本研究の課題 附:EU2014

【オンライン版報告書】
序 本研究の課題
研究代表者:
八木紀一郎
この共同研究は、2002年度から2006年度に科学研究費補助金の支援によって行
われた共同研究「国境を越える地域経済ガバナンス:EU 諸地域の先行例を中心にした比較
研究」
(課題番号:14252007、代表:若森章孝関西大学教授)を数年の間隔をおいて引き継
いだプロジェクトである。この先行する共同研究の成果は、最終年度に作成された研究報
告書だけでなく、その後の進展も一部取り入れて、2007年秋にミネルヴァ書房から刊
行された『EU 経済統合の地域的次元:クロスボーダー・コーペレーションの最前線』
(若森
章孝・八木紀一郎・清水耕一・長尾伸一編)によって公表されている。
わたしたちがこの先行研究をおこなった時期は、EU の中期財政計画(MFF)では2000
-2006年期にあたっていた。この時期、EU はかつてソ連圏に属していた中東欧諸国を
迎えいれる地理的拡大の準備をするとともに、統合された市場における自由移動を「財」
「資
本」のみならず「サービス」「労働」においても実現する「深化」に取り組んでいた。地理
的拡大による地域間格差の増大と市場統合の深化による競争圧力の強化にともない、EU が
欧州全体としての視点から取り組む欧州地域政策の意義が再認識され、その予算規模も拡
大していった。1975年からある構造基金(欧州地域開発基金 ERDF、欧州社会基金 ESF)
に加えて、1994年には所得水準の低い加盟国の環境・交通インフラ整備のための結束
基金(CF)が創設され、千年紀を超える頃には、EU の予算に占める割合は共通農業政策に
匹敵するものになった。
この先行研究では、欧州地域政策のもとで加盟国政府を介さずに地域と EU が直接にむす
びつく INTERREG の活動分野に注目し、とくに国境を挟んだ地域が協働するクロスボーダー・
コーペレーションについてケーススタディを含む研究をおこなった。
私たちのいわば第2次の共同研究が企画されたのは2009年であり、この最終報告書
をまとめようとしているのは、2015年の5月である。これは、欧州連合の中期財政枠
組み期間(MFF)としてはその2007-2013年期(MFF 2007-2013)の半ばからその
次の期(MFF 2014-2020)の開始期にあたる。それは欧州統合が懐疑から現実の危機に転じ
た時期であった。経済面では、ギリシア、アイルランド、ポルトガルからハンガリー、ス
ペイン、イタリアへと財政危機が連鎖的に続いたが、政治面でも、欧州統合に真正面から
反対する民族主義的な政治勢力が台頭し、各国市民のなかでも不況と失業、さらに移民の
1
増加を背景に反欧州の気分が蔓延し、欧州首脳会議を開いても合意の獲得が困難になるほ
どの試練の時期であった。
EU は2000年に、経済を競争力のあるダイナミックな「知識基盤経済」に変えようと
する「リスボン戦略」
(2000 年)を打ち出していたが、2008年の経済危機の到来以前の
2006年に雇用と成長に関する「新リスボン戦略」で修正をおこなっていたが、これも
またリーマン・ショック以降の連続する経済危機によって挫折した。
2010年には環境持続性と社会的包摂を加えて視野を拡大した新しい成長戦略「欧州
2020」を策定した。それは欧州経済の進むべき方向を「スマートな成長」(科学技術と知識
の活用に基づいた効率的で柔軟な知識経済)・環境の持続可能性を保障する「サステナブル
な成長」、そして女性・高齢者・若者・障害者の就業率を引き上げ経済への積極的な参加を
実現する「インクルーシブな成長」の3点にもとめ、具体的な数値指標でもってその実現
をめざすものであった。EU はその目標の実現にあたって画一的な方針はとらず、各国の独
自の方針を OMC とよばれる方式で調整を促進しながらおこなおうとしている。また年度が
進行するなかで、2030年、2050年という長期の展望から現在をガイドする努力が
開始されている。
しかし、そのような「成長戦略」のビジョンにもかかわらず、それを裏付ける欧州連合
の予算をめぐっては加盟国の利害対立・意見対立が渦巻き、リスボン条約で強化されたは
ずのガバナンス体制にもかかわらず、2014年度にはじまる新しい中期財政計画の作成・
採択が危ぶまれるほどであった。欧州統合への反感および懐疑が市民のあいだに蔓延する
なかで、首脳たちは EU 予算に対してもその拡大を抑え、効率化を強く要求した。その予算
規模は2011年価格で年間9600億ユーロ、または GNI の 1 パーセントと枠が定めら
れ、この期の EU 予算はその前の中期予算よりも規模が小さくなった。それでも、その使途
や各国別配分をめぐる闘争が延々と続いた。欧州委員会がこの中期財政計画を最初に提案
したのは、2011年6月であったが、欧州議会でそれが可決され発効したのは2013
年の11月であった。
前期および前々期もそうであるが、この中期財政計画において地域政策は共通農業政策
(CAP)とならんで中期予算の大部分を占めている。ここで根本にかえって考えるならば、
欧州経済統合は、多様な質的差異および格差をもち、人的移動に障害のある多国民からな
る地域の経済を共通市場によって統合するというプロジェクトであり、それは何らかの補
完的・整正的な政策を不可避的に必要とした。当初は農産物の価格低下を怖れる農業者(お
よび農業国)が最大の抵抗要因であったためを、域内農産物の価格支持政策としての共通
農業政策(CAP)が主要な補完的政策であった。しかし、市場介入型のこの政策が厳しい批
判を受け、地理的拡大にともなうその増大を防止するために、CAP からの支出法も価格支持
政策から、直接所得補助と農村開発規模を中心としたものに転換した。その一方で、EU の
相継ぐ地理的拡大とともに、従来から存在した「構造基金」を拡充して地域開発にあてる
欧州地域政策が発展した。これらは先進国での産業転換地域や都市問題を対象とした政策
2
や失業・社会保障・中小企業競争力促進のための政策をも含んで、現在では、総体として
「経済的、社会的、領域的な結束政策 Economic, Social, and Territorial Cohesion Policy」
と呼ばれている。
統合された金融市場では資本は瞬時にして移動するが、商品・サービスの移動は多くの
物理的・文化的制約のもとにあり、生活=人生そのものの転換を意味する人の移動にはそ
れ以上のローカルな制約が伴う。統合された欧州は競争力を維持するために、人的資源の
大領域での開発・活用を必要とするが、それを摩擦なしに実現するためにも、ローカル・
レベルでの経済基盤と市場アクセス、そして統合プロジェクトにつながる相互理解を必要
としている。自由競争の原則のもとでは企業に公的な補助を与えるような産業政策は許さ
れないが、競争の前提となる地域基盤を活性化することは望ましい。したがって、市場政
策と産業政策ではなく、市場政策とペアになるのは地域政策である。いいかえれば、生産
要素の自由移動をめざす市場統合のプロジェクトにおいて現実的に問題になるのはつねに、
ローカルからリージョナル、さらにグローバルへと各層からなるその地域的次元なのであ
り、地域政策は市場経済に対して補完的な全ての政策の統合基盤になることができる。そ
のため、EU 予算には加盟国ごとに与えられる後進地域への補助金にあたる基金以外に地域
独自の活動、とくに国境を越えた地域的な協働を促進する予算が設けられ、それらについ
ては地域・市民社会のアクターが EU と直接に結びつくようになった。私たちが先の共同研
究で注目した INTERREG や CBC(越境地域協力)は、EU が他の経済統合(北米やアジア)に
先駆けて展開したそのような活動であった。
ここで注意する必要があるのは、この欧州連合の地域政策は、財政が統合された一国内
の政策とは異なり、財政による再分配政策とは理念が異なることである。先述したように
共通農業政策は所得再配分的な機能を現在でも持ち続けているが、後でのべるように、EU
はそれを欧州経済の成長戦略に合致するものに変えていこうとする努力を継続している。
地域政策においても、とくに所得水準の低い後進地域におけるインフラ投資に配分される
結束基金(CF)が実質的には財政再配分を代替する性格をもつことも事実であり、それは
欧州周辺国が EU 加盟についての支持を国民から得るための基盤であった。しかし、200
4-07年の拡大後の欧州連合にとっては、そのような政治的配慮による再配分の必要は
減少した。決して潤沢とはいえない欧州連合の予算をそうした再配分的な目的のために浪
費することは許されないし、またそれが可能なほどの規模でもないのである。したがって
地域政策の諸基金も、使途について規制が緩い再配分的な性格を減らし、欧州連合の社会
経済的発展にとっての政策目標に統合されて支出されなければならないのである。
したがって、2014年にはじまったばかりの EU の中期予算1は補足で示した表のように、
「スマート、包摂的、かつ持続可能な成長」という成長戦略に結びついた使用目的に区分
されて編成されている。
1
日本での紹介としては、川野祐司「2014-2020 年の EU 中期予算と欧州 2020」
『季刊
貿易と投資』No.96(Summer 201)がある。
国際
3
2010年度に開始された私たちの共同研究は、こうした欧州統合の苦難のなかでも進
行している地域政策と成長政策の統合にかかわって、以下の3つの課題を取り扱うことに
なった。
課題の第一は、上記のように市場統合政策に対する補完的な意義をもった地域政策(お
よび社会政策)の新段階、とりわけ前回の共同研究でとりあげた EU 独自の地域政策である
INTERREG の発展の新たな段階とそのガバナンス構造を探ることである。
第二には、そのなかで EU が欧州経済の成長にとって核心的な意義があるとみなしている
イノベーション促進政策の具体化を探ることである。とくに、それが市場競争の刺激と圧
力にとどまらない、地域基盤と公共機関の関与をもった欧州型のイノベーションの社会的
システムを形成する可能性があるのかどうかを探ることである。
第三は、持続可能な経済の実現にかかわる環境・エネルギー戦略の地域政策とのかかわ
りを探求することである。とくに、この研究を進める途中に起きた日本の福島第一原子力
発電所の事故は、低炭素経済を実現しようとする環境目標にとっての原子力発電の位置づ
けにおける欧州諸国の対応の差異を露呈させた。EU はエネルギーについても域内で自由に
取引される「自由市場」の実現を目標としているが、ここでも環境政策と結びついた地域
的次元での考察が必要である。
欧州統合は現在それが開始されて以来最大の危機の局面にあり、そこで露呈した問題は
加盟国の財政主権のあり方にかかわり、確固とした政治的合意なしには解決されることは
ない。このような、いわばハイポリティクスにかかわる欧州金融財政危機への解決への道
と対比すると、市場統合に対して補完的な役割を占める地域政策はロウポリティクスとい
うべき位置にある。そこでは、経済統合が生み出す様々な問題やチャンスに対して、各階
層にわたる継続的な調整活動が必要とされている。それは補整的であるとともに、知的、
持続可能的、かつ包摂的(2S1I)な成長戦略(「欧州 2020」)の底辺における追求の場であ
る。しかし、この領域でも、とりわけ越境地域協力という面で、欧州は東アジアや北米よ
りも先進的な経験を有している。そうした欧州の経験から学ぶべきことを明らかにするの
が、私たちの共同研究の課題である。
4
EU の 2014-2020 年中期財政計画
補足
表1
中期財政計画(EU28)2014-2020
単位:百万ユーロ
分
野
別
約
束
額
2014-2020 総計
2014-2020 総計
約束額割合
(2011 価格)
(現価)
(%)
1. スマートで包摂的な成長
450,763
508,921
47.0
1a.
成長と雇用のための競争力
125,614
142,130
13.0
1b.
経済的、社会的、領域的結束
325,149
366,791
33.9
2.持続的成長:自然資源
うち市場関連支出と直接支払い
373,179
420,034
277,851
312,735
38.9
28.9
3.治安と市民権
15,686
17,725
1.6
4.グローバル欧州
58,704
66,262
6.1
5.管理費
61,629
69,584
6.4
49,798
58,224
5.2
27
29
0.0
約束合計額
959,988
1,082,555
100.0
支払合計額
908,400
1,023,954
うち EU 制度の管理支出
6.補償
出所:Multiannual Financial Framework 2014-2020 and EU Budget 2014
これまでの政策との関連でいえば、1の「スマートで包摂的な成長」が構造政策と言わ
れた分野で、そのうちの 1a が今期重視されている成長戦略に向けられた予算枠で、1b が従
来の結束政策の予算枠である。それに対して2の「持続的成長:自然資源」は、共通農業
政策(CAP)の新バージョンである。この3分野について2014年度の予算について、そ
の詳細をみてみよう。
表2
2014 年 EU 予算
項目 1a:成長と雇用のための競争力
約束分野
大規模インフラ・プロジェクト
核安全および除去
ホライゾン 2020 (Horizon 2020))
企業・中小企業の競争力強化(COSME)
教育・訓練・青年・スポーツ(Erasmus+)
社会変革・イノベーション(PSCI)
百万ユーロ
割合(%)
2417.1
14.7
130.4
0.8
9330.9
56.6
275.3
1.7
1555.8
9.4
122.8
0.7
5
税関・金融・不正対策
118.3
0.7
欧州接続機構(CEE)
1976.2
12.0
その他のアクション・プログラム
161.3
1.0
委員会専権のアクション
138.3
0.8
18.6
0.1
238.5
1.4
16,484.0
100.0
パイロット・プロジェクトと準備段階アクション
分権化されたエージェンシー
計
出所:同前
1a 分野は、EU 中期予算の13パーセントを占める最近の重点分野である。そのうち今
期最大の眼目が「ホライゾン 2020」と銘打たれた研究開発とイノベーション促進予算であ
る。これは欧州研究評議会と連携して、全欧州的規模で研究と先端技術を用いた革新的な
ビジネスを促進し、イノベーションにおける産業的リーダーシップ、環境問題・安全問題・
高齢化問題に対応する社会変革を促進し、それにより欧州に成長と雇用をもたらすことが
意図されている。
その他、教育の交流・協働を推進する「エラスムス+」の予算もここに含まれる。さら
に中小企業の競争力強化と、鉄道・高速道路、エネルギー配送・通信ネットワークに欧州
全体で取り組む「欧州接続機構(CEF)」が費目として新設された。後者では、地理的分断
を克服することによる欧州の競争力強化が意図されている。
表3
2014 年 EU 予算
項目 1b:経済的、社会的および領域的結束
約束分野
百万ユーロ
割合(%)
青年雇用イニシアチブ
1,804.1
3.8
地域収斂(後進地域)
23,264.1
49.0
過渡地域
4,697.7
9.9
競争力
7,403.4
15.6
505.7
1.1
結束基金(CF)
8,922.4
18.8
辺境・過疎地域
209.1
0.4
その他のアクション、プログラム
695.8
1.5
47,502.3
100.0
欧州地域協力
計
出所:同前
1bの予算全体に占める割合は 33.9 パーセントで、これは共通農業政策(CAP)関連を
みなあわせた項目2の 38.9 パーセントに次ぐ予算費目である。後進地域に対する収斂のた
めの支出が 49 パーセントを占めるが、過渡的な地域のためにも、9.9 パーセントが支出さ
6
れている。さらに一人あたり平均所得 90 パーセント以下の諸国むけのインフラ整備支援の
「結束基金」が 18.8 パーセントあるので、それらを合わせると四分の三近くなる。それに
比べると他の費目は少ないが、青年の雇用、競争力、欧州地域協力などの新展開からも目
が離せない。
表4
2014 年 EU 予算
項目2:持続可能な成長:自然資源
約束分野
単位:百万ユーロ
割合(%)
43,778.1
73.9
農村開発欧州農業基金(EAFRD)
13,991.0
23.6
欧州海洋及び漁業基金(EMFF)
1,017.3
1.7
404.6
0.7
76.2
0.1
59,267.2
100.0
欧州農業補償基金(EAGF):市場関連支
出および直接支払
環境・気候アクション(Life+)
その他のアクション・プログラム(分
権化されたエージェンシー含む)
計
出所:同前
分野2は名称こそ変わっているが、実体は共通農業政策(CAP)の改革版である。最大部
分を占める欧州農業補償基金では、これまでの方式は大規模農業者に有利であるという批
判に鑑みて小規模農業者への支援を手厚くした。この直接支払いにおいても、3 分の1は土
壌・水質保全・無農薬栽培など環境保全に直結したものを対象とすることとされた。環境・
気候アクション(Life+)は直接に環境政策のための予算であるが、海洋・漁業基金におい
ても、農村開発基金においても環境保護・低炭素化が奨励されている。
【参照】
European Commission (2013a) Multiannual Financial Framework 2014-2020 and EU Budget
2014, the figures.
European Commission (2013b) Press Release 19November 2013: One trillion euro to invest
in Europe's future - the EU's Budget framework 2014-2020.
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