ふれあいプラス11月15日号

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プラス
南 笠 東 小 学 校
学校だより 15 日号№7
平成 27 年 11 月 13 日
校長
~子どもの学びや育ちを考える~
山﨑
賢
※通常の行事等を掲載した学校だより『ふれあい』とは別に、子どもにつけたい力や大人の関わりなどについて考えるシリーズとして、毎月 15 日に「ふれあい+プラス」を発行します。
ペルソナ(persona)~本当の自分とは何か~
ペルソナという言葉があります。ラテン語で、演劇で使う「仮面」を意味する言葉ですが、心理
学では、英語で person(または personal)となり、日本語では「人格」と訳されています。
「仮面」
と「人格」というと一見違ったもののように思いますが、実は私たちの心の中で密接な関係がある
のです。
この1年で、話す大切さ、聞く大切さ、やさ
たとえば、私たち自身のことを考えてみると、職場で しさなどが勉強できたと思います。人と付き合
の顔、家庭での顔(子どもに対する顔、親に対する顔、 っていくのはとても楽しい、うれしいけど、と
ってもむずかしいことと思ってしまいました。
親戚に対する顔など)、地域での顔、親しい人の間での
今日、考えてみると、自分がなんだかわかん
顔、趣味の集まりでの顔など、すべて同じではなく、
なくなっちゃいました。なんか、自分が本当の
いわゆるその場その場での「仮面」を通しての自分が
姿じゃなくて、お面をかぶっている気がしたり、
泣くことじゃないことに対して泣いちゃった
いるのではないでしょうか。
もう、10年以上前になるのですが、4年生の子ども
たちと年間を通して人権を中心にして語り合った学習の
中で、ある子どもが書いた文章があります。(右参照)
何でも話せる学年集団作りをめざして、いやなことも、
うれしいことも、悲しい自分の心の内も、みんなで話
しあってきました。その最後の学年集会のあとで、こ
の子は、「お面をかぶっている気がした」と綴っていま
す。10 年の生活経験しかない子どもでもこんな風に、
自分(いわゆる人格)と仮面の間で揺れ動いています。
り、わかりません。
自分をかくして、人と付き合っているようで、
一番そばにいる自分が遠くはなれてるようにな
っていると感じてしまうようです。
自分がいいと幸せ、それはまちがってます。
人は人なのだから、大切にされるのは当たり前
なのです。わたしはよく、
「○○君が○○と言っ
た。」などと言いますが、自分は人をきずつけて
ないのでしょうか。自分が文句を言われて悲し
いなら、人のことをもっともっとわかるはずな
のに。私のせいで悲しんでいる人がいると思い
ます。その人にむけて、
「ごめんね」と言いたい
です。人は一人で人、バス代は半人前でも、子
どもだって一人前の人間だから、人っていう人
を見つめられたらいいなと思います。(4年)
私たちはよく、「本当の自分」などと言いますが、そ
んなものが本当にあるのでしょうか。もちろん、厳しい
親の前で自分の思っていることが言えないから、これは
本当の自分ではないと感じたり、子どもに厳しくあたる自分を冷静に見たりしたときに、これまた
本当の私ではないなどと思うことはあるでしょう。子どもなら、本当は言いたいことがあるのに、
間違ったら笑われるので言えない自分や、適当に話を合わせて何となく友達との関係を続けている
自分に嫌気がさすということもよくある話です。
しかし、そうやっている自分は本当に「本当の自分」ではないのでしょうか。様々な仮面の下に
はどういう人格があるのかということです。仮面を外したところで、その下にまた違う仮面がある
だけなのかもしれません。人間は演じる生き物であるともいえるでしょう。
そう考えると、人格とは様々な仮面の総体であると言えるのではないでしょうか。違った場で見
せる自分の仮面(ペルソナ)は、どれも自分の中の一面であって、決して自分以外の別の人格では
ないということです。これが本当の自分だという一つの人格があるわ
けではないのですから、自分らしくと願うのであれば、一つ一つの場
面に合わせた仮面(ペルソナ)をそれぞれ成長させていくしかないの
ではないかと思います。
どんな場でどんな自分を演じるのかは、自分で決めて自分で実践す
るしかないのですが、「演じさせられている」という風に感じるとな
ると、話は少し違ってきます。主体的に演じる自分ではなく、誰かか
らの強いプレッシャーによる「操られ感」が強くなると、「自己喪失感」に
つながります。多くの場合、身近な人からの「力による強制」や「できて
当然」と言わんばかりの無言のプレッシャー、また「見捨てられることへの
不安」などがあっても、一生懸命それに応えようと演じていますが、仮面の
重さに耐えられず、反社会的な行動をとってしまう例も少なからずあります。
ですから、早めにその兆候に気づき、関係者がお互いに情報を共有しながら周りの関わりを見直し
ていくことが必要です。一方が他方を批判的に見たり強制的にどちらかに合わさせたりするのでは
なく、客観的に冷静に見る目と、お互いの環境改善と限界について理解し合うことが大切です。
また、自分が胸の内をあらわにすることで自分に不利な状況が生まれることが予想される場合(多
くは、排除されたり奇異の目で見られたりするような状況)も、多くの人はより頑丈なペルソナを
纏い、素顔を探られない努力をします。しかし、自分がこだわっていたことが受容される環境の中
であれば、もう少し軽いペルソナに変えることもあるでしょう。最近の話題でいえば、同性愛者の
パートナーが認められることが増えてきたり、障害や国籍の違いなどによってしたいことができな
い状況が少なくなったりしてきたことなどがあります。もちろん個人のこだわりはそれぞれ違いま
すから、社会全体が変わるためには時間がかかりますが、理解者を増やしていくことや自分自身が
理解者になろうとしていく努力をしていきたいものです。
今も、そしてこれからも変わらないのは、私たちは他の人との関係性の中で生活しているという事
実です。他者とのかかわり無しに生きていくことはできません。ですから、場面に合わせたペルソナ
を使い分けながら、その総体としての自分を作り上げていかなければなりません。昨年流行った「あ
りの~♪ままで~♫」のように、みんなが過ごしたら収拾がつかなくなってしまいます。場面に合わ
せて演じるのは誰でもパワーがいるのですが、あまりにもしんどくて重い仮面をつけている人がいる
のなら、その人が少しでも軽い仮面に変えられるように、環境を変える一人になろうとする努力を続
けたいものです。そして、それは結果的に自分のペルソナを軽くすることになるのだと思います。
◇◇シリーズ人権◇◇ (このコーナーでは「人権」について様々な例から考えていきます)
障がい者の人権
平成16年6月の障害者基本法の改正により、国民の間に広く障害者の福祉についての関心と理
解を深めるとともに、障害者が社会、経済、文化その他あらゆる分野の活動に積極的に参加する意
欲を高めることを目的として、12月3日~12月9日を障害者週間と定められています。
障害があることが理由で、様々なことが制限されたり社会進出が阻まれたりすることがあっては
ならないのですが、まだまだ社会環境の整備や人々の理解が不十分な面もあり、継続してその改善
や教育・啓発に努めていかなければなりません。障害というと差しさわりがあるということですが、
「害」という文字から受けるあまりよくないイメージから、
「障碍」や「障がい」という表現をする
ところも増えてきていますが、社会進出や協働の障害となっているのは社会の側だという考え方か
ら、あえて「害」の文字を使うこともあります。
障害者の理解や社会進出を阻む要因として、「物理的な壁」「制度の壁」「文化情報面での壁」「心
の壁」の4つがあると言われます。バリアフリーやユニバーサルデザインなどの普及や障害を理由
とする差別の解消の推進に関する法律(いわゆる「障害者差別解消法:(H26.6.制定、H28.4.1 施
行)など少しずつ壁をなくすための取組が進んできていますが、誰もが安心してくらせる社会づく
りをするためには、まだまだ課題はあります。その中でも、私たち一人ひとりにかかわる課題とし
ては、共に生きる社会づくりのための自分自身の理解と意識を高めていくこと(いわゆる心の壁を
なくすとりくみ)が求められています。そしてそのための第一歩は、違いを排除するのではなく、
分かり合おうとする態度や意識ではないでしょうか。
私たちはだれもがみんなちがって当たり前という前提を大事にしたいもの
です。
「違いを豊かさに」などと言葉では耳障りよく聞こえますが、なかなか
自分にあてはめて考えることは少ないでしょう。まずは自分のくらしの中で、
身近なかかわりの人に対して、
「違い」を自分はどのように受けとめ、どのよ
うな態度をとっているのかを見つめ直すことから始めていけたらと思います。