2007年7月10日 電子情報管理~アメリカの最新動向に学ぶ

アメリカ企業と情報関連の法規
~電子情報管理がアメリカ企業の命運をにぎる?~
小林史彦
1. 訴訟大国(?)アメリカ
2. アメリカ企業と訴訟
3. 「アメリカ連邦民事訴訟規則(FRCP)」の改正
4. SOX 法と電子情報
5. 情報管理への要求、厳しさを増す法規
6. 今後も注目したいアメリカの動向
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1 訴訟大国(?)アメリカ
アメリカには、“アンビュランス・チェイサー(Ambulance Chaser)”という言葉があるそう
です。自動車事故被害者の代理人になろうとする弁護士のことで、事故で怪我をした
人を病院に急送する救急車(Ambulance)の後を追い、家族よりも早く病院に駆けつ
けて家族を待ちうけ自分を売り込むという、あまり良い意味では使われない弁護士の
ことです。私は情報マネジメントの仕事を中心に、日本とアメリカにまたがる国際共同
プロジェクトのアドバイサーなどの分野で 30 年ほどアメリカのビジネスパートナーたち
と共同の仕事を続けています。その間に私が目にした、アメリカの弁護士に関する興
味ある広告をご紹介します。
冬のアメリカ、主に寒い地方の街:「凍った道路でスリップしたらご連絡を!○○法律
事務所」。これは道路管理者(多くは自治体)を訴える相談の受注を宣伝する弁護士
のもの。
地下鉄で見かけた広告:「たった 100 ドル、1 週間で慰謝料を払わず確実に離婚でき
ます!××法律事務所」。これは離婚問題を安価・迅速に処理する弁護士のもの。
確かにアメリカ社会では、訴訟は国民の当然の権利という考えが根強くあります。テ
レビで裁判風景を専門に中継する番組もあります。私が男友だちの車に同乗してい
た時、他の車とほんのちょっと接触したことがありました。相手のドライバーは女性で、
共に降りて話しあっていましたが、互いにちょっと興奮して何かの拍子に友人の手が
相手女性の腕に触れました。そうしたらその女性は、「私を暴力で押さえつけようとし
たのは、あなたが事故を起こしたことを認めることだ。訴える。」と叫んでいました。
私は他にも弁護士や裁判のことを見聞きしていますが、しかし実際には行き過ぎた訴
訟の風潮を批判する(良識ある?)アメリカ人も少なくないのです。そういう人の多くは、
度の過ぎた訴訟で迷惑を受けたことがあるか、行き過ぎた訴訟の風潮が決してアメリ
カ社会のためになっていないことを認識している人たちです。
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アメリカでのハードディスク容量“不当”表示の訴訟では、被告になった Western
Digital 社が和解して多くの購入者にソフトを無償提供し、さらに弁護士報酬と費用で
50 万ドルを負担しました。これは10進法と2進法の違いによるハードディスク容量の
表記の差異で、大半の人はそれを当然承知の上でハードディスクを購入しているは
ずですが、一部の人たちが(強引に?)裁判を起こし、結局有利な和解を勝ちとってし
まった例です。
フロリダ州の化学工場が大爆発した事故では、事故の様子をテレビで見た地元の人
が、「テレビでの爆発シーンを見て精神的ショックを受けた」と化学工場を訴えて賠償
を認められました。
以前から、「洗って濡れた猫を電子レンジ(Microwave)に入れ乾かそうとしたら猫が
死んでしまい、飼い主の女性が電子レンジ会社を訴えた」という話が伝わっています
が、これは実は作り話だったそうです。いくらなんでもこの話は、アメリカの人々(特に
アメリカ女性)に失礼な作り話です。しかしながらこんな作り話もまことしやかに流布す
るということは、いかにアメリカで訴訟が多いかということの証でもありましょう。
2 アメリカ企業と訴訟
いくつかのアメリカのデータをご紹介しましょう。調査によると、アメリカで年収益
(annual revenue)10 億ドル以上の企業では平均 147 件の訴訟を並行係争中で、年収
益 10 億ドル未満では、平均 37 件の訴訟を並行係争中だそうです。またアメリカ企業
全体の 3 分の 1 は、企業の年収益の 2 パーセント以上を訴訟費用にあて、さらに全体
の 10 パーセントは、5 パーセント以上を訴訟費用にあてているそうです。
カリフォルニア州のトヨタ・ディーラーの日本人社長の話は深刻でした。トヨタ・ディーラ
ーは一人のアフリカ系男性従業員が仕事をまじめにやらず、いくら注意しても聞かな
いので解雇しました。カリフォルニア州やその他の州法では、従業員に特段の欠陥事
由がなくても、企業側の判断で解雇できるのです。ですから経営者はその企業として
の権利を行使しただけなのです。しかしその従業員は、「社長は人種差別主義者であ
り、アフリカ系であることを理由に私は解雇された。」と提訴しました。彼の同僚も「社
の幹部が人種差別をした」とデッチあげの証言をし、結局この訴訟でトヨタ・ディーラー
は60万ドルを支払ったのです。
ルイジアナ州在住の男性が Apple 社を相手取り、「iPod ユーザーの聴力低下を防ぐ
適切な対策を施さなかった」として集団代表訴訟を行なっています。「Apple 社により、
数百万人の iPod 愛用者が聴力障害の危険にさらされているのだ。」 というのが訴え
の理由です。
もう一つ有名な訴訟があります。1992 年 2 月、ニューメキシコ州のマクドナルドで、当
時 79 歳の女性がドライブ・スルーでテイクアウト用の朝食を購入しました。彼女はマク
ドナルドの駐車場で停車しているときにコーヒーを膝の間に挟み、ミルクとシュガーを
入れるためにコーヒーの蓋を開けようとして誤ってコーヒーを自分の膝にこぼし、火傷
を負いました。「火傷の一因となったコーヒーの熱さは異常で、この点についてマクド
ナルドは是正すべき義務があり、また治療費の一部を補償すべきである」として女性
が起こした裁判です。裁判の結果、原告に 20%、マクドナルドに 80%の過失があると
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して、最終的にマクドナルドは合計 64 万ドルの賠償金を女性に支払いました。
またアメリカではかつて、「(ばかばかしい)商品注意書きコンテスト」というのがあった
そうです。以下、そのばかばかしさの一例です。
トイレ用ブラシの注意書き Do not use for personal hygiene. 「このブラシで歯を磨かな
いでください。」
デジタル体温計の注意書き Once used rectally, the thermometer should not be used
orally. 「この体温計で一度直腸体温を測ったら、口内体温の測定には使用しないで
下さい。」
自動車用サン・シールド(ダッシュボードに置く太陽光遮へい板)の注意書き Do not
drive with sunshield in place. 「サン・シールドを置いて運転してはならない。」
まだまだいろいろな訴訟の話題があるのですが、アメリカ企業は訴訟される可能性を
考慮せずに経営ができないようです。
3 「アメリカ連邦民事訴訟規則(FRCP)」の改正
以上のように訴訟への対応が必須のアメリカで、昨年12月に電子メールにも関わる
注目すべき連邦規則の改定が行われました。日本にも早晩影響が現れてくると思い
ますので紹介します。
「アメリカ連邦民事訴訟規則:The Federal Rules of Civil Procedure (略して“FRCP”)」と
は、アメリカで 2006 年 12 月 1 日に制定・施行された民事訴訟に関する連邦規則です。
この規則の中では、訴訟で当事者が“ESI”を取り扱うべき一貫性のある原則が定めら
れました。
ESI とは「Electronically Stored Information」で、日本語訳では「電子保有情報」となり、
これには「unstructured ESI(非構造化電子保有情報)」と規定されている電子メールも
含まれます。したがってアメリカにおける企業(アメリカで事業を行なう外国企業を含
む)は、この規則に対応した電子メール等を含む電子情報の管理に具体的に取り組
むことが要求されており、大きな関心事になっています。
FRCP(アメリカ連邦民事訴訟規則)は「e-Discovery(電子情報開示)」に関して、
・ 文書要求側は文書の形式(form)を指定でき、提出側は原則としてそれに応じなけ
ればならない。
・ 指定された形式に応じない場合はその理由を示し、いかなる形式で提出予定かを
示さねばならない。
・ 要求に形式指定がない場合は、提出側が提出予定形式を示さねばならない。
・ それ以外の場合は、合理的に使用可能(reasonably usable)な形式、もしくは通常
保有している形式で提出する義務がある。
と定めています。なお「合理的に使用可能な形式」の解釈は、今後各州の裁判所によ
って示されることになります。(この規則は連邦の規則のため。)
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電子メールを含む種々の形式の ESI(電子保有情報)は、テキスト検索可能な PDF と
しても問題ないと考えられていて、情報源に合理的にアクセス可能ではない情報の場
合には提出義務が免除されます。ただしその場合は、真に「合理的にアクセスできな
い」ということの立証義務があります。しかし特別な事情がある場合を除き、電子情報
システムの定常的かつ誠実な運用の結果、情報が消失済みで提出不可能な場合な
ら、裁判所は当事者を制裁しません。(例:合理的基準に基づく文書保存期間終了に
よる廃棄・消去、不可抗力の事故等のシステム・トラブルによる消失など。)
原則として、被告側は最初の出廷から 90 日、かつ原告側の通告を受けてから 120 日
以内に該当する ESI(電子保有情報)を準備しなければなりません。それ以降に新た
な関連情報が発見された場合は、裁判所は提出側に罰金を含む制裁を課す場合が
あります。
この FRCP(アメリカ連邦民事訴訟規則)の発効により、今後アメリカ企業の最善の対
応策は次ようにすることだと言われています。
・ 現に係争中もしくは将来想定される訴訟に関する ESI(電子保有情報)を特定す
る。
・ 該当する ESI(電子保有情報)を保全できる一貫した手続きを確立する。
・ 該当する ESI(電子保有情報)の保存および廃棄のプログラムを導入する。
・ 具体的手段を適用し運用する。
一例としてあるアメリカ企業では、次のような新・社内ルールを定めたとのことです。
・ 電子メールは 90 日間オンライン状態で保存・管理する。
・ その後はオフラインの記録媒体で 2 年間保存する。
なお施行済みの SOX 法対応で訴訟を心配する一部の企業には、電子メールを 5 年
から 7 年程度オフラインで保存した方が良いという意見が強まっています。
このように、FRCP(アメリカ連邦民事訴訟規則)の発効によりアメリカ企業における電
子情報の管理は、電子メールを含めて本腰を入れなければならない状況になりまし
た。「電子情報だから管理が難しい。対象となる電子情報を検索するには時間がかか
る。」といった言い訳が通らなくなったのです。企業はかなり以前から電子情報で業務、
経営を行なっているのですから、当然といえば当然の規則が発効したというべきでし
ょう。
4. SOX 法と電子情報
アメリカの連邦法である「SOX 法」、その日本版であるいわゆる「J-SOX 法」はここ数
年日本の多くのビジネス雑誌をにぎわしています。
SOX 法は、アメリカで投資家保護と健全な金融市場の形成を目的に 2002 年 7 月に
成立した上場企業を対象とする連邦法の通称で、正式名称は「The U.S. Public
Company Accounting Reform and Investor Protection Act of 2002」です。翻訳すると
「2002 年上場企業会計改革及び投資家保護法」で、略称として“企業改革法”とも呼
ばれることがありますね。エンロン事件等金融市場が混乱して多くの投資家が莫大な
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損失を被る事件が続いたため、アメリカで異例の速さで制定・施行された法律です。
企業会計や財務報告の透明性・正確性を高め、コーポレートガバナンスのあり方と監
査制度を抜本的に改革することがねらいです。アメリカの登録企業(早期提出会社)
には 2004 年 11 月 15 日以降に終了する事業年度より適用され、外国登録企業と早
期提出会社以外のアメリカの登録企業には 2006 年 7 月 15 日以降に終了する事業年
度より適用が開始されました。
SOX 法の中の情報管理関係の規定としては、「リアルタイムの情報開示」(409 条)
があります。情報の開示者は、財務状況や経営の重大事についてすみやかに報告
する義務があり、報告期限は 48 時間(2営業日)以内を目標とすると規定していま
す。
また「書類保存期限」(906 条)に関しては、時効が不正行為後5年、または不正発覚
後2年となっているのでいずれか早い方が適用され、結果として関連書類は最低5年
保存する必要があるのです(電子文書含む)。
以上のことからアメリカ企業は情報管理に関して、SOX 法に対応するために次のよ
うな努力を始めています:
1.
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関連するすべての電子文書、電子メールを保存する。
ボイスメール、ワークフローも保存する。
保存期間基準を定めてサーバー等で保存する。個人のPCレベルでの保存は説
明力不十分で不利。
経営調査・監査に関する文書(ペーパー文書、電子文書、電子メール等)は、最
低 5 年、極力 7 年以上保存する。(オフライン保存。)
重要な情報は迅速に検索ができる状態で保有。(オンライン。)
電子メール保存基準が無ないか不明確な企業は特に注意し、ルール化する。
重要なインスタント・メッセージング(IM)も保存に努める。
5. 情報管理への要求、厳しさを増す法規
アメリカの電子情報管理にかかわる法規制はこれだけではありません。しかし最も話
題となる SOX 法自体には、電子情報を含む情報管理についての具体的な記述がほ
とんどないのです。もともと SOX 法のねらいは、企業、特に公開企業の透明性を高
めて社会責任を果たさせようとすることが目的ですから、その目的達成に関連する他
の法規類の定めをきっちりと遵守させることがねらいになっているのです。アメリカの
企業裁判、特に公開企業では、裁判の証拠である情報が法廷に提示されるケースが
年々多くなっており、電子文書・電子メール等の保存、真正性保証、迅速な検索が、
アメリカ企業にとって一層重要な課題となってきました。そこで、次に他の法規等も確
認しておこうと思います。
◎「情報(records)の保存に関するアメリカ証券取引委員会(SEC)要求事項 SEC 17
a - 4」
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これは、アメリカ証券取引委員会(SEC:Securities and Exchange Commission)が上場
企業に対して定めた要求事項です。この要求事項では、取引情報は 6 年以上保存す
る必要があります(電子文書・電子メール含む)。この場合、最初の 2 年間は容易に検
索可能な状態でなければならず、必要な場合は該当する情報をちゃんと提出する義
務もあります。この SEC 17a-4 や他の法令が定める文書保管義務の期間は業種に
よって異なります。保険やヘルスケア関連等では、対象者が存命している可能性があ
る期間として 100 年間の保管が求められている例もあるようです。
◎「情報(records)の取扱いに関するアメリカ証券業協会規則(National Association of
Securities Dealers)NASD 3010、3110」
これは、アメリカ証券業協会の情報通信(電子メールを含む)に関する規則です。主に
ブローカー、ディーラー、登録代理人など、証券取引を行って規制対象になる人を対
象としているものです。 その「NASD 3010」では、証券取引に関する情報の管理に関
して次のように規定しています。もちろんこれは電子情報、電子メールも含めていま
す。
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情報管理のしくみを確立し、保有期間の基準を決めること。
顧客との全通信を監視するシステムを確立・維持すること。
受信した全通信のオリジナルを保存すること。
送信した全通信のコピーを保存すること。
以上が、SOX 法以外にも注目したい情報に関連するアメリカの主要な規定類です。
6. 今後も注目したいアメリカの動向
これらの法規は、情報管理を通じて企業の健全な内部統制(Internal Control)の基盤
を確立しようとすることです。内部統制の概念は、1990 年代にアメリカの COSO (the
Committee of Sponsoring Organization of the Treadway Commission) が公表した報告
書である、「Internal Control-Integrated Framework」 (いわゆる COSO レポート)がベー
スになって、現在は事実上コーポレート・ガバナンス(Corporate Governance:会社統
治、企業統治)の世界標準的な考えになっていることは皆さんよくご存知の通りです。
その考えは当初企業の財務分野を対象にしたものでしたが、1990 年代からコーポレ
ート・ガバナンスとしての側面(企業経営の全般)が強まってきました。そこでは、企業
が社会や個人のために行なうべき経営の方向を示し、運営・統制するための企業内
の総合的な取り組みが示されています。
コーポレート・ガバナンスの目的を再確認すると、次のようになるでしょう。
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企業を社会全体の利益のために運営する。
企業理念の実現をめざす。
効果的・効率的に資本を活用する。
経営の公正さ、透明性を保証する。
6
・ 情報開示および説明責任を果たす。
・ 幅広いステークホルダーの利益を考慮し、取締役会が会社と株主に対して説明
責任を果たす。
・ ステークホルダー間の利害関係を円滑に調整する。
・ 企業の魅力を高め、投資家の信頼を維持し、より多く、長期的な資本を集める。
・ 上記要件を実現するために効果的なしくみ・プロセスを確立し、実行し、持続し、レ
ベルアップする。
ここで重要なことは、企業活動では正しい情報が正しく作成・取得され、管理され、活
用・流通されなければならないということでしょう。そのためには、企業の活動に関す
る計画、承認、行動、経過、結果を真正な情報とし、適切に管理・確認できる情報シス
テムの基盤を確立し運用することが求められるのです。
企業を取り巻く環境は確実・急激に変わりつつあり、それは皆様が一番実感を持って
おられることと思います。従来から何となく慣習として行なわれてきた情報管理のやり
方や、個人の意識と工夫で維持されてきたような情報管理は、もはや改めなければ
ならない段階にきているのでしょう。この記事をきっかけに、貴社の情報資産が現在
どのように管理・活用されているのかを見直し、コンプライアンスやCSRからも一層信
頼できる情報管理の仕組みづくりに取り組まれることを期待いたします。
◆ おわり ◆
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