機械25年卒 ・ 生産機械46年卒 ・ 生産機械42年卒 ・ 鉱山

<クラス同窓会だより>
様子を見てからにしようということになりま
機械25年卒同窓会 した。その後、大上君の部屋に集まって二次
「二五(ふたご)常盤会」
会を始めました。大上君のお心尽くしのたく
刀禰 道正
さんのビールやウイスキー、おつまみで深更
我々の同窓会「二五常盤会」は、毎年、幹
まで歓談しました。
事長の大上孝夫君から「今年は4月某日に行
翌朝のバイキングでは大上君がトレーを
います」と1月から2月に打診をうけ、3月
持って回ってくれたりしておいしくいただき
に出欠を問う往復ハガキが送られてくること
ました。朝食後、
タクシーで京都駅に向かい、
から始まります。
京都名物(八つ橋、千枚漬け)をお土産に購
平成26年の同窓会は4月4日に「京都会」
入しました。息子から電話があり、10時10
として開催することになりました。千葉県館
分ののぞみの自由席で新神戸駅まで行けば、
山市、神奈川県平塚市、三重県松阪市、山口
ホーム乗り換えもなく所定のこだま739号に
県萩市・山陽小野田市・下関市からの参加で
乗れるとのことだったので、丁度一緒になっ
した。下関市在住の私は、ジパング倶楽部の
た瀬口君と共に息子のアドバイスどおりに帰
割引と600km以上の乗車に適用される割引を
りました。瀬口君は厚狭駅で下車、私は新下
利用して消費税増税前の3月に19,500円で購
関駅で下車し、再び鉄道OBの友人に迎えに
入しました。
来てもらって帰宅しました。私の同窓会は無
さて、当日の4日は私の勤務先であった鉄
事終わりました。
道会社OBの友人に新下関駅まで送ってもら
い、こだま、ひかりを乗り継ぎ、京都に到着、
タクシーで「京都平安ホテル」に着きました。
参加予定者7名のうち、1名が欠席となり参
加者が6名になったと聞いてやや
がっかり。気を取り直して、入湯し、
夕食会場へ。会場は大上君のお心遣
いで畳の部屋に椅子が用意してあり
ました。大上君が毎回持参してくれ
るカメラで写真におさまり(森平行
雄君・大上孝夫君・川崎昭久君・福
井正明君・瀬口孝典君・私)、色白
の若いコンパニオンとデュエットで
歌ったり、楽しい時を過ごしました。
皆高齢になり集まるのが難しいの
で、同窓会はおしまいにしようか?
という意見もありましたが、来年の
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苦しくなりコスト低減やリストラ等でずいぶ
生産機械46年卒同窓会 ん苦しめられました。入社した会社から早期
退職して別会社に移ったり自分で会社を興し
富永 憲明
たりした者、そのまま自由な生活に入った者
我々は昭和46(1971)年に工学部生産機械
もあり、一方では会社役員になり企業経営の
工学科を卒業したいわゆる団塊の世代です。
苦しさを味わった者もあり、さまざまです。
昨年11月23、24日に65歳になったことを記念
そんな好不況の波に揉まれ続けた激動の時代
して広島で同窓会を開催しました。今回が3
を皆苦労しながらもよく生き抜いてきたもの
回目の同窓会で、第1回は宇部で、第2回は
だとお互いに感心し称え合い、乾杯して散会
京都で60歳になった時など、節目節目に行っ
しました。
てきました。
その夜、
有志 7 人で小生なじみの店に行き、
今回事前に最近の顔写真や近況を書いた
青春時代の歌を大声で夜遅くまで楽しく歌い
メールを送りあって「あんた誰じゃったかい
合いました。
ねぇ∼」ということのないようにしました。
次の日は9名の参加者で秋の宮島観光で
そして23日の夜に広島国際ホテルの芸州に16
す。朝、原爆ドーム前に集合し、広島名物の
人が集い、大いに盛り上がりました。乾杯後、
路面電車に乗って宮島まで40分、周りの景色
全員が一人一人自分のことを語りました。や
と会話を楽しみ、到着後、名物「うえの」の
はりこれまでの会社生活の話が主体になり、
アナゴ弁当を仕入れ、宮島に渡って温かいう
各人の仕事人生がそのままこの40年の日本の
ちにと皆でかき込み、腹ごしらえした後、島
歴史を表していると思いました。
内観光をしました。参道商店街を通り、熱く
我々が過ごしてきた時代は、学生時代の大
てうまい揚げもみじ饅頭を食べ、紅葉が美し
学紛争、入社時はまだ高度成長期なるも1973
い中、厳島神社や平家納経等を見て回り、最
年にオイルショック、パソコン、インターネッ
後にレストランで食事をした後、宮島駅で散
ト時代への革命的移行により仕事のスピード
会としました。
や密度が格段に変化しました。1986年から
おかげで皆、青春時代に戻ったような楽し
バブル期となり1991年のバブル崩壊までは
い2日間を過ごすことができました。次回は
「Japan as No.1」と呼ばれた時代もありまし
5年後、70歳の時に、東京で同窓会を開く予
たが、その後は“失われた20年”と言われ、
定にしています。またその時会いましょう。
円高やリーマンショックで企業経営はどこも
芸州にて
宮島にて
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カ生活が長く、アメリカでも年金受給のある
生産機械1期生(42年卒) 亀井氏。15キロ太って誰だかわからない川嶋
「47年ぶりの再会」
氏。工学部教員を引退し2反の野菜畑をきり
山元 公純
もりする藤田氏。夜から参加の銀髪の熟年、
熊本県在住の隈部氏と兵庫県在住の岩村氏
畑違いの鳥取県味噌醤油協同組合事務局長の
の「どこかで一杯やろう」と言う話が発端で、
岡氏。常盤工業会平成27年度代議員選挙管理
これが徐々に膨らみ、同窓会へと発展し、2
委員の日高氏。常盤工業会監事で今回著者の
月28日、卒業後47年ぶりに平均年齢70歳のお
山元の12名。
じいさんたち有志12名が宇部市工学部前の常
全員揃ったところで変貌著しい工学部の見
盤工業会館に集結する運びとなりました。
学に出発。あらかじめ工学部事務部に案内を
今回連絡が取れなかった人には大変申し訳
お願いしてあったので旧生産機械棟内に入る
なく思っておりますが来年もやろうと盛り上
ことができました。現在は事務棟となってお
がっていたので次回に御期待の程。
りそれぞれ事務の方々が立ち上がっては会釈
次々に会館の会議室に入ってくるどの顔を
されたのにはびっくり!昔は何かと督促され
見ても卒業時の22∼23歳の頃のイメージとは
ることが多く、恐る恐る入ったものですが、
著しく異なり、玉手箱をあけた浦島太郎のよ
我々が一目でわかるほど高齢者だったため敬
うな変貌ぶりに驚かされると同時に懐かしさ
意を表されたものと解釈しております。外装
が入り混じった複雑な雰囲気となりました。
は補強工事により違って見えますが、内装は
どうみても記憶にない顔の人が親しげに話し
当時の面影を残しており、誰とはなしに“こ
かけてくるのに、生返事をしながら思い出そ
こでよー徹夜の実験をしよったなー”など、
うと葛藤する自分がいました。しかし、声は
口々に回想しておりました。研究棟屋上展望
若い時のままで、目を閉じると当人に間違い
室、世界中の鉱石を集めた学術資料展示館の
ないので平静を取り戻した次第です。顔や姿
見学を終え、最後に堀憲次工学部長(当時)
は老けても声は老けないことが証明されまし
との茶話会がアレンジしてあったのに2度目
た。ナツメロの歌手がそうですよね。そうで
のびっくり!常盤工業会がらみの者が5人も
す!昔の人と会うときは容姿を見てはいけま
いたためでしょうかね?先方から言われる前
せん。目を閉じましょう!
このあたりでまず記念写真をパチ
リ。出席者のプロフィールを紹介しま
す。某私大教授を引退し、常盤工業会
の九州地区代議員で有機野菜作りの名
人隈部氏。タイ駐在生活が長かった常
盤工業会副会長の倉重氏。千葉県人と
なった常盤工業会関東地区代議員の山
辺氏。台湾の高雄に駐在し、台湾新幹
線に貢献のあった岩村氏。いまだ現職
で稼いでいる井餘田氏。10キロやせて
唯一男ぶりの上がった田中氏。アメリ
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鉱山36年卒同期会
嶋田 雄吉
同窓会を2014年4月21日
(月)
から22日
(水)
の1泊2日の日程で開催しました。何しろ卒
業して53年ぶりの初めての同窓会でしたの
で、当初は何人集まるか心配でした。卒業生
に創基200周年記念事業の寄付の件よろしく
15名のうち、住所がわかる者に案内状を出し
と同席の面々に伝えました。改めてよろしく
たところ、8名から出席の返事をいただきま
お願いします。あっ!いつのまにか常盤工業
した。しかし、当日の参加は、風邪で欠席が
会のまわしものになっていました。
出たため、7人となりました。参加人数とし
見学を終え夜の部へまっしぐら。H名誉教
ては成功だったと思っています。開催場所は
授に紹介してもらった年金生活者でもおいし
母校のある山口県の湯田温泉「翠山荘」にし
いふぐのフルコースが食べられるお店“ふぐ
ました。
蔵”へ。皆さん悠々自適のためノーネクタイ、
二次会は希望者4名で近くのカラオケ店に
ノー名刺、挨拶抜きで即ビールで乾杯!思い
出向き、昔の青春を取り戻しました。
出話に花が咲き、あっという間に夢のような
翌日、朝食後に解散し、希望者4名で観光
3時間が経ち、鳥取より参加の岡氏より戴い
タクシーを使って2時間の観光を楽しみまし
た名産の“しそらっきょう”を忘れないよう
た。ザビエルの塔、
瑠璃光寺の五重塔のほか、
にポケットに突っ込み、2次会のカラオケ会
山口大学吉田キャンパスを見学しました。山
場へ。カラオケ教室に通っている日高氏の進
口大学吉田キャンパスを訪れるのは実に56年
行によりトップバッターは関東地区から山辺
ぶりでした。校舎は以前の場所から移転して
氏の歌で開宴。学生時代は酔っぱらって学生
いましたので昔の面影はなく残念でしたが、
歌を歌う程度のものでしたが、皆さんさすが
威風堂々の大学を見て感無量でした。
社会に出て47年の年期が入っており次々に自
慢の美声を披露。夜も深まり今後の再会を約
束し、散会しました。
末筆ながら今回は工学部見学に際し堀工学
部長(当時)、工学部事務部宮田氏、西村氏他、
大変お世話になりました。誌面を借りて御礼
申し上げます。
お詫びと訂正
前号「常盤」72号42頁の同期会のタイトルに誤りがありました。正しくは以下のとおりです。
お詫びして訂正申し上げます。
正)工学部37年卒同期会「卒業50年の集い」 / 誤)土木37年卒同期会「卒業50年の集い」
※土木工学科だけでなく全学科の同期会です。
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