防長の 防長 の 自然学散歩- 自然学散歩 - 26 「黒髪島と 黒髪島 と 大津島の 大津島の 御影石」 御影石 」 山陽道沿いの徳山湾をぐるりと半島や島嶼が囲み、天然の 良港となっていますが、黒髪島と大津島はその主要島嶼です。 両島は約1億年前に生成した新期領家花崗岩という岩石で 構成されていて、高品質な石材の産出地となっています。 「黒髪島」は全島花崗岩で占められ、お椀を伏せた様な形で平坦 部がないため住民は居ません。また昔は「黒神島」と表記され神域 周南市周辺の地質図 となっていて、大三島の大山祇神社の分社が祭られており、明治 以前までは手付かずの原生林のままでした。 明治の初めから採石が稼行されて、「徳山みかげ」として国会議事堂の外壁(一階部分)や敷石として 採用されたため、一躍全国的に名を知られるようになりました。 墓石等の耐久材や彫刻用石材として使用されるには、緻密な結晶を持ち含水率が低い花崗岩である事が 求められますが、「徳山みかげ」はその一級品としてとして高い評価を受けています。 「大津島」は黒髪島の西側に位置する南北に長い比較的平坦な島で、現在でも 400 名程度が住んでいます。 島の東側の一部が黒髪島と同じ花崗岩となっていて、古くから採石事業が行なわれており、良質な黒御影 石(黒雲母花崗岩)の産出場所として有名であった様です。 秀吉の大阪城の築城に際に、毛利藩に課せられた助役としてこの島より石材が搬出され、島にはその残石 4 基が現存しており、毛利家家紋(一文字に三ツ星)を省略した「一の下に〇」の印が穿たれています。 現在でも島では小規模ではあるが採石事業が続けられており、細密な白色系の花崗岩が産出されています。 また大津島は第二次世界大戦末期の「人間魚雷回天」の出撃基地があった所で、島の南部に発射訓練基地 等の遺跡と記念館が建っています。日本国陸軍の「知覧特別攻撃隊」と共に、海軍も「神風・回天特攻隊」 を編成し、ここでは魚雷を抱いて南方の海に散っていった若き士官 106 名の英霊が祀られています。 大津島は離島という事もあってか、施設は知覧に比べて人影も少なく、ひっそりかんとした佇まいでした。 黒髪島の全景(左側が採石場) 大津島の採石場 大阪城築城の残石 人間魚雷回天の発射訓練基地跡
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