記念碑が語る桜島大正噴火 - 鹿児島大学地域防災教育研究センター

記念碑が語る桜島大正噴火
鹿児島南ロータリークラブ(2013.1.30)
フンちゃん自己紹介
鹿児島南ロータリークラブ例会(1013.1.30)
万国地質学会
(閏年に開催)
34th IGC
30th Olympic
地図の鉱山
記号に転用
岩松家の墓

山下兼秀「夜の櫻島」


Homo sapiens ♂
典型的モンゴロイド

(ゴビ砂漠において)
鹿児島大学特任教授
岩松 暉



背広の似合わない地質屋
娘さんに惚れられない山男
米百俵で有名な長岡生まれ
近々入る予定の岩松家墓地
中越地震で倒壊
しばらくこの世にいてご迷惑を
おかけします
教育に投資をした美談、我慢の意味で使った小泉談話は誤用
記念碑が語る桜島大正噴火
あきら
貞観時代は大地動乱の時代
巨大地震による応力場の変化と火山噴火
(力のバランス)

(859‐877)
スマトラ島沖地震 M9.1 (2004.12.26)
巨大余震も頻発
 火山噴火も頻発

2006年撮影


2012.4.11
にもM8.2


東北地方太平洋沖地震
でも日本列島の応力場
変化



富士山噴火(864‐866)
阿蘇山噴火(864,867)
地震・津波(869) >M8.3
鳥海山噴火(871)
開聞岳噴火(874) 正4位下に昇叙
京都祇園祭

何が起きるか分からない

シナブン火山数百年ぶりに噴火(2010)

西日本大震災か、富士山
噴火か、はた桜島か

おぎおんさあ(2012.7.22)
地震の12日後、当時の国
数66本の矛を立てて大々
的な御霊会→山鉾巡行
薩摩に伝わって「おぎおん
さあ」
(スマトラ富士)
プレートテクトニクスと地震火山
100年前の南九州

日向灘地震 1909


喜界島近海地震 1911
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
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


地震も火山活動もプレート運動(爪の伸びるくらいの速度)の産物

岩松 暉
スマトラ島沖地震(M9.1,2004)、チリ地震(M8.8,2010)、東北地方太平洋沖
地震(M9.0,2011)、アラスカ沖地震(M7.7,2013)→活動期に入った!?

M8.0
真幸地震 1913‐1914
日置地震 1913


M6.4
霧島御鉢噴火 1913
桜島前兆地震 1914
桜島大噴火 1914
桜島地震 1914

M7.9
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



M7.1
口永良部島鳴動 1914
中之島小噴火 1914
硫黄島群発地震 1914
諏訪之瀬島鳴動 1914
栗野地震 1915
南九州全体が
地学的に騒然
現在も新燃が300年ぶりに噴き、諏訪之瀬も活発、徳之島では震度4、不気味
1
記念碑が語る桜島大正噴火
鹿児島南ロータリークラブ(2013.1.30)
大正噴火の経過まとめ

1/9(金) 夕方
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
島内東北部弱い地震

1/10(土) 夕方

1/11(日) 午前4時
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
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
1/15(木)

1/17~18頃

1月末頃

3月中旬頃

1915年春

1/12 10:05


1/13 20:14頃

井水上昇、海岸で湯水流出
東西中腹・南岳山頂から白煙

西山腹噴火、10:15東山腹
1/12 18:29


激震(M7.1)と小津波・地盤沈
下(液状化も?)
西山腹最大規模の噴火、火砕
流で火災


市内で有感地震
北岳斜面崩落
1/12(月) 早朝

1/13(火) 20:14

島内全域有感地震
知られている大正噴火

東西山腹から溶岩流出
夕方海岸線到達
烏島埋没
大隅半島到達、瀬戸海峡閉塞
西山腹活動終了
東山腹断続的に活動継続
犠牲者:桜島29名(直接の火山活動犠牲者数名)、地震29名(鹿児島市内と近郊)

記念碑は役に立たない!?

オッキライ
桜島大正噴火記念碑も同様
寺田寅彦「津浪と人間」

越喜来の昭和三陸津浪記念碑
藪の中で存在知られていなかった
今回の津波で洗い出されて出現
大正溶岩と埋没鳥居だけ→島内の話と他人事
災害記念碑を立てて永
久的警告を残してはどう
かという説もあるであろう。
しかし、はじめは人目に
付きやすい処に立ててあ
るのが、 …(中略)…そうし
てその碑石が八重葎(や
えむぐら)に埋もれた頃
に、時分はよしと次の津
浪がそろそろ準備される
であろう。
一番有名なのはこの碑程度
旧岳野小


高隈中央
蔦が絡まったり、土に埋もれたり、邪魔にされて神社や公民館に移転したり
地元住民や、教育委員会文化財課に聞いても分からない
実は60基を超す
“科学不信の碑”
大別すると,
この4つ
分布にも規
則性
東桜島小学校
岩松 暉
2
記念碑が語る桜島大正噴火
鹿児島南ロータリークラブ(2013.1.30)
爆発の経緯と教訓
全貌がわかるもの
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いずれも山下兼秀(黒田清輝の弟子・山形屋宣伝部長)
桜島島内の様子

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

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

桜峰小学校
県立博物館横


熔岩四方ニ噴騰シ火粉全島ヲ掩ヒ西
海岸ノ民家一齊ニ炎上ス
老幼提携身ヲ輕舸ニ寄セテ難ヲ避ク
多数救護舩来集シ島民悉ク難ヲ避ク
溶岩の速度遅い
薄暮俄然大震動殺到ス
家畜悉ク燒死シ灰沙田野ヲ埋ムルコ
ト数尺又ハ数丈
噴火漸々収マルト共ニ經濟難來ル
“勤倹産ヲ治メ“を実行した人
東桜島小学校
科学不信だけではない
本島ノ爆發ハ古來歴史
ニ照シ後日復亦免レサ
ルハ必然ノコトナルヘシ
住民ハ理論ニ信頼セス
異變ヲ認知スル時ハ未
前ニ避難ノ用意尤モ肝
要トシ平素勤倹産ヲ治メ
何時變災ニ値モ路途ニ
迷ハサル覺悟ナカルヘ
カラス
鹿児島市内はデマでパニック
鹿児島市小川町に青果
市場を創設

それまでは問屋に買い
たたかれていた

特産品奨励

村営フェリーと村営バス


桜島大根・桜島小ミカン
新婚旅行ブームもあって
村民税ゼロの村
旧郡山町常盤
避難通路に当たった郡山村では村民も付和雷同し
て逃げた者もいたが、村内には何ごともなかった

安永天明ノ噴火ニ比スルニ現象
大差ナキニ似タリサレバ專門ノ
學者豫メ櫻島ノ狀態ヲ講究シ有
識ノ父老舊記ニ徵シテ變兆ニ鑑
ミナバ今次ノ災異恐ラクハ豫知
セラレ禍害亦幾分ノ輕減ヲ見シ
ナラン (今村明恒原案)
川上村長の伝えたかったこと
巨石ヲ飛ハシ轟鳴次第ニ加ハリ火光
放射ス
移住地ヲ種子島其他数所ニ定メテ窮
民ヲ分附ス
前兆現象(地震・温泉湧出)
噴火概況と地形変化・被害
地震の状況と被害
毒ガス・津波のデマ
当局と軍の活躍
久米芳季翁頌徳碑(桜島港)
「津波が来る」「毒ガスが来る」とパニック、一時市内は無人状態
岩松 暉
3
記念碑が語る桜島大正噴火
鹿児島南ロータリークラブ(2013.1.30)
地縁社会の救援
降灰被害・土砂災害・水害

柁城小学校(姶良市)
田中川原ニ避難小屋ヲ作リ之ニ
移轉セシメ
救護費ノ如キハ縣費ト當町特志
家ノ寄附トヲ以テ支辨シ
50cm
西串良村
百引村
学童も労働奉仕
1m
垂水村
河川改修紀念碑(高隈)
10年近く土石流・洪水頻発
土石流発生地域
百引村
軽石による田畑の埋没

臨時救護團ヲ組織シ精矛神社ノ
社務所ニ置キ
水害による田地の水没

櫻島避難者ハ續々来リテ一千余
人ニ及ヒタレバ町吏ハ救助ニ忙
殺セラレ常務ヲ處理スル能ハス
土石流災害
山地の荒廃

20cm
第2回記念碑
第1回記念碑
串良川沿いに11
基も記念碑がある

山重太吉翁頌徳碑


曽於市大隅町荒谷

修復しては壊され、賽の河原の繰り返し
桜島島内の耕地復旧
然し乍ら翌三年桜島の大噴火
があり降灰四十センチに及ん
で川の模様は一変 大正六年
同十年と用水路に水は溢れ埋
って工事は挫折し予算は次々
に狂った


水田五町 畑十五町 山林三
十有余町歩を競売さる 当時
米一升十五銭の時代にて翁
の私有財産ことごとくを開田に
費消されたものである

遂に肥沃なる四十有町歩の水
田が開けるに至った

桜島武 南方神社
岩松 暉
全島噴石輕石降灰ヲ以テ埋メ
ラレ其ノ厚サ四五尺ヨリ數丈ニ
達ス
歸村シタル罹災村民ハ食フニ
食ナク住ムニ家ナク耕スニ一
片ノ土地アルナシ實ニ當時村
民ノ窮乏ノ悲惨ノ狀況ハ能ク
筆舌ノ盡ス所にアラサリキ
災害土地ノ復舊耕地ノ回復整
理ハ最トモ緊急ヲ要スル事ニ
属セリ
復舊工事費トシテ政府ヨリ無
利息ヲ以テレ借入鋭意排灰除
石耕地復舊ノ工事ニ奮躍勉勵
4
記念碑が語る桜島大正噴火
鹿児島南ロータリークラブ(2013.1.30)
震災・地盤沈下災害
夕刻地震発生(M7.1)
石塀の倒壊
液状化も発生?
江戸時代の埋立地など
軟弱地盤:烈震(Ⅳ)
帖佐塩田の水没
地震の夜、市民は戸外で野宿




鹿児島市肥田
今村(1920)
地盤沈下も発生
大正三年一月十一日午前
三時四十一分無感覺ノ微
震アリ爾後地震頻繁
同日(注:12日)午後六時三十
分烈震アリ爲ニ住民悉ク畑
又ハ田中ニ露宿セリ
同十四日ニ至リ稍衰褪セリ
50cm
爾后萬一ノ変災ニ際シテハ
狼狽遠ク避難スルノ要ナカ
ラン
ここは津波のデマに怯えて市民が郊外に避難した通路
霧島市小村新田(江戸期干拓地)


岩松 暉
現在は埋立地激増!!
沿岸一帶ノ土地沈降海
水ハ三尺餘ノ高潮□來
シ地區内ニ海水侵入水
田ノ大半ハ一大沼海ト
變ズルニ至リ
堤防ノ西南角其他数ヶ
所ニ大決潰ヲ生ジ海水
滔々トシテ浸入青田変
ジテ海ト成リ浸水家屋
百餘戸家財流失着ルニ
衣ナク食フニ食ナキノ
惨状ヲ呈シ村民ノ困憊
其極ニ達セリ
Omori(1916)
姶良市帖佐松原塩田





寸足らずの塩釜神社鳥居
明治五年松原開拓方
として始められた
大正三年桜島爆発の
際大津波が襲い堤防
は忽ち決壊し塩田は
一面の海となり復旧の
術もなかった
復旧工事計画一部に
阻止運動、村長引責
辞任
堤防工事と埋立工事
その後大製塩場に発
展、県下で一番税金の
安い村
5
記念碑が語る桜島大正噴火
鹿児島南ロータリークラブ(2013.1.30)
移住(火山災害は土地まで失う)
国有林の測量

個人資産の補償


指定移住地=国有林
県に無償払い下げ、県は罹災
者に貸与
小屋掛け費・食料費等支給
開墾終了後、無償譲渡
迅速な対応
大中尾尋常小学校新設




二ヶ月後!

飲料水確保には苦労


開拓には言語を絶する苦難
勅令で主務大臣権限知事に
委譲
爆発5日後には熊毛郡長に移
住先照会
北海道などに吏員派遣し調査
2ヶ月後には移住開始
南大隅町桜原
遂に土地は我がものに





垂水市大野原
蛇足:ここは
経営者の集
まりですから
西之表市中割
移住地のその後
宅地ハ一戸ニ対シ五畝
以内、地形ニ応ズ

耕地ハ平均壱町七反歩
以内、家族数デ斟酌
五ヶ年以内ニ完成セシム

竹の柱に茅の屋根小竹の壁
にむしろ畳で祖々たちは生き
るための生活を始められた
「力」ある者は子守り、下男、
下女とし奉公に着き、再起の
途に着いたとやら
大崎町野方角堂

事業完成後拾年後ニハ
所有権ヲ移住者ニ与フル
その他、燃材林採草地・防風林水
源保護林地・牛馬埋葬地・墓地・道
路敷・学校敷実習地及学林地・寺
院敷・公共用地(駐在所・伝染病舎
敷など)

西之表市鴻峰小学校(2001年休校)
然れども昭和も末期とならんと
するに若者たちは何故か知ら
この土地を捨て光求めて散開
しさびれ行く角堂部落となりし
故に後世のため、ここに一碑
建上いたす次第
新設3小学校は全て閉校
危機管理とは
BCPの策定と実践を
(Business Continuity Plan)
事業継続計画

想像力を働かせて、“想定外”に備えておく

物流途絶覚悟→ストックも必要、競合他社との協定
 井戸も1本くらいあってもよいのでは(鹿大は自給)
 防災用品・食糧・飲料水・非常用トイレ等の備蓄

地域社会における準公的立場を意識



市民生活に重大な被害を生じさせる事象に対して,研
究・予防・対処・修復する活動 (防災士教本)
エアフィルター・非常用電源などで機械を守る
太陽電池はダメ


被災者や帰宅困難者の受け入れ
建設業者は降灰除去に重機活用
クライシス
マネジメント
危機(Crisis)はすでに発生している
事故や災害
リスク(Risk)はこれから起こるかもし
れない未来の事故や災害
例えば,
天気予報を聞いて傘を持っていくのはリス
クマネジメント
急に,雨が降ってきたので慌ててコンビニで
傘を買うのはクライシスマネジメント
降灰に強い機器開発して世界に進出しては
中野晋(2013)
岩松 暉
事故・災害の発生
一般的な定義では
(被害軽減) (応急対応)
予防 対処
研究 修復
(災害抑止) (復旧・復興)
リスク
マネジメント
6
記念碑が語る桜島大正噴火
鹿児島南ロータリークラブ(2013.1.30)
復興・再生に今から備える

被災は不可避


蛇足・わが事として考えよう
県都壊滅もあり得る
企業だけでなく、県も市
町村も町内会もBCPを
生活再建準備
県民所得41位では困る
 県外企業は出て行く
真の地域主権の確立
 国に頼るgive me!ダメ
 自力更生・多面的
 島原の教訓に学ぶ



鹿大出身
金井(1920)付図を反転し、東風としたもの(単位:尺)
マグマの量は大正時の9割方回復
最悪のシナリオ=山体崩壊
爆発?
このペースでは 年~ 年後には
大正時に達する 恐
→ろしい!
何となく膨らんでいる気もする
10
20
出典:京大防災研火山活動研究センター
こちらもお忘れなく


北岳火口に亀裂(ずれ)あり
もしも爆発時の地震で崩壊し
たら大津波発生の恐れ

たぶんレアケース
これでおしまい
おそまつさまでした。ご静聴感謝します
。
市町村界を越えた
津波ハザードマップ
岩松 暉
南日本新聞
2012.8.30
私は「おそまつさん」ではありません、
「いわまつさん」です。
7