A. 猫食の理由を知って B. 異文化理解について

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猫食に対する意見を通して見えてきた「知らず知らずのうちに陥る自文化中心主義」……前
回グラフを参照
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猫食の「背景を知ること」によって、猫食文化へのわたしたちの考え方は大きく変わる……
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下記インプレッション A 参照
異文化理解とは、
「文化の背景・理由・詳細について知る(知ろうとする)こと」である
A. 猫食の理由を知って
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★「気」という発想については、中国人が好みそうな考え方だと思った。虎の気を取り入れたいという気
持ちもわかるし、だから似たような動物である猫を食べようという気持ちも、わからないわけではない。
その一方で、そこまでして精力をつけたいと思うのか、という疑問も生じてしまった。おそらくその理由
は、自分が猫好きだからだと思われる。
★ただ単に「中国では猫を食べます」といわれるとすごく気分が悪いが、なぜ食べるのか?? ということ
を理解すると、猫を食べるという行為はやっぱり嫌だが、「なるほど」という思いも生まれた。このよう
に、その文化が生まれた背景・詳細を知っていくことが異文化理解なのだと実感した。
★肯定することも否定することも異文化理解でないのなら、いったいどうしたらいいの? とモヤモヤし
ていたけど、猫食の背景を知ったことで、なんだかスッキリしました。異文化を知って許せる・許せない
とかで止まっていた表面上の理解が、その文化の背景を知ったことで本当の理解になった気がします。
猫を食べる理由は意外な感じだったけど、くじらとは違うということがよくわかりました。
まむし酒は昔、母方の実家で見たことがあります(長野の農家)。それにしても、精力剤要素の変わった
ものが多くて驚きます。クジラ食と違うことはよくわかりました。どちらかというと、スッポン食べるの
とねこを食べるのが同じ感覚なのですね!? カメをペットとしている人が「カメ食べるなんて!」と思う
かもしれないと思うと、そんなように思います。
★ただ単に文化の違いを知っておもしろがるのではなく、その背景を知ることで異文化を理解することが
できるんだなと知った。背景を知ると、その異文化への考えが全然変わるからおもしろい。理解しようと
すると自然と、自分の中で否定・肯定の気持ちが出てきてしまう気がする……。
(→自然と生まれる否定・
肯定が「いけないこと」ではないのです。むしろ出て当然。あくまでも、
「不十分・不確かで偏った情報、
第一印象によって肯定・否定するのはおかしい」ということと「文化を肯定・否定することが異文化理解
の目的ではない」ということが、言いたかったことです。
)
自分が嫌悪する食文化も、その背景などを知ろうとすることで理解が深まるならやってみようと思ったし、
もしかしたらそこから案外好きになったりするのかも、と思いました。でも、猫は好きになることはあり
ませんけど。
背景や歴史を知ることで受け入れられるもの、逆に、背景を知ったからよけいに受け入れられないものも
あるのかもしれないと思いました。結局、「日本」の文化や「中国」の文化だからなどと考えるより、相
手と一対一で対話してわかり合えるのかどうかなのかな、と思いました。
外国の犬食文化を非難する人がいるが、日本にも昔非常食として用意された犬がいます。種類は「チャウ
チャウ」という種類で、実際に昔は食べていたらしいです。(→チャウチャウは、中国原産の食用犬とし
て有名ですね。別名 Chinese Edible Dog=中国の食用犬と言うくらいです。日本でも 70 年代に CM で使わ
れたのをきっかけにブームがありましたが(アイフルのチワワみたいに)、さすがに非常食として飼った
人は当時はいなかったと思います。チャウチャウのことはさておき、日本でもかつて犬は食用とされてい
ました。調べるとけっこう簡単に見つかります。
)
B. 異文化理解について
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★今まで異文化理解の「理解」の意味を、自分は、その人の自文化中心主義を認めてあげることだと思っ
2012.5.10. 前回 4 月 26 日インプレッション(文化人類学-民族誌)
http://www.kgu1.juntak.net/2012/index.html
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ていただけに、異文化理解の正しい意味を知ったときは、自分が今まで間違った認識をしていたことがわ
かりました。/自分としては「異文化理解はした方がよいのか?」という質問には納得いかない。文化に
関してはすべきだと考えています。自分は、韓国の犬を食べる文化と中国の猫を食べる文化についての背
景・理由・詳細について調べていきたいです。頭ごなしに嫌い、というのは間違っている考え方だと思う
ようになったので、まずは歴史と理由について調べていきます。(→「異文化理解はした方がいいか」と
いう点については、もうしばらく授業を進めてから、再度考えてみたいと思います。もちろんした方がい
いのはいいんですが、そのことをあまりにも堅苦しく考えすぎると、かえって異文化理解への意欲がそが
れてしまう、という問題があるんですね。もっと気軽に、どう向き合うかを考えたい。
)
★今日の授業を受けて、自分は今まで思考停止をしていたように思いました。今までの自分のスタンスで
は、異文化理解をしておらず、異文化の概容を把握しただけで理解した気になっているだけでした。最終
的に理解することにつながるかはわからないが、その文化について知ろうとする姿勢を取ることが異文化
理解につながると感じました。きちんと知った上での自分の意見・自文化は、知る前よりも意味があり、
異文化理解の役に立つものになるかなと考えました。
異文化は、肯定するものでも否定するものでもなく、きちんと理解することが大切なんだとわかった。
自分と違うからおもしろいと思うし、興味を持つ。ただそれが、自分の価値観的に理解しがたい・絶対
NG なことであるとき、
「異文化理解」のむずかしいところなんだと思う。
C. その他
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直接授業には関係ないかもしれませんが……自分の母校の高校では、毎年交換留学として英語圏の人が 15
人くらいやってきてホームステイをします。問題なのは、彼らを家に泊めてくれる人がいつも足りず、ギ
リギリになってやっと人数が集まった!! という状態でした。この毎年恒例のドタバタ感がおもしろいらし
く、その時期になると「あと 10 人も足りないんだって~」というような話題が生徒の間でもちきりでし
た。わたしは、
「家が狭いから」という理由で断りましたが、他の人にためしに聞いてみていったところ、
口裏を合わせたように「文化が違うし~」といった回答でした。この「文化が違う」の言葉には、気を遣
うからとか英語が苦手だからとかめんどくさいとか、さまざまな理由が入っていると思いますが、この言
葉だけだと感じ悪いなー、と今になって思いました。(→逆に、みなさんが高校や大学でカナダやらオー
ストラリアやらにホームステイに行くことってあると思うんですが、向こうではいったいどんなドタバタ
があるのでしょうね? たいがいのひとは、カルチャーショックは受けつつも、ホストファミリーの方た
ちの親切さは強く感じて帰ってくるみたいですが。そう考えると、相互的な異文化理解の問題に入ってき
ますね。
)
★どこの文化でもタブーなもの・ことはあるのでしょうか。たとえば、人が人の肉を食べる、とかは普遍
的と言ってもいいのでしょうか。(→人が人の肉を食べる文化は、あります。もちろん、殺して食べるわ
けではないというか、食べるために殺すというのは聞いたことはないですが。そしてより大事なのは、
「生
物学的に見れば同じヒト」を「文化的には人ではない」とみなして、それを「人殺し」の範疇から除く文
化が普遍的に見られる点です(この点については、もう少し後の回で映像を使いながら考えます)
。
「普遍
性」というのは、非常におもしろい(そして、つかみにくい)概念です。今日、映像を見ながら考えてみ
ましょう。
)
2012.5.10. 前回 4 月 26 日インプレッション(文化人類学-民族誌)
http://www.kgu1.juntak.net/2012/index.html
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