌 非酵素的褐変 0 0.2 0.4 0.6 0.8 水分活性 化・高水分化すると、呈味性や保存性が低下してしまいます。 そこで低濃度でも水分活性値を低下でき、味がよく、しかも 久保田紀久枝・森光 康次郎編「食品学―食品成分と機能性」東京化学同人 2003 人体に悪影響のない新しい甘味・塩味物質を探す研究が行わ 水分活性値 れています。また、食品中の水分をコントロールし、おいし さと保存性を両立させる、加熱・乾燥・殺菌の新技術の研究 も行われています。 ※参考資料●藤田紘一郎「水の健康学」新潮社 2004 ●杉田浩一『新装版「こつ」の科学―調理の疑問 に答える』柴田書店 2006 ●久保田紀久枝・森光 康次郎編「食品学―食品成分と機能性」東京化学 同人 2003 ●疋田正博編「食を育む水」ドメス出版2007 ●川西秀徳「高齢者の水分補給」FOOD Style 21 Vol.7 No.8 2003.8 ●小沢正昭「水の機能と機能化」FOOD Style 21 Vol.7 No.8 2003.8 ●峯孝 則「わが国における近年のミネラルウォーター事情」地下水技術 Vol.50 No.8 2008 1.0 水分活性値は、食品中の水がどの程度束縛されているかを示し、一定温度下 の食品の水の蒸気圧を、同じ温度下の純水の蒸気圧で割った数値で表されます。 数値が高いほど自由水が多く、食品が劣化しやすいことを示します。1995年か ら制度化された食品の期限表示義務の上でも、水分活性値は重要な指標となっ ています。
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