表紙なし40周年会報誌(pdf方式)

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題名
天文同好会 40 周年記念
[OB・OG からのメッセージ]
2 天文同好会 40 周年に寄せて
3 天文同好会 40 周年記念に寄せて
氏名
竹内勇貴
ページ
3
渡邉訓
新井保則
4
6
4
5
祝 埼玉大学天文同好会 設立 40 周年に寄せて
まるてん活動
小峯泰二
田邊 弥一郎
7
9
6
7
8
9
天文同好会の思い出
現役時代を振り返って
追憶 1998
2001 から 2006 年の当時の天文同好会の風景
金子智之
吉武 千里佳
大沼宙系
蛭田達朗
10
13
14
16
10
11
12
13
『星を眺めること』
記念誌発刊に寄せて
新しき伝統に期待を込めて
39?期会長
小路 学
西潟耕治
松澤孝裕
山崎貴大
20
21
22
23
[天文同好会の歴史]
14 (続)20 年史
24
[近年の天文同好会の活動]
15 天文の歴史
16 むつめ祭
17 最近購入した望遠鏡の紹介
29
31
33
[会報担当のつぶやき]
18 編集後記
35
1
2
天文同好会 40 周年記念
竹内勇貴
今年 2012 年、我が天文同好会は創立 40 周年を迎えた。この年に記念会報誌としてこ
こに私の言葉を載せることが出来、大変光栄である。この 40 年で多くのことが変わって
きた。40 年前、幻のジャコビニ流星群のあった 1972 年に天文同好会が発足。それから
数年してモータードライブが復旧してきたというぐらいなので、観測技術に関してもこ
の 40 年で大いに発展している。ここ最近では十数年前にすばる望遠鏡がハワイに作られ、
今まで観測しえなかった多くの天体が観測されるようになり天文分野は更なる盛り上が
りをみせている。今や、このような大型の機器による観測で新しい天体が次々と見つか
った。それでもなおアマチュアの活動の重要性はまだある。未だにアマチュアの活動に
より超新星や新天体の発見があり、また流星群の観測に関してはデータを取る観測者が
少ないのが現状であり、こちらは用意をきちんとすればわれわれにも行うことが出来る。
今では流星群の観測を行っていないが、今後、流星群観測をして、活動の記録として残
していきたいと思っている。
また、この 2012 年に天文現象があったことから天文学に興味を持つ人も多くなってい
る。その影響を反映してか、この天文同好会でもどんどん人数が増えていき、今では 100
人を超す大きなサークルとなっている。それに加え今年、歴代の先輩方が貯めていてい
ただいた会費をもって様々な天文の器具を購入した。それにより、これからの活動がよ
いものになることは言うまでも無く、これから多くの天体を観測しまた同時に記録に残
す意味もこめて写真を撮っていきたいと思っている。記録を残すことによって、これか
らの活動の意欲に繋がっていけたらと期待している。
最近になって、我が天文同好会では埼玉大学の学園祭「むつめ祭」にプラネタリウム
だけでなく、出店も行っている。これ自体は天文の活動とは直接関係は無いが、出店で
プラネタリウムの宣伝をして多くの方にプラネタリウムを見ていただいて、興味を持っ
ていただけたらと、あわよくばこの売り上げを望遠鏡などの器具を買うことに出来たら
と期待している。
最後に、この記念行事に参加していただいた卒業生の方にこのような拙い行事で満足
していただけたか不安ではあるが、感謝を申し上げ、これからの天文同好会の更なる発
展を期待したいと思う。
3
天文同好会 40 周年に寄せて
渡 邉
訓
今年は目立った天文現象が続き、天文ファンならずとも興味深い1年でした。
卒業して 38 年も経過してもなお、天文活動に勤しむことができる自分が幸せで
あると思っています。それもこの天文同好会が、育んでくれたおかげです。
10 月になってすぐ、忘れていた天文同好会 40 周年のお報せを戴きました。年
初めにそんな話もないことはなかったのですが、20 周年のときのようなファイト
もなく、50 年のときまでいいか、などといわば流していたところでしたので、正
直言って現役の方々からのお報せに驚くとともに大変嬉しく思いました。
今回、記念誌の発行も計画されているということで、
原稿の依頼を戴きました。天文同好会は、40 年前の 4
月に発足しました。私が 3 年になったときです。すで
に 40 年も経過していると、当時のさまざまなことも記
憶が薄れてしまっていて何となく懐かしさだけが残っ
ていますが、この辺りは 20 周年記念誌に詳しいと思い
ます。もし宜しかったら、20 周年記念誌も目を通して
下さい。
私は 2 年で同好会を卒業してしまいましたから、そ
の後は OB として現役の方々との交流もありましたが、
数年後には OB 会を発足させ、夏の合宿やずっと続いている暮れの忘年会を通し
て OB 会として活動に参加してきました。
しかし、OB 諸氏が年齢的にも社会の中軸を背負うようになると、とくに目的
がはっきりしているわけでもない OB 会は、イコール忘年会という形になり年に
一度の再会の場と化しました。献身的に幹事を請け負ってくれた OB もいて、次
第に忘年会出席者が減っていく中でも、開催の葉書が出されてきましたが、すで
に卒業生が 300 名を超えるようになると、幹事とはいえ仕事の合間に・・というわ
けにも行かず、忘年会の開催も厳しい状況になっています。
一時現役との交流という観点で、現役会長をお呼びしたこともありましたが、
今はかろうじて、以前より忘年会に参加している人たちを中心に連絡を取り合い、
細々と忘年会を行っているだけになっています。それでも天文ファンの灯は消す
4
ことなく、みな人生のアクセントとしてそれぞれに楽しんでおり、交流を果たし
ています。
また一時 OB 会の HP も作られていたのですが、管理者不在になり掲示板も現
在は閉鎖されています。というわけで、OB 会としては、現在は何もしていない
状況でしたので、今回のような周年行事を行うにあたって、OB への連絡には相
当なパワーを必要としたのではないかと担当の方々には敬意を表します。
冒頭に申し上げたように、私は現在もなお天文活動を少しずつ続けております
が、かつての仲間たちの中にはもはや足を洗ってしまっている者もおります。発
足当初から同好会という設定でありましたから、軽い気持ちで一緒に星をみよう
という会でしたので、長時間の手動ガイドの達人から勉強会でもずっと目をつぶ
ったままの者もいました。そして、流星観測ではみんなで真剣に計数観測を行い、
曇ればトランプに興じました。たまの飲み会では、寮の娯楽室で議論を交わした
り、屋上にコタツを引っ張り出して四分儀を見たり、と学生ならではの天文活動
を楽しんだものです。
振り返ると思い出は尽きませんが、四年のときの生
協祭りでソフトボール大会があり、サザンクロスの名
前で会が参加したのですが、あれよあれよとトーナメ
ントを駆け上がるや、ついに陸上部との決勝戦に至っ
たことは忘れ難い快挙でした。奮闘むなしく、むくつ
けき陸上部員には勝てなかったものの、準優勝の賞品
ビール半ダースは素晴らしい思い出になりました。
10 年前に、OB 会の名簿が作られましたが、それを
最後に更新はなされていません。これから OB 会をど
うして行こうか、といった目論みもないのですが、今
回の 40 周年を契機に、多感なる日々をともに過ごした仲間たちですから、もう
一度連絡を取り合い、名簿の更新そしてこれだけは続いている忘年会を開き、で
きれば現役の方々との交歓もできたら、と考えています。
HP を拝見すると、天文同好会には現在 130 名を超える会員がいらっしゃるよ
うですが、40 年前の 1972 年 4 月 21 日私たちはこの会を僅か 10 数名の同好の友
と発足させたのです。その会が脈々と現在まで続いてきたということに感動しま
す。この先、どこまで続いていくのか、楽しみは果てしないものがあります。今
回の記念行事が、埼玉大学天文同好会の更なる発展につながることは紛れもない
ことでしょう。
会と皆さんのますますのご発展を祈念いたします。
5
(2012.10.14 記)
天文同好会40周年記念に寄せて
新井保則(S45入学、初代会長)
埼玉大学天文同好会の皆さん並びに OB 会の皆さん40周年おめでとうござい
ます。今でも同好会が続いていることは設立に関与したものとして驚異であり、
同時に感無量の思いです。
実は 20 年前の 1992 年にも OB 会のメンバーが中心となり 20 周年記念誌が発
行されています。そこでも書きましたが、1972 年にわずか数人が集まって設立(と
いうのもおこがましいほどの)したものなので、いつ自然解散してもおかしくな
いような同好会でした。さらにこの時代は学園紛争がまだ残り、サークル活動も
政治的なグループに否応なく組み込まれたりして難しい時代でした。
しかしその翌年からは多くの元気なメンバーが入会して流星観測が始まりやっ
と会としての本来の活動ができるようになったと記憶しています。
設立当初の詳細な経緯や状況は上記 20 周年記念誌、さらに遡って同好会誌創
刊号(共に現存しています-電子化して保存すべきですね!)を参照ください。
当時のメンバーである渡邉氏、小峯氏などは今でも情熱的に年末の OB 会を運
営し続けていますので、そのおかげで今回のように現役の皆さんとの接点も確保
できたことと思います。
もちろん 40 年続くには毎年、会の運営をされてきたそれぞれの年代の会長や
役員及び会員の努力があるわけです。それらが 40 年も継続的に一体となり達成
されたわけですね。しかも企業などと違って利益を生むわけでもない同好の有志
の集まりですから長期にわたって存続するのは非常に稀有なことだと思います。
思うに天文-星-宇宙の魅力!が我々を-皆さんを集め続けたわけですからこれ
こそが真の原動力なのでしょう。そう思えば 50 周年、60 周年いや 100 周年も夢
ではないかも知れません。人間にとってはとても長い時間ですが、宇宙の時間か
らすれば一瞬のことです!
今後も埼玉大学同好会が何世代にもわたって継続していくことを祈ります。
PS-20 周年記念誌や同好会誌創刊号~初期のものは OB 会-渡邉氏及び小峯氏
(現 OB 会長)または私に問い合わせください。
6
祝 埼玉大学天文同好会
創立40周年によせて
1971年入学
第2代会長 小峯 泰二
創立40周年おめでとうございます。会を発足させて以来、一度も途切れるこ
となく、引き継いで下さった後輩の皆様に感謝申し上げます。創立に関わった一
員として、これほど嬉しいことはありません。
この機会に、当時のことを思い起こすままにふり返ってみようと思います。あ
まりに月日が過ぎたため、忘れてしまったことや思い違いがあるかもしれません
が、お許し下さい。
発足したのは1972年で、私は入学して2年目になっていました。高校生の
頃、地学部天文班に所属し、天体観望や天体の写真撮影の楽しみを経験していた
ので、大学でも活動できないかと考えていました。しかし、天文に関するサーク
ルはなく学内をうろうろするばかりでした。そんなおり、同じ高校出身で教育学
部中学校課程理科専攻に入学した友人が1年先輩に星好きの人がいるとの情報を
届けてくれ、紹介されたのが栃木県小山市出身の渡邉訓さんでした。
渡邉さんも入学当時からサークル発足を夢み、行動されていた方でした。お会
いしてから1年間、天文書を紹介されて読んだり、美しい星を見るため南アルプ
スの山に登ったりしました。細々ながら行動するうちに、数人の仲間ができ、翌
年の発足をめざし活動するようになりました。新学年となり、学内に勧誘ポスタ
ーを貼り希望者を募り、正式に発足することになりました。このときのメンバー
は14~5人で、初代会長には理工学部物理学科の新井保則さんに引き受けてい
ただきました。
当時の活動内容をいくつか思い出してみましょう。部室がなかったので図書館
ロビーに伝言ノートを置き、講義の合間に出かけていき、会のたまり場にしてい
ました。初めての星見合宿は、たしか長野県の野辺山高原国鉄キャンプ村で満天
の星空を体験しました。その後、赤城山の大学山寮では、ジャコビニ流星群を観
測したり、氷上で星座写真撮影をしたりしました。スキーやワカサギ釣りも楽し
める所でした。奥武蔵の正丸峠、芦ヶ久保などでは流星の計数観測を行いました。
近くでは秋ヶ瀬公園でお月見をしたり、大学屋上で流星観測をしたりしました。
7
私は、1年生の夏から大学に併設されている蒼玄寮に入り、寮生活をしていま
した。ここでは屋上にオルガン練習のための4畳ほどの小部屋がありましたが、
練習にはほとんど使われず、たばこの吸い殻の散らかる雑部屋となっていました。
ここを勝手に掃除し窓を閉じ、写真暗室や望遠鏡の工作室として占拠してしまっ
たのを思いだします。またこの部屋で、卒業する先輩のために記念の写真集を作
成したものです。
初めて入った部屋は最上階の4階の部屋で南天の低空にカノープスを見ること
ができました。大学も大久保の地に統合移転して数年しかたっておらず、学内は
校舎だけが立ち並ぶ殺風景な所で、周辺には自然がたくさん残されていました。
卒業までアルバイトに精を出し、当時あこがれていた旭精光のアスコスカイル
ック160B型という16cm反射赤道儀を購入、実家の近くに一辺2.5mの
観測小屋を建設しました。40年ほどたった現在も使用可能で私の財産となって
います。仕事も定年を迎えるにあたり、星見に有効活用しようと考えているこの
頃です。
まだ、いろいろ思い出しますが、同好会の発展と現会員の皆さんの活躍、同好
会を通してつながるOBの皆さんのご多幸を祈念して終わりにします。
8
まるてん活動
田邊 弥一郎(98 年度理学部物理学科卒)
天文同好会(まるてん)ではたくさんのイベントに参加させていただきました。
秩父山寮の新歓合宿、会報の作成、合宿所での七夕コンパ、各地での夏合宿、む
つめ祭のプラネ・スライド、草津スキー、春合宿、そしてたくさんの星見。メン
バの車に分乗して、登谷牧場から、赤城山、乗鞍岳・・。
一番の思い出は赤城山山頂で見た百武彗星です。北斗七星のひしゃくと交差し
て尾を伸ばしていた壮大な姿は忘れられません。
毎週末の例会が楽しみでした。土曜の昼前に工学部の教室に集まって会のあれ
これを話し合い、そのあと皆で不二家やマックで食事。ちょうど誕生日のメンバ
がいれば不二家でお祝いしていたのを覚えています。店内放送が掛かってみんな
で拍手して。そしてその後に星見へ出かけることも多々ありました。
上級生になって企画する側にまわっての活動も忘れられません。観望会を企画
して学食前でチラシ(下記)を配ったのもいい思い出です。
1997 年ヘール・ボップ彗星観望会ちらし
1996 年百武彗星観望会ちらし
9
天文同好会の思い出
星野 智之(旧姓:金子)
私は 93 年 4 月から 99 年 3 月まで 6 年間天文同好会に在籍していました。
93 年というと入学式直前の 93 年 3 月 25 日に埼玉大学の堀川学長が誘拐され、1 億円
の身代金を要求される事件がありました。その後、学長は解放され入学式も滞りなく行
われましたが、入学から落ち着かない雰囲気だったことを覚えています。
当時、サークル会館は無く、かなりみすぼらしい「サークル小屋」に天文同好会の会
室はありました。ホコリだらけでとても座れないような汚さでしたので活動はもっぱら、図
書館二階左の談話室の一角を占領し行っていました。当時はメールもネットでの掲示
板もありませんので、連絡ノートに星見や飲み会などのイベント予定を書いて参加者を
募るような形式でした。
天文同好会に入って最初の大きなイベントが秩父山寮での新入生歓迎合宿です。昼
は三峰山登りで夜は星見と思いきや、夕飯からアルコールが出てきて飲み会に突入で
す。もう星を見るどころではありませんでした。
天文同好会の合宿は新入生歓迎合宿・夏合宿・秋合宿・春合宿の4回ありました。新
歓合宿は毎年秩父山寮でした。夏は 2 泊、秋と春は1泊が多かったと思います。
飲み会は、七夕・クリスマス・追い出しの3回が恒例でした。その他、アパートに下宿し
ているメンバーの家に集まって飲み会もちょくちょくやっていました。星見より飲み会の
方が回数は確実に多かったです。星見には来ないけど飲み会だけは来る会員もたくさ
んいました。
星見はきれいな星を見に行くのが目的ですが、そこまでの移動のドライブとかキャン
プ用品を使ったアウトドア活動も星見の楽しみです。また星見の楽しみ方も、「星が多
すぎて星座が結べない」「あのどかない雲が邪魔、えっ天の川なの!」というようなきれ
ない星空を肉眼で見に行く派がいたり、赤道儀とカメラを担いでひたすら星野写真撮影
派だったり様々でした。当時は天文同好会の望遠鏡等の機材が乏しく、観望派が主流
でした。
自動車免許保有率が高く、有志を募って自分たちで運転して星見に行きました。埼玉
県皆野町登谷牧場、長野県高峰高原、長野県乗鞍畳平、栃木県八方ヶ原などへ遠征
していました。
天文で有名な大朝由美子准教授はまだ着任しておらず、H 棟屋上 40cm 望遠鏡の管
理は気象研究室の高橋忠司教授でした。今のように教育学部の研究室主催の観望会
は行われていませんでした。たまに天文同好会で借りて使いましたが、浦和の空は明
るく、また H 棟は気流が安定しないため 40cm 反射望遠鏡よりサブスコープの 8cm 屈折
望遠鏡の方が使い勝手が良かった記憶があります。
94 年 3 月にサークル小屋が解体され、一年後の 95 年 4 月にサークル会館が新築さ
10
れました。きれいで鍵付きロッカーも完備されやっと居場所ができました。機材を鍵付き
ロッカーに保管できるようになったため、すぐに望遠鏡が使えるようになりました。
93 年大晦日初詣飲み会 関口さん宅にて
93 年水星太陽面通過 観望会
また活動拠点ができたおかげでプラネタリウム装置の作製などの活動もできるように
なりました。当時、工学部機械科の天文同好会メンバーがプラネタリウムの機械と制御
を作り、その後も改良が加えられていきました。またプロの声優の方にプラネタリウム
のナレーションを吹き込んでもらったそうです。
その当時、インターネットが急速に普及し始めました。電子工学科の井上さんが小林
研究室のサーバーに天文同好会の HP や天文関係のリンクページを作りました。当時
はインターネットの黎明期で天文のページが少なく、アスキー出版の「日本のホームペ
ージ」という本に埼玉大学天文同好会の HP が紹介されました。
天文現象では 93 年 11 月 6 日に水星の太陽面通過がありました。一般向けの観望会
を教育学部の屋上で行いました。薄曇りでしたが、何とか見えました。
94 年夏にシューメーカー・レビー第9彗星が木星に衝突し、小望遠鏡でも見えるほど
大きな衝突痕が残りました。一般学生向けに木星観望会を行い、盛況でした。
96 年 3 月に肉眼彗星として有名な百武第二彗星が地球に接近しました。最接近の 3
月 25 日に天文同好会では赤城山まで遠征しました。イオンテイルが長く、顔ごと動かさ
ないと、彗星全体が見えないほどでした。
天文現象ではありませんが、96 年 1 月~3 月にフジテレビで「白線流し」というドラマが
放送されました。主人公の長瀬智也が天文台で働くことを目指しており、星にまつわる
エピソードが印象的でした。このドラマの影響で各高校や大学の天文部の部員が増え
たと天文雑誌では報道されましたが、残念ながら埼玉大学の天文同好会は特に増えた
感じはありませんでした。
97 年も肉眼彗星のヘールボップ彗星が接近しました。百武第二彗星ほど尾は長くな
りませんでしたが、青いイオンテイルと黄色いダストテイルが別々の方向に伸びて大変
きれいな彗星でした。このときも天文同好会では主に赤城山へ遠征しました。時間の余
裕がある大学生時代に 2 年続けて大彗星が来てくれたことはとてもラッキーだったと思
います。
11
98 年と 99 年はしし座流星群が活発でした。同好会では渡良瀬遊水池へ観測に行き
ました。その模様は現地で新聞の取材を受けて新聞の地方版に載ったそうです。
埼玉大学の天文同好会は日本大学や東京理科大などの硬派で学術的な天文部と比
較し、緩くて親しみやすく敷居が低いと思います。天文同好会を立ち上げた当時の雰囲
気は存じ上げませんが、私の在籍していた 90 年代の天文同好会は和気あいあいとし
つつも、各人がやりたいことがやれる自由で活発な雰囲気でした。
最後になりますが、天文同好会 40 周年おめでとうございます。天文同好会がみなさんの大学時代
の良き思い出が作れる通過点として永続的に発展していくことを期待いたします。
97 年ヘールボップ彗星 赤城山にて
96 年百武第二彗星 赤城山にて
(ニコン 50mm F1.4→2.8 1 分 フジ G400)
(ニコン 50mm F1.4→2.8 3 分 コニカ LV200)
*左の百武彗星と同じ画角です
12
現役時代を振り返って
~1998-2002~
2000年度会長
江原
千里佳(旧姓:吉武)
天文同好会の 40 周年、おめでとうございます。早いもので、もう、卒業してから10年以上
の月日が流れてしまったようです…卒業してから2~3年は、年に一度、むつめ祭の時期に大学
を訪れたりしていたのですが、さすがに知っている顔ももういないだろうとすっかり足が遠のい
ています。この機会に、曖昧ながら懐かしい記憶を辿ってみました。
☆ 1998(平成 10)年 ☆
夏(秋?)合宿で訪れた、清里高原「ペンション乙女座宮」のインパクトがいまでも忘れられま
せん。名前もさることながら、本当に乙女ちっく(笑)な部屋の作りにドン引き…ワクワクしま
した。この頃はまだ先輩がたの多くがクルマをお持ちだったので、いろいろなところに星見に連
れて行っていただきました。同期の仲間とは、しょっちゅう呑んでばかりでした。わたしの毎週
のゴミ捨ては、燃えないゴミが、燃えるゴミの軽く 3 倍はあった気が…!?
☆ 1999(平成 11)年 ☆
初めて乗鞍の星空を見ました。クルマから降りて、空を見上げたとき「そ、空が落ちてくる!」
と、思わず目をつぶってしまったほどの感動でした。個人的には、先輩方に関東のあちこちに連
れて行ってもらった一年でした。
☆ 2000(平成 12)年 ☆
この頃から、現役会員、OB ともに星見のためのクルマを出すことが厳しくなってきました。
星見も、よく見えるところまで遠出するよりも、大学のグランドで月蝕の観測をしたり、教育学
部 H 棟の望遠鏡を使わせてもらったりするパターンに変えました。わたし自身が、髙橋研究室(当
時の H 棟の望遠鏡の管理をしていた研究室)に所属したので、割と望遠鏡を自由に使わせてもらい
ました。
夏合宿には、クルマの確保の問題のため「せっかくだから、新島に行こう!」と張り切ったも
のの…なんと直前になって三宅島が大噴火!計画は頓挫し、電車とバスを乗り継ぐ長野方面の旅
へと変更を余儀なくされました。帰りに上高地観光ができたのがステキな思い出です☆
☆ 2001(平成 13)年 ☆
会長職を退いてからは、なかなか進まない卒業研究から逃避するためにサークル会館に出没し
ていました。9.11 のテロが起きたとき、みんなで不二家レストランを出たところで、そのままわ
たしのアパートへ移動し、みんなでテレビを見て言葉を失ったのを覚えています。
☆ おまけ:卒業後 ☆
佐賀県立宇宙科学館(天文台・プラネタリウム)、宗像ユリックスプラネタリウム勤務を経て、現在、佐賀
県の公立小学校の教諭をしています。窓を開ければ、地平線からたちのぼる天の川が見えるような田舎での
んびりしています。吉野ヶ里遺跡のすぐ近くに住んでますので、九州にお越しの際にはぜひご連絡ください( ^
ω^ )
Facebook で旧姓でさがしてください。
13
追憶 1998
1998 年入学 理学部物理学科 大沼宙系
当時の事を振り返るというお題をいただいたので、10 年前の記憶を振り絞って
思い出してみました。まずはウォーミングアップとして 1998 年入学のメンバー
を紹介しましょう。
トップバッターは教育学部理科ちゃん’s のおふたり、Ce さんと Ch さん。この
二人が化学反応を起こすとマグネシウムが弾けたみたいになって、マシンガント
ークが止まらなくなるので取り扱いには十分に気をつけてください!! ちなみに
Ce さんは、我が代の会長さんでもあり、○○くんの△△だったりしたわけであり
ます。
次に教育学部数学のお三方、A 氏と Sa さんと Y 氏。A 氏は茶道部との掛けもち
にも関わらず、星見のドライバーとして大活躍でしたね。赤の MARCH にさっそ
うと乗り込む後ろ姿を思い出してしまいますねぇ。Sa さんも卓球部?との掛けも
ちでしたっけか。とっても落ち着いた感じの人です。ご実家が気仙沼だったか大
船渡だったかなので、今頃どうしているか少し気がかりではありますねー。Y 氏
は気が向いた時にフラ~っと会室にやって来て、ノートに一筆残していってくれ
る人です。自由人でバックパッカーみたいな印象。あくまで印象ですけれど。飲
んで酔っ払うと大学体育館の屋根によじのぼります。
(危ないので良い子は真似し
ないでね☆)
それから、情報工の S 氏。いつも白と黒のコーディネートで決めている落ち着
いていて非常にダンディーな雰囲気の方。レアキャラでしたねー。
そして、理学部物理の K 氏(副会長)と私(会計&会計監査)。K 氏は推理小説
と煙草と睡眠薬•••いや、リポDを愛して止まない人で、天文の知識と望遠鏡の扱
いが超一級。
「一つ質問してもいいですかぁ?」が口癖なんだけれど、質問が一つ
で済んだ試しがないので、いつも先輩方に突っ込まれていました。
ということで、8 名も同期がいたんですね(驚)。
まぁー、同期の紹介はこれくらいにしておいてと。あの頃は先輩方も大勢いた
ので毎日賑やかでした。特に予定が無ければ毎日に近いほど会室へ行っていたん
じゃないかな? ゲームやったり、スカイウォッチャー読んだり、レポートやった
14
り、埼大星の原稿書いたり、ゲリラ星見したり、合宿の下見行ったり、、、挙げる
とキリがありません。それから先輩後輩合わせて同じ学科の人が 8 名もいたので、
講義や期末考査や研究室の事なんかいろいろ相談できました。U 先輩、H 先輩、Ts
先輩と私は同じ研究室の配属でもあり、本当にお世話になりました。そうそう、
当時の天文には「タカシ」4 兄弟なんてのもありましたね。
ツラツラと書いてきましたが、やはり「むつめ祭」が一番印象に残ってるかなー。
まず、1 年生の時に徹夜でむつめ祭の準備をする事を先輩から叩き込まれ、2
年生の時に 10 日間で動くプラネタリウムを作る事を自分たちで習得し、3 年生の
時にお金のやり繰りと大学職員に対して有利に交渉する術を体得し、4 年生で
は、、、。自作プラネタリウム作成はホント楽しかったです。M 先輩作成のドームと
U 先輩作成の天球を受け継ぎ、メカ駆動系&制御系を K 氏と担当。授業中に内職
で歯車のギア比の計算やったり、春日部の工場や東急ハンズやアキバまでパーツ
を買付けに行ったり(モリブデン素材の歯車は硬くて品質も良いけど、その分お
高い買い物)。作業場所となった我がアパートの部屋は、開催までの 1 週間が地獄
絵の様でした。。。何よりも、あんなわがままにお付き合いいただきました先輩後
輩の皆様に、この場をお借りして同期を代表して改めて御礼を申し上げます‼ そ
して、現役会員の皆様、今を存分に楽しんでください‼ でわでわ〜
15
2001 年から 2006 年
2001 年 5 月 11 日
当時の天文同好会の風景
学内新歓星見
写真の真ん中の 2 人は卒業後めでたく結婚!
星見の後は、飲み会。校庭だったかな?
当時のイベント
2001 年 5 月 12 日
天文同好会 会室
当時の会長が、テレビ修理中。

新歓学内星見、H 棟屋上 55cm 望遠鏡天体観測

新歓星見(登谷牧場など)

BBQ

夜光虫(油壺)

戸田板橋花火大会

ボーリング、カラオケ、誕生会、プラネ

夏合宿

秋合宿、星見(乗鞍、高峰、里美村など)

むつめ祭(手作りプラネタリウム上映)

冬合宿(スキー、スノボ)

総会

卒業式
今は懐かしいブラウン管 TV
2004 年 5 月 14 日 新歓星見 高峰
日本で先生になったり、マラウィで先生になったり、サラリーマンになったり、父親になっ
たり、母親になったり、みんな今は様々な道を歩んでいます。
高峰の星空は乗鞍に負けず劣らずすごい。新入生にはかなりのインパクトだったはず。私が
新入生だった頃は、新歓と言えば登谷牧場だった。登谷も綺麗だけど高峰には負けるかな。
16
夜光虫 in 油壺
2003 年 7 月 5 日
2004 年 7 月 10 日
大学に入って知った夜光虫の存在。
増えた!参加者が!
豊作の時もあれば、そうでないときも多々。
夜光虫は、星見についで天文の看板イベント。
豊作の時の感動。その魅力にはまりました。
参加者もかなり多くなっていきました。
明るくなりかけてきた三浦海岸。
夜光虫の時は朝日を拝んでから帰る
のがお決まりだった。
2006 年 7 月 15 日
夜光虫と言えば、花火も定番。しかし、本当に年を追うごとに参加者が増えていったなぁ。
2004 年 8 月 7 日
戸田板橋花火大会
夏のもう一つの定番といえば、戸田の花火大会。一番左に映っている 2 人も卒業後めでたく結婚!!
他にも数組のカップルが大学卒業後ゴールインしています!!!!
17
最大のイベント 夏合宿
この時はそば打ち体験をしました。
2002 年 8 月 12 日
戸狩
ペンションのご家族にもお世話にな
懐かしい。夏合宿は星見だけじゃなくて、散
りました。彼も今は大きくなっている
策したり、温泉入ったり、その土地を楽しみ
のだろうな。
つつ、夜はゆっくり寝ころんで星見をする。
今思うと贅沢な時間だった。
楽しそう。自然豊かで夜の星空も綺麗な
んだろうな。
2003 年 8 月 26 日~29 日 大島
院試で行けなかった、夏合宿。島!
行きたかった。今でも、行きたいって思う。
秋星見
秋からが本当の星見の時期。
秋になると空が澄んできて、でも、冬のように
そこまで極寒じゃなく、それなりの装備をして
いけば一晩中星見ができる。
そして、朝、明るくなってくると浮かんでくる、
雲海もまた壮観。
秋の日帰り星見は、高峰が定番だったような。
2003 年 10 月 24 日 秋星見
高峰
18
秋合宿 (一番星見に最高な時期の一大イベント!天文同好会の星見の神髄はここにあり。)
2006 年 9 月 23 日
乗鞍 (剣ヶ峰山頂)。宿泊は銀嶺荘。
本州の中で、車で行ける最高地といえば、乗鞍。本州の星見スポットの中では随一でしょう。
乗鞍の空を知らない人は、日本の本当の空を知らないと行っても過言じゃない!
天文同好会に入ったならば、必ず一度は行ってもらいたい。
(ちなみに、写真の中で私は高地ではしゃいで、グロッキーになっています(^^;))
星空だけじゃなく、そこにある、自然、全てが美しいです。

そして… 卒業
2004 年 3 月 26 日
2006 年 3 月 24 日
共に歩んできた仲間との卒業式。同好会の仲間達に祝福されて卒業できるのは嬉しかった。
2012/10/22 蛭田 達朗
埼玉大学、天文同好会、最高やな!
19
~創部 40 周年に寄せて~
『星を眺めること』
小路 学
今年 2012 年に埼玉大学天文同好会が創部 40 周年を迎えられることを心よりお祝い申
し上げます。
この度、40 周年の会報誌に向けて寄稿をお願いされたのですが、正直私などが文章を
寄せていいのかとも思いました。ですが、
『何かを現会員に残せるのなら』との思いから
この度寄稿させていただきました。
まだ天文を去って間も無い私にとって、天文には数々の思い出があり、それは何を書
こうか迷ってしまうほどでした。そんな私が天文にいた期間は、良き先輩や良き後輩な
ど終始周りに恵まれました・・・それと同期もね。その数々の思い出の中でもやはり一番の
思い出といえば【むつめ祭】でしょうか。
むつめ祭といえば、私たちの頃は学部 2 年生が出し物のプラネタリウムの解説を受け
もっていました(今では後輩の松澤君の改革もあって天文は飲食物の出店もしています
ね)。そのむつめ祭の前日の夜は私たちの代を含め、代々の解説者は組み立てたドーム内
で密かに練習をしていました(まぁ、実行委員からの許可が降りないので校内不法侵入
なわけですが…)。これは星座のことや神話などに詳しくなりつつ、同期との和が深まる
という大切なイベントでした。このプラネタリウムの解説を受けもつまでは正直な話、
自分は数々の星見や合宿に参加してもただ夜空を眺めているだけでした。しかし、解説
の仕事をやったおかげで今では星空を見上げれば星星を結び合わせることも、その間に
ある物語をイメージすることもできます。ちょっとしたことですが、仕事で失敗などし
て落ち込んだ時、夜空を見上げるとその悩みのちっぽけさに気付かされ、常に前を向い
て歩けています。
天文同好会で得た仲間や経験は必ずみなさんの人生で何らかのプラスとなります。現
会員の皆さん、サークル活動を是非一生懸命やってください(あと本業、学問も少々ね)。
一生懸命やれば何事にもそのあとに残るものはあります。
ただ、私たちが1つやり残したことというか、自分たちが成し得なかったことなので
すが、それを現会員にお願いさせていただきたいと思います。現状を知らないのでひょ
っとしたらもう取り組んでいるかもしれませんが、現在稼働中のプラネ機材のリニュー
アルをお願いしたいです。自分の代で使っていた際も若干ガタがきていましたが、どう
でしょうか。いまおそらく使用しているのは大先輩の若林さんらが製作したものです。
先輩たちの技術におんぶに抱っこされている現状を打破し、是非新作のプラネ機材を、
ドーム同様新しく作り続けていってほしいと思います。そしてむつめ祭での星座の解説、
星の素晴らしさを説くこのイベントを守り続けて欲しいと思います。
最後になりますが、今後は創部 50 周年、そして大きく 100 周年に向けての新しい歴史
を現在のそして未来の会員達が築いてくれることを願ってやみません。
20
記念誌発刊に寄せて
天文同好会 2009 年度会長
西潟耕治(Koji NISHIKATA)
40 周年記念式典開催、そして、記念会報誌の発刊、おめでとうございます。ならびに記念
会報誌への文章の寄稿をお誘いいただきまして、ありがとうございます。歴代の諸先輩方と
同じ冊子に文章を書き寄せられることを大変嬉しく思うと同時に、恥ずかしくも思います。
諸先輩方から引き継いだ天文同好会は、いまもなお後輩たちにより受け継がれており、今年
節目の年を向かえることができました。天高くの星たちに近づこうと築き上げてきた、高き
にそびえる石垣の、一部分でも自分が支えられたと思うと光栄に思えます。
…とこれさえ書いておけばもういいよね。ちなみに上の文章はテレビ見ながら書きました、
といらん告白を書いときます。ここからはいつもの gdgd1な雰囲気であります。
「先輩、なんか文章書いてくださいよ~。なかなか原稿埋まんないんすよ~」
期限差し迫ったある日、後輩からぶっちゃけた熱烈なオファーを受け、
『よーしパパ何か書い
ちゃうぞー』2の二つ返事で了承し、吉野家パソコンの前に座る。しかしここでふと思い立つ。
(先輩方も原稿書いてるだろうし、当然後輩もなんか書いてるよな…。下手なこと書くとき
っと内容重複するだろうし…。俺、書くこと無いんじゃ?)
そんなわけで、それまで学校帰りの電車の中で考えていたネタ『歴代ハプニング集大全』
はお蔵入りに。先輩後輩とネタがかぶらないようにと『自分達の代について』で何か書こう
と思い立ちました。新たなるネタだしをしようと、風呂の中でうんうん唸りながらいろいろ
考えたのですが、なかなかいい案が浮かばない。そしてまた気付く。
(――天文での思い出って、同じ代だけの人間だけじゃ語れないんだな…)
新歓イベント夏合宿、星見に飲み会文化祭。幾つもの催し物を何年も経験してきましたが、
そのどれもが、先輩後輩問わず皆を巻き込んでのものでした。そう、俺は思ったのです。
自分だけ、自分達の代だけの話なんて、数える程もない、みんなで活動した天文同好会。
その思い出や気持ちを、人から引き継ぎ、人に引き継ぐのが同好会活動の醍醐味でもある。
脈々と続く天文同好会の足跡を、次の代に引き継げただけでも、
(色々なことに挑戦して散っ
ていった)自分達の代は一つ責務を果たせたのではと思います。
――よし「ネタが無い」をネタにして文章書けたから良しとしよう。何とか埋まった。ここ
まで駄文を読んで下さりありがとうございました。ここに書きたいこともまだまだあります
が、その話はまた機会があれば。ではこれにて失礼します。ありがとうございました。
..
【我らが天文同好会は永久に不滅です】
1
2
「グダグダ」の略
ネット上で有名な常套句『吉野屋コピペ』の一部をもじったもの
21
新しき伝統に期待を込めて
松澤 孝裕
埼玉大学天文同好会も創立 40 周年を迎えました。これもたくさんの先輩方、そ
して現役生の日々の努力の賜物だと思います。現役生の皆さんにはこれからも私
の、そしてみんなの天文同好会をさらに盛り上げてくれることを心から期待して
います。
私は今年 2012 年に卒業し、現役の頃は第 39 代会長を務めさせて頂きました松
澤孝裕です。当時の私のサークル運営は「楽しまずして何がサークルだ!」これ
をモットーにしていました。
私達の代は星の知識のある人も少なく、代としてサークルの上に立つまでは参
加率のとても悪い代でした。今も星に対する情熱の色褪せることのない人も多い
先輩方にはとても恥ずかしい限りです。
当時しょうがなく(笑)会長になった私はそれまでの伝統のノウハウは知らず
得意とする体育会系理論でサークル運営を無理やり押し進めていきました。後輩
とも数々の衝突を繰り返し、その目まぐるしく変わるサークルの雰囲気には先輩
方には心配させてしまったことでしょう。そして新入生も入りサークルの雰囲気
は完全に変わりました。今思えばそれは私の自己満足を果たした結果であり、サ
ークルを引き継いだ今の山崎を始め文化系が多い今の 4 年生にはとてつもない重
荷になってしまったと思います。しかし真面目な 4 年生は私の「期待している」
この私の一言のプレッシャーに対して見事に応え続け 1 年間やり遂げてくれまし
た。本当にありがとう。
今日、埼玉大学天文同好会は 40 周年式典を迎えました。やはり今の 3 年生達は
私が勧誘して入ってくれた子たちなので可愛くて仕方ないです。その 3 年生がこ
の素晴らしい式典を企画、運営してくれたというのは本当に心から嬉しいですし、
私はとても誇りに思います。今のサークル運営には会長の竹内にはなんとか山崎
が引き継いでいた多くの先輩方の伝統を、副会長の白澤や礼ちゃんには私の想い
を感じます。今人数も多く、古き伝統と新しき伝統が共存出来ている今こそが最
高の形だと思います。
この 40 周年の式典が次の 50 周年に繋がる最高の式典になることを現役生の皆
さんにはやっぱり「期待しています」。
22
39?期会長
山崎貴大
3月、私が会長になって初めの大きなイベントは冬合宿だった。1年の時のようにバスで1
日過ごすこともなく無事に着いたが、早々に雪合戦を始める天文会員は子供心が溢れていた。
夜は外に出るなと言いつつ、人の目を盗みながら星を見に行き、寒さに負けて帰って行くよ
うな私が会長でいいのかと一抹…どころか星が降るように不安には思ったが、このイベント
は遅刻一人けが人一人病人一人という少ない犠牲で無事に終了した。
4月、花見に関しては気付いたら会室で警備員に起こされていたので詳しくは語るまい。
5月6月、続く新歓星見、新歓バーベキューは雨が我ら天文同好会を襲い、いくつもイベン
トがなくなったが、他の会員がイベントを行い、むしろ自分が楽しむ側にまわっていた。ま
わりが動いてくれる人ばかりだと私は「頼む」と言って楽しんでばかりである。本当に私は
会長だったのか。いや、新歓の説明会で会長であるとあいさつをした覚えがある。ならば私
は会長であった。間違いないだろう。
7月、夜光虫を見に夜、海に行った時、その年初めて活動中に星空を見ることができた。何
気なく見上げる星空もいいものだ。だが、花火を楽しんでいた際、1年の時海岸の住人に身
分を確認された記憶がよみがえりびくびくしていたのは秘密である。
8月、夏合宿での宿の人の撮影の講義や自作の展望台は興味深いものであった。また、露天
風呂でのビーチボールも中々に熱いものであった。貸切の贅沢とはこのことである。惜しむ
べきことは、台風が近づいており、星がほぼ見えなかったことと、水鉄砲を忘れたことだ。
9月、リベンジバーベキュー、天気予報は雨だったが晴れた。もう何も信じられない。
10月、むつめ祭。3年はワッフルとクッキーの売り子、2年はプラネタリウムでの星の解
説、1年はワッフル作成から各種手伝い、私は楽しむ係。
11月、ラスト星見。冬の山で見る星は、風と寒さと私の事故でドアが開かなくなったこと
を除けば言葉にしがたいものがある。私はこれを求めているのだ。満天の星空をいつまでも
体で感じていたかった。寒くなければ。惜しいことに、人は冬眠しづらいらしい。
そして引き継ぎ。
思えば、私が入ったころは今のような大規模サークルではなかった。会室に行くと誰かが麻
雀やゲームをしていたのが懐かしい。40年も前から始まり、先輩方が絶えず残し、人が増
えても常に楽しんでいる現会員たちのおかげで、40周年記念も私は楽しむことができる。
書ききれないことも多いが、多くの人への感謝を忘れずに、私はまた星を見よう。
23
☆埼玉大学天文同好会
(埼大星バックナンバー・会室ノート他いろいろによる)☆
(続)ではない20年史は20周年記念誌をご覧ください。
[年]
[会長名]
[月]
1992
田代茂久
5月
[できごと]
新歓合宿
ソフトボール大会で、優勝狙っていたのに一回戦敗退
6月
新歓星見 in 八方ヶ原 曇り
7月
七夕コンパ 「日本情緒で攻めるぞ作戦」決行
8月
北海道旅行
ガソリン車に軽油いれちゃった・先生失踪・カラス襲撃などエキサイト
北原栄一
1993
11 月
むつめ祭 「プラネやらスライドやら展示やらいろいろしでかす」
12 月
日食観測会
2月
春合宿
スキー合宿 一泊三千円弱
1994
松沢聖司
高藤亮一
1995
8月
夏合宿 in 志賀高原
9月
秋合宿 in 西湖
11 月
むつめ祭
12 月
クリスマスコンパ in きゃら亭
1月
りゅう座流星群 in 秋が瀬公園 雨天
2月
星見 in 登谷牧場
5月
新歓合宿 in 秩父山寮
新歓星見 in 高峰
井川征幸
1996
8月
夏合宿 in 野尻湖
12 月
クリスマスコンパ
3月
百武彗星観望会 in 登谷牧場
5月
新歓合宿 in 秩父山寮
新歓星見 in 高峰
清水隆志
1997
9月
秋合宿 in 那須
12 月
ふたご座流星観測 in 登谷牧場
1月
りゅう座流星観測 in 登谷牧場
2月
スキー合宿 in 草津
4月
新歓星見
5月
新歓合宿 in 秩父山寮
6月
夜光虫 in 油壺海岸
7月
七夕コンパ ささ舟流す伝統が単なる飲み会に
8月
夏合宿 ペルセウス座流星群観望
11 月
むつめ祭 プラネタリウム・スライド・一般展示
24
1998
1999
2000
秋元崇
星野一人
吉武千里佳
12 月
ふたご座流星群観測 in 登谷牧場
2月
スキー合宿 in 草津
6月
サークル会館のボヤ騒ぎ 消火器の粉が散乱
8月
夏合宿 in 北志賀高原 天気に恵まれない
8月
夏合宿 in 妙高高原
9月
秋合宿 in 野辺山 電波天文台に訪れる
5月
新歓合宿
6月
夜光虫
8月
夏合宿 in 北志賀高原
ペルセウス座流星群観望合宿
9月
秋合宿
しし座流星群観望会
高原健二
11 月
むつめ祭
12 月
クリスマスイブコンパ
クリスマスコンパ
OB 会忘年会
2001
2月
スキー合宿 in 草津
5月
新歓合宿 in 登谷牧場 星を見ながら鍋焼きうどん
8月
夏合宿 in 斑尾高原
「初めてまともに星空を見たんだ。
いわゆる満天の星空ってやつを。」
2002
2003
甲田昌也
石畠良平
9月
秋合宿 in 乗鞍 2 泊 3 日の旅
10 月
星見 in 高峰高原 早朝の雲海が綺麗
11 月
星見 in 登谷牧場 しし座流星群観望
2月
スキー合宿 in 木島平
8月
夏合宿 「花火の途中で雨(ToT)」
9月
秋合宿 in 乗鞍 「空に吸い込まれそう」
11 月
至上稀に見る規模のしし座大流星群 ステキだった。
2月
スキー合宿 in 北志賀竜王 「星見よりもやっぱりこれ」
4月
「晴れ人間はいつでも募集しています!」
5月
星見 38 年ぶりの 5 月に台風直撃で中止
6月
星見 in 富士山
7月
夜光虫 in 三浦半島油壺海岸
8月
夏合宿 in 大島
火星大接近 よかった。
9月
秋合宿 in 乗鞍
10 月
星見 in 高峰高原
11 月
むつめ祭 プラネタリウム
25
しし座流星群星見
星見 in 里美村 袋田の滝
小西祥平
2004
12 月
一年生が会長・副会長(堀真子・甘利健人)に
2月
スキーin 戸狩温泉
3月
スキーin 蔵王温泉 「ゾクッ 男だらけのスキー&スノボ大会」
4月
星見 in 秋ヶ瀬公園
5月
新歓星見 in 高峰高原
天気が心配されたが星空は perfect であった。
新歓星見 part2 台風一過で素晴らしき星空!
6月
プラネタリウム in 池袋
7月
夜光虫 in 油壺海岸
資料として現存する最古のまんが団騒音被害
8月
夏合宿 in 尾瀬 「自分としてはとてもきれいに見えました」
旅行会社の提案を再三無視して合宿地を決める
9月
秋合宿 in 乗鞍
「流れ星が何回も見えてその度にみんな感動してました」
10 月
OB 懇親会
11 月
しし座流星群星見&温泉 in 那須
むつめ祭 プラネタリウム
小西祥平
2005
12 月
ふたご座流星群 in 高峰高原
1月
会室の蛍光灯の紐が引っこ抜かれる
2月
スキー合宿 in 野沢温泉 「思っていたより人が少なくてよかった」
4月
蛍光灯問題を受けて、クイ研の蛍光灯とこっそり交換
5月
新歓星見 卒業生贈呈品である次世代やかんのお披露目
6月
BBQ
7月
夜光虫
8月
花火大会 in 戸田市
夏合宿 in 斑尾高原 フリスビーの技術を研磨
「もちろん星も見たよ~☆☆」
大橋真
2006
11 月
むつめ祭 プラネタリウム
12 月
星見 in 日光
2月
冬合宿 in 妙高高原
3月
2006 年度一人例会数:1 回(照屋達成)
4月
新歓星見
2004 年の会報誌の一部をこの年の会報誌に流用疑惑
6月
星見 in 里美村
BBQ 中止
7月
夜光虫 夜光虫は不作。でも虫さされは大豊作。
26
8月
名古屋大学で 5 階からマシュマロキャッチ
夏合宿 in 菅平高原
9月
秋合宿 in 乗鞍
中学校で出張プラネタリウム上映
11 月
むつめ祭 プラネタリウム
星見 in 日光
2007
高山敏也
1月
会室の真ん中に仕切りができて狭い
2月
冬合宿
5月
新歓星見
新歓飲み 居酒屋のトイレに会長が空手で穴を開ける
BBQ
2008
工藤健太郎
7月
夜光虫
8月
夏合宿(22 人)in 野辺山高原
9月
秋合宿
11 月
むつめ祭 プラネタリウム
2月
冬合宿
3月
会室のテレビアンテナが盗まれる。
2007 年度一人例会回数:7 回
5月
新歓星見 天候悪し。
6月
BBQ 晴れ
星見 in 高峰高原
7月
夜光虫。が中止になりボーリングへ
8月
夏合宿 in 湯沢
11 月
むつめ祭 プラネタリウム
クドケンさんがカマコンに出場疑惑
星見 in たんばらスキーパーク
2009
西潟耕治
2月
冬合宿 in 妙高杉ノ原スキー場
4月
花見 in 与野公園
新歓星見 in 高峰高原
6月
BBQ
7月
夜光虫 in 三浦半島
星見 in 日光
日食観測 曇り
9月
扇風機が行方不明に
夏合宿 in 斑尾高原 赤字が十万を超える
11 月
むつめ祭 プラネタリウム
延期に延期を重ねた星見 in 戦場ヶ原
2010
松澤孝裕
3月
冬合宿 in 白馬五竜
27
4月
新歓星見 in 高峰高原
5月
新歓飲み 居酒屋を貸し切るほど人数が増える
社会問題研究会と話し合いの結果、会室の広さが二倍になる。
BBQ
6月
月食観測会
7月
夜光虫中止
8月
夏合宿 in 越後湯沢 天気良好。
9月
幻に終わった秋合宿
10 月
むつめ祭 うどん・クッキーの販売とプラネタリウム
2 日目は台風のためむつめ祭中止
2011
山崎貴大
11 月
星見
1月
新年会
3月
冬合宿 in 杉ノ原スキー場
4月
新歓星見
5月
BBQ。の予定が雨のため延期。その代わりに上野公園に遠足。
6月
星見 in 秋ヶ瀬公園
8月
夜光虫 in 油壺海岸
ペルセウス座流星群観望会
9月
夏合宿(58 名)in 野辺山・清里 曇り 「満天の星空が↑↑」
10 月
BBQ リベンジ
11 月
むつめ祭 ワッフル・クッキーの販売とプラネタリウム
星見 満点の星空
竹内勇貴
2012
12 月
月食観測
2月
冬合宿 in 白馬五竜
飲みの席で丞真君が渡部君の携帯を洗面器と間違える
3月
映画「横道世之介」のエキストラとして出演
4月
かわいい女の子を重点的に勧誘のビラを配る
新歓星見 目論見達成
5月
新歓飲み 居酒屋で年確されて 1・2 年の大部分が酒を飲めない
BBQ 天気に恵まれる
金環日食観測 終了後に人が集まりだす
7月
第一回流しそうめん。雨。
8月
流しそうめんリベンジ 残念ながらまた雨に降られる。
夏合宿 in 尾瀬 男の脱衣ジェンガ
9月
夜光虫
流しそうめんファイナル&花火
10 月
りゅう座流星群観望会
天文同好会 40 周年記念行事 プラザウエストにて。
28
天文の歴史
ここ数年の天文同好会は、度重なる天文ショーもあってか爆発的に会員数を増や
してきた。ここでは、過去のデータを基に人数の偏移をグラフにして論じてみよ
うと思う。
160
140
会員数[人]
120
100
合算会員数(00年以前)
80
合算女子数(00年以前)
60
合算会員数(01年以降)
40
合算女子数(01年以降)
20
0
1970
1980
1990
2000
2010
西暦
図 1 天文同好会の会員数の偏移
00 年と 01 年ではグラフの色が違うが、これは 00 年までが OB 連絡名簿に書か
れていた人から、01 年からは会室にあった各年の会員名簿からそれぞれ算出した
ことによる。
天文同好会が創設当時 17 人しかいなかったという。これが 40 年後にはおよそ
150 人と、およそ 9 倍に増加した (統計方法が違うため、一概には比べられない
が…)。特に、この 5 年の増加は著しく約 100 人も新入生が入ってくれた。この倍々
ペースでいけば、40 年後には天文会員数は 1350 人となり、現在の埼玉大学基準
で全校学部者数の 5 分の 1 を掌握する事になる。これからの天文同好会の発展を
願うばかりである。
次に、寒空にみんなの心を暖める、女子会員の人数を見る。すると、2000 年ま
ではほぼ横ばいであったが、2001 年からは増加・減少が続き、今年は 30 人ほど
増加した。今年は女子の勧誘に力を入れており、その甲斐あっての快挙である。
このペースでいけば、40 年後には 1200 人が女子会員となる。未来の男子会員は
是非女子化の煽りに負けず、力強く団結して欲しい。
29
60
女子比率[%]
50
40
30
女子比率(00年以前)
女子比率(01年以後)
20
10
0
1970
1980
1990
2000
2010
西暦
図 2 各年度における女子比率の推移
次に、各年度における女子比率の推移を説明する。グラフを見れば分かる通り、
実は現世代の女子率よりも創部 4 年後の方が高い。だが、2000 年辺りの女子率は
4 割で他の世代よりも圧倒的に高い。熱心な勧誘の賜物だろう。女子率の高さは
そのままカップル数の増加に繋がる(数打てば当たる、という意味で)。天文同好
会内のカップルで結婚するというのは 40 年の歴史の中でさほど珍しくなく、実
際今回の記念会に参加してくださる OB・OG の中にもサークル内結婚者は少なく
ない。未婚の人は偉大なる先輩からコツを聞いてみるといいだろう。
女子率が高いのは天文イベントが多い時であると思われる。74 年において、は
くちょう座新星・年末の皆既日食など、97 年のヘールボップ彗星と百武彗星、01
年のしし座流星群大接近、04 年の金星の太陽面接近、12 年には金環日食… 星
の魅力に惹かれた女の子たちが次々と天文に入っていったのだろうか。(そんなミ
ーハーじゃないよ!って方、すみません…。)
何はともあれ、40 周年の歴史で、実に 500 人近くの人間が同好会に所属してい
た。熱心に望遠鏡を動かしていた人・観望に特化した人・遊びの一環として活動
していた人…いろんな人が同好会で青春を過ごし、それぞれの歴史を作っていっ
た。全ての会員の天文への歴史を数えたら、1000 年を軽く超えるだろう。人間の
寿命よりも遥かに多くの歴史を蓄えたこの同好会がこれからも末長く続き、たく
さんの思い出を作っていく事を願って止まない。
30
むつめ祭
~うどんとワッフルと時々プラネ~
我が天文同好会は 2009 年まで、むつめ祭にてプラネタリウムの上映を行って
いました。2010 年のむつめ祭から、メインストリートに屋台を出して食品や飲み
物の販売も始めました。
2010 年は、新入生が予想をはるかに超えて多く入会したため、会員数が大幅に
増えた年でした。そこで、むつめ祭でプラネタリウムの上映だけでは、会員数に
対して役割や仕事が少なすぎるのでは?という意見がでていました。また、2009
年のむつめ祭の反省のひとつに「プラネタリウムを上映する教室の前に会員がた
まりすぎて、お客さんの出入りの邪魔になってしまう」というものがありました。
これらを考慮して、手持ちぶさたな会員がでないように仕事の役割を増やそう!
というのが、出店をやろうと決断した一つ目の理由です。
もう一つの理由として、むつめ祭で利益をだして、新しい機材を買いたい!と
いう考えがありました。その一方で、初めての出店、初めての小物販売で、利益
はでるのか?という心配の声ももちろんありましたが、当時の会長の「例年通り
のサークル運営をしていては機材購入のための予算はどこからも出ない。今年利
益が少なくても、来年、再来年に反省を活かせば、毎年毎年利益は上がるだろう。」
という言葉に励まされ、出店を行う決心をしました。
出店で販売するものに関しては
うどん・そば・ポップコーン・フ
ライドポテト・わたあめなどたく
さんの意見が寄せられましたが、
販売するにあたって必要な機材の
レンタル費や販売時期の気温、調
理の手間、味のバリエーションな
どを考えて、出店ではうどんとク
ッキーを販売することに決めまし
た。
ここで問題になったのが、学年ごとの仕事分担です。2 年生自身は今までのむ
つめ祭の流れから、2 年生の担当は当然プラネタリウムの解説とプラネタリウム
のドームの修理であると考えていました。しかし、当時の 3 年生の考えでは、2
年生中心で出店の運営を行う方針でした。これには次期の役員を決めるためとい
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う思惑があったからです。最終的に「2 年生の意見を優先してあげるべき」とい
う意見のもと、3 年生が出店の運営、2 年生がプラネタリウムの解説、1 年生が出
店の売り子と出店やプラネタリウムの宣伝という分担におさまりました。
むつめ祭当日のよかった点として、うどんの販売のシステムがわかりやすかっ
たこと、役割分担がしっかりできていて、各自やることが明確だったこと、プラ
ネタリウムの方も、解説者がきちんと準備し解説に工夫を凝らすことでお客さん
に楽しんでもらえたこと、1 年生の宣伝の効果もありお客さんの入りがとてもよ
かったこと、出店をやったことでお客さんの待合所にたまる会員が減り待合所が
ちゃんと機能していたことが挙げられました。問題の売り上げですが、2010 年の
むつめ祭は台風が直撃し、2 日目は学園祭自体が中止となり、うどんの材料や入
れ物が余り若干の赤字となりました...。
クッキーは袋に入れて販売してい
たため、持ち帰りできるということ
もあってか何袋もまとめ買いしてく
ださるお客さんがかなりいました。
そのため、お客さん 1 人当たりの単
価が比較的高かったので、クッキー
販売の案は大当たりだったといえま
す。
クッキーの売り上げが良好であったため、2011 年のむつめ祭でもクッキー販売
を続けることにしました。うどんの方は、買っても座って食べられる場所がない
ということで、2011 年のむつめ祭ではワッフルの販売に切り替えました。この年
は出店の場所が教養学部の前で、メインステージが近く人通りが多かったため、
かなりにぎわっていました。ワッフルは 3 日間で 1200 個近く売れ、クッキーも
完売し大成功をおさめました。
余談ですが、2010 年には天文同好会でおそろいの T シャツを作りました。
今年は出店で着るエプロンを制作しようと計画中です!
今年もむつめ祭では、去年に引き
続きプラネタリウムの上映とワッ
フルとクッキーの販売を行います。
むつめ祭は 11 月 22~24 日に開催
されます。ご都合がよろしければ、
ぜひ足を運んでください。
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そらをみにいく
●望遠鏡セット概要
鏡筒 :Vixen A105M
赤道儀:GP2
三脚 :SXG-AL130
その他:フリップミラー、接眼レンズ等
●鏡筒スペック
口径
:105 mm
焦点距離:1000 mm
F値
:約 9.52
その他 :アクロマートレンズ・マゼンタコート。
●概要
この屈折望遠鏡は、今年我が同好会に仲間入りを果たしたばかりである。そこ
でまずは初めに、この望遠鏡を選択、購入した経緯について説明することから始
めようと思う。
我が同好会には、今年度初めの時点で、使用できる望遠鏡は四組存在した。す
なわち、スペック不明屈折望遠鏡、小口径屈折望遠鏡、小口径反射望遠鏡、大口
径反射望遠鏡の四つである。このことからも分かるとおり、まだ比較的大口径の
屈折望遠鏡を所持していなかったのである。さらに主力として使っているのはも
っぱら大口径反射望遠鏡であったのだが、何せ光軸合わせが面倒であったため、
「第二の主役」として運用できるような望遠鏡を入手しておきたかったのである。
そこで「調整を必要としない、使いやすい屈折望遠鏡」を購入しようということ
に至ったわけである。
しかし、ここから「どれを選択するか」ということが実は一番の問題点であっ
た。購入するメーカーは決めていた。「安く、高品質の Vixen 社」である。選択
肢は二つあった。一つが、
「比較的安い屈折望遠鏡のセットを購入して、主役であ
る二台をそれぞれ組み立てられるようにする方法」
(今回とった方法)と「色収差
の少ないレンズを使った鏡筒のみを購入し、随時必要に応じて鏡筒を交換できる
ようにする方法」の二つである。予算は、15 万円を超えないように、とのことだ
った。最終の購入候補は、次のようになった。
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・A105M、望遠鏡セット…12 万円。望遠鏡の数が増えるのは、やはり魅力的で
ある。
・ED81S、鏡筒単体…9 万円。ED レンズは魅力的。都会の空でも見え方が抜群。
値段が安いので、オプションも買うことができる。
・NA140SS、鏡筒単体…14 万円。アポクロマートは高いが、アクロマートパッ
としない。そこでニューアクロマートを候補に入れた。青色がよく出てしまうが、
バランスのとれた口径と F 値は、写真撮影に大きな力を発揮する。重いが。
最終的には、一番上のプランを選択した。その大きな要因となったのは、
「でき
るだけ多くの人に望遠鏡をいじってもらいたい」という思いである。星や様々な
天体が本当に綺麗に見えるのは、自分の手で導入したときである。単純に鏡筒の
数を増やして楽しめるのは、同好会の中でも、ごく一部の人に限られてしまう。
さらに望遠鏡のお金は、部員から出てることを忘れてはならない。そこから考察
すれば、おのずと答えは見えてくる。
これが、A105M の購入までの経緯である。ここからは、実際にどんな運用を考
えているかについて話そうと思う。
まず注意したいのが、F 値が非常に大きいことである。なので、基本的に写真
撮影には、向いていない。屈折望遠鏡の中では、そこそこの口径を駆使した集光
力で運用する形になるだろう。要は、何も考えず覗いてください、ということで
ある。シンプルが一番である。星の明るい、冬季に活躍が見込まれる。何にせよ、
とにかく「使いやすさ」が魅力の望遠鏡なので、自分の手でいじってみて、それ
を体感してもらいたい。
<画像出典>
・ビクセン
GP2-A105M AL
http://www.kyoei-osaka.jp/SHOP/vixen-gp2a105mal.html
天文同好会
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理学部 物理学科 1年次 久保宗弘
編集後記
天文同好会が設立 40 周年を迎えるにあたって会報誌『埼大星』を発行することが決まったのは
夏休みのことでした。
OB 会が中心となって行われた 20 周年の際も会報誌が作られたということで、40 周年記念誌を
作る上で参考にしたいと思い、会室にあった 20 周年記念誌を見ると、製本もされページ数も多く、
とてもしっかりしたものでした。
私たち現役生が 40 周年記念誌を作成すると言っても、時間的にも予算的にも限りがあり、資料
もほとんどない状態からのスタートでした。資料として活用できそうなものは、会室に保存されてい
た 1998 年からの埼大星新歓号 15 冊、2004 年からの会室ノートと 20 周年記念誌くらいでした。
1993~1997 年の資料はどこを探しても見つからず、当時の会長さんの名前すらわからない状態
で、作業は手探りでした。何より、見本となる 20 周年記念誌が立派すぎて「40 周年記念誌なんて
とても完成できないよ!」と思っていました。
それでも限りある資料を読みこんでいくと、もともと会室はなく図書館のロビーに集まっていたこと、
ガソリン車に軽油をいれてしまったこと、会室でボヤがあったこと、昔から天文同好会はあまり天気
に恵まれていなかったこと、2 年続けて会長の役職に就いた方がいたこと、新歓でも合宿を行って
いたこと、秋合宿もあったこと、例会はもともと土曜日に行っていたことなど、この 40 年間でたくさん
の出来事があったことがわかりました。また、数名の OB・OG さんと連絡が取れるようになり、1993
~1997 年の会長さんの名前がわかり、その年代の活動内容も少しずつ把握できるようになりまし
た。みなさんのご協力のおかげで、はじめは完成させることが困難だと思っていた埼大星 40 周年
記念号をなんとか形にすることができました。
急なお願いにも関わらず寄稿を快諾してくださった OB・OG の方々、OB・OG と連絡を取り合ってく
れた中谷君と山下君、素敵な表紙を描いてくれた草間さん、望遠鏡のページを書いてくれた久保
君、癒しをくれた廣木、製本を手伝ってくれたみなさんに心から感謝します。
天文同好会 会報担当 3 年 相原由依
天文の歴史を書いた本の編集後記なので、この本が作られたときの歴史を少し書こうと思
います。
「あ、俺記念誌書くよ~」とノリ軽く言ったのは 9 月初めのことでした。何もしないまま
時は過ぎ、安請け合いに後悔したのは 10 月初めのことです。埼大星少ないし、会室のノート
は足りないし、連日 21 時まで作業しても予定ページ数が 10 ページ超えないし…。焦った僕
は 14 日に先輩方に寄稿をお願いし始めました。厚かましくお願いをしまくった結果、ページ
数は 30 ページを超え、今度は印刷代が予算 5000 円に入らないという嬉しい悲鳴が上がりま
した。
全ての原稿が完成したのは記念会前日の 26 日で、只今絶賛印刷中です。40 年の歴史に比
べれば毛ほどの短さしかない準備期間でしたが、これも天文の歴史ってことで。(12.10.26)
3 年 山下剛俊
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